1: 世界@名無史さん 2010/09/10 03:13:26







スパルタクス(生年不詳 - 紀元前71年)は、共和政ローマ期の剣闘士で、「スパルタクスの反乱」と称される第三次奴隷戦争の指導者。

紀元前73年に仲間の剣闘士とともに南イタリアのカプアの剣闘士養成所を脱走してヴェスヴィウス山に立て籠もり、討伐隊を撃退した。近隣の奴隷たちが反乱に加わって数万から十数万人の群衆に膨れ上がり、紀元前72年には執政官の率いるローマ軍団を数度にわたって打ち破ってイタリア半島を席巻した。紀元前71年になるとクラッススの率いる軍団によってイタリア半島南端部に封じ込められ、クラッススとの決戦に敗れた奴隷反乱軍は全滅し、スパルタクスも戦死した。




5: 世界@名無史さん 2010/09/11 00:06:2

あんな後味の悪いハリウッド映画はめったにない

9: 世界@名無史さん 2010/09/12 20:43:40

虐げられていた剣奴がわずかな仲間を集めて脱走、やがて強力なローマすら脅かす大反乱に発展するってロマンがあるよな
キューバ革命とかもそうだが、男として感ずるカタルシスがある

10: 世界@名無史さん 2010/09/12 20:58:12

それを討伐したのが後に三頭政治の一角となるのも魅力がある

200px-Marcus_Licinius_Crassus_Louvre


マルクス・リキニウス・クラッスス


マルクス・リキニウス・クラッスス(紀元前115年頃 - 紀元前53年)は、共和政ローマ時代の政治家、軍人である。第三次奴隷戦争でスパルタクスを討ち取り、グナエウス・ポンペイウス及びガイウス・ユリウス・カエサルと共に第一回三頭政治を行った。

クラッススは、自らの財産で訓練された新しい部隊を率いてスパルタクス軍を討伐すると申し出て、元老院はクラッススをスパルタクス討伐へ派遣した。

紀元前71年、クラッスス率いるローマ軍団はルカニアでスパルタクス軍を包囲した。ヒスパニアからポンペイウス、トラキアからルキウス・リキニウス・ルクッルスの弟マルクス・テレンティウス・ウァッロ・ルクッルスがイタリアへ向かっていると知らせを受けたスパルタクスはクラッスス軍との戦闘を決意、両軍は激突したが、スパルタクスを含む多くの剣闘士・奴隷が戦死して、6,000人の反乱軍兵士を捕虜とした。クラッススは捕虜とした6,000人の兵士全てをアッピア街道に沿って磔刑に処した。処刑された奴隷兵の死体は下ろされずにしばらくの間見せしめとして晒されたと伝わっている。

クラッススはスパルタクスとの決戦に勝利はしたものの、北部への逃走を試みた約5,000の奴隷軍を殲滅させたポンペイウスが元老院に対し、「戦争を終わらせたのは自らである」と報告したため、奴隷戦争での第一の功をクラッススは失うこととなった。これによって、クラッススとポンペイウスの関係は抜き差しならぬ関係になることとなった。



11: 世界@名無史さん 2010/09/13 05:29:18

アフリカに逃げるんだ

12: 世界@名無史さん 2010/09/13 12:51:30

アフリカに行く船がない、アルプスを越える服がない

13: 世界@名無史さん 2010/09/13 13:29:20

地中海なら泳いで渡れそう

79: 世界@名無史さん 2013/07/15 12:16:14

>>13
実際問題、メッシーナ海峡は幅が3kmだからちょっとした遠泳でシチリアに渡れる。
近年10歳の男の子が泳ぎ渡ったってニュースがあったぐらいだから、体力自慢の闘剣士ならここで根性を見せるべきだったろう。

14: 世界@名無史さん 2010/09/13 18:40:23

今で言うと囚人やギャングの徒党が全国大暴れして民家や商店街ぶち壊しまくるようなもんだよね

17: 世界@名無史さん 2010/09/16 20:32:21

当時の奴隷を囚人やギャングと同一視はできないだろ

25: 世界@名無史さん 2010/09/20 19:18:17

スパルタクスの軍が近くを通るたびに、奴隷の持ち主は気が気じゃなかったと思う。
うちの奴隷は大丈夫だろうか、逃亡して反乱軍に加わる行きがけの駄賃に、オレたちの寝首を掻いて財産を持ち逃げしたりとか、そんな気を起こさないだろうか・・・

26: 世界@名無史さん 2010/09/20 19:29:28

寝首を掻かれた奴隷の持ち主は実際けっこういたんじゃないだろうか。

31: 世界@名無史さん 2010/10/06 08:00:09

スパルタカスの乱って、何が目的だったのか?

故郷に帰る→出身地バラバラで流れ解散→ローマ軍に各個撃破
社会革命を起こす→誇大妄想
奴隷王国を建設する→シチリア島に渡れなかった時点でアウトあとは自滅するしかなかったと思うんだが・・・
それともソキイ戦争のように、負けても条件闘争で待遇改善を図る可能性があったのだろうか

32: 世界@名無史さん 2010/10/06 14:14:38

>>31

気にくわないから暴れたら周りに担ぎ上げられて引くに引けなくなってしまった

...西郷隆盛パターンはどうだろう?
彼も勝てるとは思ってなかった筈だが

45: 世界@名無史さん 2011/01/28 22:04:26

>>31
目的なんかないだろ
ただ単に、反乱を起こしただけ
その後のことなんか何なにもない
それが奴隷

37: 世界@名無史さん 2010/12/29 18:56:03

映画で「スパルタカス」の名前を知って、そのあと見た教科書に「スパルタクス」と書いてあったのに違和感があったが、今では「スパルタカス」のほうに違和感がある。

38: 世界@名無史さん 2010/12/29 20:06:40

英語風の発音だと「スパータカス」か。「スパルタカス」という言い方はその意味でも変。

42: 世界@名無史さん 2011/01/27 18:37:41

スパルタクスの乱当時イタリアの人口は700万でそのうち200万が奴隷だったそうだ。そんな大量の奴隷を戦争捕虜だけで調達できたのか。
木村凌二先生が言うように捨て子が奴隷商人に養育されたという例もかなりあったんじゃないか。もしそうならそういう連中はどこに「帰還」するつもりだったのか。

43: 世界@名無史さん 2011/01/27 18:52:43

まぁ奴隷同士の婚姻もできたし、二世三世の奴隷ってのも結構いたんじゃないかな
確か『拳闘暗黒伝セスタス』でも管理職やってる奴隷キャラが、「奴隷の子も奴隷、この呪縛は一生つきまとう。だから私は自由を得るまで妻帯しない」って主旨のセリフもあったし

46: 世界@名無史さん 2011/01/28 22:05:28

古代の死亡率を考えたら、奴隷の二世はともかく、三世は無理だったんじゃないかな

47: 世界@名無史さん 2011/01/29 15:37:27

古代ローマ人は抵抗した都市の全住民を奴隷として売却したというけど貴族や元老院議員のような人も奴隷にされたのかな。

49: 世界@名無史さん 2011/01/29 19:28:45

>>47
そうじゃね?
トロイア戦争の時だって、王妃のアンドロマケや王女のカサンドラはギリシャ側の王達の側室、つまり奴隷にされたわけだし
(これは、王族を放置しておくと、反乱の旗印にされる可能性があったためでもあるけど)

まあ、現実問題として、そういう人たちは自決するなり逃亡するなりしたろうけど家族なんかは、奴隷にされたのでは?
奴隷といってもピンきりで、鉱山や農場で重労働するだけの奴隷から、皇帝に仕える宮廷奴隷までいろいろとあったし、皇帝なんかのそばに仕えるのは、教養やら礼儀作法やらが身についてないとできないだろうしね

52: 世界@名無史さん 2011/01/29 21:11:29

>>47
カルタゴが滅ぼされたときにはカルタゴ側を指揮していたハスドルバルという将軍やその幕僚だけが国家の捕虜としてイタリアに送られてそれ以外の者はすべて奴隷として売られたそうだ。
ちなみにこのハスドルバルという人物はローマの凱旋式で晒し者にされたが小スキピオの好意でその後は自由を与えられてイタリアで平穏な余生を送ったそうだがこれは例外らしい。
この話からすると最高級幹部だけがローマで処刑されるか投獄されそれ以外の者は全て奴隷とし売られるというのが慣例だったらしい。
ちなみにハンニバルはローマ市民を捕虜にした場合、家族が身代金を払えば身柄を返還しそうでない場合は奴隷として売却したそうだ。

61: 世界@名無史さん 2011/01/31 23:15:24

>>52
ハスドルバルってカルタゴが陥落したときスキピオの前に跪いて助命を嘆願したとかいう奴だよな。
いい気なもんだな。祖国を滅亡させ同胞を奴隷に陥れて自分は安楽な余生か。

56: 世界@名無史さん 2011/01/30 13:26:38

当時の奴隷農場の監督や牧人奴隷を監督する牧人長は奴隷の中で読み書きが出来てある程度の教育をうけた者が任命されたそうだがその中にはどこかの都市の元老院議員だったなんて人もいたのかな。

60: 世界@名無史さん 2011/01/31 22:00:44

前2世紀にシシリー島で再度の奴隷反乱が起こったとき彼らは一定の支配領域を確立するとかなり整備された国家機構を作り上げた。
この事は蜂起した奴隷の中にかなりのインテリがいたことを示すと指摘されている。言い換えるとインテリで「タダの奴隷」にされた人もいたということだ。
元老院議員だったなんて人もいたかも。

58: 世界@名無史さん 2011/01/31 21:11:00

スパルタクスの出自について彼はトラキアの王子だという説があるそうだ。
これは根拠のない憶測に過ぎないがそういう噂が流れたこと自体が相当身分の高い者でも「タダの奴隷」にされる場合があったことを示していないかな。

63: 世界@名無史さん 2011/02/01 17:04:10

>>58
個人的には、一介の若い剣奴にしては組織力・統率力があった事から、若くして組織を統率できる環境にいたのでは?≒つまりは王族かも知れない、って推察からスパルタクス王族説に至ったって気がする
かのアレクサンドロス大王も、若い頃は父フィリッポスの傍でギリシャ制覇を見てきた訳だし

64: 世界@名無史さん 2011/02/01 23:40:39

蜂起した時のスパルタクスはそんなに若くなかった。
35-40歳程度だったと推定されている。
剣奴の中のリーダー的存在でだからこそ脱走計画の首謀者になり得たのかもしれない。

72: 世界@名無史さん 2011/12/13 16:32:15

スパルタクスと都市国家スパルタは関係あるの?

73: 世界@名無史さん 2011/12/13 18:13:36

関係ないと思われる。言わばリングネーム。強そうだから、スパルタにちなんだ名前かと。

77: 世界@名無史さん 2012/04/21 00:39:44

スパルタクスも相手が戦下手なクラッススで良かったよな
これがルクルスとかポンペイウスだったら瞬殺されてただろう

80: 世界@名無史さん 2013/07/19 00:51:15

イスパニア・小アジア・国内の同時多発戦争をあっさり退けるローマも恐ろしいな
87: 世界@名無史さん 2014/10/26(日) 15:49:09

スパルタクスはトラキア人だから、現在で言うとブルガリア人あたりか。
88: 世界@名無史さん 2014/10/26(日) 20:23:21

>トラキア人

いちおう、ブルガリアで自分たちのルーツの一つという認知が高まってきてるみたい

99: 世界@名無史さん 2015/07/20(月) 13:16:56

反乱軍がアルプスで謎の反転をしなければ、その後の展開はどうなったんだろう。奴隷がそれぞれの出身故郷に帰るしても、そこは帝国の属州でローマ軍の追及は避けられないわけだしな。
蜂起

紀元前73年、約200人の剣闘士たちが脱走を計画したが、密告によって露見してしまい、このうちのおよそ70人が養成所を脱走し、武器を奪って武装化しヴェスヴィウス山に立て籠もった。剣闘士たちはガリア人のクリクススとオエノマそしてスパルタクスを彼らの指導者に選んだ。

元老院は、最初に法務官のグラベル、次いでウァリニウスを討伐に派遣するが、スパルタクスはこれを相次いで撃退した。数万人に膨れ上がった反乱軍は南イタリアの幾つかの都市を略奪・占領して冬を越し、紀元前72年に北上を開始した。プルタルコスはアルプスを越えて奴隷たちを故郷へ帰すことが反乱軍の目的であったとする一方、アッピアヌスやフロルスはローマ進軍が彼らの目的であったとしている。

この年任ぜられていた2人の執政官、レントゥルスとゲッリウスが率いる正規のローマ軍団が差し向けられ、反乱軍側はクリクススの率いる別動隊3万人が殲滅された。スパルタクスの率いる反乱軍は北イタリアに到達したが、何らかの理由によって彼らはアルプス越えを行わず、スパルタクスは軍を反転させて再び南イタリアへと向かった。


100: 世界@名無史さん 2015/07/20(月) 15:58:26

当時はまだトラキアとかはローマの属州ではなかった

102: 世界@名無史さん 2015/07/20(月) 19:05:51

ローマ領からちょっと外れた位置、たとえばドナウ川対岸あたりに皆で暮らせばどうかな
もちろん背後の蛮族とは対立しそうだが、そこ出身の奴隷を折衝役にしてなんとか協調

103: 世界@名無史さん 2015/07/21(火) 11:51:03

ローマの北辺に剣闘士の王国とか作れば夢があるね。武闘派集団として周辺の部族からも一目置かれそう。




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