1: 人間七七四年 2016/09/22(木) 21:08:57.46 ID:VeNlY+65
白峰旬氏が提唱した小山評定はなかった説ですが、本多隆成氏や笠谷和比古氏など反論する研究者もおり、色々と不明な点や矛盾点のある小山評定について考え語り合いましょう







小山評定をめぐる諸説

「小山評定」とは慶長5年7月25日下野国小山において、家康と会津征伐に従軍していた諸大名によって開かれたとされる軍議のことを指す。

その場では福島正則が進んで家康の味方を表明し、山内一豊が徳川軍への居城明け渡しを申し出たことなどによって諸大名は家康のもとに団結し、会津征伐中断と上洛が決定したとされてきた。これまで関ヶ原の戦役におけるターニングポイントの一つと扱われてきた「小山評定」であるが、軍議における家康や諸大名の言動は「慶長記」・「関原始末記」等寛永・慶安期以降に作成された二次史料に記されているものであり、一次史料からは確認されない。 



2: 人間七七四年 2016/09/22(木) 21:41:15.02 ID:UThggdgF
集まった場所が小山だったか、東軍の武将全員が集まったんだかはわからないけど評定事態はあったんじゃないのかな

3: 人間七七四年 2016/09/23(金) 06:34:45.51 ID:LnyBGqr/
浅野幸長の書状をどう解釈するかで話が変わってくるんじゃないのかな

小山評定をめぐる諸説

(否定は)肯定派が「小山評定」実施の証拠とする慶長5年7月29日付大関資増宛浅野幸長書状についても7月25日前後の浅野幸長の動向についての情報を提供するものの、「小山評定」の実施については直接の記述が無い点等から通説の「小山評定」を肯定する史料たり得ないとする。


4: 人間七七四年 2016/09/23(金) 21:26:31.06 ID:jsJ+YtrC
>>1
例えば笠谷とかはどんな根拠で反論してるの

14: 人間七七四年 2016/09/29(木) 09:15:31.77 ID:xu+4jpZG
>>4
浅野幸長の書状や七月二十九日に田中吉政や黒田長政に出した家康の書状
東海道筋の大名が城を全て明け渡し徳川譜代大名が代わりに配置されてる事
山内一豊が戦後土佐一国に封じられた事あたりじゃなかったかな

5: 人間七七四年 2016/09/23(金) 21:52:45.83 ID:PIhlLUsH
小山評定が無い説を主張する連中は何故山内一豊が土佐一国を受け持ったかを説明して欲しい

6: 人間七七四年 2016/09/23(金) 22:29:05.12 ID:Mq0Exgmg
評定がなかったとは思ってないけど東海道筋の大名って豊臣政権内では十分実績のある武将達だから関が原後の恩賞としては土佐一国というのは過分では無い気がする
他の東海道筋の大名でも堀尾忠氏は出雲隠岐、中村一忠は伯耆一国、田中吉政は筑後一国
福島正則は安芸備後、池田輝政は播磨を恩賞として貰ってるけど一豊は上記の大名に比べると元の石高は低いけど元々6万石程度は貰っていて土佐一国で9万8千石、高直しで20万石なら相応の評価じゃないか

7: 人間七七四年 2016/09/24(土) 01:00:27.15 ID:vZ3Kawti
田中吉政は三成捕縛の功もあるな

土佐貰うってあまり嬉しいことじゃないよな
山内の施政次第では国内が荒れるし(実際問題は出た)、抑えられなければ左遷・改易が待ってる

8: 人間七七四年 2016/09/24(土) 13:23:14.33 ID:daPoZyN8
けど国持大名というのは結構なステータスだからなぁ

9: 人間七七四年 2016/09/24(土) 20:36:39.48 ID:J3Hkc/VE
なかった派は仙石とか里見とか徳川譜代や与力大名以外で秀忠軍や秀康軍に参加した大名がどういった経緯でその方面軍に参加する事になったかの説明がほしいな

11: 人間七七四年 2016/09/25(日) 21:29:43.80 ID:i27EhkZi
笠谷氏なんかは幸長の書状を武将達が二十五日前後集まっていた事の根拠にしているね

15: 人間七七四年 2016/09/30(金) 22:53:10.36 ID:nki2cnLw
一次史料がない事がなかった派の拠所みたいだけど、状況証拠は十二分にあるしなぁ

19: 人間七七四年 2016/10/01(土) 19:10:27.20 ID:vZGCPYiM
なかった派って西軍よりが多いのかな

20: 人間七七四年 2016/10/01(土) 19:16:19.25 ID:xWvRcvKp
無くてあんだけ結束してたら西軍なんなの?になるから西軍贔屓は支持しないやろ

22: 人間七七四年 2016/10/02(日) 02:23:38.04 ID:1cQiC8BD
>>20
なかったなら関ヶ原当日に裏切り者を出さなかった家康の統率力とカリスマ性が凄いことになる
反対にあったなら家康の政治力と先見性が凄いことになる

23: 人間七七四年 2016/10/02(日) 21:11:31.50 ID:FrhMlrF+
一次史料がない、だから事実じゃないって話じゃ納得できないよなぁ

25: 人間七七四年 2016/10/04(火) 16:55:09.61 ID:3c8z/v5T
>>23
白峰はもう少しつっこんで書状の日付などから、ありえない、と言う解釈。
もちろん、小山で、の話ね。

24: 人間七七四年 2016/10/03(月) 00:25:02.04 ID:k6cDcUfg
小山「で」評定を否定するのか、どこであろうが評定「自体」を否定するのか

否定にも2通りあるね

26: 人間七七四年 2016/10/04(火) 22:11:36.51 ID:OwWF5Qyd
関ヶ原後東軍大名の封入通達は口頭だけで、書状類は無かったらしいけど、書状類が無いから事実じゃ無いなんて言う奴はいないしな

36: 人間七七四年 2016/10/19(水) 20:46:53.39 ID:0V4bLQVg
白峰の上杉征伐を決める際には家康が奉行らの反対を押し切って協議なしで決定したのに、上杉征伐を中止する時だけには評定を開き協議をするのは不思議だって言っているが、奉行達だって私的の場で反対意見を言上したわけでは無く公的な場で反対意見を言上したんだろうし、家康もその反対意見は聞いた上で征伐を押し切り公戦という形にしたんだから協議はあったんじゃ無いかな

39: 人間七七四年 2016/10/20(木) 21:25:26.71 ID:CZj+BNHd
上杉征伐にしたって東行していく部隊とか
伊達や最上など地元から南下していく部隊とか
普通に協議して決めたんじゃ無いのかな

40: 人間七七四年 2016/10/20(木) 22:58:12.50 ID:jPClmpdb
政治は協議しないで強行採決もありえるが、軍事は協議して行動方針や役割分担を決めるのは当然だよ
そうしないと軍隊として組織性が維持できなくなる

41: 人間七七四年 2016/10/22(土) 08:34:53.66 ID:lxmLbGpi
封建時代の軍事作戦の発動や中止の決定は協議で決めるものではなく、指揮権を持った大将が命令すれば済む話って主張する研究者もいるけどね

43: 人間七七四年 2016/10/23(日) 09:58:04.68 ID:zpGLZQSX
>>41
その研究者って誰なの?

44: 人間七七四年 2016/10/23(日) 21:02:11.96 ID:jowDkSCb
>>43
白峰氏が「家康伝説の嘘」でそう書いてる

42: 人間七七四年 2016/10/22(土) 09:11:07.09 ID:j4StWUKi
それは100%ないだろう
そんな絶対的権力を持っていた大名とか聞いたことがない

48: 人間七七四年 2016/10/24(月) 08:45:53.33 ID:A54ceQ90
白峰ってこんなこと言ってたっけ?さすがに曲解じゃねーの

50: 人間七七四年 2016/10/24(月) 20:43:45.44 ID:1re/Gaw4
>>48
とりあえず「家康伝説の嘘」の176ページの6行目から読んで判断して欲しいかな
本当は第九章小山評定は本当にあったのか?を全部を読んで判断して欲しいけど

55: 人間七七四年 2016/11/17(木) 22:23:52.89 ID:yv9uXW8c
日付が間違っているとか、場所が違うところだったとか福島や黒田などの一部の大名が参加してなかったりなどの可能性はあるにしろ評定自体はあったんじゃないかな

59: 人間七七四年 2017/01/24(火) 12:33:57.42 ID:DnDEtpsH
小山評定はなかったと白峰さんが言ってるけれど、それでは山内一豊がなぜ土佐一国を得たのかのが分からなくなるので評定に類するものはあっただろ。って書いてた。

60: 人間七七四年 2017/02/05(日) 08:35:16.01 ID:mCQULe2u
ない派は一次史料が無いこと
ある派は浅野幸長の書状や状況証拠が根拠みたいな感じだからなぁ

61: 人間七七四年 2017/02/05(日) 20:56:47.17 ID:KJifTGTt
一次史料でズバリわかる物事のほうが少ないのだから致し方ないんじゃねの

引用元: ・小山評定について考える