1: 人間七七四年 2014/09/26(金) 10:39:52.98 ID:mSg4HATe
秀吉の天下取りを補佐した超名軍師、黒田官兵衛を語りましょう!
その知略、勇武は大海を泳ぐ魚の如き自由自在、変幻自在であり、彼がいなければ秀吉も天下は統一できなかったとも言われます。
秀吉死後、関が原のどさくさに紛れて九州を支配し、天下を狙おうとしたのも実は野心家である彼のみが成せる所業です。
官兵衛自身はもちろん、その功績、周りの人物、事象などでもおkです!
その知略、勇武は大海を泳ぐ魚の如き自由自在、変幻自在であり、彼がいなければ秀吉も天下は統一できなかったとも言われます。
秀吉死後、関が原のどさくさに紛れて九州を支配し、天下を狙おうとしたのも実は野心家である彼のみが成せる所業です。
官兵衛自身はもちろん、その功績、周りの人物、事象などでもおkです!
2: 人間七七四年 2014/09/28(日) 19:56:43.54 ID:uNW8U7iK
>>1
天下を狙おうとしたとか実は野心家なんてのは判官びいきの裏返しだろうな
もし家康が負けたり豊臣家を倒たりしていなければ言われることは無かった
ましてや「片手は何をしていた」なんて
ただ大河としてはそっちの方が面白いって事になんのかな?
天下を狙おうとしたとか実は野心家なんてのは判官びいきの裏返しだろうな
もし家康が負けたり豊臣家を倒たりしていなければ言われることは無かった
ましてや「片手は何をしていた」なんて
ただ大河としてはそっちの方が面白いって事になんのかな?
3: 人間七七四年 2014/09/28(日) 21:09:16.20 ID:6lo1oRUk
でも吉川広家に
「かようの時は仕合わせになり申し候。はやく乱申すまじく候。そのお心得にて然るべき候」
つってるし野心あったんじゃないの
「かようの時は仕合わせになり申し候。はやく乱申すまじく候。そのお心得にて然るべき候」
つってるし野心あったんじゃないの
4: 人間七七四年 2014/09/28(日) 23:23:51.54 ID:qvSpDe2R
軍師タイプはまず天下は無理絶対無理
5: 人間七七四年 2014/09/28(日) 23:29:06.60 ID:0m1aRtX3
軍師タイプだなんて後世の作り話だ
6: 人間七七四年 2014/09/29(月) 00:30:20.55 ID:pHdqeqxk
大河便乗本の諏訪勝則「『天下を狙った軍師』の実像」っての読んだんだけど、この人の結論としては、「官兵衛は一般的なイメージでいうところの軍師ではなかった」なんだが、内容読むと思ってたより全然軍師だったわ
「豊臣家のイチ構成員でしかなかった」ぐらいのこと書かれてるのかと思いきや、九州、朝鮮と普通に豊臣家の方面司令官だった
「豊臣家のイチ構成員でしかなかった」ぐらいのこと書かれてるのかと思いきや、九州、朝鮮と普通に豊臣家の方面司令官だった
43: 人間七七四年 2014/10/12(日) 20:47:27.58 ID:W/n+kjEj
官兵衛が朝鮮出兵に反対した記録ってあんの?
44: 人間七七四年 2014/10/12(日) 20:54:33.43 ID:LUVDo2cI
>>43
無いぞ。むしろ嬉々として従ったほうだ
無いぞ。むしろ嬉々として従ったほうだ
45: 人間七七四年 2014/10/12(日) 21:24:55.16 ID:PTsalK+v
嬉々としてってそっちの記録はあるのか?
浅野長政、豊臣秀長、豊臣秀次あたりの出兵反対グループに所属してた上に戦線非拡大の方針を取ってたんだから、あからさまに反対ではなくとも消極派だったと考えるのは不自然では無いと思うが
浅野長政、豊臣秀長、豊臣秀次あたりの出兵反対グループに所属してた上に戦線非拡大の方針を取ってたんだから、あからさまに反対ではなくとも消極派だったと考えるのは不自然では無いと思うが
46: 人間七七四年 2014/10/12(日) 21:41:58.09 ID:LUVDo2cI
>>45
> 浅野長政、豊臣秀長、豊臣秀次あたりの出兵反対グループ
そもそもその連中が出兵反対グループということ自体が幻想なんだが。そんな証拠は一切ない。
> 浅野長政、豊臣秀長、豊臣秀次あたりの出兵反対グループ
そもそもその連中が出兵反対グループということ自体が幻想なんだが。そんな証拠は一切ない。
47: 人間七七四年 2014/10/12(日) 21:51:49.66 ID:PTsalK+v
>>46
ソースの信憑性はともかく全く幻想ってわけではない
しかしそっちは?
ソースの信憑性はともかく全く幻想ってわけではない
しかしそっちは?
48: 人間七七四年 2014/10/12(日) 21:56:37.60 ID:LUVDo2cI
>>47
黒田家が朝鮮での戦いに積極的だった清正などと同じグループにいたことをどう思うんだよ?
そもそも浅野だって息子があれだけ朝鮮で戦ってて、反対グループのわけないだろ。
出兵へ積極的に反対していた大名がいたということ自体後世のつくり話だな
黒田家が朝鮮での戦いに積極的だった清正などと同じグループにいたことをどう思うんだよ?
そもそも浅野だって息子があれだけ朝鮮で戦ってて、反対グループのわけないだろ。
出兵へ積極的に反対していた大名がいたということ自体後世のつくり話だな
49: 人間七七四年 2014/10/12(日) 22:00:16.82 ID:PTsalK+v
>>48
清正と長政が寧々に預けられていたのは事実だが同グループになったのは三成襲撃事件以降じゃないの?
浅野の息子は息子の話であり戦場に出れば必死に戦うのは誰でも当然のことでもある
清正と長政が寧々に預けられていたのは事実だが同グループになったのは三成襲撃事件以降じゃないの?
浅野の息子は息子の話であり戦場に出れば必死に戦うのは誰でも当然のことでもある
50: 人間七七四年 2014/10/12(日) 22:26:58.65 ID:LUVDo2cI
国内で外征に反対した形式が一切無い上、名護屋城の建設、朝鮮での戦闘や”倭城”の建設なども積極的に行っている。
これで外征への積極性がなかったというのなら秀吉含めて積極的な諸侯など一人もおらん
これで外征への積極性がなかったというのなら秀吉含めて積極的な諸侯など一人もおらん
57: 人間七七四年 2014/10/13(月) 09:09:30.99 ID:Exzk5IIa
陶器職人などの技術を手に入れたくて仕方なかったし、本願寺なども宣教師の真似事して朝鮮で布教をやろうと半島に拠点作ってるし、みんなやる気満々だろ。
59: 人間七七四年 2014/10/15(水) 21:01:27.27 ID:LuzZYtFc
結果として失敗に終わった明出兵だから賛成していたけど実は反対でしたなんてよくある話
正しい資料がない場合は都合の良いほうに描かれるのが基本だね
正しい資料がない場合は都合の良いほうに描かれるのが基本だね
175: 人間七七四年 2014/12/26(金) 00:29:09.64 ID:RegSdpvf
長政の兜、何てゆうかあれ向かい風の時は大変そうだな

1
76: 人間七七四年 2014/12/26(金) 03:53:08.34 ID:eYv77/g6
76: 人間七七四年 2014/12/26(金) 03:53:08.34 ID:eYv77/g6
風が強い時は大水牛脇立付桃形兜の方使うんじゃね?
福島正則と兜交換して竹中半兵衛由来の一ノ谷の兜手に入れた後も、お気に入りの大水牛は写しを作って手元に置いてたくらいだから
福島正則と兜交換して竹中半兵衛由来の一ノ谷の兜手に入れた後も、お気に入りの大水牛は写しを作って手元に置いてたくらいだから

177: 人間七七四年 2014/12/26(金) 07:21:19.03 ID:YBjBSGZb
大水牛のほうがよかったけど、見た目インパクトはレーダーだよな。
あれは一番凄い変わり兜やわ。
あれは一番凄い変わり兜やわ。
180: 人間七七四年 2014/12/26(金) 22:39:55.67 ID:YBjBSGZb
虎退治の逸話、長政だったとかぜんぜんしらなんだわ。
肥後に入って細川って人気がなくてとにかく加藤アゲしたんだね。
黒田は文句いわなかったの?
肥後に入って細川って人気がなくてとにかく加藤アゲしたんだね。
黒田は文句いわなかったの?
186: 人間七七四年 2014/12/30(火) 15:25:20.43 ID:QfKRATv7
>>180
それhttp://netabare1.com/3189.html鵜呑みにしてんの?
その逸話長政のって言い出した奴、大河ドラマ始まった今年に初めて見たよ
一応清正も秀吉の朱印状(文禄三年四月十二日付)が現存してるから何らかの手段で(本人がどうこうしたかは不明)虎捕まえて日本に送ったのは一次資料で確定してるんですが
長政が鉄砲名人なのは立花宗茂との弓&鉄砲対決で有名だし菅さんの話も有名だけど、しまいにゃ築城術も全部飯田直景や酷い時は朝鮮人の功績にしようとする清正公の功績全部他人のせいにしようとする最近の傾向嫌い
築城術知らん奴が手紙であれだけ石垣組みの指示出せるかバカヤロー
それhttp://netabare1.com/3189.html鵜呑みにしてんの?
その逸話長政のって言い出した奴、大河ドラマ始まった今年に初めて見たよ
一応清正も秀吉の朱印状(文禄三年四月十二日付)が現存してるから何らかの手段で(本人がどうこうしたかは不明)虎捕まえて日本に送ったのは一次資料で確定してるんですが
長政が鉄砲名人なのは立花宗茂との弓&鉄砲対決で有名だし菅さんの話も有名だけど、しまいにゃ築城術も全部飯田直景や酷い時は朝鮮人の功績にしようとする清正公の功績全部他人のせいにしようとする最近の傾向嫌い
築城術知らん奴が手紙であれだけ石垣組みの指示出せるかバカヤロー
212: 人間七七四年 2015/01/03(土) 04:40:51.92 ID:1JEl93kz
>>186
え、清正って自分で石垣の指示出してたの?
逆に、どのタイミングで築城術学んだのか不思議でしょうがない
え、清正って自分で石垣の指示出してたの?
逆に、どのタイミングで築城術学んだのか不思議でしょうがない
213: 人間七七四年 2015/01/03(土) 15:35:10.31 ID:ie4F8KwY
>>212
出してる<石垣に関する指示
詳しくは熊本日日新聞社編「加藤清正の生涯 古文書が語る実像」を見てくれ(宣伝)
書状の全体写真と書き下し文付きで掲載があるのは、江戸城普請の時の「おい俺が注文した石と数も形も違うぞゴラア!」って石切り担当者にキレてる書状(慶長11年4月13日付 大阪城所蔵)一枚だけど、現在確認できただけでも20枚くらいは築城の指示書があるらしい
他のは訳文しか無いけど
「角石(石垣の角の部分の要となる石)は足りたから次は細長い石送って」(同年5月1日)
「必要な石の見本送ったから早いとこ頼む 工期遅れてるぞ」(同年5月9日)
等の書状の紹介もある
ちなみに元の本ではもっと具体的で長い訳文で記載してある
黒田スレで黒田の話をしないのもアレなので
清正が築城に関わった文献上の初出が秀吉の大阪城普請らしいので、それこそ黒田如水が清正の築城術の直接的な師匠の可能性もある
他に名護屋城普請(如水が縄張り担当)に関する書状では
「黒甲州令内談~(黒田長政と相談して~)」(天正19年10月9日付 鍋島茂里当書状)
という同じく普請奉行であった長政と相談して建材を調達する記述があるので、黒田家から色々と習った部分も少なくないのでは
出してる<石垣に関する指示
詳しくは熊本日日新聞社編「加藤清正の生涯 古文書が語る実像」を見てくれ(宣伝)
書状の全体写真と書き下し文付きで掲載があるのは、江戸城普請の時の「おい俺が注文した石と数も形も違うぞゴラア!」って石切り担当者にキレてる書状(慶長11年4月13日付 大阪城所蔵)一枚だけど、現在確認できただけでも20枚くらいは築城の指示書があるらしい
他のは訳文しか無いけど
「角石(石垣の角の部分の要となる石)は足りたから次は細長い石送って」(同年5月1日)
「必要な石の見本送ったから早いとこ頼む 工期遅れてるぞ」(同年5月9日)
等の書状の紹介もある
ちなみに元の本ではもっと具体的で長い訳文で記載してある
黒田スレで黒田の話をしないのもアレなので
清正が築城に関わった文献上の初出が秀吉の大阪城普請らしいので、それこそ黒田如水が清正の築城術の直接的な師匠の可能性もある
他に名護屋城普請(如水が縄張り担当)に関する書状では
「黒甲州令内談~(黒田長政と相談して~)」(天正19年10月9日付 鍋島茂里当書状)
という同じく普請奉行であった長政と相談して建材を調達する記述があるので、黒田家から色々と習った部分も少なくないのでは
214: 人間七七四年 2015/01/03(土) 18:05:28.27 ID:1JEl93kz
>>213
ありがとう技術家肌だったのかな
ありがとう技術家肌だったのかな
190: 人間七七四年 2014/12/31(水) 00:29:14.72 ID:39LVah8+
>一応清正も秀吉の朱印状(文禄三年四月十二日付)が現存してるから、何らかの手段で(本人がどうこうしたかは不明)虎捕まえて日本に送ったのは一次資料で確定してるんですが
何らかの手段??????肝心な事がわかってないじゃないか。
本人がしとめた事に意味がある逸話なのだから。
何らかの手段??????肝心な事がわかってないじゃないか。
本人がしとめた事に意味がある逸話なのだから。
192: 人間七七四年 2014/12/31(水) 00:37:34.46 ID:39LVah8+
講談、武者絵、錦絵などで日本人にはお馴染みの加藤清正(1562-1611)の虎退治の逸話であるが、信憑性のある史実かどうかは知らない。
朝鮮侵攻の当時、朝鮮半島にはアムール虎(満州虎)、シベリア虎が相当多く生息していた。江戸中期の湯浅常山の『常山紀談』に虎退治の記述がある。
小姓の上月左膳が虎に殺されたため、怒った清正が片鎌槍で撃退したという。吉田輝元なども虎の皮10枚を豊臣秀吉に献上している。だが加藤清正がどれくらい虎を殺したか記録にはない。
そもそも日本の武将が何故朝鮮まで行って虎狩りをする必要性があるのだろうか。後藤又兵衛は虎と格闘して、のちに叱責されている。敵を前にして、大切な命を、猛獣のために危険にさらすとは、なにごとかというわけである。虎刈りの理由として挙げられる説として、
①武芸の訓練のため
②領地の安全確保のため
③豊臣秀吉の命令のため
の3点である。
①の説は後藤又兵衛の叱責事件のように、ありえない話であろう。
②の説は男色の加藤清正が愛人の小姓が殺されたために復讐鬼となって虎を殺したという話であるが、にかわに信じ難いであろう。片鎌槍で殺したことになっているが、実際は鉄砲だったという説もある。
③の説は、老いた秀吉が回春のため、虎の肉を必要としていた。虎の肉を食うと、精力がつくらしい。だが当時の輸送で食用肉を朝鮮から大坂まで安全管理で運搬できたのであろうか。
虎の利用としてはせいぜい虎の皮で敷物に使うくらいしか用途はないのではないか。
加藤清正虎退治の伝説は、岩見重太郎の狒狒退治と並んで江戸期に民間に流布した豪傑譚の一つであろう。
朝鮮侵攻の当時、朝鮮半島にはアムール虎(満州虎)、シベリア虎が相当多く生息していた。江戸中期の湯浅常山の『常山紀談』に虎退治の記述がある。
小姓の上月左膳が虎に殺されたため、怒った清正が片鎌槍で撃退したという。吉田輝元なども虎の皮10枚を豊臣秀吉に献上している。だが加藤清正がどれくらい虎を殺したか記録にはない。
そもそも日本の武将が何故朝鮮まで行って虎狩りをする必要性があるのだろうか。後藤又兵衛は虎と格闘して、のちに叱責されている。敵を前にして、大切な命を、猛獣のために危険にさらすとは、なにごとかというわけである。虎刈りの理由として挙げられる説として、
①武芸の訓練のため
②領地の安全確保のため
③豊臣秀吉の命令のため
の3点である。
①の説は後藤又兵衛の叱責事件のように、ありえない話であろう。
②の説は男色の加藤清正が愛人の小姓が殺されたために復讐鬼となって虎を殺したという話であるが、にかわに信じ難いであろう。片鎌槍で殺したことになっているが、実際は鉄砲だったという説もある。
③の説は、老いた秀吉が回春のため、虎の肉を必要としていた。虎の肉を食うと、精力がつくらしい。だが当時の輸送で食用肉を朝鮮から大坂まで安全管理で運搬できたのであろうか。
虎の利用としてはせいぜい虎の皮で敷物に使うくらいしか用途はないのではないか。
加藤清正虎退治の伝説は、岩見重太郎の狒狒退治と並んで江戸期に民間に流布した豪傑譚の一つであろう。
193: 人間七七四年 2014/12/31(水) 00:46:31.76 ID:39LVah8+
この他、林直利(はやし・なおとし)という武将も虎との格闘の末、虎を退治しています。
彼の場合、黒田長政と菅正利が虎を討ち取ったということで、自身も虎を倒したくなったようです。
ただ、不思議なことにこの林直利の虎退治が何故か、加藤清正がやったことになっています。
加藤清正の虎退治は江戸時代の創作なので、いつの間にか、林直利の活躍が加藤清正の活躍として語られているということになったのです。
どういう経緯でそうなったのかは謎ですが…。
黒田家の武将が退治した虎は塩漬けにされて、秀吉や徳川家康に贈られています。
塩漬けにされた虎の肉が果たして美味しかったのかどうかはわかりませんが、秀吉は美食家でもありました。
また、虎の肉は滋養強壮に良いとされていたようなので、朝鮮出兵の当初は虎退治が推奨されていたようです。
このため、朝鮮の地で戦っている武将にも塩漬けにした虎の肉を送っていたようです。単に食べるものがなかっただけなのかもしれませんが。
ただ、その後は虎退治を禁止しています。理由はわかりませんが、大量に送られてくる虎の肉を秀吉が食べきれなくなったのかもしれません。
と言うのも、秀吉が体調を壊し始めていたからです。もっと元気で若ければ、肉をたくさん食べられたでしょうが、秀吉にも老いが迫っていたのです。
彼の場合、黒田長政と菅正利が虎を討ち取ったということで、自身も虎を倒したくなったようです。
ただ、不思議なことにこの林直利の虎退治が何故か、加藤清正がやったことになっています。
加藤清正の虎退治は江戸時代の創作なので、いつの間にか、林直利の活躍が加藤清正の活躍として語られているということになったのです。
どういう経緯でそうなったのかは謎ですが…。
黒田家の武将が退治した虎は塩漬けにされて、秀吉や徳川家康に贈られています。
塩漬けにされた虎の肉が果たして美味しかったのかどうかはわかりませんが、秀吉は美食家でもありました。
また、虎の肉は滋養強壮に良いとされていたようなので、朝鮮出兵の当初は虎退治が推奨されていたようです。
このため、朝鮮の地で戦っている武将にも塩漬けにした虎の肉を送っていたようです。単に食べるものがなかっただけなのかもしれませんが。
ただ、その後は虎退治を禁止しています。理由はわかりませんが、大量に送られてくる虎の肉を秀吉が食べきれなくなったのかもしれません。
と言うのも、秀吉が体調を壊し始めていたからです。もっと元気で若ければ、肉をたくさん食べられたでしょうが、秀吉にも老いが迫っていたのです。
195: 人間七七四年 2014/12/31(水) 00:51:54.98 ID:39LVah8+
清正の虎退治は有名だが、実は一頭だけで、「常山奇談」で、黒田長政の虎退治の話を清正のことと書いたことで、皆清正のことと勘違いした。実は黒田長政のことである。
清正の一頭の虎は足軽の百助が藤かづらで討ったもの。
清正の娘が紀伊徳川家に嫁いでいたために、こうした故意変更がなされたのだろう。
清正の一頭の虎は足軽の百助が藤かづらで討ったもの。
清正の娘が紀伊徳川家に嫁いでいたために、こうした故意変更がなされたのだろう。
204: 人間七七四年 2015/01/01(木) 19:46:35.28 ID:Hq1O2gKS
>>195
生け捕りにした虎の逸話(出典不明)もあるので最低2頭は獲ってるんじゃないか?
どっちにせよ虎や石の話の主が混同されたのはかなり後みたいだし、長政が「手柄横取りした!」と文句言う筈も無いわな
むしろ如水が山名禅高にした与太話や長政の遺言見る限り、黒田親子の清正への評価は「有能な手駒」だと思われ
生け捕りにした虎の逸話(出典不明)もあるので最低2頭は獲ってるんじゃないか?
どっちにせよ虎や石の話の主が混同されたのはかなり後みたいだし、長政が「手柄横取りした!」と文句言う筈も無いわな
むしろ如水が山名禅高にした与太話や長政の遺言見る限り、黒田親子の清正への評価は「有能な手駒」だと思われ
197: 人間七七四年 2014/12/31(水) 00:57:47.43 ID:OI6+PJ+V
あれか。長政が自分で虎退治して自慢したのに又兵衛の時は叱責したんで関係がこじれて出奔したのか。それなら俺でも出奔するわ。
202: 人間七七四年 2014/12/31(水) 02:13:03.56 ID:CLHyFyEj
>>197
戦で先頭突っ走る大将にああ言って怒られたくないよな…
戦で先頭突っ走る大将にああ言って怒られたくないよな…
203: 人間七七四年 2014/12/31(水) 02:23:28.02 ID:CLHyFyEj
長政が撃ったんだったら常山紀談の原型になる異伝が有るはずなんだがな
どこの史料を見てそう判断したんだろう
そして清正の足軽が虎取って来たで思い出した
この逸話か 一応出典も書いてあるが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5855.html
むしろこれ実話っつーか笑い話じゃないのかオチ的に
どこの史料を見てそう判断したんだろう
そして清正の足軽が虎取って来たで思い出した
この逸話か 一応出典も書いてあるが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5855.html
むしろこれ実話っつーか笑い話じゃないのかオチ的に
208: 人間七七四年 2015/01/02(金) 08:48:52.11 ID:abXXPxIQ
虎退治と巨石は近年の研究だと福岡藩の話だよな。
虎退治は黒田家譜や他大名家の伝承にもある。
巨石は、江戸城大阪城名古屋城にあるが、全て他の大名の手柄になってしまっている。
黒田家譜の残念なところ
戦災とかで無くなってしまった元となる黒田家文書、史料が莫大なこと。
貝原が中途半に有名になったことで、他の大名家も当たり前の嘘八百家譜が以外にも多くの人に読まれてしまった。
虎退治は黒田家譜や他大名家の伝承にもある。
巨石は、江戸城大阪城名古屋城にあるが、全て他の大名の手柄になってしまっている。
黒田家譜の残念なところ
戦災とかで無くなってしまった元となる黒田家文書、史料が莫大なこと。
貝原が中途半に有名になったことで、他の大名家も当たり前の嘘八百家譜が以外にも多くの人に読まれてしまった。
211: 人間七七四年 2015/01/02(金) 22:54:35.31 ID:abXXPxIQ
黒田家文書などがあった福岡浜町の黒田家御殿が空襲で全焼してしまったのは、本当に残念としか言いようが無い。
前田家や細川家や島津家のように、きちんと財産を管理しなかった黒田家はある意味自業自得。
学者で鳥学、魚学、生物学、の黒田の殿様。財産に興味が無いから仕方ないか。
それでも赤坂の本邸に移していた黒田屏風や日本号が残ったのはよかった。
前田家や細川家や島津家のように、きちんと財産を管理しなかった黒田家はある意味自業自得。
学者で鳥学、魚学、生物学、の黒田の殿様。財産に興味が無いから仕方ないか。
それでも赤坂の本邸に移していた黒田屏風や日本号が残ったのはよかった。
219: 人間七七四年 2015/01/11(日) 10:26:32.56 ID:jPT3L7HB
長政の虎退治の出典は家譜でいいんだな?
220: 人間七七四年 2015/01/11(日) 14:16:25.04 ID:kh7Sehpx
「常山紀談」で長政の虎退治が清正に取られた!って主張するのはまあ時系列的にも仕方ないけど、(自分家譜見てないんで上月左膳は長政の小姓だったの?とか検証材料はあるので知ってる人いれば黒田家譜での記述を教えてくれると嬉しい)
逆に同じ「常山紀談」で晋州城攻めの際の亀甲車が後藤基次の発案になってるのも(「伊達日記」では清正発案)、後の治水事業で鼻ぐり井手だの斜行堰だの発案してた
加藤家中の能力全無視するレベルで酷いだろと思ったら
http://netabare1.com/3186.html
ここだと全部黒田の兵法知識で説明着くらしいな
逆に同じ「常山紀談」で晋州城攻めの際の亀甲車が後藤基次の発案になってるのも(「伊達日記」では清正発案)、後の治水事業で鼻ぐり井手だの斜行堰だの発案してた
加藤家中の能力全無視するレベルで酷いだろと思ったら
http://netabare1.com/3186.html
ここだと全部黒田の兵法知識で説明着くらしいな
221: 人間七七四年 2015/01/11(日) 14:36:10.33 ID:gx9nD8PL
孫子の兵法にあるふんうん車とか書いてあるけど、そんなものは存在しない。
228: 人間七七四年 2015/01/22(木) 02:35:50.22 ID:aubJRl45
黒田長政は江戸城の天守台築いてるんだよな。誰も話題にしないけど。
229: 人間七七四年 2015/01/22(木) 10:34:10.75 ID:ZBtYdgBo
毛利とかみんなで寄ってたかって作ったから話題にならないでしょ
230: 人間七七四年 2015/01/22(木) 13:14:19.65 ID:aubJRl45
加藤清正の名古屋城天守台よりも大きいのになぜ話題にならないのか。
あっちは碑やら銅像やら果ては清正石。
加藤清正のせいで黒田長政は貧乏くじを引いてる感じ。
あっちは碑やら銅像やら果ては清正石。
加藤清正のせいで黒田長政は貧乏くじを引いてる感じ。
231: 人間七七四年 2015/01/22(木) 13:34:13.60 ID:ZBtYdgBo
江戸城の天守台はその後作り直してるから長政岩なんて無くて当然でしょ
233: 人間七七四年 2015/01/22(木) 14:56:19.89 ID:aubJRl45
江戸城の天守台は、代々黒田家の担当なのだがね。
黒田忠之、黒田光之、黒田継高、、、どんだけ江戸城作るのに貢献してんねん・・
黒田忠之、黒田光之、黒田継高、、、どんだけ江戸城作るのに貢献してんねん・・
244: 人間七七四年 2015/01/31(土) 21:32:36.73 ID:+z7zc9Bz
播州人でも殿様や家老は播州の方言で喋らないのかね
まあ黒田は地生えの勢力じゃなくて、よそから来たんだろうけど
まあ黒田は地生えの勢力じゃなくて、よそから来たんだろうけど
246: 人間七七四年 転載ダメ©2ch.net 2015/01/31(土) 22:15:49.43 ID:Xs3RRpr/
>>244
最近の研究じゃ黒田も元々地生えの播州人らしいぞ
最近の研究じゃ黒田も元々地生えの播州人らしいぞ
247: 人間七七四年 2015/02/01(日) 17:25:26.55 ID:8B9cDiU5
播州だけを地生えと考えるとややこしい
主筋の赤松氏は最盛期に播磨、備前、美作、摂津の四カ国守護で嘉吉の乱の時は摂津を除いた三カ国の守護で小寺氏は備前を守り一旦は滅びた赤松氏を禁闕の変や応仁の乱で再興させた
つまるところ播磨も備前もその当時はほぼ同じ
主筋の赤松氏は最盛期に播磨、備前、美作、摂津の四カ国守護で嘉吉の乱の時は摂津を除いた三カ国の守護で小寺氏は備前を守り一旦は滅びた赤松氏を禁闕の変や応仁の乱で再興させた
つまるところ播磨も備前もその当時はほぼ同じ
254: 人間七七四年 2015/02/02(月) 04:02:24.72 ID:pdwMYc0E
>>244~247
例の西脇黒田説を唱えている人(黒田家譜は全否定、捏造、貝原益軒を悪の権化、大うそつきと何度も何度もサイトでも呼んでいる)は、どうしても黒田播磨西脇説が本当だと信じている。
たとえ黒田家譜に嘘だとしてもそこまで貝原を恨まないでもよかろうに
例の西脇黒田説を唱えている人(黒田家譜は全否定、捏造、貝原益軒を悪の権化、大うそつきと何度も何度もサイトでも呼んでいる)は、どうしても黒田播磨西脇説が本当だと信じている。
たとえ黒田家譜に嘘だとしてもそこまで貝原を恨まないでもよかろうに
260: 人間七七四年 2015/02/11(水) 17:06:38.38 ID:nzdqpJFj
官兵衛が秀吉のドケチに腹を立ててたのを半兵衛が諌めたエピソード
あまりに出来すぎて怪しい
あまりに出来すぎて怪しい
261: 人間七七四年 2015/02/12(木) 09:14:55.88 ID:lVwBhHhi
半兵衛は秀吉に自分への報酬の文はいらんと言ったぐらいだからそれぐらいはやるんじゃない?
263: 人間七七四年 2015/02/14(土) 09:44:08.77 ID:oZmf3rZQ
世知辛い戦国の世で主君を欺いてまで他人の息子を救ったエピソードは美しすぎた
オマケに早死にしたから晩節も汚れ様が無い
半兵衛は官兵衛のいろんな意味でライバルだ
オマケに早死にしたから晩節も汚れ様が無い
半兵衛は官兵衛のいろんな意味でライバルだ
264: 人間七七四年 2015/02/14(土) 11:10:26.24 ID:1X8DDMZ+
松寿丸の匿いについて半兵衛は秀吉だけには濁す程度に伝えていたと思う
(責任は自分が取るという体で)
官兵衛にとって半兵衛はライバルというより恩人に近い存在で憧れとかそういうイメージだなあ
(責任は自分が取るという体で)
官兵衛にとって半兵衛はライバルというより恩人に近い存在で憧れとかそういうイメージだなあ
265: 人間七七四年 2015/02/14(土) 11:25:20.29 ID:l6hEP72v
信長が松寿丸を殺せと命じたという話も、竹中半兵衛が松寿丸をかくまったという話も同時代資料には一切出てこないっつーの。
後世の作り話
後世の作り話
270: 人間七七四年 2015/02/17(火) 20:40:33.35 ID:jAooLBf4
>>265
後世とは近現代まで含まれる曖昧な表現
孫の代くらいで作られた記録を後世の作り話で切って捨てるのは乱暴
後世とは近現代まで含まれる曖昧な表現
孫の代くらいで作られた記録を後世の作り話で切って捨てるのは乱暴
271: 人間七七四年 2015/02/17(火) 21:00:15.75 ID:BrLiApW4
>>270
それにしたって根拠が無いのは一緒だし
それにしたって根拠が無いのは一緒だし
272: 人間七七四年 2015/02/17(火) 21:27:18.77 ID:jAooLBf4
>>271
晩年の長政から爺さんたちが聞いた話をまとめたんだろ
これで根拠が無いとか言ったら甲陽軍鑑とか北越軍談などの位置づけはどのあたり?
晩年の長政から爺さんたちが聞いた話をまとめたんだろ
これで根拠が無いとか言ったら甲陽軍鑑とか北越軍談などの位置づけはどのあたり?
273: 人間七七四年 2015/02/17(火) 21:32:52.88 ID:BrLiApW4
>>272
それなら長政の頃の記録になにか出てこないとおかしい。
長政の頃は竹中家と特に親しいわけでもないし、長政死後に入れ込まれた逸話と考えたほうが自然でしょ?
あと他の軍記と比べるような相対的な話じゃ無いよ、これは。
それなら長政の頃の記録になにか出てこないとおかしい。
長政の頃は竹中家と特に親しいわけでもないし、長政死後に入れ込まれた逸話と考えたほうが自然でしょ?
あと他の軍記と比べるような相対的な話じゃ無いよ、これは。
274: 人間七七四年 2015/02/17(火) 21:35:15.61 ID:jAooLBf4
>>273
では何のために大きな黒田家が創作してまで竹中家程度をヨイショしなきゃいけないんだ?
では何のために大きな黒田家が創作してまで竹中家程度をヨイショしなきゃいけないんだ?
276: 人間七七四年 2015/02/17(火) 21:57:38.67 ID:BrLiApW4
>>274
傍証でいいなら、重元流竹中氏が幕府交代寄合の有力な旗本だったことと、竹中重門の庶子が黒田藩に重臣として仕えていたことで、黒田騒動で危機にあった黒田家にとって、竹中氏が重要な幕府との繋がりだったことは容易に想像がつくと思うが。
あと成立も目的も全く別の軍記と相対化したがる君の癖はどうにかした方がいいと思うぞ。
傍証でいいなら、重元流竹中氏が幕府交代寄合の有力な旗本だったことと、竹中重門の庶子が黒田藩に重臣として仕えていたことで、黒田騒動で危機にあった黒田家にとって、竹中氏が重要な幕府との繋がりだったことは容易に想像がつくと思うが。
あと成立も目的も全く別の軍記と相対化したがる君の癖はどうにかした方がいいと思うぞ。
266: 人間七七四年 2015/02/14(土) 22:17:08.99 ID:AlFAdeoD
ただ、匿ったことが創作だとしても、黒田家が竹中家に対して恩義を感じる出来事はあったと思うんだよね。
でなきゃ、黒田家の竹中家に対する扱いが特別すぎるからなあ。
でなきゃ、黒田家の竹中家に対する扱いが特別すぎるからなあ。
引用元: ・【片手は】 黒田孝高総合スレ 4 【何をしていた】








九州北部を纏めて九州勢だけでの島津征伐を主導してたのは清正で、慌てた家康が出した島津攻め延期を聞いて手が付けられないほど激怒したのも清正(榊原に『上洛して家康に直言するからお前からも宜しく言っておいて』って書状も残ってる)。
一方の黒田は『清正を宥めるのにホント苦労した』って書き残してるし、清正のストッパーポジだったっぽいな