1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/12/05(日) 23:10:12.95 ID:w7XcD+450
晋書
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
https://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
http://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
https://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
https://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
919: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/19(土) 08:42:40.16 ID:Vh1fNHU30
925: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/21(月) 11:25:59.08 ID:FjBQES8M0
>>919
慕容垂・慕容泓・慕容沖らが暴れてたので、慕容粛関係なく慕容暐は何れ処刑されてたと思うぞ
慕容暐が残念なのは西燕勢力と後燕勢力とを融合させれなかった事
両者が相討たねば北魏も易々と中原で台頭できなかったと思われ
まあ慕容垂が居るので慕容暐には無理だっただろうが
慕容垂・慕容泓・慕容沖らが暴れてたので、慕容粛関係なく慕容暐は何れ処刑されてたと思うぞ
慕容暐が残念なのは西燕勢力と後燕勢力とを融合させれなかった事
両者が相討たねば北魏も易々と中原で台頭できなかったと思われ
まあ慕容垂が居るので慕容暐には無理だっただろうが
938: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/25(金) 23:14:02.74 ID:NWF25A1u0
>>925
西燕は「アンチ慕容垂」の面が強いから、後燕と発展的統合みたいな展開は無理だったんじゃないかな…
西燕は「アンチ慕容垂」の面が強いから、後燕と発展的統合みたいな展開は無理だったんじゃないかな…
939: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/26(土) 01:46:24.28 ID:PF3sJg660
>>938
アンチ慕容垂は慕容評かと思ったら慕容儁が諸悪の根源ぽい
慕容氏全員慕容恪だったらとか慕容垂が慕容覇のままだったらとか、慕容氏関係はタラレバばかり思い浮かぶが
やはり慕容廆と慕容吐谷渾の喧嘩別れが無ければのタラレバが一番上
慕容氏は創成期から同族相容れない血の民族なのかもしれない
アンチ慕容垂は慕容評かと思ったら慕容儁が諸悪の根源ぽい
慕容氏全員慕容恪だったらとか慕容垂が慕容覇のままだったらとか、慕容氏関係はタラレバばかり思い浮かぶが
やはり慕容廆と慕容吐谷渾の喧嘩別れが無ければのタラレバが一番上
慕容氏は創成期から同族相容れない血の民族なのかもしれない
941: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/26(土) 22:29:01.44 ID:9nGJt1sW0
>>939
拓跋だって似たようなもんやろ
つーか冒頓単于のエピソードだってアレだし
あっちじゃより強いやつがより強いことを示さなきゃ舐められるってだけじゃねーの?
拓跋だって似たようなもんやろ
つーか冒頓単于のエピソードだってアレだし
あっちじゃより強いやつがより強いことを示さなきゃ舐められるってだけじゃねーの?
942: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/26(土) 23:26:06.39 ID:gC3t/eSu0
慕容氏における同族の殺しあいやいがみ合いを決定づけたのは、個人的には慕容皝かな
慕容廆の死後に慕容翰を出奔させて同母弟の慕容仁と争うわ、どう考えても忠実かつ有用だった慕容翰を結局自殺させるわ、慕容儁を世嗣に定めておいて慕容垂を溺愛するわ、慕容恪にも十五歳までロクに目をかけてこないわ、正直、慕容皝って暗君じゃないけど名君でもないよなと思う
特に慕容儁と慕容垂の件、おまえは自分が兄弟と殺しあった過去を忘れたんかい、とツッコミたくなる
慕容廆の死後に慕容翰を出奔させて同母弟の慕容仁と争うわ、どう考えても忠実かつ有用だった慕容翰を結局自殺させるわ、慕容儁を世嗣に定めておいて慕容垂を溺愛するわ、慕容恪にも十五歳までロクに目をかけてこないわ、正直、慕容皝って暗君じゃないけど名君でもないよなと思う
特に慕容儁と慕容垂の件、おまえは自分が兄弟と殺しあった過去を忘れたんかい、とツッコミたくなる
946: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/27(日) 15:41:42.05 ID:x59Y/pYV0
>>942
慕容翰が出奔したのは親の世代の慕容吐谷渾と同じで庶長子なので運命
しかしまた前燕に戻って勢力拡大に貢献したのと、高句麗遠征で青年の慕容覇(慕容垂)と轡を並べて遠征して自身の強さを若き慕容垂に伝授したのは評価したい
慕容皝は名君ではないのには同意だけど、慕容皝だけでなく各世代同族相争ってるので、慕容氏に生まれた以上こうなるのは運命でどうにもならないんだろうな
慕容翰が出奔したのは親の世代の慕容吐谷渾と同じで庶長子なので運命
しかしまた前燕に戻って勢力拡大に貢献したのと、高句麗遠征で青年の慕容覇(慕容垂)と轡を並べて遠征して自身の強さを若き慕容垂に伝授したのは評価したい
慕容皝は名君ではないのには同意だけど、慕容皝だけでなく各世代同族相争ってるので、慕容氏に生まれた以上こうなるのは運命でどうにもならないんだろうな
949: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/27(日) 16:39:22.76 ID:RVf6k5PU0
身内が殺しあうのが慕容部だから遊牧民だからってのが意味不明
八王の乱や劉宋・簫斉の殺し合い、侯景の乱の梁王室なんかをどう思っているんだ
日本史の源平合戦や南北朝も知らないんだろうか?
八王の乱や劉宋・簫斉の殺し合い、侯景の乱の梁王室なんかをどう思っているんだ
日本史の源平合戦や南北朝も知らないんだろうか?
921: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/19(土) 22:43:35.91 ID:tZIVyc0U0
この時代に幽と諡されたのは慕容暐と李期の二人かな?
923: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/20(日) 12:18:24.28 ID:Qa6dAoQf0
>>921
孝文幽皇后
孝文幽皇后
926: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/21(月) 16:45:58.16 ID:F5ow/5zH0
陳慶之は馬に乗るの下手っていうけど、それであのごり押し戦法無理なんじゃないですかね…
陳慶之(ちん けいし、484年 - 539年)は、中国の南朝梁の武将。字は子雲。義興郡国山県の出身。梁に侵入する北魏に対して、たびたび勝利した。配下の軍は全員が白袍を身に纏っていたと伝わる。
陳慶之は、その武功からもわかる通り、指揮官としての能力は卓越していたが、個人としては馬術も武芸も得意ではなかったという。幼いころから、斉の有力者の蕭衍に仕えていた。蕭衍が梁を興すと、陳慶之はそのまま梁に仕えることになる。
陳慶之は、その武功からもわかる通り、指揮官としての能力は卓越していたが、個人としては馬術も武芸も得意ではなかったという。幼いころから、斉の有力者の蕭衍に仕えていた。蕭衍が梁を興すと、陳慶之はそのまま梁に仕えることになる。
927: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/22(火) 17:46:33.06 ID:REVPvGrO0
>>926
立花道雪「せやな」
立花道雪「せやな」
928: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/23(水) 10:41:21.90 ID:1x0RZJt20
鍾離の戦いの韋叡であるとかもともと文官なのにいざ兵を率いて名将になるってパターンいいな
南北朝にちらほら見かけられる
全くの専門外なのに、臨機応変の才を発揮する
他の時代なら秦の章邯とか好き
南北朝にちらほら見かけられる
全くの専門外なのに、臨機応変の才を発揮する
他の時代なら秦の章邯とか好き
934: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/24(木) 12:49:00.10 ID:IcNUu2LK0
>>928
韋叡って宋のころから軍務に関わってるからそんなイメージないなあ
韋叡って宋のころから軍務に関わってるからそんなイメージないなあ
935: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/24(木) 19:17:48.84 ID:b3P2nx9p0
韋叡の子孫か知らんけど京兆韋氏から唐の皇后出てるんだな
名族だと大抵どこかしらで外戚のチャンスありそう
名族だと大抵どこかしらで外戚のチャンスありそう
936: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/24(木) 21:05:08.96 ID:IcNUu2LK0
中宗韋皇后は韋叡とも韋孝寛とも別系統
京兆韋氏は南北朝から隋を通して多数の系統を輩出し、10近い系統から唐の宰相を輩出している
韋孝寛の子孫は五代にも宰相がいる
やばい
京兆韋氏は南北朝から隋を通して多数の系統を輩出し、10近い系統から唐の宰相を輩出している
韋孝寛の子孫は五代にも宰相がいる
やばい
940: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/26(土) 18:12:47.53 ID:Q2++5r6A0
>>936
>韋孝寛の子孫は五代にも宰相がいる
韋説だったっけ?
まぁ李嗣源に賜死されて馮道が宰相になって、馮道の時代に伝玉璽が失われて秦から続く伝玉璽と貴族の時代終了と考えると、五胡十六国南北朝時代の真の終焉は五代十国とも解釈出来る
>韋孝寛の子孫は五代にも宰相がいる
韋説だったっけ?
まぁ李嗣源に賜死されて馮道が宰相になって、馮道の時代に伝玉璽が失われて秦から続く伝玉璽と貴族の時代終了と考えると、五胡十六国南北朝時代の真の終焉は五代十国とも解釈出来る
943: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/27(日) 02:42:26.69 ID:AXxMjUli0
>>940
禅譲による王朝交代も後周から北宋が最後になったし五五代十国から後は中華本土に複数の王朝が並立する事もなくなったから、五胡十六国南北朝から続いた中国の中世は五代十国で終わったと言えるだろう。
禅譲による王朝交代も後周から北宋が最後になったし五五代十国から後は中華本土に複数の王朝が並立する事もなくなったから、五胡十六国南北朝から続いた中国の中世は五代十国で終わったと言えるだろう。
947: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/27(日) 15:58:05.66 ID:x59Y/pYV0
>>943
https://www.petitmonte.com/contents/rekishi/china/kodai.html
これみると五胡十六国時代は古代
南北朝時代は中世だったりする
何故476年迄が古代で1453年迄が中世なのか一瞬謎だが、476年が西ローマ帝国滅亡で1453年が東ローマ帝国(ビザンティン帝国)滅亡で西洋基準なのな
当然中国史では違和感しかないので五代十国で一区切りに同意
しかし京都学派では後漢の中期までを上古、魏晋南北朝時代から唐中期までを中古、宋以降を近世、東京学派では唐の中期までを古代、宋以降を中世なので、とっとと論争決着させて見解統一してくれよと思う
https://www.petitmonte.com/contents/rekishi/china/kodai.html
これみると五胡十六国時代は古代
南北朝時代は中世だったりする
何故476年迄が古代で1453年迄が中世なのか一瞬謎だが、476年が西ローマ帝国滅亡で1453年が東ローマ帝国(ビザンティン帝国)滅亡で西洋基準なのな
当然中国史では違和感しかないので五代十国で一区切りに同意
しかし京都学派では後漢の中期までを上古、魏晋南北朝時代から唐中期までを中古、宋以降を近世、東京学派では唐の中期までを古代、宋以降を中世なので、とっとと論争決着させて見解統一してくれよと思う
937: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/03/25(金) 17:16:17.48 ID:D1hWnNXe0
京兆韋氏は前漢から著名な人物輩出してるけど、韋賢・韋玄成が親子二代で丞相になってるのな
他の例は周勃・周亜夫と曹操・曹丕だけなので何気に凄い京兆韋氏
他の例は周勃・周亜夫と曹操・曹丕だけなので何気に凄い京兆韋氏
10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/11(月) 12:48:49.25 ID:ZjIJWCWm0

麻秋敗走の報告を聞いた石虎
11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/11(月) 23:19:07.00 ID:SaMhQ0aA0
>>10
麻秋敗走させたのが慕容恪というのが感慨深い
石虎と慕容恪に接点あったとは
麻秋敗走させたのが慕容恪というのが感慨深い
石虎と慕容恪に接点あったとは
12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/12(火) 09:23:39.96 ID:8EDJQQO80
石虎が燕に親征したときも慕容恪が撤退する後趙軍を追撃してボコボコにしているな
17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/13(水) 00:02:25.65 ID:MkapLL4n0
>>12
石虎と慕容垂が戦っていれば面白いのにな
慕容垂確か石虎生きてる時代に高句麗蹂躙してるから、機会あれば石虎存命時に対戦可能だったろうに
石虎と慕容垂が戦っていれば面白いのにな
慕容垂確か石虎生きてる時代に高句麗蹂躙してるから、機会あれば石虎存命時に対戦可能だったろうに
13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/12(火) 22:50:49.94 ID:B/ubFE5y0
この時代の人物知名度って本当にない
たいした人物もいないのに知名度だけはある少し前の時代とは大違い
たいした人物もいないのに知名度だけはある少し前の時代とは大違い
14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/12(火) 23:00:09.01 ID:DUguGrpy0
教科書に趙と北魏の関連人物が出るくらいかな
16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/12(火) 23:57:20.94 ID:0oBlk/Lq0
三国志演義に匹敵する面白さの五胡演義を書けばいいんだ
18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/13(水) 01:01:02.20 ID:TaTPKHYl0
車胤、孫康のエピソードだけなら日本人なら大体知ってるで
19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/13(水) 15:12:46.19 ID:NYeNzOdJ0
全然知らんし名前も聞いたことない
21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/13(水) 15:46:22.02 ID:w1yjPtXp0
「蛍雪の功」だな。
俺は漫画ことわざ辞典で覚えた。
中学・高校の漢文とかで触れる機会はあるかもな。
でも興味ない人はそれっきりで忘れるだろうし、勉強しない人が知っているわけないし、日本人ならって言われると困る。
俺は漫画ことわざ辞典で覚えた。
中学・高校の漢文とかで触れる機会はあるかもな。
でも興味ない人はそれっきりで忘れるだろうし、勉強しない人が知っているわけないし、日本人ならって言われると困る。
44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/14(木) 22:51:50.05 ID:Xf/3wrLd0
「蛍雪の功」の2人は寒門に違いないが、車胤の曽祖父は旧孫呉の会稽太守車浚で税金納めなくて孫晧に斬首された人物
孫康の曽祖父は史家の孫盛で桓温の腰巾着やって利殖に励んだ事で有名な人物
どちらも寒門の割には家に書物が大量に有るぐらい裕福な家系で、灯火の為の油を得る事が出来ないので蛍の光や雪の明かりで書物読んだという、に火を点す様な努力のエピソードで有名だが、どちらの家も持ってる畑で奴隷に菜種育てさせれば簡単に油得られそうなので、蛍雪の功のエピソードはパフォーマンスとしか思えない件について
しかし車胤は太常や丹陽尹に出世そして孫康は御史大夫に出世しているので、高官に登り詰めたのは2人の努力の賜物なのは否定しないが
孫康の曽祖父は史家の孫盛で桓温の腰巾着やって利殖に励んだ事で有名な人物
どちらも寒門の割には家に書物が大量に有るぐらい裕福な家系で、灯火の為の油を得る事が出来ないので蛍の光や雪の明かりで書物読んだという、に火を点す様な努力のエピソードで有名だが、どちらの家も持ってる畑で奴隷に菜種育てさせれば簡単に油得られそうなので、蛍雪の功のエピソードはパフォーマンスとしか思えない件について
しかし車胤は太常や丹陽尹に出世そして孫康は御史大夫に出世しているので、高官に登り詰めたのは2人の努力の賜物なのは否定しないが
45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/14(木) 23:16:42.33 ID:7DvLMIhj0
申し訳ないがこの時代、ちょっと嫡流からずれれば一瞬にして赤貧とか普通なので……
48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/15(金) 06:24:08.58 ID:o53Cr0hM0
>>45
働かないで引き篭もって(ニート)書物読み漁ってれば貧乏(赤貧)
寒門でも仕官するなり畑耕したりすれば普通に灯火ぐらい手に入りそうだが…
働かないで引き篭もって(ニート)書物読み漁ってれば貧乏(赤貧)
寒門でも仕官するなり畑耕したりすれば普通に灯火ぐらい手に入りそうだが…
23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/13(水) 16:51:34.53 ID:cvCZkaEM0
あと漱石枕流の元ネタもこの時代(正確に言うと西晋末だけど)
漱石枕流
『晋書』、『世説新語』俳調編などに、若き日の孫楚の逸話が伝わっている。
孫子荊(孫楚)がまだ仕官する前、王武子(王済)に対して隠遁したいと思い「石を枕にして、川の流れで(口を)漱ぎたい(枕石漱流、そのような自然の中での暮らしの意味)」と言おうとしたところ、うっかり「石で漱ぎ、流れを枕にしたい(漱石枕流)」と言い間違えてしまった。
すかさず王武子に「流れを枕にできるか、石で口を漱げるか」と突っ込まれると、孫子荊は「枕を流れにしたいというのは、汚れた俗事から耳を洗いたいからで、石で漱ぐというのは、汚れた歯を磨こうと思ったからだよ」と言い訳し、王武子はこの切り返しを見事と思った。感心する意味で「流石」と呼ぶのは、この故事が元という説があるという。
『晋書』、『世説新語』俳調編などに、若き日の孫楚の逸話が伝わっている。
孫子荊(孫楚)がまだ仕官する前、王武子(王済)に対して隠遁したいと思い「石を枕にして、川の流れで(口を)漱ぎたい(枕石漱流、そのような自然の中での暮らしの意味)」と言おうとしたところ、うっかり「石で漱ぎ、流れを枕にしたい(漱石枕流)」と言い間違えてしまった。
すかさず王武子に「流れを枕にできるか、石で口を漱げるか」と突っ込まれると、孫子荊は「枕を流れにしたいというのは、汚れた俗事から耳を洗いたいからで、石で漱ぐというのは、汚れた歯を磨こうと思ったからだよ」と言い訳し、王武子はこの切り返しを見事と思った。感心する意味で「流石」と呼ぶのは、この故事が元という説があるという。
24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/13(水) 17:20:59.75 ID:ZzHJWULu0
断腸の思いとか竹馬の友とか
25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/13(水) 17:38:23.99 ID:J43XO1mY0
やっぱ桓温兄貴よ
ろくな逸話じゃないけど
ろくな逸話じゃないけど
27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/13(水) 19:37:57.45 ID:DZ9B0g1q0
>>25
やったことは曹操劉備に勝るとも劣らないのにこの存在感
やったことは曹操劉備に勝るとも劣らないのにこの存在感
28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/13(水) 19:58:00.62 ID:9X/gdpx/0
竹馬の友のエピソードとかいい感じで畜生で草
「竹馬の友」と言う言葉は、殷浩が失脚したときに「殷浩と我は子供の頃、竹馬で遊んでおったが、いつも我が乗り捨てた竹馬に殷浩が乗って遊んでおった」と桓温が言ったというのが原典である。
この話では現在の「とても仲が良い幼馴染」という意味とは逆で、互いの上下関係を示している。また竹馬(ちくば)は「タケウマ」の事ではなく、切った竹を馬に見立てて乗馬の真似事をする遊びのことである。
この話では現在の「とても仲が良い幼馴染」という意味とは逆で、互いの上下関係を示している。また竹馬(ちくば)は「タケウマ」の事ではなく、切った竹を馬に見立てて乗馬の真似事をする遊びのことである。
29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/13(水) 21:44:43.50 ID:2Zt8F+Yr0
畜馬の友
30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/13(水) 22:17:06.60 ID:hvA26sK30
>>25
桓温は「竹馬之友」「断腸」の諺で現代人にも知られる故事成語で記憶に残っているが、陶侃は桓温よりも多くの故事成語を残してるのに日本人ほとんど誰も知らないという・・・
桓温は「竹馬之友」「断腸」の諺で現代人にも知られる故事成語で記憶に残っているが、陶侃は桓温よりも多くの故事成語を残してるのに日本人ほとんど誰も知らないという・・・
32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/13(水) 22:42:01.33 ID:J43XO1mY0
>>30
wikiに8個乗ってたけど全部知らねえ…
wikiに8個乗ってたけど全部知らねえ…
33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/13(水) 23:45:23.31 ID:diLWF4i70
淝水の戦いで活躍した謝安に関する故事成語なら
「人事を尽くして天命を待つ」
「屐歯(げきし)折るるを覚えず」
がある。後者は日本ではほとんど知られてないかな。
あとは敗北した前秦軍の「風声鶴唳」とか。
日本での富士川の戦いで、平家の軍が水鳥の羽ばたく音を敵の襲来と勘違いして逃げ散ったというエピソードも、ここから来たのかもしれない。
あとは「源氏」の起源となった禿髪破羌と北魏太武帝のエピソードとか(日本の源氏とは関係ないけど)、北斉の文宣帝の「快刀乱麻を断つ」、雅楽の「陵王」のモデルになった高長恭。
思いついたのはこれくらいかな。
「人事を尽くして天命を待つ」
「屐歯(げきし)折るるを覚えず」
がある。後者は日本ではほとんど知られてないかな。
あとは敗北した前秦軍の「風声鶴唳」とか。
日本での富士川の戦いで、平家の軍が水鳥の羽ばたく音を敵の襲来と勘違いして逃げ散ったというエピソードも、ここから来たのかもしれない。
あとは「源氏」の起源となった禿髪破羌と北魏太武帝のエピソードとか(日本の源氏とは関係ないけど)、北斉の文宣帝の「快刀乱麻を断つ」、雅楽の「陵王」のモデルになった高長恭。
思いついたのはこれくらいかな。
40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/14(木) 12:43:53.10 ID:hcpDfgCv0
三本の矢の元ネタも五胡十六国時代だっけ?
46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/15(金) 00:34:48.68 ID:34bopPBN0
>>40
吐蕃の阿豺さん
魏晋南北朝時代になる
吐蕃の阿豺さん
魏晋南北朝時代になる
阿豺(あさい、生年不詳 - 426年)は、吐谷渾の首長。阿豺は死の床にあって、後継者として従弟で同母異父弟(叔父の烏紇提の子)にあたる慕璝を指名した。
死後、一族の間で争いが起こるのを恐れ、自らの20人の子を呼び寄せると、1人1本ずつの矢を出させた。20本の矢を受け取った阿豺は、そのうち1本を慕璝の弟である慕利延に渡し、折ってみるよう命じた。矢はたやすく折れた。今度は残りの19本を束ねて渡して折らせたが、矢は折れなかった。そこで「お前たち分かったか。一本では折れやすいが、集まればくじき難い。皆が心を一にして力を尽くしてこそ社稷を堅固にすることができる」と諭したという。
死後、一族の間で争いが起こるのを恐れ、自らの20人の子を呼び寄せると、1人1本ずつの矢を出させた。20本の矢を受け取った阿豺は、そのうち1本を慕璝の弟である慕利延に渡し、折ってみるよう命じた。矢はたやすく折れた。今度は残りの19本を束ねて渡して折らせたが、矢は折れなかった。そこで「お前たち分かったか。一本では折れやすいが、集まればくじき難い。皆が心を一にして力を尽くしてこそ社稷を堅固にすることができる」と諭したという。
47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/15(金) 00:40:09.56 ID:Kwk6dKHE0
吐谷渾阿豺やで
49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/15(金) 06:27:31.23 ID:o53Cr0hM0
>>47
慕容阿豺と名乗っても良さそうだが…嫌なんだろうね
もっと後(唐とか)の吐谷渾は慕容姓名乗るのも出てくるが
慕容阿豺と名乗っても良さそうだが…嫌なんだろうね
もっと後(唐とか)の吐谷渾は慕容姓名乗るのも出てくるが
50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/15(金) 10:20:29.33 ID:Kwk6dKHE0
>>49
本流は阿干歌を歌い継ぐくらい吐谷渾大好きなのに…どうして…
本流は阿干歌を歌い継ぐくらい吐谷渾大好きなのに…どうして…
引用元: ・五胡十六国南北朝を語るスレ17
引用元: ・五胡十六国南北朝を語るスレ16


