1: 人間七七四年 2007/09/22(土) 18:18:53 ID:NGagyTXy
語れ








5: 人間七七四年 2007/09/23(日) 01:22:04 ID:IHuTlNPh
武田家と伊達家はどっちが由緒ある家柄だったの?

7: 人間七七四年 2007/09/23(日) 13:55:59 ID:jsHPu0x6
由諸ある家柄は阿蘇大宮司家、千家、紀家 だけ

8: 人間七七四年 2007/09/23(日) 14:06:24 ID:jN38lQdk
>>7
阿蘇家も伝承が多くて正確なところは不明。
千家は神官で戦国大名ではない。
紀家も古代氏族であり、紀を苗字とした戦国大名はない。

9: 仙台藩百姓 2007/09/23(日) 14:35:49 ID:o9KU+hau
諏訪氏は?

10: 人間七七四年 2007/09/23(日) 15:24:09 ID:jsHPu0x6
>>9
諏訪氏は阿蘇氏の支族
阿蘇家、千家、紀家 この三家の家柄が確かじゃないとすれば日本っていったい・・・
源氏や平家も本当はどこの馬の骨かわからないらしいし

13: 人間七七四年 2007/09/23(日) 15:58:10 ID:93i1X2zs
平家はともかく、源氏は満仲以降は馬の骨だろ

17: 人間七七四年 2007/09/23(日) 17:40:39 ID:qcRlMcrx
織田、徳川、武田、今川、北条、上杉、毛利、伊達、島津

一番名門の家柄はどれですか?

19: 人間七七四年 2007/09/23(日) 17:45:42 ID:riaP1IjF
>>17
徳川が一番名門にきまってるだろ。
将軍家になれる唯一の家柄。
親藩でも特定の家しか徳川を名乗ることを許されず、他の家は松平となった。

25: 人間七七四年 2007/09/23(日) 22:58:52 ID:4utSyccP
>>17
戦国時代に限れば今川家が一番名門の家柄だよ
今川家の本姓は源氏で、清和源氏の流れをくむ足利氏の傍流
将軍家足利氏に何かがあれば、その将軍職を引き継ぐ権利を持っていた名家中の名家

39: 人間七七四年 2007/09/24(月) 22:45:23 ID:He6TFIrX
>>25
うちの先祖、今川の家臣だったんだが、確かに源氏だった。
しかも、その先祖は足利家とも関係していたらしい

40: 人間七七四年 2007/09/24(月) 22:49:09 ID:W2bZzbQf
>>39
今川の庶流が家臣として、本家に仕えたクチか。
ちなみに証拠はありますか?

41: 人間七七四年 2007/09/24(月) 23:22:33 ID:He6TFIrX
いや、あるというか、ウチの蔵に変な「●●(うちの苗字)一族」って古い本があって読んだ。
ただ戦後に一度没落していて、日本刀とか全部盗られてなくなったらしい。
今川の庶流というか、本家が潰れて落ち延びて今川家に仕えたクチ

26: 人間七七四年 2007/09/24(月) 12:07:17 ID:DLBSTqld
今川家も源氏の庶家だったんだね~。
でも源氏の流れを汲む人がやけに多いな。ほんとかな?

29: 人間七七四年 2007/09/24(月) 16:17:50 ID:+vde6EHP
武田家も源氏だよね?

32: 人間七七四年 2007/09/24(月) 19:12:30 ID:+SCuC/Cf
吉川晃司は毛利家の末裔らしい

57: 人間七七四年 2007/09/25(火) 21:27:56 ID:w8hNHMvN
国民皆姓の時に現存する苗字は使えないって規則を作らなかったのは失敗だったな
先祖に騙されて「うちは○○の子孫だ」なんて本気でいう奴多すぎ

58: 人間七七四年 2007/09/25(火) 22:41:36 ID:brSp8abq
鈴木さんが多い理由も神社の宮司に鈴木氏が多かったせいで、学がない農民が宮司さんの氏をパクって鈴木と名乗ったせいだしな

64: 人間七七四年 2007/09/26(水) 01:04:17 ID:FrCfRk8O
俺の父方の先祖は埼玉の農民だったらしいけど、苗字っていつ誰が決めたのか気になるなぁ
適当に決めちゃったのかなぁ

65: 人間七七四年 2007/09/26(水) 01:30:02 ID:PpsJRZFO
江戸時代の農民にも苗字はあったよ
ただ名乗ってはいけなかった。
これは最近の研究で明らかになっている。

66: 人間七七四年 2007/09/26(水) 02:52:44 ID:FrCfRk8O
へぇ~ そうなんですか
一応、家紋もあるみたいなんですけど、こちらもいつ誰が作った家紋なのか分からないんですよねぇ。。

67: 人間七七四年 2007/09/26(水) 08:19:21 ID:a9hgQwEP
>>66
家紋はどんな家にでもある。
自分のルーツを知りたければ、菩提寺にでも池

69: 人間七七四年 2007/09/26(水) 11:48:53 ID:V0pE0AI0
今は家紋というものは誰でも好き勝手に持てる。今風のピカピカの新しい墓にある家紋とかはその家のルーツに全く関係ないのがほとんど。
そこらじゅう違い鷹、並び鷹だらけ。

70: 人間七七四年 2007/09/26(水) 18:43:57 ID:9IvvDjhL
家紋なんかじゃ差別化出来ない時代だから、模様なんかで自己主張するくらいなら名前刻む方が合理的だからな

73: 人間七七四年 2007/09/26(水) 22:16:04 ID:+oduUYNj
足利→斯波→柴田ではないかといわれる柴田勝家。
雁金紋ばかり有名だが、あれは戦場で使われた旗紋。
戦国時代の記録に旗紋が目立つのは当然だろう。
勝家の位牌が残る菩提寺に柴田の紋として藤の紋が示されている。
出自がはっきりしない柴田の一族は藤原系なのかもしれない。

79: 人間七七四年 2007/09/28(金) 10:49:28 ID:B/goxFV/
藤が頭に来る姓なんだけど定紋が下がり藤、織田家の家臣〔のちに明智〕
兵庫京都近江一帯に親戚が多い。寺は浄土真宗、ほんとに末裔なのかな。
墓も仏壇も小さいけど。

80: 人間七七四年 2007/09/28(金) 15:18:12 ID:IgyRJ7Zd
分家なら可能性はあるんじゃね。
正統本家だと主張されたら嘘つけ!となるけど。

81: 人間七七四年 2007/09/28(金) 17:55:41 ID:VvuoPU1U
本家とか嫡流は合戦に負けた場合など狙いうちにされるため子孫は根絶やしにされる確率が高い。
歴史に残る一族の子孫は、ほとんどが分家や庶流、傍流の子孫。

82: 人間七七四年 2007/09/28(金) 19:12:43 ID:slcTBpYQ
おれなんか先祖が平家の落ち武者だからその時点で血筋あやしすぎる

93: 人間七七四年 2007/09/29(土) 14:41:01 ID:mpbh+A1n
家紋とかよく分からんけど、戦国武将は複数持ってたて本当?
俺信長の家紋2つ3つ見たことあるんだけど。

96: 人間七七四年 2007/09/29(土) 17:57:28 ID:9QtSRg2/
>>93
色々なケースがあるからね。事情はそれぞれ。
身内同士で戦うこともあった時代。同じ旗印を掲げられないケースもある。
一族の紋ではない戦い用の紋が別に用意されるのは当然。
母方との繋がりや影響力が強い場合、母方の家紋の併用もある。
身分の高い嫁をもらう場合、嫁の家の権威を利用しない手はない。

112: 1111111111111111 2007/09/30(日) 17:04:09 ID:LNMGy8fI
幕末まで考えると鎌倉時代からまともに勢力を維持しながら残っているのは伊達と島津しかいないという事実
あとはひょっとこ出か途中で滅亡とか
伊達と島津は尊敬に値する家柄

119: 人間七七四年 2007/09/30(日) 19:39:16 ID:wvIedgA6
自家系図はどこまで信頼出来るかは微妙。
寺にある家系図も全幅の信頼はおけない。
確実なのは、菩提寺にある過去帳だろう。
過去帳と自家系図を比べて、重なる人物は信用出来ると思う。
自家系図で怪しいのは、先祖を源平藤橘としていて、それらと結びつけているところ。
このあたりは、自家系図以外に史料がない場合は、参考程度に考えて、完全に信用しない方がいい。
ちなみに私の家の先祖は、源三位こと源頼政らしい。
頼政から家系図に書かれている祖父までの系譜を眺めると、実にうまく作ってあると思う。

121: 人間七七四年 2007/10/01(月) 01:39:03 ID:vrggFCv6
拙者の家は家系図だまされて取られたそうな、何代か前の話だが。
金に困って売ったりってのも昔はよくあったそうな。

122: 人間七七四年 2007/10/01(月) 03:02:08 ID:ikADAclS
うちの地方にも系図買いにきたってばあさんが言ってた
生活に困って売ったところ多かったみたいだよ
だから家系図はほとんど信用してない。

どんな家だったのかは明治時代までの婚姻相手や墓、戒名を見ればだいたいわかるよ
あとは地元の人の認識。名門なら今でも名が通ったままだよ

129: 人間七七四年 2007/10/01(月) 22:42:06 ID:kwo2Sgul
現存する家系で最も信頼できる名家はどこ?

131: 人間七七四年 2007/10/01(月) 22:49:31 ID:041Qzyzw
>>129
天皇家

139: 人間七七四年 2007/10/02(火) 14:39:54 ID:GGqG+4Fc
>>129
出雲国造

132: 人間七七四年 2007/10/01(月) 22:51:36 ID:kwo2Sgul
その次は?

136: 人間七七四年 2007/10/02(火) 09:42:55 ID:GxfhAK8k
>>132
佐竹

134: 人間七七四年 2007/10/02(火) 00:52:37 ID:zvwqYrS0
堂上公家とか社家あたりはどうかな
って、スレチだな

140: 人間七七四年 2007/10/02(火) 23:13:53 ID:rikpUJp8
阿蘇大宮司家

142: 人間七七四年 2007/10/03(水) 00:14:59 ID:6jckNGgp
>>140
阿蘇大宮司家は、初期は伝承の域を出ず、出雲国造(千家家、北島家)とは比べものにならない。

141: 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/10/02(火) 23:23:14 ID:LyWt0S8h
熱田大宮司家はちょっと残念。

145: 人間七七四年 2007/10/03(水) 01:00:09 ID:jIajQRgS
>>141
何故残念かいえよ。

149: 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/10/03(水) 23:10:12 ID:z6+dDvhD
>>145
尾張国造まで遡れる家系なのに、途中で藤原氏の婿を迎えて家督が移行しているから。
んでその婿が藤原季範。源頼朝の外祖父。

143: 人間七七四年 2007/10/03(水) 00:25:31 ID:CdWmrXnD
天皇家や出雲国造家の初期は伝承じゃないの?

147: 人間七七四年 2007/10/03(水) 13:40:37 ID:6jckNGgp
>>143
伝承には違いないが、阿蘇大宮司家よりはかなり古い時期。

148: 人間七七四年 2007/10/03(水) 14:49:33 ID:CdWmrXnD
その古い時期とは、千家家は天穂日命を祖とする ということじゃないよね。
阿蘇家は大和朝廷成立以前から存在する古い家であることはある程度認められてると思うぞ~。もちろん千家家もそうだとは思うが

150: 人間七七四年 2007/10/04(木) 08:39:36 ID:ZKHadJ1C
>>148
「阿蘇家は大和朝廷成立以前から存在する古い家であることはある程度認められてる 」
認められていないよ。それこそが伝承のレベル。
阿蘇家は、俗に古いといわれる諸家の中ではかなり新しい方。
出雲大社の千家家や住吉大社の津守家の方がはるかに古い。

162: 人間七七四年 2007/10/08(月) 16:23:23 ID:U31QswNw
確かに阿蘇家の動向が確かなのは平安初期くらいからかもしれんけど、他の古代名族はいつくらいから歴史があるの?

222: 人間七七四年 2007/11/13(火) 15:41:15 ID:AVNSloYo
家紋関連で言うと、たとえば伊達家。
上杉家からもらった「竹輪に雀」が代表紋のように言われるが、実は江戸時代を通じて藩主の身の回りの品に入ってた紋は「丸に竪三つ引両」。伊達家内部ではこっちが正式な家紋だったようだ。
こういう細かい事情を調べずに家紋とか馬印、もっとひどいのは軍旗なんかをパクって子孫だと主張するとおかしなことになる。

224: 人間七七四年 2007/11/13(火) 18:45:59 ID:E4uo0sGa
>>222
家紋だけでも複数あるのが珍しくないよな。
菩提寺に行ってみると意外な家紋を発見することもある。
なのに全国の同姓さんが一番有名な家紋に集中しちゃう
この事象から導き出される答えは「ほとんどが自称」しかない。
誰でも一度は目にするような資料からパクっちゃうんだからね
たまたま現存する資料が示す紋が代表紋とは限らないのに。
家紋は一つだと思ってる無知君はそんな落とし穴には絶対気付かない
情報の乏しい時代には自称し放題だったということだろうな。

225: 人間七七四年 2007/11/13(火) 19:37:12 ID:R6C98INW
>>224
実際、俺も経験者だからね。
家は戦国大名なんて大それたものじゃなくてちょっとした武将だったけど。

家紋はあまりアテにならんよな。
仮に子孫だとしても、昔は嫡流の家紋は嫡流の子孫しか継げなかったなんて情報もあるし。
まぁ逆にいえば、その嫡流の家紋が氾濫しているのは異常事態と言えるんだが。

242: 人間七七四年 2007/11/16(金) 05:32:26 ID:hSR891IJ
ここ読んでると

戦国大名の子孫なんかいないんじゃないかってたまに思う

244: 人間七七四年 2007/11/16(金) 07:26:28 ID:INYxMZ2u
>>242
ほとんどが偽物≠本物はいない
うちの祖父は武家屋敷で育ってます。地元では有名です。
祖母も名家の出。母方の祖父母も同様。
名家は名家と縁組してきたので名家はどこも有名血統の集合体。
だから特定の武将の名前を強調する意味がありません。
特定の姓ばかり主張する連中は大概自称でしょうね。
ちなみに現在でも家紋は複数使い分けています。
うちの先祖の一人はよく自称に使われますよ。
確かにみなさん家紋で失敗してます。
生き残ったのは女系で女紋が主流になってるんですよね。
歴史資料に掲載されてる家紋を使ったのは養子の家系だけ。
養子の系統は近年になって絶えたはずなんですよね。
なぜか全国に親戚が発生し続けています。
香典貰えるなら全部認定しちゃいますけどw

245: 人間七七四年 2007/11/16(金) 10:30:29 ID:3Jv05r1q
>>244の通り、昔の親戚見りゃ一発だけどね
同家格同士で結婚してきたから、上流の家系はみんな繋がってるんだよ
逆に言えば、明治以前の親戚がしょぼかったら偽者だ
親戚や墓石は焼けたりしないからね
落ちぶれてても今だに県下に名前が通ってるもんだし、他県でも同じ階層の人なら通じたりする
元大名の家ならそんなもんだよ

246: 人間七七四年 2007/11/16(金) 16:56:33 ID:XToJ6xdq
中世以来落ちぶれた公家や武士が自分の系図を売ったりするのは普通にあったからねぇ。
系図もどの程度信憑性があるかはわからんですわ。

259: 人間七七四年 2007/11/27(火) 20:17:56 ID:9fzsmSis
三人で暴走族やってた近所の柴田君は、特攻服に家紋付けて戦国気分で走っていましたw

261: 人間七七四年 2007/11/28(水) 12:59:31 ID:jWVeAAax
>>259
柴田君はやっぱり雁金なんだろうね。
でも、あれも旗印疑惑があるんだよね。

264: 人間七七四年 2007/11/30(金) 02:10:27 ID:EXwRokEm
勝家の菩提寺に柴田家の家紋が残ってるよ。
下がり藤の中に一が入ってる柴田藤。

265: 人間七七四年 2007/12/02(日) 08:52:17 ID:adQ1dYG4
へぇー、柴田も家紋複数あったのか。

266: 人間七七四年 2007/12/05(水) 00:17:22 ID:Wyu0Prhi
家紋て複数有るものじゃないのか?

267: 人間七七四年 2007/12/05(水) 10:21:15 ID:M2Xcu3vi
複数あるものだけど、柴田勝家は雁金しか一般的には知られてないんだよ。
勝家関連は福井の神社や墓が有名で、滋賀にある菩提寺がなぜかマイナー扱い。
菩提寺に柴田家の家紋として柴田藤が残ってるけど、情報として出回ってない。

引用元: ・戦国大名の家柄や先祖について