2: 天之御名無主 2010/12/07(火) 22:54:38
諏訪大社以外には何があるんですかいの?
冬の諏訪湖に神の歩く道?と呼ばれる自然現象があるのは聞いたことがあるけども

3: 天之御名無主 2010/12/08(水) 22:54:05
>>2
そこら中に氏神様がおるよ。
御社宮司様とかも氏神だし。
街中を見ると、夫婦地蔵とかもかなり多い
縄文のビーナスもおる(茅野だけど)。

諏訪大社の関係といえば関係だけど洩矢神という神の末裔が今でも生きてる。
あと、稲荷信仰とかも盛ん。

>冬の諏訪湖に神の歩く道?と呼ばれる自然現象があるのは聞いたことがあるけども
それは御神渡りだね。


なんか最近出てないような気もする

5: 天之御名無主 2010/12/10(金) 12:08:22
かなり因習深そうな所だな
6: 1 2010/12/11(土) 03:59:55
なんか意外と知らない人が多いようなので、まずはちょっとした解説からはいろうか。

諏訪大社は2万5000以上の末社を持ち、起源も非常に古い。
信濃国の一宮であり、神位は正一位であり、信濃的には日本一の神社。
よく誤解されるが、諏訪大社は春宮・秋宮・上社・下社の4宮で構成され、場所としても諏訪~茅野の広域に分散している、神社集合体。
祭神は大国主の子である建御名方神とその奥さん。
10月になっても出雲に帰らないため、諏訪は「神在月」である(理由は諸説ある)。

主な神事は「御神渡り」「蛙狩神事」「御頭祭」「御船祭」「御射山祭」そして「御柱祭」。

最も有名なのは6年に一度、諏訪・茅野・岡谷を上げて行われる御柱祭で10トンもの巨木を切り倒し、人間の手で曳行して、4つの宮に4本ずつ(計16本)建てる。
日本三大奇祭としても有名で、お祭りというレベルをはるかに超越した、信濃国の行事。
参加する氏子の数は数万人にもなるとか。
また、この年は一年を通して「御柱祭の年」であり、諏訪周囲の神社は中規模の社から小さな祠まで、それぞれの御柱を建直す(小宮祭)。

7: 1 2010/12/11(土) 04:02:41
知名度としては落ちるものの、御頭祭も奇祭として有名。
狩りを行い鹿を得て、頭を切り落として捧げるが、その数が75頭とかそんなレベル。
(現在は非常に残念な事に剥製を使っています。神様怒るだろjk)
それ以外にも鹿の「脳和え」「生鹿」「生兎」「切兎」「兎煎る」鹿の五臓などが神饌として捧げられて居た。
ちなみに兎はまるごと一匹、下から串刺しにして立った状態。

これら神事は、建御名方神ではなく、それ以前に地域に居た「もっと前の土着神」のモノとされる。(モレヤ神、チカト神、ソソウ神に加えミシャグチなど)
国譲りの段で天津神に敗れた建御名方神は諏訪に逃げ込んだ事になっているが、その際に上記神々を率いたモレヤ神と戦争になり、勝利して現在の地位を得る。

建御名方神の氏族は諏訪氏で、代々大祝を担い、洩矢(モレヤ)神の氏族は守矢氏で、代々神長官を担う。
どちらも、神から続く家系図を持ち、諏訪では神として扱われていたが、既に大祝は途絶え神長官についても守矢氏は生き残っているものの、一子相伝の神事は伝えられることなく、消えてしまっている。

9: 天之御名無主 2010/12/12(日) 02:16:15
諏訪界隈には街中に小さな祠が多く夫婦地蔵もやたらと多い。
石棒がそこら中にあるんだけど、あれは普通なのかね?

10: 天之御名無主 2010/12/12(日) 04:13:11
夫婦地蔵ってあまりない気がするが双体道祖神と違うのか?
他の地域の事を知らないので小さい祠が多いのか分からないけど、自分の地区で見ると半径1km以内に20社はあると思う
山に隣接している地域は山の神も多くあるからね
同族で祀っている祝神(これも諏訪地域だけか?)の祠も多いかな
道路沿いにない場合はその地区の鎮守とかにまとめられていることが多いね
あと石棒はミシャグジ信仰とも関係が有ると言われているけど、縄文遺跡の宝庫なのが大きいと思う
発掘調査で出土すれば博物館行きだけど
田畑の耕作等で出てきた場合は神社、道祖神、小さい祠へ奉納とかそのまま御神体としてお祀りされてるケースが多い

11: 天之御名無主 2010/12/12(日) 08:51:11
>>10
そうそう、双体道祖神ね。
石棒は小さな祠に入れてあるのもあるけど親戚の家では玄関に置いてあった。
まぁあんなもんいっぱいあるから出たものは出たとこで保管すりゃいいと言ってたけど、そんなモンなんだろうか。

うちの近所も半径1kmなら20くらいはありそうだなぁ。
古めの家ならどこも家に一個ある

234: 天之御名無主 2012/10/26(金) 16:30:33.02
諏訪大社・御柱・建御名方命・洩矢神について調べています。
比較的手に入りやすい資料ってありますか?

237: 天之御名無主 2012/11/01(木) 08:11:37.01
>>234
〈お諏訪さま 祭りと信仰〉
諏訪大社 監修 鈴鹿千代乃.西沢形一編
勉誠出版を図書館で見つけ、読んでみたけどかなり面白かったよ。
諏訪大社は何度か行ってるけど、守矢資料館にも行きたくなった。


242: 天之御名無主 2013/04/07(日) 06:42:38.73
>>234
諏訪明神 カミ信仰の原像
寺田鎮子・鷲尾徹太著 岩田書院

自分の知りたいことのかなり核心に触れていて読んでいてわくわくした。

244: 天之御名無主 2013/04/22(月) 20:29:15.65
手塚治虫家系にも繋がっていて木曾義仲お供の美女武士の巴御前にも繋がる下諏訪の神主家系筋、断絶して残念だた。

245: 天之御名無主 2013/06/19(水) 06:22:51.70
今の守矢氏は78代目
79代目はあるのだろうか?それとも断絶してしまうのだろうか?実にもったいないことだな。

31: 天之御名無主 2010/12/29(水) 22:41:32
諏訪大社に祀られている建御名方神は「海の神」ですよね?
お船祭りなどもその名残だと思うのですが、長野には海がないのですよね。
諏訪湖を海としていたのでしょうか?
それとももともと海のあるところの神様で、中つ国平定の際に建御雷神に追い立てられたからなのでしょうか?

あと、聞いた話だと、諏訪で鎌を軒先(?)に飾るという風習があると聞いたのですが、これについて詳しく知っている方がいたらいろいろお話を聴きたいです。
どのようないわれがあるのでしょうか?
諏訪大社と関係はあるのでしょうか?

よろしくお願いします。

476: 天之御名無主 2019/08/22(木) 10:48:27.17
>>31
産屋、うぶやにお飾りするよ。錆びた鎌。
産屋の砂はお守りになる。

32: 天之御名無主 2010/12/30(木) 04:43:43
日本海を渡って列島の日本海側に至り、そこから南進した人たちだから父祖が信仰した海の神を祭るのは当然だと思う。
そして諏訪の人たちの一部はさらに南進して、大和朝廷に隷属するまでに太平洋にも到達している。
(その経路が現在のR153)
最終的には衣に至ったが、壬申乱後、持統天皇の時代に大和朝廷に滅ぼされた。
なお、衣の海=衣浦の地名が残っている。
碧海(あおみ)と呼ばれていたのは、そう青くもない海だが緑色の強い日本海とは違う青みの強い海だからそう名づけたのだろう。

もちろん歴史からも彼ら太平洋に至った王権の存在は抹消されている。
大和朝廷が崇める最高神が彼らの神と習合しており、不都合だったこともある。

247: 天之御名無主 2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN
>>32
>最終的には衣に至ったが、壬申乱後、持統天皇の時代に大和朝廷に滅ぼされ・・・・・・
 
誰が滅ぼされた何という戦役のことなの?飯田街道(現在のR153)途中の
三河挙母町では、そんな伝承は聞かないんだが。

249: 天之御名無主 2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN
そもそも飯田街道が全線整備されたのって織豊期から江戸時代にかけて。
それ以前は足助平谷間あたりはほぼ不通。
少なくとも古代から交通路として使われたという根拠はない。
柳田國男も『東国古道記』で津島信仰や伊勢信仰との関係に触れて

>かつて中部山岳地帯と海岸を結び付ける道は秋葉街道だけであったが、やがて浪合を通り飯田・根羽に連なる三州街道(飯田街道)が開けてきて、その段階で津島神社の御師たちが入り込み、【中略】山間に広く分布していった。


また長野県下伊那郡天龍村坂部に伝わる『熊谷家伝記』第四巻でも R153にある治部坂峠の名の由来を、天正三年にあるとしているので、少なくともそれ以前は峠のすらない、人の行き交うことすらまれな道だったことを傍証しているといえる。

あと、天武持統時代の信濃は壬申の乱以前から大海人皇子の領地があった関係から相当に優遇されており、信濃の諸豪族は攻め滅ぼされるどころか舎人に登用せれる者が続出してる。

さらにいうと、天武天皇は信濃に絶大な安心感を抱いていて副都を置こうとすらしている。 具体的には、『日本書紀』の巻第二十九、天武天皇十三年二月庚辰の条で
 
>庚辰。遣浄広肆広瀬王。小錦中大伴連安麻呂及判官。録事。陰陽師。工匠等於畿内。令視占応都之地。是日。遣三野王。小錦下悉女臣筑羅等於信濃、令看地形。将都是地歟。

と記されるように適地を選定しており、天武天皇十四年の条では実際に行宮を造営してる。

>壬午。遣軽部朝臣足瀬。高田首新家。荒田尾連麻呂於信濃、令造行宮。蓋擬幸束間温湯歟。

この方針は持統天皇にも継承されていて 東国諸豪に度々饗を賜ったり木曽路を開くなど盛んに活動している。どう考えても信濃の勢力と衝突していたようには思えない。


飯田街道の歴史から見ても天武持統朝の政策から見ても>>32の書き込みは根拠なしとみなしていいと思う。

180: 天之御名無主 2011/10/04(火) 22:29:03.89
諏訪と伊那は信濃の中でも独立王国みたいに思われてるらしいけど、諏訪はわかるんですけど、伊那は何故そう言われるのですか?
 

181: 天之御名無主 2011/10/04(火) 22:52:14.20
>>180
伊那は中世まで諏訪の一部だったから・・・って話じゃないのかしら?

222: 天之御名無主 2012/03/15(木) 14:02:25.13
長野県下伊那郡豊丘村神稲の「佐原」(読みはサハラ)という集落に佐原諏訪神社(御手形神社)があります
ここの御祭神は、建御名方神と武甕槌神だそうです
佐原というと千葉県の佐原を連想しますが、ウィキによれば千葉県の佐原という地名の由来は
「古代から香取神宮が鎮座し神官の祭典の時に使用する土器、「浅原(さわら)」を造って納めていたので「サワラ」という地名がついたともいわれている」
偶然の一致かもしれないが面白いと思いました

250: 天之御名無主 2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN
「伊那」の地名は、ホツマツタヱに書かれている。
すなわち、天八意ノ命(阿智彦)が身罷った去(辞)洞(いなほら=お隠れになった洞窟)の場所を「イナ=伊那」と呼び、以来 阿智家の勢力範囲をイナ(伊那)と呼んだ。

当時の阿智家の勢力範囲について、大御食神社の「美しの杜社伝記」には、応神天皇(3世紀末)から仁徳天皇(5世紀)に至るころの近郷〔伊那市西春近小出(小黒川南)~中川村大草(小渋川北)~松川町上片桐(松川北)〕において、赤須彦が祭事を司っていたことがわかる。
天安2年(858)の記述からは、近郷〔伊那市西春近小出~飯田市伊賀良〕には 三十二の里があり、それぞれの里の規模についての記述がある。
このことから、少なくとも9世紀までの伊那郡と諏訪郡の境は 伊那市の「小黒川」であったことが推定される。

また、「伊那」の地名については、稲・井名・猪名部・建稲背命・アイヌの幣束「イナウ」などに因るとの諸説があるが、倭名類聚鈔(10世紀)によれば 諸説が「伊那」の地名発祥の地とする現在の伊那部などの地域は、当時 諏訪郡の範囲内であったと推定される。このことから諸説では「伊那」の地名由来の説明に十分ではない。

251: 天之御名無主 2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN
現在では大御食神社の「美しの杜社伝記」は江戸時代に盛んに作られた偽社伝の一つとされている。
そもそも日本語音韻学の立場からすると使われている神代文字の音韻は、せいぜい中世以降のものでありとてもではないが古代まで遡ることは出来ないもの。
とてもじゃないが古代史の資料にできるようなものではない。
文献学的には伊那の由来についての主張は否定せざるを得ない。

それに古代の伊那地方に阿智家などという怪しげな勢力の登場する余地はない。
伊那郡の郡司(大領)は科野国造氏、及びその末裔の金刺氏が世襲していたからね。
言うまでもなく金刺氏は諏訪下社大祝家の金刺氏の同族。
少なくとも上社のある下諏訪から伊那郡衙のある飯田辺りまでは金刺氏が抑えていたと考えられる。
このような状況下で郡名の由来になるほどの大勢力が上伊那に存在したとは考えにくい。
第一、郡の中心地におかれる郡衙が飯田市座光寺の恒川遺跡群で確定し、これに比肩しうる遺跡群が存在していない以上、考古学的にも阿智家の存在については否定的に見ざるをえない。

308: 天之御名無主 2016/01/18(月) 17:07:45.66
>>251
「美しの杜」の名前の由来となってる熱田神宮創設者で有名な宮簀姫こと厳色姫の「美しの杜」の社伝記に書かれている事も嘘ですか?

311: 天之御名無主 2016/01/29(金) 17:00:23.33
>>308
「美しの杜」は大御食神社にある「美女ヶ森」とも呼ばれる森林の事を指す
由来はヤマトタケルの最後の妻である尾張国造の娘である宮簀媛に因む
ヤマトタケルが大御食神社の場所に立ち寄ったとの事でそれの縁だろ
で宮簀媛が夫のヤマトタケルの遺品である三種の神器の草薙剣を祀るため熱田神宮建てるが、大御食神社では熱田神宮から草薙剣の御霊代とともに宮簀媛が迎えられたとのこと
諏訪近くの松本市に大宮熱田神社と伊那市に熱田神社があり、そちらもヤマトタケルと熱田神宮との深い関係があるとの事でなんか大御食神社との事と関係ありそう

257: 天之御名無主 2013/10/13(日) 09:22:40.53
神無月はいつから?

諏訪の神様は、大きすぎて迷惑だから、来るなと言われてるそうだけど。

260: 天之御名無主 2013/10/13(日) 16:41:18.23
諏訪明神はでっかい蛇で、出雲の神様会議所の周りを7巻きしても尻尾はまだ諏訪の松の木にかかっているとかそんな話だっけ?
そういえば去年上田の酒造からもらったカレンダーが神在月表記だったよ

262: 天之御名無主 2013/10/14(月) 09:43:50.67
>諏訪明神はでっかい蛇で・・・・・尻尾はまだ諏訪の松の木にかかっているとかそんな

そうそう、それそれ。

こういうのを読むと、建御名方神は建前なのかなあ。
wikiの諏訪神党に、自分の名字、発見!

263: 天之御名無主 2013/12/05(木) 01:33:21.57
諏訪、行ってきた。
大社4箇所まわったが、圧倒的におもしろかったのは上社前宮。

でも地元の人こそが、「前宮なんか行っても何もないよ」とおしなべて言うんだよね。
その人が意識的に隠しているわけではない感じだったけど、もともと考えた賢者は、下社に観光客を集めさせて集金運営し、本当に聖なる場所は、あまり観光されないように秘して設計しているのではないかなと思った。
古代人の叡智を感じさせたな。

280: 天之御名無主 2014/01/08(水) 18:22:45.21
>>263
> でも地元の人こそが、「前宮なんか行っても何もないよ」とおしなべて言うんだよね。
> その人が意識的に隠しているわけではない感じだったけど

もともと、諏訪大社の一角ではないからね
明治の大編成で、地元民(前宮周辺)の強い要請で格上げされた

281: 天之御名無主 2014/01/25(土) 00:26:09.29
>>280
モレヤの拝所の一角ではあっただろ?

282: 天之御名無主 2014/01/25(土) 11:09:11.56
>>281
それなら洩矢神社や守屋神社を大社に加えればいい話で

270: 天之御名無主 2013/12/09(月) 05:56:25.13
本宮にバイクを停めて前宮まで歩くのが好き。
途中で北斗神社の階段でガクブルしたり、御頭御社宮司総社にも寄れる。
(神秘性という意味では個人的には前宮以上に何かを感じる。)

272: 天之御名無主 2013/12/14(土) 13:08:06.17
神奈川の真坂山ってとこに大蛇が住んでいて、日照りで池の水が少なくなると諏訪湖に飛んでいったらしい。

274: 天之御名無主 2013/12/20(金) 16:05:07.33
元諏訪って言われてる神社が徳島にあるね。
かなり古いらしい。ここから現在の位置に移ったんじゃないかとも言われている。

288: 天之御名無主 2014/05/10(土) 15:47:34.45
>>274
>元諏訪って言われてる神社・・・・・・・・・・・・・
 
社名は、何というのですか?鎮座地名も、やはりスワなのですか?

291: 天之御名無主 2014/09/25(木) 17:13:57.98
>>288
名西郡石井町浦庄字諏訪
多祁御奈刀弥(たけみなとみ)神社

533: 天之御名無主 2021/08/01(日) 23:13:53.06
>>274
徳島県には有名神社の元宮とされている神社が多く鎮座まします。

562: 天之御名無主 2021/11/17(水) 08:16:32.42
>>533
元諏訪神社がそう言っているだけで諏訪大社は認めていない
学会的に認められたわけでもない
安易に信じる人もいるんだろうね

294: 天之御名無主 2015/03/16(月) 17:05:33.03
真弓常忠氏著『古代の鉄と神々』に拠れば、諏訪大社は古代製鉄業に従事した人々が建南方を祭神として祀った神社で、御柱は踏鞴炉の高殿の4本の押立て柱が元だと。さらにその南柱を最も神聖視し、そこに金屋子神を祀ると。
これより製鉄従事者の崇敬する神社は南宮なのだと。
『梁塵秘抄』にある「南宮の本山は、信濃国とぞ承る・・・美濃国には中の宮、伊賀国には稚き児の宮・・・」の本山が、諏訪大社。

313: 天之御名無主 2016/06/24(金) 01:56:05.56
御柱祭で死者が出て、神社が訴えられてるね。
死ぬかもしれない緊迫感が祭りの高揚感を盛り上げるのに。

組み体操を止める運動会みないなものかw。

314: 天之御名無主 2016/06/24(金) 13:46:23.44
これまでの死者は結構な数になるのでは?
死ぬ者とその家族・関係者の身になってみろ
いずれこの祭も必ず形を変えることになるだろう

318: 天之御名無主 2016/06/25(土) 16:42:02.90
>>314
何十年もの間、結構な数の死者を出しながらも、形を変えずにやってきた。

そのことの意味を考えるのが民俗学。

320: 天之御名無主 2016/06/26(日) 06:30:12.21
>>318
何十年? それっぽっちの歴史しかないのか

321: 天之御名無主 2016/06/26(日) 22:59:51.85
>>320
昔は、生贄を柱にくくりつけて落としてたんだけど、それが禁止されたので、みんなで落ちれば誰かは死ぬだろうと今の形になった
いつから今の形になったのかははっきりしないが、そこまで古い話ではない

325: 天之御名無主 2016/07/14(木) 12:15:11.27
昔に比べれば大分現代に譲歩しているとおもうけどな
ここの祭祀系統は
神=自然
自然は恵をもたらし、そして時に命をうばう
優しい神様だけじゃない
だから「畏れ」「敬う」

346: 天之御名無主 2017/07/06(木) 19:08:47.33
諏訪大社行くんだけどやっといたほうがいいことある?

347: 天之御名無主 2017/07/07(金) 00:04:07.56
むしろ「普段着でお気軽に」って言われるでしょうね

引用元: ・諏訪周囲の信仰