1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/30(日) 20:02:00.56 ID:xXIsID4m0
そもそもなぜ反乱が起きなかったのかが謎
風評通りの無能なら孔明の代で玉座を奪われているはず
風評通りの無能なら孔明の代で玉座を奪われているはず
2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/30(日) 22:29:27.70 ID:gswAnPHL0
起きてただろポツポツと
3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/31(月) 16:55:28.32 ID:gD0UidOP0
>>1
劉備存命中に反乱した黄元とかも知らない輩と思われる
とりあえず蜀の反乱全部調べて纏めてから来なさい
劉備存命中に反乱した黄元とかも知らない輩と思われる
とりあえず蜀の反乱全部調べて纏めてから来なさい
287: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/02(土) 14:58:08.71 ID:OmLoEqeM0
>>1
劉備が蜀を征服~諸葛亮没(214年~234年)期間の反乱(挙兵ありのみ)
214年??月~214年??月 (山賊)(巴郡)
218年??月~218年??月 馬秦・高勝(秭帰郡盗賊)
218年??月~218年??月 高定(越巂郡蛮族)
220年??月~220年??月 孟達(宜都郡太守)
220年??月~220年??月 申耽(上庸郡太守・征北将軍)
220年??月~220年??月 申儀(西城郡太守・建信将軍)
222年12月~223年03月 黄元(漢嘉郡太守)
223年??月~225年03月 雍闓(益州郡豪族)
223年??月~225年03月 朱褒(牂牁郡太守)
223年??月~225年03月 高定(越巂郡蛮族)
223年??月~225年09月 孟獲(建寧郡豪族)
225年??月~22?年??月 (南蛮族)(雲南郡他)
226年??月~229年??月 (南蛮族)(建寧郡他)
227年??月~227年??月 張募(広漢郡山賊)
231年??月~231年??月 (羌族)(汶山郡)
233年??月~233年??月 劉冑(南夷豪帥)
233年??月~233年??月 (獠族)(牂牁郡)
234年08月~234年08月 魏延(前軍師・征西大将軍・仮節)
諸葛亮の治世20年ぐらいだけで軽く抜き出してもこれだけ反乱ある
挙兵なしの政変とか粛清とか含めると反乱の数以上ありそうだからもっと多い
ましてや諸葛亮没後の政治が腐った時代だと推してや知るべし
まあ季漢は文献少ないから載ってない反乱多数ありそうだけど
劉備が蜀を征服~諸葛亮没(214年~234年)期間の反乱(挙兵ありのみ)
214年??月~214年??月 (山賊)(巴郡)
218年??月~218年??月 馬秦・高勝(秭帰郡盗賊)
218年??月~218年??月 高定(越巂郡蛮族)
220年??月~220年??月 孟達(宜都郡太守)
220年??月~220年??月 申耽(上庸郡太守・征北将軍)
220年??月~220年??月 申儀(西城郡太守・建信将軍)
222年12月~223年03月 黄元(漢嘉郡太守)
223年??月~225年03月 雍闓(益州郡豪族)
223年??月~225年03月 朱褒(牂牁郡太守)
223年??月~225年03月 高定(越巂郡蛮族)
223年??月~225年09月 孟獲(建寧郡豪族)
225年??月~22?年??月 (南蛮族)(雲南郡他)
226年??月~229年??月 (南蛮族)(建寧郡他)
227年??月~227年??月 張募(広漢郡山賊)
231年??月~231年??月 (羌族)(汶山郡)
233年??月~233年??月 劉冑(南夷豪帥)
233年??月~233年??月 (獠族)(牂牁郡)
234年08月~234年08月 魏延(前軍師・征西大将軍・仮節)
諸葛亮の治世20年ぐらいだけで軽く抜き出してもこれだけ反乱ある
挙兵なしの政変とか粛清とか含めると反乱の数以上ありそうだからもっと多い
ましてや諸葛亮没後の政治が腐った時代だと推してや知るべし
まあ季漢は文献少ないから載ってない反乱多数ありそうだけど
288: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/04(月) 20:29:48.45 ID:0IgF7jju0
魏延が反乱ねえ
289: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/08(金) 07:55:56.51 ID:IQ26I4N00
反乱でないと認定しているのは魏に行こうとしていなかったとかだけど、本隊に攻撃しようとしているのなら反乱ではあるとも言える
楊儀側の解釈では反乱だし
楊儀側の解釈では反乱だし
292: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/04/20(水) 10:07:08.01 ID:TVWCQYJf0
処刑したことを正当化するには反乱起こしたことにするのが一番手っ取り早いからな
7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/10(木) 23:36:10.15 ID:qv6gD6Dv0
統治の面で蜀の四英が優秀だったから
国防の面でいえば天然の要害が守ってくれたのと何だかんだいいつつ蜀将が優秀だったから
末期は統治が乱れ人材も少なくなったから滅ぼされた
国防の面でいえば天然の要害が守ってくれたのと何だかんだいいつつ蜀将が優秀だったから
末期は統治が乱れ人材も少なくなったから滅ぼされた
8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/11(金) 04:26:53.57 ID:VwQB+/gR0
働き者の無能よりも働かない無能の方が害はないからな
ダメなのは250年以降ぐらいでそれまでは概ね賢臣に政治を任せていられたのだし
言うほど無能ではないと思う
ダメなのは250年以降ぐらいでそれまでは概ね賢臣に政治を任せていられたのだし
言うほど無能ではないと思う
9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/11(金) 05:28:56.15 ID:Z+CtGddG0
ほんと劉禅は働かない無能の典型だわ。孫皓や煬帝のような働き者の小才子より働かない無能の方が君主としてはよっぽど優れてる好例
10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/11(金) 12:33:07.10 ID:pbK5t0/Z0
孫晧とかと違って阿斗ちゃんの場合、有能か無能かを判定する資料自体が少ない。
人となりはとりあえず出師表などを読む限り「勉強嫌いで遊び好き。諫言を屁理屈でやり込めてお気に入りの人間しか近づけない」印象が目に浮かぶけど具体的に被害被ったの弟だけ。
好色については劉エンが被害者だけどこれももしかしたら使えない古参処分した可能性もある。
人となりはとりあえず出師表などを読む限り「勉強嫌いで遊び好き。諫言を屁理屈でやり込めてお気に入りの人間しか近づけない」印象が目に浮かぶけど具体的に被害被ったの弟だけ。
好色については劉エンが被害者だけどこれももしかしたら使えない古参処分した可能性もある。
13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/12(土) 00:57:57.56 ID:sNIzC2C20
>>10
劉禅はまず有能な点がない。マイナスではない点はあるけど。無能と断言できるほどの話もないが、有能さを示す話もない。少なくとも才知をひけらかすタイプではない
普通に考えれば凡庸~無能。後の五胡十六国~南北朝時代の君主を思えば比較的有能という意味でなら同意
劉禅はまず有能な点がない。マイナスではない点はあるけど。無能と断言できるほどの話もないが、有能さを示す話もない。少なくとも才知をひけらかすタイプではない
普通に考えれば凡庸~無能。後の五胡十六国~南北朝時代の君主を思えば比較的有能という意味でなら同意
284: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/02/21(月) 20:16:02.31 ID:V2Qk57uq0
劉禅は結局のところ桓公と同じなんでしょう。
名臣用いて栄え、悪臣用いて衰退
暗君というより凡君
名臣用いて栄え、悪臣用いて衰退
暗君というより凡君
桓公(かんこう)は、春秋時代の斉の第16代君主。春秋五覇の筆頭に晋の文公(重耳)と並び数えられる。鮑叔の活躍により公子糾との公位継承争いに勝利し、管仲を宰相にして斉を強大な国とした。
桓公41年(紀元前645年)、国政の要であった管仲が亡くなると、国政を顧みなくなり放蕩に明け暮れるようになった。管仲が亡くなる時に引き立ててはいけないと言った易牙・豎刁・公子開方の、まとめて「三貴」と呼ばれた佞臣らを起用し、国政は乱れた。
桓公が病床に就くと、桓公は三貴によって病室に閉じ込められ、そのまま桓公43年(紀元前643年)10月9日に息を引き取った(食料すら与えられず餓死したといわれる)。
桓公41年(紀元前645年)、国政の要であった管仲が亡くなると、国政を顧みなくなり放蕩に明け暮れるようになった。管仲が亡くなる時に引き立ててはいけないと言った易牙・豎刁・公子開方の、まとめて「三貴」と呼ばれた佞臣らを起用し、国政は乱れた。
桓公が病床に就くと、桓公は三貴によって病室に閉じ込められ、そのまま桓公43年(紀元前643年)10月9日に息を引き取った(食料すら与えられず餓死したといわれる)。
285: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/02/21(月) 20:24:01.05 ID:jl0plBrw0
それは桓公に失礼
桓公は自分で軍を指揮して覇者になった英雄だぞ
全部臣下に任せてた劉禅とは違う
桓公は自分で軍を指揮して覇者になった英雄だぞ
全部臣下に任せてた劉禅とは違う
286: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/02/22(火) 00:32:38.32 ID:Bzr3rJRW0
後継者争いに勝つまではこいつ傑物では?って立ち回りしてるからな
303: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/06/13(月) 10:10:00.23 ID:0VBnUHSy0
曹植が兄の皇帝に向かって詠んだ詩に「諸葛孔明の首を斬り孫権の~」という表現がある。
敵国の人間からも無視されるのが気の毒。
演技によれば、宮中に出入りしていた女性を夫が邪推して兵士に命じてリンチさせたのを劉禅が怒って夫を処刑した。それが原因で、有能な人間が劉禅を避けるようになった。
現代の価値観から見れば、劉禅の処置が正しいのに、無能の証拠と見なされるのは残念。
北伐を控えて、八王の乱で混乱したのを利用して攻撃したら成功したかもしれないのに。
敵国の人間からも無視されるのが気の毒。
演技によれば、宮中に出入りしていた女性を夫が邪推して兵士に命じてリンチさせたのを劉禅が怒って夫を処刑した。それが原因で、有能な人間が劉禅を避けるようになった。
現代の価値観から見れば、劉禅の処置が正しいのに、無能の証拠と見なされるのは残念。
北伐を控えて、八王の乱で混乱したのを利用して攻撃したら成功したかもしれないのに。
305: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/06/13(月) 18:17:11.53 ID:tSgAb3rH0
>>303
曹丕じゃなくて曹叡だな
曹丕じゃなくて曹叡だな
306: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/06/13(月) 19:48:30.03 ID:pcS2SmXF0
>>303
無理だな
八王の乱は蜀が滅亡して30~40年後の話
北伐を控えも蜀の寿命が持たない
あと妻をリンチした夫を劉禅が怒って処刑した話は蜀志劉彭廖李劉魏楊伝に載ってる
車騎将軍劉琰の話やで
無理だな
八王の乱は蜀が滅亡して30~40年後の話
北伐を控えも蜀の寿命が持たない
あと妻をリンチした夫を劉禅が怒って処刑した話は蜀志劉彭廖李劉魏楊伝に載ってる
車騎将軍劉琰の話やで
307: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/06/13(月) 20:56:29.41 ID:tSgAb3rH0
>>306
正史
234年の正月に劉琰の妻の胡氏が穆皇太后呉氏に入賀したところ、皇太后が胡氏を留めたため、次の月まで帰ってこなかった。劉琰は妻が劉禅と私通していたと疑い部下の五百人隊長に鞭打たせ草履で顔をぶって離縁した。
胡氏が一部始終を話すと、劉琰は収監されて処刑された。以降、大臣の妻母が年賀の挨拶に伺う風習は絶えた。
演義
263年に劉琰の妻の胡氏が皇后張氏に朝見したところ、皇后が胡氏を宮中に留めたため、ひと月後まで帰ってこなかった。劉琰は妻が劉禅と私通していたと疑い部下五百人に草履で顔をぶたせて瀕死の重傷を負わせた。
これを聞いた劉禅は大怒、劉琰は収監されて処刑された。以降、大臣の妻が入朝することは禁止された。
正史は明言を避けているが、胡氏が留められた宮殿とは穆皇太后の長楽宮だろう。また離縁された胡氏が事情を話した相手も穆皇太后であろう。劉琰を処刑したのも穆皇太后であろうし、胡氏と私通していたのも穆皇太后であろう。
正史
234年の正月に劉琰の妻の胡氏が穆皇太后呉氏に入賀したところ、皇太后が胡氏を留めたため、次の月まで帰ってこなかった。劉琰は妻が劉禅と私通していたと疑い部下の五百人隊長に鞭打たせ草履で顔をぶって離縁した。
胡氏が一部始終を話すと、劉琰は収監されて処刑された。以降、大臣の妻母が年賀の挨拶に伺う風習は絶えた。
演義
263年に劉琰の妻の胡氏が皇后張氏に朝見したところ、皇后が胡氏を宮中に留めたため、ひと月後まで帰ってこなかった。劉琰は妻が劉禅と私通していたと疑い部下五百人に草履で顔をぶたせて瀕死の重傷を負わせた。
これを聞いた劉禅は大怒、劉琰は収監されて処刑された。以降、大臣の妻が入朝することは禁止された。
正史は明言を避けているが、胡氏が留められた宮殿とは穆皇太后の長楽宮だろう。また離縁された胡氏が事情を話した相手も穆皇太后であろう。劉琰を処刑したのも穆皇太后であろうし、胡氏と私通していたのも穆皇太后であろう。
310: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/06/14(火) 09:22:18.32 ID:SuKyc7xz0
>>307
演義に限ってだけど、今の基準に照らしたら普通の処置を「劉禅の無能」の証拠にするあたり、演義が出た明代の「人権感覚」(女性の地位の低さ)を感じる。
昔だから仕方ないと言うかもしれないけど、無能の証拠にするなら、もっと他のエピソードを載せることもできた。
演義に限ってだけど、今の基準に照らしたら普通の処置を「劉禅の無能」の証拠にするあたり、演義が出た明代の「人権感覚」(女性の地位の低さ)を感じる。
昔だから仕方ないと言うかもしれないけど、無能の証拠にするなら、もっと他のエピソードを載せることもできた。
311: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/06/14(火) 11:51:18.18 ID:yLJdS9+z0
>>310
司馬昭殿、ここは酒も美味くて女人も美しくてとても楽しいですから、蜀に帰りたいとはちっとも思いませぬハハハハハハ!
これだってどう考えても超絶有能だしな
司馬昭殿、ここは酒も美味くて女人も美しくてとても楽しいですから、蜀に帰りたいとはちっとも思いませぬハハハハハハ!
これだってどう考えても超絶有能だしな
315: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/06/16(木) 09:12:47.36 ID:9pkjfYbq0
>>311
現状に満足しててもう蜀なんて思い出さないってのは、蜀の降臣が謀反を警戒されないように振舞ってるエピソードだって見方もあるそうだしなあ
現状に満足しててもう蜀なんて思い出さないってのは、蜀の降臣が謀反を警戒されないように振舞ってるエピソードだって見方もあるそうだしなあ
319: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/06/18(土) 00:32:46.29 ID:u7Bt3xYA0
>>315
ふつーにこれな気がする。
前田家の誰かも似たようなことしてたような
ふつーにこれな気がする。
前田家の誰かも似たようなことしてたような
320: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/06/18(土) 07:51:18.60 ID:+i8tw0d20
>>319
まあそうだよね。無能なふりをしていただけなんだろうね。
馬鹿なら直ぐに処分されるし、ただ余りにも人畜無害だった。超絶アホなだけだったら面白い。
前田家の前田利常 だな。
まあそうだよね。無能なふりをしていただけなんだろうね。
馬鹿なら直ぐに処分されるし、ただ余りにも人畜無害だった。超絶アホなだけだったら面白い。
前田家の前田利常 だな。
316: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/06/16(木) 20:52:12.30 ID:oCAwyInt0
>>311
劉禅の隣で飲んでる劉淵「こいつアホじゃね?」
劉禅の隣で飲んでる劉淵「こいつアホじゃね?」
317: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/06/17(金) 07:57:34.47 ID:sMOvHECr0
劉禅と劉淵が同席するような機会があったのか?
318: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/06/18(土) 00:11:22.88 ID:wndmO2OY0
>>317
確か呉の紀陟と弘璆が司馬昭への使者として魏に赴いた時の宴会で司馬昭が劉禅と劉淵を同席させてた
確か呉の紀陟と弘璆が司馬昭への使者として魏に赴いた時の宴会で司馬昭が劉禅と劉淵を同席させてた
313: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/06/15(水) 01:48:57.04 ID:zuBoEvg/0
後主伝の内容の薄さから考えると無能エピはたくさんあるけど陳寿が残さなかったんだろう
後の歴史家は季漢王朝の内情なんて知らんから
後の歴史家は季漢王朝の内情なんて知らんから
369: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/09/14(水) 02:32:53.17 ID:u/KM2bix0
蜀は険しい地形に救われただけに過ぎない
むしろ、河があったとはいえ、あれほど長い国境線で魏に接していた呉があそこまで生き延びたことに驚く
むしろ、河があったとはいえ、あれほど長い国境線で魏に接していた呉があそこまで生き延びたことに驚く
371: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/09/17(土) 06:38:50.38 ID:6RSGavMk0
>>369
そりゃ単純な地形を除いた戦力は袁術や刀剣以下だもんね
だけどそれでも蜀にこもれば戦えるんだよね
そりゃ単純な地形を除いた戦力は袁術や刀剣以下だもんね
だけどそれでも蜀にこもれば戦えるんだよね
370: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/09/14(水) 16:30:17.34 ID:47guX12W0
呉も結構険しい地形なのよ
気候風土その他色々違うし
気候風土その他色々違うし
372: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/09/17(土) 10:11:02.03 ID:TF9YB7nb0
戦う必要すらない
ただこもっていれば安泰だったのに外征を繰り返して国を毀損した諸葛亮の罪は重い
ただこもっていれば安泰だったのに外征を繰り返して国を毀損した諸葛亮の罪は重い
373: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/09/18(日) 03:19:29.10 ID:PunZzlSW0
>>372
諸葛亮が漢中に拠点を移し、屯田で居住地域・農耕地を広げていき、一方、戦いでは手堅い戦い方で負けによる被害を抑えたため、むしろ益州の人口は増えたという説もある
外征で益州が疲弊したのは諸葛亮死後の姜維のせいだ
諸葛亮が漢中に拠点を移し、屯田で居住地域・農耕地を広げていき、一方、戦いでは手堅い戦い方で負けによる被害を抑えたため、むしろ益州の人口は増えたという説もある
外征で益州が疲弊したのは諸葛亮死後の姜維のせいだ
374: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/09/18(日) 10:29:00.44 ID:+PQeg0FP0
>>373
人口増は諸葛亮と魏延が涼州や雍州から強制連行してきたから増えただけだからね言っとくけど。
外征に反対してた黄皓、蔣琬、費イ、諸葛瞻らの思考の方がまとも
人口増は諸葛亮と魏延が涼州や雍州から強制連行してきたから増えただけだからね言っとくけど。
外征に反対してた黄皓、蔣琬、費イ、諸葛瞻らの思考の方がまとも
393: 名無しさん@お腹いっぱい。 2023/05/03(水) 18:30:25.86 ID:6T2+afq80
>>374
しかし夏侯淵他の漢中侵攻や張郃の巴西巴東侵攻で数十万人単位の住民が中原に強制連行されたのを考えると、諸葛亮や魏延が涼州雍州から強制連行しても現状回復には程遠い規模なので
しかし夏侯淵他の漢中侵攻や張郃の巴西巴東侵攻で数十万人単位の住民が中原に強制連行されたのを考えると、諸葛亮や魏延が涼州雍州から強制連行しても現状回復には程遠い規模なので
375: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/09/18(日) 23:31:24.08 ID:BJq7eqXK0
蔣琬は外征に反対してないよ
むしろ外征しようとして費イを初めたくさんの人間に反対にあった人間
むしろ外征しようとして費イを初めたくさんの人間に反対にあった人間
376: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/09/19(月) 08:26:57.62 ID:8Qhf7PVZ0
漢を名乗っている以上は外征じゃなくて反乱勢力の討伐という国内戦だからな
377: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/09/19(月) 13:13:01.34 ID:Tlg4ZW7E0
現実問題として魏を滅ぼすのは不可能
なぜなら後出し諸葛亮じゃないけど未来の情報を知った数多くの人間でも、こうすれば魏に勝てたってのはない
もしくは玉砕覚悟でワンチャンに賭けるしかない
だけどそれを言うと存在意義がなくなるから、やると言ってやらないのらりくらりのヒイのやり方が良かったのだが、そうすると暗殺された
蔣琬も事実上失脚させられたけど
なぜなら後出し諸葛亮じゃないけど未来の情報を知った数多くの人間でも、こうすれば魏に勝てたってのはない
もしくは玉砕覚悟でワンチャンに賭けるしかない
だけどそれを言うと存在意義がなくなるから、やると言ってやらないのらりくらりのヒイのやり方が良かったのだが、そうすると暗殺された
蔣琬も事実上失脚させられたけど
415: 名無しさん@お腹いっぱい。 2025/08/15(金) 02:02:31.05 ID:9LYWqWG80
ぶっちゃけ劉禅が無能っていうのは蜀びいきの人が作ったデマだよね。
当時の情勢考えたら、魏や呉と比べて国力なかった蜀が40年も存続できたのって劉禅がかなり有能だったからじゃん?
諸葛亮の死後も政治をちゃんと引き継いで、姜維の暴走にも歯止めをかけてたし、なにより国民を第一に考えてたからこそ平和な時代が続いたんだと思うわ。
当時の情勢考えたら、魏や呉と比べて国力なかった蜀が40年も存続できたのって劉禅がかなり有能だったからじゃん?
諸葛亮の死後も政治をちゃんと引き継いで、姜維の暴走にも歯止めをかけてたし、なにより国民を第一に考えてたからこそ平和な時代が続いたんだと思うわ。
421: 名無しさん@お腹いっぱい。 2025/08/23(土) 23:21:27.91 ID:Qh+6VBS/0
劉禅は深い思慮や強い意志はみられないけど、若いころは諸葛亮がいてくれて、寿命も長くて、宮殿作って財政を圧迫することもなければ、学問に傾倒して国政から離れることもなく、みだりに臣下を害することもなかったからな。
常に薄っすら無能だけど
常に薄っすら無能だけど
423: 名無しさん@お腹いっぱい。 2025/08/24(日) 12:29:32.80 ID:hhz62KQ60
>>421
そういうのは無能じゃなくて無為っていう
そういうのは無能じゃなくて無為っていう
427: 名無しさん@お腹いっぱい。 2025/08/24(日) 23:20:08.26 ID:fz9fKhiQ0
>>423
乱世の皇帝が無為なのは革命するほどじゃないだけで無能でしょ
乱世の皇帝が無為なのは革命するほどじゃないだけで無能でしょ
424: 名無しさん@お腹いっぱい。 2025/08/24(日) 13:12:14.91 ID:xm6vptur0
巴蜀漢中は劉邦の故地
他の地域の民や士大夫は漢室をオワコンと冷めた目で見ても、巴蜀漢中の民や士大夫は漢室を慕う気持ちが残っていて、劉禅がアホでも反逆心を持てなかったのだろう
他の地域の民や士大夫は漢室をオワコンと冷めた目で見ても、巴蜀漢中の民や士大夫は漢室を慕う気持ちが残っていて、劉禅がアホでも反逆心を持てなかったのだろう
425: 名無しさん@お腹いっぱい。 2025/08/24(日) 18:04:22.14 ID:hhz62KQ60
>>424
その漢中の住人は曹操が張魯を降伏させたあと北へ移住させた
周辺には漢族ではない少数の山岳民族がいたがこれもほとんど隴西周辺に移住させられた
巴蜀エリアは当時ベトナム方面との交流が盛んでこの人達と漢族の混血が割といたのではないかと推定されている
劉邦と劉備の繋がりに何かを感じるような人は蜀漢よりもむしろ中原、関中辺りに多かったと思うぞ
その漢中の住人は曹操が張魯を降伏させたあと北へ移住させた
周辺には漢族ではない少数の山岳民族がいたがこれもほとんど隴西周辺に移住させられた
巴蜀エリアは当時ベトナム方面との交流が盛んでこの人達と漢族の混血が割といたのではないかと推定されている
劉邦と劉備の繋がりに何かを感じるような人は蜀漢よりもむしろ中原、関中辺りに多かったと思うぞ
431: 名無しさん@お腹いっぱい。 2025/09/10(水) 12:35:07.40 ID:QP8L8e2P0
劉禅が治める蜀漢が40年も持った理由は、まず外部要因として蜀が地の利に恵まれ、守りやすかったことが挙げられる。三国志演義では無能扱いされがちな劉禅だが、実際は有能な家臣を適材適所に配置し、彼らに政治と軍事の大部分を任せるという優れた統治者だった。諸葛亮、蔣琬、費禕といった優秀な宰相が国政を担い、蜀漢の国力を維持した。
蜀のトップは劉禅だが、実際に政務を動かしていたのは彼らに代表される優秀な官僚たちだった。特に費禕は諸葛亮が築いた国力を維持しつつ、魏との不要な対立を避けることで、蜀漢の国力を温存した。彼ら賢臣に任せる「大局観」が劉禅にはあったと言える。
また、劉禅自身も平和主義者であり、無理な戦争を避け、国力の消耗を抑えたことも長期政権の要因だろう。要するに、劉禅は有能な部下に任せることで、かえって国を安定させた。無能に見えて、実は一番賢かったのが彼なのかもしれない。
蜀のトップは劉禅だが、実際に政務を動かしていたのは彼らに代表される優秀な官僚たちだった。特に費禕は諸葛亮が築いた国力を維持しつつ、魏との不要な対立を避けることで、蜀漢の国力を温存した。彼ら賢臣に任せる「大局観」が劉禅にはあったと言える。
また、劉禅自身も平和主義者であり、無理な戦争を避け、国力の消耗を抑えたことも長期政権の要因だろう。要するに、劉禅は有能な部下に任せることで、かえって国を安定させた。無能に見えて、実は一番賢かったのが彼なのかもしれない。
引用元: ・劉禅が治める蜀漢が40年持った理由を考察するスレ






