1: 人間七七四年 2024/11/21(木) 10:54:13.26 ID:TTSCp1NW
〇今川義元
桶狭間で一回負けただけで愚将扱い
〇北条氏政
先代より版図を広げたのに低評価
〇武田勝頼
善戦した長篠の合戦も大敗と歪曲されてしまう悲劇の武将
〇姉小路頼綱
誰にも不可能と言われた飛騨統一を成し遂げたのに何時まで経っても弱小と言われ続ける
〇徳川秀忠
関ケ原に遅参しただけで腹を切れなどと言われる酷い言われよう
桶狭間で一回負けただけで愚将扱い
〇北条氏政
先代より版図を広げたのに低評価
〇武田勝頼
善戦した長篠の合戦も大敗と歪曲されてしまう悲劇の武将
〇姉小路頼綱
誰にも不可能と言われた飛騨統一を成し遂げたのに何時まで経っても弱小と言われ続ける
〇徳川秀忠
関ケ原に遅参しただけで腹を切れなどと言われる酷い言われよう
41: 人間七七四年 2024/12/11(水) 00:59:40.11 ID:An4j+acL
見方によっては、徳川家康。
世界史水準の事蹟に比べて世間の評価は不当に低過ぎる。
世界史水準の事蹟に比べて世間の評価は不当に低過ぎる。
43: 人間七七四年 2024/12/11(水) 09:24:55.16 ID:x+dLTcE3
家康の評価が厳しくなりがちなのは、どうしても前任者の信長秀吉と比較されてしまうからだと思う。
45: 人間七七四年 2024/12/11(水) 10:55:34.39 ID:hnIrPqTZ
>>43
家康の功績は大したものだけど、地味で華やかさに欠けるから人気出にくいんだよな
家康の功績は大したものだけど、地味で華やかさに欠けるから人気出にくいんだよな
47: 人間七七四年 2024/12/11(水) 19:54:46.50 ID:o/WS9hD7
>>45
一族をむやみにぶっ殺したりしないことや、配下に大大名を作らないことなんか、地味だけど猿ではできない大切なことだよね
一族をむやみにぶっ殺したりしないことや、配下に大大名を作らないことなんか、地味だけど猿ではできない大切なことだよね
46: 人間七七四年 2024/12/11(水) 18:49:35.38 ID:dErmucli
統治体系や行政権力機構としての水準、その後の歴史実績、16世紀末から17世紀初頭に於ける同時代世界史的比較論、どれを取っても織田羽柴とは次元が違う。
軍記講談に由来する英雄史観の弊害なのか、恐らく徳川家康の真価を一番「解っていない」のは我々日本人ではないかと疑う。
軍記講談に由来する英雄史観の弊害なのか、恐らく徳川家康の真価を一番「解っていない」のは我々日本人ではないかと疑う。
51: 人間七七四年 2024/12/13(金) 07:33:50.28 ID:wRlpWGnw
家康が日本人に過小評価されてるのは、司馬遼太郎のせいかもしれんな。
52: 人間七七四年 2024/12/13(金) 13:15:35.87 ID:tmDtW2EH
家康は充分に評価されてると思う
低いのは大衆の人気
少数で勝利、逆転勝利、電撃戦勝利などがどうしても人気になるからね
低いのは大衆の人気
少数で勝利、逆転勝利、電撃戦勝利などがどうしても人気になるからね
53: 人間七七四年 2024/12/13(金) 15:23:37.71 ID:VTK2tHO2
三河平定戦、天正壬午の乱、小牧長久手
それなりにやってるんだけどな
それなりにやってるんだけどな
54: 人間七七四年 2024/12/13(金) 23:50:10.09 ID:d0ECzeqi
小山持政や長尾景仲を挙げたいが、彼らの全盛期はやっぱり永享ノ乱や結城合戦、即ち戦国時代前夜ということになるのかな。
享徳ノ乱でも高く評価すべき活動はしたものの、何やら老体に鞭打って「ヤレヤレ最後の御奉公になるかのうドッコイショ」という印象は否めない。
享徳ノ乱でも高く評価すべき活動はしたものの、何やら老体に鞭打って「ヤレヤレ最後の御奉公になるかのうドッコイショ」という印象は否めない。
60: 人間七七四年 2024/12/18(水) 06:45:18.72 ID:EzOGTc8u
天野藤秀。
家康を敗走させた実績の割には知名度と評価が低い悲しい武将
家康を敗走させた実績の割には知名度と評価が低い悲しい武将
天野 藤秀(あまの ふじひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。犬居城主。
元亀3年(1572年)10月に武田信玄による徳川領国への大規模侵攻が行われる(西上作戦)と、藤秀は武田氏に従属し嫡男・小四郎景康を甲府に人質として差し出した。その後は武田氏傘下の先方衆として徳川軍と戦い、天正2年(1574年)4月に犬居谷を徳川家康に攻められたが悪天候なども影響して良く防いだ。その後、退却する家康の軍勢を奇襲し総崩れにさせた。
元亀3年(1572年)10月に武田信玄による徳川領国への大規模侵攻が行われる(西上作戦)と、藤秀は武田氏に従属し嫡男・小四郎景康を甲府に人質として差し出した。その後は武田氏傘下の先方衆として徳川軍と戦い、天正2年(1574年)4月に犬居谷を徳川家康に攻められたが悪天候なども影響して良く防いだ。その後、退却する家康の軍勢を奇襲し総崩れにさせた。
61: 人間七七四年 2024/12/21(土) 01:53:21.53 ID:IZZepxbg
>>60
その範疇で語るなら、佐野昌綱と成田長泰も。
不敗の軍神(笑)上杉謙信は生涯僅か二敗のみ(生野山=北條氏康、臼井城=原胤貞)と俗伝されるが、史実に於いては佐野や成田に何回も敗北して潰走させられている。
北関東の国衆には知られざる驍将が多いがこの二人はその代表格だろう。
その範疇で語るなら、佐野昌綱と成田長泰も。
不敗の軍神(笑)上杉謙信は生涯僅か二敗のみ(生野山=北條氏康、臼井城=原胤貞)と俗伝されるが、史実に於いては佐野や成田に何回も敗北して潰走させられている。
北関東の国衆には知られざる驍将が多いがこの二人はその代表格だろう。
62: 人間七七四年 2024/12/21(土) 10:09:50.46 ID:mrIQ6PCA
佐野昌綱は傑物よね
佐野 昌綱(さの まさつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。佐野氏の第15代当主。唐沢山城主。
上杉謙信や後北条氏共々から唐沢山城を狙われたが、政戦両略に長け戦況を見定め降伏・離反を繰り返して時には唐沢山城を奪われつつも佐野家との命脈と唐沢山城支配を保った。
「幼年の頃より材智人に越え、勇力絶倫なり。成長の後、軍略に秀で、殊に鎗術に妙を得、仁恵ありて民をあわれみ、近隣の諸将と和し、管領家(上杉謙信)を尊び、無二の志をあらはされけり」という記述がある。『佐野記』
上杉謙信や後北条氏共々から唐沢山城を狙われたが、政戦両略に長け戦況を見定め降伏・離反を繰り返して時には唐沢山城を奪われつつも佐野家との命脈と唐沢山城支配を保った。
「幼年の頃より材智人に越え、勇力絶倫なり。成長の後、軍略に秀で、殊に鎗術に妙を得、仁恵ありて民をあわれみ、近隣の諸将と和し、管領家(上杉謙信)を尊び、無二の志をあらはされけり」という記述がある。『佐野記』
82: 人間七七四年 2025/01/15(水) 15:23:02.36 ID:pKYH95i3
>>62
宗綱も最後に大ポカやらかしたけど若年ながら積極的に動いて東関東衆を牽引していた手腕はなかなかのものだと思う
宗綱も最後に大ポカやらかしたけど若年ながら積極的に動いて東関東衆を牽引していた手腕はなかなかのものだと思う
65: 人間七七四年 2024/12/29(日) 06:06:12.09 ID:DRFUY4yz
籠城と守戦で評価されてるのは真田親子くらいだな
69: 人間七七四年 2024/12/29(日) 22:19:44.65 ID:iSc1LzgX
>>65
籠城と守戦で評価されてる成田長親
過小評価されてないね
籠城と守戦で評価されてる成田長親
過小評価されてないね
71: 人間七七四年 2024/12/29(日) 22:36:02.01 ID:CM01r1eO
>>69
籠城戦・守戦であまりにも当り前に知られ過ぎた故か「過小評価」(?)されているのは北條だな。
宗瑞から氏直まで五代、小田原城に攻囲軍を五回迎えて四回撃退(五回目に開城)した。
綱成の河越城、氏規の韮山城もある。
籠城戦・守戦であまりにも当り前に知られ過ぎた故か「過小評価」(?)されているのは北條だな。
宗瑞から氏直まで五代、小田原城に攻囲軍を五回迎えて四回撃退(五回目に開城)した。
綱成の河越城、氏規の韮山城もある。
67: 人間七七四年 2024/12/29(日) 20:30:04.31 ID:4zl2Vdhb
大河「天地人」に出番のなかった藤田信吉もそんなに知名度ないかも
藤田 信吉(ふじた のぶよし)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。下野西方藩初代藩主。
兄の用土重連が北条氏邦(藤田氏邦、康邦の養子)に謀殺されたことによりその跡を継いだ信吉は、はじめ用土氏・小野氏を名乗っていたが、天正8年(1580年)8月、旧知の間柄であったという武田家臣・真田昌幸の調略を受入れ北条氏から離反し、武田氏に沼田城を引き渡した。
天正10年(1582年)3月の武田氏滅亡後、他の上州国人と同様に織田氏の重臣・滝川一益に仕える。同年6月の本能寺の変の後、上杉方の長尾伊賀守に通じ、5千の兵で滝川益重麾下4千の兵の守る沼田城を攻めたて水曲輪の一つを乗っ取るも、一益が小幡、安中、和田、倉賀野、由良、長尾(館林)、内藤を従え2万の兵で北上した為、信吉は沼田城攻略を諦め、6月13日夜、泣く泣く越後に落ちていったという。
上杉景勝から越後長島城を与えられた信吉は、以降上杉家中で数々の武功を挙げていく。慶長3年(1598年)に上杉氏が会津に移封されると、景勝から越後津川城代として1万5,000石の所領を与えられた。
その後、景勝の後に越後に入封した堀秀治が、上杉に叛意有りと訴えたことで上杉と徳川の間で緊張が高まった。上洛して申し開きをせよと迫る家康に対し、上杉家の権臣・直江兼続は露骨に家康に敵対する姿勢を見せた。信吉は景勝に安易に挑発に乗らぬよう諫言するとともに、自らは大坂に赴いて家康に対して懸命に弁明して避戦に努めた。ところが、兼続が信吉は家康に買収されて内通していると讒言したため、信吉や大森城代の栗田国時ら避戦派は上杉家からの出奔を余儀なくされ、江戸の徳川秀忠の許に逃れた(国時は兼続の追っ手により殺害された)。
その後、信吉は京都の大徳寺に入って剃髪し、源心と号した。関ヶ原の戦いの後、信吉は家康に下野国西方に1万5,000石の所領を与えられたため、還俗して諱を重信と改めた。慶長7年(1602年)、佐竹義宣が常陸国水戸から出羽国秋田へ減移封されたとき、水戸城の接収を担当している。
大坂の陣にも従軍したが、慶長20年(1615年)の夏の陣後に改易された。
兄の用土重連が北条氏邦(藤田氏邦、康邦の養子)に謀殺されたことによりその跡を継いだ信吉は、はじめ用土氏・小野氏を名乗っていたが、天正8年(1580年)8月、旧知の間柄であったという武田家臣・真田昌幸の調略を受入れ北条氏から離反し、武田氏に沼田城を引き渡した。
天正10年(1582年)3月の武田氏滅亡後、他の上州国人と同様に織田氏の重臣・滝川一益に仕える。同年6月の本能寺の変の後、上杉方の長尾伊賀守に通じ、5千の兵で滝川益重麾下4千の兵の守る沼田城を攻めたて水曲輪の一つを乗っ取るも、一益が小幡、安中、和田、倉賀野、由良、長尾(館林)、内藤を従え2万の兵で北上した為、信吉は沼田城攻略を諦め、6月13日夜、泣く泣く越後に落ちていったという。
上杉景勝から越後長島城を与えられた信吉は、以降上杉家中で数々の武功を挙げていく。慶長3年(1598年)に上杉氏が会津に移封されると、景勝から越後津川城代として1万5,000石の所領を与えられた。
その後、景勝の後に越後に入封した堀秀治が、上杉に叛意有りと訴えたことで上杉と徳川の間で緊張が高まった。上洛して申し開きをせよと迫る家康に対し、上杉家の権臣・直江兼続は露骨に家康に敵対する姿勢を見せた。信吉は景勝に安易に挑発に乗らぬよう諫言するとともに、自らは大坂に赴いて家康に対して懸命に弁明して避戦に努めた。ところが、兼続が信吉は家康に買収されて内通していると讒言したため、信吉や大森城代の栗田国時ら避戦派は上杉家からの出奔を余儀なくされ、江戸の徳川秀忠の許に逃れた(国時は兼続の追っ手により殺害された)。
その後、信吉は京都の大徳寺に入って剃髪し、源心と号した。関ヶ原の戦いの後、信吉は家康に下野国西方に1万5,000石の所領を与えられたため、還俗して諱を重信と改めた。慶長7年(1602年)、佐竹義宣が常陸国水戸から出羽国秋田へ減移封されたとき、水戸城の接収を担当している。
大坂の陣にも従軍したが、慶長20年(1615年)の夏の陣後に改易された。
68: 人間七七四年 2024/12/29(日) 22:07:18.23 ID:74b3zMmo
実は結構やりてなんだが次代に繋がらずイマイチな評価になっちゃったな
上手く繋げてれば藤堂高虎みたいな評価も得られたかもしれんが
上手く繋げてれば藤堂高虎みたいな評価も得られたかもしれんが
70: 人間七七四年 2024/12/29(日) 22:31:43.23 ID:CM01r1eO
大勢力の狭間の生存闘争を生き抜く必要からか、国衆クラスにこそ過小評価に甘んじる隠れた名将が多いように思う。
藤田、佐野、成田などは典型。
大石も北條に乗っ取られたと思われがちだがむしろ北條を取り込んで強かに家運隆盛を果たしたのが実相。
自分の知識は関東に偏っているが、この手の隠れ名将は中国の大内陶尼子毛利の狭間辺りにも多くいそうに思われる。
あ、そもそも毛利がそういう存在か。
藤田、佐野、成田などは典型。
大石も北條に乗っ取られたと思われがちだがむしろ北條を取り込んで強かに家運隆盛を果たしたのが実相。
自分の知識は関東に偏っているが、この手の隠れ名将は中国の大内陶尼子毛利の狭間辺りにも多くいそうに思われる。
あ、そもそも毛利がそういう存在か。
72: 人間七七四年 2024/12/29(日) 22:37:55.87 ID:CM01r1eO
その北條の攻囲を向こうに回して四次に及ぶ籠城戦を闘い抜いた名将簗田晴助も知名度は低い方かな。
75: 人間七七四年 2024/12/30(月) 20:56:16.14 ID:Vqptl1wF
晴助のみならずその前の持助、政助、高助と併せて四代、関宿簗田は常に重要な役割を負って燻し銀の働きを続けた名将、名家と思うが、如何。
76: 人間七七四年 2024/12/31(火) 00:14:23.66 ID:9HBbn0tA
大勢力の思惑に翻弄されながら粘り強く奮戦を続けた、ひとかどの人物だと思いますよ、簗田晴助
語彙が貧しくてすみませんが……
語彙が貧しくてすみませんが……
94: 人間七七四年 2025/01/22(水) 00:10:51.42 ID:xNQJulwt
宇都宮成綱。
一昔前は過小評価の典型だったが最近はどうだろうか。
一昔前は過小評価の典型だったが最近はどうだろうか。
宇都宮 成綱(うつのみや しげつな)は、戦国時代の武将・戦国大名で、下野の宇都宮氏17代当主。
戦国時代初期に、室町時代から続く度重なる内乱、戦乱で没落した下野宇都宮氏を立て直し、支配体制、家臣団を再編する。佐竹氏の中興の祖と呼ばれている佐竹義舜や蘆名氏の中興の祖蘆名盛高、那須氏や長沼氏、岩城氏など近隣の大名と争い大きく勢力を伸ばし、北関東最大の勢力にまで成長させ、下野宇都宮氏の最盛期を築き上げた。また、下野宇都宮氏の戦国大名化に努めたため、宇都宮氏の中興の祖と呼ばれる。
戦国時代初期に、室町時代から続く度重なる内乱、戦乱で没落した下野宇都宮氏を立て直し、支配体制、家臣団を再編する。佐竹氏の中興の祖と呼ばれている佐竹義舜や蘆名氏の中興の祖蘆名盛高、那須氏や長沼氏、岩城氏など近隣の大名と争い大きく勢力を伸ばし、北関東最大の勢力にまで成長させ、下野宇都宮氏の最盛期を築き上げた。また、下野宇都宮氏の戦国大名化に努めたため、宇都宮氏の中興の祖と呼ばれる。
97: 人間七七四年 2025/01/28(火) 10:16:00.34 ID:Uj2+3QOH
宇都宮氏て最後まで北条の下野侵攻を抑えたのに何あの低評価
北条が征した下野なんて南西のほんの一部
むしろ北条がどこか遠征すると待ってましたと言わんばかりに動き出し遠征中断させてる厄介な存在
北条が長期遠征できないのも宇都宮や佐竹のせい
北条が征した下野なんて南西のほんの一部
むしろ北条がどこか遠征すると待ってましたと言わんばかりに動き出し遠征中断させてる厄介な存在
北条が長期遠征できないのも宇都宮や佐竹のせい
99: 人間七七四年 2025/01/29(水) 08:16:19.19 ID:J3REJGhC
>>97
東関東衆はあれだけ国力差があるのによく粘れたと思うわ
ジリ貧にはなっていたけどあんな中小大名の寄せ集め連合でよく崩壊しなかったなと
東関東衆はあれだけ国力差があるのによく粘れたと思うわ
ジリ貧にはなっていたけどあんな中小大名の寄せ集め連合でよく崩壊しなかったなと
100: 人間七七四年 2025/01/29(水) 23:32:10.56 ID:xrRi+xSJ
>>99
単独では北條に抗いようも無かったが、「東表衆」は意外と外交感覚が鋭い。
里見太田簗田と常に緊密な連携を保つ。
軍神様(笑)さえ都合よく使い捨てる。
同じく武田も使い捨てる。
織田にいち早く接触を図る。
北條が徳川と組んだと見るや羽柴と結ぶ。
結局、北條はそういう大構図に規定されて一度たりとも北東への進撃に専念できなかった。
単独では北條に抗いようも無かったが、「東表衆」は意外と外交感覚が鋭い。
里見太田簗田と常に緊密な連携を保つ。
軍神様(笑)さえ都合よく使い捨てる。
同じく武田も使い捨てる。
織田にいち早く接触を図る。
北條が徳川と組んだと見るや羽柴と結ぶ。
結局、北條はそういう大構図に規定されて一度たりとも北東への進撃に専念できなかった。
103: 人間七七四年 2025/05/07(水) 21:31:20.62 ID:0VDmi+GC
宇都宮氏に芳賀氏益子氏壬生氏……
あそこらは強烈な個性の持ち主が多すぎて魔境な印象……
あそこらは強烈な個性の持ち主が多すぎて魔境な印象……
104: 人間七七四年 2025/05/08(木) 10:15:09.77 ID:kh/SL3/2
芳賀高定は名将だよな
主君の宇都宮尚綱が那須佐竹連合軍と戦って討死し、その隙を突いて壬生綱房と芳賀高照が反旗を翻し宇都宮城を乗っ取り宇都宮家は滅亡寸前となったけど、高定は幼君の広綱を自分の城に匿って主君の仇である那須高資を謀殺し、芳賀高照を攻撃して自害させ壬生を宇都宮城から追い払って宇都宮家の復興を果たした
更に険悪だった佐竹と婚姻関係を結び逆に強固な同盟関係を築いた
この宇都宮と佐竹の蜜月によって強大な北条との戦いを生き抜く事が出来たと言っても過言ではないと思う
元々高定は益子家の出身だけど、芳賀宗家の家督は自分の子供などには継がせず反乱を起こした高照の弟である高継に返している点も高定の清廉さが感じられる
主君の宇都宮尚綱が那須佐竹連合軍と戦って討死し、その隙を突いて壬生綱房と芳賀高照が反旗を翻し宇都宮城を乗っ取り宇都宮家は滅亡寸前となったけど、高定は幼君の広綱を自分の城に匿って主君の仇である那須高資を謀殺し、芳賀高照を攻撃して自害させ壬生を宇都宮城から追い払って宇都宮家の復興を果たした
更に険悪だった佐竹と婚姻関係を結び逆に強固な同盟関係を築いた
この宇都宮と佐竹の蜜月によって強大な北条との戦いを生き抜く事が出来たと言っても過言ではないと思う
元々高定は益子家の出身だけど、芳賀宗家の家督は自分の子供などには継がせず反乱を起こした高照の弟である高継に返している点も高定の清廉さが感じられる
106: 人間七七四年 2025/05/09(金) 00:40:20.16 ID:rYgjdZg3
>>104
名前しか知らなかったんでニワカで恥ずかしいが wikipedia を当たってみた。
これはスレタイに相応しい武将だと納得した。
宇都宮には無二の忠臣、外に向かっては佐竹と北條を結び付ける政治力、これほどの人物が何故もっと語られないんだろう?
名前しか知らなかったんでニワカで恥ずかしいが wikipedia を当たってみた。
これはスレタイに相応しい武将だと納得した。
宇都宮には無二の忠臣、外に向かっては佐竹と北條を結び付ける政治力、これほどの人物が何故もっと語られないんだろう?
107: 人間七七四年 2025/05/09(金) 12:05:15.34 ID:6GjQnOtS
あそこらは織豊期の人物だけでも個性が濃くて……
謀略渦巻く下野英雄伝説が作れそう……
芳賀高定の父親(?)もまた有能且つエグくて
謀略渦巻く下野英雄伝説が作れそう……
芳賀高定の父親(?)もまた有能且つエグくて
110: 人間七七四年 2025/05/11(日) 22:41:41.59 ID:8A+so0L9
早死した織田信忠とか武田勝頼って実際どうなの?
豊臣秀頼は有能で家康がびびってたらしいが
豊臣秀頼は有能で家康がびびってたらしいが
111: 人間七七四年 2025/05/11(日) 23:16:28.36 ID:2wwCzgaX
>>110
早世の人を語りはじめたら徳川信康とか今川氏輝とか北条氏親とか武田義信とかいくらでもいるしどうとでも言えるからね
ちなみに武田勝頼は最近はちゃんと評価されてる
早世の人を語りはじめたら徳川信康とか今川氏輝とか北条氏親とか武田義信とかいくらでもいるしどうとでも言えるからね
ちなみに武田勝頼は最近はちゃんと評価されてる
112: 人間七七四年 2025/05/12(月) 10:16:09.62 ID:ZCCqv673
勝頼は北条と徳川のニ正面作戦でも一方的に押しまくっていた実績があるからな
信忠も何一つ失敗せずに上手く統率しているから有能だったのは間違いないだろう
秀頼は4歳で元服させられて5歳で家督を継いでいるけどこんな幼児じゃどうにもならない
少しはマシな判断が出来そうな年齢になった頃には既に天下は家康に簒奪されてしたし何もやりようがない
無能か有能かの判断は不可能
信忠も何一つ失敗せずに上手く統率しているから有能だったのは間違いないだろう
秀頼は4歳で元服させられて5歳で家督を継いでいるけどこんな幼児じゃどうにもならない
少しはマシな判断が出来そうな年齢になった頃には既に天下は家康に簒奪されてしたし何もやりようがない
無能か有能かの判断は不可能
113: 人間七七四年 2025/05/12(月) 10:53:49.27 ID:TRZbekrF
勝頼は武田の最大版図を築いたという評が度々出るが、領土を広げたとして、そこから得られる成果(領民の増加や作物の獲れ高の増加や税収の増加や金山銀山銅山からの収入等々)が実際に得られ武田の国力として反映されるには長い年月を要するし新たな領民の慰撫などの苦労も伴うので、「領土を広げた」という一事だけで勝頼を有能と評価する事には疑問が残る
それ以外の名前の出てる若干名については勝頼にも及ばない論外だが
それ以外の名前の出てる若干名については勝頼にも及ばない論外だが
114: 人間七七四年 2025/05/12(月) 11:48:02.99 ID:CDw+xdih
領地がどうこうより攻め続けるしか活路がない詰んでいる状況で有利に戦いを展開出来ていた勝頼は評価に値する
織田というもうどうにもならない圧倒的な敵さえいなければかなり飛躍出来ただろう
信玄と勝頼が逆だった方が武田にとっては良かった
織田というもうどうにもならない圧倒的な敵さえいなければかなり飛躍出来ただろう
信玄と勝頼が逆だった方が武田にとっては良かった
115: 人間七七四年 2025/05/12(月) 12:17:47.30 ID:mUuhe40P
武田勝頼は当時の人間からも高く評価されてる
勝頼sageの史料は穴山や小山田等旧武田家連中ばかりで自己保身の史料ばかりだ
勝頼はとにかくやることなす事裏目に出て憐れすぎる
当時からも酷い評価なのが今川氏真と山名豊国
だが二人とも長生きして家名は続くっていう皮肉
勝頼sageの史料は穴山や小山田等旧武田家連中ばかりで自己保身の史料ばかりだ
勝頼はとにかくやることなす事裏目に出て憐れすぎる
当時からも酷い評価なのが今川氏真と山名豊国
だが二人とも長生きして家名は続くっていう皮肉
117: 人間七七四年 2025/05/12(月) 20:37:34.24 ID:oE+vCQcK
重税に次ぐ重税で領民の人心や生活を犠牲にして得た戦果だろ
そんなジリ貧の自棄っぱちを遂行すれば他の大名だってそれなりの戦果を得たと思う
後が怖いので普通はやらないだけ
そんなジリ貧の自棄っぱちを遂行すれば他の大名だってそれなりの戦果を得たと思う
後が怖いので普通はやらないだけ
118: 人間七七四年 2025/05/12(月) 20:43:49.57 ID:DeO5L47P
勝頼は現場の指揮官としては優秀だけど大名としては駄目だろ
仮に取っても維持できない長篠城を目標にしたり、北条まで敵にして国力を無駄に浪費した事は擁護不可
仮に取っても維持できない長篠城を目標にしたり、北条まで敵にして国力を無駄に浪費した事は擁護不可
135: 人間七七四年 2025/05/13(火) 14:53:59.25 ID:nxF+hr5j
勝頼は先代からの負債がでかすぎて如何ともし難い中よくやったろ
どんなに有能で才能があり努力家であったとしてもここぞって時に運がないとどうしようも無い
どんなに有能で才能があり努力家であったとしてもここぞって時に運がないとどうしようも無い
144: 人間七七四年 2025/05/15(木) 20:50:18.73 ID:xH/HTOzu
秋田実季はどうだろう
年齢を考えれば年上の従兄弟や戸沢、南部、津軽から領地を守りきれたのは暁光と言っても過言じゃない
年齢を考えれば年上の従兄弟や戸沢、南部、津軽から領地を守りきれたのは暁光と言っても過言じゃない
秋田 実季(あきた さねすえ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。
当初、出羽国北部にあって秋田郡など下三郡地方を領し、豊臣秀吉から本領を安堵された。江戸幕府成立後は、常陸国茨城郡(茨城県中部)に封じられ、常陸宍戸藩の初代藩主となったが、晩年は不遇だった。
実季の帰依した若狭国小浜の羽賀寺に僧形像が残り、福井県の有形文化財(歴史資料)に指定されている。陸奥国三春には俗身で束帯姿の木像が残る。和歌や文筆、また、茶道にも優れた教養人であったといわれる。
当初、出羽国北部にあって秋田郡など下三郡地方を領し、豊臣秀吉から本領を安堵された。江戸幕府成立後は、常陸国茨城郡(茨城県中部)に封じられ、常陸宍戸藩の初代藩主となったが、晩年は不遇だった。
実季の帰依した若狭国小浜の羽賀寺に僧形像が残り、福井県の有形文化財(歴史資料)に指定されている。陸奥国三春には俗身で束帯姿の木像が残る。和歌や文筆、また、茶道にも優れた教養人であったといわれる。
146: 人間七七四年 2025/05/15(木) 23:37:47.39 ID:MvRsRhIE
>>144
よく惣無事違反で敵味方丸ごと潰されなかったな。
敵よりタチの悪い豊臣公儀をどう丸め込んだのか。
よく惣無事違反で敵味方丸ごと潰されなかったな。
敵よりタチの悪い豊臣公儀をどう丸め込んだのか。
147: 人間七七四年 2025/05/16(金) 07:09:33.71 ID:W/Uczxuc
その辺りは三成の頑張りかな
何だかんだ三成は有能だったから三成に取り次いで貰った大名は事なきを得ている
何だかんだ三成は有能だったから三成に取り次いで貰った大名は事なきを得ている
148: 人間七七四年 2025/05/28(水) 20:58:15.07 ID:O9ezCIIL
名前がおにくそ格好よくて、そんな理由で昔から覚えている神代勝利
敗れても都度、不死鳥のごとく蘇るのはただの武辺者には不可能な芸当
敗れても都度、不死鳥のごとく蘇るのはただの武辺者には不可能な芸当
149: 人間七七四年 2025/05/28(水) 21:14:32.01 ID:s/CPf8tn
>>148
少弐さんトコの人か…。
それだけでああ苦労したんだろうなと察しが付く。
少弐さんトコの人か…。
それだけでああ苦労したんだろうなと察しが付く。
151: 人間七七四年 2025/06/02(月) 16:58:42.86 ID:Jw83ejpz
佐竹義昭
佐竹義重はゲームの影響もあって関東武将の中ではそれなりに知名度があるけど、その父である義昭は敵対関係だった宇都宮氏や岩城氏と婚姻関係を結んで強固な同盟関係を築き、自立性が高く反抗的だった江戸氏や小野崎氏を再び傘下に戻して大掾氏や真壁氏なども取り込み、那須氏や小田氏も破って勢力を拡大した
義重、義宣の時代まで続く地盤は殆ど義昭が作ったと言っていい
しかも34歳で早世するまでの間に成し遂げているのだからかなりの人物であったと思う
佐竹義重はゲームの影響もあって関東武将の中ではそれなりに知名度があるけど、その父である義昭は敵対関係だった宇都宮氏や岩城氏と婚姻関係を結んで強固な同盟関係を築き、自立性が高く反抗的だった江戸氏や小野崎氏を再び傘下に戻して大掾氏や真壁氏なども取り込み、那須氏や小田氏も破って勢力を拡大した
義重、義宣の時代まで続く地盤は殆ど義昭が作ったと言っていい
しかも34歳で早世するまでの間に成し遂げているのだからかなりの人物であったと思う
152: 人間七七四年 2025/06/02(月) 18:39:38.28 ID:rfuGoxg3
義昭が長生きしたら北を義重、南を義昭と同時に拡大できて凄いことになっただろうな
153: 人間七七四年 2025/06/03(火) 13:32:02.48 ID:B/M6VOnP
いうほど過小評価されとるけ?
154: 人間七七四年 2025/06/03(火) 14:58:37.85 ID:VhYn91+W
過小評価というか知名度なくて評価すらされてないというか
引用元: ・不当に過小評価されている戦国武将








