1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/18(水) 20:03:49 ID:3ku5vPfM
北信濃の雄
武田信玄を2回も破った
武田信玄を2回も破った
村上 義清(むらかみ よしきよ)は、戦国時代の武将。北信濃の戦国大名。
信濃埴科郡葛尾城主で、武田晴信(のちの信玄)の侵攻を2度撃退するなどの武勇で知られ、家督相続時には佐久郡・埴科郡・小県郡・水内郡・高井郡など信濃の東部から北部を支配下に収め、村上氏の最盛期に当主となった。
武田信玄との抗争
海野平の戦いにより上野国に亡命していた真田幸綱は、晴信への家督交代後の武田家に仕官し、幸綱は村上勢の武将切り崩し、調略を行う。その結果、天文20年(1551年)には幸綱により砥石城が攻略される。砥石城の足軽大将・矢沢頼綱(幸綱の弟)が幸綱に内通していたためであった。これにより義清の影響力は一気に低下し、天文21年(1552年)の常田の戦いで勝利を収めるも、家臣団の動揺を抑えられなくなった。
天文22年(1553年)8月、村上義清は葛尾城を捨て、長尾景虎(上杉謙信)を頼って越後国に落ち延びた。北信濃の独立勢力であった村上氏の没落により、武田氏の勢力が越後長尾氏の本拠春日山城に近い善光寺平にまで及んだ。これにより川中島の戦いに続くこととなった。
元亀4年(1573年)1月1日、村上義清は越後根知城にて病死した。享年73。
信濃埴科郡葛尾城主で、武田晴信(のちの信玄)の侵攻を2度撃退するなどの武勇で知られ、家督相続時には佐久郡・埴科郡・小県郡・水内郡・高井郡など信濃の東部から北部を支配下に収め、村上氏の最盛期に当主となった。
武田信玄との抗争
海野平の戦いにより上野国に亡命していた真田幸綱は、晴信への家督交代後の武田家に仕官し、幸綱は村上勢の武将切り崩し、調略を行う。その結果、天文20年(1551年)には幸綱により砥石城が攻略される。砥石城の足軽大将・矢沢頼綱(幸綱の弟)が幸綱に内通していたためであった。これにより義清の影響力は一気に低下し、天文21年(1552年)の常田の戦いで勝利を収めるも、家臣団の動揺を抑えられなくなった。
天文22年(1553年)8月、村上義清は葛尾城を捨て、長尾景虎(上杉謙信)を頼って越後国に落ち延びた。北信濃の独立勢力であった村上氏の没落により、武田氏の勢力が越後長尾氏の本拠春日山城に近い善光寺平にまで及んだ。これにより川中島の戦いに続くこととなった。
元亀4年(1573年)1月1日、村上義清は越後根知城にて病死した。享年73。
5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/18(水) 22:50:31 ID:3hJienYj
武田軍撃退なら、長野の爺さんの方が凄いじゃん。
8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/20(金) 01:04:36 ID:QYSOeoLg
晴信の親父と同世代で、戦経験も豊富だから、晴信が負けても仕方がない相手ではある。
9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/22(日) 21:59:41 ID:wPTo0OGg
武勇は大したものだが謀略面で真田にしてやられたね
でもまあ、上杉家でも一武将として重宝されたし
でもまあ、上杉家でも一武将として重宝されたし
14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/13(月) 14:47:03 ID:U/t3HkPL
>>9
武田信虎と組んで真田を信濃から追い出した村上に、遅まきながらも意趣返しをしたってことか。
武田信虎と組んで真田を信濃から追い出した村上に、遅まきながらも意趣返しをしたってことか。
13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/13(月) 12:31:58 ID:EcDSniIB
肝心な村上義清データがないので。
村上氏は清和源氏の源頼信の孫、顕清が平安末期に信濃国更級郡村上郷に配流され、その子の為国が村上氏を名乗ったのが始まり。
義清の代には北信濃五郡と佐久郡の一部、中信濃まで支配下にしていた。
武田氏に並んでも劣らない名族出身だから対等意識を持ち、誇りもあったからあくまでも武田氏を信州への侵略者として戦ったんだと思う。
なるほど、頑固そうなおっさんだなとゲームしてて思ったwww
村上氏は清和源氏の源頼信の孫、顕清が平安末期に信濃国更級郡村上郷に配流され、その子の為国が村上氏を名乗ったのが始まり。
義清の代には北信濃五郡と佐久郡の一部、中信濃まで支配下にしていた。
武田氏に並んでも劣らない名族出身だから対等意識を持ち、誇りもあったからあくまでも武田氏を信州への侵略者として戦ったんだと思う。
なるほど、頑固そうなおっさんだなとゲームしてて思ったwww
15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/15(水) 00:51:11 ID:7wBB+ZSG
義清の子孫はどうなったんでしょうか?
海津城に国清が入城した後、屋代氏が出奔
責任をとってどうのこうので没落していったらしいけど
海津城に国清が入城した後、屋代氏が出奔
責任をとってどうのこうので没落していったらしいけど
16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/15(水) 01:43:44 ID:uwG6CHe9
屋代氏の内応事件で領地召し上げ
この時点で一族郎党は離散して国清の元に残ったのは僅か2人と言われるから、恐らく国清も疑われて幽閉されたか軟禁されてたように思われる
その後許されて会津転封の際は6500石賜っている
しかしその後は完全に消息不明
上杉家中で最大勢力を持ち、その後没落したと言え6500石で城代を勤めた重臣である事には違いない
これだけの家が消息を絶つとは非常に不可解である
なにか陰謀めいたものを感じる
没落後は村上姓も捨てて山浦を名乗ったように家中での立場は良くなかったようだ
単に無嗣断絶かもしれない
もっとも国清の子孫を名乗る村上氏が水戸藩士にいるが信憑性に薄い
いずれにせよ国清と信濃村上家がどうなったか一切不明である
この時点で一族郎党は離散して国清の元に残ったのは僅か2人と言われるから、恐らく国清も疑われて幽閉されたか軟禁されてたように思われる
その後許されて会津転封の際は6500石賜っている
しかしその後は完全に消息不明
上杉家中で最大勢力を持ち、その後没落したと言え6500石で城代を勤めた重臣である事には違いない
これだけの家が消息を絶つとは非常に不可解である
なにか陰謀めいたものを感じる
没落後は村上姓も捨てて山浦を名乗ったように家中での立場は良くなかったようだ
単に無嗣断絶かもしれない
もっとも国清の子孫を名乗る村上氏が水戸藩士にいるが信憑性に薄い
いずれにせよ国清と信濃村上家がどうなったか一切不明である
784: 人間七七四年 2016/01/29(金) 05:18:25.99 ID:JFegIf2B
しかし義清さんは上杉に移ってからパッとしなくなった。
絶頂期は真田幸隆を追放し、信玄を二度も破ったというのに
実績からすると柿崎とツートップを張ってもよいと思うのだけどね。
絶頂期は真田幸隆を追放し、信玄を二度も破ったというのに
実績からすると柿崎とツートップを張ってもよいと思うのだけどね。
791: 人間七七四年 2016/03/08(火) 07:14:24.73 ID:JSODAv52
>>784
もういい年だったからだろ
息子の国清は上杉家の家臣よりも禄高高くて別格扱いじゃん
もういい年だったからだろ
息子の国清は上杉家の家臣よりも禄高高くて別格扱いじゃん
786: 人間七七四年 2016/01/29(金) 23:42:48.01 ID:prM2ty0o
上杉軍じゃ謙信に次ぐ存在感だろ
787: 人間七七四年 2016/01/30(土) 00:49:30.80 ID:noOd+Eom
謙信のお気に入り武将
信玄を破ってるだけあってかなり買ってるよね
信玄を破ってるだけあってかなり買ってるよね
793: 人間七七四年 2016/06/14(火) 22:06:36.99 ID:r7f6KPCv
日滝寺の墓所行ったことある人いる?
794: 人間七七四年 2016/08/06(土) 05:13:11.26 ID:FtNYatX0
須田氏の城があったところだよね
795: 人間七七四年 2016/08/11(木) 03:16:32.11 ID:wqJtq6Hf
新潟じゃないんだな
799: 人間七七四年 2017/04/04(火) 17:47:18.56 ID:vhb+0AEZ
村上義清が城主を勤めた根知城てすごい辺鄙な所にあるな
ほんとに重用されてたんか?
ほんとに重用されてたんか?
810: 人間七七四年 2018/11/04(日) 20:33:40.85 ID:twURYM/9
>>799
鉄が掘って出ても燃料が無くては打てない
打てても砥石が無かったら研げない
魚が獲れても木が生えてても稲が育っても、その鉄で作った道具が無ければ簡単にさばけない。
もちろん刀も槍も作れない
石高だけで国力の話になることが多いけど、その石高も様々な要素のある土地を手に入れ総合的な経済力を手に入れた結果でもあると思う
平和な時代に経済規模の大きな街の真ん中に城を構えて治めるのとは訳が違う。
人の往来、物流の要衝をおさえるのが重要なのかなと思う。
旧本拠の坂城も一見辺鄙に見えるけど、長野上田松本諏訪の人とモノの動きをおさえるにはかなり要になるとこだったんでは。。
根知もしかり
鉄が掘って出ても燃料が無くては打てない
打てても砥石が無かったら研げない
魚が獲れても木が生えてても稲が育っても、その鉄で作った道具が無ければ簡単にさばけない。
もちろん刀も槍も作れない
石高だけで国力の話になることが多いけど、その石高も様々な要素のある土地を手に入れ総合的な経済力を手に入れた結果でもあると思う
平和な時代に経済規模の大きな街の真ん中に城を構えて治めるのとは訳が違う。
人の往来、物流の要衝をおさえるのが重要なのかなと思う。
旧本拠の坂城も一見辺鄙に見えるけど、長野上田松本諏訪の人とモノの動きをおさえるにはかなり要になるとこだったんでは。。
根知もしかり
804: 人間七七四年 2018/06/24(日) 08:11:51.80 ID:vtJwITcD
村上義利・・・・川中島合戦で討死
村上義勝・・・・子に勝重。勝重は家康配下を経て榊原康政に仕える。
村上義照・・・・後に僧籍となり善誉故念と号したという。
村上義邦・・・・村上義清の四男といわれている。
山浦国清・・・・父とともに上杉へ
村上義勝・・・・子に勝重。勝重は家康配下を経て榊原康政に仕える。
村上義照・・・・後に僧籍となり善誉故念と号したという。
村上義邦・・・・村上義清の四男といわれている。
山浦国清・・・・父とともに上杉へ
805: 人間七七四年 2018/06/24(日) 23:20:22.51 ID:RsD3pCs/
村上義清も一筋縄では行かないんだよな。
小笠原や大井や諏訪とは違うよ
小笠原や大井や諏訪とは違うよ
806: 人間七七四年 2018/06/25(月) 19:05:36.92 ID:LIk452EQ
村上義清の次男もしくは孫を自称していた村上義明は無関係なのか
812: 人間七七四年 2018/11/24(土) 17:24:18.24 ID:lEvPbSvv
幕末期に松代藩医だった『村上英俊』さん
妹さんが藩主真田家に嫁ぎ九代幸教さんの母
出が下野国佐久山の本陣か旅籠ということなので、代々真田に仕えた家では無いようですが、佐久山の北すぐの奥州白河などには上杉時代に国清さんがいたこともあったそうなので、国清さんや幸清さんに繋がる家なのでしょうか?
東京青山霊園にある英俊さんの墓地には㊤紋もあり、本名も『義』の字が入る義茂さんだそう
妹さんが藩主真田家に嫁ぎ九代幸教さんの母
出が下野国佐久山の本陣か旅籠ということなので、代々真田に仕えた家では無いようですが、佐久山の北すぐの奥州白河などには上杉時代に国清さんがいたこともあったそうなので、国清さんや幸清さんに繋がる家なのでしょうか?
東京青山霊園にある英俊さんの墓地には㊤紋もあり、本名も『義』の字が入る義茂さんだそう
814: 人間七七四年 2019/01/20(日) 23:15:24.90 ID:QXNhPmsq
埴科郡→村上と小県郡→真田は隣同士でも近くて遠い存在?地元の人はどうなのかな。
815: 人間七七四年 2019/02/21(木) 22:20:25.60 ID:hx3QiZGH
>>814
村上→埴科、更級、小県西部、高井水内南部の盟主的存在
真田→小県の一部の国人
変則的下克上??で逆転
そこらへんもふくめてどう感じてるのかきになる
村上→埴科、更級、小県西部、高井水内南部の盟主的存在
真田→小県の一部の国人
変則的下克上??で逆転
そこらへんもふくめてどう感じてるのかきになる
818: 人間七七四年 2019/06/19(水) 09:22:24.34 ID:C0JHjd1k
>>815
上田市でも旧・真田町の一部地域(金剛寺・傍陽・曲尾)等は村上氏を慕う人がいるとか。
毎年11月3日には砥石・米山城跡まつりをやってる。
上田市内の一部公共施設の人間は村上氏の話をするとタブー視するところもある。
上田市でも旧・真田町の一部地域(金剛寺・傍陽・曲尾)等は村上氏を慕う人がいるとか。
毎年11月3日には砥石・米山城跡まつりをやってる。
上田市内の一部公共施設の人間は村上氏の話をするとタブー視するところもある。
823: 人間七七四年 2019/07/27(土) 19:33:08.73 ID:s4+JZPyC
>>818
真田推しの上田市で市の公共施設の室賀温泉ささらの湯の暖簾に、室賀氏(村上氏)の㊤が描かれていてちょっと意外に思ったけど嬉しくもあった
真田推しの上田市で市の公共施設の室賀温泉ささらの湯の暖簾に、室賀氏(村上氏)の㊤が描かれていてちょっと意外に思ったけど嬉しくもあった
819: 人間七七四年 2019/06/19(水) 10:41:49.00 ID:Q/XWOMwu
村上で手間取ったのは仕方ないにしろその後の対上杉戦がマジで時間の無駄だったな
第二次川中島の講和条件で国境画定してれば上杉とはそのまま安定した国境保てたんじゃないか?
いざとなれば上杉と組んで北条潰してもいいし
第二次川中島の講和条件で国境画定してれば上杉とはそのまま安定した国境保てたんじゃないか?
いざとなれば上杉と組んで北条潰してもいいし
820: 人間七七四年 2019/06/19(水) 13:42:39.11 ID:R/rfsV17
>>819
信玄にそんな戦略眼期待は無理。
目先だけしか頭にない。
信玄にそんな戦略眼期待は無理。
目先だけしか頭にない。
821: 人間七七四年 2019/06/19(水) 13:46:30.32 ID:aYCSnNet
当時の信玄から見れば謙信が一番イージーに見えたんじゃない
港が欲しかったし
信玄は一番弱いところをハイエナする癖があるから
まともに戦っちゃいけない相手だと気がつくまで4回かかった
信長が甲斐に生まれてたら謙信と馬鹿正直にぶつかるような真似しないだろうね
港が欲しかったし
信玄は一番弱いところをハイエナする癖があるから
まともに戦っちゃいけない相手だと気がつくまで4回かかった
信長が甲斐に生まれてたら謙信と馬鹿正直にぶつかるような真似しないだろうね
822: 人間七七四年 2019/06/19(水) 15:04:21.22 ID:Q/XWOMwu
確かに義元の生きてる今川や北条と比べて、謙信の家臣団は一枚岩とは言えないし調略も結構成功してたから甘く見たかもな
825: 人間七七四年 2019/08/11(日) 09:03:08.26 ID:zubf/srq
>>822
本当は甲斐国は太平洋側の方が近いので海に出るにはそっちなんだろうけど、北条今川が磐石で国人が纏まってなかった信濃国を狙い目にして侵略に成功。でも越後国の長尾景虎が予想以上に強く日本海に出れず。
本当は甲斐国は太平洋側の方が近いので海に出るにはそっちなんだろうけど、北条今川が磐石で国人が纏まってなかった信濃国を狙い目にして侵略に成功。でも越後国の長尾景虎が予想以上に強く日本海に出れず。
826: 人間七七四年 2019/08/11(日) 22:34:43.85 ID:tAA8LKPY
結果論ではあるがあの時点では美濃入りが正解だったな
西回り航路で栄えていた上越が欲しかったのは分かるが
西回り航路で栄えていた上越が欲しかったのは分かるが
827: 人間七七四年 2019/08/12(月) 06:14:34.38 ID:o9WjDesr
海に出たいのに美濃なんか行ってどうするんだよ。
828: 人間七七四年 2019/08/12(月) 08:21:35.19 ID:SkUsx6Q7
美濃から近江、越前ってことじゃないの?
近江を抑えれば京や堺にも出やすくなるし
近江を抑えれば京や堺にも出やすくなるし
830: 人間七七四年 2019/10/22(火) 07:56:38.09 ID:TgV8Uqep
福沢諭吉と夏目漱石
信濃村上氏流の裔なのね
信濃村上氏流の裔なのね
834: 人間七七四年 2019/12/29(日) 15:57:15.33 ID:Kl//Urcp
835: 人間七七四年 2019/12/29(日) 15:58:02.29 ID:Kl//Urcp
村上義清だった
836: 人間七七四年 2019/12/29(日) 17:41:21.97 ID:RodKsOy0
>>835
国清さんが上杉氏の米沢移封時に同行せず西に向かい、三河にも滞在していたことがあり信仰していた牛頭天王を勧請し云々。。
とどこかで見た気がする
国清さんが上杉氏の米沢移封時に同行せず西に向かい、三河にも滞在していたことがあり信仰していた牛頭天王を勧請し云々。。
とどこかで見た気がする
838: 人間七七四年 2020/02/19(水) 17:06:12.24 ID:/rdbNjeH
ほんっとに
国清氏ってどこいったの?
国清氏ってどこいったの?
839: 人間七七四年 2020/02/20(木) 13:38:07.46 ID:X4xJi6e2
>>838
上杉家の取次役になって晩年は京都伏見でなくなってる。
息子の幸清は上杉家の会津移転後一年後に上杉家を離れ本多忠勝の元へ預かりになった。
上杉家の取次役になって晩年は京都伏見でなくなってる。
息子の幸清は上杉家の会津移転後一年後に上杉家を離れ本多忠勝の元へ預かりになった。
844: 人間七七四年 2020/04/20(月) 09:41:37.38 ID:hl8qhnH+
>>839
真田と縁が深い本多忠勝ってとこが気になる
真田の通字『幸』が入っているのも気になる
真田と縁が深い本多忠勝ってとこが気になる
真田の通字『幸』が入っているのも気になる
846: 人間七七四年 2020/04/20(月) 22:47:29.52 ID:cqA+JMrQ
>>844
幸清は1610年に忠勝が亡くなって真田信之に仕えて軍役も与えられた。
幸清の子・義豊は大名取立を願い出たが叶わず1658年に村上氏旧臣子孫の要請もあり坂城町(当時は越後高田藩の飛び地)に戻ってきた。
幸清は1610年に忠勝が亡くなって真田信之に仕えて軍役も与えられた。
幸清の子・義豊は大名取立を願い出たが叶わず1658年に村上氏旧臣子孫の要請もあり坂城町(当時は越後高田藩の飛び地)に戻ってきた。
849: 人間七七四年 2020/08/10(月) 12:46:31.48 ID:kZid0T04
越後村上藩初代藩主・村上頼勝は、『断家譜』において村上義清の娘と戸田武蔵守氏繁
(氏繁は羽柴四天王・戸田勝隆の諱。武蔵守は関ヶ原で奮戦した弟・戸田勝成の官位)の子であり、外祖父である義清の養子に入ったものとされている。
また2代目藩主村上忠勝は、戸田勝成の子・戸田内記と村上頼勝の娘の子とも言われている。
(氏繁は羽柴四天王・戸田勝隆の諱。武蔵守は関ヶ原で奮戦した弟・戸田勝成の官位)の子であり、外祖父である義清の養子に入ったものとされている。
また2代目藩主村上忠勝は、戸田勝成の子・戸田内記と村上頼勝の娘の子とも言われている。
850: 人間七七四年 2020/08/10(月) 13:33:14.41 ID:kZid0T04
ちなみに村上忠勝は豊臣系大名で松平忠輝に親しく金山も持っていたため、幕府ににらまれて改易され、丹波篠山に流されてしまった
流罪後は、村の子に読み書き算数を教えて細々と暮らしていたことから、墓所である法昌寺にある忠勝の木像は「学問の神様」として地元の人に拝まれている
信濃村上氏の血筋に美濃戸田氏の血が入り、越前・越後と移って丹波篠山で学問の神様になるという浪漫
流罪後は、村の子に読み書き算数を教えて細々と暮らしていたことから、墓所である法昌寺にある忠勝の木像は「学問の神様」として地元の人に拝まれている
信濃村上氏の血筋に美濃戸田氏の血が入り、越前・越後と移って丹波篠山で学問の神様になるという浪漫
引用元: ・村上義清






砥石城落城で求心力を失い、騙し討ちで麾下の精兵500を失い
信濃を追われた幸隆の恨みは想像以上に深かったのかもしれん