1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/03(土) 00:48:20 ID:S2U5HoWV0
何かと失策が目立つ彼ですが、一時は袁紹と共に最大勢力の一つでした。
陛下について語ってみましょう。
陛下について語ってみましょう。
2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/03(土) 00:49:06 ID:l3uP2+b80
何で国号を成にしたのか問い詰めたい
10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/06(火) 10:48:00 ID:Btva4Cor0
成はコーエーの嘘
仲氏と称したんだから国名は仲である可能性が高い
仲氏と称したんだから国名は仲である可能性が高い
7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/04(日) 23:20:07 ID:raJQyOme0
劉虞擁立に反対しておいて、自分が皇帝なるとかバカかと
8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/04(日) 23:29:17 ID:X6vs+Uuq0
せめて中原ぐらいは統一してから、皇帝になって欲しかったな。
あの時点での即位は、早すぎるだろう。
あの時点での即位は、早すぎるだろう。
10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/06(火) 10:48:00 ID:Btva4Cor0
>>8
早過ぎない
あのタイミングで即位しなければ漢帝からの逆賊認定で名声が地に落ち勢力崩壊
むしろちょっと遅いくらいだな
早過ぎない
あのタイミングで即位しなければ漢帝からの逆賊認定で名声が地に落ち勢力崩壊
むしろちょっと遅いくらいだな
11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/06(火) 11:37:40 ID:nHZ+v/Yg0
やっぱ皇帝を僭称するのって周囲からは反感買うもんなん?
12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/13(火) 15:17:02 ID:0a13yIQF0
そりゃあそうでしょ。
何せ途中断絶も含めたら400年も続いた漢朝だし、神聖不可侵とまではいかなくても、相当な権威が確立している。
何せ途中断絶も含めたら400年も続いた漢朝だし、神聖不可侵とまではいかなくても、相当な権威が確立している。
13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/14(水) 15:36:56 ID:Q9v0aX9LO
皇帝を名乗るってことは漢に対する反乱なわけだから、他の群雄としては遺憾の意を表明しなきゃならんだろ。本音はどうであれ。
14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/27(火) 22:19:06 ID:ZtyCdL9v0
創業者に相当なカリスマ性がないと、王朝の創業は難しいわな。
15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/29(木) 08:21:46 ID:qz8iYDJKO
曹丕ですら禅譲って方法をとったのに、儒教道徳に反したやり方で周りが付いてくるとは思えない
23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/15(火) 23:57:07 ID:B/sbqid20
袁氏って名門だけど、経済面での財力もやはりすごかったのかな?
26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/02(月) 23:46:22 ID:3EGqbRT20
>>23
南陽郡はわりと豊かな地方だったようだから、そこそこじゃない。
だけど、イメージ的には、袁氏が名門としての声望なのに対して、曹操は祖父の代からの財力って感じ。
南陽郡はわりと豊かな地方だったようだから、そこそこじゃない。
だけど、イメージ的には、袁氏が名門としての声望なのに対して、曹操は祖父の代からの財力って感じ。
27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/03(火) 00:27:19 ID:dXSfeOgf0
>>26
袁氏の本拠地は汝南なので南陽とはちょっと違う。
荘園収入もあるし、高位高官に派閥の人間を送ってるから金銭的には非常に有利な立場にあったとは思うけど。
南陽は袁術が居座っただけ。
後、袁氏自身もそれほど歴史が長くはないんだよな。
というか、新しいタイプの名門だからなんだけど。
それまでの名門ってのは古代天子・諸侯の子孫や孔子なんかの子孫、漢の建国の功臣の末裔だけど、氏族としての実態は問わないから。
三国時代頃を境に「名門」というものが指す実態が変わってくるからちょっと厄介だけどね。
袁氏の本拠地は汝南なので南陽とはちょっと違う。
荘園収入もあるし、高位高官に派閥の人間を送ってるから金銭的には非常に有利な立場にあったとは思うけど。
南陽は袁術が居座っただけ。
後、袁氏自身もそれほど歴史が長くはないんだよな。
というか、新しいタイプの名門だからなんだけど。
それまでの名門ってのは古代天子・諸侯の子孫や孔子なんかの子孫、漢の建国の功臣の末裔だけど、氏族としての実態は問わないから。
三国時代頃を境に「名門」というものが指す実態が変わってくるからちょっと厄介だけどね。
28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/03(火) 11:26:25 ID:S0iVFhuR0
袁氏もなんだかんだで濁流たる宦官勢力と結んで、力を伸ばした一族だからね。
32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/12(木) 02:55:50 ID:SgPqzkSd0
袁術って別に弱くも馬鹿でも無いよな?
相手が更に強くて賢かっただけで
相手が更に強くて賢かっただけで
33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/13(金) 20:17:08 ID:hDZ01Fc80
>>32
内政手腕に問題があるが、馬鹿ではないと思う
内政手腕に問題があるが、馬鹿ではないと思う
34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/13(金) 20:23:12 ID:Sqwy/epl0
>>33
そんなに内政手腕に問題があるようにも思えないが…。
そんなに内政手腕に問題があるようにも思えないが…。
35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/13(金) 20:28:56 ID:hDZ01Fc80
>>34
南陽の疲弊具合からしてあまり良い内政をしていたとは思えない。
根拠はそれくらいだから、俺の勝手な解釈だと考えてもらって構わない
南陽の疲弊具合からしてあまり良い内政をしていたとは思えない。
根拠はそれくらいだから、俺の勝手な解釈だと考えてもらって構わない
36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/13(金) 20:34:34 ID:Sqwy/epl0
南陽は後に曹操が重い軍役を課して、侯音っていう南陽人が反乱起こすほど搾取されてた土地だからな。
また、南陽を圧迫する直前に同じく南陽人の豪族・婁圭が曹操に処刑されている。
南陽から搾取する際に邪魔になる存在として始末されたのかもしれない。
結論:どうも南陽を荒らしたのは曹操で、袁術は責任を押し付けられただけくさい。
まあ、これも俺の勝手な解釈だけど。
また、南陽を圧迫する直前に同じく南陽人の豪族・婁圭が曹操に処刑されている。
南陽から搾取する際に邪魔になる存在として始末されたのかもしれない。
結論:どうも南陽を荒らしたのは曹操で、袁術は責任を押し付けられただけくさい。
まあ、これも俺の勝手な解釈だけど。
38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/13(金) 21:55:23 ID:E8+0XpTq0
淮南も袁術に搾取されてたぞ
39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/13(金) 22:03:42 ID:zfzF8q2F0
淮南はもっとひでーよ。
曹操によって民衆が根こそぎ強制移住させられてる。
やっぱりコレも「曹操が荒らしたのか袁術が荒らしたのかワカンネ」。
でもって淮南が「本拠地」だった袁術と、本拠が別にあって淮南は「地方領地」に過ぎない曹操。
どちらが遠慮なく搾取できるかというと……うーん。
曹操によって民衆が根こそぎ強制移住させられてる。
やっぱりコレも「曹操が荒らしたのか袁術が荒らしたのかワカンネ」。
でもって淮南が「本拠地」だった袁術と、本拠が別にあって淮南は「地方領地」に過ぎない曹操。
どちらが遠慮なく搾取できるかというと……うーん。
58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/11(火) 15:03:52 ID:Tlql9MW40
南陽近辺って、漢代には最も富裕な地域だったのかな。
江南はまだ未開の地だったわけだし。
江南はまだ未開の地だったわけだし。
59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/11(火) 21:03:48 ID:r4/oouYo0
240万人いたっていうからね
http://www.weblio.jp/content/%E5%8D%97%E9%99%BD
でも黄巾が荒らしたから疲弊してるし、袁術が荊州中の兵を集めて董卓討とうとしたら劉表に後方占領されて補給止められて、南陽だけで荊州中の兵を養わなきゃならないはめになったからだいぶ苦しかったはず
http://www.weblio.jp/content/%E5%8D%97%E9%99%BD
でも黄巾が荒らしたから疲弊してるし、袁術が荊州中の兵を集めて董卓討とうとしたら劉表に後方占領されて補給止められて、南陽だけで荊州中の兵を養わなきゃならないはめになったからだいぶ苦しかったはず
60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/11(火) 21:14:30 ID:r4/oouYo0
南陽太守だけで賄賂数十億銭手に入るってのもすごいよね
http://www.weblio.jp/content/%E5%BE%90%E7%92%86
http://www.weblio.jp/content/%E5%BE%90%E7%92%86
54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/05(水) 18:59:58 ID:i3SBxovR0
袁術も最初は曹操嫌いだったわけじゃないよね
誤情報だけど曹操が死んだって家族に教えに行ってあげてるし
誤情報だけど曹操が死んだって家族に教えに行ってあげてるし
55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/06(木) 18:17:39 ID:T9e1uTli0
袁術は人を見る目が無かったんでしょうか?
56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/11(火) 00:29:28 ID:yUJeDMlc0
>>55
陳瑀とか見るとそうだね
でも魯粛とか見出しても断られてるし人望がいまいちなのもネックだね
あと孫堅とか鄭泰とか、優秀なのがさっさと死んでるのも痛い
陳瑀とか見るとそうだね
でも魯粛とか見出しても断られてるし人望がいまいちなのもネックだね
あと孫堅とか鄭泰とか、優秀なのがさっさと死んでるのも痛い
57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/11(火) 08:14:26 ID:PBQqVHXY0
朱儁なんかは董卓から袁術に寝返ってるんだから、漢室を尊重する人物からは結構人望があったんじゃないかな。
魯粛は赤壁あたりでの立ち回りを見ても解るけど、漢室を尊重する意志はあんまりないっぽいし。
魯粛は赤壁あたりでの立ち回りを見ても解るけど、漢室を尊重する意志はあんまりないっぽいし。
71: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/18(火) 10:38:13 ID:u6Ejoxdl0
袁紹と袁術はもっと仲良くするべきだったとは思う。
何かどうあっても同じ天を戴けぬ理由でもあったのだろうか?
何かどうあっても同じ天を戴けぬ理由でもあったのだろうか?
72: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/18(火) 11:53:36 ID:MP0hFcEy0
袁紹が大人しく嫡流の袁術に従ってりゃよかったんだよ。
75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/18(火) 21:47:11 ID:MP0hFcEy0
曲がりなりにも連合の盟主が、董卓と必死に戦ってる袁術・孫堅の邪魔してるんだもんな。
まあ、本当に盟主だったのかも怪しいもんだが。
まあ、本当に盟主だったのかも怪しいもんだが。
76: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/19(水) 08:53:43 ID:0wB9pyeE0
袁術の本隊は後方支援に従事して、実働は孫堅らの単独行動じゃないの?
袁術本人は戦下手というわけでもないのだから、その後も、他人と盟約する事で楽に済まそうとしなければ良かったのに
袁術本人は戦下手というわけでもないのだから、その後も、他人と盟約する事で楽に済まそうとしなければ良かったのに
77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/19(水) 21:51:55 ID:53d7ANdL0
>>76
自分より出来る部下に一任するのはある意味正しい
それに南陽は裕福だけど黄巾が荒らした後だから兵站は意外と難しいんじゃないかな
自分より出来る部下に一任するのはある意味正しい
それに南陽は裕福だけど黄巾が荒らした後だから兵站は意外と難しいんじゃないかな
78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/20(木) 00:10:20 ID:ItXR3dXr0
>>76
孫堅は南陽で前任太守張咨を殺してたからかなり恨まれていた
あとで孫堅の共犯の劉祥が住民反乱で殺されるくらい
だから袁術は命の危険のある孫堅を外に出して、直接事件とかかわりのなくて後将軍というかなり権威がある自分がその地にとどまって住民を落ち着かせる役に回ったんじゃないかな
孫堅は南陽で前任太守張咨を殺してたからかなり恨まれていた
あとで孫堅の共犯の劉祥が住民反乱で殺されるくらい
だから袁術は命の危険のある孫堅を外に出して、直接事件とかかわりのなくて後将軍というかなり権威がある自分がその地にとどまって住民を落ち着かせる役に回ったんじゃないかな
79: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/20(木) 15:54:40 ID:eHOPeQb00
南陽って後漢朝にとっては非常に重要な土地なんだよな。
光武帝も南陽の人だし、鄧禹などの建国の功臣連中にも南陽人が沢山おるし。
光武帝も南陽の人だし、鄧禹などの建国の功臣連中にも南陽人が沢山おるし。
80: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/20(木) 20:05:54 ID:DAEXg1d90
前期は確かに最優先事項だったかもしれないけど、後期は頴川や汝南あたりの方が重要度が高くなってる。
穎川や汝南を敵に回すと、後が怖いからね。
(穎?頴?忘れた)
穎川や汝南を敵に回すと、後が怖いからね。
(穎?頴?忘れた)
83: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/22(土) 11:07:54 ID:Nw/Q6DHR0
南陽って後漢初期には李、樊、鄧、来、陰氏等の豪族の力が非常に強い地域だったらしいけど、後漢末ではそういった豪族連中はどうしてたんだろう?
やっぱ袁術に協力してたのかな?
やっぱ袁術に協力してたのかな?
86: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/22(土) 17:50:55 ID:VT8DtSdk0
そういえば傷寒雑病論のおっさんも南陽の出だな。
後漢にとってはかなり重要な意味を持つ土地だけど後漢末はどうなんだろな。初期の豪族連中は光武帝の功臣系列が多いね。
南陽は戸籍が多かったみたいだから勢力基盤にはいいかも。
後漢にとってはかなり重要な意味を持つ土地だけど後漢末はどうなんだろな。初期の豪族連中は光武帝の功臣系列が多いね。
南陽は戸籍が多かったみたいだから勢力基盤にはいいかも。
87: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/22(土) 18:58:49 ID:CnIpYe+40
「河南(洛陽)は帝城にして近臣多く、南陽は帝郷にして近親多し」
と言われるぐらいだからね
と言われるぐらいだからね
91: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/04(木) 19:55:23 ID:+tMs4fYe0
袁術は勤皇派ですよね?
93: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/04(木) 20:00:43 ID:zHXZrUXv0
>>91
当時の群雄の中ではかなり勤皇派の群雄と言える。
当時の群雄の中ではかなり勤皇派の群雄と言える。
94: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/04(木) 21:05:20 ID:cihYbVK9O
献帝を奉じて漢の僅かに残る威光を天下取りに利用する戦略は袁術から曹操に引き継がれたね
95: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/04(木) 22:33:35 ID:I/slhnt40
勤皇派だと思う理由は何で?もうちょっと詳しく
俺は袁兄弟は少帝には忠誠心あったと思うけど献帝にはなかったと思う
以下俺の想像に過ぎないんだが
袁兄弟は何進と結んで宮廷改革を行おうとしてて賄賂政治の董太后や十常侍と対立
その延長線上に劉弁と劉協の後継争いがあった。
それを何進も劉弁も殺されて劉協即位で董卓の乱脈政治
ここで何進と劉弁に明るい未来を描いていた袁兄弟は漢王朝に絶望したんじゃないかな?
あとはもう劉協無視で秩序回復を狙っていた
袁術って道徳的な政治を行いたいがために簒奪を行った王莽みたいな人間だと思う
俺は袁兄弟は少帝には忠誠心あったと思うけど献帝にはなかったと思う
以下俺の想像に過ぎないんだが
袁兄弟は何進と結んで宮廷改革を行おうとしてて賄賂政治の董太后や十常侍と対立
その延長線上に劉弁と劉協の後継争いがあった。
それを何進も劉弁も殺されて劉協即位で董卓の乱脈政治
ここで何進と劉弁に明るい未来を描いていた袁兄弟は漢王朝に絶望したんじゃないかな?
あとはもう劉協無視で秩序回復を狙っていた
袁術って道徳的な政治を行いたいがために簒奪を行った王莽みたいな人間だと思う
100: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/04(木) 23:50:41 ID:bFR7duUp0
>>95
確かに、袁紹は劉協に対する忠誠心はなかった。
だから反董卓連合にいながら真面目に戦わず、劉虞の擁立を画策し、曹操と共に朝廷の派遣した刺史や牧を追い出して勝手に官爵を自称した。
さらに袁紹は「献帝を否定し」「新皇帝の擁立に失敗している」にも関わらず、偽の勅命をばら撒いて自分のシンパに官爵を与えていた。
袁術が帝位僭称する前から相当な不義不忠を行なっている。それが袁紹。
対して袁術は、
手下(孫堅・張バクら)に命じたとはいえ董卓と積極的に交戦し、献帝の奪還を考えていた(=献帝の正当性を認めていた)。
何進は死に、董卓の遷都に伴って劉弁も死んだが、袁術は漢王朝に愛想を尽かさず、朝臣らとも連携をとっている。
また、袁術は基本的に官爵を勝手に名乗った事はない(帝位を僭称するまで)。
袁術が帝位を僭称するまで(或いは曹操が劉協を奉戴するまで)、袁術は袁紹・曹操などよりよっぽど漢朝に忠実だったと思うんだが。
確かに、袁紹は劉協に対する忠誠心はなかった。
だから反董卓連合にいながら真面目に戦わず、劉虞の擁立を画策し、曹操と共に朝廷の派遣した刺史や牧を追い出して勝手に官爵を自称した。
さらに袁紹は「献帝を否定し」「新皇帝の擁立に失敗している」にも関わらず、偽の勅命をばら撒いて自分のシンパに官爵を与えていた。
袁術が帝位僭称する前から相当な不義不忠を行なっている。それが袁紹。
対して袁術は、
手下(孫堅・張バクら)に命じたとはいえ董卓と積極的に交戦し、献帝の奪還を考えていた(=献帝の正当性を認めていた)。
何進は死に、董卓の遷都に伴って劉弁も死んだが、袁術は漢王朝に愛想を尽かさず、朝臣らとも連携をとっている。
また、袁術は基本的に官爵を勝手に名乗った事はない(帝位を僭称するまで)。
袁術が帝位を僭称するまで(或いは曹操が劉協を奉戴するまで)、袁術は袁紹・曹操などよりよっぽど漢朝に忠実だったと思うんだが。
96: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/04(木) 22:36:54 ID:LpDqyfRd0
簒奪が成ってから皇帝を宣言すればその解釈もわかるが、まだまだ群雄が割拠してる中で1人で勝手に皇帝になっちゃったら、単なる後先考えない馬鹿としか評価されない。
97: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/04(木) 22:46:13 ID:wBvi2C3o0
一地域で天子を名乗った前例は、すでに後漢時代には大量にあるとはいえ、漢の名家の袁術が皇帝を名のるのは流石に馬鹿というかありえなすぎw
98: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/04(木) 22:58:53 ID:X+vlOjgi0
一地域で天子を名乗った最初の例って公孫述?
99: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/04(木) 23:07:03 ID:wBvi2C3o0
黄帝子だの真人だの無上将軍だの天王だの黒帝だの
史料に名が残っているだけでも、天子を名乗った賊は枚挙に暇を得ぬほどにいる。
史料に名が残っているだけでも、天子を名乗った賊は枚挙に暇を得ぬほどにいる。
101: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/05(金) 00:16:46 ID:ar0E8B1R0
まず逆賊認定されたから、仕方なく帝位を僭称したんじゃないの。
でもそれだとその後で袁紹や劉勲を頼った事と辻褄合わない?
でもそれだとその後で袁紹や劉勲を頼った事と辻褄合わない?
102: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/05(金) 16:21:06 ID:V6N0Dy4y0
単に袁紹と対立してたからじゃないのかな。あと袁術は勝手に官位与えたり任命したりしてるけどな。 後漢の要地汝南に拠るとはいえ最初から兵隊があったわけじゃない後進豪族の袁術という立場を考えると曹操と同じスタンスというのは分からない話じゃない。
逆に"忠実"だったという過去完了で話すると僭称したことへの理由ずけが難しい。後漢に対しては献帝擁護というスタンスは必要だったが王朝に対しては忠誠心はなかった~から僭称したと考えるほうが自然じゃない。
そもそも献帝否定=後漢への非忠誠心というのも違う気がする。
そもそも後漢への忠誠心なんてなんの役にもたたんしそれを利用する事は重要でもそれ自体は生き残りには無価値だから群雄の能力への付加価値はないな。 諸葛先生だって後漢というコンセプトに無理があると気が付いて前漢回帰してるし。
逆に"忠実"だったという過去完了で話すると僭称したことへの理由ずけが難しい。後漢に対しては献帝擁護というスタンスは必要だったが王朝に対しては忠誠心はなかった~から僭称したと考えるほうが自然じゃない。
そもそも献帝否定=後漢への非忠誠心というのも違う気がする。
そもそも後漢への忠誠心なんてなんの役にもたたんしそれを利用する事は重要でもそれ自体は生き残りには無価値だから群雄の能力への付加価値はないな。 諸葛先生だって後漢というコンセプトに無理があると気が付いて前漢回帰してるし。
469: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/03(土) 05:27:34.90 ID:bYnnZ3jh0
袁術の国号が「仲」なのは何に由来してるのかな?
ちなみに袁世凱の国号はなんだったん?
ちなみに袁世凱の国号はなんだったん?
473: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/07/01(日) 10:15:33.93 ID:Gnla1xCKO
>>469
袁世凱の王朝の国号は中華帝国。
袁世凱の王朝の国号は中華帝国。
482: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/28(日) 19:36:57.32 ID:xymepKlo0
袁術の立てた王朝も「漢」だったという可能性はないのかな。
蜀漢が自称したのは「季漢」(末っ子の漢、すなわち季漢)だったらしいが、字の法則で「伯or孟(長男)」「仲(次男)」「叔(三男)」「季(四男or末子)」「幼(五男or末子)」。
袁術の称した王朝は「仲」、これも「次男の漢」という意味では?
蜀漢が自称したのは「季漢」(末っ子の漢、すなわち季漢)だったらしいが、字の法則で「伯or孟(長男)」「仲(次男)」「叔(三男)」「季(四男or末子)」「幼(五男or末子)」。
袁術の称した王朝は「仲」、これも「次男の漢」という意味では?
483: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/07/01(水) 22:03:01.88 ID:LMPINH7j0
>>482
世界史板でその話をふってみたけど「代漢者当塗高」の予言を根拠にしてるから仲漢の可能性はないと否定された
漢ではなくて仲=次男(漢の次なる王朝)という意図での国名付けの可能性なら微粒子レベルであるかもしれんが
世界史板でその話をふってみたけど「代漢者当塗高」の予言を根拠にしてるから仲漢の可能性はないと否定された
漢ではなくて仲=次男(漢の次なる王朝)という意図での国名付けの可能性なら微粒子レベルであるかもしれんが
475: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/09/22(土) 13:35:39.41 ID:WLnjBrOP0
袁術
袁胤 袁燿
張勲 橋蕤
楽就 李豊 陳紀 梁綱(梁剛or梁紀)
紀霊 荀正
雷薄 陳蘭
楊弘 閻象 韓胤
劉勲 袁渙 魯粛
孫堅 呉景
兪渉 呂範
韓暹 楊奉
於夫羅 呼廚泉
人材不足すぐる
袁胤 袁燿
張勲 橋蕤
楽就 李豊 陳紀 梁綱(梁剛or梁紀)
紀霊 荀正
雷薄 陳蘭
楊弘 閻象 韓胤
劉勲 袁渙 魯粛
孫堅 呉景
兪渉 呂範
韓暹 楊奉
於夫羅 呼廚泉
人材不足すぐる
485: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/02/21(日) 14:10:42.31 ID:3RSFsUwb0
>>475
孫策、周瑜も一時期袁術配下では
孫策、周瑜も一時期袁術配下では
484: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/02/21(日) 05:42:50.57 ID:qU2oZ6nn0
袁術唯一の謀臣楊大将って誰やねん。
488: 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/01/05(木) 11:34:04.54 ID:W+jM8iuU0
「長史楊弘・大将張勲」とあるのを読み誤ったもの
490: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/04/28(日) 08:43:22.57 ID:f5e8uoBb0
袁術好き
491: 名無しさん@お腹いっぱい。 2022/01/04(火) 14:17:46.71 ID:nFCEtaWN0
好きだけど袁術人気ねーなw
やっぱ家臣に有名所が張勲ぐらいしかいないからかね
その点袁紹は家臣に恵まれてる
やっぱ家臣に有名所が張勲ぐらいしかいないからかね
その点袁紹は家臣に恵まれてる
498: 名無しさん@お腹いっぱい。 2023/08/27(日) 15:13:13.43 ID:9354LENg0
諡を考えよう
499: 名無しさん@お腹いっぱい。 2023/09/05(火) 01:53:42.80 ID:w9SkN+xY0
ハチミツ亭
引用元: ・【成皇帝】袁術様について語るスレ





