1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/17(日) 17:12:45 ID:SUGGbYSH
信長の鉄甲船があったとかなかったとか
そんなことについて語ろうぜ








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/17(日) 17:15:41 ID:oxmR6Jfu
多門院日記には鉄張りだと

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/17(日) 21:49:06 ID:Cohtvskn
>多門院日記には鉄張りだと

「鉄の船」とあるだけで、鉄張と書かれているわけではない。
「鉄製船」「鉄砲搭載船」と、どうにでも解釈できる。

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/23(土) 05:48:02 ID:Jb0caD7a
>>5
>「鉄製船」「鉄砲搭載船」と、どうにでも解釈できる。

鉄砲搭載ならばちゃんとそう書き記されるんじゃないのか?
素直に鉄板がコーティングされてる箇所がある大船と解釈したほうが納得するけど。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/23(土) 06:41:12 ID:9PNYuejo
海戦の参加者の記録か、さもなければテレビ映像を見て書いたのであれば正確に書けたかもしれませんね。

しかし、奈良の多聞院日記の人が実物を見ていないのなら、伝言ゲームの末に「鉄の船」と伝わってきたのを書いたのでしょうから、それがどこまで正確なのか書いた人にもわからないでしょう。
下手をすれば記録した当人は海を見たこともなかったかもしれません。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/23(土) 16:14:49 ID:myFoV0yp
第二次木津川口海戦の五年前に、琵琶湖でプロトタイプが一隻作られていたりする。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/29(金) 23:17:39 ID:eMPDL4Qx
鉄甲船がなかったとすれば、どうやって村上水軍を撃破したのか謎になるからあったことはあったんじゃないかなぁ

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/30(土) 21:37:58 ID:sxaoeV8T
>>12
大口径鉄砲による攻撃力

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/03(火) 21:28:36 ID:fWkNMWNM
>>16
それだけじゃ船をデカくした意味が無い。小型~中型の船にも大口径鉄砲は積める。
大きいだけの船は、当時の海戦では動きが鈍いわ的にはなるわ、輸送目的以外ではいいところがないので、生粋の海賊らは機動性のある小型~中型の小早船や関船を好んで使っていた。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/03(火) 22:16:42 ID:fXlBKabm
>>20
大型にすればそれだけ火砲の搭載量も増える。
実際、やや時代が下った欧州の軍船は大量の火砲を船体側面に積めるよう大型化している。
また、船縁が高くなれば斬り込みも困難になる。
火矢の的になるのは機動力があっても大して変わらん。
火矢を避けられるスピードで航行できるはずもないのだからな。

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/04(水) 09:36:47 ID:sroDS8Hx
>>21
大船に多数の火器を搭載するのも、小船多数に一艘当たり少量の火器を搭載するのも火力の総和は同じ。
大船と小船の装甲が同程度だとすると作戦展開の面で後者の方が有利となる。
西洋帆船が火力を増強する方向に進化するようになったのは風だけで十分な推進力を得られる純帆船として完成されてからのことであり、手漕ぎのガレー船に相当する和船と同列に論ずる事はできない。
欧州においてガレー船を巨大化させて大火力を搭載しようとした「ガレアス」は、試みとしては明白に失敗作であった。

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/14(土) 16:40:39 ID:531QN0Wq
>>23
>大船と小船の装甲が同程度だとすると作戦展開の面で後者の方が有利となる。

小船による機動戦術が絶対的に有利なら、何故火力に重点を置いた大船に取って代わられたんでしょうかねぇ・・・


>手漕ぎのガレー船に相当する和船と同列に論ずる事はできない。

日本の大安宅船は漕帆両用で、船体構造から言ってもガレーよりガレアスに近いのだが。
ついでにガレーにも帆がついてるものが多い。しかも今の論点は火砲の有用性なんだが。


>欧州においてガレー船を巨大化させて大火力を搭載しようとした「ガレアス」

自分でも気付いてるみたいだけど・・・


>西洋帆船が火力を増強する方向に進化するようになったのは風だけで十分な推進力を得られる純帆船として完成されてからのことであり

完成に至る経緯なんて関係ない。結果として火力に特化して大型になっていったことは歴史的な事実。
仮に火力よりも機動力が絶対的に有利であるのなら小型帆船による集団戦闘が海戦の主流にならなければおかしいが史実にない。
日本の場合は江戸期に入り船体の進化か止まったので欧州の例を参考にした。

33: 狸伍長 2006/10/14(土) 22:56:16 ID:bZRN7W8t
>>30
江戸時代の和船は、最も低コストで建造出来、少人数で運用出来、それでいて最も多くの荷物を積載出来る、という形で改良されたからね。
これはこれで、適正進化だとは思うけど。

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/15(日) 00:08:34 ID:6dp2GOW9
>>30
植民地支配で大西洋、太平洋を行き来する欧州海軍同士の戦術と、浅瀬のおおい瀬戸内海の海賊の戦術を一緒くたにして「経緯なんて関係ない」ってずいぶん乱暴だな

51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/22(日) 15:11:31 ID:/XuLMb5U
>>35
小船対大船の戦術の話なんだが?
地域による船体構造、造船技術、材質強度の違いはあっても小船と大船は存在するだろ。
あくまで火砲量が増加したという歴史的事実を述べているのであって、帆船が発達したからという経緯はこの場合関係ない。

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/22(日) 18:41:17 ID:h5yOIMJo
>>51
織田は第一次の海戦で火矢や焙烙攻撃で惨敗しているわけだから、リターンマッチにあたって何の対策も施していなかったとは考えにくいと思。
別スレで見たんだが、当時の大筒の命中率はそうとう低い。
(実験では50mでも的にかするのがやっとだとか)
その実験はアルマダの戦いの再現だったそうだが、砲術の本場のヨーロッパでさえそうだったなら日本ではどうだっただろうか。まして実戦の場では。
ほとんど至近距離でないと当たらなかったのではないか。
村上水軍の弓矢・焙烙のアウトレンジから攻撃をかけたわけでは、たぶんないと思う。

753: 人間七七四年 2018/10/30(火) 00:18:26.47 ID:aDqSSJBY
no title

安宅船の先端に立ってる棒がバウスプリットで下に見えるのは筵帆あるいはジャンク帆ってことなんかな
だとしたら帆を張った状態の安宅船ってこんな感じ?
no title

コグとキャラックの中間みたいな

754: 人間七七四年 2018/11/03(土) 14:24:16.72 ID:ty+gTmVt
とりあえずネットで見つけた戦国当時の形に一番近いであろう模型の写真を置いとくか
瀬戸内海歴史民俗資料館にある関船?の模型

no title

no title

松浦資料博物館にある平戸藩の関船模型
no title

no title

八王子市の信松院にある安宅船と関船
no title

no title

no title

上の安宅船を明治時代に模写したもの
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/kaishi/pages/7-3-31.html

755: 人間七七四年 2018/11/04(日) 15:27:27.20 ID:Tz26sLmg
寺社に奉納する模型かこれ
本物そっくりに作るしきたりだから資料的な価値はかなり高そう

765: 人間七七四年 2021/05/30(日) 11:05:37.67 ID:lcxIFn4X
「水軍と海賊の戦国史」(小川雄)読了。

朝鮮の役で来島村上が当主兄弟討ち死にという他の大名に見られない大被害を受けたのは、秀吉による国内統一の過程で他の海賊衆がどんどん大大名の一家臣として吸収され自立性を失っていったものの、その大大名の下ではどんどん大型船建造や火力増強などの恩恵も受けれた

ところが来島氏は毛利VS秀吉の頃にいち早く秀吉に寝返った功績から秀吉に厚遇されて、転封や家臣化されずに1万石の小大名として自立性を認められた。

その自立性がゆえに、大兵力&大型船同士の合戦に移行していた朝鮮の役において小大名がゆえ小兵力&小船舶で戦わざるを得ず、もう個々の技量云々の時代ではなくなっていたがゆえに殲滅した…っていう考察が「なるほどね」って関心させられた

この時期に至って、もう海賊衆としての特殊技能が云々という時代ではなくなり大兵力対大兵力、大型船舶VS大型船舶の戦いになっていて、そういう大大名の後ろ盾のない元・海賊衆は消えていったのだ…っていう

766: 人間七七四年 2021/05/30(日) 11:14:25.20 ID:lcxIFn4X
朝鮮の役で九鬼やら村上やらの水軍衆がさしたる活躍をしていないのも、もうそういう操船能力に特化した連中の特殊技能として専売特許となっていた時代は終わり、水戦に縁のなかった大名たちがかつて海賊だった連中を吸収していった結果、必要なくなったからって見解みたい

国内でドンパチやってる時は時勢によってあっちこっちに所属する水軍衆の自立性や特殊能力は重宝されたけど、それが統一政権下になっていく過程でどんどん大大名に吸収、技術等も分散したので海賊大名の特異性が失われていった
ゆえにもう数対数の勝負になっていったと

768: 人間七七四年 2021/06/10(木) 13:26:14.09 ID:sYo9uoCO
朝鮮役での苦戦は大型火砲の生産運用能力の差が原因とは思っていたがそういう事情もあったんだな

769: 人間七七四年 2021/06/13(日) 06:54:14.94 ID:M7+ouE14
水軍領主っていっても動員の裏付けになる人的資源が貧弱で数百が精々だよね

770: 人間七七四年 2021/06/13(日) 09:54:30.27 ID:pcVd7Ens
水軍出身で10万石以上とかあんまいないだろうしな
数百の小回りの効く部隊を日本の狭い海域で動かすのには特化していても、外海で数対数の戦闘になるとそら兵数の少ない順に被害は拡大するよねっていう当たり前の話だったのかもしれない

771: 人間七七四年 2021/06/21(月) 08:07:56.61 ID:RSMzYPOY
>>765
別に殲滅されていない件
親族が指揮を引き継いで終戦まで活動していたし、大名家としても子供が継いで明治維新を迎えている

水軍(海賊)だけでの関税収入が無くなって自立不可になったってことなら秀吉の海賊禁止令の時点で滅んでいると言うことになる

772: 人間七七四年 2021/06/22(火) 10:53:55.85 ID:cNpxXJ8J
>>771
朝鮮の役での「軍」としては殲滅状態だろ
誰が来島一族がこの戦いで滅亡したって書いてるんだよ
「活動」と「活躍」は違う
実質、軍として機能できない程の兵力なら戦力としてはカウントされないだろ

あと関税収入がなくなったから自立不可になったなんてどこにも書いてない
関税があろうがなかろうが、大大名に吸収された他の支族に比べて、独立の小大名として自立していたことが、逆風になったって話をしてるんだろ

773: 人間七七四年 2021/06/22(火) 19:20:50.35 ID:9aEo8jVW
>>772
だいたい来島軍って壊滅してないでそ?
通総が死んだ後も後継指揮官が指名されて海戦なり海運に従事していたし、蔚山城の戦いでも来島水軍や菅水軍は活躍した書状が残っているし、その後に現場から秀吉に具申された戦線縮小案に他の大名と並んで来島や菅は署名している、カウントされているよね

海賊禁止令のあおりは深刻で収入が所領だけになるわけで石高なりの規模の影響力になるのは当然、減封みたいなもの
逆風ってのはどこで出てきた話なんだ?

775: 人間七七四年 2021/07/05(月) 14:20:04.25 ID:HriJZPPm
朝鮮役で日本の水軍が壊滅していたら何万人も対馬海峡を海送できてないよな

777: 人間七七四年 2021/07/08(木) 13:45:47.59 ID:7Bwm7Ov7
なんで来島水軍が壊滅的打撃を受けたって話が日本水軍全体が壊滅したみたいな解釈になってんだよ

779: 人間七七四年 2021/07/08(木) 22:48:07.38 ID:7xIvVAPc
軍勢が健在なら壊滅状態とはいえないな。
それに来島水軍が壊滅したって話も聞いたことがない。
元々の来島の軍勢は数百なんだから「数千数百の軍勢レベルの活躍が見れないから壊滅している」なんて論理は破綻している。

780: 人間七七四年 2021/07/09(金) 03:19:27.39 ID:SuWXUNf0
存在はしているだろうけど健在とはいえんだろ

781: 人間七七四年 2021/07/09(金) 06:36:32.62 ID:6qtUVhgh
>>780
慶長の役の後半で水軍の半数を帰国させたときも来島や菅は残留組に選出されているし健在だった

783: 人間七七四年 2021/07/09(金) 09:44:51.92 ID:Fs+plawG
ピンポイントに当主兄弟だけがスナイプでもされて軍勢としてはほぼ無傷だったとでも言いたいのだろうか
万単位の軍勢を率いる部隊ならそら指揮官が討ち死にしても継続運用できるかもしれないが、数百の小軍が指揮官兄弟を失ってまともな戦力として以後も活動していたって何故思えるんだろうか
元々さしたる戦力でもないのに

784: 人間七七四年 2021/07/09(金) 10:31:03.79 ID:6qtUVhgh
>>783
でも明梁海戦なんて実際それに近いでしょ
主力の安宅船を温存して小関船のみで進出した分に被害が出たんだから
その海戦後半で安宅が出動してからは全羅道西岸を制圧して数万人の捕虜を海送している

来島だけ見ても弟が指揮を引き継いで活動を続けていて根拠地の普請や蔚山城への救援に出動して感状まで貰っている

数百で出動して数百で帰って来たのだから壊滅などとは程遠いよね
関ヶ原でも来島の活動は続いていたし

791: 人間七七四年 2021/07/13(火) 01:48:35.41 ID:Hna+R4aX
>>784
来島の石高(1万石)を考えれば安宅船を複数所有できたとは思えずほとんどは小早だろう
初戦で突出したそれらの小早勢に来島は参加し当主が死んでいるのだから主力は壊滅したと思って間違いないでしょ
主力(安宅)を温存して当主が小舟で敵に突撃するって来島はアホなのか?
逆に考えれば、ほぼ小早しか戦力がなかったから安宅と速度差で離れ、前線に突出して敗退したんだろ

>その海戦後半で安宅が出動してからは全羅道西岸を制圧して数万人の捕虜を海送している

来島が単独でそれを引き受けたかのような語弊を招く表現はどうだかな

>数百で出動して数百で帰って来たのだから

で、これのソースは?

790: 人間七七四年 2021/07/12(月) 16:24:53.92 ID:oeAPecUj
数字は仮だけど、来島が500の軍勢率いて当主討ち死に、海戦で400の兵を失って残りの100で諸合戦に従軍して、たいした活躍もないが落ち度もなく生きて戻ったとしたら、感状くらいそら出るでしょ
大名なんだから
400の犠牲を払った残念賞としてな

795: 人間七七四年 2021/07/16(金) 18:13:50.63 ID:Mjh05/rR
露梁海戦で李舜臣が戦死して朝鮮水軍は壊滅?
すでにほぼ壊滅状態で明水軍の指揮下だったみたいだが

796: 人間七七四年 2021/07/16(金) 18:16:22.36 ID:Mjh05/rR
まあ李舜臣は王朝から指揮権を預かっていたから他のやつが引きつけば壊滅ではないと言えそうだが
これは来島水軍にも当てはまりそうな気がする

797: 人間七七四年 2021/07/16(金) 19:36:48.90 ID:eOvDowOb
封建体制と中央集権を同列に語るべきではない

798: 人間七七四年 2021/07/16(金) 22:19:05.60 ID:Mjh05/rR
では殲滅・壊滅の定義を行って総数と被害の割合がわかれば落とし所が見つかるんかね
日本軍の被害は李舜臣の乱中日記によれば「31隻を撞破(撞破=突き破る)」
日本戦史 朝鮮役によれば「来島通総以下数十人が戦死、藤堂高虎が負傷し、数隻が沈没するなどの損害を受けた」
みたいだが

799: 人間七七四年 2021/07/20(火) 11:28:33.87 ID:m/H0DQB2
被害の実数ってのは敵方は大きく味方側が少なく書くものだから把握は難しいだろうね
ただ、三国時代の話でもなければ大将が突出して先陣に切り込むなんてことはこの時代そうそうなかった話なわけで
当主が死ぬってことは本陣近くまで切り込まれたとか軍が孤立したとか、そういう状況にならなきゃ発生しない状況だろうから、損害のでかさもお察しって感じではあるけどな

802: 人間七七四年 2021/07/21(水) 23:48:22.59 ID:1f3Mrwpc
来島は兄の得居も戦死と言われているんだっけ?
どいう状況で討死したんだろうな
大名であり将でもあるし見通しの聞かない小舟主体だったから戦況把握のために前線に出すぎたんだろうか

慶長の役での李舜臣の前任・元均と配下の将も討死しているし
海の上で逃げ場がないから戦死者出やすいのかな

822: 人間七七四年 2021/08/18(水) 17:53:41.35 ID:GQ6hw3Uq
脇坂なんて海戦で大敗して重臣や水軍幹部を失っても戦力を維持して戦い続けてたよ

829: 人間七七四年 2021/08/19(木) 09:09:48.18 ID:jETFM6Gq
>>822
脇坂の時は秀吉の命で、各大名の大船が船頭・水夫込み与えられた

830: 人間七七四年 2021/08/19(木) 12:57:34.29 ID:d3iMgQ3h
>>829
武器弾薬は支給されたけど水夫までついていたかは不明のはず
それに武器弾薬の支給は脇坂だけでなく水軍大名全員宛

831: 人間七七四年 2021/08/19(木) 15:21:14.03 ID:jETFM6Gq
>>830
7月15日付渡海大名宛秀吉朱印状に保有する大船を、水夫・船奉行を付けて脇坂・加藤嘉明・九鬼にわたすことを命じている

823: 人間七七四年 2021/08/18(水) 18:20:20.68 ID:GQ6hw3Uq
鳴梁海戦は軍勢が崩されて敗走したわけでなく逆に前進した戦いだった
それに小型船に乗った状態で遠戦志向の朝鮮水軍の大型船に近づいた訳だから通総は恐らく狙撃による戦死だろうな

824: 人間七七四年 2021/08/18(水) 19:02:48.14 ID:YKGL5GjX
>>823
普通に考えて大大名は大型船で速度が遅く小早中心の少大名・与力連中は速度の早い船で先陣を務めるというのが当然で、突出した機動力重視の小勢が被害を出し後に大型船が加勢して押し返した、(もしくは朝鮮軍が数の圧で退いた)と見るのが妥当だろ
狙撃されたなら狙撃された、と軍目付の記録にでも残るでしょ普通に

825: 人間七七四年 2021/08/18(水) 19:09:31.16 ID:YKGL5GjX
そもそもそんなピンポイントで狙撃等で死亡しているなら敵兵なり、お供の兵なりから「死に様」が伝わってるはずだよね
敵からしても大将首(手柄)なわけだし
家中の家臣からしたら「どんな死に様だったのか」は伝えるべき話だし、それが「戦死」としか伝わってないんだから乱戦の中で少なくとも通総の船(及びその周囲の護衛船)は沈められて、誰もその死に様は見届けていないって事じゃねえの

828: 人間七七四年 2021/08/19(木) 06:20:24.10 ID:+PnSu2sX
そもそも当時の海鮮で船が沈むことは希なんだけど
小早なら全滅しても損失は十数人以下
集団で押し引きする陸戦とはだいぶ様相が違う

837: 人間七七四年 2021/08/22(日) 00:43:47.73 ID:APF/0Svo
>>828
なのに文禄では兄が、そして慶長では大名である自身が戦死したわけで
率いてる人数は600だから小早が20艘くらい沈めば損害率は三~四割越えということになるのかな?

838: 人間七七四年 2021/09/02(木) 11:09:43.48 ID:GuVFxcoJ
>>837
十分「壊滅」の定義に当てはまるじゃんかな
総大将が戦死して全体の3割が負傷・死亡で戦闘不能となれば通常は合戦の続行などできないわけで

840: 人間七七四年 2021/09/02(木) 14:08:56.91 ID:gIXDgdiv
壊滅的被害が出るのは相手が戦場を支配して敗走した場合などのこと(残敵掃討になった場合)
閑山島海戦や巨済島海戦はこのタイプ

鳴梁海戦では日本の水軍に被害が出ているが海戦後の戦場を支配していたのは日本側で負傷者の救助や回収をしている
小規模部隊の派遣であり戦場を支配していたことから大被害にはなり得ない

状況は第二次木津川口の戦いに似ていて
戦場支配の点では木津川口で負けた毛利水軍より鳴梁で叩かれた来島水軍の方が軽減要素がある
少数の鉄甲船に撃たれて被害が出て突破はできなかったけど毛利水軍の活動は海戦後も衰えず石山城に補給を継続していた

842: 人間七七四年 2021/09/03(金) 17:29:46.95 ID:NmBsJ6NI
>>840
だから小早と関船の速度差だろ
通常の野戦と違うのは
戦功した小部隊の小早勢が孤立して大打撃を受け、後からきた関船が押し返して敵軍が退いただけ
大乱戦の中での討ち死にではなく先行部隊が壊滅しただけ
そしてその先行部隊に大名とはいえ小禄の来島勢がいたわけで
(資金力の問題で編成は小早中心)
後方で備えていた大大名の藤堂や毛利と比較するのが間違ってる

引用元: ・【海賊】 水軍スレ 【安宅船】