1: 人間七七四年 2013/12/14(土) 11:08:56.58 ID:gneLUslb
信長包囲網の一環を担った戦国大名・朝倉氏を語りましょう!
義景以外の朝倉家、また浅井家、その他関わりのある事象・戦・人物なんでもおk!
特に姉川の戦いを語りたい人大歓迎!








5: 人間七七四年 2013/12/17(火) 11:53:50.76 ID:GhWrSWNc
甲斐武田みたいに親族が裏切るとあっさり滅亡するのな。
越前ってかなりの大国なのに。

6: 人間七七四年 2013/12/17(火) 15:45:36.95 ID:b5RZZ79O
朝倉ってどの時点で滅亡?
義景死亡で滅亡と考えるなら景鏡は当主襲って敵に降伏という最も滅亡に近い形の裏切りだったから仕方ない

249: 人間七七四年 2017/09/03(日) 10:08:57.97 ID:/JftiAWw
越前って日本海航路とか考えると普通に尾張一国より経済力ありそうなだけに色々惜しい
美濃にも郡上辺りや信秀と組んで大垣辺りにちょっかい出してるし先に美濃を獲れる可能性があったのは信玄より朝倉だよね

266: 人間七七四年 2017/09/08(金) 23:06:32.97 ID:P2SXxhc4
>>249
現実的じゃないね。油坂峠超えたことないだろ。
今でも地獄のルートだが、これ以外に越前と美濃を直接結ぶルートはない。

むろん、浅井家経由と言う手もあるが、浅井と斎藤は不仲だから、これまた一筋縄にはいかない。

267: 人間七七四年 2017/09/09(土) 00:51:56.40 ID:GiNDsdny
朝倉氏が油坂峠を越えて美濃へと侵入、戦を行った事はある
神官系国人の石徹白氏に請われる形でもって、入山料を違法に徴収していた山間部の勢力に対峙した結果、美濃の東氏の勢力と戦に発展し撃退された記録が残る

更に朝倉氏と織田氏が連携して同時に美濃に攻め込んだ際には、朝倉氏は美濃の国人徳山氏を配下に引き入れて案内役とし、麻那姫湖経由で現在の国道157号線沿いのルートを使って稲葉山城下に攻め込んでいる

273: 人間七七四年 2017/09/14(木) 18:37:23.06 ID:nFz1870q
徳山谷抜けて今の岐阜に攻め込むってどういうルート辿って徳山谷まで来たんだ?

274: 人間七七四年 2017/09/14(木) 23:07:22.32 ID:pAIcKYeq
>>273
冠峠らしいよ
昔は冠山のすぐ東を通っていたらしい
今の冠山峠は冠山の西を通ってるらしいけど

276: 人間七七四年 2017/09/15(金) 11:15:13.48 ID:iUsO4u7e
>>274
冠峠かあ…
あそこの林道は年に車で2,3回通るけど戦国期にあんなところよく通ったねえ。
着るにしても持つにしても甲冑重たかったろうに…

251: 人間七七四年 2017/09/03(日) 12:35:41.86 ID:Cbmc7FNS
この時代、日本海側の大きな港に外国人がいることは珍しい事ではないけれど、三国の港には大きめの唐人館があって中国人との商いが行われていた

朝倉氏と一向衆が和睦した理由の一つとして一向宗側の襲撃目標に
この唐人館周辺が含まれていたのでその経済的損失を朝倉側が嫌ったのも一因かも

252: 人間七七四年 2017/09/03(日) 12:39:29.39 ID:Cbmc7FNS
この時代の生糸は中国産が頼りだったんだけど、ついに越前で高品質のものが生産可能になったので、中国産から切り替えていこう的な文献が興福寺から見つかってる

258: 人間七七四年 2017/09/04(月) 22:48:19.34 ID:3rmoyr/J
商業的な利益なら京・近江から北日本への日本海航路を結ぶ越前の方が尾張より大きそうだけど北の一向衆がねぇ

259: 人間七七四年 2017/09/05(火) 13:07:27.45 ID:rBwMG/gb
>>258
そういえば貿易する場合に敦賀港から東日本の港に航行する場合加賀近海通らないといけないよね
加賀一向衆と戦中はどうしていたのかな?
民間に丸投げしていたのかね
左回りで航行していたのかな?

260: 人間七七四年 2017/09/05(火) 13:31:58.72 ID:BkIgJyQH
流石に越前から海路で商取引するのは日本海沿岸と蝦夷、琉球あたりまでじゃなかろうか
陸路を使って運搬するのが困難な巨石や巨木はどうか知らんが

当時の人の地理感覚なんだろうけど越前府中が相模との交易の最短スタート地点だって言われてたらしい

261: 人間七七四年 2017/09/05(火) 13:39:39.93 ID:BkIgJyQH
昔の海路が記された史料なんか見ると、意外と三国港や安宅辺りはすっ飛ばされて、敦賀と直接輪島まで繋がってたり

高岡から出て能登半島の港には一切立ち寄らず、いきなり小松周辺まで運航してたりと、昔の水夫達もかなりの無茶な運航もしてたみたい

262: 人間七七四年 2017/09/05(火) 22:02:57.93 ID:rBwMG/gb
>>261
朝倉と加賀一向衆が戦中は一種の海上封鎖するよね
昔の水夫達もかなりの無茶な運航もしてたって事は沖に出て遠回りしたり夜中に航行していたのかな?

264: 人間七七四年 2017/09/07(木) 11:59:48.24 ID:o8zxHFFX
越前と薩摩で貿易とかやっぱり日本海から博多経由で西九州を廻るんやろか?

270: 人間七七四年 2017/09/09(土) 11:20:26.00 ID:NMv0irZq
浅井が六角の従属下にあった時期の朝倉と浅井の関係ってどうだったんですか?

271: 人間七七四年 2017/09/11(月) 17:17:02.65 ID:nIENtLGZ
>>270
縁組の話も出ていたんじゃないかね?>六角と朝倉
その隷下にあったんだから良好だったんじゃないかな?>浅井と朝倉

ただし、対等という関係ではなく、朝倉本家とやり取りはあまりなくて、専ら宗滴爺さんの敦賀郡司家と音信を交わしていたのでは?
北近江は「京極」という認識が一般的な認識だったんじゃね?

272: 人間七七四年 2017/09/12(火) 03:16:45.63 ID:vvPPoHoZ
朝倉と浅井と六角の関係は摩訶不思議
自分の賢の字を棄てて反逆した長政と織田の縁組みを六角丞禎が仲立ちしたとか本当かしら?
織田の上洛絡みで義昭に頼まれたのかな?

277: 人間七七四年 2017/09/21(木) 22:48:36.01 ID:FSeMru8k
元亀元年の越三同盟のおりに越相同盟と併せて上杉・北条・徳川・織田・朝倉で信玄包囲網を構想したことはあまり知られていない

278: 人間七七四年 2017/09/21(木) 22:50:13.08 ID:FSeMru8k
謙信が構想したのだけど朝倉にも話しは行っていたのだろうか?

280: 人間七七四年 2017/09/23(土) 11:17:59.41 ID:U/Wr5xMG
武田包囲網に朝倉?
当時、越前と飛騨を結ぶ軍勢が通れるような道があったの?

281: 人間七七四年 2017/09/23(土) 12:28:49.23 ID:a6oYgs8W
信長の越前攻略で別動隊が使ったとうい油坂峠という険しい道はあるが、そもそも当時付き合いがあった朝倉にも声をかけてみた程度の話じゃないの
織田北条上杉で武田を突っつこうという時に別口の仲間の朝倉が織田の背中攻めても困るだけだし

282: 人間七七四年 2017/09/23(土) 14:10:11.17 ID:UB+gmYf6
朝倉景鏡って小山田信茂以上にひどい裏切りなのになぜ信長に許されたんだろうか?

283: 人間七七四年 2017/09/23(土) 15:05:53.39 ID:iJwrm2SE
>>282
結構前から内通していたんじゃないの?
滅亡する前年くらいから朝倉の諸将の裏切り率異常に上がってるし景鏡にも当然話しは行っていたんじゃないかな

284: 人間七七四年 2017/09/23(土) 15:24:01.79 ID:OjrugJ9p
越前府中まで進軍制圧した辺りで信長が謙信だか宛に、後は景鏡をぶっ殺すのみみたいな手紙書いてなかったかな
殺す気満々だったけど朝倉氏が絶えることを憂いて秀吉が助命嘆願した説とか

美濃からの侵攻を担っていた稲葉一鉄を通して早い段階から内通してた説とか

でも景鏡に関しては実父、兄弟が朝倉氏追放の憂き目にあってるのに、何故景鏡は家内でも高い序列を保ったまま残れたのかのほうが不思議

285: 人間七七四年 2017/09/23(土) 16:23:48.63 ID:5zgaPEuN
単純に旧領主の一門を残しておけば統治が楽だからでしょ
根絶やしにしたらしたで御家再興とかやられるだろうし
武田の穴山とか、北畠の具房とか、大名と呼べる支配域を持つ勢力を滅ぼす時は根絶やしにしないで、大概有力家臣や一門を誰か残してる

288: 人間七七四年 2017/09/24(日) 00:02:09.25 ID:n3DM37n1
朝倉氏の越前を代表する街といえば一乗谷・府中・北之庄・敦賀・三国湊でいいのかな?
この中で一番経済的に大きいのはどこの街でしょうか?

289: 人間七七四年 2017/09/28(木) 17:24:52.85 ID:X7jWT3T2
>>288
朝倉義景の時代だったらやっぱり一乗谷じゃなかんべか?

291: 人間七七四年 2017/09/28(木) 21:50:34.41 ID:lBmqDS4i
>>289
けど一乗谷って北陸道から外れてない?
俺は府中に一票
けど、敦賀と三国湊はどちらが規模の大きい港町だったのかね?

292: 人間七七四年 2017/09/28(木) 22:05:36.31 ID:X7jWT3T2
北陸道から外れとっても一国の主がいるんだから富は集積されんかのう?

293: 人間七七四年 2017/09/28(木) 23:06:38.15 ID:lBmqDS4i
>>292
それは確かに・・
けど地形的に一乗谷って微妙に狭いような気が・・
けど甲斐氏の本拠の府中を避けるために整備した朝倉街道の賑わいは凄かったらしいですしそうかもしれませんね

294: 人間七七四年 2017/09/29(金) 10:32:56.81 ID:JYIOzZvq
何かずれてる。
朝倉時代の定義が一方は甲斐氏健在の頃の草創期なのに対して、一方は絶頂期の義景時代前期を想定してるじゃん。話噛み合わないよ。

295: 人間七七四年 2017/09/29(金) 13:13:22.98 ID:vCxcDmlK
>>294
宗滴が茶器を買った商人は越前府中の商人らしいですし義景期でも府中は繁盛してそうですけどね
信長も府中三奉行置くくらいだし
朝倉100年で大きくなった街、衰えた街とかわかれば面白そうです

298: 人間七七四年 2017/09/29(金) 19:55:49.99 ID:vCxcDmlK
義景が若狭にこだわったのは小浜港が欲しかったからと妄想

299: 人間七七四年 2017/09/29(金) 20:56:54.61 ID:JYIOzZvq
>>298
にしては、元明拉致後の処理が大雑把過ぎる。謎だ。
武田 元明(たけだ もとあき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、若狭国の守護大名。武田義統の子で、若狭武田氏の第9代当主。

永禄11年(1568年)、朝倉義景が若狭に侵攻した。朝倉勢は国吉城、手筒山城などを落とし、朝倉景恍(太郎左衛門)、半田又八郎らが兵を率いて後瀬山城を囲むと、元明は自害しようとしたが、和を講じると説得され、親族であるから身柄を保護するという名目で拉致され、一乗谷朝倉館に強制的に移住させられることとなった。

300: 人間七七四年 2017/09/29(金) 21:15:33.36 ID:yOUQKVnc
その時代にその国に揉め事があったからってのもあるんだろうけど、義景からすれば母方の実家が揉めてたら介入したくもなるんじゃない?
先代の孝景は母方の美濃の揉め事に介入しがちだったし、この辺の思考は現代の人とも共通してるんじゃないかな

303: 人間七七四年 2017/09/29(金) 21:48:09.01 ID:yOUQKVnc
粟屋氏自体は反朝倉という訳ではなく、かっての粟屋宗家が反若狭武田に回ったため、親若狭武田の朝倉氏は依頼されて懲罰的に示威行為を粟屋氏に行っただけ
粟屋氏と朝倉氏が直接揉める要因があったわけでもないし、朝倉の攻撃をはねのけ続けた粟屋勝久なんて言われ方もするけど、朝倉軍本気の攻めで国吉城攻めたわけではない

当主拉致の際は眼前の朝倉軍に手出しも出来ず傍観するしかなかったぐらい

304: 人間七七四年 2017/09/29(金) 21:52:30.21 ID:YjOYdWXA
でも潰さなかったのが後々響いたんだよねえ…

305: 人間七七四年 2017/09/30(土) 01:28:47.36 ID:CR7DovkE
そういえば朝倉氏は大きな港を2つも持っていますが水軍は持っていなかったのかな?
あんまり聞いたことないけど

306: 人間七七四年 2017/09/30(土) 03:06:08.02 ID:rXO+JI9Q
丹生郡越前町織田のあたりを領していた朝倉氏の一族、朝倉景綱が敦賀の港町を襲う丹後海賊を
敦賀湾に蓋をするような形で出られないようにする為に水軍を保持していたという史料はあるみたい
おそらく港が襲撃されたら敦賀にある半島から狼煙で合図でも出して対応してたのかもね
でも丹後海賊は敦賀よりも小浜近辺を襲う事のほうが多かっただろうけど

信長軍の越前一向一揆制圧時に光秀や秀吉が率いる水軍に易々と上陸を許しているので、朝倉軍も一揆軍も大した操船技術はなさそう

308: 人間七七四年 2017/09/30(土) 11:19:54.70 ID:CR7DovkE
>>306
ありがとうございます。
景綱ってWikipediaさんにもほとんど記述がないので調べてみます。
基本国力的に若狭や丹後から攻め込まれる可能性は低かったので水軍の必要性は薄かったのかもしれないですね。
敦賀から府中・一乗谷に物資を運ぶにあたって北陸道と並び敦賀~今泉・河野の水運が重要だったらしいので頻繁に襲われるようなら水軍も必要だったのでしょうが。

309: 人間七七四年 2017/09/30(土) 11:26:47.36 ID:4EUpqnL2
海賊とかも近隣海域にいたのやもしれんし、交易利権を守る意味でも水軍は必要なのかもしれないね。
海上警備部隊みたいなのでもあれば違いますよね

310: 人間七七四年 2017/09/30(土) 11:41:01.70 ID:CR7DovkE
>>309
敦賀には川舟座や河野屋座という船頭座がありましたから彼らが自衛組織を持っていたのかもしれませんね

317: 人間七七四年 2017/10/08(日) 18:42:26.20 ID:YwbE5Cfh
朝倉家臣で家が続いたのって加賀前田の家臣になった山崎家と富田家ぐらいかな?

318: 人間七七四年 2017/10/08(日) 19:10:32.31 ID:LZlBzUhF
駿河朝倉は?
一応初代は景鏡の弟ということになってるんじゃなかったっけ

引用元: ・【義景】越前朝倉家総合スレ2【宗滴】