1: 日本@名無史さん 2024/01/14(日) 13:27:31.61
光文社「鎌倉幕府と室町幕府」より
・実は元寇後の恩賞問題で御家人が大きな不満を抱いたというような資料はない
・北条が特別悪政を敷いたという事はなく安定した政治をしていた
・調べるほど、幕府の安定性が浮き彫りになる
・結局鎌倉幕府が滅んだ理由は専門家もわからない
なんでほろんだの?
単純に戦いで負けたから?
・実は元寇後の恩賞問題で御家人が大きな不満を抱いたというような資料はない
・北条が特別悪政を敷いたという事はなく安定した政治をしていた
・調べるほど、幕府の安定性が浮き彫りになる
・結局鎌倉幕府が滅んだ理由は専門家もわからない
なんでほろんだの?
単純に戦いで負けたから?
3: 日本@名無史さん 2024/01/14(日) 17:47:53.80
北条が地位を独占しているから妬みが多くなっていた
5: 日本@名無史さん 2024/01/15(月) 20:20:18.86
初期の後醍醐のカリスマに負けた。
結局化けの皮が剥がれたがなw
結局化けの皮が剥がれたがなw
16: 日本@名無史さん 2024/01/19(金) 10:22:33.45
我々が思ってる以上に天皇の力が強かったのではないか
承久の乱はたまたま戦闘で敗れたけど後鳥羽上皇の命令に多くの人間が従って幕府軍と戦った
後醍醐天皇のときも多くの人間が天皇に従い幕府軍との戦闘に勝った
承久の乱はたまたま戦闘で敗れたけど後鳥羽上皇の命令に多くの人間が従って幕府軍と戦った
後醍醐天皇のときも多くの人間が天皇に従い幕府軍との戦闘に勝った
17: 日本@名無史さん 2024/01/20(土) 03:43:25.35
尊氏が幕府離反決めたのも、一回楠討伐に向かった際に直に反幕府の空気を感じたからではないかって呉座勇一編集の本に書いてあったな
19: 16 2024/01/20(土) 10:23:29.90
66カ国にまだ国府があって国衙領があって国司・在庁官人がいて、さらに皇族貴族寺院の荘園も豊富にあって、後醍醐天皇方に付くと得する者も多かったのではないか
21: 日本@名無史さん 2024/01/24(水) 12:31:32.08
北条氏の身内人が御家人をいじめて潰し、領地を取り上げて北条と身内人で山分けするのに熱中し過ぎたからだろ
北条と身内人の政権倒さないといつか全ての御家人は潰されるの明らかだった
だから後醍醐について幕府に反旗を立てた
北条と身内人の政権倒さないといつか全ての御家人は潰されるの明らかだった
だから後醍醐について幕府に反旗を立てた
22: 日本@名無史さん 2024/01/24(水) 12:48:22.74
御家人達は北条と身内人に懸命にペコペコ頭を下げて使えてるのに、それでも言い掛かりつけて潰される
なら幕府と戦うしかない
だから後醍醐帝についた
なら幕府と戦うしかない
だから後醍醐帝についた
39: 日本@名無史さん 2024/02/01(木) 20:47:04.21
将軍と御家人は「御恩と奉公」の関係で結ばれています。
1221年の承久の乱では、御家人は団結して幕府のために戦って勝利し、
幕府も御家人の働きに対して領地を分け与えるなど、恩賞でこたえました。
しかし、1274年(文永11)と1281年(弘安4)の2回にわたり行われた蒙古 (元)の日本侵略。費用の自己負担で幕府への不満の高まり、この戦で領地を得た訳じゃないので領地などの恩賞が与えられない。
1221年の承久の乱では、御家人は団結して幕府のために戦って勝利し、
幕府も御家人の働きに対して領地を分け与えるなど、恩賞でこたえました。
しかし、1274年(文永11)と1281年(弘安4)の2回にわたり行われた蒙古 (元)の日本侵略。費用の自己負担で幕府への不満の高まり、この戦で領地を得た訳じゃないので領地などの恩賞が与えられない。
40: 日本@名無史さん 2024/02/01(木) 20:47:42.81
1297年(永仁5年)「永仁の徳政令」を鎌倉幕府が出した、「御家人」の「土倉」への借金を帳消しにし、担保を所有者の御家人へ返還させる法令を出したが効果は薄かった。
で御家人の不満は高まる一方。
元弘の乱、1331年が起き鎌倉幕府打倒を掲げる後醍醐天皇の勢力と、幕府及び北条得宗家の勢力の間で行われた全国的内乱で遂に鎌倉幕府は滅亡へと。
で御家人の不満は高まる一方。
元弘の乱、1331年が起き鎌倉幕府打倒を掲げる後醍醐天皇の勢力と、幕府及び北条得宗家の勢力の間で行われた全国的内乱で遂に鎌倉幕府は滅亡へと。
42: 日本@名無史さん 2024/02/01(木) 22:00:28.28
北条氏が安定を求めて自家とその取り巻きに権限を集中させたら、それによって発生した歪みで滅んだわけだから、本来は単なるトップの挿げ替えだけで済んだはずなんだが、そこに謎のカリスマ後醍醐天皇が時代をかき回しまくったおかげでカオスになっちゃったんだよね。
44: 日本@名無史さん 2024/02/02(金) 03:44:57.42
ハインリッヒの法則
1の重大案件と10の案件と300のヒヤリ案件の法則から考えるに史料に乗らないような不満がたまってたんだろうな
1の重大案件と10の案件と300のヒヤリ案件の法則から考えるに史料に乗らないような不満がたまってたんだろうな
45: 日本@名無史さん 2024/02/02(金) 20:10:32.10
長崎円喜が大河ドラマ太平記言ってたが、朝廷公家は我ら武家よりはるかに広大な所領を持っていて官の長を独り占めにしていると
ようは朝廷の方がはるかに金持ちだったってこと
ようは朝廷の方がはるかに金持ちだったってこと
521: 日本@名無史さん 2025/02/11(火) 22:56:43.54
元々幕府は御家人たちの互助組織的な位置で、他の地域の武士は御家人ではなく、幕府のケライではなかった
元寇のときに権限拡大されて他の地域の武士や寺社など様々なケライを抱える必要が出たことで、御家人保護が難しくなり自壊に向かったのではないか?
元寇のときに権限拡大されて他の地域の武士や寺社など様々なケライを抱える必要が出たことで、御家人保護が難しくなり自壊に向かったのではないか?
528: 日本@名無史さん 2025/02/12(水) 13:30:15.63
>>521
各国の守護が国人や地頭、在庁官人たちを被官化して権力を拡大したことも大きいな。
つまり、幕府が守護を抑えられなくなり統制力が弱まった。
この構図は室町幕府でも続き、さらなる権力を与えられた守護大名が足利将軍の首を挿げ替えるような事態になった。
そして戦国時代に突入したのであった。
各国の守護が国人や地頭、在庁官人たちを被官化して権力を拡大したことも大きいな。
つまり、幕府が守護を抑えられなくなり統制力が弱まった。
この構図は室町幕府でも続き、さらなる権力を与えられた守護大名が足利将軍の首を挿げ替えるような事態になった。
そして戦国時代に突入したのであった。
522: 日本@名無史さん 2025/02/12(水) 00:32:29.16
12’70年代から13’12年頃までは異常低温。
その直後から13’30年頃までは一転して異常高温。
先ずは災害飢饉年表を繙いて両者による激甚自然災害群やそれに伴う壊滅的生産状況を知るべし。
その直後から13’30年頃までは一転して異常高温。
先ずは災害飢饉年表を繙いて両者による激甚自然災害群やそれに伴う壊滅的生産状況を知るべし。
523: 日本@名無史さん 2025/02/12(水) 08:25:25.72
当然、自然現象による飢饉の影響もあったかもしれない。
しかし、それに対応できなかったは幕府や、所領を独占していた北条得宗家にも恨みを持つものが出てきた。
逆に飢饉という非常事態に幕府が対応できていれば違った歴史になっていたかもしれない。
江戸時代にも何度も飢饉があったが江戸幕府は滅びなかった。
自然現象を考慮に入れるのは大事だが、あくまで時の政権の対応力による。
もちろん突然隕石が落下して大氷河期が起きたというのなら人ではどうすることもできないがな。
しかし、それに対応できなかったは幕府や、所領を独占していた北条得宗家にも恨みを持つものが出てきた。
逆に飢饉という非常事態に幕府が対応できていれば違った歴史になっていたかもしれない。
江戸時代にも何度も飢饉があったが江戸幕府は滅びなかった。
自然現象を考慮に入れるのは大事だが、あくまで時の政権の対応力による。
もちろん突然隕石が落下して大氷河期が起きたというのなら人ではどうすることもできないがな。
525: 日本@名無史さん 2025/02/12(水) 09:09:45.26
ポンペイの街はベスピオ火山の噴火によって滅んだというのであれば分かるが、鎌倉幕府が飢饉によって滅んだというのは全く説明になってない。
前者は人為ではどうすることもできなかったのに対し、後者は人為が介在する余地はいくらでもあった。
自然と人間のどちらに比率を置くかは各自の視点によるが、人為を視野狭窄などと断ずるのは野蛮な思考である。
前者は人為ではどうすることもできなかったのに対し、後者は人為が介在する余地はいくらでもあった。
自然と人間のどちらに比率を置くかは各自の視点によるが、人為を視野狭窄などと断ずるのは野蛮な思考である。
526: 日本@名無史さん 2025/02/12(水) 12:10:53.89
当時の幕府は経済政策とかの権限も持ってないし、飢饉対策なんて有り得ないけどな
527: 日本@名無史さん 2025/02/12(水) 12:44:26.50
>>526
だから、それで鎌倉幕府は滅びたんだろ。
権限持ってないとか対策できないとか言い訳してるから滅びた。
だから、それで鎌倉幕府は滅びたんだろ。
権限持ってないとか対策できないとか言い訳してるから滅びた。
531: 日本@名無史さん 2025/02/12(水) 19:31:38.77
>>527
幕府にそれを期待してる人などいなかったのに、誰が何に失望したんだよ?
幕府にそれを期待してる人などいなかったのに、誰が何に失望したんだよ?
533: 日本@名無史さん 2025/02/13(木) 09:24:42.77
>>531
だから、御家人たちが鎌倉幕府じゃもう駄目だと思って天皇方について幕府は滅びた。簡単な理屈だろ。
直接年貢を取り立てる地頭だって幕府のお墨付きで所領を管理してるんだから。
必然的に不満は幕府に向く。簡単な理屈だろ
だから、御家人たちが鎌倉幕府じゃもう駄目だと思って天皇方について幕府は滅びた。簡単な理屈だろ。
直接年貢を取り立てる地頭だって幕府のお墨付きで所領を管理してるんだから。
必然的に不満は幕府に向く。簡単な理屈だろ
534: 日本@名無史さん 2025/02/13(木) 09:31:54.40
>>526の根拠を詳しく聞きたい。
幕府が経済政策の権限を持ってないとはどういう意味か?じゃぁ誰が権限を持っていたのか?
民衆が飢餓に苦しんでる時に対策を立てるのは誰なのか?
その点を詳しく説明してくれ。
幕府が経済政策の権限を持ってないとはどういう意味か?じゃぁ誰が権限を持っていたのか?
民衆が飢餓に苦しんでる時に対策を立てるのは誰なのか?
その点を詳しく説明してくれ。
535: 日本@名無史さん 2025/02/13(木) 12:09:25.28
>>534
経済政策という概念が存在しなかったので、誰もやってない
飢饉対策は朝廷と国司郡司の仕事だが、この頃にはあまり機能していないと思う
全く機能していないわけではないと思うが
経済政策という概念が存在しなかったので、誰もやってない
飢饉対策は朝廷と国司郡司の仕事だが、この頃にはあまり機能していないと思う
全く機能していないわけではないと思うが
532: 日本@名無史さん 2025/02/12(水) 19:51:08.76
当初は後醍醐天皇の方が北条幕府より、自分たちに良い政治をするとだろうと、武士に思われて支持されたんだから
幕府に不満があったんだろう
幕府に不満があったんだろう
550: 日本@名無史さん 2025/04/06(日) 12:44:19.55
結局幕府が
後の旗本八万期、直轄領石高290万、後に400万
と言われた徳川ほど広大な領土も武力も持てなかったことが悪い
大内や山名をつぶしたほど国取り上げて足利直轄領にしとけばよかったのに
後の旗本八万期、直轄領石高290万、後に400万
と言われた徳川ほど広大な領土も武力も持てなかったことが悪い
大内や山名をつぶしたほど国取り上げて足利直轄領にしとけばよかったのに
562: 日本@名無史さん 2025/05/14(水) 20:17:53.32
鎌倉幕府が滅亡しなかったかもしれないポイント
比企能員がノコノコ討たれなければ
実朝が子孫を残していれば
頼仁親王がそのまま将軍になり竹御所との間に子孫が繁栄すれば
四条帝が石を敷かなければ
後嵯峨院が後深草院のみを皇位につけていれば
元が攻め込まなければ
安達泰盛と平頼綱が仲良しならば
北条時村を討たなければ
長崎円喜と安達時顕が家門を再興しなければ
足利高義が足利家を継いで長生きし高氏を出家させてれば
楠木正成の所領が河内ではなく駿河ならば
比企能員がノコノコ討たれなければ
実朝が子孫を残していれば
頼仁親王がそのまま将軍になり竹御所との間に子孫が繁栄すれば
四条帝が石を敷かなければ
後嵯峨院が後深草院のみを皇位につけていれば
元が攻め込まなければ
安達泰盛と平頼綱が仲良しならば
北条時村を討たなければ
長崎円喜と安達時顕が家門を再興しなければ
足利高義が足利家を継いで長生きし高氏を出家させてれば
楠木正成の所領が河内ではなく駿河ならば
597: 日本@名無史さん 2025/06/06(金) 13:22:54.11
指導者層でいえば割と貞時の責任はある気がする
平頼綱滅ぼしたまでは良かったが嘉元の乱で宗方を暴走させ結局大仏宗宣ら一門や特権的支配層を増長させる結果になった
それで酒浸りになり死去
師時宗宣熙時も早死
泰時→経時→時頼→時宗まで機能してた若き得宗を一門の重鎮が支える北条システムが機能しなくなる
長崎円喜安達時顕金沢貞顕らはむしろよく持ちこたえさせた方だろう
平頼綱滅ぼしたまでは良かったが嘉元の乱で宗方を暴走させ結局大仏宗宣ら一門や特権的支配層を増長させる結果になった
それで酒浸りになり死去
師時宗宣熙時も早死
泰時→経時→時頼→時宗まで機能してた若き得宗を一門の重鎮が支える北条システムが機能しなくなる
長崎円喜安達時顕金沢貞顕らはむしろよく持ちこたえさせた方だろう
600: 日本@名無史さん 2025/06/06(金) 18:58:35.48
>>597
北条高時→病弱でまともに政務が取れない、闘犬や田楽にうつつを抜かしたというのは創作
安達時顕・覚海円成→幼少期に霜月騒動で安達氏族滅を経験
長崎円喜→少年~青年期に平禅門の乱で一族の族滅を経験
金沢貞顕→幼少期に父顕時が霜月騒動に連座し逼塞。舅の北条時村は嘉元の乱で討たれ巻き込まれないか六波羅で緊張した日々を送った経験あり
当時の幕府首脳部は若い頃に政変で実家が巻き込まれた経験者ばかりだから事なかれ主義的な方向性になりがちだったのでは
実際高時期って宝治合戦や霜月騒動みたいな鎌倉で大規模な血は流れないし、嘉暦の騒動も上は誰も死ななかった
ただそれはある種の平和ボケみたいなもんで後醍醐や悪党を一気に制圧する胆力も欠けていたのかも
北条高時→病弱でまともに政務が取れない、闘犬や田楽にうつつを抜かしたというのは創作
安達時顕・覚海円成→幼少期に霜月騒動で安達氏族滅を経験
長崎円喜→少年~青年期に平禅門の乱で一族の族滅を経験
金沢貞顕→幼少期に父顕時が霜月騒動に連座し逼塞。舅の北条時村は嘉元の乱で討たれ巻き込まれないか六波羅で緊張した日々を送った経験あり
当時の幕府首脳部は若い頃に政変で実家が巻き込まれた経験者ばかりだから事なかれ主義的な方向性になりがちだったのでは
実際高時期って宝治合戦や霜月騒動みたいな鎌倉で大規模な血は流れないし、嘉暦の騒動も上は誰も死ななかった
ただそれはある種の平和ボケみたいなもんで後醍醐や悪党を一気に制圧する胆力も欠けていたのかも
598: 日本@名無史さん 2025/06/06(金) 15:08:57.56
元寇の際に交戦のために朝廷から新規に委譲された権限に幕府が対応できなくて統治がgdgdになっていったって側面もあるよな
602: 日本@名無史さん 2025/06/07(土) 06:14:51.90
元寇から半世紀経って大規模な軍勢を率いる力が北条にはなかった
北条軍は狭い鎌倉での市街戦は得意でも河内や播磨や関東でも負け続けてるからな
武士とはいいながら実態は都市貴族に近かったんだろう
北条軍は狭い鎌倉での市街戦は得意でも河内や播磨や関東でも負け続けてるからな
武士とはいいながら実態は都市貴族に近かったんだろう
603: 日本@名無史さん 2025/06/07(土) 08:41:09.52
鎌倉幕府というのは本来関東の武士団が権利防衛のために作った協同組合であって日本全国を統治する政権としての建付けになんかなっていないしそんな意思もなかった
にも関わらず承久の乱や元寇を経てなし崩しでその位置付けになってしまったので矛盾が吹き出して来た
にも関わらず承久の乱や元寇を経てなし崩しでその位置付けになってしまったので矛盾が吹き出して来た
604: 日本@名無史さん 2025/06/07(土) 14:29:55.07
優秀な官僚を大量生産する教育機関が無い時代や、そもそも組織を立ち上げたばかりの時代は官僚も足りないし組織も試行錯誤の段階。そういう情況では有能なトップが採決しないと回らない。
ここで組織作りに成功しないと短命で崩壊するか、自転車操業を延々続けていくことになる。
鎌倉幕府なんて自転車操業の最たる例で、ひたすら訴訟の処理に追われ続け、病弱だった高時を除いて無能な執権は存在せず、だが歴代執権(後期は得宗)は例外なく代替わりの度に流血で専制権力を確立しなければならなかった。
ここで組織作りに成功しないと短命で崩壊するか、自転車操業を延々続けていくことになる。
鎌倉幕府なんて自転車操業の最たる例で、ひたすら訴訟の処理に追われ続け、病弱だった高時を除いて無能な執権は存在せず、だが歴代執権(後期は得宗)は例外なく代替わりの度に流血で専制権力を確立しなければならなかった。
605: 日本@名無史さん 2025/06/07(土) 14:36:19.83
>>604
武士達の境界争い、領地争いを調停することは、当時の武士達が幕府に求めた機能の中でも二番目に重用な核心的機能だろ
武士達の境界争い、領地争いを調停することは、当時の武士達が幕府に求めた機能の中でも二番目に重用な核心的機能だろ
606: 日本@名無史さん 2025/06/07(土) 15:29:24.82
逆に言うと武士に関わる訴訟処理以上の機能は持たないのが本来なのに他の仕事もせざるを得なくなったからキャパオーバーで崩壊したわけだ
611: 日本@名無史さん 2025/06/09(月) 10:56:40.37
>>606
御成敗式目にも経済政策とか殆ど無いからな
六波羅探題も南都北嶺の寺社勢力とぶつかりつつ後期には悪党も出てきて対策に追われる事に
御成敗式目にも経済政策とか殆ど無いからな
六波羅探題も南都北嶺の寺社勢力とぶつかりつつ後期には悪党も出てきて対策に追われる事に
608: 日本@名無史さん 2025/06/07(土) 16:13:28.19
公武合体は鎌倉にこそ必要だった
609: 日本@名無史さん 2025/06/07(土) 16:17:48.91
>>608
その頃の武士には、それほど高い権威がなかったから、公武合体するメリットが朝廷にはなかった
だから倒幕しようとしたんだろ
その頃の武士には、それほど高い権威がなかったから、公武合体するメリットが朝廷にはなかった
だから倒幕しようとしたんだろ
617: 日本@名無史さん 2025/06/11(水) 13:21:22.30
細川重男によると北条義時を武内宿禰の生まれ変わりと持ち上げる風潮があったそうだ
貞時や高時は桓武平氏の通字から一字取ってるし権威を上昇させようと必死だった
そう考えると足利は上手くやってるわ
尊氏を頼朝の再来の様にしようと書札礼を変えたり家時の置文とか「足利は清和源氏の正統で北条に虐げられてきたが天下を取るべき存在」と喧伝しまくってたんだろ
新田をライバルに格上げしたりとか(当時の認識では北畠親房が『神皇正統記』で言う様に新田は足利の一門程度の存在だった)
貞時や高時は桓武平氏の通字から一字取ってるし権威を上昇させようと必死だった
そう考えると足利は上手くやってるわ
尊氏を頼朝の再来の様にしようと書札礼を変えたり家時の置文とか「足利は清和源氏の正統で北条に虐げられてきたが天下を取るべき存在」と喧伝しまくってたんだろ
新田をライバルに格上げしたりとか(当時の認識では北畠親房が『神皇正統記』で言う様に新田は足利の一門程度の存在だった)
624: 日本@名無史さん 2025/06/13(金) 15:40:08.82
元寇の時に「頼朝=義時体制」の再現を狙って惟康王を「源惟康」に臣籍降下させる
御家人達に「源氏の将軍が武家を束ねる」事を浸透させる
平頼綱体制下で惟康を親王にさせ(俗人の孫王が皇籍復帰は異例)、京都に送還(惟康は鎌倉生まれなので実質追放)、持明院統の久明親王→守邦親王と将軍職を世襲
幕府は御家人筆頭の足利貞氏を「源氏嫡流」と認め嫡男を「高義」と名乗らせる
ところが大覚寺統の後醍醐は幕府と当初融和的だったものの自分の系統に皇位を継承させるには幕府が邪魔なので倒幕を開始
その頃足利は高義すでに亡く北条にべったりな貞氏も身罷り本来家督を継ぐはずがなかった高氏が当主に
高氏も高義の子供に家督を譲るのが嫌だったから後醍醐に乗っかる
そして倒幕後全国の武家を束ねるプロパガンダとして立ち上げたのが「源頼朝と同じ清和源氏の足利が征夷大将軍になり天下に号令する」
…なので幕府滅亡の原因はやっぱり元寇だったりして
御家人達に「源氏の将軍が武家を束ねる」事を浸透させる
平頼綱体制下で惟康を親王にさせ(俗人の孫王が皇籍復帰は異例)、京都に送還(惟康は鎌倉生まれなので実質追放)、持明院統の久明親王→守邦親王と将軍職を世襲
幕府は御家人筆頭の足利貞氏を「源氏嫡流」と認め嫡男を「高義」と名乗らせる
ところが大覚寺統の後醍醐は幕府と当初融和的だったものの自分の系統に皇位を継承させるには幕府が邪魔なので倒幕を開始
その頃足利は高義すでに亡く北条にべったりな貞氏も身罷り本来家督を継ぐはずがなかった高氏が当主に
高氏も高義の子供に家督を譲るのが嫌だったから後醍醐に乗っかる
そして倒幕後全国の武家を束ねるプロパガンダとして立ち上げたのが「源頼朝と同じ清和源氏の足利が征夷大将軍になり天下に号令する」
…なので幕府滅亡の原因はやっぱり元寇だったりして
660: 日本@名無史さん 2025/08/29(金) 22:30:03.95
たしかに鎌倉幕府は1333年に滅んだ
・・・が、それ以降は将軍こそいないが、将軍家血筋の鎌倉公方がいて、政治組織も室町幕府とほぼおんなじで運営されてたってことを考えると、実質的に室町時代になっても、関東に限っては鎌倉幕府は続いてたと言えるんじゃないか?
鎌倉公方はその後古河にのがれて古河公方としてさらに100何十年続くわけだから
古河公方が終わるのが、実質的な鎌倉幕府滅亡と言えるのかもしれない
・・・が、それ以降は将軍こそいないが、将軍家血筋の鎌倉公方がいて、政治組織も室町幕府とほぼおんなじで運営されてたってことを考えると、実質的に室町時代になっても、関東に限っては鎌倉幕府は続いてたと言えるんじゃないか?
鎌倉公方はその後古河にのがれて古河公方としてさらに100何十年続くわけだから
古河公方が終わるのが、実質的な鎌倉幕府滅亡と言えるのかもしれない
661: 日本@名無史さん 2025/08/29(金) 22:57:16.55
>>660
幕府という存在が何なのか全く理解していない
幕府という存在が何なのか全く理解していない
663: 日本@名無史さん 2025/08/30(土) 16:17:05.82
>>661
幕府の性質や体制は時代ごとに全く違っている
鎌倉時代や室町時代の幕府は全国の武士すべてを束ねる政権ではない
室町時代の鎌倉府を幕府に似たものと考えるのは、さほど的はずれではないよ
幕府の性質や体制は時代ごとに全く違っている
鎌倉時代や室町時代の幕府は全国の武士すべてを束ねる政権ではない
室町時代の鎌倉府を幕府に似たものと考えるのは、さほど的はずれではないよ
664: 日本@名無史さん 2025/08/30(土) 18:49:29.32
>>663
幕府は武家社会に於ける超越権力体であり今村仁司謂う所の「排除された第三項」である。
その共同幻想の外に在る者と対立こそするが、少なくとも幕府は幕府以上の権力体による掣肘を受けない。
然るに鎌倉府はあくまでも室町幕府体制下の関東行政機構に過ぎず、常に上位権力の干渉を受け続ける。
しかも関東に於いてさえ京都扶持者なる鎌倉府統治範疇外の存在を多数抱えていた。
鎌倉幕府に擬え得るようなものではない。
成氏期以後の所謂古河公方に至っては享徳ノ乱の経過から独立領域権力体即ち「戦国大名」に変質した存在である。
少なくとも成氏期政氏期の二代にわたって戦国大名としては強大な勢力だったが、その強大は同じく戦国大名化を遂げた山内や扇谷と同次元に於ける相対的なものでしかない。
実体強度と引き換えに超越性を喪失した在地権力体だった。
よってこれも幕府相当などとは認め難い。
内訌で弱体化した高基期、北條傀儡と化した晴氏期以後については語るに足りない。
元弘ノ乱を以て鎌倉幕府は名実ともに滅亡した。
議論はおろか文学的感興を容れる余地さえ無い。
幕府は武家社会に於ける超越権力体であり今村仁司謂う所の「排除された第三項」である。
その共同幻想の外に在る者と対立こそするが、少なくとも幕府は幕府以上の権力体による掣肘を受けない。
然るに鎌倉府はあくまでも室町幕府体制下の関東行政機構に過ぎず、常に上位権力の干渉を受け続ける。
しかも関東に於いてさえ京都扶持者なる鎌倉府統治範疇外の存在を多数抱えていた。
鎌倉幕府に擬え得るようなものではない。
成氏期以後の所謂古河公方に至っては享徳ノ乱の経過から独立領域権力体即ち「戦国大名」に変質した存在である。
少なくとも成氏期政氏期の二代にわたって戦国大名としては強大な勢力だったが、その強大は同じく戦国大名化を遂げた山内や扇谷と同次元に於ける相対的なものでしかない。
実体強度と引き換えに超越性を喪失した在地権力体だった。
よってこれも幕府相当などとは認め難い。
内訌で弱体化した高基期、北條傀儡と化した晴氏期以後については語るに足りない。
元弘ノ乱を以て鎌倉幕府は名実ともに滅亡した。
議論はおろか文学的感興を容れる余地さえ無い。
引用元: ・なぜ鎌倉幕府は滅びたのか

滅亡の数十年前から東北とかでは反乱が起こり、幕府では抑えきれなくなってきたのに
地方の乱が続いてから中央も不安定になり、幕府が吹き飛ぶのは足利も江戸も同じ