1: 日本@名無史さん 2017/06/19(月) 22:22:26.77
海からも遠いし、不便な場所に感じる。
なぜ太宰府はあんなところにあったのか。








2: 日本@名無史さん 2017/06/21(水) 06:42:58.52
港からある程度、ひっこんでいるところにある必要があったのでしょう

3: 日本@名無史さん 2017/06/22(木) 20:31:24.17
博多湾沿岸の筑紫と有明海沿岸の肥国の両方を支配するためじゃないかな。
立てた頃はまだ唐との緊張状態はなかったよ。

7: 日本@名無史さん 2017/06/29(木) 08:51:38.59
海岸線付近は侵攻される可能性がある。
だから海岸線付近は雑魚集落に任せる。
そう考えると太宰府辺りにドッシリと集落を構えた方が長く栄える事が出来る。
おまけに太宰府は東西に四王寺や天拝山などが有る。
だから万が一敵が攻めて来ても四方から攻められる事が無い。
あと南北が開けてるから海のある北だけじゃなく南の方からも人が太宰府を経由して往来してた予想される。
そうなると太宰府は北にも南にも目を光らせる事が出来るんだよ。
北は壱岐、対馬、糸島、南は吉野ヶ里~熊本まで様々な集落を束ねる事が出来るのは太宰府のみ。
だから立地的には遥か昔から大集落が形成されてたと予想するのが自然。

要するに邪馬台国は太宰府って事だね。

えっ、邪馬台国の場所?
間違いなく大宰府政庁跡(都府楼跡)の下に埋もれてるよ。
邪馬台国跡地に大宰府政庁を建てたと考えたら合点が行くだろ?

だから邪馬台国は見つからないよ。
何故なら大宰府政庁跡を掘り起こす事は出来ないからな。
あと科学が進歩し掘り起こさずに地中をスキャン出来るようになっても、大宰府政庁を建てる時に邪馬台国跡地は整地されてるだろうからね。

って死んだ婆ちゃんがアツく語ってた。

9: 日本@名無史さん 2017/06/29(木) 12:41:19.22
古代の交易は基本的に海運。
だから太宰府は不便。
ただ、河川も使うことがあり、それなら博多湾と有明海の両方が利用できることになる。

10: 日本@名無史さん 2017/06/29(木) 22:01:57.34
むしろ要害の地で博多にも有明にも行ける要衝。広さも最適。

ここに都城と山城、川をせき止めての防衛網、観世音寺などが築かれたのも、他でもない九州王家の本拠地だったからで、だから白村江の敗戦後都督府が置かれたわけ。
都督府は唐が勝利征服した国には必置の施設で、筑紫の君以下上級幹部が捕虜になったため、国家的敗戦と同じ扱いになったのだろう。

13: 日本@名無史さん 2017/07/02(日) 11:21:03.40
>>10
博多湾側と有明海側の中間の分水嶺に太宰府はあるね
周りに比べ内陸性の気候で雨や雪が多いな。

14: 日本@名無史さん 2017/07/02(日) 11:32:28.63
太宰府は水城や神籠石山城で囲まれてるから防衛を意識した位置取りだろうな。
大宰府政庁は四王寺山の大野城の麓にある。

四王寺山そのものが神籠石山城だからね。

15: 日本@名無史さん 2017/07/02(日) 13:22:28.62
>>14
南側には基肄城が防備を固めてるね
全周囲を防護してる
太宰府自体の周囲にも防護壁があったらしいね。

218: 日本@名無史さん 2017/09/26(火) 22:26:30.39
水城は博多湾方面の侵入から大宰府を守るような位置ですね

225: 日本@名無史さん 2017/10/08(日) 14:20:29.62
地図を見ればわかる
博多湾に上陸して山を避けて南九州に行こうと思ったら大宰府を通るしかない
つまり関所だね

232: 日本@名無史さん 2018/03/10(土) 21:22:53.71
唐寇に備えるためだろう?

実際には攻めてこなかったけれど。

270: 日本@名無史さん 2019/02/04(月) 03:52:50.27
>>1
昔の海岸線調べればすぐそこまで海進してたのが即座に分かるんだぜ

299: 日本@名無史さん 2019/02/06(水) 00:34:21.30
大宰府って弥生時代は海近いよな

300: 日本@名無史さん 2019/02/06(水) 02:58:56.96
>>299
一番大胆な説としては大覚の博多湾と有明海は針摺(大宰府の南側)で繋がってたってのがあるよ

301: 日本@名無史さん 2019/02/06(水) 08:28:28.92
繋がってというより、分水嶺で200メートルくらいしか離れていないから、船を運んだりすれば水運としては連続しているとかなんとか。
博多湾沿岸の邪馬台国(筑紫)と有明海沿岸の狗奴国(肥国)をあわせて支配するにはちょうどいい。

312: 日本@名無史さん 2019/05/17(金) 19:41:58.89
中世でも博多駅辺りまで海だったんだから全然不便じゃない

320: 日本@名無史さん 2019/05/24(金) 07:00:26.28
古代なら不便じゃなかった
鴻臚館と一本道で繋がってたことも判明している

325: 日本@名無史さん 2019/05/24(金) 16:42:40.80
十数年前に実施された大規模な地盤調査で判明したのは福岡空港辺りまでが干潟だったこと
大野城と水城の中間辺りまでが汽水域だったこと

大宰府から現在の海岸線まで約15kmあるが上記調査による御笠川河口まで10kmないくらい

328: 日本@名無史さん 2019/05/24(金) 17:00:37.68
時代をもっと遡れば縄文時代には博多湾と有明海が繋がってた痕跡が多くある

329: 日本@名無史さん 2019/05/24(金) 17:53:56.32
>>328
針摺の瀬戸やな

397: 日本@名無史さん 2019/05/28(火) 21:04:56.06
那津官家の政治・軍事部門が今の大宰府市内に移転した時期が、はっきりしない。
663年の白村江の敗戦によって唐軍の侵攻を恐れて665年に移転したとする説があり、一方、白村江の敗戦とは関係なくそれ以前に移転していたとする説もみられる。
白村江の敗戦後の665年には、防衛拠点として大野城などが造られ、水城も664年には造られていた。
この水城や城の位置については、明らかに大宰府が現在の位置にあったからこそその場所に造られたことが分かる。
とすると、水城などが造られる以前にはすでに政治・軍事機能は移転していた可能性も考えることができそうだ。
大宰府が宗像大社の真南に建てられたと考えることが正しければ、そうした位置決定には時間が必要だから、白村江の敗戦以前から移転のための計画が進んでいたのではないかということになってくる。
ここは、大宰府は白村江の敗戦以前から移転計画が進められていた、とみなすことにしたい。

398: 日本@名無史さん 2019/05/28(火) 21:09:42.98
>>397
まず宗像大社云々はルナ教の妄想だから却下

大野城も水城も完成が664年なのだから、着工は白村江の戦い以前だと思われる

400: 日本@名無史さん 2019/05/28(火) 21:33:51.83
同時期に”太”宰府防衛とは無関係なところにも山城作ってるから「何となく百済移民に作らせた」って可能性も十分にあるんだよな。

412: 日本@名無史さん 2019/05/29(水) 02:41:13.51
天智天皇は、皇太子時代から土木工事好きで書紀を賑している。
那津官家の行政・軍事機能を移し、この新しい政庁に巡らす羅城を構想したのは天智だった可能性もある。
斉明天皇の皇太子となったのが655年だから、その年に大野城を着工していれば、完成の664年は9年後。
だいたい時期が合う。
官家移転、大宰府羅城構想の主導者は天智天皇説を押したい。

413: 日本@名無史さん 2019/05/29(水) 02:51:05.55
>>412
中大兄皇子の発案だったのは間違いないだろ。
ただ、問題定義は「誰が」ではなく「何の目的で」だぞ。

523: 日本@名無史さん 2019/05/30(木) 03:25:52.68
「唐の侵攻にビビって築城した説」じゃなくて
「唐の侵攻まで想定して築城した説」だろ
実際唐は高句麗・百済滅ぼしてんだから為政者として当然過ぎる備えだろ

525: 日本@名無史さん 2019/05/30(木) 05:45:10.73
>>523
それでは倭国、ビビり過ぎだよ。
当時の中国(唐)は倭に全く興味を持ってない、ただの蛮属の国でしかない。
が朝鮮半島は是が非でも欲しかったろう。

そこで筑紫都督府ですよ。
倭国の朝鮮出兵を思い止どまらせ逆に「唐が倭へ侵攻して来る」と思わせれば良いだけ。
日本の将軍(但し征夷大将軍は除く)とは違い中国の将軍には独断専行権があった。

劉将軍が白村江の戦いで惨敗した倭国に「今日から筑紫の地を都督府とする」宣言すれば済む話だ。中国側の史書に「筑紫都督府」なんて記述が有るハズもない。

征夷大将軍・坂上田村麻呂なんかは蝦夷地でやりたい放題だよ。
勝手に朝廷の名で投降してきたヤツに土地を与えたり、、、
独断専行権の為せること。

527: 日本@名無史さん 2019/05/30(木) 07:04:20.42
まぁ筑紫都督府は置いといても中国が本気で「日本に攻め込んでくる」と思ったんだろう。
そう信じるに至るナニかが有ったハズ。

531: 日本@名無史さん 2019/05/30(木) 08:31:17.08
>>527
連合艦隊を失ったから、制海権も失ったことになる。
唐が本気を出したら止めるすべはない。

533: 日本@名無史さん 2019/05/30(木) 10:42:01.20
近代以前の観測技術じゃ制海権の概念なんかないよ
敵がいつ海を渡って来るかなんて来てみないとわからない

585: 日本@名無史さん 2019/05/31(金) 02:39:29.96
誰か大野城や水城の予想CGとか探してきてくれ

587: 日本@名無史さん 2019/05/31(金) 03:32:53.98
俺は大野城ってこういう万里の長城的なやつを想像してたんだが

no title


大野城ってのは山頂の城壁のことを指すようだな
no title


なんか水城もこんなんで意味あるのかよ
no title


ただ大宰府政庁は素晴らしいな
no title

589: 日本@名無史さん 2019/05/31(金) 04:02:13.35
>>587
いや、むしろコレ見て水城を見直したわ
no title

幅60メートル深さ4メートルの外堀が1200メートルも続いてんだぞ
しかもその奥に高さ13メートル幅60メートルの土塁が同じ長さで続いてる
no title


俺が劉徳高で郭務悰からそんな報告受けたら「マジで?!俺もそれ見てみたいわ!来年案内しろよ!」ってゼッタイいうわ

602: 日本@名無史さん 2019/05/31(金) 08:29:16.66
>>587
>俺は大野城ってこういう万里の長城的なやつを想像してたんだが

no title


大野城や基肄城が、大きな大宰府羅城の一部だということが、最近になって判明したんだろ。
しかもこれだけの大規模な城塞について史書にはほとんど記載がなかった。

590: 日本@名無史さん 2019/05/31(金) 04:12:26.40
全然サイズ感が分かんねぇやw

593: 日本@名無史さん 2019/05/31(金) 05:08:29.02
>>590
こんな高さの壁が

no title


このくらい続いとるんやで

no title


しかも壁の手前にこんくらいの水が同じ長さで張ってあるんやで
no title

591: 日本@名無史さん 2019/05/31(金) 04:22:31.61
大宰府ヤベエな・・
条坊とかめっちゃデカイやないか・・・

595: 日本@名無史さん 2019/05/31(金) 05:46:51.46
これで6メートルだからな。
no title


劉徳高や郭務悰が見たことがあるであろう万里の長城はこの高さの慕田峪(上記画像)~黄崖関~山海関くらいだろうから、その倍の高さの水城見たら色々と諦めがつくだろうな(笑)
劉徳高が苦戦を強いられた泗批都城でさえ4メートル(扶蘇山城から推定)しかないし。

609: 日本@名無史さん 2019/05/31(金) 15:51:20.14
>>595
ちょっと待て
自国で4メートルの塀しか作れなかった百済技師が何で倭国に来た途端に13メーターの壁作れんだ?!

599: 日本@名無史さん 2019/05/31(金) 06:56:47.36
これが秀吉の1000年前だからねえ
まあ秀吉の時は名護屋が人や物資やらで野も山も埋め尽くされたらしいし
この400年前には遥か唐に遣使して200年前には高句麗まで攻め込んでんだからこの時代これくらいは出来たんだろう
それだけ天智帝(中大兄)の権力は強かったんだろう

612: 日本@名無史さん 2019/05/31(金) 22:00:46.16
ヒストリアで紹介してた発掘調査中の百済の土塁は10m以上あったんじゃね

613: 日本@名無史さん 2019/05/31(金) 22:43:25.83
>>612
あれが扶蘇山城だったんだが、土台の丘も含めて10メートル
土塁自体は4メートルで間違いない

ただ、13メートル(資料によっては14メートル)あったのは百済技師が無関係な水城の方
大野城と基肄城は6~10ートル

614: 日本@名無史さん 2019/05/31(金) 23:01:36.65
>>613
ビルの横で調査してたのは公州の平地に造った土塁じゃなかったっけ?
その後天然の地形を利用した泗沘に移ったけど

617: 日本@名無史さん 2019/06/01(土) 01:42:35.62
結局、大野城の城壁の中に何があった(何を守ってた)かは不明なのか?

618: 日本@名無史さん 2019/06/01(土) 01:47:00.80
>>617
武器・食料・兵士宿舎以外に何置くの?山城だぞ?

622: 日本@名無史さん 2019/06/01(土) 04:43:40.10
>>618
何の目的で山頂に武器・食料・兵士宿舎を置いて6~10メートルの塀で守るんだよ。

623: 日本@名無史さん 2019/06/01(土) 04:51:42.45
そりゃ兵を置くためだろ?

624: 日本@名無史さん 2019/06/01(土) 05:39:17.17
>>623
なんで都市防衛のための兵士を山頂に置くんだよ

626: 日本@名無史さん 2019/06/01(土) 06:10:21.77
>>624
防衛する必要が無かったんだろ

633: 日本@名無史さん 2019/06/01(土) 11:14:00.65
大野城は大宰府の住民が逃げ込む為に造られた砦だな
大宰府羅城・・・太宰府では城壁の跡が見っかってるな。

635: 日本@名無史さん 2019/06/01(土) 12:27:06.55
結果的に上陸戦にはならなかっただけで、隣国の百済には渡海して上陸している。
備えるのは当然のこと。

大宰府羅城とは、大宰府を囲む全長50キロの城壁で、大野城や基肄城はその一部になる。

引用元: ・なぜ大宰府は不便な場所にあるのか