1: 人間七七四年 2013/05/27(月) 05:35:21.75 ID:w6CgFrwD
関ヶ原前後の日本軍の戦闘力は、世界で比べるとどれくらいの強さよ?
輸送抜きにして考えてみよう。
輸送抜きにして考えてみよう。
3: 人間七七四年 2013/05/27(月) 05:59:40.07 ID:PqjcO/n8
強さなんて、特にこの時代はどこで戦うかどう戦うか何を目的に戦うかで違う。
単純比較は全く意味が無い。
単純比較は全く意味が無い。
4: 人間七七四年 2013/05/27(月) 07:26:22.47 ID:RMEg73bW
この時代、欧州列強は陸軍より海軍を重視していた。
陸なら日本はかなり強かったと言えるが、海戦じゃ朝鮮如きに遅れをとる始末・・・
陸なら日本はかなり強かったと言えるが、海戦じゃ朝鮮如きに遅れをとる始末・・・
8: 人間七七四年 2013/05/27(月) 21:31:06.77 ID:Wp96L87g
日本はユーラシア大陸を相手にしてたからな
遠洋を渡る船の必要性が無かった、当然出遅れる。
遠洋を渡る船の必要性が無かった、当然出遅れる。
38: 人間七七四年 2015/02/01(日) 20:46:38.36 ID:cVh8PurW
ぶっちゃけ硝石の自給ができない時点で問題外だよね
弾丸に使う鉛すら国内で完全に自給できない状態だったし
弾丸に使う鉛すら国内で完全に自給できない状態だったし
39: 人間七七四年 2015/02/02(月) 00:38:12.37 ID:eDDD3+w8
硝石の自給出来る国が例外的だろ
40: 人間七七四年 2015/02/02(月) 01:50:02.51 ID:ZLriS0A/
>>39
ヨーロッパのほとんどの国はもともと硝石が産出する土地ではなかったのに、13~14世紀に硝石醸造法を編み出したことで一気に火薬兵器の利用が広がりました
また、インドには天然の硝石が産出する場所があり、ヨーロッパが自給できるようになるまで輸出も行われていました
たしか同じような場所が東南アジアにもあったと記憶しています
当時火薬革命の進む中で硝石を自給できないのはむしろ珍しい出来事だったのではないでしょうか
ヨーロッパのほとんどの国はもともと硝石が産出する土地ではなかったのに、13~14世紀に硝石醸造法を編み出したことで一気に火薬兵器の利用が広がりました
また、インドには天然の硝石が産出する場所があり、ヨーロッパが自給できるようになるまで輸出も行われていました
たしか同じような場所が東南アジアにもあったと記憶しています
当時火薬革命の進む中で硝石を自給できないのはむしろ珍しい出来事だったのではないでしょうか
43: 人間七七四年 2015/02/05(木) 01:28:04.50 ID:jw221U/q
入手方法はともかく硝石も鉛も必要なだけ有った訳で問題ないんじゃない
44: 人間七七四年 2015/02/05(木) 15:07:01.77 ID:59BvyrhA
本当に必要なだけあったのか?
硝石や鉛が十分になかったせいで滅亡した大名とか居そうだが
硝石や鉛が十分になかったせいで滅亡した大名とか居そうだが
45: 人間七七四年 2015/02/05(木) 18:40:37.45 ID:j/AOo0Ld
火薬の欠乏で戦争の出来なかった大名ってたとえば誰になるのかな?
46: 人間七七四年 2015/02/05(木) 19:34:10.58 ID:fmA7XNoB
>>45
毛利家ですら元就時代に既に硝石は自国生産で賄っているからな。
(古文書が遺っている)
とても思いつかない。
毛利家ですら元就時代に既に硝石は自国生産で賄っているからな。
(古文書が遺っている)
とても思いつかない。
48: 人間七七四年 2015/02/06(金) 13:32:28.76 ID:sNUsOMrG
『検証・長篠合戦』だと武田方の敗因の一つに慢性的な弾薬の欠乏が挙げられてたけどな
49: 人間七七四年 2015/02/06(金) 16:44:02.58 ID:BiNTs3jR
>>48
それが史料に裏打ちされた説ならいいんだがね
それが史料に裏打ちされた説ならいいんだがね
54: 人間七七四年 2015/02/06(金) 21:43:15.41 ID:sNUsOMrG
>>49
天正三年の軍役定書で火薬と弾丸300発分を用意するようにとあるけど、これはそれまでには見られなかった記述で、武田氏が長篠合戦後に弾丸・火薬の不足に危機感を抱いたことを表してるとしてる
天正三年の軍役定書で火薬と弾丸300発分を用意するようにとあるけど、これはそれまでには見られなかった記述で、武田氏が長篠合戦後に弾丸・火薬の不足に危機感を抱いたことを表してるとしてる
55: 人間七七四年 2015/02/06(金) 21:56:54.54 ID:DVLco06/
>>54
宇田川武久氏は長篠の戦い以後は以前より弾丸・火薬というより鉄炮自体をより重視するようになったと指摘しているね
宇田川武久氏は長篠の戦い以後は以前より弾丸・火薬というより鉄炮自体をより重視するようになったと指摘しているね
56: 人間七七四年 2015/02/06(金) 22:00:42.49 ID:sNUsOMrG
>>55
それはそれでちょっと変だな
鉄砲の量を増やしたところで火薬がなければただの棍棒だし
それはそれでちょっと変だな
鉄砲の量を増やしたところで火薬がなければただの棍棒だし
57: 人間七七四年 2015/02/06(金) 22:02:11.04 ID:DVLco06/
>>56
ちょっと言い方がおかしかったか
弾丸・火薬もそうだが鉄炮も一層の増備を求めたという感じ
ちょっと言い方がおかしかったか
弾丸・火薬もそうだが鉄炮も一層の増備を求めたという感じ
58: 人間七七四年 2015/02/06(金) 22:21:19.38 ID:uyESoe16
長篠の戦い以後は鉄砲も弾薬も増やした。
いわゆる火力を増強したってだけで、弾丸・火薬の不足に危機感を抱いたとは読み取れない。曲解だな。
いわゆる火力を増強したってだけで、弾丸・火薬の不足に危機感を抱いたとは読み取れない。曲解だな。
59: 人間七七四年 2015/02/06(金) 22:30:30.25 ID:sNUsOMrG
いや、長篠以前には鉄砲を求めることはあっても、火薬・弾丸の数量まで家臣に細かく指示することはなかったんだから、少なくとも一丁あたりの火薬・弾丸の不足に気づき、改善しようとしていたはず
60: 人間七七四年 2015/02/06(金) 22:38:09.87 ID:uyESoe16
欠乏してるならなら大金のかかる鉄砲は増やさないだろ。
かつかつならただの棍棒増やしてもしょうがないしね
かつかつならただの棍棒増やしてもしょうがないしね
61: 人間七七四年 2015/02/06(金) 22:41:13.74 ID:sNUsOMrG
>>60
だから同時に火薬の量も増やそうとしたんだろ
無理して二兎を追うのは良くあること
だから同時に火薬の量も増やそうとしたんだろ
無理して二兎を追うのは良くあること
64: 人間七七四年 2015/02/06(金) 22:48:41.15 ID:sNUsOMrG
>>61
だからそれまでとは違うのは明確に弾丸・火薬の数量を規定したことにあるんだよ
単に鉄砲を増やしてその分火薬・弾丸も増やすってだけじゃなく最低限これだけは無いとダメってことにしたわけ
だからそれまでとは違うのは明確に弾丸・火薬の数量を規定したことにあるんだよ
単に鉄砲を増やしてその分火薬・弾丸も増やすってだけじゃなく最低限これだけは無いとダメってことにしたわけ
65: 人間七七四年 2015/02/06(金) 23:05:57.13 ID:uyESoe16
じゃあ別視点で、
一挺300発の玉薬は小田原の陣前の北条氏の規定や江戸時代の軍役よりも格段に多い
欠乏してるならこんな無茶な要求はしないはず。相手の火力を上回らんが為の増強が主眼と推測する
一挺300発の玉薬は小田原の陣前の北条氏の規定や江戸時代の軍役よりも格段に多い
欠乏してるならこんな無茶な要求はしないはず。相手の火力を上回らんが為の増強が主眼と推測する
66: 人間七七四年 2015/02/07(土) 00:21:24.71 ID:vA1SS0WK
つかヨーロッパの弾薬定数の数倍か。
実は日本は玉薬天国だったのね。
実は日本は玉薬天国だったのね。
68: 人間七七四年 2015/02/07(土) 05:59:30.11 ID:qVO/WtLe
>>66
火薬は戦国時代以前から交易品として輸出してたから、製造や運用自体はかなり古くから有った
戦国期に火縄銃が伝わると需要が増えて、どの大名でも武器としての火薬を製造、備蓄するのが普通になったんだろう
火薬は戦国時代以前から交易品として輸出してたから、製造や運用自体はかなり古くから有った
戦国期に火縄銃が伝わると需要が増えて、どの大名でも武器としての火薬を製造、備蓄するのが普通になったんだろう
69: 人間七七四年 2015/02/07(土) 06:29:09.57 ID:DKtI3TKy
というか炸裂弾のたぐいは戦国以前から合戦に使われていた。
応仁の乱では火薬を詰めた壺に火縄を付けて投石機で打ち出す兵器のことが記録されている。
応仁の乱では火薬を詰めた壺に火縄を付けて投石機で打ち出す兵器のことが記録されている。
70: 人間七七四年 2015/02/07(土) 08:49:27.78 ID:rzq+OVHV
長篠以後の天正四年の軍役状だけど、弾薬の増強だけじゃなくて「鉄砲上手歩兵の放手あるべし」ということをまず最初に書かれているんだよな
後は天正三年十二月の書状も
「向後長柄を略し、器量之足軽を撰び、鉄砲持参、併て忠節たるべし」
「弓・鉄砲鍛錬なき之族、一切持参せしむべからず之事」
とやはり鍛錬のいきとどいた放ち手とセットにして要求している
ただし弾薬の要求はない
少なくともここからは長篠の敗因が火薬の欠乏ってのは見出しにくい
それよりもまず鉄砲自体とそれを扱う熟練の放ち手を必要としていたのは伝わってくる
後は天正三年十二月の書状も
「向後長柄を略し、器量之足軽を撰び、鉄砲持参、併て忠節たるべし」
「弓・鉄砲鍛錬なき之族、一切持参せしむべからず之事」
とやはり鍛錬のいきとどいた放ち手とセットにして要求している
ただし弾薬の要求はない
少なくともここからは長篠の敗因が火薬の欠乏ってのは見出しにくい
それよりもまず鉄砲自体とそれを扱う熟練の放ち手を必要としていたのは伝わってくる
71: 人間七七四年 2015/02/07(土) 14:53:11.48 ID:BdPsJETA
火薬がなければ鉄砲の訓練もできないので火薬の欠乏は練度不足にもつながるがな
72: 人間七七四年 2015/02/07(土) 16:05:42.63 ID:Vz4+L5Vw
>>71
つまりそれだけ訓練を要求できるということは、とても慢性的な火薬の欠乏で弱っている様子ではないということですね
つまりそれだけ訓練を要求できるということは、とても慢性的な火薬の欠乏で弱っている様子ではないということですね
73: 人間七七四年 2015/02/07(土) 18:48:59.30 ID:vA1SS0WK
ヨーロッパだとまったく訓練しないでぶっつけ本番が当たり前の時期もあったからねぇ
銃兵比率が高くて訓練だけでバカみたいに消費しちゃうからだけど
銃兵比率が高くて訓練だけでバカみたいに消費しちゃうからだけど
156: 人間七七四年 2015/02/13(金) 20:33:46.93 ID:h88GHm1D
実は武田騎馬隊がいたことになってるらしいけど、歩兵の対騎馬戦術ってどれくらい進歩してたん?
157: 人間七七四年 2015/02/13(金) 20:35:06.78 ID:j/b2UuRK
>>156
陣構えが乱れないと騎馬突撃が出来ない程度には
陣構えが乱れないと騎馬突撃が出来ない程度には
158: 人間七七四年 2015/02/13(金) 20:51:41.02 ID:h88GHm1D
>>157
正直騎馬突撃の規模もよくわからん
北条家の岩付衆以外に数百以上の騎馬隊がいた例ってあるの?
正直騎馬突撃の規模もよくわからん
北条家の岩付衆以外に数百以上の騎馬隊がいた例ってあるの?
159: 人間七七四年 2015/02/13(金) 21:02:19.90 ID:j/b2UuRK
>>158
甲斐国に関しては、江戸初期の記録では甲斐で飼育されていた馬の頭数は長篠の軍勢全員を騎馬にしてもお釣りが来るほどなので、そのうち数%が軍馬と成ったと考えても、充分数百規模の騎馬部隊が編成できるポテンシャルがある。
甲斐国に関しては、江戸初期の記録では甲斐で飼育されていた馬の頭数は長篠の軍勢全員を騎馬にしてもお釣りが来るほどなので、そのうち数%が軍馬と成ったと考えても、充分数百規模の騎馬部隊が編成できるポテンシャルがある。
160: 人間七七四年 2015/02/13(金) 21:16:49.27 ID:h88GHm1D
>>159
ポテンシャルはあってもそれが実際になされたかはまた別の話じゃない?
実際の編成が岩付衆以外でどうなってたかを知りたいんだけど
ポテンシャルはあってもそれが実際になされたかはまた別の話じゃない?
実際の編成が岩付衆以外でどうなってたかを知りたいんだけど
161: 人間七七四年 2015/02/13(金) 23:09:44.80 ID:lIexy3PB
包括的な編成表が岩付のしか残ってない
唯一の例に騎馬隊があるなら他でもあったんじゃね程度(ただし臨時編成として)
唯一の例に騎馬隊があるなら他でもあったんじゃね程度(ただし臨時編成として)
162: 人間七七四年 2015/02/13(金) 23:19:14.93 ID:j/b2UuRK
まあ北条で騎馬部隊が編成されていたのなら、馬の産地である甲斐でそれが編成されない理由は見当たらないからなあ。
雑兵物語などの、当国では騎馬で突撃する戦法が恒常的に行われていたという記述、また東国ではすでに兵種別に部隊が編成されていた事実も含めて考えれば、甲斐武田家で騎馬部隊の編成が行われていたと考えても特に不自然ではない。
雑兵物語などの、当国では騎馬で突撃する戦法が恒常的に行われていたという記述、また東国ではすでに兵種別に部隊が編成されていた事実も含めて考えれば、甲斐武田家で騎馬部隊の編成が行われていたと考えても特に不自然ではない。
167: 人間七七四年 2015/02/15(日) 14:28:45.27 ID:9Qr4DgNS
岩付衆の場合だと馬上の装備もバラバラなんだよな確か
少なくとも突撃一辺倒なわけじゃなくちょっと前の時代の西洋騎士のように馬上でも下馬しても戦う感じだったんだろうか
少なくとも突撃一辺倒なわけじゃなくちょっと前の時代の西洋騎士のように馬上でも下馬しても戦う感じだったんだろうか
168: 人間七七四年 2015/02/15(日) 15:18:05.36 ID:XyEoqWMh
もとから武士自身の武器は自由だから
169: 人間七七四年 2015/02/16(月) 20:25:27.16 ID:JzBb8ZEj
>>168
一つのことに特殊化した兵科なら武器が自弁でもそのことに特化した武器をみんなが持つようになるから結果として全員がほぼ同じ装備になる
ところで槍兵の戦列って何列くらいの厚みだったの?
一つのことに特殊化した兵科なら武器が自弁でもそのことに特化した武器をみんなが持つようになるから結果として全員がほぼ同じ装備になる
ところで槍兵の戦列って何列くらいの厚みだったの?
173: 人間七七四年 2015/02/16(月) 23:59:57.11 ID:YrK3Yz2+
>>169
武士は基本的に何でも屋だから
一列横隊か二列
武士は基本的に何でも屋だから
一列横隊か二列
174: 人間七七四年 2015/02/17(火) 00:10:37.91 ID:KJspk1o/
>>173
それいくらなんでも薄すぎないか
騎兵突撃に対抗できそうもないぞ
ちなみに当時のスペインの野戦方陣の場合だと16~22列くらいだったみたいだ
勿論ケースバイケースだから状況によっては多少変化するだろうけど
それいくらなんでも薄すぎないか
騎兵突撃に対抗できそうもないぞ
ちなみに当時のスペインの野戦方陣の場合だと16~22列くらいだったみたいだ
勿論ケースバイケースだから状況によっては多少変化するだろうけど
176: 人間七七四年 2015/02/17(火) 00:27:26.51 ID:zJ8kKBoi
>>174
侍部隊が攻めてきたら侍部隊が迎撃に出るのが日本の戦い方
もともと騎兵突撃をガチっで受け止めようっていう陣形じゃ無い
侍部隊が攻めてきたら侍部隊が迎撃に出るのが日本の戦い方
もともと騎兵突撃をガチっで受け止めようっていう陣形じゃ無い
178: 人間七七四年 2015/02/17(火) 00:53:04.83 ID:zJ8kKBoi
相手の足軽や少数の騎馬に陣形崩されても良いなら侍だけで戦えばいいんじゃね
また縦深のある方陣引いたという記述があればどうぞ
ないなら多少デフォルメされてたとしても屏風絵絵巻にある様な横隊と考えるべきやね
また縦深のある方陣引いたという記述があればどうぞ
ないなら多少デフォルメされてたとしても屏風絵絵巻にある様な横隊と考えるべきやね
179: 人間七七四年 2015/02/17(火) 01:11:04.40 ID:KJspk1o/
>>178
足軽や騎馬には侍が対抗しちゃいけないってルールでもあるのか?
つかそれこそ侍に対して足軽や騎馬が対応すればいいだけの話だろ
騎兵突撃が普通に行われてたのに対して対騎兵戦術が全く発達してないのはおかしいって話
縦深が一列や二列しかないのに騎兵の突撃を止められるっていうのはいくらなんでもおかしいだろ
絵巻では単に省略して画かれてると考えた方が筋が通るんじゃないか
足軽や騎馬には侍が対抗しちゃいけないってルールでもあるのか?
つかそれこそ侍に対して足軽や騎馬が対応すればいいだけの話だろ
騎兵突撃が普通に行われてたのに対して対騎兵戦術が全く発達してないのはおかしいって話
縦深が一列や二列しかないのに騎兵の突撃を止められるっていうのはいくらなんでもおかしいだろ
絵巻では単に省略して画かれてると考えた方が筋が通るんじゃないか
180: 人間七七四年 2015/02/17(火) 02:57:01.74 ID:zJ8kKBoi
何言ってるかわからん
じゃあ徳川元和軍役規定で最低限備を組める1万石クラスだと総勢約250名で鑓50本うち3割持槍として長柄は35人
長柄35人で備を守る陣形を組んでみよう。横隊にしかならんよね
じゃあ徳川元和軍役規定で最低限備を組める1万石クラスだと総勢約250名で鑓50本うち3割持槍として長柄は35人
長柄35人で備を守る陣形を組んでみよう。横隊にしかならんよね
184: 人間七七四年 2015/02/17(火) 04:32:24.05 ID:KJspk1o/
>>180
対応する騎馬が14騎しかいないんだから小競り合いレベルにしかならんだろ
その程度ならそれで十分じゃねえの
ただ岩付衆みたいな数百騎規模の騎馬相手にしたらそんなわけにはいかないわけで
対応する騎馬が14騎しかいないんだから小競り合いレベルにしかならんだろ
その程度ならそれで十分じゃねえの
ただ岩付衆みたいな数百騎規模の騎馬相手にしたらそんなわけにはいかないわけで
186: 人間七七四年 2015/02/17(火) 09:42:02.03 ID:zJ8kKBoi
>>184
軍勢が大きくなっても割合は変わらないわけですべてを小競り合いで済ますのは乱暴でしょう
岩附衆のは騎馬を引き抜かれた部隊は騎馬無しになってしまう諸刃の剣で、今回限りの臨時編成だからおいそれとはできない物で例外と言えるもの
軍勢が大きくなっても割合は変わらないわけですべてを小競り合いで済ますのは乱暴でしょう
岩附衆のは騎馬を引き抜かれた部隊は騎馬無しになってしまう諸刃の剣で、今回限りの臨時編成だからおいそれとはできない物で例外と言えるもの
187: 人間七七四年 2015/02/17(火) 19:27:48.70 ID:KJspk1o/
>>185-186
ということは数百騎規模の騎馬隊はかなり珍しい例だったということ?
じゃあ通常、戦場ではどれくらいの規模だったんだろう
ということは数百騎規模の騎馬隊はかなり珍しい例だったということ?
じゃあ通常、戦場ではどれくらいの規模だったんだろう
191: 人間七七四年 2015/02/17(火) 21:47:18.02 ID:zJ8kKBoi
>>187
北条の他の武将に出された軍役状だと平均騎馬率は10%ちょっと。
武田上杉徳川も近い比率なので騎馬率十数%が東国の通常編成といえる
岩附衆は騎馬率が戦闘員の半数近くでこれらから大幅に超過してて異常
しかも今回限りと断り書きがある臨時に編成されたものと推測できるもので、長篠で織田が近畿各将から鉄砲隊を引き抜いて臨時の鉄砲隊を組んだのと同じ事と思われる
引き抜かれた武将は戦力が低下するリスクがあるのでしょっちゅうやるわけには行かないだろう
今のところ史料も1例しかないし
北条の他の武将に出された軍役状だと平均騎馬率は10%ちょっと。
武田上杉徳川も近い比率なので騎馬率十数%が東国の通常編成といえる
岩附衆は騎馬率が戦闘員の半数近くでこれらから大幅に超過してて異常
しかも今回限りと断り書きがある臨時に編成されたものと推測できるもので、長篠で織田が近畿各将から鉄砲隊を引き抜いて臨時の鉄砲隊を組んだのと同じ事と思われる
引き抜かれた武将は戦力が低下するリスクがあるのでしょっちゅうやるわけには行かないだろう
今のところ史料も1例しかないし
190: 人間七七四年 2015/02/17(火) 21:28:17.88 ID:BrLiApW4
>>189
まあ場所も状況もそれぞれの合戦で全部違うのだから、騎馬部隊を編成するのがいいと考えればそれが編成されるし、必要ないと考えられれば編成されないだけの話かと。
兵種別の部隊を常に一定数常備している近代軍隊と一緒に考えない方がいい。
まあ場所も状況もそれぞれの合戦で全部違うのだから、騎馬部隊を編成するのがいいと考えればそれが編成されるし、必要ないと考えられれば編成されないだけの話かと。
兵種別の部隊を常に一定数常備している近代軍隊と一緒に考えない方がいい。
192: 人間七七四年 2015/02/17(火) 21:59:27.79 ID:zJ8kKBoi
>>189
東国系の通常の編成は
騎馬10%強、長柄・持ち槍60%、鉄砲弓15%強、残りは旗や手明歩者などで、数百人規模の備といわれる大隊クラスの部隊を編成する感じ
あと比率の傾向としては後年になるにつれ鉄砲大目、西国は騎馬少な目
実際の戦場自体はこの規模の大隊同士の勝ち抜き戦とも言われる
東国系の通常の編成は
騎馬10%強、長柄・持ち槍60%、鉄砲弓15%強、残りは旗や手明歩者などで、数百人規模の備といわれる大隊クラスの部隊を編成する感じ
あと比率の傾向としては後年になるにつれ鉄砲大目、西国は騎馬少な目
実際の戦場自体はこの規模の大隊同士の勝ち抜き戦とも言われる
193: 人間七七四年 2015/02/18(水) 01:01:10.01 ID:QiAUHJjr
こうしてみると「なぜ数百騎以上の騎馬隊が編成されなかったのか」って問いは、「なぜ日本では歩兵と騎兵の分離が行われなかったのか」って問いと同義なのかもな
194: 人間七七四年 2015/02/18(水) 01:06:38.19 ID:EqMmNWpK
そもそも大規模な騎馬隊を展開できる地形が少ない。関東の一部くらいだ。
195: 人間七七四年 2015/02/18(水) 01:27:19.99 ID:QiAUHJjr
数千騎とかならともかく数百騎程度なら大規模でもなんでもないと思うが
196: 人間七七四年 2015/02/18(水) 01:39:21.97 ID:EqMmNWpK
例えば数百台の車が一斉に走り回れるような土地が日本にどれだけあるか。そういう想像力を働かせるべき
つか西洋でも「総数」はともかく、局地戦で数百も騎馬隊配備するなんてのはめったにないぞ
つか西洋でも「総数」はともかく、局地戦で数百も騎馬隊配備するなんてのはめったにないぞ
197: 人間七七四年 2015/02/18(水) 02:11:09.68 ID:QiAUHJjr
例えば騎兵の正面占有面積が2mだとすると200騎×2の合計400騎の騎兵隊がいたとして
それぞれが4列の横隊を組めば50m×2=100mが正面の面積になるわけだけど
日本の土地はその程度の騎馬隊も走り回れないくらい狭い土地ばかりだったわけ?
あとヨーロッパじゃ普通に騎馬隊1000騎以上配備されてるよ
Battle of MookerheydeとかBattle of Gemblouxで
それぞれが4列の横隊を組めば50m×2=100mが正面の面積になるわけだけど
日本の土地はその程度の騎馬隊も走り回れないくらい狭い土地ばかりだったわけ?
あとヨーロッパじゃ普通に騎馬隊1000騎以上配備されてるよ
Battle of MookerheydeとかBattle of Gemblouxで
198: 人間七七四年 2015/02/18(水) 02:49:52.53 ID:EqMmNWpK
>>197
典型的な卓上の空論だな。馬が収容できる、というのと戦場で運用できる、ってのは全くの別物だろ。
あと一部の特異例を上げて全体がそうだというのも典型的な詭弁だなあ。
典型的な卓上の空論だな。馬が収容できる、というのと戦場で運用できる、ってのは全くの別物だろ。
あと一部の特異例を上げて全体がそうだというのも典型的な詭弁だなあ。
199: 人間七七四年 2015/02/18(水) 02:59:31.80 ID:QiAUHJjr
>>198
旋回半径や歩兵の存在とか考えても敵味方合わせて2キロ四方の戦場に収まると思うが
この時期のヨーロッパで数百騎以下の騎兵の運用なんて聞いたことがない
俺の挙げた例を特異例と呼ぶならそっちがヨーロッパで行われた数百騎以下の騎兵の運用を挙げてくれ
旋回半径や歩兵の存在とか考えても敵味方合わせて2キロ四方の戦場に収まると思うが
この時期のヨーロッパで数百騎以下の騎兵の運用なんて聞いたことがない
俺の挙げた例を特異例と呼ぶならそっちがヨーロッパで行われた数百騎以下の騎兵の運用を挙げてくれ
200: 人間七七四年 2015/02/18(水) 08:37:02.22 ID:veirIITQ
そもそも一番槍を目指す侍が素直に戦列を組むものか
235: 人間七七四年 2015/02/21(土) 02:12:03.86 ID:YbrGuUEJ
騎兵と騎兵が戦うときにリーチの長い槍を使わないっていうのは変な話だな
239: 人間七七四年 2015/02/21(土) 11:36:32.27 ID:sVqevmfU
>>235
甲陽軍鑑の記述のうち、「鑓」「やり」っていう単語が出てくるヶ所を130か所程度
見返してみたけど、馬上で鑓を使う描写は見当たらなかった
騎馬兵同士が一定の距離から互いにランスチャージしあうような場面もそもそもないように思う
一定の距離で騎馬兵同士が向き合った場合、攻撃側は馬で「乗り入れ」てくるけど、迎え撃つ側は大体歩兵に守られているか、馬からわざわざ降りてから戦ってたりする
たとえば、板垣信形の命で不用意に物見に出された60騎が、敵200騎に追われて逃げてくるのを横田美濃守が同心2~30人とともに待ち受けて助けた場面で、横田は馬で「乗りよせ、敵ちかくにて馬よりをりたち」鑓で敵4騎を「つゐておとし」再び騎乗して、武者ではなく、馬を突くよう同心に指示して、敵を撃退してる(巻9)
甲陽軍鑑の記述のうち、「鑓」「やり」っていう単語が出てくるヶ所を130か所程度
見返してみたけど、馬上で鑓を使う描写は見当たらなかった
騎馬兵同士が一定の距離から互いにランスチャージしあうような場面もそもそもないように思う
一定の距離で騎馬兵同士が向き合った場合、攻撃側は馬で「乗り入れ」てくるけど、迎え撃つ側は大体歩兵に守られているか、馬からわざわざ降りてから戦ってたりする
たとえば、板垣信形の命で不用意に物見に出された60騎が、敵200騎に追われて逃げてくるのを横田美濃守が同心2~30人とともに待ち受けて助けた場面で、横田は馬で「乗りよせ、敵ちかくにて馬よりをりたち」鑓で敵4騎を「つゐておとし」再び騎乗して、武者ではなく、馬を突くよう同心に指示して、敵を撃退してる(巻9)
240: 人間七七四年 2015/02/21(土) 11:43:06.12 ID:sVqevmfU
ちなみに>>239の話で、逃げてきた大物見の騎馬60騎には「かち(徒歩)者壱人も添」えられていなかったから、指揮官である板垣の甥にあたる荻原与惣左衛門が、敵は弓矢巧者で地の利もあるから弓・鉄砲衆を一人も添えず、鑓もちを一人もめしつれないのは危険だ、大物見は止めて一人か二人気の利いたやつを偵察に出すべきだ、と諫言してる。
つまりこの大物見は純粋に騎馬しかいない部隊でおこなわれたことになる
通常の運用ではないんだろうし、甲陽軍鑑の信憑性についてもいろいろあるけれど、天文期の出来事として、こうした兵種をそろえた部隊が選抜運用されていたっていう記録があるのは、騎馬兵がどのように運用されたか、戦国時代の軍隊がどのようなものであったか考えるにあたり、結構意味があるんではなかろうか
つまりこの大物見は純粋に騎馬しかいない部隊でおこなわれたことになる
通常の運用ではないんだろうし、甲陽軍鑑の信憑性についてもいろいろあるけれど、天文期の出来事として、こうした兵種をそろえた部隊が選抜運用されていたっていう記録があるのは、騎馬兵がどのように運用されたか、戦国時代の軍隊がどのようなものであったか考えるにあたり、結構意味があるんではなかろうか
241: 人間七七四年 2015/02/21(土) 11:57:45.91 ID:RfXAP9Sx
軍鑑は相手を崩してから騎馬突撃をしろというスタンスだから、太刀サーベル騎兵での乱戦主眼の運用だったのかもな
242: 人間七七四年 2015/02/22(日) 14:33:31.12 ID:4G1G+hNl
ヨーロッパの胸甲騎兵はサーベルの他に対騎兵を想定してピストルを持ってたから槍が使えなかっただけなので、別に乱戦主眼にしてたわけではないんだけど、サーベルだけじゃ突撃衝力が足りないってことになって結局槍騎兵復活してるし
つまり槍持たない理由になってない
つまり槍持たない理由になってない
238: 人間七七四年 2015/02/21(土) 07:34:37.13 ID:sVqevmfU
甲陽軍鑑がたびたび強調してるのは、馬上は不安定だから、徒歩の敵と騎乗したまま真っ向から戦うのは不利だ、って点
たとえば具体的な逸話として、今井伊勢守が、馬からはぐれて一人で退却する敵の侍を馬で「乗りころばさん」としたら、その徒歩の侍が鑓を構えて突き落とそうとしてきた。
馬から降りた侍は「はたらきじゆふ」(働自由)なのに対し、馬上は「ふじゆふ」(不自由)だけど馬に乗って逃げるのは「ひきやう」(卑怯)だから、知り合いのふりして話しかけて時間を稼ぎ、その間に駆け付けた徒歩の部下たちを使って敵を打ち取った(巻15)っていう、甲陽軍鑑は激賞してるんだけど、かっこいいんだか悪いんだかよくわからん話が載ってる
たとえば具体的な逸話として、今井伊勢守が、馬からはぐれて一人で退却する敵の侍を馬で「乗りころばさん」としたら、その徒歩の侍が鑓を構えて突き落とそうとしてきた。
馬から降りた侍は「はたらきじゆふ」(働自由)なのに対し、馬上は「ふじゆふ」(不自由)だけど馬に乗って逃げるのは「ひきやう」(卑怯)だから、知り合いのふりして話しかけて時間を稼ぎ、その間に駆け付けた徒歩の部下たちを使って敵を打ち取った(巻15)っていう、甲陽軍鑑は激賞してるんだけど、かっこいいんだか悪いんだかよくわからん話が載ってる
引用元: ・戦国時代の日本の軍事力




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