1: 世界@名無史さん 2018/04/14(土) 08:16:23.21 0
世界史のホロリとくるエピソードを挙げていこう








4: 世界@名無史さん 2018/04/23(月) 12:02:28.13 0
鈴木善幸総理がヨーロッパ諸国を歴訪した。
サッチャー首相は会談の後ぽつりとつぶやいた。
「日本の総理大臣だったら毎日忙しいでしょうに、あの人は何しに来たんでしょう?」

6: 世界@名無史さん 2018/04/23(月) 22:27:40.21 0
サッチャー首相は睡眠時間3時間の頑張り屋さんだったものな。
モーレツ社員がぼんやり社員を見て抱く感情に近いものがあったろう。

49: 世界@名無史さん 2020/03/29(日) 16:04:20.36 0
>>6
政権ピーク時には、執務室から泣きながら退室する閣僚が続出。
大臣になったからとふんぞりかえるだけ、みたいな奴は真っ先にボコボコにされてたらしい。

7: 世界@名無史さん 2018/04/23(月) 22:32:46.66 0
スターリンも1日16時間くらい働いてたらしいな
正直羨ましい

44: 世界@名無史さん 2019/07/04(木) 07:55:40.18 0
>>7
スターリン??
デスノートを書くのに忙しかっただけじゃろ

8: 世界@名無史さん 2018/04/24(火) 12:46:48.03 0
雍正帝も超勤勉

10: 世界@名無史さん 2018/04/24(火) 20:54:37.63 0
雍正帝がホゴ紙を使って節約に努めたイイハナシ
故宮展で最大の寵臣の一人に対して「お前らの悪事はお見通し」みたいなことを赤字で書いてて草
真面目だけどちとノイローゼ気味だわ

48: 世界@名無史さん 2020/03/28(土) 15:23:44.38 0
>>10
節約と言えば、徳川家康
家臣「風邪引いてしもたでござる」
家康「ほれ、朝鮮人参の薬」
家臣「おありがとうござ~い!」
家康「贅沢者、紙に包むな、ゴルァ!」

11: 世界@名無史さん 2018/04/25(水) 16:38:01.16 0
康熙帝と雍正帝のどっちのほうがハードワーカーだったのか知りたい

12: 世界@名無史さん 2018/04/25(水) 20:58:35.93 0
そら雍正帝でしょ
康熙帝は英雄帝で勇ましいが別に事務処理能力が高い評価はない

13: 世界@名無史さん 2018/06/13(水) 06:33:35.87 0
今日は何の日 6月13日

「大西洋横断飛行の最初の乗客」
1929年6月13日、大西洋横断飛行の記録樹立を目指してアメリカ東海岸を飛び立ったフランスのカナリア号にはアーサー・シュライバーというアメリカの青年がこっそり乗り込んでいた。
この想定外の密航はフランスで議論を呼んだが、飛行のスポンサーであるアーマン・ロチは、このアメリカの青年は乗り込んだ時点でチームの一員となったのだとして彼をかばい、パリを見物させてアメリカに帰る客船のチケットも買い与えたという。

14: 世界@名無史さん 2018/06/13(水) 11:37:53.44 0
余計な荷物積んで、よく燃料足りたな

15: 世界@名無史さん 2018/06/15(金) 06:51:59.99 0
大雑把なナビゲーション技術しかない時代だから燃料は大目に積んでいただろうな。

20: 世界@名無史さん 2018/07/15(日) 11:03:43.63 0
アレクサンドロス大王と軍はペルシアの砂漠を行軍していた。
暑さと水不足で息も絶え絶えだった。
そこへ斥候が戻ってきて「水を見つけました」とヘルメットに汲んだ水を王へ差しだした。
王はその水で手を洗い地面へ流した。
一同が驚く中、王は言った。
「その水は兵たちが飲むには充分か?」
「水量充分な川でございます」
「よし。ではそこへ案内せよ」

29: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/09/12(水) 21:22:58.20 0
唐朝に仕えた柳公権は優れた書家であり、とりわけ楷書は後世の手本とされたが、皇帝からは上奏文は(通常であれば楷書や行書であるが)草書でもよいとされた程他の書体にも優れており、中国のみならず近隣諸国から来た人々も彼の書を求めて止まなかった。
謝礼に贈られた品は蔵に積まれていたが、時に家僕が盗み出すことがあり、ばれれば分からないと誤魔化したものの、柳は「銀盃が仙を得て飛んで行ったかな」と笑って済ませた。
ただ、硯と筆と本だけは自ら鍵を管理していたという。

30: 世界@名無史さん 2018/09/12(水) 22:28:02.62 0
>>29
柳公権wikiをで調べたら、後年の評価が割と叩き気味で悲しくなった

31: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/09/16(日) 22:28:33.44 0
>>30
米芾ですからね。素行も作風も水と油でしょう。
しかし、大物に批判されるだけ大きな存在であったとも言えます。

33: 世界@名無史さん 2018/11/16(金) 22:48:54.38 0
1661年、オランダのアメルスフォールトという町で「巨石運び」のイベントが開催された。
9トンほどもある岩(オランダでは大きな岩は珍しい)を、数km動かして街に運び入れられるかの賭けが発端で、市民400人が参加して岩を引っ張るお祭り騒ぎに発展した。
https://www.rijksmuseum.nl/en/collection/RP-P-OB-76.762

しかし事が終わって冷静になると、市民はこの大騒ぎが近隣の町からからかわれている事に気が付き、市議会の命令でこの馬鹿馬鹿しい岩は穴をほって埋められてしまった。

この岩は20世紀に入って再発見され、掘り出されて現在は市のアイコンとして公園の台座に鎮座している。今日の市民は、ヨーロッパ各国から岩を引っ張ってきては町の広場に据える無意味な行動を楽しんでいるという。

37: 世界@名無史さん 2019/06/08(土) 06:45:24.87 0
>>33
それは世界のあっちこっちで開かれるギネス記録挑戦イベントに対する皮肉かな?

38: 世界@名無史さん 2019/06/16(日) 12:01:22.41 0
そういうくだらんことを大真面目にやるの楽しいやん
まったく昔の人は糞真面目やったんやな

34: 世界@名無史さん 2018/11/23(金) 06:49:48.05 0
将軍が初めてホレーショ・ネルソンと名前の記された水夫手帳を持って、身を海軍生活に委ねたのはやっとまだ12歳の時でございましたが、ようやく一人前の青年と呼ばれるほどになった頃には、もはや世界一周の航海もしたことがあったので今度フランス国とも戦争が始まると一双の軍艦に艦長となったのでございます。

それである時の海戦では片目を失いまたある時は片足を失くされましたが、将軍はいつも敵弾の真正面に立って卑怯なことが大嫌い。コペンハーゲンというところの戦いでも、将軍の指揮している船が2双までも座礁したので総司令官のパーカー提督は「とてもネルソン将軍に勝利の見込みはあるまい」と言うので戦闘停止の信号を致しました。
しかし将軍は少しもそれに目を注がないで舷舷相摩す敵艦から絶え間なく撃ち出される砲弾の前に立って、少しも躊躇う様子なく、その船の帆柱が敵弾のために打ち折れた時でも「良い敵手である」という有様なので、部下の士官が旗艦に戦闘停止の信号が揚がったことを言うと、将軍はわざと自分の見えない方の目に望遠鏡を押し当てて「そんな信号は見えてない」と冗談で過ごされたということです。

この不抜の精神は、ついに有力なる敵艦隊を破ってその功により将軍は名誉提督の職に引き上げられ、同時に華族に列せられたのでございます。

(英国歴史物語)

36: 世界@名無史さん 2019/05/28(火) 23:40:56.11 0
劉寛蒲鞭

後漢の劉寛という官吏は、その名が体を表すように寛大な人物であった。
あるとき南陽の大守として赴任したが、論語の為政篇にある言葉「刑罰で脅しても、人は刑罰から逃れる事を考えるだけで、恥ずることをしなくなる」を座右の銘と心得え、法に触れた人も鞭打の刑を適用するのではなく、蒲の穂で叩いてその罪を恥じさせたという。

体刑を加えるところをピコピコハンマーで済ませるようなものだろうか。

46: 世界@名無史さん 2019/12/01(日) 18:43:36.16 0
第31代アメリカ大統領フーヴァーとポーランド初代首相パデレフスキの間には27年越しの恩返しという美談がある。
チケットが売り捌けず演奏料を払えないと顔面蒼白な大学時代のフーヴァー青年に対して、大学に招かれた高名なピアニスト、パデレフスキはギャラはいいよと受け取らなかった。
その27年後、政治の世界に入ってポーランドの首相に就任し、第一次世界大戦で荒廃した国土の立て直しに奔走するパデレフスキのもとに、アメリカから大量の食糧援助が届く。食料を送ってくれたアメリカ救済局(ARA)の責任者にパデレフスキが感謝の意を伝えようと面会してみると・・・

47: 世界@名無史さん 2020/02/23(日) 07:52:34.93 0
イスタンブールの通りに、トルコ兵1000人を救った日本人将校の名前がつけられる。
https://www.hurriyetdailynews.com/istanbul-street-named-after-japanese-officer-who-saved-over-1000-turks-152094

第一次世界大戦でロシアに捕らえられたトルコ人捕虜が極東の捕虜収容所に多く送られており、シベリア出兵時にトルコ人捕虜を解放した日本政府は彼らを輸送船平明丸に乗せて故郷に帰すことになった。
途中で敵対するギリシアに船を止められたが、指揮官の津村中佐はトルコ兵を引き渡せというギリシア側の要求を拒み、彼らを故郷に送り届けたという。

56: 世界@名無史さん 2020/05/14(木) 19:14:05.78 0
アイルランド市民がアメリカ先住民に多額の寄付…1847年に170ドルを寄付してもらった恩を返す
http://labaq.com/archives/51920814.html

多くの餓死者を出したアイルランドのジャガイモ飢饉に際して、なけなしのお金を寄付したチョクトー族にアイルランドからの恩返し。



61: 世界@名無史さん 2021/05/22(土) 22:32:49.25 0
ユーグ・カペー(カペー朝の初代王)に「誰がお前を伯爵にしたか」と言われた
アルデベール伯(タレーランの先祖)は「誰がお前を王にしたか」とやり返した

62: 世界@名無史さん 2021/09/19(日) 16:09:40.89 0
ぐぬぬ

63: 世界@名無史さん 2021/09/19(日) 16:13:19.28 0
第二次世界大戦の西部戦線、ドイツ・ベルギー国境またがるヒュルトゲンの森林地帯では1944年秋から翌1945年までアメリカ軍とドイツ軍の激しい戦闘が続き、アメリカ軍はドイツ軍を越える損害を出すほど苦戦した。
この激戦地の跡には、おそらく第二次世界大戦では他に例がないことであろうが、アメリカ軍によって、敵のあるドイツ士官を顕彰する碑が建てられている。

ある日の激しい戦闘の後で、両軍の間の地雷地帯に重傷を負ったアメリカ兵士が取り残されていた。
ドイツ国防軍第275歩兵師団フュージリア大隊第2中隊の指揮官であったフリードリヒ・レンフェルド(Friedrich Lengfeld)中尉は、その米軍兵士を救助する米軍の衛生兵が接近した場合は射撃しないように部下に命じたが米軍からの救助は来なかった。
助けを求めるその米兵の苦痛の声は数時間続き、ついに意を決したレンフェルド中尉は自ら赤十字の旗を掲げてその兵士の救出を試みたが、その途上で対人地雷の爆発により戦死した(享年23)。
https://www.uswarmemorials.org/html/monument_details.php?SiteID=292&MemID=519

35: 世界@名無史さん 2019/04/15(月) 20:30:34.45 0
ハゲ頭のパラドックス

古代ギリシャの哲学者、エウブリデスは「すべての人間はハゲである」というパラドックスを考案した
そうそう、要は気の持ちようだよ



40: 世界@名無史さん 2019/06/16(日) 12:04:36.58 0
>>35
そのエウブリデスとかいうオッサンは自分のハゲの言い訳を必死で考えたんやろな(´;ω;`)

引用元: ・☆ 世界史ちょっといい話 ☆