1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/14(水) 14:40:30 ID:wDwE/i4U
家臣によって城を追われた無能者。何度も奪還をこころみるも結局返り咲くことが出来なかった敗北者。
誰か適当に語ってくれ。
誰か適当に語ってくれ。
6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/15(木) 02:43:36 ID:IgTwT+SJ
二本松の人だっけ?
息子が伊達輝宗拉致事件起こして殺された人?
息子が伊達輝宗拉致事件起こして殺された人?
8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/15(木) 19:52:17 ID:hetImGf9
>>6
能登畠山家の最期の当主だと思う
重臣の傀儡を嫌がって抵抗したら逆に追放された人
能登畠山家の最期の当主だと思う
重臣の傀儡を嫌がって抵抗したら逆に追放された人
13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/20(火) 21:56:34 ID:nlCxe46N
畠山家臣は癖者揃い
末期は完全に家臣に乗っ取られてた
末期は完全に家臣に乗っ取られてた
18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/08(土) 02:41:21 ID:xq/lO9hs
畠山 義綱(はたけやま よしつな、生年不詳 - 文禄2年12月21日(1593年2月11日))は能登の戦国大名畠山氏当主。畠山義続の嫡男で、妻は六角義賢の娘。
幼名次郎。修理大夫を受領。能登守護・七尾城城主。義胤。出家後は徳栄と名乗る。 1551年(天文21年)、父義続に家督を譲られ継承。義続の後見を受けて傀儡化した大名権力の復興を目指す。
1555年に重臣たちが大名権力を奪った「畠山七人衆」を崩壊させるため、家中で随一の勢力を誇る温井総貞を暗殺し、同年から始まった弘治の内乱を経て大名専制支配を確立した。
このため、能登畠山家では1560年から1566年までは政権が非常に安定していた。しかし、大名専制に反発した家臣が1566年に永禄九年の政変を起こし、義綱と父・義続は追放され、近江に逃亡した。
追放された義綱は、近江で妻の実家の六角氏の援助を受け、復権を試みる。
そして1568年、上杉謙信や神保長職と共同して能登に攻め込んだが、失敗し敗退した。
結局復権することは叶わず1593年12月21日、近江国伊香郡の余吾浦で波乱の生涯に幕を降ろした。法名は興禅院華岳徳栄居士。
ちなみに義綱の二人の息子(義慶・義隆)も、傀儡として重臣たちに擁立され、そのうえ父より早くこの世を去るという悲哀を味わっている。
幼名次郎。修理大夫を受領。能登守護・七尾城城主。義胤。出家後は徳栄と名乗る。 1551年(天文21年)、父義続に家督を譲られ継承。義続の後見を受けて傀儡化した大名権力の復興を目指す。
1555年に重臣たちが大名権力を奪った「畠山七人衆」を崩壊させるため、家中で随一の勢力を誇る温井総貞を暗殺し、同年から始まった弘治の内乱を経て大名専制支配を確立した。
このため、能登畠山家では1560年から1566年までは政権が非常に安定していた。しかし、大名専制に反発した家臣が1566年に永禄九年の政変を起こし、義綱と父・義続は追放され、近江に逃亡した。
追放された義綱は、近江で妻の実家の六角氏の援助を受け、復権を試みる。
そして1568年、上杉謙信や神保長職と共同して能登に攻め込んだが、失敗し敗退した。
結局復権することは叶わず1593年12月21日、近江国伊香郡の余吾浦で波乱の生涯に幕を降ろした。法名は興禅院華岳徳栄居士。
ちなみに義綱の二人の息子(義慶・義隆)も、傀儡として重臣たちに擁立され、そのうえ父より早くこの世を去るという悲哀を味わっている。
22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/10(月) 23:40:34 ID:6GMnUIMn
守護大名出身の大名家が権力強めようとして追放されたり殺害されたりするのはよくある
23: 魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs 2006/07/11(火) 07:51:42 ID:h4iA8ZDl
上条政繁は謙信の養子になったあと、信州の政で揉めたけどその後に畠山姓に戻ったんだっけ?
24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/11(火) 16:26:06 ID:4dpuw5or
政繁・・・上杉を出奔、関ヶ原後畠山に復す
長男景広・・・上杉に仕え続け子孫は畠山に
次男長員・・・上杉を名乗り幕府の高家に
三男義真・・・旗本畠山に
長男景広・・・上杉に仕え続け子孫は畠山に
次男長員・・・上杉を名乗り幕府の高家に
三男義真・・・旗本畠山に
25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/19(水) 19:43:00 ID:kmd/Tkpd
完全に家臣に握られていた大名権力を一瞬だけ復興させた人
26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/20(木) 15:43:29 ID:9OYjOJEo
一生懸命あっちこっちと泳いではいるんだけどね
遊佐加賀に退去→能登侵入した遊佐を破る→温井加賀退去
→遊佐復帰→温井と合戦、最終的には勝つ
→遊佐、長らに追われる
真の味方がいないなあ
遊佐加賀に退去→能登侵入した遊佐を破る→温井加賀退去
→遊佐復帰→温井と合戦、最終的には勝つ
→遊佐、長らに追われる
真の味方がいないなあ
27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 17:36:54 ID:XmsMv43/
30年の安定した治世を築いた7代当主畠山義総でさえも、守護代を通じた間接支配体制であった。
義綱専制時代は能登畠山氏の治世170年間の中で唯一強力な大名直接支配体制を実現した期間であった。その意味でも畠山義綱の行動と功績はもっと評価されていいだろう。
義綱専制時代は能登畠山氏の治世170年間の中で唯一強力な大名直接支配体制を実現した期間であった。その意味でも畠山義綱の行動と功績はもっと評価されていいだろう。
28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/29(土) 10:58:11 ID:p0q+4TVT
その期間は何年ぐらいなの?
29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/01(火) 15:16:22 ID:PepjP9zi
永禄三年~永禄九年ぐらいじゃないかな
113: 人間七七四年 2008/02/27(水) 22:46:23 ID:xXOYGwMM
秋田の畠山って二本松系?
119: 人間七七四年 2008/05/05(月) 00:05:38 ID:lLzHEW06
>>113
秋田の畠山氏はよくわからん。
陸奥畠山氏の二本松義綱の名跡を佐竹が誰かに継がせたとかか。
陸奥二本松の系統は普通以下の通りだと思われる。
義綱の弟の国次は最終的に水野忠善(水野信元の甥の子)に仕え、子孫は家老も務めた。
藩主の移動に伴い岡崎→唐津→浜松→山県に移り、明治時代は山形県に在住したらしい。
水野忠邦(天保の改革の人)に対し諌死した二本松義廉が知られるぐらいだが。
能登畠山氏の一族にも二本松氏はいたが、これと秋田は関係ないだろうな。
秋田の畠山氏はよくわからん。
陸奥畠山氏の二本松義綱の名跡を佐竹が誰かに継がせたとかか。
陸奥二本松の系統は普通以下の通りだと思われる。
義綱の弟の国次は最終的に水野忠善(水野信元の甥の子)に仕え、子孫は家老も務めた。
藩主の移動に伴い岡崎→唐津→浜松→山県に移り、明治時代は山形県に在住したらしい。
水野忠邦(天保の改革の人)に対し諌死した二本松義廉が知られるぐらいだが。
能登畠山氏の一族にも二本松氏はいたが、これと秋田は関係ないだろうな。
126: 人間七七四年 2008/07/22(火) 18:32:21 ID:dC/vg9eZ
義綱一人だけ見ても地味だけど
家中全体を見てみるととたんに面白くなるね
義綱の方は時代に見合った君主専制、七人衆の方は合議制ということらしいけど、それぞれどんな意図や展望があったんだろう
家中全体を見てみるととたんに面白くなるね
義綱の方は時代に見合った君主専制、七人衆の方は合議制ということらしいけど、それぞれどんな意図や展望があったんだろう
127: 人間七七四年 2008/08/09(土) 15:15:58 ID:2hr+2Rs+
義綱の願望は領主権の確立だろな。
131: 人間七七四年 2008/08/28(木) 04:15:32 ID:O/sOkD9k
畠山家って日本海貿易の重要拠点で、神保と上杉の調停役やったりと活躍してたんだけどなぁ。
146: 人間七七四年 2008/11/22(土) 14:31:20 ID:/HuUjrDj
この家は完全に滅亡したんだっけ?
147: 人間七七四年 2008/11/23(日) 11:03:15 ID:4ob5vT2A
幕府高家旗本として残った
148: 人間七七四年 2008/12/01(月) 15:38:32 ID:SfUz80Qk
>>147
上杉謙信の養子になってた上条政繁の系統だっけ?
上杉謙信の養子になってた上条政繁の系統だっけ?
149: 人間七七四年 2008/12/11(木) 10:39:48 ID:aw1QeX+9
義綱の弟で謙信の養子になった上条政繁の血筋とも、七尾落城後謙信に引き取られ謙信死後血縁の政繁の養子となった畠山誰かさんの遺児(義春。春王丸の弟?春王丸本人という説も)の血筋とも。
謙信の北条景広宛書状に「畠山未亡人と結婚しませんか?息子は私が養子にします」と。
政繁と義春が混同されているためどっちがどっちやら。
謙信の北条景広宛書状に「畠山未亡人と結婚しませんか?息子は私が養子にします」と。
政繁と義春が混同されているためどっちがどっちやら。
150: 人間七七四年 2008/12/11(木) 12:40:51 ID:pNWg9+bV
まったくだ、義春=政繁だと超長寿になる
152: 人間七七四年 2008/12/28(日) 02:07:16 ID:+Sg/7Pwo
政繁が直江兼続を奉行として差し置いてほしいと要求したのを景勝が断った際、ねばる政繁について、「五郎殿」なる人物に政繁を説得するよう頼んでるが、此の人が義春(謙信が能登から連れ帰った畠山氏)らしい
153: 人間七七四年 2009/01/03(土) 04:01:09 ID:Ib27/0TL
謙信が七尾から連れ帰った畠山の子(=義春?)は謙信が「義高息子」と言っているので、素直に春王丸の弟と見るべきだと思う。
景勝の姉(妹?)を妻にしたのは政繁で、義春は政繁の養子、兄弟とされる畠山景広、上条長員、畠山義真は政繁の子と義春の子が混ざってるんじゃないか?
景勝の姉(妹?)を妻にしたのは政繁で、義春は政繁の養子、兄弟とされる畠山景広、上条長員、畠山義真は政繁の子と義春の子が混ざってるんじゃないか?
154: 人間七七四年 2009/01/12(月) 22:25:41 ID:rCdpXqpb
そこらへん、よくわからんよな
はっきりしてほしい
はっきりしてほしい
156: 人間七七四年 2009/01/13(火) 15:18:04 ID:/b+mKlTE
義春が七尾から連れ帰った畠山の子とすると、やっぱり景勝妹とはかなり年齢差がある事になると思うんだけど。
景勝妹(次姉という説も)と結婚したのは上条政繁じゃね。
景勝妹(次姉という説も)と結婚したのは上条政繁じゃね。
157: 人間七七四年 2009/01/15(木) 11:23:57 ID:1DTupkxm
しかし安土桃山~江戸前期の人なのに、ここまで人物混同が激しい人も珍しい
158: 人間七七四年 2009/01/15(木) 12:16:11 ID:xTAEpp6s
政繁の没年は97歳なんだっけ?
これも親子二代が混同されてるとか、そんなオチだったりするんだろうか?
これも親子二代が混同されてるとか、そんなオチだったりするんだろうか?
159: 人間七七四年 2009/01/17(土) 13:15:40 ID:ZybphcdS
ちなみに畠山は、名門守護なのに歴代の正室も不明なんだよな
162: 人間七七四年 2009/02/10(火) 20:44:12 ID:uETbRdmj
>>159
そう、名門なのに婚姻関係の記録も無く、さびしい
そう、名門なのに婚姻関係の記録も無く、さびしい
160: 人間七七四年 2009/02/03(火) 14:52:42 ID:FjuHZiaQ
宗家が没落しちゃったから
161: 人間七七四年 2009/02/10(火) 11:05:10 ID:NiwxS0z7
宗家のgdgdっぷりは異常
斯波ほどあっさり消えてったわけでも細川ほど派手に暴れたわけでもないし
明応の政変が痛かったかな
斯波ほどあっさり消えてったわけでも細川ほど派手に暴れたわけでもないし
明応の政変が痛かったかな
163: 人間七七四年 2009/02/10(火) 22:00:38 ID:faP7jqBW
能登畠山は六角から嫁をもらってたような。義続・義綱の亡命先が近江だったし。
164: 人間七七四年 2009/02/11(水) 23:21:40 ID:VnUc18je
義綱あたりだと記録もあるね。満慶~義続あたりまでは正室一切不明だね
165: 人間七七四年 2009/02/27(金) 15:10:22 ID:NEo69Bip
高家として残ったなら 記録ありそうなもんだけど。
166: 人間七七四年 2009/03/03(火) 02:35:34 ID:5yDMcJlz
>>165
能登系は上条宜順、義春の事績もごっちゃになっているという指摘もあるし、かなり錯綜しているんだよね・・。
能登系は上条宜順、義春の事績もごっちゃになっているという指摘もあるし、かなり錯綜しているんだよね・・。
191: 人間七七四年 2009/11/19(木) 14:39:30 ID:2kxYfH0i
戦国期能登って豊かじゃないよね
192: 人間七七四年 2009/12/07(月) 14:13:03 ID:wjCa/okp
国だかで二十万石弱、日本海航路の拠点でもある。
七尾は都から公卿が頻繁に来訪する、一乗谷に準ずる文化都市でもあった。
それを踏まえて考えたら、割合に豊かだったんじゃないの?
七尾は都から公卿が頻繁に来訪する、一乗谷に準ずる文化都市でもあった。
それを踏まえて考えたら、割合に豊かだったんじゃないの?
193: 人間七七四年 2009/12/19(土) 14:06:10 ID:s/ZeerrU
能登随一の湊はどこ?
194: 人間七七四年 2010/01/03(日) 03:37:02 ID:itLsjk9n
内浦はどこも良港
七尾や穴水はにぎわってたみたいだが
七尾や穴水はにぎわってたみたいだが
195: 人間七七四年 2010/01/15(金) 15:07:32 ID:4zACAdwN
畿内や奥州の畠山家とは交流はあったのかな?
196: 人間七七四年 2010/01/27(水) 11:18:03 ID:fBcFTzcr
二本松海運は持ってなさそうだからね
198: 人間七七四年 2010/03/15(月) 08:40:21 ID:aq6zLan7
一族に二本松を名乗っていた人がいたはず
越後上杉経由での付き合いが可能・・・なのかな?
越後上杉経由での付き合いが可能・・・なのかな?
202: 人間七七四年 2010/11/19(金) 17:25:26 ID:qdJPrqLT
能登畠山って奥州の二本松畠山とも付き合いがあったらしいな。
養子まで送ったとか聞くけど。
養子まで送ったとか聞くけど。
212: 人間七七四年 2013/03/13(水) 01:41:32.84 ID:VrLVywI7
兄の畠山義綱は、子に先立たれ返り咲くこともなく失意のうちに死亡
弟の畠山義春は、上杉謙信の養子となったあと波乱万丈な人生をおくり、最終的には幕府旗本から高家に
いったいどこで差がついたのか…
弟の畠山義春は、上杉謙信の養子となったあと波乱万丈な人生をおくり、最終的には幕府旗本から高家に
いったいどこで差がついたのか…
214: 人間七七四年 2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:ubIizJw7
>>212
慢心、環境の違い
慢心、環境の違い
215: 人間七七四年 2014/04/01(火) 01:17:53.60 ID:NMABDvTk
畠山義綱は上杉房定の血を引いてたのか?
216: 人間七七四年 2014/05/19(月) 23:41:34.46 ID:uAmh6Ryw
上杉氏は畠山義元の妻じゃないの?
224: 人間七七四年 2018/05/07(月) 10:31:09.24 ID:0dCaCAYV
能登国守護畠山氏と重臣温井氏 2013.2
畠山義綱考 能登畠山氏末期の領国制 東四柳史明著 国史学会 1972.9
他に資料ないのかなあ
畠山義綱考 能登畠山氏末期の領国制 東四柳史明著 国史学会 1972.9
他に資料ないのかなあ
引用元: ・畠山義綱



