118: 世界@名無史さん 2020/12/21(月) 03:06:37.71 0
乾隆帝までの清は、当時は世界的に見て超大国だよな。

120: 世界@名無史さん 2020/12/21(月) 09:02:00.61 0
>>118
うん。

その後、英国は石炭の利用と新大陸の資源を活用して発展し続けたが、清は資源枯渇で、人口増加に伴い一人あたりGDPが急低下。

121: 世界@名無史さん 2020/12/21(月) 09:45:07.87 0
林則徐を罷免せずに広東防衛を続行してたら、最終的に英国軍を撃退できたよな。
主戦方針を貫く胆力に欠けてふらつき過ぎ。

122: 世界@名無史さん 2020/12/22(火) 17:10:46.30 0
ネルチンスク条約で対等の条約を結んだ当たり、ロシアは強いと清で認識されたんですか?

123: 世界@名無史さん 2020/12/22(火) 17:59:16.43 O
>>122
ネルチンスク条約は清朝にメチャクチャ有利な国境線
このまま現在まで続いてたら、ハバロフスクもウラジオストクも中国領だった
太平天国の乱やアロー戦争のドサクサ紛れに、沿海州などがロシア領になった

125: 世界@名無史さん 2020/12/22(火) 19:35:17.44 0
現在と国境線と比べたらの話だろ

126: 世界@名無史さん 2020/12/22(火) 19:59:33.03 0
アヘン戦争以降の衰勢の清ならともかく、康熙帝、雍正帝の頃によくネルチンスク条約やキャフタ条約をそれぞれ結べたよな。華夷思想が支配的だったのにね。

128: 世界@名無史さん 2020/12/22(火) 21:12:22.16 0
>>126
そこで重要なのがモンゴルのボルジギンの血脈じゃないかな
康熙帝の父方のお祖母さん(ホンタイジの側室)の孝荘文皇后て、実家はボルジギン氏のカサル統
ロマノフ家も、ジョチ・オルス承継諸国家との関わりでボルジギン氏と薄くつながってるでしょ

127: 世界@名無史さん 2020/12/22(火) 20:29:17.49 0
「国境」という近代欧州の概念を極東に持ち込んだだけでも凄い出来事

131: 世界@名無史さん 2020/12/24(木) 13:49:48.12 0
ネルチンスク条約って内容も国境線も普通に清国側の負けだよ。
ロシアに押し切られているし。交渉経過や条約内容知ってるのかね?>123
ただ歴史地図見て、「今より広いじゃん」ってだけで書いてる?

134: 世界@名無史さん 2020/12/24(木) 20:08:45.82 0
>>131
>ネルチンスク条約って内容も国境線も普通に清国側の負けだよ。

じゃあ何でロシア側のヴァシーリー・ゴリツィンは責任を取らされて失脚したのですかね
不凍港を獲得するという当初の目的を達成できないどころか反ってロシア側が半世紀近くかけて整備してきた
アムール川の水運をそのままごっそり清に武力で掠め取られるとかどう見てもロシアの負けだろ

132: 世界@名無史さん 2020/12/24(木) 17:38:10.32 0
摂政ソフィア・アレクセーエヴナは事実上の女性君主としてネルチンスク条約を推進した。

ネルチンスク条約でロシア側としては清との交易の利益を得たものの、念願だった不凍港を獲得できなかったので不満が残りソフィアへの批判が高まっていた。
後にソフィアは失脚し修道院に幽閉され、ピュートル親政が開始。

一方、清側の交渉責任者ソンゴトゥは十数年後に失脚し、投獄。
獄中で死去した。

清はジュンガルと戦争中で、ジュンガルはロシア製大砲を所持し、さらにロシア経由で工業技術を得ようとしていた。
清としてはロシアにジュンガル支援を止めさせて、ジュンガルを孤立させることが最優先でロシアと条約を締結した。

両国の思惑と妥協の産物じゃないかな?

136: 世界@名無史さん 2020/12/25(金) 10:46:01.83 0
>>132
ジュンガルは最後の遊牧帝国。
清軍によるジュンガル滅亡後の北アジア、中央アジアの諸民族はロシアか清のどちらかに服さないといけなくなったんだろうな。

19世紀ぐらいから英国が参入。
ヤクブ・ベクが英国から武器援助を受けて王国建設。
英国とロシアがヤクブ・ベク王国を承認、英国とロシアのにらみ合いが中央アジアで続くが、清朝が意外な猛攻を実行してヤクブ・ベク王国を滅亡させてしまった。
するとロシアと清が対立を深め、開戦寸前までになる。
両国の長い協議の末にイリ条約が成立。
条約成立をうけて清は新疆省を設置し、ウィグル藩部を完全に中国化した。

弱体化しながらも清朝は強かった。

137: 世界@名無史さん 2020/12/25(金) 10:59:33.37 0
>>136
長いこと勝てた試しのない遊牧帝国を最終的に屈服させたのは、西洋伝来の鉄砲や大砲の威力

時期も手段も西洋列強によるアジア諸国の植民地化と同じであり、同列に語られるべきテーマ

133: 世界@名無史さん 2020/12/24(木) 18:23:38.89 0
政府当局が外国政府と話し合って妥協した結果、どちらの国でも「弱腰外交だ」と批判される・・・
昔も今もアリガチな状況だ
外国とは常にケンカしてないと納得しないという人々が、世間には多い

138: 世界@名無史さん 2020/12/28(月) 01:02:05.31 0
・初代皇帝である洪武帝による君主独裁体制の確立
・靖難の役で永楽帝が帝位に就く(この時点で明の衰退の兆候が')
・北虜南倭で苦しめられる(倭寇討伐や北方民族の対応など)
・土木の変でオイラトのエセン=ハンに正統帝が囚われの身になる
・宦官の専横(顧憲成の東林派vs魏忠賢の非東林派の政争で前者が破れる)
・万暦帝の三大遠征で軍事費が増大し、国庫が窮乏する
・極めつけの李自成の乱がトドメをさした

明がイマイチパッとしない理由は挙げてみるとこんな感じ

139: 世界@名無史さん 2020/12/28(月) 08:08:00.38 0
>>138
良くも悪くも巨大経済国家たる現代中国の基礎が明。
パットしないだなんて、言わないで。

140: 世界@名無史さん 2020/12/28(月) 11:08:25.68 0
日本では、明朝のイメージは良くない

でも欧米では「中国文明の最盛期」と見られているように思う

141: 世界@名無史さん 2020/12/28(月) 14:17:11.60 0
明代の中国は、世界中から銀を吸い込んでいたよな

144: 世界@名無史さん 2020/12/29(火) 21:51:10.76 0
明は暗黒時代という説があるが、政治に関してはそうかもしれないな。

145: 世界@名無史さん 2020/12/29(火) 22:04:46.86 0
巨大な国土と増え続ける人口を抱えた国家機構を皇帝独裁で運営できるものなのか?

146: 世界@名無史さん 2020/12/30(水) 09:13:03.03 0
洪武帝や清の雍正帝のような真面目な皇帝は寝る間を惜しんで全土から押し寄せる決裁事項に追われてるイメージがあるが、正徳帝、万歴帝なんかは遊んでばかりのイメージ。
それでも絶対権力は有してるから厄介。

147: 世界@名無史さん 2020/12/30(水) 11:11:02.21 0
明朝の皇帝は行政を官僚に任せっきりで、自分は引きこもっていた
でも、たまに朝政に顔を出したときは、大臣をクビにできる権力を持っていた

155: 世界@名無史さん 2021/01/01(金) 08:05:09.58 0
>>147
それだけ官僚制度がしっかり機能してたということ。
忘れるべきでないのは悪者扱いの宦官たち。
頭でっかちの科挙官僚だけでは体制を持続できない。
世知に長けた宦官と科挙官僚の相互牽制作用が体制維持に貢献したんじゃないか?

149: 世界@名無史さん 2020/12/30(水) 23:44:10.92 0
最近の中国の海洋軍拡を見て、「鄭和の大艦隊」の話が欧米でも注目されるようになり、明朝の国力が知れ渡ってきている

それ以前から、「明代の江南は、あれほど経済発展していながら産業革命に至らなかったのは何故か?」というのが経済史における大きな謎とされてきた

160: 世界@名無史さん 2021/01/01(金) 10:08:32.33 0
>>149
人口急増で食糧増産が間に合わず貧困化したことと、石炭採掘地との距離で、産業革命が起きなかったんだろうね。
英国は新大陸から輸入でき、炭田があって、資源枯渇に悩まないので経済成長を続行できた。

162: 世界@名無史さん 2021/01/01(金) 11:05:13.75 0
>>160
石炭というよりは、蒸気機関の有無じゃない?

石炭そのものは北宋の頃から大量採掘・大量消費されてたからね
なぜかというと、華北方面を中心に森林資源が枯渇して、窯業用木材燃料が確保しにくくなったために、代替燃料として石炭の利用が増えたんだよ
また、その産業廃棄物・副産物としてのコークスの生産量が増加して、それが調理用燃料として広く活用されるようになり、結果として、火力の強弱を重視する現在の中華料理の様式が発達し始めた

方位磁針を古くから活用してた文化圏だから、もしも誰かが何らかのきっかけで発電機を発明できてたら、蒸気機関の段階すら跳ばして電気機関を創れてたかもしれないけどね
エネルギー源は火力に限らず大河川の水力もあるし(平原では位置エネルギーをどう確保するかの課題はあるけど)

174: 世界@名無史さん 2021/01/02(土) 07:49:22.91 0
欧米人には、鄭和の大航海を持ち出して、中国は周辺諸国に朝貢は要求しても征服はしなかったから、中国は平和的な国だと主張する人も多いね

175: 世界@名無史さん 2021/01/02(土) 08:32:45.19 0
>>174
ヨーロッパの大航海時代の横暴が酷すぎるんだよ。
それと比べたら、みんな平和国家に見える。

153: 世界@名無史さん 2021/01/01(金) 02:32:06.69 0
明の皇帝は暗君が多いが、初代洪武帝によって編纂された子孫への訓戒である「皇明祖訓」を果たして真面目に読んでいたのかね。

154: 世界@名無史さん 2021/01/01(金) 07:57:25.71 0
>>153
建文帝だけは真面目に読んでたんじゃない?

156: 世界@名無史さん 2021/01/01(金) 08:26:00.09 0
建文帝は真面目にお祖父様の教えに従い、宦官を抑圧し、科挙官僚だけに頼るから失敗したんだよ。
清濁合わせ飲まないと成功しない。

159: 世界@名無史さん 2021/01/01(金) 09:57:50.81 0
官僚だって私利私欲はあるだろうがバカじゃないからな
宦官は宮中以外何も考えてないバカって感じがする

161: 世界@名無史さん 2021/01/01(金) 11:02:53.60 0
>>159
馬鹿な宦官だけいたわけじゃないよ。
教養があって肝の座った人格者もいて、皇帝を励ましてた。
宦官が教育を受けることは洪武帝遺訓に背くのだが、遺訓は守られず、教育レベルが超高い太監がいたりする。
しかも科挙教育よりお題目にとらわれない分、実用的実戦的教育だったんだろう。
なので優秀なのも多い。
しかし史書は科挙官僚が記すので、宦官への悪口が多くなる。

234: 世界@名無史さん 2021/01/07(木) 07:08:09.77 0
明朝の正徳帝がチベット仏教に凝ってて
作った豹房という邪淫の寺での秘儀には興味ある。

235: 世界@名無史さん 2021/01/07(木) 22:26:53.93 0
元朝でも、ラマ教の「帝師」が受戒と称して貴族の夫人たちを一室に閉じ込めて逸楽に耽ったという話があったな
地位を利用しての不正蓄財も跡を絶たなかったし

236: 世界@名無史さん 2021/01/07(木) 23:07:27.05 0
現在のチベット仏教で最大宗派のゲルク派は、他のチベット仏教主要各宗派よりずっと後の、14世紀末~15世紀初の頃に出てきた宗派だけど、宗派の開祖のツォンカパが、
「顕教の課程を修了し、かつ、僧侶として厳格に持戒を保ち続ける者であると客観的に認められていなければ、密教を修めてはいけません」
という方針を採った

密教思想というのは、人間の欲望をも悟りへのエネルギーとして充当する、という側面を持つ思想なんで、本来、誰でも彼でもは扱っちゃいけないものだからね
密教のお坊さんの資格というのは、或る意味、危険物取扱免許であるわけだ

日本でも、天台宗の密教(いわゆる「台密」)は、チベット仏教のゲルク派と同様に、顕教を修了したお坊さんでないと修めてはいけないことになってるそうな

237: 世界@名無史さん 2021/01/08(金) 09:51:08.64 0
北京の頤和園に2度行ったことがある。
小高い山の上にチベット様式の建物があったっけ。

清朝にとってもチベット仏教は重要。
満洲という民族名は文殊菩薩(マンジュシュリー)の「マンジュ」からとった説がある。
ダライ・ラマは清朝皇帝に文殊皇帝の称号を授けてる。
皇帝は文殊菩薩の化身。

238: 世界@名無史さん 2021/01/08(金) 10:05:19.08 0
>>237
北京のチベット仏教関係施設といえば、やはり雍和宮だろうね
雍和宮はそこ自体がお寺さんだから

満洲(マンジュ)=文殊師利(マンジュシュリー)菩薩名称由来説は、後付けの掛けことばらしいよ
実際の語源ではないらしい

239: 世界@名無史さん 2021/01/08(金) 14:38:40.30 0
清朝だけではなく、元朝の時代にも、漢民族の中には北方民族特有の辮髪をしたり、筒袖の衣服にズボンを着用したり、モンゴル風の姓名を名乗る者も存在したとか
朱元璋はこれを再び伝統的な衣装に改め、モンゴル名・モンゴル語の使用も厳禁した

241: 世界@名無史さん 2021/01/08(金) 17:40:23.17 0
>>239
強制されたわけでもないのに、モンゴル貴族に憧れて自発的に真似する漢人が続出した

242: 世界@名無史さん 2021/01/08(金) 18:20:37.29 0
>>241
やはり人間は強いものに憧れるものなのか

256: 世界@名無史さん 2021/01/09(土) 19:39:19.87 0
>>241
清朝の辮髪と旗袍の強制も成人男性だけで子供、女性、仏僧及び道士は対象外だった。
八旗漢人でない一般漢族女性の旗袍着用は制限されていたが同光帝の時代に漢族に対する旗袍の着用規制が撤廃された。あくまで着用制限の撤廃なのに、それ以降一般漢族は女性も子供も旗袍を着るようになった。旗人=貴族の認識で憧れがあったんだろう。
でも、清朝の官職についてない漢族は丈の短い短袍しか着れなかったから、金持ちの女性は短袍にスカートを合せた感じのを着た。それが、現代でも中国人女性の結婚式衣装になっている。

259: 世界@名無史さん 2021/01/09(土) 20:26:33.58 0
>>256
旗服と旗袍は実は違うよね

チャイナドレス=旗袍というのは世間一般で見られる認識ではあるけど、しかしこれとて漢服の存在の認識がすっとんでしまってて、さらに、旗袍=(女性用)旗服という見方はこれまたそもそも誤認識だということで

262: 世界@名無史さん 2021/01/10(日) 00:21:08.79 0
>>259
中国人が日本でチャイナドレスと言っているの普通に旗袍と言ってるぞ。
正確にはチャイナドレスは新式旗袍、本来の満州族の旗服を老式旗袍とか伝統旗砲と呼んで区別してる。

245: 世界@名無史さん 2021/01/09(土) 09:11:38.38 0
元朝の宮廷で、漢人官僚に対して「廷杖」と呼ばれる刑罰が行われていたが、朱元璋はこのやり方をそっくり踏襲し、官僚の言動に少しでも気にくわないことがあれば、たびたびこの刑を命じて官僚に恥辱を与えた

246: 世界@名無史さん 2021/01/09(土) 10:41:20.65 0
前王朝の官僚は新王朝が基本引き継ぐ。
清朝も辮髪に応じた明朝官僚を元職に任じることが多い。
そうしないと統治できないからだが、官僚組織はそのままで、政権トップが交代しただけとも言える。
元朝から清朝までが連続した北京帝国と考えても良い。

248: 世界@名無史さん 2021/01/09(土) 11:40:44.24 0
廷杖はモンゴルじゃなくて元から中国にある風習だよ
唐代のイスラム商によって書かれた「中国とインドの諸情報」にも記述がある

もっとすごいのになると「使持節」ってのがあってこれは平時非常時問わず2千石以下の官吏を
独断で殺害しても罪にならないという殺人特権
あまりにもひどすぎる制度なので宋代になって廃止された

249: 世界@名無史さん 2021/01/09(土) 11:48:41.03 0
謝肇淛の随筆の「五雑俎」によると明末では苛政に耐えかねた農民たちが韃靼に逃げ込むと言うことが社会問題になっていたらしい

彼によると韃靼人は中原の官吏のように威張ったり棒で殴ったりしない
王侯貴族も民に交じって自ら働いており座食の徒はおらずそのため税金も安い
これが民草をして韃靼のもとに走らせる要因だと指摘している

251: 世界@名無史さん 2021/01/09(土) 14:21:53.76 0
>>249
農民だけではなく、北辺防備の軍人たちの中にも、危険な任務と軍糧の欠乏に不満をとなえて反乱を起こし、懲罰を恐れてモンゴル側についてしまう人々も現れたとか

252: 世界@名無史さん 2021/01/09(土) 16:30:57.63 0
>>251
北京郊外の八達嶺長城と慕田峪長城に行ったことがあるが、険しい尾根の上に延々とレンガ作りの城壁が続き歩くだけでもフラフラ。
よくまぁ明朝はあんなものを作ったものだ。
その労力を考えると気が遠くなる。
それでも結局は長城は突破され、侵略者を食い止めることはできなかった。

一方、清朝は長城を作らずに、チベット仏教の寺を作ってモンゴル人を懐柔していった。
どちらに費用対効果が優れていたかは言うまでもない。

255: 世界@名無史さん 2021/01/09(土) 19:23:42.77 0
>>252
モンゴル人側の見解では、万里の長城というのは「漢人側の北進の前線要塞」と映るそうな
わざわざ城壁など無くても良さそうなところにまでがっちり作ってたり、結局そこより境界が北上したり、という歴史上の実態からすれば、モンゴル人側の南進ばかり強調しないでよ、ってことでね

265: 世界@名無史さん 2021/01/10(日) 02:27:06.68 0
>>251
地元に残してきた家族・親戚が責めを負う恐れは無かったのかな
そのことすら度外視してでも叛旗を翻し、場合によってはそのまま相手側に付いたほどだったとすれば、明末の軍役というのがどんだけ不合理できつい状況だったことかと思う

267: 世界@名無史さん 2021/01/10(日) 07:19:01.08 0
>>265
崇禎帝が袁崇煥を凌遅刑に処したのを知ったら優秀な将兵ほど寝返りたくなるよ。

268: 世界@名無史さん 2021/01/10(日) 07:36:58.29 0
ホンタイジの時代には明の官僚や軍人が次々と投降して政権の一翼を担っていたな
中には一万余りの軍隊を率い、ホンタイジが欲しがっていた西洋式の大砲を手土産に後金に投降してきた者もいた

272: 世界@名無史さん 2021/01/10(日) 10:53:39.55 0
明の永楽帝はベトナムの抵抗を制圧すると、徹底的な同化政策を強行したが、ベトナムを中国の一部にしてしまうつもりだったんだろうか?

273: 世界@名無史さん 2021/01/10(日) 11:44:13.92 0
>>272
永楽帝はベトナムで内地と同じようや郡県制を敷いた。
このときがベトナム千年の歴史の中でも最大の危機だったと言える

隣の広東省だって文化的には「中国」の一部と言えるのかどうか微妙だったが、宋あたりから「中国」らしくなった

ベトナムも「中国」になる一歩手前だった

274: 世界@名無史さん 2021/01/10(日) 11:45:37.11 0
清の乾隆帝に至って、ついに「ベトナムは中国ではなく、別の国である」と認めて断念するに至った

275: 世界@名無史さん 2021/01/10(日) 14:36:46.42 0
明はベトナム人の伝統、風俗、古来の文化を捨て去ることを命じた
1414年には、統治した全府州県に孔子廟と土地の神と五穀の神、風雲、山川などの神壇をつくらせ、祭礼を行うことを命じた
学校を開設し、四書五経を配布し、儒学と性理学を教え、僧侶を派遣して、仏教、道教を普及させた
ベトナム人の古来からの風習である男子の刺青、女子のお歯黒の風習を禁じた
ビンロウ樹の実を噛む風習も禁じた
男女ともに髪を切って短くすることを禁じた
女子の短衣・長いすその衣服、つまりベトナム人の民族服を着用することも禁じて、中国風の衣服・髪型を強要した

276: 世界@名無史さん 2021/01/10(日) 17:19:36.19 0
>>275
でも、後黎朝の時に清から強制されてないのに、旗袍を南国向けにアレンジし直したアオザイがそれまでの漢服や日本の甚平に似た短い上衣とモンペの様なズボンとの組合せのアオババから置き換わり、アオババは田舎者と老人の服になった。

281: 世界@名無史さん 2021/01/11(月) 07:46:44.87 0
>>276
近代の日本人が、欧米による植民地化に対抗して戦いつつ、服装はどんどん洋風化されていったのと同じだな

引用元:

href="http://tekito.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1556881526/0-">・明清帝国 第三