1: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2016/04/24(日) 07:06:50.67
日本の食文化の歴史全般について語りましょう。









609: 日本@名無史さん 2019/02/15(金) 21:12:28.34
そういや日本では油を使って「炒める」という調理法は結局明治まで一般には広まらなかったようだな

というか油を一般家庭で食用に使うというのがあまり無いな。
天ぷら屋は屋台だし。

615: 日本@名無史さん 2019/02/23(土) 07:23:47.31
>>609
筑前煮、きんぴら牛蒡、炒り豆腐、南瓜の炊いたん等々は、明治以降の料理なのか?
足利時代に明国から炒る・炒めるの手法が伝わって、織豊時代までに炒めて煮るのやり方が普及したものと思ってたわー。

623: 日本@名無史さん 2019/03/28(木) 19:46:09.81
>>609
戦前の平均的な家庭にはナベカマはあってもフライパンはなかったらしい。
ということは油を使った家庭料理はなかった。
普及したのは戦後の文化運動だか新生活運動だか。

625: 日本@名無史さん 2019/03/29(金) 17:37:28.23
>>609
かるくググったら戦前の婦人雑誌には、チャーハンや魚のバター焼き、てんぷらは紹介されてるな。
流石に江戸時代は分からんが
多分大正以降なんじゃねぃ?今日的な家庭料理が“平均的な家庭”でも食べられるようになったのは。

626: 日本@名無史さん 2019/03/29(金) 19:40:00.22
>>625
それは、東京の山の手のホワイトカラーの家庭だろう。
日本全国(内地限定)の人口比でいうなら数パーセント未満。
軍隊に入って初めて肉を食ったとかよく聞く。

610: 日本@名無史さん 2019/02/15(金) 22:28:23.41
炒めるのは火力が要るだろう
中華料理は石炭を使ってた

621: 日本@名無史さん 2019/03/26(火) 22:14:04.17
確か料理物語の鳥鱠って炒めるんじゃなかったか?
炒鳥とも違うようだけど
鴨を炒鳥風に作るじぶ煮は皮を炒りつけてから煮汁や鴨肉を入れるから皮から出る油を使いたかったんだろうか?

627: 日本@名無史さん 2019/03/29(金) 19:43:41.14
ガス灯や石油ランプ、電灯の普及で行灯の油の需用が先細りになり、業者が料理用に活路を求めて油料理の普及に力をいれた、みたいな経緯はあったのだろうか

641: 日本@名無史さん 2019/04/10(水) 21:29:53.94
日本の家には明治まで、椅子もテーブルもなかったんだろ。
食文化が発達するわけがないだろう。

644: 日本@名無史さん 2019/04/11(木) 04:14:24.23
>>641
食事をするテーブルの代わりには箱膳があったね。

648: 日本@名無史さん 2019/04/11(木) 14:10:36.46
戦前の邦画で見る庶民の家庭の居間
平均身長140㎝代の婦人が手を伸ばせば届く位置に電球のスイッチがある。
ちゃぶ台の上をかろうじて照らす。
大したものは食べてなかっただろう。

650: 日本@名無史さん 2019/04/12(金) 08:11:01.29
大体、飯を炊くのに手間がかかりすぎる。
余程、余裕のある階層を除けば飯を炊くだけで大仕事であとは漬物でもあれば良しとしなければならない。

652: 日本@名無史さん 2019/04/12(金) 11:19:43.67
>>650
大名の動員力.軍役をコメの石高で産出するくらいだから。

653: 日本@名無史さん 2019/04/12(金) 11:25:46.09
キリスト教では「天国には全員の座席があるから安心しろ」というらしいが、日本に来たら誰の座席もなくてビックリしただろう。
日本人が自動車を発明していたら正座して運転するような車になってなかったか?

655: 日本@名無史さん 2019/04/12(金) 12:05:25.01
>>653
西洋も支那も建物に床板を張らない
だから土間に土足で椅子とテーブルの生活をする
日本は床板、敷物、畳があるから直に座れる

658: 日本@名無史さん 2019/04/12(金) 14:28:35.71
>>655
支那はともかく、西洋は、木の板もしくは石材かレンガを床に敷き詰めるだろ。
ローマ時代の民家の遺跡は石材に色タイルのものが多数出てきている。
中世に蛮族になりさがったとしても、たとえば、フィリップドシャンパーニュの最後の晩餐は石、Ex-Voto de MDCLXII は木板の床が描かれているから
少なくとも17世紀には復活していることが判る。

660: 日本@名無史さん 2019/04/12(金) 18:19:01.01
日本の床は床下があって、床には下足を脱いで「上がる」のが西洋と違う

667: 日本@名無史さん 2019/04/13(土) 09:13:35.12
>>660
面白いのは中国の宮廷では、臣下は宮殿の玄関で靴を脱いで皇帝御前の広間に集う
特例として靴を履いたまま行ける臣下はいるが、ほとんどそれは皇帝を超える権力者となる

https://youtu.be/W9E6R8CSqe0?t=1824

669: 日本@名無史さん 2019/04/14(日) 07:14:32.06
19世紀の或る御坊さんの言行録の中に「江州醒ヶ井のみそすり屋の婆」というのが出てきます。
この「みそすり屋」というのはどんな職業なのでしょうか?
私は、「みそ汁を出す街道の茶店」のようなものを想像しているのですが。

670: 日本@名無史さん 2019/04/14(日) 13:52:23.89
「みそすり」は粒味噌を擂ってすり味噌にすること。
現在流通してる味噌はほとんどが擦り味噌に加工済みだけど、本来味噌には大豆の粒が大量に残っていて、昭和中期くらいまでは使う前に擂り鉢でする作業が必要だった。

大量の旅客をさばく必要のある宿場町だから、味噌を擂るだけでも仕事になったんだろう。

675: 日本@名無史さん 2019/04/16(火) 21:45:47.80
味噌を摺る必要ってあるのだろうか?
味噌殻ないほうが非日常を味わえるのかもしれないけど、味噌濾し使えばすむ話にも思える

人件費かけてでも味噌殼ごと摺った方がコスパいいんだろうか

710: 日本@名無史さん 2019/06/10(月) 20:57:16.12
>>675
自家製味噌作ってるけど、実際に味噌は使う前にすり鉢で当たらなければ使えないよ。

味噌を仕込むには、まず柔らかく煮込んだ大豆を潰して、塩、麹と混ぜる。
だが豆を潰すといっても、昔は臼で搗き潰すか、新品の藁沓を履いた足で踏みつけるのがせいぜい
どうしても潰しきらない豆が出る。
だから、使う時にすり鉢であたる。

676: 日本@名無史さん 2019/04/17(水) 02:17:50.14
殻ではなくて豆や麦の本体を擦りつぶすのが目的なんだろう
濾してしまうんではもったいない

677: 日本@名無史さん 2019/04/17(水) 06:36:23.35
粒の中のエキスも利用したいからだね

678: 日本@名無史さん 2019/04/17(水) 07:06:11.26
>>675
私は新潟の農村部在住ですが、年寄りは擂り粉木を味噌擂り棒、擂り鉢を金鉢と呼びます。
昔の自家製味噌は味噌玉を軒先に干してから、それを包丁で刻み、大豆の煮汁と混ぜて味噌桶に保存したそうです。
ですので、擂り鉢で擂らないと硬い部分が残って味噌汁にならないのだそうです。
私はその事を知っていたので、そのような日常作業を専業にするような商売が有るのか?と思ったのです。

でも、考えてみたら、そのような手間賃稼ぎでやっと生活しているような老婆の事を語ったものだったのかも知れません。

679: 日本@名無史さん 2019/04/17(水) 07:09:22.16
落語で、ケチな旦那の商家での手代と旦那の会話。
手代「朝の味噌汁が具なしなのは何とかなりませんか?」
旦那「そんなことはない。擂粉木が10年でこんなに短くなってるんだから、具なしじゃないだろう」
ってのがある。

688: 日本@名無史さん 2019/04/20(土) 08:52:36.57
考えてみれば、昔は家庭に冷蔵庫もなかったのだから朝食に鮭を焼くなんて無理だったろう。
味噌汁の具に何を入れられるかが朝食の楽しみ。
自分の祖父の里の山奥では魚の塩干品も贅沢品だったと聞く。

746: 日本@名無史さん 2019/07/12(金) 11:17:51.08
>>688
越後・出羽から塩鮭を都まで運んでたけど。調で、租庸調の調な、品目が指定されていた。

689: 日本@名無史さん 2019/04/20(土) 10:17:06.04
鮭はキツめの塩鮭が基本。
焼いたら白く塩を吹く。

熟成したものをカラカラに焼いてほぐして茶漬けが至高。

693: 日本@名無史さん 2019/04/20(土) 14:30:17.70
細川忠興が息子の忠利に手紙で、
「鮎はパリッと焼けって言ってるだろ!」
的に叱ってるんだが、当時は焼き魚は水分が無くなるように焼くのが普通だったのかな?

694: 日本@名無史さん 2019/04/20(土) 15:00:39.69
アユに限らず川魚の焼き方は遠火で水分を飛ばすように焼くのが良いそうだよ

695: 日本@名無史さん 2019/04/20(土) 17:12:46.77
強火だと一部焦げて一部生だったりするからね

729: 日本@名無史さん 2019/06/18(火) 09:23:23.12
庶民なら魚なんか10日に1回ぐらいだろ。
京都みたいな内陸だと冷蔵庫がない時代だから、月に1匹塩干魚食えれば満足。

730: 日本@名無史さん 2019/06/18(火) 15:34:52.74
魚が食べたいのなら、煮干しを汁の具として楽しめばいいじゃない

731: 日本@名無史さん 2019/06/18(火) 22:04:58.31
内陸でも川魚はいるじゃない

733: 日本@名無史さん 2019/06/20(木) 11:16:03.95
>>731
自分でとらない限り、生産流通機構がない。

735: 日本@名無史さん 2019/06/21(金) 01:17:31.19
川や湖に漁師がいないってどこの国の話してるんだろ

738: 日本@名無史さん 2019/06/22(土) 21:30:32.65
>>735
自家消費だけ、そんなことないか。
余剰品を市いちに持っていって他の生活必需品と交換していたか。

739: 日本@名無史さん 2019/06/22(土) 21:35:39.90
タイよりもコイのほうが食材として格が上っていう時代が長かったし
自分で食うとかじゃなくて(食う分もあるだろうけど)普通に流通させてるんじゃない

711: 日本@名無史さん 2019/06/11(火) 15:05:02.26
江戸時代って納豆が味噌汁の具だったんでしょ?
味噌すって更に粒状の豆を入れる・・・

賽の河原だな

725: 日本@名無史さん 2019/06/14(金) 11:49:06.05
日本人って、豆をいかに加工して米のおかずにするか?に命かけてるな

796: 日本@名無史さん 2019/07/19(金) 04:46:13.86
>>725
たんぱく質が豆からしか摂れなかったからでは
肉食やめい、みたいな禁止令たびたび出てたと聞く
だから江戸の日本人は栄養失調だった節もある

724: 日本@名無史さん 2019/06/14(金) 09:04:57.63
NHKでやってたが、徳川家康は浜松の名産・浜納豆が好物でよく食べていたらしい
家康が浜松とか駿府とかに居を置きたがっていたのは、浜納豆を食べたかったせいかも

726: 日本@名無史さん 2019/06/14(金) 16:11:52.45
>>724
納豆は日持ちしそうだから、城がどこであれ持ってこさせれば良かったのではと思っちゃうけど

702: 日本@名無史さん 2019/05/01(水) 00:17:34.13
江戸時代とかに日本の将軍や天皇はコーヒーを飲んだことあったの?

704: 日本@名無史さん 2019/05/02(木) 19:08:47.99
>>702
ない
太田蜀山人が「焦げ臭うて味うるに堪えず」とか
長崎では少しは飲まれていたらしい。
オランダ人の使用人の間で。

705: 日本@名無史さん 2019/05/02(木) 21:12:10.84
今でこそ紅茶の島みたいになってるけど、19世紀前半までセイロンはコーヒーの大産地だった。
17世紀から19世紀の頭までオランダ領、19世紀にウィーン条約でイギリス領に。

748: 日本@名無史さん 2019/07/13(土) 19:15:07.13
落語で食い物と言えば、酢豆腐、
夏場の千両蜜柑
1合を半分に分けて飲む居酒屋のツマミはショウガに塩ラッキョウ
焼けた味噌蔵
毒入りの卵酒
ズロロロロとすする饂飩
極めつけは、遊女をズンドウ切りして食う、タクアンとインゲン豆のお茶漬け!

749: 日本@名無史さん 2019/07/13(土) 21:57:40.74
酢豆腐と言えば古漬けも美味そうだったな

750: 日本@名無史さん 2019/07/13(土) 22:37:10.36
キュウリの古漬けを刻んでカクヤのこうこ

751: 日本@名無史さん 2019/07/14(日) 05:56:01.09
卵焼きとかまぼことお茶けも忘れるな

752: 日本@名無史さん 2019/07/14(日) 13:37:05.37
まずは目黒産のサンマの塩焼き
三毛のニャアに、サブロクではなくてダリ
時そばのしっぽくも忘れちゃなんめぇ

753: 日本@名無史さん 2019/07/14(日) 17:18:26.70
鍋焼きうどんなんかもちょいちょい出てくるね

754: 日本@名無史さん 2019/07/14(日) 20:46:34.64
鍋焼うどんは明治に入ってからのものみたいだな
落語自体最盛期は明治期らしいし

755: 日本@名無史さん 2019/07/14(日) 23:08:42.59
屋台のそば屋がズラリと鍋焼きうどん屋に変わってしまい、「時そば」の舞台は過去のものになった

756: 日本@名無史さん 2019/07/14(日) 23:11:20.34
お江戸の屋台店は車輪がついてなかった
移動するには、天秤のようにかついで運んだ。
そんな構造で、鍋焼きの土鍋を積んだ屋台店は重すぎて人力で運べないわなぁ

明治以降の屋台店には、車輪がついて移動も楽になった。
鍋焼きの土鍋を積んでいても、わりあい楽に運べるだろう。

758: 日本@名無史さん 2019/07/15(月) 10:43:45.68
>>756
何で車輪をつけなかったんだろう?
車輪自体は古代からあったのにな

759: 日本@名無史さん 2019/07/15(月) 11:16:00.92
>>758
江戸時代の道路状況だと担ぎ屋台のほうがなにかと都合がよかったんだろう

引用元: ・食物と酒、嗜好品の歴史@日本史板 3皿目