23: 世界@名無史さん 2019/02/19(火) 15:27:43.58 0
西欧と日本の中世というとイメージがしやすいが中国史の「中世」がイマイチ良く解らなかった。
京大学派と東大学派でも中世の見方が異なると思うが前レスの博学多識さんの解説がストンと腑に落ちたんでもう一度貼ってみる。
943世界@名無史さん2019/02/18(月) 10:20:47.250
中国史で、春秋戦国の都市国家に君臨する地方有力者を邑の名を付して「〇君」などと呼び、漢代に地方の郷里共同体社会を侵食して成長してきた地方有力者を「豪族」と呼び、漢代豪族層から成長してきた魏晋南北朝時代の名門家門を「貴族」と呼んでいるのが、極めて妥当な認識だと思うんだよね。
漢代の「豪族」は、まさにデフォルトの社会制度を侵食して成長してきた制度外の異物に他ならないけど、魏晋南北朝の政権にとっては、彼らは社会制度にとってのデフォルトの制度内存在。
だから、中央にいようと地方にいようと、魏晋南北朝では貴族。
日本史でこの手の「豪族」に相当するものを挙げよと問われたら、9~10世紀に地方の首長制共同体を侵食して成長、伝統的郡司層を没落させた「富豪の輩」、「田堵」、「負名」と呼ばれ、のちの名主層に成長していく連中だな。
京大学派と東大学派でも中世の見方が異なると思うが前レスの博学多識さんの解説がストンと腑に落ちたんでもう一度貼ってみる。
943世界@名無史さん2019/02/18(月) 10:20:47.250
中国史で、春秋戦国の都市国家に君臨する地方有力者を邑の名を付して「〇君」などと呼び、漢代に地方の郷里共同体社会を侵食して成長してきた地方有力者を「豪族」と呼び、漢代豪族層から成長してきた魏晋南北朝時代の名門家門を「貴族」と呼んでいるのが、極めて妥当な認識だと思うんだよね。
漢代の「豪族」は、まさにデフォルトの社会制度を侵食して成長してきた制度外の異物に他ならないけど、魏晋南北朝の政権にとっては、彼らは社会制度にとってのデフォルトの制度内存在。
だから、中央にいようと地方にいようと、魏晋南北朝では貴族。
日本史でこの手の「豪族」に相当するものを挙げよと問われたら、9~10世紀に地方の首長制共同体を侵食して成長、伝統的郡司層を没落させた「富豪の輩」、「田堵」、「負名」と呼ばれ、のちの名主層に成長していく連中だな。
25: 世界@名無史さん 2019/02/19(火) 16:49:37.67 0
>>23
既成の多くの中国史解説書で「貴族制」時代の中国がわかりにくくなっているポイントがいくつかあると思うんだ。
ちょっと箇条書きしてみる
・非制度的な「豪族」が漢代の官吏登用制度の隙をついて「名門」性を帯びていっている
・三国時代~五胡十六国時代の華北社会の混乱による華北人の「武装難民化」で、「名門豪族」が彼らの指導者に押し上げられ本格的に「貴族」化している
・華北に南下してきた遊牧民の社会そのものがもともと「貴族制」社会であったのが、北魏の漢化政策で遊牧系貴族家門が漢姓を名乗るようになって外見上彼らが漢人貴族に埋没している
・江南の六朝政権は華北から南下、江南を武力侵略した武装難民軍閥の連合政権なのだが、この指導者層が精神的支柱の名門貴族と軍閥としての軍事指導者から成っており、後者の存在が前者の陰に隠れがち。
・魏晋南北朝隋唐という長いプロセスを経て漢人貴族の豪族性、北族貴族の遊牧指導者としての性格が薄れ、いずれも在地に根差した性格が喪失に向かって官僚貴族化への道をたどっている
・血統貴族の在地性が失われるのと並行して在地社会では比較的短いスパンで興亡を繰り返す中小地主経営が台頭し、それが科挙官僚の供給源になっていく
・安史の乱以降、乱の参加者から帰服した北族系軍閥が胡漢混成集団化しつつ在地軍閥化していく
こうした事がはっきり起きているのだが、その具体的プロセスに未解明の点が多いため、成書であいまいにぼかした表現で書かれているという印象があるんだよね。
既成の多くの中国史解説書で「貴族制」時代の中国がわかりにくくなっているポイントがいくつかあると思うんだ。
ちょっと箇条書きしてみる
・非制度的な「豪族」が漢代の官吏登用制度の隙をついて「名門」性を帯びていっている
・三国時代~五胡十六国時代の華北社会の混乱による華北人の「武装難民化」で、「名門豪族」が彼らの指導者に押し上げられ本格的に「貴族」化している
・華北に南下してきた遊牧民の社会そのものがもともと「貴族制」社会であったのが、北魏の漢化政策で遊牧系貴族家門が漢姓を名乗るようになって外見上彼らが漢人貴族に埋没している
・江南の六朝政権は華北から南下、江南を武力侵略した武装難民軍閥の連合政権なのだが、この指導者層が精神的支柱の名門貴族と軍閥としての軍事指導者から成っており、後者の存在が前者の陰に隠れがち。
・魏晋南北朝隋唐という長いプロセスを経て漢人貴族の豪族性、北族貴族の遊牧指導者としての性格が薄れ、いずれも在地に根差した性格が喪失に向かって官僚貴族化への道をたどっている
・血統貴族の在地性が失われるのと並行して在地社会では比較的短いスパンで興亡を繰り返す中小地主経営が台頭し、それが科挙官僚の供給源になっていく
・安史の乱以降、乱の参加者から帰服した北族系軍閥が胡漢混成集団化しつつ在地軍閥化していく
こうした事がはっきり起きているのだが、その具体的プロセスに未解明の点が多いため、成書であいまいにぼかした表現で書かれているという印象があるんだよね。
26: 世界@名無史さん 2019/02/19(火) 18:57:44.69 0
唐は、都では貴族の合議制、地方では節度使の藩鎮が割拠という、全体に皇帝権力が弱かった時代とされている (それこそが中世社会の特徴なのだが)
この反省から、宋では地方に科挙官僚を送り、地方有力者の権力を削ぎ落とした。
明は、丞相を廃して実験用のない内閣大学士を置き、皇帝独裁体制とした
この反省から、宋では地方に科挙官僚を送り、地方有力者の権力を削ぎ落とした。
明は、丞相を廃して実験用のない内閣大学士を置き、皇帝独裁体制とした
27: 世界@名無史さん 2019/02/19(火) 19:06:42.89 0
>>26
隋唐では王朝の支配の根幹となる軍事警察力、国家の中央暴力装置の源泉が武川鎮軍閥系関隴貴族の北族系私兵軍団だからね。
武則天>玄宗皇帝の楊氏一族登用という流れは、この関隴貴族系の中央暴力装置の解体と、新たな皇帝直属暴力装置の創出というキーワードで理解しやすくなる。
唐朝はこれに失敗して安史の乱を招き、中央政府による統治が有名無実化するわけだが、宋朝は唐朝の関隴系軍事力に相当する沙陀突厥系軍閥の事実上の解体に成功した。
その反面、新たに創出した皇帝直属軍事力は虚弱になってしまったわけだが。
隋唐では王朝の支配の根幹となる軍事警察力、国家の中央暴力装置の源泉が武川鎮軍閥系関隴貴族の北族系私兵軍団だからね。
武則天>玄宗皇帝の楊氏一族登用という流れは、この関隴貴族系の中央暴力装置の解体と、新たな皇帝直属暴力装置の創出というキーワードで理解しやすくなる。
唐朝はこれに失敗して安史の乱を招き、中央政府による統治が有名無実化するわけだが、宋朝は唐朝の関隴系軍事力に相当する沙陀突厥系軍閥の事実上の解体に成功した。
その反面、新たに創出した皇帝直属軍事力は虚弱になってしまったわけだが。
28: 世界@名無史さん 2019/02/19(火) 20:45:55.13 0
しかし、中国の中世をめぐる京都学派と東京学派って、全く正反対の歴史観だよね。
結局どちらが定説になったのか知らないけれど、内藤先生の方に立つと、玄宗皇帝は足利義教、安史の乱は応仁の乱(あるいは嘉吉の変)に比定できそうな。
東京学派(唐中期まで古代)に立つと後白河・後鳥羽院になるか?
結局どちらが定説になったのか知らないけれど、内藤先生の方に立つと、玄宗皇帝は足利義教、安史の乱は応仁の乱(あるいは嘉吉の変)に比定できそうな。
東京学派(唐中期まで古代)に立つと後白河・後鳥羽院になるか?
29: 世界@名無史さん 2019/02/19(火) 22:04:32.25 0
>>28
結局、東京学派と京都学派の論争って、当時の世界で圧倒的権威をもって世界を覆わんとする西洋史学理論をどう消化し、どう異議申し立てするかの苦闘だったと思うんだよね。
つまり、
「歴史の普遍理論は古代>中世>近代という発展段階論、つまり進歩を跡付ける理論である(これを唯物論で語ったのがマルクス主義)」
「東洋は普遍的な発展をなし得ない停滞の世界である(非ヨーロッパに歴史はない)」
という当時の世界での絶対的な権威理論に対して、
「日本や中国の歴史はどこを切っても同じ顔が出てくる金太郎飴のような停滞の世界ではない」
という異議申し立てをいかにするのか、という戦いの歴史の一断面だったんだな。
歴史学を外野で見てきた限りにおいて、日本の史学界はこの呪縛から1970年代ごろからだんだん解放されてきたように思える。
結局、東京学派と京都学派の論争って、当時の世界で圧倒的権威をもって世界を覆わんとする西洋史学理論をどう消化し、どう異議申し立てするかの苦闘だったと思うんだよね。
つまり、
「歴史の普遍理論は古代>中世>近代という発展段階論、つまり進歩を跡付ける理論である(これを唯物論で語ったのがマルクス主義)」
「東洋は普遍的な発展をなし得ない停滞の世界である(非ヨーロッパに歴史はない)」
という当時の世界での絶対的な権威理論に対して、
「日本や中国の歴史はどこを切っても同じ顔が出てくる金太郎飴のような停滞の世界ではない」
という異議申し立てをいかにするのか、という戦いの歴史の一断面だったんだな。
歴史学を外野で見てきた限りにおいて、日本の史学界はこの呪縛から1970年代ごろからだんだん解放されてきたように思える。
30: 世界@名無史さん 2019/02/19(火) 23:41:21.51 0
軍事技術の進歩とそれに合わせた国制の変化、という見方をすれば古代→中世→近世という直線的な発展段階論で行ける気がする。
古代は戦闘馬車や重装歩兵の時代、中世は騎馬の時代、近世は銃の時代。
中国の場合は地理条件のおかげで中世化が中途半端にしか進まず、古代が遅くまで続いたようにも近世がフライングでやって来たようにも見える。
古代は戦闘馬車や重装歩兵の時代、中世は騎馬の時代、近世は銃の時代。
中国の場合は地理条件のおかげで中世化が中途半端にしか進まず、古代が遅くまで続いたようにも近世がフライングでやって来たようにも見える。
31: 世界@名無史さん 2019/02/19(火) 23:49:08.47 0
>>30
近世は、正確には「銃の時代」というより「火器(銃と大砲)と騎馬のハイブリッドの時代」なんだよね。
騎兵が火器に完全に駆逐されていくのは近代になって元込めライフルと機関銃が登場してからで、それまでは火器と騎兵が相互補完する時代が長く続いた。
火器のユーラシア全域への普及はモンゴル帝国の存在に与るところが大きいんだが、最近の歴史学ではモンゴル帝国崩壊後、つまりポストモンゴル時代に隆盛した中規模帝国、つまりオスマン朝、サファビー朝、ムガル帝国、明清帝国を指して「火薬帝国」という類型概念が提唱されている。
これらの帝国は騎馬軍事力と火器の火力を補完的に組み合わせて軍事力の中核としたのと同時に、火器兵力を維持するために先進的な徴税財務制度を発達させたことが注目されているんだ。
近世は、正確には「銃の時代」というより「火器(銃と大砲)と騎馬のハイブリッドの時代」なんだよね。
騎兵が火器に完全に駆逐されていくのは近代になって元込めライフルと機関銃が登場してからで、それまでは火器と騎兵が相互補完する時代が長く続いた。
火器のユーラシア全域への普及はモンゴル帝国の存在に与るところが大きいんだが、最近の歴史学ではモンゴル帝国崩壊後、つまりポストモンゴル時代に隆盛した中規模帝国、つまりオスマン朝、サファビー朝、ムガル帝国、明清帝国を指して「火薬帝国」という類型概念が提唱されている。
これらの帝国は騎馬軍事力と火器の火力を補完的に組み合わせて軍事力の中核としたのと同時に、火器兵力を維持するために先進的な徴税財務制度を発達させたことが注目されているんだ。
32: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 09:49:57.71 0
>>30
もうひとつ、
「技術の進歩とそれに合わせた国制の変化」
という要素で語れるパラメータが、遊牧系軍事組織による定住農耕民に対する統治技術の進歩。
最初は厳しい遊牧地帯の自然環境で減少しがちな家畜を定住民から略奪していく程度だったのが、やがて遊牧地域に都市を築いて商工民や行政文官などをそこに定住させるようになり、さらには定住農耕地帯の一部を一国二制度で安定的に統治する経験を積み、最終的には定住農耕地帯全体を安定的に統治して騎馬遊牧軍事力と定住農耕生産力を結合させることに成功した
もうひとつ、
「技術の進歩とそれに合わせた国制の変化」
という要素で語れるパラメータが、遊牧系軍事組織による定住農耕民に対する統治技術の進歩。
最初は厳しい遊牧地帯の自然環境で減少しがちな家畜を定住民から略奪していく程度だったのが、やがて遊牧地域に都市を築いて商工民や行政文官などをそこに定住させるようになり、さらには定住農耕地帯の一部を一国二制度で安定的に統治する経験を積み、最終的には定住農耕地帯全体を安定的に統治して騎馬遊牧軍事力と定住農耕生産力を結合させることに成功した
35: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 13:58:36.24 0
歴史の時代区分によく用いられる古代、中世、近代という3区分法はヨーロッパの歴史を分析するために考え出された。
この区分法の起源は、ルネサンスの人文主義者たちが、古代ギリシア・ローマ時代を理想とし、ルネサンスはその古代文明の再生であり、その間の中世を古代の文明が中断された暗黒時代と捉えたのがそもそもの始まりである。
歴史学の研究が進展する中で、中世と近代の間に「近世」を挟む提案がなされた。
これは広く歴史学者に受け入れられ、現在では古代、中世、近世、近代の4区分が一般的に用いられるようになった。
この区分法の起源は、ルネサンスの人文主義者たちが、古代ギリシア・ローマ時代を理想とし、ルネサンスはその古代文明の再生であり、その間の中世を古代の文明が中断された暗黒時代と捉えたのがそもそもの始まりである。
歴史学の研究が進展する中で、中世と近代の間に「近世」を挟む提案がなされた。
これは広く歴史学者に受け入れられ、現在では古代、中世、近世、近代の4区分が一般的に用いられるようになった。
36: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 13:59:40.96 0
古代、中世、近世、近代の境界は概ね以下の通りである。
古代 - 中世: 西ローマ帝国の滅亡
中世 - 近世: 東ローマ帝国の滅亡、ルネサンス、大航海時代、宗教改革
近世 - 近代: 市民革命(特にフランス革命)、産業革命
なお、近代と現代の境界については、1980年代までは1914年の第一次世界大戦の開始以降を現代とする区分が一般的であった。
しかし、1990年代以降は、1989年のベルリンの壁崩壊とそれに伴う冷戦の終結までを近代の枠組みの中で捉えることが多くなってきている。
古代 - 中世: 西ローマ帝国の滅亡
中世 - 近世: 東ローマ帝国の滅亡、ルネサンス、大航海時代、宗教改革
近世 - 近代: 市民革命(特にフランス革命)、産業革命
なお、近代と現代の境界については、1980年代までは1914年の第一次世界大戦の開始以降を現代とする区分が一般的であった。
しかし、1990年代以降は、1989年のベルリンの壁崩壊とそれに伴う冷戦の終結までを近代の枠組みの中で捉えることが多くなってきている。
37: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 14:57:16.17 0
西洋史の「古代」には、古代ギリシャ・ローマ文明を賛美し、それに比べて「文化が衰退した暗黒の中世」という価値観が根底にある。
つまり、「昔は良かった」という思想。
これでいくと、中国の場合は、尭舜禹や、周あたりが古代か
つまり、「昔は良かった」という思想。
これでいくと、中国の場合は、尭舜禹や、周あたりが古代か
38: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 15:20:54.01 0
>>37
これをひっくり返して、
「人類はたえまなく進歩し続けているんだよ」
史観を唱えたのが、マルクス主義。
これをひっくり返して、
「人類はたえまなく進歩し続けているんだよ」
史観を唱えたのが、マルクス主義。
40: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 15:39:17.48 0
なお、「昔はよかったよ」史観が故に、19世紀までの西洋の知識人は、「堕落」の恐怖におののいていた。
つまり、「人間が神の意志にかなっていた理想状態」から人類が歴史を下るほどに乖離していっている、という思想で、その乖離を「堕落」と呼んでいた。
そこに、ダーウィンの進化論が登場した。
堕落の不安におののく西洋知識人は、堕落の回避の可能性を進化論に見出した。
そして、堕落からの脱出を「進歩」と呼んで、社会を進歩させる方向を模索するようになった。
つまり、「人間が神の意志にかなっていた理想状態」から人類が歴史を下るほどに乖離していっている、という思想で、その乖離を「堕落」と呼んでいた。
そこに、ダーウィンの進化論が登場した。
堕落の不安におののく西洋知識人は、堕落の回避の可能性を進化論に見出した。
そして、堕落からの脱出を「進歩」と呼んで、社会を進歩させる方向を模索するようになった。
42: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 15:45:46.00 0
>>40
なんか仏教の末法思想に似てるな
あれはどうやって克服したんたろう
なんか仏教の末法思想に似てるな
あれはどうやって克服したんたろう
43: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 15:58:52.21 0
>>42
うん、
近代における社会の激変を「堕落」というキーワードで不安視したのを本来の科学的な意味を度外視した「進化」理解で乗り切った現象が、「末法思想」と「浄土教ブーム」の関係に酷似している。
「浄土教」ってのも、今のこの世界で修行して悟りを得るのをあきらめて、死後輪廻転生する先を阿弥陀如来の主催する極楽浄土に定めることで、そこで仏道修行して悟りを得よう、という思想だからね。
うん、
近代における社会の激変を「堕落」というキーワードで不安視したのを本来の科学的な意味を度外視した「進化」理解で乗り切った現象が、「末法思想」と「浄土教ブーム」の関係に酷似している。
「浄土教」ってのも、今のこの世界で修行して悟りを得るのをあきらめて、死後輪廻転生する先を阿弥陀如来の主催する極楽浄土に定めることで、そこで仏道修行して悟りを得よう、という思想だからね。
44: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 17:39:24.78 0
仏教先進国であった「中国」がそうでなかうなったのは北宋から。
北宋はそれまでの「中国」を大改造した異質な王朝。
北宋はそれまでの「中国」を大改造した異質な王朝。
45: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 17:49:39.62 0
>>44
宋から、新儒教の巻き返しと、仏教の衰退が始まった
でも、それでいて、宋は最高レベルの禅僧を輩出した仏教思想の頂点でもある
宋から、新儒教の巻き返しと、仏教の衰退が始まった
でも、それでいて、宋は最高レベルの禅僧を輩出した仏教思想の頂点でもある
46: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 17:59:04.39 0
>>45
北宋~元代は、知識人としての最低教養は「儒教・禅宗・道教」の三つに通じている事、
という認識だったらしい。
唐代までの仏教は、その真の教理とは別に、国の支配階級向けのサービスとして、「方便」ではあるが、「神通力」を有するとして祈祷や呪術の類をやっていた。
これは、日本の天台宗や真言宗と同じ現象。
ところが、宋代には禅宗が台頭。
禅僧は旧仏教の僧侶と違って、支配階級の心の苦悩と向き合って、対話による一種のカウンセリングをサービスとして行うことに心を砕いた。
北宋~元代は、知識人としての最低教養は「儒教・禅宗・道教」の三つに通じている事、
という認識だったらしい。
唐代までの仏教は、その真の教理とは別に、国の支配階級向けのサービスとして、「方便」ではあるが、「神通力」を有するとして祈祷や呪術の類をやっていた。
これは、日本の天台宗や真言宗と同じ現象。
ところが、宋代には禅宗が台頭。
禅僧は旧仏教の僧侶と違って、支配階級の心の苦悩と向き合って、対話による一種のカウンセリングをサービスとして行うことに心を砕いた。
49: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 20:06:28.65 0
>>46
そう、そこも見落としがちなポイントの1つだろう
日本の平安時代が、なにかといえば「怨霊の祟りじゃ」といってビビっていた迷信深い時代なのはよく知られているし、西欧は近世に入っても魔女狩りをやっていた
唐朝も、ここまで迷信深いかどうかは別にして、国を挙げて加持祈祷に狂奔した時代
新儒教は、それに対する啓蒙思想という面もある
そう、そこも見落としがちなポイントの1つだろう
日本の平安時代が、なにかといえば「怨霊の祟りじゃ」といってビビっていた迷信深い時代なのはよく知られているし、西欧は近世に入っても魔女狩りをやっていた
唐朝も、ここまで迷信深いかどうかは別にして、国を挙げて加持祈祷に狂奔した時代
新儒教は、それに対する啓蒙思想という面もある
47: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 18:13:05.38 0
宋明における新儒教の登場は、西洋史での「宗教改革」に相当する
儒教は、キリスト教やイスラム教と違って露骨に宗教っぽくないから、そういうイメージが無いのだが、社会に及ぼしたインパクトは勝るとも劣らない
西洋史では、宗教改革とルネサンスの前後で「中世」と「近世」に分かれる
その意味では、中国の場合は、宋がその画期となるだろう
儒教は、キリスト教やイスラム教と違って露骨に宗教っぽくないから、そういうイメージが無いのだが、社会に及ぼしたインパクトは勝るとも劣らない
西洋史では、宗教改革とルネサンスの前後で「中世」と「近世」に分かれる
その意味では、中国の場合は、宋がその画期となるだろう
55: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 22:27:50.95 0
>>47
新儒教である朱子学ってのが、実は理性によるカウンセリングによって新時代の支配層に受容された、新仏教の禅宗から大きな影響を受けて成立したようだね。
旧仏教が(方便とはいえ)加持祈祷で旧支配者層にサービスしたのと同様に、旧儒教には現代まで継承された四書五経のような「経書」とともに神秘的な預言書である「緯書」があり、「経書」と「緯書」を組み合わせることによって真理が読み解けるという思想が存在した。
ちなみに、「経緯」という言葉でわかるように「経」と「緯」はセットのタームであり、布を織るときのたて糸が「経」で時間軸に沿った事象の生起のあとづけを意味し、布を織るときのよこ糸が「緯」で表に見える現象を裏で結び付けている真理を意味する。
つまり、仏教でも儒教でも唐代までは非理性的な神秘主義の色彩が強かったのが、宋代以降は理性主義が前面に押し出されてくる。
ただ、人間は理性だけでは精神の平衡が維持できないので、非理性の神秘主義を一手に引き受ける存在として道教が位置付けられていくことになる。
新儒教である朱子学ってのが、実は理性によるカウンセリングによって新時代の支配層に受容された、新仏教の禅宗から大きな影響を受けて成立したようだね。
旧仏教が(方便とはいえ)加持祈祷で旧支配者層にサービスしたのと同様に、旧儒教には現代まで継承された四書五経のような「経書」とともに神秘的な預言書である「緯書」があり、「経書」と「緯書」を組み合わせることによって真理が読み解けるという思想が存在した。
ちなみに、「経緯」という言葉でわかるように「経」と「緯」はセットのタームであり、布を織るときのたて糸が「経」で時間軸に沿った事象の生起のあとづけを意味し、布を織るときのよこ糸が「緯」で表に見える現象を裏で結び付けている真理を意味する。
つまり、仏教でも儒教でも唐代までは非理性的な神秘主義の色彩が強かったのが、宋代以降は理性主義が前面に押し出されてくる。
ただ、人間は理性だけでは精神の平衡が維持できないので、非理性の神秘主義を一手に引き受ける存在として道教が位置付けられていくことになる。
57: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 23:08:44.46 0
>>55
ところで「経書/緯書」って「スートラ/タントラ」の訳語なんだろうか?
少なくとも漢代には既にあった言葉だけど。
ところで「経書/緯書」って「スートラ/タントラ」の訳語なんだろうか?
少なくとも漢代には既にあった言葉だけど。
58: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 23:12:08.77 0
>>57
確かに、原義が同じだね。
でも、中華に五行説あれば天竺に五大説あり。
同じような同時多発的な並行現象じゃないのかなぁ。
確かに、原義が同じだね。
でも、中華に五行説あれば天竺に五大説あり。
同じような同時多発的な並行現象じゃないのかなぁ。
59: 世界@名無史さん 2019/02/21(木) 00:11:20.41 0
>>57
船山徹著「仏典はどう漢訳されたのか~スートラが経典になるとき」という本によれば、「経」は機織りの縦糸という意味だったが、初期の漢訳者たちが大胆にも、これを「スートラ」の訳語にしたという話だ
船山徹著「仏典はどう漢訳されたのか~スートラが経典になるとき」という本によれば、「経」は機織りの縦糸という意味だったが、初期の漢訳者たちが大胆にも、これを「スートラ」の訳語にしたという話だ
53: 世界@名無史さん 2019/02/20(水) 20:40:36.64 0
なにかにつけて現世志向が強く、インド人や西洋人に比べて「あの世に興味が無い」という、際立った特徴を持っていた中国人
漢代には盛り上がらなかった仏教が、なぜ魏晋南北朝から隋唐にかけて、急に極盛期を迎えたのか?
これについて、よく言われるのは、
「中国人が仏教に染まったのではない。仏教を好む異民族が、中国に移住してきたのだ」
ということ
実際、宋で衰退した仏教は、モンゴル帝国の宮廷で盛り返したし、明で衰退した後も、清の宮廷で篤く信仰された
漢代には盛り上がらなかった仏教が、なぜ魏晋南北朝から隋唐にかけて、急に極盛期を迎えたのか?
これについて、よく言われるのは、
「中国人が仏教に染まったのではない。仏教を好む異民族が、中国に移住してきたのだ」
ということ
実際、宋で衰退した仏教は、モンゴル帝国の宮廷で盛り返したし、明で衰退した後も、清の宮廷で篤く信仰された
61: 世界@名無史さん 2019/02/23(土) 10:12:46.53 0
人種とか遺伝子とかの話は抜きにして、文化集団・宗教的な観点からみると、漢民族が完成したのは宋代からか?
欧州で言うとカール大帝が「西欧」を作り出したような感じで。
欧州で言うとカール大帝が「西欧」を作り出したような感じで。
62: 世界@名無史さん 2019/02/23(土) 11:34:26.82 0
>>61
そのあと、モンゴル帝国による、人種のルツボ状態が来るからな
中国全土はともかく、北京に限って言えば、新しい民族の形成期
そのあと、モンゴル帝国による、人種のルツボ状態が来るからな
中国全土はともかく、北京に限って言えば、新しい民族の形成期
64: 世界@名無史さん 2019/02/24(日) 11:14:36.02 0
「民族」の定義は別にして、少なくとも「中華」の歴史というのは「周縁」を「中心」に巻き込み、繰り込んでいく歴史の繰り返しと言ってもいいんじゃなかろうか。
周代~漢代は邑という華北の多民族都市国家社会をひとつにしていく歴史で、魏晋南北朝~清代はモンゴリア、江南を華北のシステムに統合していく歴史。
周代~漢代は邑という華北の多民族都市国家社会をひとつにしていく歴史で、魏晋南北朝~清代はモンゴリア、江南を華北のシステムに統合していく歴史。
65: 世界@名無史さん 2019/02/24(日) 16:27:25.27 0
>>64
中華史観というイデオロギーでは、そういうことになるな
実際には、ド辺境の北京が全国を征服して新たな中心となり、かつての中華と呼ばれた地域は周縁となって従属しているのだから、それは現実にそぐわない
本当は、「かつての中華は衰退して、別の地域が台頭した」というのが実情
広く東アジア全体を見渡してみれば、日本もそうだ
かつては北京や上海と同じく周縁だったが、今はどう見ても最先進地域
中華史観というイデオロギーでは、そういうことになるな
実際には、ド辺境の北京が全国を征服して新たな中心となり、かつての中華と呼ばれた地域は周縁となって従属しているのだから、それは現実にそぐわない
本当は、「かつての中華は衰退して、別の地域が台頭した」というのが実情
広く東アジア全体を見渡してみれば、日本もそうだ
かつては北京や上海と同じく周縁だったが、今はどう見ても最先進地域
68: 世界@名無史さん 2019/02/24(日) 16:43:45.71 0
>>65
周縁としての北京(燕)の台頭というのは、「北方」の軍事力のどこが中華という生産力を押さえるか、という重心の移動ともとらえられる。
周代や秦代、隋唐では北方からの軍馬導入、さらには軍事集団の参入のゲートは西の方にあった。
その時代の華北の軍事センターが渭水平野、関中盆地の長安。
ところが、北方の軍事力の重心は次第に東モンゴリアやマンチュリアに移動。
その象徴が、
・東モンゴリアとマンチュリアの移行ゾーンに台頭した契丹遼帝国
・マンチュリア本国に台頭した女真金帝国
・東モンゴリアから台頭した大モンゴル国
・大モンゴル国の西マンチュリアに封建した東方三王家を権力基盤に勃興したクビライ王家大元ウルス
・マンチュリア本国に台頭した大清国
という流れ。
この時代の華北における北方騎馬軍事力のセンターが北京(燕)。
華北はしばしば東西分裂して抗争している(殷と周、北斉と北周)が、北方そのものの東西対立、という背景を想定してみても面白いかもしれない。
その好例が、拓跋鮮卑(代~北魏)と慕容鮮卑(三燕)の対立抗争に現れていると思う。
周縁としての北京(燕)の台頭というのは、「北方」の軍事力のどこが中華という生産力を押さえるか、という重心の移動ともとらえられる。
周代や秦代、隋唐では北方からの軍馬導入、さらには軍事集団の参入のゲートは西の方にあった。
その時代の華北の軍事センターが渭水平野、関中盆地の長安。
ところが、北方の軍事力の重心は次第に東モンゴリアやマンチュリアに移動。
その象徴が、
・東モンゴリアとマンチュリアの移行ゾーンに台頭した契丹遼帝国
・マンチュリア本国に台頭した女真金帝国
・東モンゴリアから台頭した大モンゴル国
・大モンゴル国の西マンチュリアに封建した東方三王家を権力基盤に勃興したクビライ王家大元ウルス
・マンチュリア本国に台頭した大清国
という流れ。
この時代の華北における北方騎馬軍事力のセンターが北京(燕)。
華北はしばしば東西分裂して抗争している(殷と周、北斉と北周)が、北方そのものの東西対立、という背景を想定してみても面白いかもしれない。
その好例が、拓跋鮮卑(代~北魏)と慕容鮮卑(三燕)の対立抗争に現れていると思う。
67: 世界@名無史さん 2019/02/24(日) 16:43:42.21 0
「なぜ、大日本帝国による朝鮮や満州の支配は非難されるのに、中華人民共和国によるウイグルやチベットの支配は正当化されるのか?」
という素朴な疑問に対する、左翼と中共の側の理屈づけが、その「中心-周縁」理論だ
大日本帝国の場合は、周縁である日本が、中華を支配しようとしたから悪い
中華人民共和国の場合は、中華が周縁を同化しているのだから良い
・・・左翼の親中派学者たちの主張は、要約すればそういうことになる
という素朴な疑問に対する、左翼と中共の側の理屈づけが、その「中心-周縁」理論だ
大日本帝国の場合は、周縁である日本が、中華を支配しようとしたから悪い
中華人民共和国の場合は、中華が周縁を同化しているのだから良い
・・・左翼の親中派学者たちの主張は、要約すればそういうことになる
69: 世界@名無史さん 2019/02/24(日) 16:51:45.72 0
>>67
支那を支配することに成功してたら日本人も中華に同化されてたんだよなあ
支那を支配することに成功してたら日本人も中華に同化されてたんだよなあ
70: 世界@名無史さん 2019/02/24(日) 16:59:44.33 0
>>69
人種がほとんど同じで、人口が十倍以上なんだからなあ
全体で均質化されれば、中国人になる
人種がほとんど同じで、人口が十倍以上なんだからなあ
全体で均質化されれば、中国人になる
71: 世界@名無史さん 2019/02/24(日) 17:02:19.14 0
イギリスも、「もしも百年戦争にイギリスが勝利してフランスを併合していたら、いまごろイギリス人はフランス語をしゃべっていただろう」とよく言われる
97: 世界@名無史さん 2019/02/25(月) 15:31:03.87 0
漢民族ではなくてもう中華民族になっています
114: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 12:39:43.48 0
少しコトバの整理をしておきたいが、まず「中華民族」というのは孫文あたりが創造した新概念で、漢民族も満州民族もウイグルもチベットも内モンゴルもひっくるめて中国国内に住む住人をまとめて総称した政治スローガンである。
本来は「中国国民」と称すべきところを「○○民族」にしたのは分裂状態の自国をまとめる方便であろう。そこで本来は独立した民族であるチベットもウイグルも民族の下位カテゴリである「〇〇族」に格下げされた。(よって民族自決は認めん!と。)
「中華民族」という言葉はアメリカ民族 ソビエト民族 カナダ民族 という位のアフォな名詞。
本来は「中国国民」と称すべきところを「○○民族」にしたのは分裂状態の自国をまとめる方便であろう。そこで本来は独立した民族であるチベットもウイグルも民族の下位カテゴリである「〇〇族」に格下げされた。(よって民族自決は認めん!と。)
「中華民族」という言葉はアメリカ民族 ソビエト民族 カナダ民族 という位のアフォな名詞。
116: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 12:58:18.37 0
前にも書いたけど中華民族は国族。
国民国家には必ず存在する概念で、何もおかしいことは無い
「民族の下位カテゴリの○○族」なんて全くもって意味不明
民族に関する概念は台湾が盛んに研究してるから王甫昌の『族群』あたりを読んで勉強すればいいよ
国民国家には必ず存在する概念で、何もおかしいことは無い
「民族の下位カテゴリの○○族」なんて全くもって意味不明
民族に関する概念は台湾が盛んに研究してるから王甫昌の『族群』あたりを読んで勉強すればいいよ
121: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 13:39:55.46 0
国族はnationの中国語訳
民族はethnicの中国語訳
民族はethnicの中国語訳
122: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 14:17:58.30 0
>>121
国民全体を総括する概念に対しに「族」の字を使った実績がないのにもかかわらず、「国族」なる謎単語を創出しnationの訳語であるなどと強弁している
国民全体を総括する概念に対しに「族」の字を使った実績がないのにもかかわらず、「国族」なる謎単語を創出しnationの訳語であるなどと強弁している
123: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 14:35:28.33 0
>>122
まぁ、北フランスのオック語系言語、南フランスのプロバンス語などのオイル語系言語、ライン川沿いのロレーヌ語は互いにかなり相違した別言語にもかかわらず、方言だと言い張り、これ全てをおなじnationだと言い張るフランス共和国ナショナリズムもたいがいに業腹なシロモノなんだが。
孫文以下中国国民党、中国共産党の「中華民族論」も、このフランスのひそみに倣ったものに違いない。
まぁ、北フランスのオック語系言語、南フランスのプロバンス語などのオイル語系言語、ライン川沿いのロレーヌ語は互いにかなり相違した別言語にもかかわらず、方言だと言い張り、これ全てをおなじnationだと言い張るフランス共和国ナショナリズムもたいがいに業腹なシロモノなんだが。
孫文以下中国国民党、中国共産党の「中華民族論」も、このフランスのひそみに倣ったものに違いない。
127: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 16:22:02.32 0
>>123
フランスのそれはnationじゃなくてethnicの意味での単一民族主義じゃないかな
本来のnationにおいては言語か方言かなんてどうでもいい
何語を話していようがフランスに住んでる人はみな同じフランスnationだから
nationが強調されるのは国内に語族レベルで異なるぐらいかけ離れた民族が雑居してる場合(マレーシアなど)と、周辺国でethnicの意味での民族主義が勃興した時(タイ民族主義に対抗するための中華国族主義など)フランスはその点どうなんだろう
ドイツのゲルマン民族主義なんかが脅威になったの?
フランスのそれはnationじゃなくてethnicの意味での単一民族主義じゃないかな
本来のnationにおいては言語か方言かなんてどうでもいい
何語を話していようがフランスに住んでる人はみな同じフランスnationだから
nationが強調されるのは国内に語族レベルで異なるぐらいかけ離れた民族が雑居してる場合(マレーシアなど)と、周辺国でethnicの意味での民族主義が勃興した時(タイ民族主義に対抗するための中華国族主義など)フランスはその点どうなんだろう
ドイツのゲルマン民族主義なんかが脅威になったの?
128: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 16:33:01.75 0
>>127
むしろ、フランスの大革命以降の「Natio」+「Civilisation」イデオロギーに対抗しての「Volks」+「Kultur」イデオロギーじゃなかったっけ。
むしろ、フランスの大革命以降の「Natio」+「Civilisation」イデオロギーに対抗しての「Volks」+「Kultur」イデオロギーじゃなかったっけ。
131: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 17:48:49.24 0
>>128
ethnosとVolkって同義じゃないの?
ていうかなんでドイツ語w
フランスの言語運動がethnicな運動だっていう意味ならその通りで、政権がそれを鎮圧するためにethnosの違いを超えたnationを強調してる点は中共やソ連、アメリカなんかと同じだね
Kulturについてはよく分からんけど、nationともethnosとも違う集合なの?
それでふと思ったんだけどドイツがvolksなんたらっていう民族共同体なるものを掲げて分裂状態からの統一を目指したのって、三国時代みたいに何度分裂しても必ず統一を目指す原動力になった「中華」的な何かと似てるかも
西洋については詳しくないからあくまで思いつきだけどね
ethnosとVolkって同義じゃないの?
ていうかなんでドイツ語w
フランスの言語運動がethnicな運動だっていう意味ならその通りで、政権がそれを鎮圧するためにethnosの違いを超えたnationを強調してる点は中共やソ連、アメリカなんかと同じだね
Kulturについてはよく分からんけど、nationともethnosとも違う集合なの?
それでふと思ったんだけどドイツがvolksなんたらっていう民族共同体なるものを掲げて分裂状態からの統一を目指したのって、三国時代みたいに何度分裂しても必ず統一を目指す原動力になった「中華」的な何かと似てるかも
西洋については詳しくないからあくまで思いつきだけどね
132: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 17:51:46.74 0
>>131
あ、舌足らずだったけど、フランス革命以来のフランス共和国イデオロギーに対するドイツイデオロギーって意味ね。
あ、舌足らずだったけど、フランス革命以来のフランス共和国イデオロギーに対するドイツイデオロギーって意味ね。
134: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 18:28:24.70 0
>>131
>ドイツがvolksなんたらっていう民族共同体なるものを掲げて分裂状態からの統一を目指したのって、 三国時代みたいに何度分裂しても必ず統一を目指す原動力
いやー、それは無いな。
ドイツ統一の原動力となったのは、プロイセンという国家の「権力への意志」。
「ドイツはひとつ」というイデオロギーなど、今でも無いくらいだ。
>ドイツがvolksなんたらっていう民族共同体なるものを掲げて分裂状態からの統一を目指したのって、 三国時代みたいに何度分裂しても必ず統一を目指す原動力
いやー、それは無いな。
ドイツ統一の原動力となったのは、プロイセンという国家の「権力への意志」。
「ドイツはひとつ」というイデオロギーなど、今でも無いくらいだ。
139: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 23:56:42.73 0
>>128で概ね正解。
フランスがnationと称する集団を母体とする、みたことない単一不可分の国家を作ったあげく、やたらと圧迫してきたから、これに対してドイツ人が対抗して作った概念がVolk。
受け身で作った概念だから中身はない。血縁と言語で情緒的(ロマン的)にまとまるキモい集団。
でももっと言えば、イングランドが海を越えてやたら圧迫してきたことに対抗して、パリのフランス王権が作った(ボダンに作らせた)のがsouverainete'概念で、これを軸にして練り上げられたのがnation。王様の首をはねたので、nationだけでまとまることになった。
もちろん、話の最初のイングランド王権はフランス出だから皮肉な話なんだけど、島国が島として自動的にまとまるがゆえに、対抗する大陸側に「外縁を区切る妙な概念」を惹起させている。
この話、「中華民族」なる変態概念の形成過程と同じなんだよな。
フランスがnationと称する集団を母体とする、みたことない単一不可分の国家を作ったあげく、やたらと圧迫してきたから、これに対してドイツ人が対抗して作った概念がVolk。
受け身で作った概念だから中身はない。血縁と言語で情緒的(ロマン的)にまとまるキモい集団。
でももっと言えば、イングランドが海を越えてやたら圧迫してきたことに対抗して、パリのフランス王権が作った(ボダンに作らせた)のがsouverainete'概念で、これを軸にして練り上げられたのがnation。王様の首をはねたので、nationだけでまとまることになった。
もちろん、話の最初のイングランド王権はフランス出だから皮肉な話なんだけど、島国が島として自動的にまとまるがゆえに、対抗する大陸側に「外縁を区切る妙な概念」を惹起させている。
この話、「中華民族」なる変態概念の形成過程と同じなんだよな。
141: 世界@名無史さん 2019/02/28(木) 00:16:59.26 0
>>139
概ねあってたか。よかった。
中世~近世のヨーロッパ国際関係を理解する上でのいくつかの軸線があって、
・西フランク>フランス王国と東フランク>神聖ローマ帝国が経済中心で人口稠密地帯のロタリンギアを奪い合う
というのが第一軸
・イングランド>フランス>ドイツと波状に波及するナショナリズム形成
というのが第二軸
・奪われるロタリンギアから自立したロタリンギアを目指す運動から台頭するスイスとオランダ
というのが第三軸
概ねあってたか。よかった。
中世~近世のヨーロッパ国際関係を理解する上でのいくつかの軸線があって、
・西フランク>フランス王国と東フランク>神聖ローマ帝国が経済中心で人口稠密地帯のロタリンギアを奪い合う
というのが第一軸
・イングランド>フランス>ドイツと波状に波及するナショナリズム形成
というのが第二軸
・奪われるロタリンギアから自立したロタリンギアを目指す運動から台頭するスイスとオランダ
というのが第三軸
137: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 22:06:06.13 0
>>127
フランスの場合は共和主義のイデオロギーで国民を統合する面が大きいんじゃないかと。
その一環として標準フランス語に通じていることを要求する。
フランスの場合は共和主義のイデオロギーで国民を統合する面が大きいんじゃないかと。
その一環として標準フランス語に通じていることを要求する。
138: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 23:51:46.62 0
>>137
そうそう
国族の拠り所として言語が使われることはよくある、フランス人たるものフランス語を話すべし、みたいな論
政治体制への帰属意識も冷戦時代にはよくあった
今でも台湾は中共と異なる国族(台湾が国かどうかは置いといて)として統合するために大統領選挙を中心にした民主主義をよく強調する
まあでも一番多く使われるのは歴史経験じゃないかな
同じ土地で同じ歴史を経験してきたから同じ国民なんだっていう主張
極端なのはミャンマーで、1823年の英緬戦争を経験した人とその子孫だけがミャンマー国族だって主張して、それに該当しないロヒンギャは不法移民扱いされてる
そうそう
国族の拠り所として言語が使われることはよくある、フランス人たるものフランス語を話すべし、みたいな論
政治体制への帰属意識も冷戦時代にはよくあった
今でも台湾は中共と異なる国族(台湾が国かどうかは置いといて)として統合するために大統領選挙を中心にした民主主義をよく強調する
まあでも一番多く使われるのは歴史経験じゃないかな
同じ土地で同じ歴史を経験してきたから同じ国民なんだっていう主張
極端なのはミャンマーで、1823年の英緬戦争を経験した人とその子孫だけがミャンマー国族だって主張して、それに該当しないロヒンギャは不法移民扱いされてる
135: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 18:32:33.12 0
中国でも「北京愛国、上海売国、広東出国」と言われるように、気候風土に恵まれた地域ほど、「統一」への情熱がない
ドイツでも、プロイセンは統一したがるが、南のバイエルンはそれほどでもないし、さらに南のオーストリアに至っては全くその気なし
ドイツでも、プロイセンは統一したがるが、南のバイエルンはそれほどでもないし、さらに南のオーストリアに至っては全くその気なし
136: 世界@名無史さん 2019/02/27(水) 21:03:23.11 0
>>135
そういうのあんまり当てにならないけどな
辛亥革命を起こした中国同盟会は広東系の孫文、胡漢民、汪兆銘始めほぼ全員南方人だよ
そういうのあんまり当てにならないけどな
辛亥革命を起こした中国同盟会は広東系の孫文、胡漢民、汪兆銘始めほぼ全員南方人だよ
140: 世界@名無史さん 2019/02/28(木) 00:02:56.58 0
>>136
辛亥革命のときは、全省が一斉に独立宣言した
ソビエト連邦のすべての共和国が独立したのに匹敵する事態だった
辛亥革命のときは、全省が一斉に独立宣言した
ソビエト連邦のすべての共和国が独立したのに匹敵する事態だった
171: 世界@名無史さん 2019/03/03(日) 18:30:30.96 0
そういえば、「ドイツ民族」というのは昔からよく聞く言葉だけど、「フランス民族」というのは聞いた覚えがないねえ
172: 世界@名無史さん 2019/03/03(日) 19:10:04.22 0
>>171
イタリア、イングランドあたりもきかない
イタリア、イングランドあたりもきかない
173: 世界@名無史さん 2019/03/03(日) 19:46:29.30 0
民族、民族とやたら言いたがるのは、ドイツ・ロシア・中国・イラン・朝鮮あたりだな
国家社会主義の傾向がある国ばかり
国家社会主義の傾向がある国ばかり
174: 世界@名無史さん 2019/03/03(日) 19:57:39.22 0
民族主義は文明の中心に接する後発の文明国で発達するように思う。
モンゴルや女真が先駆者で近代だとドイツが本場。
イギリスも本当はそうなんだけど君主で民族を代用した感じ。
あとイランは全然違うかと。あそこは革命の理念で民族主義を抑え込んでる。
なんせ最高指導者からして民族的にはアゼルバイジャン系だし。
モンゴルや女真が先駆者で近代だとドイツが本場。
イギリスも本当はそうなんだけど君主で民族を代用した感じ。
あとイランは全然違うかと。あそこは革命の理念で民族主義を抑え込んでる。
なんせ最高指導者からして民族的にはアゼルバイジャン系だし。
177: 世界@名無史さん 2019/03/03(日) 22:29:58.32 0
>>174
ドイツ人のドイツ人という意識って8世紀頃から存在してるから
近代に限った話ではないのだけどね
民族意識ってのは他の文明と相対して「彼らと違う我ら」を意識する時に強く発揮されるもんだってのは間違いないんだけど
ドイツ人のドイツ人という意識って8世紀頃から存在してるから
近代に限った話ではないのだけどね
民族意識ってのは他の文明と相対して「彼らと違う我ら」を意識する時に強く発揮されるもんだってのは間違いないんだけど
186: 世界@名無史さん 2019/03/05(火) 03:06:06.00 0
>>177
8世紀はまだドイツ人なんて存在してないよ
フランク帝国と抗争してたのはあくまでザクセン人やバイエルン人
8世紀はまだドイツ人なんて存在してないよ
フランク帝国と抗争してたのはあくまでザクセン人やバイエルン人
188: 世界@名無史さん 2019/03/05(火) 09:17:19.43 0
>>186
古高ドイツ語の時代には既にドイツ語とそれを話すドイツ人っていう意識はあるよ
9世紀入ってすぐのカロリング朝東フランク王ルートヴィヒ2世が「ドイツ人の王」を名乗ったりして、8世紀にはドイツ人意識ってのが存在してないとおかしいとか傍証も色々あるし
古高ドイツ語の時代には既にドイツ語とそれを話すドイツ人っていう意識はあるよ
9世紀入ってすぐのカロリング朝東フランク王ルートヴィヒ2世が「ドイツ人の王」を名乗ったりして、8世紀にはドイツ人意識ってのが存在してないとおかしいとか傍証も色々あるし
189: 世界@名無史さん 2019/03/05(火) 09:35:18.59 0
>>188
ドイッチュのもともとの意味は「地付きの者」みたいなニュアンスだっけ。
ガリア+ラインラントから侵略してきて征服したフランクとは別の土着の者たちという意識だったかな。
そうすると、もともとの「同族意識」というより「ガリアのフランク」への対抗意識による仲間意識というのがふさわしそうだね。
ドイッチュのもともとの意味は「地付きの者」みたいなニュアンスだっけ。
ガリア+ラインラントから侵略してきて征服したフランクとは別の土着の者たちという意識だったかな。
そうすると、もともとの「同族意識」というより「ガリアのフランク」への対抗意識による仲間意識というのがふさわしそうだね。
203: 世界@名無史さん 2019/03/05(火) 16:39:53.63 0
>>188
ルートヴィヒ2世に「ドイツ人の王」のニックネームがついたのは18世紀だそうだよ
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_110010038776.pdf?id=ART0010604764
という論文によると
「フォルク(theoda)の言葉を話す人々(フランク人、ザクセン人、シュヴァーベン人、バイエルン人)を一括して「ドイツ人(Theodisci)」と呼ぶことは、イタリア人により他者の呼称として始められたのであり、それが自称として使われだすのは、ようやく、10世紀末のことである。」
と書かれているよ
ルートヴィヒ2世に「ドイツ人の王」のニックネームがついたのは18世紀だそうだよ
という論文によると
「フォルク(theoda)の言葉を話す人々(フランク人、ザクセン人、シュヴァーベン人、バイエルン人)を一括して「ドイツ人(Theodisci)」と呼ぶことは、イタリア人により他者の呼称として始められたのであり、それが自称として使われだすのは、ようやく、10世紀末のことである。」
と書かれているよ
204: 世界@名無史さん 2019/03/05(火) 17:06:33.03 0
>>203
そりゃ、「チュートン(テウトニー)」系の名称はラテン語古典のローマ史研究の裏付けがなければ出てこないわけでさ。
問題は、カロリング帝国東西分裂時に東の勢力が西フランクに対して自分たちを「ドイッチュ」と呼んだ、そっちの方だと思うよ。
そりゃ、「チュートン(テウトニー)」系の名称はラテン語古典のローマ史研究の裏付けがなければ出てこないわけでさ。
問題は、カロリング帝国東西分裂時に東の勢力が西フランクに対して自分たちを「ドイッチュ」と呼んだ、そっちの方だと思うよ。
179: 世界@名無史さん 2019/03/04(月) 07:27:02.12 0
漢民族と呼ばれる固有の民族は存在しないらしい
180: 世界@名無史さん 2019/03/04(月) 22:24:22.78 0
>>179
日本にいる香港出身者と大陸出身者は日本語で会話するからな
日本にいる香港出身者と大陸出身者は日本語で会話するからな
181: 世界@名無史さん 2019/03/04(月) 23:17:31.78 0
>>180
高校の時にクラスにいた大連人と広州人も日本語だったな
でも言葉と民族は関係無いぞ
言葉が通じないからって薩摩民族と大隅民族に分ける必要は無かろう
現代において漢民族の存在を疑う理由なんか何も無い
高校の時にクラスにいた大連人と広州人も日本語だったな
でも言葉と民族は関係無いぞ
言葉が通じないからって薩摩民族と大隅民族に分ける必要は無かろう
現代において漢民族の存在を疑う理由なんか何も無い
184: 世界@名無史さん 2019/03/05(火) 01:52:42.78 0
>>183
言語と民族は関係ないわけじゃない
ただイコールじゃないだけだ
言語と民族は関係ないわけじゃない
ただイコールじゃないだけだ
191: 世界@名無史さん 2019/03/05(火) 12:43:30.77 0
どっかの藩が幕府から独立したら、別民族という扱いになるのかとか気になるところ
引用元: ・「漢民族」とは何なのか?

