1: 人間七七四年 2015/04/12(日) 18:43:59.37 ID:vkzeMSPu
志村けんはNGワードで。
2: 人間七七四年 2015/04/13(月) 02:23:54.51 ID:b6VYcAP2
テンプレってこれでいいのかな?
絶対:
絶対:
今川氏真 一条兼定 山名豊国
大友義統 大内義隆 河野通直(後期)
大友義統 大内義隆 河野通直(後期)
まだまし?:
最上義守 蘆名盛隆 上杉憲政
千葉邦胤 足利義昭 足利晴氏
尼子義久 三好長治 島津勝久
伊東義祐 六角義治・義賢
土岐頼芸 斎藤龍興 浅井久政 朝倉義景
千葉邦胤 足利義昭 足利晴氏
尼子義久 三好長治 島津勝久
伊東義祐 六角義治・義賢
土岐頼芸 斎藤龍興 浅井久政 朝倉義景
やったことが…:
大友宗麟 龍造寺熊 長宗我部元親(信親戦死後)
9: 人間七七四年 2015/04/17(金) 21:32:30.95 ID:If0eGtmg
>>2
地味ーに関東足利家のみなさんが酷いよなあ
代替わりしたら、香典代わりに家督争いを繰り返すんだもんな
河内源氏のお約束をそんな所で律儀に守ってどうすんだw
地味ーに関東足利家のみなさんが酷いよなあ
代替わりしたら、香典代わりに家督争いを繰り返すんだもんな
河内源氏のお約束をそんな所で律儀に守ってどうすんだw
16: 人間七七四年 2015/04/29(水) 16:13:10.03 ID:/7+WQAN6
>>2
> 六角義治・義賢
義治はともかく、義賢は違うだろ
信長に先駆けて楽市楽座もやったし、家政の混乱もより近代的な中央集権化の過程のもの
信長も、最初は義賢を敵にするつもりはなく、上洛時に義賢に一度断られても「足利義昭を奉じていっしょに上洛しましょう」と使者を繰り返し送って、浅井長政と同じ同盟者の地位に付けようとした人物だぞ
> 六角義治・義賢
義治はともかく、義賢は違うだろ
信長に先駆けて楽市楽座もやったし、家政の混乱もより近代的な中央集権化の過程のもの
信長も、最初は義賢を敵にするつもりはなく、上洛時に義賢に一度断られても「足利義昭を奉じていっしょに上洛しましょう」と使者を繰り返し送って、浅井長政と同じ同盟者の地位に付けようとした人物だぞ
10: 人間七七四年 2015/04/22(水) 19:18:19.03 ID:a3+OHC09
山名豊国は、かなり頑張ったほうだと思うよ。
下克上でのし上がっていた武田高信を破り、鳥取城を奪還している。
ちなみに武田高信に鳥取城を奪われたのは先代の山名豊数。豊国が当主になった時点で、すでに山名の勢力は衰えていた。
また、山名の宗家は但馬にいるやつらで、因幡守護の豊国は分家筋だった。
嫡流に生まれて転落した今川氏真とは違う。
豊国は関ヶ原の戦いで徳川方に味方して加増されたが、反対に宗家は大坂の陣でも豊臣方にしたがって滅亡。それで結果的に豊国が宗家となっている。
下克上でのし上がっていた武田高信を破り、鳥取城を奪還している。
ちなみに武田高信に鳥取城を奪われたのは先代の山名豊数。豊国が当主になった時点で、すでに山名の勢力は衰えていた。
また、山名の宗家は但馬にいるやつらで、因幡守護の豊国は分家筋だった。
嫡流に生まれて転落した今川氏真とは違う。
豊国は関ヶ原の戦いで徳川方に味方して加増されたが、反対に宗家は大坂の陣でも豊臣方にしたがって滅亡。それで結果的に豊国が宗家となっている。
山名 豊国(やまな とよくに)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての大名、武将。
永禄3年(1560年)、父の豊定が死去した。その跡を継ぐため派遣された棟豊(祐豊の子)も永禄4年(1561年)に早世し、次いで兄の豊数が因幡山名家(通称、布施屋形・布施殿)の家督を継承すると、豊国は支城であった因幡岩井城の城主とされた。しかし、豊国と兄の豊数は、その家老の武田高信や毛利氏によって城を追われ、因幡国を追放され但馬国八束へと逃れた。
永禄7年(1564年の豊数の死後、因幡山名家の家督を継承した。元正元年(1573年)に高信が死去すると、豊国は鳥取城を奪還し、その1ヶ月後には毛利輝元に臣従した。
天正8年(1580年)に織田氏の武将羽柴秀吉が侵攻してきた。豊国らは一旦は鳥取城に籠城するが、重臣の中村春続、森下道誉ら家臣団が徹底抗戦を主張する中、単身で秀吉の陣中に赴き降伏した。豊国は秀吉を通じて助命された。
永禄3年(1560年)、父の豊定が死去した。その跡を継ぐため派遣された棟豊(祐豊の子)も永禄4年(1561年)に早世し、次いで兄の豊数が因幡山名家(通称、布施屋形・布施殿)の家督を継承すると、豊国は支城であった因幡岩井城の城主とされた。しかし、豊国と兄の豊数は、その家老の武田高信や毛利氏によって城を追われ、因幡国を追放され但馬国八束へと逃れた。
永禄7年(1564年の豊数の死後、因幡山名家の家督を継承した。元正元年(1573年)に高信が死去すると、豊国は鳥取城を奪還し、その1ヶ月後には毛利輝元に臣従した。
天正8年(1580年)に織田氏の武将羽柴秀吉が侵攻してきた。豊国らは一旦は鳥取城に籠城するが、重臣の中村春続、森下道誉ら家臣団が徹底抗戦を主張する中、単身で秀吉の陣中に赴き降伏した。豊国は秀吉を通じて助命された。
11: 人間七七四年 2015/04/22(水) 19:33:28.78 ID:a3+OHC09
山中鹿之助と協力して鳥取城を奪い返した後、鹿之助を追放して尼子党の影響力を排除。
以後、豊国は毛利方についたり、織田方についたり、節操なく裏切りを繰り返す。
和睦をむすんで開城させた後、武田高信を謀殺するなど、豊国にはかなり冷徹な一面があった。
うまくいけば宇喜多直家や松永久秀みたいな梟雄と言われたかもしれない。
以後、豊国は毛利方についたり、織田方についたり、節操なく裏切りを繰り返す。
和睦をむすんで開城させた後、武田高信を謀殺するなど、豊国にはかなり冷徹な一面があった。
うまくいけば宇喜多直家や松永久秀みたいな梟雄と言われたかもしれない。
12: 人間七七四年 2015/04/22(水) 20:28:08.49 ID:a3+OHC09
豊国がバカ殿と言われるのは、家臣に追放された件だと思うけど、そこはむしろ豊国の方が正しかったんじゃないの?
あの時点では毛利を裏切って織田方に味方するのが正解だし、それを見抜いている豊国には先見性があった。
豊国を城から追放した家臣たちの方が、もっと何倍もバカだったと思う。
秀吉の作戦に引っかかり、開戦前に兵糧を全部売り払ってしまった。
鳥取城は完全に包囲されていて、毛利からの物資補給はなく、援軍もこなかった。
だから人肉を食べて飢えをしのいだあげく、大将ら数名が切腹し、城を明け渡すことで降伏……
これ以前にも秀吉が因幡に攻めてきたことはあるんだけど、豊国はそれを相手にいくらか戦果をあげていたし、さすがにこんな悲惨な負け方はしていなかった。
あの時点では毛利を裏切って織田方に味方するのが正解だし、それを見抜いている豊国には先見性があった。
豊国を城から追放した家臣たちの方が、もっと何倍もバカだったと思う。
秀吉の作戦に引っかかり、開戦前に兵糧を全部売り払ってしまった。
鳥取城は完全に包囲されていて、毛利からの物資補給はなく、援軍もこなかった。
だから人肉を食べて飢えをしのいだあげく、大将ら数名が切腹し、城を明け渡すことで降伏……
これ以前にも秀吉が因幡に攻めてきたことはあるんだけど、豊国はそれを相手にいくらか戦果をあげていたし、さすがにこんな悲惨な負け方はしていなかった。
29: 人間七七四年 2015/05/05(火) 02:53:58.81 ID:oilS4fKN
山名煕政が清水の養子になって「清水恒豊」と改名したのは、豊国の偏諱を受けたんだろうか。
謀反人の子・煕政 が、豊国さまの口利きで幕府に許してもらって旗本になれたから、感謝するのは当然なんだろうけど。
由緒正しき山名の家名を捨てて清水姓になるのは屈辱的じゃなかったのかね……
謀反人の子・煕政 が、豊国さまの口利きで幕府に許してもらって旗本になれたから、感謝するのは当然なんだろうけど。
由緒正しき山名の家名を捨てて清水姓になるのは屈辱的じゃなかったのかね……
381: 人間七七四年 2015/06/23(火) 23:28:52.91 ID:YVJD59UV
>>29
母親を「めかけ」にされ
自身は但馬守護家の家臣の家の養子にされ
但馬守護山名家を滅ぼされ
山名の主流は自らだと主張され
感謝するのは当然・・・
何をどう感謝するの?
母親を「めかけ」にされ
自身は但馬守護家の家臣の家の養子にされ
但馬守護山名家を滅ぼされ
山名の主流は自らだと主張され
感謝するのは当然・・・
何をどう感謝するの?
385: 人間七七四年 2015/06/25(木) 09:03:35.51 ID:793Ghlpl
>>381
山名豊国は晩年、大坂の陣で豊臣に与して戦死した山名堯政の子が旗本になれるように奔走したそうだね。
これは豊国がおぼっちゃんで人のいい性格だから、親戚の子を助けてあげようとしたんだと俺は思ってた。
そのとき山名から清水の養子にして苗字を変えさせたのは、豊臣方だった堯政の子が山名のままだと幕府のお許しがもらえなかったから、苦肉の策だったんじゃないの?
とはいえ、言われてみれば、その解釈は善意にとりすぎだったかも。
実際は捨て扶持をあたえて身分を固定化して、堯政の子孫が二度と自分に逆らえないようにしたかったのかな?
山名豊国は晩年、大坂の陣で豊臣に与して戦死した山名堯政の子が旗本になれるように奔走したそうだね。
これは豊国がおぼっちゃんで人のいい性格だから、親戚の子を助けてあげようとしたんだと俺は思ってた。
そのとき山名から清水の養子にして苗字を変えさせたのは、豊臣方だった堯政の子が山名のままだと幕府のお許しがもらえなかったから、苦肉の策だったんじゃないの?
とはいえ、言われてみれば、その解釈は善意にとりすぎだったかも。
実際は捨て扶持をあたえて身分を固定化して、堯政の子孫が二度と自分に逆らえないようにしたかったのかな?
386: 人間七七四年 2015/06/25(木) 09:14:42.50 ID:793Ghlpl
>>381
山名堯政の妻(つまり山名煕政の母親?)は、豊国の“めかけ”にされたのですか……。
好意的に見れば、「身寄りのない母子を保護」「親戚の子どもの再就職を助ける」ってことだろうけど、そうすることで身分を固定化させる目的もあったのかな。
まあ、もし豊国の援助がなかったら、堯政の妻子はニッチもサッチもいかなくて、もっと悲惨なことになってそうだがねw
山名堯政の妻(つまり山名煕政の母親?)は、豊国の“めかけ”にされたのですか……。
好意的に見れば、「身寄りのない母子を保護」「親戚の子どもの再就職を助ける」ってことだろうけど、そうすることで身分を固定化させる目的もあったのかな。
まあ、もし豊国の援助がなかったら、堯政の妻子はニッチもサッチもいかなくて、もっと悲惨なことになってそうだがねw
387: 人間七七四年 2015/06/25(木) 20:16:43.35 ID:vUKpJ62L
>>386
それはない
山名堯政の子の山名煕政は越前徳川家・・・(?まあとにかく徳川一門)から仕官の打診を受けていたらしいから
ようするに但馬守護家の断絶が目的だったんだと思うよ
私が但馬山名氏の一門旧重臣なら幼い煕政をして山名家の再興運動をするし、徳川の直参がかなわないなら支障のない他の大名家での仕官の手助けをする
先祖が但馬山名氏の出ではあるが家臣筋の自分の家の養子にしようとはしないだろうし、ましてや清水の養子にして山名姓を奪うこともしない
とにかく自分より上位の地位で山名を名乗るものを許せなかったのだろう
それはない
山名堯政の子の山名煕政は越前徳川家・・・(?まあとにかく徳川一門)から仕官の打診を受けていたらしいから
ようするに但馬守護家の断絶が目的だったんだと思うよ
私が但馬山名氏の一門旧重臣なら幼い煕政をして山名家の再興運動をするし、徳川の直参がかなわないなら支障のない他の大名家での仕官の手助けをする
先祖が但馬山名氏の出ではあるが家臣筋の自分の家の養子にしようとはしないだろうし、ましてや清水の養子にして山名姓を奪うこともしない
とにかく自分より上位の地位で山名を名乗るものを許せなかったのだろう
390: 人間七七四年 2015/06/26(金) 01:33:01.45 ID:dc8zNuer
>>387
山名豊国は、仇敵・武田高信の遺児を家臣として再雇用しているんだよね。
ウィキペディアの情報だけど、
「関ヶ原の戦いの後、豊国はかつて自らを追放した武田高信の遺児・助信を捜し出して召抱え、200石を与えた。以後、助信の子孫は代々山名氏に仕えた。」
とのこと。
山名の本家筋をつぶして乗っ取りした件は、まあ完全に悪意だったとしても、これはどう解釈すればいいだろう?
山名豊国は、仇敵・武田高信の遺児を家臣として再雇用しているんだよね。
ウィキペディアの情報だけど、
「関ヶ原の戦いの後、豊国はかつて自らを追放した武田高信の遺児・助信を捜し出して召抱え、200石を与えた。以後、助信の子孫は代々山名氏に仕えた。」
とのこと。
山名の本家筋をつぶして乗っ取りした件は、まあ完全に悪意だったとしても、これはどう解釈すればいいだろう?
397: 人間七七四年 2015/07/03(金) 08:50:26.60 ID:Aj6kR/I7
氏真はバカ殿かもだけど(三ヶ国の守護→高家)
山名豊国はバカ殿じゃないことがわかった。
山名氏の庶流の一つから交代寄合になったのは出世と言える。
山名豊国はバカ殿じゃないことがわかった。
山名氏の庶流の一つから交代寄合になったのは出世と言える。
398: 人間七七四年 2015/07/03(金) 13:50:10.70 ID:+yfZcUzp
>>397
出世とバカは別じゃね?
山名豊国のバカ扱いは後世の逸話(籠城する前に米を売り払った。京極への陰口を家康にたしなめられた)のせいだろ?
氏真は、当時、皆が認めたバカ(甲陽軍鑑で記述されたんだっけ)って話だろ?
氏真は、現代的にいうと『穀潰し』『プー太郎』『高等遊民』『ロクデナシ』が当てはまると思う。
バカだったら、弔い合戦やって敗死してるだろ
出世とバカは別じゃね?
山名豊国のバカ扱いは後世の逸話(籠城する前に米を売り払った。京極への陰口を家康にたしなめられた)のせいだろ?
氏真は、当時、皆が認めたバカ(甲陽軍鑑で記述されたんだっけ)って話だろ?
氏真は、現代的にいうと『穀潰し』『プー太郎』『高等遊民』『ロクデナシ』が当てはまると思う。
バカだったら、弔い合戦やって敗死してるだろ
399: 人間七七四年 2015/07/03(金) 21:16:04.89 ID:exVwKCJR
>>398
籠城前の兵糧売却は、時系列がよく分からないのだけど、あれは山名豊国の責任だったんだろうか?
第一次の鳥取城攻めでは羽柴秀吉と和睦、とりあえず引き分けに持ちこんだ。
第二次があの有名な兵糧攻めなんだけど、その開戦前に山名豊国は毛利を裏切って織田方に付こうとした。そのため毛利派の家臣たちに城を追放されてしまい、羽柴秀吉のもとへ投降。だからこのときに豊国は攻撃側で鳥取城攻めに参戦している。
周知のとおり秀吉は第二次鳥取城攻めをおこなう時、商人を動員してコメの価格をつり上げさせ、城中の兵糧米を売却するように誘導する罠を仕掛けたらしい。
それに踊らされて籠城側が兵糧を売り払ってしまったは、家臣による豊国の追放劇とどっちが先だったんだろうか?
籠城前の兵糧売却は、時系列がよく分からないのだけど、あれは山名豊国の責任だったんだろうか?
第一次の鳥取城攻めでは羽柴秀吉と和睦、とりあえず引き分けに持ちこんだ。
第二次があの有名な兵糧攻めなんだけど、その開戦前に山名豊国は毛利を裏切って織田方に付こうとした。そのため毛利派の家臣たちに城を追放されてしまい、羽柴秀吉のもとへ投降。だからこのときに豊国は攻撃側で鳥取城攻めに参戦している。
周知のとおり秀吉は第二次鳥取城攻めをおこなう時、商人を動員してコメの価格をつり上げさせ、城中の兵糧米を売却するように誘導する罠を仕掛けたらしい。
それに踊らされて籠城側が兵糧を売り払ってしまったは、家臣による豊国の追放劇とどっちが先だったんだろうか?
400: 人間七七四年 2015/07/03(金) 21:50:42.24 ID:+yfZcUzp
>>399
>二次
そっから先の記載を裏付ける信頼可能な一次資料ってあるの?
そもそも追放も、おもしろおかしく話を盛ったんじゃね?
昔の人が、今の人間と比べて恐ろしくバカだったら別だが、追放するくらいなら後顧の憂いを断つ為に、しんでもらうだろ
>二次
そっから先の記載を裏付ける信頼可能な一次資料ってあるの?
そもそも追放も、おもしろおかしく話を盛ったんじゃね?
昔の人が、今の人間と比べて恐ろしくバカだったら別だが、追放するくらいなら後顧の憂いを断つ為に、しんでもらうだろ
401: 人間七七四年 2015/07/04(土) 04:20:12.39 ID:jFaswC0x
山名豊国が家臣に城を追放された事件は、「因幡民談記」という本に書いてあるよ。
「豊国公与秀吉公内通諸臣諌言之事」とか「豊国為長臣森下中村等被追出鳥取城但馬国江退去之故付豊弘被成屋形事」という章。
これは国会図書館の近代デジタルライブラリーで読める。ネット上にはこれの現代語訳もありました。
この「因幡民談記」が史料として信頼できるかは知らないけど、江戸時代(17世紀後半?)に鳥取藩士が作った本らしいです。
「豊国公与秀吉公内通諸臣諌言之事」とか「豊国為長臣森下中村等被追出鳥取城但馬国江退去之故付豊弘被成屋形事」という章。
これは国会図書館の近代デジタルライブラリーで読める。ネット上にはこれの現代語訳もありました。
この「因幡民談記」が史料として信頼できるかは知らないけど、江戸時代(17世紀後半?)に鳥取藩士が作った本らしいです。
402: 人間七七四年 2015/07/04(土) 16:56:25.48 ID:98MIz9EW
>>401
その時点で、バカ殿としての評価は定まってたってことだね。
ひっくり返すような資料が無い限りバカ殿で決定なんだろうね
その時点で、バカ殿としての評価は定まってたってことだね。
ひっくり返すような資料が無い限りバカ殿で決定なんだろうね
405: 人間七七四年 2015/07/04(土) 21:49:21.13 ID:jFaswC0x
>>402
「因幡民談記」によれば、山名豊国はよくよく織田と毛利を比べて、どっちに従うのが有利かという情勢判断をおこないました。
この著者は織田を選んだ豊国の決断が正しかったことを知っていますから、当然それをバカにしたりはしていないです。
豊国が家臣を統制できずに追放されたことは、たしかに無能と言えるかもしれないけど、この本ではそのあたりのことも無能と蔑むような書き方はされていません。
あくまでも家臣と意見の不一致があったことを淡々と述べているにとどまり、豊国の性格や行動に問題があったから家臣に見限られたという描写はありません。
なお、「家臣の妻子が人質になっているときは見殺しにしたくせに、いざ自分の娘が殺されそうになったら恐れて秀吉に降った」という悪評の逸話もあるけど、それは本書に載っていないようですね。
籠城前に兵糧を売り払った話もでてきません。
「因幡民談記」によれば、山名豊国はよくよく織田と毛利を比べて、どっちに従うのが有利かという情勢判断をおこないました。
この著者は織田を選んだ豊国の決断が正しかったことを知っていますから、当然それをバカにしたりはしていないです。
豊国が家臣を統制できずに追放されたことは、たしかに無能と言えるかもしれないけど、この本ではそのあたりのことも無能と蔑むような書き方はされていません。
あくまでも家臣と意見の不一致があったことを淡々と述べているにとどまり、豊国の性格や行動に問題があったから家臣に見限られたという描写はありません。
なお、「家臣の妻子が人質になっているときは見殺しにしたくせに、いざ自分の娘が殺されそうになったら恐れて秀吉に降った」という悪評の逸話もあるけど、それは本書に載っていないようですね。
籠城前に兵糧を売り払った話もでてきません。
406: 人間七七四年 2015/07/04(土) 22:14:08.36 ID:jFaswC0x
>>402
なお、『因幡民談記』によると、
「鳥取の城よりも、かねて重恩を感じ忠志厚き者共は、忍び忍び城を出て、但州(豊国のところ)へ赴きける者も多かり」
とあります。
天正九年五月初め、上下二三十人でさびしく城を去ったという豊国でしたが、その後でそれを慕っていく者が多かったとのこと。
なお、『因幡民談記』によると、
「鳥取の城よりも、かねて重恩を感じ忠志厚き者共は、忍び忍び城を出て、但州(豊国のところ)へ赴きける者も多かり」
とあります。
天正九年五月初め、上下二三十人でさびしく城を去ったという豊国でしたが、その後でそれを慕っていく者が多かったとのこと。
407: 人間七七四年 2015/07/05(日) 12:18:07.73 ID:PX382FeM
それは豊国を慕ったのか、秀吉が勝つ方に賭けたのか判断がつきかねるな
豊国を追い出した家臣団だって一枚岩ではなかっただろうし
豊国を追い出した家臣団だって一枚岩ではなかっただろうし
409: 人間七七四年 2015/07/06(月) 16:52:25.70 ID:acwbYkQG
豊国の実家は「養育係りの家」らしい
山名宗家(但馬)と因幡守護山名が戦った際、勝った宗家から因幡山名の遺児の養育を託された家が豊国の実家らしい
宗家は因幡家自体を滅ぼす考えはなかったようだ
しかも豊国は嫡男ではないので宗家からいえば分家の分家?くらいになるらしい
足利幕府の格式でいえば「奉公衆の中の下か下」くらいの格の家なのだとか
宗家は右衛門佐(督)の格式らしけど豊国の分家の分家?は宮内少輔というのが格式らしい
山名宗家(但馬)と因幡守護山名が戦った際、勝った宗家から因幡山名の遺児の養育を託された家が豊国の実家らしい
宗家は因幡家自体を滅ぼす考えはなかったようだ
しかも豊国は嫡男ではないので宗家からいえば分家の分家?くらいになるらしい
足利幕府の格式でいえば「奉公衆の中の下か下」くらいの格の家なのだとか
宗家は右衛門佐(督)の格式らしけど豊国の分家の分家?は宮内少輔というのが格式らしい
410: 人間七七四年 2015/07/07(火) 10:28:13.54 ID:LsELN0hI
>>409
そんな低い家柄の家から大名級の交代寄合にまでなったのだから山名豊国はなかなかの戦国大名なのでは?。
山名一族と言ってもピンからキリまで色々有るんだね。
武田某が本物の因幡守護山名誠通の息子山名豊通をほろぼしてくれたおかげで、因幡の山名氏の中心的人物になれたのはラッキーだったと思う。子孫は家老として遇してもイイくらいだね。
そんな低い家柄の家から大名級の交代寄合にまでなったのだから山名豊国はなかなかの戦国大名なのでは?。
山名一族と言ってもピンからキリまで色々有るんだね。
武田某が本物の因幡守護山名誠通の息子山名豊通をほろぼしてくれたおかげで、因幡の山名氏の中心的人物になれたのはラッキーだったと思う。子孫は家老として遇してもイイくらいだね。
411: 人間七七四年 2015/07/07(火) 14:22:52.32 ID:eJRj4yR7
山名豊国は朽木元綱のことも殿中のしきたりをしらぬ粗相者!
と家康に讒言しているが豊国はそれほど幕府の儀式典礼に詳しかったのだろうか?
朽木家は代々が上位の奉公衆ので足利義晴や足利義藤などは朽木に一時期幕府を動座させていたくらいだ(朽木家=室町幕府)
朽木元綱が幕府の儀式典礼に暗いわけは無い
一方、山名氏一族とはいえ庶流で分家の分家の豊国は幕府に出仕したことが一度でもあったのだろうか?元綱を見下す豊国の態度が理解できない
山陰の因幡に足利将軍が来訪した記録も皆無だし
斯波義銀にへコへコする態度からして田舎者丸出しだし、山名氏煕や弟の山名氏政だったらそんな態度はしないはずだ
山名氏は管領の細川氏と一時は対峙したくらいの家柄なんだから、同じく管領の斯波氏にもへコへコする必要は無いはずだ
田舎の地方武士が武家貴族に会って舞い上がったんだろうね
悪く言われた朽木元綱が可哀想です
と家康に讒言しているが豊国はそれほど幕府の儀式典礼に詳しかったのだろうか?
朽木家は代々が上位の奉公衆ので足利義晴や足利義藤などは朽木に一時期幕府を動座させていたくらいだ(朽木家=室町幕府)
朽木元綱が幕府の儀式典礼に暗いわけは無い
一方、山名氏一族とはいえ庶流で分家の分家の豊国は幕府に出仕したことが一度でもあったのだろうか?元綱を見下す豊国の態度が理解できない
山陰の因幡に足利将軍が来訪した記録も皆無だし
斯波義銀にへコへコする態度からして田舎者丸出しだし、山名氏煕や弟の山名氏政だったらそんな態度はしないはずだ
山名氏は管領の細川氏と一時は対峙したくらいの家柄なんだから、同じく管領の斯波氏にもへコへコする必要は無いはずだ
田舎の地方武士が武家貴族に会って舞い上がったんだろうね
悪く言われた朽木元綱が可哀想です
414: 人間七七四年 2015/07/09(木) 06:28:55.12 ID:Dhm6Yl7d
Wikipediaで「鳥取城」の項目を読んでいたんですが、秀吉が開戦前に商人を動員し、米の価格をつり上げて鳥取城の兵糧を売却させるように仕向けたというエピソードは、どうやら『陰徳太平記』が出典とされているらしいです。
そこで国会図書館の近代デジタルライブラリーで『陰徳太平記』を調べてみましたが、「巻64 牛尾春重入鳥取城事」という章にそのエピソードがありました。
時系列で見れば、これは山名豊国が鳥取城を退去した後の出来事だし、兵糧を売却したのは森下・中村であったことが明記されています。
「森下中村等浅智ニシテ是ヲ謀トハ夢ニモ不知眼前ノ利欲ニ心耽テ。蓄置タル兵糧共悉ク取出シ糶トナスコソ方便ケレ。」
(森下中村らはバカだったから、これが秀吉の作戦だとは夢にも思わず、眼前の利益に目がくらみ、蓄えていた兵糧をことごとく取り出して売ってしまうのがよいと思った)
つまり豊国は悪くなかったんだね!
ところで、このついでに気づいたのですが、豊国のいわゆるバカ殿ぶりは『陰徳太平記』に描写されていました。
家臣の妻子が人質になったときは見殺しにしていたくせに、いざ自分の娘が殺されそうになると恐ろしくなって秀吉に屈服した。
その身勝手さのせいで家臣から憎まれて追放されたというエピソードです。
これが「山名豊国付心変森下中村背豊国事」という章に載っていました。
しかし留意するべきは、『陰徳太平記』の著者が長州藩士だということです。この本は完全に毛利側の視点で描かれています。
さらに言っておくと、この『陰徳太平記』は吉川広家の命令でその老臣が覚書を書き、そこから作成開始されたものだそうです。
この吉川の一族であった吉川経家こそ、かつて鳥取城に迎えられて籠城を指揮した総大将でしたが、彼は秀吉の兵糧攻めに敗れて切腹させられました。
だから吉川の人々は、秀吉に通じた山名豊国に相当ムカついていたんだろうなと思います。
なので本書で豊国のバカ殿ぶりが出てくる箇所は、いちじるしく公平性を欠いていると見るべきでしょう。
そこで国会図書館の近代デジタルライブラリーで『陰徳太平記』を調べてみましたが、「巻64 牛尾春重入鳥取城事」という章にそのエピソードがありました。
時系列で見れば、これは山名豊国が鳥取城を退去した後の出来事だし、兵糧を売却したのは森下・中村であったことが明記されています。
「森下中村等浅智ニシテ是ヲ謀トハ夢ニモ不知眼前ノ利欲ニ心耽テ。蓄置タル兵糧共悉ク取出シ糶トナスコソ方便ケレ。」
(森下中村らはバカだったから、これが秀吉の作戦だとは夢にも思わず、眼前の利益に目がくらみ、蓄えていた兵糧をことごとく取り出して売ってしまうのがよいと思った)
つまり豊国は悪くなかったんだね!
ところで、このついでに気づいたのですが、豊国のいわゆるバカ殿ぶりは『陰徳太平記』に描写されていました。
家臣の妻子が人質になったときは見殺しにしていたくせに、いざ自分の娘が殺されそうになると恐ろしくなって秀吉に屈服した。
その身勝手さのせいで家臣から憎まれて追放されたというエピソードです。
これが「山名豊国付心変森下中村背豊国事」という章に載っていました。
しかし留意するべきは、『陰徳太平記』の著者が長州藩士だということです。この本は完全に毛利側の視点で描かれています。
さらに言っておくと、この『陰徳太平記』は吉川広家の命令でその老臣が覚書を書き、そこから作成開始されたものだそうです。
この吉川の一族であった吉川経家こそ、かつて鳥取城に迎えられて籠城を指揮した総大将でしたが、彼は秀吉の兵糧攻めに敗れて切腹させられました。
だから吉川の人々は、秀吉に通じた山名豊国に相当ムカついていたんだろうなと思います。
なので本書で豊国のバカ殿ぶりが出てくる箇所は、いちじるしく公平性を欠いていると見るべきでしょう。
415: 人間七七四年 2015/07/09(木) 06:41:06.97 ID:Dhm6Yl7d
一応書いておくと、『陰徳太平記』にでてくる豊国のバカ殿ぶりは次のとおりです。
(正確な現代語訳じゃなくて、おおざっぱに省略して書いてます。
出典は「山名豊国付心変森下中村背豊国事」)
秀吉が大軍を率いて鳥取に攻めてきて、「こちらの傘下に入れば人質を返すし、因幡一国も安堵してやるが、もし逆らったなら人質を殺す」と言ってきた。
豊国は秀吉に降ろうと思ったが、家臣たちの心を知りたくて相談した。家臣たちは
「山名家はかつて毛利元就の加勢を得たおかげで因幡を治めることができました。これはひとえに毛利元就の御恩ですが、尼子勝久・山中鹿之助に同心してそれを毛利を裏切り、吉川元春がこれを破れば再び毛利へ寝返り、こんな無節操は前代未聞です。我々は武士なのだから、差し出した人質を殺される覚悟はできております。今こそ毛利への忠義を果たしましょう。」
と主張したので、豊国はその意見をもっともだと思った。
秀吉は怒って、城の前で人質を磔にして処刑を始めた。
家臣たちは自分の子供が殺されていくのを必死の思いで耐え忍んだ。
子供たちも武士の家に生まれた以上、親のために死ぬのは当然だと思い、女子でさえも親を恨むことなく処刑される覚悟ができていた。
夕方ごろ、人質となっていた家臣の子供たちが全員死に絶えて、とうとう豊国の娘が処刑される番になった。
娘は逆さにして磔にされ、両手を固定され、その肌にするどい刃を当てられた。秀吉は使者を送って
「どうだ豊国。娘の命が惜しくて因幡一国も望むなら、さっさと織田の味方となるがよい。もし従わなければ娘を突き殺すだけではなく、すぐに城を攻め落として、城にいるお前らと妻子全員の首を刎ねてやる。そこまでして毛利に味方するべきかどうかよく考えろ。3日待ってやる」
と言ってきた。豊国も最初はともかく、途中から心変わりしてきて、
「娘を殺されたら生きている意味がない。出家して高野山にでも入ろうか。自分の身のこと、この国のことより、子供たちが栄えてくれることの方が重要だ。」
と嘆きだし、森下・山口以下の家臣はそれを諌めることはできなかった。彼らは
「我々が最愛の子供を捨てたのは主君への忠義のためだった。しかし、その主君が娘さまを失いなさり、国を捨てて先祖の名をお汚しになってしまうのは愚の骨頂。子供を殺されたあげくその敵に降参するのは悔しいが、我々がそれを我慢することもまた主君への忠義と言えるだろう。こうなってしまっては言葉がない」
と言って、豊国の決断にすべてを任せることにした。
豊国は大いに喜び、すぐに秀吉に使いを出して「お味方になりますので娘の命を助けてください」と伝えた。秀吉は「豊国は我が計略に落ちたぞ」と喜んで娘の命を助けてやったが、豊国が軍門に降った後、秀吉は約束をやぶって因幡一国を自分の家臣たちに分け与え、豊国にはわずか2郡だけを与えた。
山口以下の家臣たちは自分の子供を殺された上に領地まで減らされて、あれこれと不満を言った。
「自分たちは忠節を尽くしてきた」と豊国に訴えたが、豊国はそれを聞いても全く心を動かさず、かえって非礼なやり方で彼らを冷遇した。
二心の無かった山口・森下らもついに豊国を恨み、毛利を頼ることを決め、因幡を毛利に任せることにした。
そのため豊国は鳥取城にいられなくなり、毛利浄意入道という1人だけを引き連れて城を脱出、姫路におもむいて秀吉に事の次第を報告した。
(正確な現代語訳じゃなくて、おおざっぱに省略して書いてます。
出典は「山名豊国付心変森下中村背豊国事」)
秀吉が大軍を率いて鳥取に攻めてきて、「こちらの傘下に入れば人質を返すし、因幡一国も安堵してやるが、もし逆らったなら人質を殺す」と言ってきた。
豊国は秀吉に降ろうと思ったが、家臣たちの心を知りたくて相談した。家臣たちは
「山名家はかつて毛利元就の加勢を得たおかげで因幡を治めることができました。これはひとえに毛利元就の御恩ですが、尼子勝久・山中鹿之助に同心してそれを毛利を裏切り、吉川元春がこれを破れば再び毛利へ寝返り、こんな無節操は前代未聞です。我々は武士なのだから、差し出した人質を殺される覚悟はできております。今こそ毛利への忠義を果たしましょう。」
と主張したので、豊国はその意見をもっともだと思った。
秀吉は怒って、城の前で人質を磔にして処刑を始めた。
家臣たちは自分の子供が殺されていくのを必死の思いで耐え忍んだ。
子供たちも武士の家に生まれた以上、親のために死ぬのは当然だと思い、女子でさえも親を恨むことなく処刑される覚悟ができていた。
夕方ごろ、人質となっていた家臣の子供たちが全員死に絶えて、とうとう豊国の娘が処刑される番になった。
娘は逆さにして磔にされ、両手を固定され、その肌にするどい刃を当てられた。秀吉は使者を送って
「どうだ豊国。娘の命が惜しくて因幡一国も望むなら、さっさと織田の味方となるがよい。もし従わなければ娘を突き殺すだけではなく、すぐに城を攻め落として、城にいるお前らと妻子全員の首を刎ねてやる。そこまでして毛利に味方するべきかどうかよく考えろ。3日待ってやる」
と言ってきた。豊国も最初はともかく、途中から心変わりしてきて、
「娘を殺されたら生きている意味がない。出家して高野山にでも入ろうか。自分の身のこと、この国のことより、子供たちが栄えてくれることの方が重要だ。」
と嘆きだし、森下・山口以下の家臣はそれを諌めることはできなかった。彼らは
「我々が最愛の子供を捨てたのは主君への忠義のためだった。しかし、その主君が娘さまを失いなさり、国を捨てて先祖の名をお汚しになってしまうのは愚の骨頂。子供を殺されたあげくその敵に降参するのは悔しいが、我々がそれを我慢することもまた主君への忠義と言えるだろう。こうなってしまっては言葉がない」
と言って、豊国の決断にすべてを任せることにした。
豊国は大いに喜び、すぐに秀吉に使いを出して「お味方になりますので娘の命を助けてください」と伝えた。秀吉は「豊国は我が計略に落ちたぞ」と喜んで娘の命を助けてやったが、豊国が軍門に降った後、秀吉は約束をやぶって因幡一国を自分の家臣たちに分け与え、豊国にはわずか2郡だけを与えた。
山口以下の家臣たちは自分の子供を殺された上に領地まで減らされて、あれこれと不満を言った。
「自分たちは忠節を尽くしてきた」と豊国に訴えたが、豊国はそれを聞いても全く心を動かさず、かえって非礼なやり方で彼らを冷遇した。
二心の無かった山口・森下らもついに豊国を恨み、毛利を頼ることを決め、因幡を毛利に任せることにした。
そのため豊国は鳥取城にいられなくなり、毛利浄意入道という1人だけを引き連れて城を脱出、姫路におもむいて秀吉に事の次第を報告した。
416: 414, 415 2015/07/09(木) 06:46:32.31 ID:Dhm6Yl7d
そもそも『陰徳太平記』は、山名豊国に対する評価が偏っているだけじゃなく、史料としても信憑性が低いとされているらしいです。
私は該当箇所を調べるために初めてこの本を読んでみたのですけど、まるで軍記物の小説みたいな書き方がされていました。
著者は登場人物の善悪を決めつけて描いてしまっているし、細部を描くために想像で補っているのは明らかです。臨場感たっぷりのセリフみたいな言葉が出てきます。歴史書としては先述した『因幡民談記』の足元にも及ばないでしょう。
例えば秀吉が鳥取城を攻める直前、商人を動員して米価(五穀の価格)を釣り上げたという作戦はスケールが壮大すぎて、いかにも創作っぽく聞こえてしまうんですが、実際はどうだったんでしょうね?
また、豊国が娘を殺されそうになったら恐れて降参したというエピソードも、これ以外に何かちゃんとした史料があるんでしょうか?
私は該当箇所を調べるために初めてこの本を読んでみたのですけど、まるで軍記物の小説みたいな書き方がされていました。
著者は登場人物の善悪を決めつけて描いてしまっているし、細部を描くために想像で補っているのは明らかです。臨場感たっぷりのセリフみたいな言葉が出てきます。歴史書としては先述した『因幡民談記』の足元にも及ばないでしょう。
例えば秀吉が鳥取城を攻める直前、商人を動員して米価(五穀の価格)を釣り上げたという作戦はスケールが壮大すぎて、いかにも創作っぽく聞こえてしまうんですが、実際はどうだったんでしょうね?
また、豊国が娘を殺されそうになったら恐れて降参したというエピソードも、これ以外に何かちゃんとした史料があるんでしょうか?
421: 人間七七四年 2015/07/10(金) 09:47:43.49 ID:q5ptjL3V
陰徳太平記も村岡山名家伝書も、そのまま信じちゃいけないんじゃないの
太平記は悪く書き過ぎだし
家伝書はあまりにも良く書き過ぎ
笑っちゃうくらい
太平記は悪く書き過ぎだし
家伝書はあまりにも良く書き過ぎ
笑っちゃうくらい
423: 人間七七四年 2015/07/23(木) 10:09:44.72 ID:Q0815b60
山名豊国は頑張ったほうだとおもいますよ
豊国のおかげで江戸時代も山名氏の名前が残ったのですから
豊国のおかげで江戸時代も山名氏の名前が残ったのですから
13: 人間七七四年 2015/04/27(月) 17:05:59.01 ID:XDESgNyO
氏真は、一応剣豪なんだけどなぁ
14: 人間七七四年 2015/04/29(水) 12:03:15.51 ID:mj+lqkKK
剣豪だからってそれが実際の軍事力や政治力に繋がるとは限らないのは足利義輝とか北畠具教を見れば明らか
20: 人間七七四年 2015/05/03(日) 21:34:25.91 ID:YhwOa9W6
>>14
室町の名家には礼法としての武術を継承している場合があるから今川氏真の場合もそうなんじゃない?。
今川氏真の子孫は、高家に列せられてるから御殿の礼法にも明るかったんだと思うよ。
守護家は幕府の儀式に参列することが主な仕事だから由緒正しい家の子孫は継承してたんだよきっと普通に。
室町の名家には礼法としての武術を継承している場合があるから今川氏真の場合もそうなんじゃない?。
今川氏真の子孫は、高家に列せられてるから御殿の礼法にも明るかったんだと思うよ。
守護家は幕府の儀式に参列することが主な仕事だから由緒正しい家の子孫は継承してたんだよきっと普通に。
15: 人間七七四年 2015/04/29(水) 15:17:24.97 ID:7Dh4HLSF
氏真は塚原卜伝に師事したというが、剣豪と呼べるほど優れた弟子だったか疑問
足利義輝とか北畠具教と違って奥義「一の太刀」は伝授されてないし
足利義輝とか北畠具教と違って奥義「一の太刀」は伝授されてないし
36: 人間七七四年 2015/05/14(木) 17:17:35.67 ID:ajMUrrTw
氏真が身動き取れなかった理由は戦費問題。
行く前は2万5千で3千を威圧するだけのローリスクハイリターンだから皆無理して兵を出した。
それが君主頓死で収入0とかいう事態。
今川に協力するならまず払う物を払え、しかし払える訳がなく誰も動かず。
それでも問題なかったが、織田の資金をバックに攻勢かける徳川、金山で攻勢しかける武田に徐々に切り崩されてアボーン。
誰がやっても無理げーだよ氏真の状態なら。
行く前は2万5千で3千を威圧するだけのローリスクハイリターンだから皆無理して兵を出した。
それが君主頓死で収入0とかいう事態。
今川に協力するならまず払う物を払え、しかし払える訳がなく誰も動かず。
それでも問題なかったが、織田の資金をバックに攻勢かける徳川、金山で攻勢しかける武田に徐々に切り崩されてアボーン。
誰がやっても無理げーだよ氏真の状態なら。
37: 人間七七四年 2015/05/21(木) 00:44:57.37 ID:GBSNaK0p
北条が武田の数倍もの大軍派遣してくれたし、何度も何度も氏康が牽制してくれたのに立て直せない氏真が無能
なんか今川だけが武田徳川と戦ってるイメージ持ってる奴が居るけど、北条が強力に救援してるんだよね
んでたまに謙信も上野に現れて信玄と長期対陣してるし、ぶっちゃけ無駄に再評価っぽ流れが出来てるのが信じられない
なんか今川だけが武田徳川と戦ってるイメージ持ってる奴が居るけど、北条が強力に救援してるんだよね
んでたまに謙信も上野に現れて信玄と長期対陣してるし、ぶっちゃけ無駄に再評価っぽ流れが出来てるのが信じられない
38: 人間七七四年 2015/05/21(木) 00:49:29.33 ID:GBSNaK0p
三州錯乱も遠州錯乱も氏真が人質要求したり撃退されたり暗殺したりと何かやると逆にズタボロになっていくしなぁ
留めは今川家臣団21人が信玄に寝返って詰みとか
よほど三河~遠江での下手糞な活動で愛想を尽かされたんだろうとしか
留めは今川家臣団21人が信玄に寝返って詰みとか
よほど三河~遠江での下手糞な活動で愛想を尽かされたんだろうとしか
41: 人間七七四年 2015/05/21(木) 14:18:37.89 ID:FzaAPngj
氏真も信長に蹴鞠じゃなく自慢の剣術を披露して討ち死にしてたら将軍様や北畠みたいな評価になれたのにね
42: 人間七七四年 2015/05/21(木) 14:59:06.95 ID:yd0S6bBP
大名や貴族などにちょろっと指南して免許皆伝与えるのは剣豪のアルバイトだからなー
48: 人間七七四年 2015/05/24(日) 00:32:33.39 ID:1RMngXDj
氏真がバカ扱いされてるのは、そのあとの父親の弔い合戦しない、仇である信長の前で蹴鞠を披露とかじゃないの?
家が滅んだ大名は数あれどそこまでバカなのはいない
家が滅んだ大名は数あれどそこまでバカなのはいない
49: 人間七七四年 2015/05/24(日) 00:46:44.50 ID:fGwrJuCN
しかし弔い合戦して勝てるのか?勝てない戦するのも問題だが
家康が弔い願い出したとかいうが常識なら勝てずその後の図が描けないなら許可できまい
ノブの前の蹴鞠はどうでもよかろう、先にノブは死んだしな
家康が弔い願い出したとかいうが常識なら勝てずその後の図が描けないなら許可できまい
ノブの前の蹴鞠はどうでもよかろう、先にノブは死んだしな
64: 人間七七四年 2015/05/27(水) 21:27:38.39 ID:kFGcqcvv
氏真にも龍造寺政家みたいに補佐役がいたら
187: 人間七七四年 2015/06/06(土) 12:39:28.49 ID:WjgY6uX0
同じ信玄の被害者でも小笠原長時は子孫が大名に復帰したせいかそれほど貶められてないな
小笠原長時
生没年:1514-83(永正11-天正11)
戦国時代の武将。大膳大夫,信濃守,長棟の子。林城に拠り,信濃国安曇,筑摩の2郡を領する。1548年(天文17)武田晴信と塩尻峠に戦い敗れ,翌々年林城を失う。後に上京して三好長慶を頼り摂津芥川城にいたが,68年(永禄11)織田信長に攻略され,上杉謙信のもとに走る。謙信死後,会津に赴き蘆名盛氏の庇護をうける。83年会津若松で家臣に殺される。
生没年:1514-83(永正11-天正11)
戦国時代の武将。大膳大夫,信濃守,長棟の子。林城に拠り,信濃国安曇,筑摩の2郡を領する。1548年(天文17)武田晴信と塩尻峠に戦い敗れ,翌々年林城を失う。後に上京して三好長慶を頼り摂津芥川城にいたが,68年(永禄11)織田信長に攻略され,上杉謙信のもとに走る。謙信死後,会津に赴き蘆名盛氏の庇護をうける。83年会津若松で家臣に殺される。
188: 人間七七四年 2015/06/06(土) 13:09:17.22 ID:8AC9kO27
>>187
同じ流浪の身とは言えドラマ性に欠ける
叩くにしても波乱万丈な人物をターゲットにした方が面白い
しかし、部下の嫁に手を出して惨殺説なんてあったとは知らなかった
同じ流浪の身とは言えドラマ性に欠ける
叩くにしても波乱万丈な人物をターゲットにした方が面白い
しかし、部下の嫁に手を出して惨殺説なんてあったとは知らなかった
死因について
小笠原長時は天正11年2月に死去しているが、長時は自然死とする説がある一方で、『二木壽斎記録』「豊前豊津小笠原家譜」「異本塔寺長帳」『笠系大成』『信府統記』などによれば、長時は家臣の坂西某により側室(梅室春香)・息女三人とともに殺害されたとしている。林哲は長時の死因は家臣による殺害であると指摘している。
長時の死因を斬殺とする史料によれば、長時は蘆名四天王の一人、富田氏実の邸宅で酒宴を催していた。その時、長時が家臣の坂西勝三郎の妻に性的な嫌がらせをした。それに激怒した坂西が抜刀し、長時とその妻・娘を斬り殺したという。坂西はその後逃走を図るが、星安芸守と日出山詮次に殺された。
小笠原長時は天正11年2月に死去しているが、長時は自然死とする説がある一方で、『二木壽斎記録』「豊前豊津小笠原家譜」「異本塔寺長帳」『笠系大成』『信府統記』などによれば、長時は家臣の坂西某により側室(梅室春香)・息女三人とともに殺害されたとしている。林哲は長時の死因は家臣による殺害であると指摘している。
長時の死因を斬殺とする史料によれば、長時は蘆名四天王の一人、富田氏実の邸宅で酒宴を催していた。その時、長時が家臣の坂西勝三郎の妻に性的な嫌がらせをした。それに激怒した坂西が抜刀し、長時とその妻・娘を斬り殺したという。坂西はその後逃走を図るが、星安芸守と日出山詮次に殺された。
190: 人間七七四年 2015/06/06(土) 18:46:46.85 ID:Luw45UwG
>>187
元家臣の家譜に戦は強いがアホって書かれてて定着してるけどな
元家臣の家譜に戦は強いがアホって書かれてて定着してるけどな
197: 人間七七四年 2015/06/07(日) 15:28:17.68 ID:+mdlXdoe
武勇には強いけど政治判断間違えて危うく家滅ぼしそうになった那須資晴や相馬義胤なんかも馬鹿殿に入りますか?
198: 人間七七四年 2015/06/07(日) 15:32:09.66 ID:QSnCnTNs
単に家を滅ぼしたOR滅ぼしかけただけでなく、やはりネタエピソードが欲しいな信憑性は問わない
215: 人間七七四年 2015/06/08(月) 20:16:42.44 ID:l38qlIZO
やってみたけどダメだった系のお殿様は擁護はできても再評価までは難しいんじゃないかなあ
土佐の一条さんも実像はすげーバカ殿でなくてそんな感じだったって説もあるな
土佐の一条さんも実像はすげーバカ殿でなくてそんな感じだったって説もあるな
297: 人間七七四年 2015/06/12(金) 15:37:37.10 ID:LRx9k9/F
秋月種実はお前ら的に馬鹿殿に入る?
301: 人間七七四年 2015/06/12(金) 19:07:52.63 ID:auR4obxH
>>297
秋月種実は評価が難しいよな。
他国へ亡命してる身から旧領を回復し、領土を広げた事は評価できるが、秀吉に降伏するよう進言した家臣を殺してまで秀吉と戦おうとしたのに、あっさり降伏して、家宝と娘のおかげで命を永らえたのはバカ殿っぽい。
秋月種実は評価が難しいよな。
他国へ亡命してる身から旧領を回復し、領土を広げた事は評価できるが、秀吉に降伏するよう進言した家臣を殺してまで秀吉と戦おうとしたのに、あっさり降伏して、家宝と娘のおかげで命を永らえたのはバカ殿っぽい。
303: 人間七七四年 2015/06/12(金) 19:13:22.13 ID:VOZNge8+
バカ殿と言うより普通の脳筋ってイメージ
320: 人間七七四年 2015/06/13(土) 13:07:50.64 ID:lcWbmz4t
小笠原長時と村上義清は何処で差が着いたのか
どっちも似たような者だけど後者の方は猛将のイメージが高く前者は馬鹿殿
どっちも似たような者だけど後者の方は猛将のイメージが高く前者は馬鹿殿
村上 義清(むらかみ よしきよ)は、戦国時代の武将。北信濃の戦国大名。信濃埴科郡葛尾城主で、武田晴信(のちの信玄)の侵攻を2度撃退している。家督相続時には佐久郡・埴科郡・小県郡・水内郡・高井郡など信濃の東部から北部を支配下に収め、村上氏の最盛期に当主となった。実質的には戦国大名としての村上氏最後の当主。
322: 人間七七四年 2015/06/13(土) 13:15:46.81 ID:X13vJz/I
>>320
武田信玄のおかげだろ
武田信玄のおかげだろ
323: 人間七七四年 2015/06/13(土) 13:30:19.78 ID:lcWbmz4t
どっちも結局信玄に大名として滅ぼされてるし生涯的にそう違いはないと思うのに
長時には良いイメージないやん
野々宮合戦とか武田に勝ったこともあるのに
長時には良いイメージないやん
野々宮合戦とか武田に勝ったこともあるのに
324: 人間七七四年 2015/06/13(土) 14:00:00.08 ID:t3kyJiaC
野々宮合戦の武田勢を率いたのは飯富虎昌だし
信玄に勝った大将と負けた大将の差は大きい
信玄に勝った大将と負けた大将の差は大きい
325: 人間七七四年 2015/06/13(土) 16:13:49.97 ID:q5Tsk+0e
・小笠原長時は小なりといえども信濃の守護大名
・村上義清は大なりといえども信濃の国人領主
長時は守護大名である家を滅ぼし、信濃から追い出されて流浪の末に死んだが、義清は謙信傘下に入ることで勢力を縮小しながらも信濃に留まった
このあたりの差も有るな
まぁ最大の差は「死因がセクハラ」だろうが
人間、ハレンチ系の罪状で死にたくはないものだw
・村上義清は大なりといえども信濃の国人領主
長時は守護大名である家を滅ぼし、信濃から追い出されて流浪の末に死んだが、義清は謙信傘下に入ることで勢力を縮小しながらも信濃に留まった
このあたりの差も有るな
まぁ最大の差は「死因がセクハラ」だろうが
人間、ハレンチ系の罪状で死にたくはないものだw
引用元: ・【今川氏真】バカ殿を語ろう【山名豊国】 Part.2

