1: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/12(月) 22:09:48.11
後漢末期の建安年間とその前後には、唐代以前の詩聖・曹植や曹操・曹丕・曹叡など曹家の偉大な詩人たち、建安の七子などがたくさんの優れた文学作品を残し、中国文学を著しく発展させました。
三国志の戦いや武将、社会情勢などが、それらの漢文の重要な題材や背景となっています。
また、後世の中国・日本の文芸の題材にも、三国志の英雄たちは多く取りあげられています。
文学的な側面からも、歴史・人物的な側面からも、真面目に語るも気ままにだべるも良し。マターリ楽しみましょう。
三曹でも西晋でも蘇東坡でも土井晩翠でもなんでもおkかとミ ・∀・ ミ
まとめサイト
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
三国志の戦いや武将、社会情勢などが、それらの漢文の重要な題材や背景となっています。
また、後世の中国・日本の文芸の題材にも、三国志の英雄たちは多く取りあげられています。
文学的な側面からも、歴史・人物的な側面からも、真面目に語るも気ままにだべるも良し。マターリ楽しみましょう。
三曹でも西晋でも蘇東坡でも土井晩翠でもなんでもおkかとミ ・∀・ ミ
まとめサイト
3: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/12(月) 22:24:49.74
最近、岩波の曹植の詩集を読み返してます。
帰宅途中や部屋の窓から外を見てると、冬は東京でも月や星が綺麗だなーなんて思うんですが
「明月澄清景 列宿正参差」
の詩句を思い出してしまいます。
曹植はもっと綺麗な夜空を見てたんでしょうけどね。
でも、冷たい澄んだ空に浮かぶ月や星って本当に綺麗ですよね。
それで、また読んでみるかって感じで。
やっぱり良いなと思って、語る場を作ってみました。
解説などはできませんが、気ままに紹介していこうと思います。
帰宅途中や部屋の窓から外を見てると、冬は東京でも月や星が綺麗だなーなんて思うんですが
「明月澄清景 列宿正参差」
の詩句を思い出してしまいます。
曹植はもっと綺麗な夜空を見てたんでしょうけどね。
でも、冷たい澄んだ空に浮かぶ月や星って本当に綺麗ですよね。
それで、また読んでみるかって感じで。
やっぱり良いなと思って、語る場を作ってみました。
解説などはできませんが、気ままに紹介していこうと思います。
7: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/13(火) 01:35:04.35
「明月澄清景 列宿正参差」
曹植の公讌詩の一節です。
公讌詩
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_chi/koen.html
最初に読んだときから、詩内の他の句や、他の詩を差し置いて一番印象に残っている部分なんです。
曹植の文と聞いたらまずここが浮かびます。
もしかしたら、詳しい人に言わせたら「ここはそんなに重要じゃないよ」となってしまうかもしれませんが、なぜだか惹かれるんです。
きっと、冷たく澄んだ空に浮かぶ月や星が好きで、この詩のこの一節がそういうのを連想させるからだと思います。
詩で詠まれてるのが初秋のことだっていうのはわかります。
でも、どうしたってこれで連想するのは冬の月星です。
どうしてか、考えてみました。
曹植の公讌詩は、宴の日の流動的な光景を見事に文字で描ききっています。
静止した風景じゃなく、動画を描く感じです。
それなのに煩雑じゃなくて、すっきりした言葉で描いています。
同じ場面で詠まれたらしい、曹丕の「芙蓉池作」の宇宙の描写が印象派で、光の美しさを創作を交えて描いているのに比べると、かなり写実的に描いています。
写実的で、すっきりとしている。
その端正さが、冬の夜空を連想させたのかな、と思います。
曹植はどんな気持ちでこの詩を作ったんでしょう。
この詩、軽く読み流すとあっという間に終わってしまいます。そして、簡潔だなあと感じてしまいます。
上に書いたように、流動的な光景をすっきり表現してるからです。
(でも、詩句から情景を想像すると、あっという間に軽疾な馬車が並んで飛ばしてるのが浮かぶからさすがですね。)
これって、感情を迸らせて書いたらこういう詩にはならないと思います。
かなり冷静に、計算して書いてると思います。
曹植は、もちろん曹丕と兄弟仲良かっただろうし(詩を兄弟で唱和してるのなんかも、いいですよね)、宴を楽しんでいたと思うけど、この詩を作るときには、醒めた頭で、宴の熱気に流されず、孤独な局外者、観察者になっていたんじゃないでしょうか。
現実の宴の場は、沢山の人で賑わっていた。
でもこの詩は、楽しい賑わいと、孤独な曹植の世界の、二重世界になっているように見えます。
そして、後者として世界を浮かべたとき、私は、その光景を前者の何百倍も美しいと感じてしまいます。
曹植の公讌詩の一節です。
公讌詩
公子敬愛客 公子 客を敬愛し
終宴不知疲 宴を終ふるまで疲れを知らず
清夜遊西園 清夜 西園に遊び
飛蓋相追随 蓋を飛ばして相追随す
明月澄清景 明月 清景を澄ませ
列宿正参差 列宿 正に参差たり
秋蘭被長坂 秋蘭 長坂を被ひ
朱華冒緑池 朱華 緑池を冒ふ
潜魚躍清波 潜魚 清波に躍り
好鳥鳴高枝 好鳥 高枝に鳴く
神飆接丹轂 神飆 丹轂に接し
軽輦随風移 軽輦 風に随ひて移る
飄颻放志意 飄颻 志意を放にし
千秋長若斯 千秋 長(とこしへ)に斯(か)くの若(ごと)くあれ
柳川順子の中学文学研究室
終宴不知疲 宴を終ふるまで疲れを知らず
清夜遊西園 清夜 西園に遊び
飛蓋相追随 蓋を飛ばして相追随す
明月澄清景 明月 清景を澄ませ
列宿正参差 列宿 正に参差たり
秋蘭被長坂 秋蘭 長坂を被ひ
朱華冒緑池 朱華 緑池を冒ふ
潜魚躍清波 潜魚 清波に躍り
好鳥鳴高枝 好鳥 高枝に鳴く
神飆接丹轂 神飆 丹轂に接し
軽輦随風移 軽輦 風に随ひて移る
飄颻放志意 飄颻 志意を放にし
千秋長若斯 千秋 長(とこしへ)に斯(か)くの若(ごと)くあれ
柳川順子の中学文学研究室
最初に読んだときから、詩内の他の句や、他の詩を差し置いて一番印象に残っている部分なんです。
曹植の文と聞いたらまずここが浮かびます。
もしかしたら、詳しい人に言わせたら「ここはそんなに重要じゃないよ」となってしまうかもしれませんが、なぜだか惹かれるんです。
きっと、冷たく澄んだ空に浮かぶ月や星が好きで、この詩のこの一節がそういうのを連想させるからだと思います。
詩で詠まれてるのが初秋のことだっていうのはわかります。
でも、どうしたってこれで連想するのは冬の月星です。
どうしてか、考えてみました。
曹植の公讌詩は、宴の日の流動的な光景を見事に文字で描ききっています。
静止した風景じゃなく、動画を描く感じです。
それなのに煩雑じゃなくて、すっきりした言葉で描いています。
同じ場面で詠まれたらしい、曹丕の「芙蓉池作」の宇宙の描写が印象派で、光の美しさを創作を交えて描いているのに比べると、かなり写実的に描いています。
写実的で、すっきりとしている。
その端正さが、冬の夜空を連想させたのかな、と思います。
曹植はどんな気持ちでこの詩を作ったんでしょう。
この詩、軽く読み流すとあっという間に終わってしまいます。そして、簡潔だなあと感じてしまいます。
上に書いたように、流動的な光景をすっきり表現してるからです。
(でも、詩句から情景を想像すると、あっという間に軽疾な馬車が並んで飛ばしてるのが浮かぶからさすがですね。)
これって、感情を迸らせて書いたらこういう詩にはならないと思います。
かなり冷静に、計算して書いてると思います。
曹植は、もちろん曹丕と兄弟仲良かっただろうし(詩を兄弟で唱和してるのなんかも、いいですよね)、宴を楽しんでいたと思うけど、この詩を作るときには、醒めた頭で、宴の熱気に流されず、孤独な局外者、観察者になっていたんじゃないでしょうか。
現実の宴の場は、沢山の人で賑わっていた。
でもこの詩は、楽しい賑わいと、孤独な曹植の世界の、二重世界になっているように見えます。
そして、後者として世界を浮かべたとき、私は、その光景を前者の何百倍も美しいと感じてしまいます。
8: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/13(火) 02:03:43.90
私は、秋の夜空よりも冬の夜空の方が好きです。
冬の夜は、音が全部夜の闇に吸い込まれてしまったように、背筋がぞっとする程静かですよね。
張り詰めた空気は清澄で。
その中にいて、ひんやりした白い月光や綺麗な星を見ていると、宇宙と自分の間に何も隔てるものがなくて、心の中を直に照らされてるような気持ちになります。
秋の月は、それに比べると弱いなと思ってしまうんです。
東京でなければ、もっと綺麗なのかもしれません。
それとも、私の感性の問題かもしれませんが。
月や星を楽しむにも色々なやり方があります。
みんなで集まって楽しむこともできるし、孤独に楽しむこともできます。
個人的には、宇宙を心が吸い込まれそうな程美しいと感じるのは、一人でいるときです。
公讌詩の情景を、孤独な曹植の世界として見ると、月や星だけじゃなくて、馬車が並んで駆ける様子も、林立する鮮やかな蓋いも、坂を覆う蘭も、池に浮かぶ蓮の朱も、魚の立てる波も、澄んだ夜に響く鳥の声も、車に絡んで足を速める風も、どれも背筋がぞっとするような、非現実的な美しさを帯びると感じるんです。
ほのぼのとした幸せな美しさではなく、心を抉るほど強烈な美です。
虚構の美だから、冬の月星の下に、秋の花が咲き誇ることができます。
それも、冬の月星と同じ性格を持って。
でも、そういうことができるから言葉の世界っておもしろいと思います。
確かに、公讌詩は宴会の盛大さ・楽しさや、主催者の威徳を褒めるためのものです。
でも、曹植の使った詩句は、その枠に収まらない情景を想像させてくれます。
「飄颻放志意 千秋長若斯」
(私はゆらゆらと天にものぼる心地がし、心の馳せ行くがままに任せる。ああいついつまでも、このようでありたいものだ。)
これを素直に解釈すれば、「兄上の宴は本当に楽しい。良い日に、景色も綺麗で、気の合った仲間達と、楽しいことをして、こんなに幸せなことはない。このまま時間が止まって、いつまでもこの日が続けばいいのに」です。
でも、私が感じたように読むと、現実よりも美しい言葉の世界を創り上げた曹植が、自分の言葉の世界の中で自由に解き放たれ、歓喜の叫びを上げている姿が浮かんできます。
冬の夜は、音が全部夜の闇に吸い込まれてしまったように、背筋がぞっとする程静かですよね。
張り詰めた空気は清澄で。
その中にいて、ひんやりした白い月光や綺麗な星を見ていると、宇宙と自分の間に何も隔てるものがなくて、心の中を直に照らされてるような気持ちになります。
秋の月は、それに比べると弱いなと思ってしまうんです。
東京でなければ、もっと綺麗なのかもしれません。
それとも、私の感性の問題かもしれませんが。
月や星を楽しむにも色々なやり方があります。
みんなで集まって楽しむこともできるし、孤独に楽しむこともできます。
個人的には、宇宙を心が吸い込まれそうな程美しいと感じるのは、一人でいるときです。
公讌詩の情景を、孤独な曹植の世界として見ると、月や星だけじゃなくて、馬車が並んで駆ける様子も、林立する鮮やかな蓋いも、坂を覆う蘭も、池に浮かぶ蓮の朱も、魚の立てる波も、澄んだ夜に響く鳥の声も、車に絡んで足を速める風も、どれも背筋がぞっとするような、非現実的な美しさを帯びると感じるんです。
ほのぼのとした幸せな美しさではなく、心を抉るほど強烈な美です。
虚構の美だから、冬の月星の下に、秋の花が咲き誇ることができます。
それも、冬の月星と同じ性格を持って。
でも、そういうことができるから言葉の世界っておもしろいと思います。
確かに、公讌詩は宴会の盛大さ・楽しさや、主催者の威徳を褒めるためのものです。
でも、曹植の使った詩句は、その枠に収まらない情景を想像させてくれます。
「飄颻放志意 千秋長若斯」
(私はゆらゆらと天にものぼる心地がし、心の馳せ行くがままに任せる。ああいついつまでも、このようでありたいものだ。)
これを素直に解釈すれば、「兄上の宴は本当に楽しい。良い日に、景色も綺麗で、気の合った仲間達と、楽しいことをして、こんなに幸せなことはない。このまま時間が止まって、いつまでもこの日が続けばいいのに」です。
でも、私が感じたように読むと、現実よりも美しい言葉の世界を創り上げた曹植が、自分の言葉の世界の中で自由に解き放たれ、歓喜の叫びを上げている姿が浮かんできます。
6: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/13(火) 00:45:55.60
時代は違いますが、たしか大正天皇が諸葛亮の詩を詠まれてますよね。
11: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/13(火) 02:53:26.15
>>6
ええ!
これですよね。
出師表(大正天皇御製詩集より)
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/others/emperor_taisyo.html
今日、まとめサイトを読んでてちょうど読んでた詩です。
大正天皇は、日本史で好きな人物の一人です。
好きになったきっかけは、下のFLASHです。
たくさんの人に見てほしいと思います。
絶対に、人口に膾炙したイメージが変わると思います。
http://www.geocities.jp/flash_okiba3/flash/taishou.html
孔明の七言絶句、まとめサイトによると大正五年の作だそうなので、第一次世界大戦の最中ですよね。
それも題材に関係してるのかな。
二音、二音、三音の音のまとまりも、「謀・表」「劉・秋」の押韻も、綺麗です。
内容も、日本人の孔明好みのツボがよくまとまってますよね。
ただ、それだけにこの詩からは天皇の人柄はあまり見えてこないかな、と感じました。
例えばこの詩を、他の日本人の有名な漢詩人の詩だと言われても納得してしまうと思うんです。
ちょっと他の大正天皇の詩をぐぐって見てみたんですけど、他の方が、優しくて繊細な性格が伝わってきました。
ええ!
これですよね。
出師表(大正天皇御製詩集より)
至誠不敢事權謀 三顧感恩興漢劉 名世文章出師表 忠肝義膽照千秋
今日、まとめサイトを読んでてちょうど読んでた詩です。
大正天皇は、日本史で好きな人物の一人です。
好きになったきっかけは、下のFLASHです。
たくさんの人に見てほしいと思います。
絶対に、人口に膾炙したイメージが変わると思います。
孔明の七言絶句、まとめサイトによると大正五年の作だそうなので、第一次世界大戦の最中ですよね。
それも題材に関係してるのかな。
二音、二音、三音の音のまとまりも、「謀・表」「劉・秋」の押韻も、綺麗です。
内容も、日本人の孔明好みのツボがよくまとまってますよね。
ただ、それだけにこの詩からは天皇の人柄はあまり見えてこないかな、と感じました。
例えばこの詩を、他の日本人の有名な漢詩人の詩だと言われても納得してしまうと思うんです。
ちょっと他の大正天皇の詩をぐぐって見てみたんですけど、他の方が、優しくて繊細な性格が伝わってきました。
10: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/13(火) 02:53:24.58
孔融 六言詩
漢家中葉道微 漢家中葉にして道微(くら)し
董卓作亂乘衰 董卓衰えに乗じ乱を作る
僭上虐下專威 上を僭(なぞ)らい下を虐げ威専らとす
萬官惶布莫違 万官違い莫く布を惶れ
百姓慘慘心悲 百姓惨惨心悲し
漢王朝も代を重ねるとその繁栄に陰りが差して来た
董卓はその衰えに乗じて乱を起した
皇帝陛下に対しては僭越な行いをし下々の者を虐げて権力を欲しいままにする
朝廷の人間で呂布を恐れないものはなく
天下万民が無惨な有様となり心に悲しみを感じないものはいない
漢王朝は衰えた!なんていう言葉の入った詩を献帝の前で堂々と発表しちゃうのだから孔融は凄い
漢家中葉道微 漢家中葉にして道微(くら)し
董卓作亂乘衰 董卓衰えに乗じ乱を作る
僭上虐下專威 上を僭(なぞ)らい下を虐げ威専らとす
萬官惶布莫違 万官違い莫く布を惶れ
百姓慘慘心悲 百姓惨惨心悲し
漢王朝も代を重ねるとその繁栄に陰りが差して来た
董卓はその衰えに乗じて乱を起した
皇帝陛下に対しては僭越な行いをし下々の者を虐げて権力を欲しいままにする
朝廷の人間で呂布を恐れないものはなく
天下万民が無惨な有様となり心に悲しみを感じないものはいない
漢王朝は衰えた!なんていう言葉の入った詩を献帝の前で堂々と発表しちゃうのだから孔融は凄い
12: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/13(火) 03:23:43.40
>>10
漢王朝は衰えた、と言ってしまうのもすごいけど、「董卓」「布」と実名を明らかに書いてるのもすごいですね。
孔融がこれを朗唱した時、献帝とか重臣とか、恐ろしい董卓や呂布の名前にビクッとしたりしなかったのかな。
惨い事をした人物の実名が呼ばれるって、そういうことだと思うんです。
名前が出ただけで、事跡も蘇る。
まして実際に体験した人はなおさらでしょう。
この詩が優れてる理由には、それもあると思います。
(そういえば、悪人の名前を呼ぶか呼ばないかって、洋の東西で真逆だったりします。
東洋では本名を遠慮なく書く、呼ぶ。西洋では、決して呼ばないようにする。)
孔融の人柄は、この詩からよくわかります。
本当に剛直で大胆不敵。
時事問題を過去の歴史上の出来事に仮託するのは漢詩でよくありますけど、孔融ははっきり今の時代を詩に詠んでる。
建安文学を気骨、慷慨の文学というなら、この孔融の詩はまさにだと思います。
それに、詩に詠まれるべきは政事なんだっていう信念も見えますね。
彼の世代は、まさに乱世のまっただ中で、魏の母体ができあがってから詠まれた詩とは雰囲気が全然違う。
六言っていうのも特徴的。
漢字の音として、四音が一番安定するらしいです。
五言詩、七言詩は、わざとそのバランスを崩してテンポを良くしたんですよね。
でもこの内容だと、偶数音の方が合ってると思います。
漢王朝は衰えた、と言ってしまうのもすごいけど、「董卓」「布」と実名を明らかに書いてるのもすごいですね。
孔融がこれを朗唱した時、献帝とか重臣とか、恐ろしい董卓や呂布の名前にビクッとしたりしなかったのかな。
惨い事をした人物の実名が呼ばれるって、そういうことだと思うんです。
名前が出ただけで、事跡も蘇る。
まして実際に体験した人はなおさらでしょう。
この詩が優れてる理由には、それもあると思います。
(そういえば、悪人の名前を呼ぶか呼ばないかって、洋の東西で真逆だったりします。
東洋では本名を遠慮なく書く、呼ぶ。西洋では、決して呼ばないようにする。)
孔融の人柄は、この詩からよくわかります。
本当に剛直で大胆不敵。
時事問題を過去の歴史上の出来事に仮託するのは漢詩でよくありますけど、孔融ははっきり今の時代を詩に詠んでる。
建安文学を気骨、慷慨の文学というなら、この孔融の詩はまさにだと思います。
それに、詩に詠まれるべきは政事なんだっていう信念も見えますね。
彼の世代は、まさに乱世のまっただ中で、魏の母体ができあがってから詠まれた詩とは雰囲気が全然違う。
六言っていうのも特徴的。
漢字の音として、四音が一番安定するらしいです。
五言詩、七言詩は、わざとそのバランスを崩してテンポを良くしたんですよね。
でもこの内容だと、偶数音の方が合ってると思います。
13: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/13(火) 03:40:21.95
同じ気骨、慷慨の詩でも、三曹や若い世代の七子の意識には新しい魏があって、孔融の意識には滅んでいく漢があった。
だから両者の作風には隔たりがあるし、漢が魏に滅ぼされたように、孔融は曹操に駆逐されてしまったんでしょうか。
外科医の摘出手術みたいです。
曹操の集団の中で、孔融は異物と見なされてしまったと。
でも、魏のエネルギーの最盛期が王朝成立前っていうのが皮肉ですよね。
帝国になった魏は、頽廃が進んで文学も違った色を帯びてきます。
だから両者の作風には隔たりがあるし、漢が魏に滅ぼされたように、孔融は曹操に駆逐されてしまったんでしょうか。
外科医の摘出手術みたいです。
曹操の集団の中で、孔融は異物と見なされてしまったと。
でも、魏のエネルギーの最盛期が王朝成立前っていうのが皮肉ですよね。
帝国になった魏は、頽廃が進んで文学も違った色を帯びてきます。
14: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/13(火) 04:05:03.18
ちょっと、孔融がこの詩を発表したときの場面を想像してみました。
確かに>>10の通り、初句で万座に衝撃が走りそう。漢室の衰えは誰もが感じていたと思います。
でも、誰もが思ってるだけで口にしないことを、口に出すのってすごいことですよね。
その後に続けて「董卓」「呂布」の実名。
献帝も朝臣も、董卓に蔑ろにされてた頃を思い出して苦い過去を噛み締める。
そして極めつけに「天下の万民は……」
孔融は、この詩で檄を飛ばしたんですね。みんなが現実を直視して世の中の平定に力を尽くすように。
間違っても、蒼天航路みたいににんまり得意げにポーズを決めて読んではいない。
漢が滅びそうだからこそ、孔融の詩は人の心に響いたんだろうし、
漢が滅びそうだからこそ、孔融自身も死ななきゃいけなかったんだろうなあ。
確かに>>10の通り、初句で万座に衝撃が走りそう。漢室の衰えは誰もが感じていたと思います。
でも、誰もが思ってるだけで口にしないことを、口に出すのってすごいことですよね。
その後に続けて「董卓」「呂布」の実名。
献帝も朝臣も、董卓に蔑ろにされてた頃を思い出して苦い過去を噛み締める。
そして極めつけに「天下の万民は……」
孔融は、この詩で檄を飛ばしたんですね。みんなが現実を直視して世の中の平定に力を尽くすように。
間違っても、蒼天航路みたいににんまり得意げにポーズを決めて読んではいない。
漢が滅びそうだからこそ、孔融の詩は人の心に響いたんだろうし、
漢が滅びそうだからこそ、孔融自身も死ななきゃいけなかったんだろうなあ。
21: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/14(水) 00:21:47.72
孔融 六言詩
郭李分爭為非 郭李は爭い分かち非(あ)しきを為し
遷都長安思歸 都を長安に遷して帰ることを思う
瞻望關東可哀 関東を瞻望すれば哀しくなるばかり
夢想曹公歸來 夢に想う曹公は帰来し
從洛到許巍巍 洛に従い巍巍(ぎぎ)たる許に至る
郭汜と李カクは権力を巡って決別してお互いに悪事を働いている
長安に遷都した後も(洛陽に)帰りたくてしょうがない
関東(の諸侯)を見れば(私利私欲の輩ばかりで)悲しくなるだけで
夢にまで見ていた曹操がやって来て
洛水の流れに沿って行くと大いなる都許昌に辿り着くことができた
曹公憂國無私 曹公は無私にして国を憂い
減去廚膳甘肥 廚膳より甘肥を減去す
群僚率從祁祁 率従する群僚は祁祁(きき)なりて
雖得俸祿常飢 俸禄を得ると雖も常に飢える
念我苦寒心悲 我が苦寒を念えば心悲し
曹操は無私で国を憂いており
自分の食事は甘いものや贅沢なものを全てなくして倹約していた
(そんな曹操だから)付き従う人も多いのだが
俸禄が出たとしても(曹操が倹約しても足りず)常に飢えるようなことになってしまっている
私に甲斐性がないばかりに悔しくて悲しくなって来た
>>10の続き
実は孔融の読んだ六言詩の主観視点は献帝だったのである
ヤバイ、皇帝を主人公にした歌とかマジ不遜
そして曹操のヒーローっぷりがハンパない
何でこれで孔融処刑しちまうんだ?ってくらい美化してる
そしてオチが酷い、時代劇のおとっつぁんになってる
郭李分爭為非 郭李は爭い分かち非(あ)しきを為し
遷都長安思歸 都を長安に遷して帰ることを思う
瞻望關東可哀 関東を瞻望すれば哀しくなるばかり
夢想曹公歸來 夢に想う曹公は帰来し
從洛到許巍巍 洛に従い巍巍(ぎぎ)たる許に至る
郭汜と李カクは権力を巡って決別してお互いに悪事を働いている
長安に遷都した後も(洛陽に)帰りたくてしょうがない
関東(の諸侯)を見れば(私利私欲の輩ばかりで)悲しくなるだけで
夢にまで見ていた曹操がやって来て
洛水の流れに沿って行くと大いなる都許昌に辿り着くことができた
曹公憂國無私 曹公は無私にして国を憂い
減去廚膳甘肥 廚膳より甘肥を減去す
群僚率從祁祁 率従する群僚は祁祁(きき)なりて
雖得俸祿常飢 俸禄を得ると雖も常に飢える
念我苦寒心悲 我が苦寒を念えば心悲し
曹操は無私で国を憂いており
自分の食事は甘いものや贅沢なものを全てなくして倹約していた
(そんな曹操だから)付き従う人も多いのだが
俸禄が出たとしても(曹操が倹約しても足りず)常に飢えるようなことになってしまっている
私に甲斐性がないばかりに悔しくて悲しくなって来た
>>10の続き
実は孔融の読んだ六言詩の主観視点は献帝だったのである
ヤバイ、皇帝を主人公にした歌とかマジ不遜
そして曹操のヒーローっぷりがハンパない
何でこれで孔融処刑しちまうんだ?ってくらい美化してる
そしてオチが酷い、時代劇のおとっつぁんになってる
22: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/15(木) 01:30:55.23
ちょっと思ったんですけど、献帝、「朕の気持ちがお前にわかるのか?」って内心面白くなかったんじゃないかな。
本当は許に行きたくなかっただろうし。曹操には憤懣やるかた無かっただろうし。
最後の「念我苦寒心悲」だけが別の意味で正しくて。
もちろんそんな事公言できないから、褒めるんだろうけど、それだと余計ストレスが溜まるだろうなあ。
こういう、ナチュラルに人の神経を逆撫でするような所が、曹操に処刑された原因だったりして。
孔融って、曹操に難癖つけてるだけだと思ってたんですよ。それもメチャクチャ上手な文章で。
だけど、こうやって一方では持ち上げ、一方では難癖つけてだと、曹操も「どっちなんだよ!」って余計心証を悪くしちゃったりして……。
それからもう一つ感じたことは、孔融の詩って感情表現が直球ストレートですよね。
「悲」「哀」「苦寒」って、感情を表す言葉を直接使ってます。
曹植が吁嗟篇でこれでもかと比喩を使って悲しみを伝えてるのとは、対照的に見えます。
23: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/15(木) 01:34:34.72
「漢王朝は衰微した!」とか、悪人の名前を直接書いたりとか、皇帝になりかわって詩を書くとか、詩中の感情表現だとか、それぞれの特徴を見ると孔融ってどこまでも素直な人だったんだなって感じます。
まとめサイトに載ってた文章と、それについての書き込みも見ましたが、なんか思ってた以上に、とてつもなく面白い人に思えてきました。
まとめサイトに載ってた文章と、それについての書き込みも見ましたが、なんか思ってた以上に、とてつもなく面白い人に思えてきました。
24: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/15(木) 03:50:53.08
後漢書と三国志では同じ正史でも孔融の扱いが大分違う
前者の孔融は後漢末の忠臣であり、王朝を護持しようと曹操に抗い、そして死ぬ孔家の英雄扱いだし
後者の孔融は魏初において虚名のみを恃みに、受命の君である曹操を邪魔する孔家の恥さらし扱い
>>1氏の史観はどうも三国志の魏側の視点ばかりから孔融を見ているように思えるのだが
ちょっと発言や詩作はロックだけども、彼は後漢朝廷と皇帝からは結構好かれてるからね
献帝なんかは相談事を持ちかけたりしてて不仲と考える根拠の方が薄弱かと思う
前者の孔融は後漢末の忠臣であり、王朝を護持しようと曹操に抗い、そして死ぬ孔家の英雄扱いだし
後者の孔融は魏初において虚名のみを恃みに、受命の君である曹操を邪魔する孔家の恥さらし扱い
>>1氏の史観はどうも三国志の魏側の視点ばかりから孔融を見ているように思えるのだが
ちょっと発言や詩作はロックだけども、彼は後漢朝廷と皇帝からは結構好かれてるからね
献帝なんかは相談事を持ちかけたりしてて不仲と考える根拠の方が薄弱かと思う
15: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/13(火) 13:36:35.46
七子に選ばれてない呉質ってかわいそう
16: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/13(火) 21:01:08.39
>>15
呉質、私も気に入ってる人物なんです。
初めて名前を知ったのは、まだ三国時代の文学に興味が無かった頃。
曹真の事を調べていて、呉質に体型をからかわれたのを見つけたときでした。
えー、曹真って太ってたんだー、かっこいいのに意外だ!と思う一方で、この呉質っていうのもつまらないことするなあって思ったことがあります。
呉質が好きになったのは、文学に興味を持つようになって、曹丕の「魏文帝与朝歌令呉質書」「魏文帝与呉質書」を読んだときなんです。
曹丕は呉質には自分の弱いところも見せられるんだなあって。
本当に親友だったんでしょうね。
昔は、人とコンタクトを取るのが今よりずっと大変だったと思うんです。
今だったらメールで一瞬だけど、曹丕は遠く離れた場所にいる呉質に、人の手で手紙を書いて送った。
「会いたい、会えない」っていうのも、現代よりずっと強かったでしょう。
建安含め魏晋南北朝の詩で「この楽しみは得がたいものだ」って言葉がよく出てきますけど、本当にそうだったんでしょう。
だから書く手紙にも特別な思いを込めるんでしょうね。
ところで、曹丕の手紙以外で意外なところで呉質の名前を見て、笑っちゃったことがあるんです。
不意を打たれたというか。
ちょっと、紹介してみます。
呉質、私も気に入ってる人物なんです。
初めて名前を知ったのは、まだ三国時代の文学に興味が無かった頃。
曹真の事を調べていて、呉質に体型をからかわれたのを見つけたときでした。
えー、曹真って太ってたんだー、かっこいいのに意外だ!と思う一方で、この呉質っていうのもつまらないことするなあって思ったことがあります。
呉質が好きになったのは、文学に興味を持つようになって、曹丕の「魏文帝与朝歌令呉質書」「魏文帝与呉質書」を読んだときなんです。
曹丕は呉質には自分の弱いところも見せられるんだなあって。
本当に親友だったんでしょうね。
昔は、人とコンタクトを取るのが今よりずっと大変だったと思うんです。
今だったらメールで一瞬だけど、曹丕は遠く離れた場所にいる呉質に、人の手で手紙を書いて送った。
「会いたい、会えない」っていうのも、現代よりずっと強かったでしょう。
建安含め魏晋南北朝の詩で「この楽しみは得がたいものだ」って言葉がよく出てきますけど、本当にそうだったんでしょう。
だから書く手紙にも特別な思いを込めるんでしょうね。
ところで、曹丕の手紙以外で意外なところで呉質の名前を見て、笑っちゃったことがあるんです。
不意を打たれたというか。
ちょっと、紹介してみます。
17: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/13(火) 21:16:46.98
李賀 李憑箜篌引
呉糸蜀桐張高秋
空白凝雲頽不流
江娥啼竹素女愁
李憑中国弾箜篌
崑山玉碎鳳凰叫
芙蓉露泣香蘭笑
十二門前融冷光
二十三糸動紫皇
女媧錬石補天処
石破天驚逗秋雨
夢入神山教神嫗
老魚跳波痩蛟舞
呉質不眠倚桂樹
露脚斜飛湿寒兎
書き下し文
呉糸蜀桐 高秋に張り
空は白く 雲を凝らし 頽(くず)れて流れず
江娥 竹に啼き 素女 愁う
李憑 中国に 箜篌を弾ず
崑山 玉砕けて 鳳凰叫び
芙蓉 露泣いて 香蘭笑う
十二門前 冷光を融かし
二十三糸 紫皇を動かす
女媧 石を錬って 天を補う処
石は破れ 天は驚き 秋雨を逗(も)らす
夢に神山に入って 神嫗に教うれば
老魚 波に跳(おど)り 痩蛟 舞えり
呉質眠らずして 桂樹に倚(よ)り
露脚 斜めに飛び 寒兎を湿(うる)おす
呉糸蜀桐張高秋
空白凝雲頽不流
江娥啼竹素女愁
李憑中国弾箜篌
崑山玉碎鳳凰叫
芙蓉露泣香蘭笑
十二門前融冷光
二十三糸動紫皇
女媧錬石補天処
石破天驚逗秋雨
夢入神山教神嫗
老魚跳波痩蛟舞
呉質不眠倚桂樹
露脚斜飛湿寒兎
書き下し文
呉糸蜀桐 高秋に張り
空は白く 雲を凝らし 頽(くず)れて流れず
江娥 竹に啼き 素女 愁う
李憑 中国に 箜篌を弾ず
崑山 玉砕けて 鳳凰叫び
芙蓉 露泣いて 香蘭笑う
十二門前 冷光を融かし
二十三糸 紫皇を動かす
女媧 石を錬って 天を補う処
石は破れ 天は驚き 秋雨を逗(も)らす
夢に神山に入って 神嫗に教うれば
老魚 波に跳(おど)り 痩蛟 舞えり
呉質眠らずして 桂樹に倚(よ)り
露脚 斜めに飛び 寒兎を湿(うる)おす
18: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/13(火) 21:31:58.59
中唐の詩人、李賀の詩に呉質の名前が見えます。
どうやら「呉剛」の間違いらしいのですが。
呉剛は、唐代の説話集「西陽雑俎」に、次のような話が残っています。
「月には高さ五百丈ものもくせいの木があり、一人のひとがいて、常にそれを切っているが、すぐにその切り口がふさがってしまう。その人の性は呉、名は剛。仙人の修行の途中で過ちを犯し、月に追放されて木を切り続ける罰を受けたのだ。」
でも、呉剛の間違いだったとしても、他の呉じゃなくて呉質に間違えられたのって運命じゃないの?とか思ってました。
この詩に出てくる李憑は、玄宗皇帝お抱えの立て琴の名人らしいです。
ちょっと、現代語訳を書いてみます。
呉の絹糸と、蜀の桐とからなる素晴らしい立て琴。たけなわの秋、その弦が張られれば、空は灰色。雲が息を凝らし、くずれかけたまま動かない。
湘江の女神たちは竹の上に涙を流し、琴の名手・素女は烈しく感動する。
李憑が世界の中央で、立て琴をひき始めたのだ。
崑崙山に玉が砕け、鳳凰が叫んだのか、蓮の花がこぼれ、香り高い蘭の花がほほえんだのか──と思わせて立て琴は響き、首都・長安の十二の城門のあたりで冷たい日差しを和らげ、二十三本の弦は天帝の心を揺り動かす。
人類創造の女神が五色の煉瓦を作って天を修繕するところへ、立て琴が鳴れば煉瓦は割れ天が驚き、秋の雨をこぼす。
かれが夢の中で神々の住む山に入り、老いたる神女に立て琴を教えたとき、年を経た魚が波間に踊り、骨張った竜は舞った。
月の世界の呉質までが音色に聞き惚れて眠りもせず、もくせいの木によりかかり、夜露が斜めに飛び散って、寒々とした月光を濡らしている。
どうやら「呉剛」の間違いらしいのですが。
呉剛は、唐代の説話集「西陽雑俎」に、次のような話が残っています。
「月には高さ五百丈ものもくせいの木があり、一人のひとがいて、常にそれを切っているが、すぐにその切り口がふさがってしまう。その人の性は呉、名は剛。仙人の修行の途中で過ちを犯し、月に追放されて木を切り続ける罰を受けたのだ。」
でも、呉剛の間違いだったとしても、他の呉じゃなくて呉質に間違えられたのって運命じゃないの?とか思ってました。
この詩に出てくる李憑は、玄宗皇帝お抱えの立て琴の名人らしいです。
ちょっと、現代語訳を書いてみます。
呉の絹糸と、蜀の桐とからなる素晴らしい立て琴。たけなわの秋、その弦が張られれば、空は灰色。雲が息を凝らし、くずれかけたまま動かない。
湘江の女神たちは竹の上に涙を流し、琴の名手・素女は烈しく感動する。
李憑が世界の中央で、立て琴をひき始めたのだ。
崑崙山に玉が砕け、鳳凰が叫んだのか、蓮の花がこぼれ、香り高い蘭の花がほほえんだのか──と思わせて立て琴は響き、首都・長安の十二の城門のあたりで冷たい日差しを和らげ、二十三本の弦は天帝の心を揺り動かす。
人類創造の女神が五色の煉瓦を作って天を修繕するところへ、立て琴が鳴れば煉瓦は割れ天が驚き、秋の雨をこぼす。
かれが夢の中で神々の住む山に入り、老いたる神女に立て琴を教えたとき、年を経た魚が波間に踊り、骨張った竜は舞った。
月の世界の呉質までが音色に聞き惚れて眠りもせず、もくせいの木によりかかり、夜露が斜めに飛び散って、寒々とした月光を濡らしている。
19: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/13(火) 21:48:40.80
すさまじい詩ですよね。
李憑の演奏が、天地や、宇宙や、神々の世界まで揺り動かす。
地が揺れ動くのがどんなことか、日本人は震災を目の当たりにして知っています。
この詩の情景は、それよりもすさまじい鳴動です。
この詩の世界は、どんな映像でも再現できないと思います。
現実に、これほどの力を持った音楽はないと思います。
これは、言葉の世界だからこそできることです。
李賀の詩には、パワーがあります。
二十七歳で死んだ、痩せこけて白髪が混じった頭の男の中には計り知れない鬱屈と爆発する力があったんだと思います。
幻想的、非現実的な、すさまじい言葉の世界を創り出すことで、李賀以上の漢詩人は見たことがありません。
>>7-8で書いたようなことを、李賀は素でやっていたと思います。
で、この詩の最後から数えて二句目に呉質がいるわけですけど。
呉剛だというなら、他の神話世界の言葉と並んでスケールの大きさを感じるだけなんですけど、呉質が一人ぽっと混じってるとなると、おもしろさを感じますよね。
神話に呉質が混じってるんですよ。
「これは間違いだ」と言っちゃうのは簡単ですけど、建安文学好きには垂涎もののシチュエーションじゃないでしょうか。
呉質さん、何してるんだろう。
生前あくどいことをやった罪で、木を切り続ける罰を与えられたのかな。
それとも、女神・嫦娥のために月で詩を作っているのかな。
ちょっと気取って、腕なんか組みながらもくせいの木に寄りかかって、目を閉じて演奏に酔いしれてる
呉質の姿が目に浮かんで、なんだか良いです。
李憑の演奏が、天地や、宇宙や、神々の世界まで揺り動かす。
地が揺れ動くのがどんなことか、日本人は震災を目の当たりにして知っています。
この詩の情景は、それよりもすさまじい鳴動です。
この詩の世界は、どんな映像でも再現できないと思います。
現実に、これほどの力を持った音楽はないと思います。
これは、言葉の世界だからこそできることです。
李賀の詩には、パワーがあります。
二十七歳で死んだ、痩せこけて白髪が混じった頭の男の中には計り知れない鬱屈と爆発する力があったんだと思います。
幻想的、非現実的な、すさまじい言葉の世界を創り出すことで、李賀以上の漢詩人は見たことがありません。
>>7-8で書いたようなことを、李賀は素でやっていたと思います。
で、この詩の最後から数えて二句目に呉質がいるわけですけど。
呉剛だというなら、他の神話世界の言葉と並んでスケールの大きさを感じるだけなんですけど、呉質が一人ぽっと混じってるとなると、おもしろさを感じますよね。
神話に呉質が混じってるんですよ。
「これは間違いだ」と言っちゃうのは簡単ですけど、建安文学好きには垂涎もののシチュエーションじゃないでしょうか。
呉質さん、何してるんだろう。
生前あくどいことをやった罪で、木を切り続ける罰を与えられたのかな。
それとも、女神・嫦娥のために月で詩を作っているのかな。
ちょっと気取って、腕なんか組みながらもくせいの木に寄りかかって、目を閉じて演奏に酔いしれてる
呉質の姿が目に浮かんで、なんだか良いです。
25: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/15(木) 05:25:14.77
王粲 七哀詩 其二
荊蠻非我郷 何為久滯淫
方舟溯大江 日暮愁我心
山崗有餘暎 巖阿增重陰
狐狸馳赴穴 飛鳥翔故林
流波激清響 猴猿臨岸吟
迅風拂裳袂 白露霑衣衿
獨夜不能寐 攝衣起撫琴
絲桐感人情 為我發悲音
羈旅無終極 憂思壯難任
荊蛮は我が郷に非ず 何為れぞ久しく滞淫す
舟を方べ大江を溯れば 日暮れて我が心愁う
山岡に餘暎有りて 巌阿に陰の重なりを増す
狐狸は馳しり穴に赴き 飛鳥は故の林に翔ける
流波は激しく清響し 猴猿は岸に臨みて吟ず
迅風は裳袂を払い 白露は衣襟を霑す
独り夜に寐ること能わず 衣を摂りて起き琴を撫でる
絲桐は人情を感じ 我が為に悲音を発す
覊旅に終極無く 壮んなる憂思に任り難し
荊州と言う田舎は私の故郷ではない(中原生まれ長安育ち)
それなのに何故こんなところで無駄に時間を過ごしてしまっているのか……orz
船を並べて大きな江(襄陽辺りなので恐らく漢水か)を遡れば
自分が老いていくだけで(日暮途遠:年老いるが道半ば 史記)憂鬱になる
山々にあるのは太陽の残光があるだけで(私の人生の光もこんなものだ)
川岸や崖も陰が濃くなっていく(私の人生もこんな陰ばかりだ)
(もう遅い時間なので)狐や狸ですら穴倉に走って帰るし
飛ぶ鳥も巣のある林へと急いで帰ってる(にも関わらず私は帰れない)
激流の音は綺麗だなぁ(現実逃避)、猿達が岸に向かって鳴き声上げてるのも聞こえるわぁ(田舎過ぎだろ!)
吹き荒ぶ風が服の袂を揺らし、夜露によって服はびっちょり(旅とかマジ辛い)
夜は(寂しくて)一人で寝るに寝られず、寝巻きから着替えて琴をかき鳴らす
琴は私の心が分かってるから、私の為に悲しみの音で慰めてくれるのだ
この旅は(戦乱からの逃避なので戦乱が終わらない限り)終わりがないのに
(旅のストレスによる)強い憂いにもう耐えられない(帰りたい)
相変わらずの豆腐メンタル王粲さん
当時の琴は親しい人にしか音を聞かせない楽器で自分の心情が伝わる楽器とされていました
「琴の音を知る仲」というのは義兄弟に匹敵する間柄なのです
なので某けいおんの平沢なんちゃらさんがギー太に感情移入してるかの如く
琴に惚れ込んでる、とかそういうわけではないです、そこだけは大事
荊蠻非我郷 何為久滯淫
方舟溯大江 日暮愁我心
山崗有餘暎 巖阿增重陰
狐狸馳赴穴 飛鳥翔故林
流波激清響 猴猿臨岸吟
迅風拂裳袂 白露霑衣衿
獨夜不能寐 攝衣起撫琴
絲桐感人情 為我發悲音
羈旅無終極 憂思壯難任
荊蛮は我が郷に非ず 何為れぞ久しく滞淫す
舟を方べ大江を溯れば 日暮れて我が心愁う
山岡に餘暎有りて 巌阿に陰の重なりを増す
狐狸は馳しり穴に赴き 飛鳥は故の林に翔ける
流波は激しく清響し 猴猿は岸に臨みて吟ず
迅風は裳袂を払い 白露は衣襟を霑す
独り夜に寐ること能わず 衣を摂りて起き琴を撫でる
絲桐は人情を感じ 我が為に悲音を発す
覊旅に終極無く 壮んなる憂思に任り難し
荊州と言う田舎は私の故郷ではない(中原生まれ長安育ち)
それなのに何故こんなところで無駄に時間を過ごしてしまっているのか……orz
船を並べて大きな江(襄陽辺りなので恐らく漢水か)を遡れば
自分が老いていくだけで(日暮途遠:年老いるが道半ば 史記)憂鬱になる
山々にあるのは太陽の残光があるだけで(私の人生の光もこんなものだ)
川岸や崖も陰が濃くなっていく(私の人生もこんな陰ばかりだ)
(もう遅い時間なので)狐や狸ですら穴倉に走って帰るし
飛ぶ鳥も巣のある林へと急いで帰ってる(にも関わらず私は帰れない)
激流の音は綺麗だなぁ(現実逃避)、猿達が岸に向かって鳴き声上げてるのも聞こえるわぁ(田舎過ぎだろ!)
吹き荒ぶ風が服の袂を揺らし、夜露によって服はびっちょり(旅とかマジ辛い)
夜は(寂しくて)一人で寝るに寝られず、寝巻きから着替えて琴をかき鳴らす
琴は私の心が分かってるから、私の為に悲しみの音で慰めてくれるのだ
この旅は(戦乱からの逃避なので戦乱が終わらない限り)終わりがないのに
(旅のストレスによる)強い憂いにもう耐えられない(帰りたい)
相変わらずの豆腐メンタル王粲さん
当時の琴は親しい人にしか音を聞かせない楽器で自分の心情が伝わる楽器とされていました
「琴の音を知る仲」というのは義兄弟に匹敵する間柄なのです
なので某けいおんの平沢なんちゃらさんがギー太に感情移入してるかの如く
琴に惚れ込んでる、とかそういうわけではないです、そこだけは大事
28: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/15(木) 18:25:15.05
>>25
長く哀しい余韻を残す王粲の七哀詩を、ありがとうございます。
「方舟遡大江 日暮愁我心」
「方」の字には、「(舟を)並べる」、という意味があるんですね。
王粲は誰かと一緒だったんでしょうか。
大江に舟が浮かんでいるって、漂白の身の上とか、どこへ行くのか途方に暮れている様子が
浮かんでしまいます。
舟の小ささと空間の広漠さ。
広漠な空間は、そのまま寂寥感や虚無感の大きさに見えます。
しかもそれが黄昏時だったら、行く手は暗がり、見えなくなるんですから。
(ここ、史記が出典だったんですね)
でも、一人ぽっち、ぽつんと広漠な大江に浮かんでいるわけではないから
完全な孤独ではないんですね。
それからここ、ピンときました!
「獨夜不能寐 攝衣起撫琴」
阮籍の詠懐詩の冒頭と似た表現ですよね。
詠懐詩
夜中不能寐 夜中 寐ぬる能はず
起坐弾鳴琴 起坐して鳴琴を弾ず
薄帷鑒明月 薄帷に明月鑒り
清風吹我襟 清風 我が襟を吹く
孤鴻號外野 孤鴻 外野に號び
朔鳥鳴北林 朔鳥 北林に鳴く
徘徊将何見 徘徊して 将に何をか見る
憂思独傷心 憂思して独り心を傷ましむ
琴は自分の心情が伝わる楽器だと知って合点がいきました。
演奏するのが他の楽器じゃなくて琴なのは、孤独な感情を表現したかったからでしょうか。
其二は、悲しみは悲しみでも、其一の悲惨で救いようのない光景とは違うと感じました。
長く哀しい余韻を残す王粲の七哀詩を、ありがとうございます。
「方舟遡大江 日暮愁我心」
「方」の字には、「(舟を)並べる」、という意味があるんですね。
王粲は誰かと一緒だったんでしょうか。
大江に舟が浮かんでいるって、漂白の身の上とか、どこへ行くのか途方に暮れている様子が
浮かんでしまいます。
舟の小ささと空間の広漠さ。
広漠な空間は、そのまま寂寥感や虚無感の大きさに見えます。
しかもそれが黄昏時だったら、行く手は暗がり、見えなくなるんですから。
(ここ、史記が出典だったんですね)
でも、一人ぽっち、ぽつんと広漠な大江に浮かんでいるわけではないから
完全な孤独ではないんですね。
それからここ、ピンときました!
「獨夜不能寐 攝衣起撫琴」
阮籍の詠懐詩の冒頭と似た表現ですよね。
詠懐詩
夜中不能寐 夜中 寐ぬる能はず
起坐弾鳴琴 起坐して鳴琴を弾ず
薄帷鑒明月 薄帷に明月鑒り
清風吹我襟 清風 我が襟を吹く
孤鴻號外野 孤鴻 外野に號び
朔鳥鳴北林 朔鳥 北林に鳴く
徘徊将何見 徘徊して 将に何をか見る
憂思独傷心 憂思して独り心を傷ましむ
琴は自分の心情が伝わる楽器だと知って合点がいきました。
演奏するのが他の楽器じゃなくて琴なのは、孤独な感情を表現したかったからでしょうか。
其二は、悲しみは悲しみでも、其一の悲惨で救いようのない光景とは違うと感じました。
30: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/16(金) 01:49:24.68
曹丕 芙蓉池作一首
乗輦夜行遊 逍遙歩西園
雙渠相漑灌 嘉木繞通川
卑枝拂羽蓋 脩条摩蒼天
驚風扶輪轂 飛鳥翔我前
丹霞夾明月 華星出雲間
上天垂光采 五色一何鮮
寿命非松喬 誰能得神仙
遨游快心意 保己終百年
輦に乗りて夜行きて遊び 逍遙して西園を歩めり
雙渠 相漑灌し 嘉木 通川を繞(めぐ)る
卑(ひく)き枝は羽蓋を拂(はら)ひ 脩(なが)き条(えだ)は蒼天を摩す
驚風 輪轂を扶け 飛鳥 我が前を翔る
丹霞 明月を夾み 華星 雲間より出づ
上天 光采を垂れ 五色 一に何ぞ鮮やかなる
寿命 松喬に非ず 誰か能く神仙たるを得ん
遨游して心意を快くし 己を保ちて百年を終へん
今まで載せたのは、訳を本からお借りしていましたが、今回は自分で訳に挑戦してみたいと思います。
現代語訳
車を引かせて、夕方に遊びに出た。気の進むに任せて、西園の中を歩き回った。
並んで走る小川はともに芙蓉池に流れ注ぎ、その周りをめぐるように、見事な木々が立っている。
(夫婦のように対になっている小川といい、木々の見事さといい、言うことなしだ)
その木々の低い枝は、羽飾りをつけた車のおおいをかすめ、高く伸びた枝は、天まで届くよう。
速い風が、車輪が回るのを助け、飛んでいる鳥が、私の目の前を羽ばたいてゆく。
(風と一つになったようで、気持ちいい)
夕焼けに染まった霞が明るい月を取り巻き、輝く星が雲の切れ目から顔を出した。
頭上空は、地上に美しい色合いを見せる。その色合いは、千変万化して、何と鮮やかなことだろうか。
赤松子や王子喬のような永い寿命を持っていないのに、誰が神仙になることができるだろう。
今のこの時を心地よく楽しみ、自分を保って百年の寿命を終えたいものだ。
乗輦夜行遊 逍遙歩西園
雙渠相漑灌 嘉木繞通川
卑枝拂羽蓋 脩条摩蒼天
驚風扶輪轂 飛鳥翔我前
丹霞夾明月 華星出雲間
上天垂光采 五色一何鮮
寿命非松喬 誰能得神仙
遨游快心意 保己終百年
輦に乗りて夜行きて遊び 逍遙して西園を歩めり
雙渠 相漑灌し 嘉木 通川を繞(めぐ)る
卑(ひく)き枝は羽蓋を拂(はら)ひ 脩(なが)き条(えだ)は蒼天を摩す
驚風 輪轂を扶け 飛鳥 我が前を翔る
丹霞 明月を夾み 華星 雲間より出づ
上天 光采を垂れ 五色 一に何ぞ鮮やかなる
寿命 松喬に非ず 誰か能く神仙たるを得ん
遨游して心意を快くし 己を保ちて百年を終へん
今まで載せたのは、訳を本からお借りしていましたが、今回は自分で訳に挑戦してみたいと思います。
現代語訳
車を引かせて、夕方に遊びに出た。気の進むに任せて、西園の中を歩き回った。
並んで走る小川はともに芙蓉池に流れ注ぎ、その周りをめぐるように、見事な木々が立っている。
(夫婦のように対になっている小川といい、木々の見事さといい、言うことなしだ)
その木々の低い枝は、羽飾りをつけた車のおおいをかすめ、高く伸びた枝は、天まで届くよう。
速い風が、車輪が回るのを助け、飛んでいる鳥が、私の目の前を羽ばたいてゆく。
(風と一つになったようで、気持ちいい)
夕焼けに染まった霞が明るい月を取り巻き、輝く星が雲の切れ目から顔を出した。
頭上空は、地上に美しい色合いを見せる。その色合いは、千変万化して、何と鮮やかなことだろうか。
赤松子や王子喬のような永い寿命を持っていないのに、誰が神仙になることができるだろう。
今のこの時を心地よく楽しみ、自分を保って百年の寿命を終えたいものだ。
31: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/16(金) 02:09:26.13
「丹霞夾明月 華星出雲間
上天垂光采 五色一何鮮」
この部分って、その時間を全部切り取って描いたものですよね。
刻々と変化する空をひと続きで切り取って表現しています。
丁寧に想像すると、二十文字の中に好きな光景がぎゅっと凝縮されているのが広がって、
なんだか良いです。
それに、見方によっては広がるのはすごく幻想的な風景だったりします。
空には月と星が輝いているのに、それを取り巻く雲霞は夕焼けに染まった薔薇色。
空の色は夕焼けの頃から夜に近い紫色の頃まで、グラデーションになってる。
印象派の絵画みたいです。
空の綺麗な時間の中から良い所を集めた、理想の最高の瞬間です。
曹植の公讌詩の印象は>>7-8ですけど、これは対照的な、ふんわり甘美な雰囲気です。
上天垂光采 五色一何鮮」
この部分って、その時間を全部切り取って描いたものですよね。
刻々と変化する空をひと続きで切り取って表現しています。
丁寧に想像すると、二十文字の中に好きな光景がぎゅっと凝縮されているのが広がって、
なんだか良いです。
それに、見方によっては広がるのはすごく幻想的な風景だったりします。
空には月と星が輝いているのに、それを取り巻く雲霞は夕焼けに染まった薔薇色。
空の色は夕焼けの頃から夜に近い紫色の頃まで、グラデーションになってる。
印象派の絵画みたいです。
空の綺麗な時間の中から良い所を集めた、理想の最高の瞬間です。
曹植の公讌詩の印象は>>7-8ですけど、これは対照的な、ふんわり甘美な雰囲気です。
32: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/16(金) 02:22:54.37
最後四句だけは、どうしてこういう締め方にしたんだろうって思うんです。
ここまでずっと楽しんで色んなものに目を向けてるのに、心を解き放ってるのに、ふと現実に戻って心を自分の内心に戻しちゃってる、そう見えます。
個人的に、ですが、曹植の公讌詩に比べて心を抉るようなショックを受けない。
空の描写も、曹植のようにぐっと心をわし掴みにされる感じじゃなく、あー、綺麗だなあ… ってこっちから眺めていく感じです。
大好きですけどね。
ここまでずっと楽しんで色んなものに目を向けてるのに、心を解き放ってるのに、ふと現実に戻って心を自分の内心に戻しちゃってる、そう見えます。
個人的に、ですが、曹植の公讌詩に比べて心を抉るようなショックを受けない。
空の描写も、曹植のようにぐっと心をわし掴みにされる感じじゃなく、あー、綺麗だなあ… ってこっちから眺めていく感じです。
大好きですけどね。
33: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/16(金) 02:31:26.51
曹昻・曹鑠を見てるから死にたくねぇなぁってことでしょ
34: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/16(金) 02:38:28.74
>>33
そうか、そうですよね。
忘れてたけど、曹丕も曹植も戦場を知ってるし、曹丕は特に宛城から脱出してるんでしたっけ。
よく出てくる「良い日は得難い」って表現と根底の気持ちは同じなのかも。
定命だからこそ、いつでも楽しめるわけじゃないからこそ、今を楽しもう、か。
そうか、そうですよね。
忘れてたけど、曹丕も曹植も戦場を知ってるし、曹丕は特に宛城から脱出してるんでしたっけ。
よく出てくる「良い日は得難い」って表現と根底の気持ちは同じなのかも。
定命だからこそ、いつでも楽しめるわけじゃないからこそ、今を楽しもう、か。
36: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/18(日) 01:22:26.13
洛神賦いい
洛神賦図いい
洛神賦図いい
『洛神賦』(らくしんふ、らくしんのふ、拼音: Luò shén fù)は、中国三国魏の曹植による文学作品。洛水の女神・宓妃を題材にした賦。六朝叙情小賦の典型とされる。
黄初3年(222年)または黄初4年(223年)、曹植が都洛陽から封国への帰途、夢うつつに幻視した洛水の女神・宓妃の美しさを描く。河伯や女媧も現れ音楽を奏でるが、やがて幻は消え去ってしまう。
黄初3年(222年)または黄初4年(223年)、曹植が都洛陽から封国への帰途、夢うつつに幻視した洛水の女神・宓妃の美しさを描く。河伯や女媧も現れ音楽を奏でるが、やがて幻は消え去ってしまう。
39: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/18(日) 17:01:24.93
わたしはどちらかというと
洛人賦は修飾が過剰すぎて、読むの疲れる派だなあw
洛人賦は修飾が過剰すぎて、読むの疲れる派だなあw
41: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/18(日) 17:06:14.51
>>39
修飾過剰、わかりますw
修飾過剰、わかりますw
40: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/18(日) 17:02:56.74
1.
この賦に感情移入できるのって、やっぱり「曹植の体験」として書かれてるからだと思います。
具体的な年号とか、地名を入れて真実味を出していますよね。
これがないと、普通のお伽噺みたいになると思います。
楚辞はそういう感じだったと思います。
儒教のイメージが強い中国ですけど、幻想的な文学はそれこそ古代からたくさんありますよね。
曹植も影響を受けてるだろうし、幻想文学は魏晋南北朝時代に志怪小説として大いに花開くようになります。
母体はきっと楚辞です。
この部分に出てくる「宋玉」は屈原の弟子で、楚辞関係の人だし。
その中で、人と神や仙女は恋愛的な接触をします。
「九歌」の「湘君」とか「湘夫人」とかで、シャーマンが神の降臨を求めるけど降りてきてくれない、なんていうのは気まぐれな女性に振り回されてる恋する男の姿そのものです。
(ちなみに恋愛的発想は、儒学的文学にも取り入れられて、その場合は臣下が主君を思う描写に使われます)
恋愛的接触の形態は、時代によって異なってきます。
ざっくり言うと、時代が古いほど結ばれず、時代が新しいほど一度結ばれることが多くなります。
古い時代の作品に出てくる神女は、人間の男とくっつきません。
姿を現さなかったり、求愛に応じる振りをして気づくと姿を消してしまっていたり、そういうのばっかりです。
人と神の住む世界は違う、と考えられていたからかもしれません。
新しい時代になると、道教が興隆します。
人外の世界へのシンパシーがぐっと強まり、仙人へのあこがれが生まれます。
そこで、仙郷に迷い込んで、桃を食べて仙人の力を得るとか、仙人に出会って修行をして自分も仙人になるだとか、仙女に出会ってエッチして夢のような時間を過ごすとか、そういう作品が山ほど出てきます。
ただ、ずっと仙境で暮らしました、とはならないことが多いです。
一度帰って、もう一度戻ろうとしてもできなかった、という結末が多いです。
浦島太郎の物語もこの話形です。
曹植の洛神賦で、登場するのは神女ですよね。
そして、曹植は自ら結ばれない結末を選びます。
結ばれなかった甄皇后のことが頭にあったという説は、私もそうだと思います。
この賦に感情移入できるのって、やっぱり「曹植の体験」として書かれてるからだと思います。
具体的な年号とか、地名を入れて真実味を出していますよね。
これがないと、普通のお伽噺みたいになると思います。
楚辞はそういう感じだったと思います。
儒教のイメージが強い中国ですけど、幻想的な文学はそれこそ古代からたくさんありますよね。
曹植も影響を受けてるだろうし、幻想文学は魏晋南北朝時代に志怪小説として大いに花開くようになります。
母体はきっと楚辞です。
この部分に出てくる「宋玉」は屈原の弟子で、楚辞関係の人だし。
その中で、人と神や仙女は恋愛的な接触をします。
「九歌」の「湘君」とか「湘夫人」とかで、シャーマンが神の降臨を求めるけど降りてきてくれない、なんていうのは気まぐれな女性に振り回されてる恋する男の姿そのものです。
(ちなみに恋愛的発想は、儒学的文学にも取り入れられて、その場合は臣下が主君を思う描写に使われます)
恋愛的接触の形態は、時代によって異なってきます。
ざっくり言うと、時代が古いほど結ばれず、時代が新しいほど一度結ばれることが多くなります。
古い時代の作品に出てくる神女は、人間の男とくっつきません。
姿を現さなかったり、求愛に応じる振りをして気づくと姿を消してしまっていたり、そういうのばっかりです。
人と神の住む世界は違う、と考えられていたからかもしれません。
新しい時代になると、道教が興隆します。
人外の世界へのシンパシーがぐっと強まり、仙人へのあこがれが生まれます。
そこで、仙郷に迷い込んで、桃を食べて仙人の力を得るとか、仙人に出会って修行をして自分も仙人になるだとか、仙女に出会ってエッチして夢のような時間を過ごすとか、そういう作品が山ほど出てきます。
ただ、ずっと仙境で暮らしました、とはならないことが多いです。
一度帰って、もう一度戻ろうとしてもできなかった、という結末が多いです。
浦島太郎の物語もこの話形です。
曹植の洛神賦で、登場するのは神女ですよね。
そして、曹植は自ら結ばれない結末を選びます。
結ばれなかった甄皇后のことが頭にあったという説は、私もそうだと思います。
43: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/18(日) 17:29:33.94
洛神=甄皇后説はなんというか、曹植独身でもないのに未練たらしいなーと思ったりする。
甄后が結婚したのが204年で死んだのが221年。曹丕と結婚する前に曹植が親父に甄皇后くれーといったハナシ(信ぴょう性ははてな)を聞いたことがあるけど、それにしても横恋慕期間が長いような。
甄后が結婚したのが204年で死んだのが221年。曹丕と結婚する前に曹植が親父に甄皇后くれーといったハナシ(信ぴょう性ははてな)を聞いたことがあるけど、それにしても横恋慕期間が長いような。
45: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/18(日) 17:41:15.28
>>43
それ俺も思った!
でも、妻子がいても初恋?の女性が忘れられないのが三国時代の男なのかな
それ俺も思った!
でも、妻子がいても初恋?の女性が忘れられないのが三国時代の男なのかな
44: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/18(日) 17:35:29.86
その人が死ぬと気持ちが溢れ出すってのはあるかもしらんね
61: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/22(木) 02:47:24.93
2.
ここには、四つの注目すべき点があります。
①具体的な旅の経路が書かれている
曹植は、洛陽から藩国に帰るために、伊闕を後にし、轘轅山を越え、通谷を通り、景山に登ります。
曹植好きとしては、曹植が旅をしている姿が浮かんでいいなと思います。
が、私はここでちょっと突っ込んだ視点を提示してみます。
「人生は旅である」
という隠喩は、文学の世界だけではなく、人間一般に自然に共有されているものだと思います。
生誕は旅の始点。死は到達点です。
曹植が旅の描写をしたのは、もしかしたら死へ至る人生の旅を仄めかしたかったのかも、なんて思いました。
②日がすでに西に傾いている
「一生は一日である」
という隠喩も、広く無意識に理解されているものです。
生誕は夜明け、成熟は正午、老年は黄昏、死は日没、死後は夜です。
①を前提にして話すと、人生という旅の中で、曹植は斜陽、つまり自分自身の衰退期を見たのではないでしょうか。
年齢的には若いですが、実際、40年余りの人生の中では黄昏時ですしね。
車は傷み、馬は疲れている。
これは人生の困難と挫折を思わせます。
ぱっと思いついた具体例が西洋文学で申し訳ないのですが、
「人生の道半ばにして、わたしは暗い森の中に我を見出した。」(ダンテ『神曲』)
と似たような雰囲気を感じます。
人生の成熟期に及んで、明確な目標やそこへのはっきりした道筋を持たない、迷った状態にあった、
と気づいたということですからね。
62: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/22(木) 02:51:14.36
③香草、霊芝、柳
どれも、神を思わせる植物です。古代中国の祭祀では、シャーマンは香り草を用いていました。
「楚辞 九歌 東皇太一」でも、「盍将把兮瓊芳(巫女はまた、美わしい芳り草の束を手に取り持って)」とあります。
霊芝は、「巫山の夢」の故事の神女が身を変えていたものです。
柳も、強い陽の気を持つ植物として縁起の良いものです。
この時曹植は、この世ならぬ領域(霊界ではなく、神界)に半ば身を置いていると考えられます。
④こころは別世界に誘われ、思いは遥か彼方に飛翔していく
これは、漢詩によく使われる表現で、いいな、と私も思っていたんですが、この「心」「思い」とは何でしょうか。
原文では「精」「神」「思」という漢字で表されています。
精神、とは中国人の考え方としては、肉体に宿るものです。つまり、魂です。
思考も、生きている人間のするものですよね。
①②③と併せて考えると、魂や思いが肉体から解放された自由な状態、つまり、死に近い状態に
なっているんじゃないでしょうか。
死はネガティブなイメージが強いですが、
「生は束縛であり、死は解放である」
という考え方もあります。
どれも、神を思わせる植物です。古代中国の祭祀では、シャーマンは香り草を用いていました。
「楚辞 九歌 東皇太一」でも、「盍将把兮瓊芳(巫女はまた、美わしい芳り草の束を手に取り持って)」とあります。
霊芝は、「巫山の夢」の故事の神女が身を変えていたものです。
柳も、強い陽の気を持つ植物として縁起の良いものです。
この時曹植は、この世ならぬ領域(霊界ではなく、神界)に半ば身を置いていると考えられます。
④こころは別世界に誘われ、思いは遥か彼方に飛翔していく
これは、漢詩によく使われる表現で、いいな、と私も思っていたんですが、この「心」「思い」とは何でしょうか。
原文では「精」「神」「思」という漢字で表されています。
精神、とは中国人の考え方としては、肉体に宿るものです。つまり、魂です。
思考も、生きている人間のするものですよね。
①②③と併せて考えると、魂や思いが肉体から解放された自由な状態、つまり、死に近い状態に
なっているんじゃないでしょうか。
死はネガティブなイメージが強いですが、
「生は束縛であり、死は解放である」
という考え方もあります。
63: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/22(木) 02:52:29.54
こうやって見ると、曹植は、気まぐれに降臨した神女と逢ったんじゃないんです。
彼が神女と出会うタイミングは、この時でなければいけなかったんです。
死という到達点に向かう人生の旅の中で、自分の衰えを自覚し、困難と挫折を噛みしめている最中に、ふと人ならざる世界、神の世界へ足を踏み入れてしまわなければ、会えなかったんです。
だから、蒼天航路で、少年曹植が洛神賦を披露して孔融をやり込めるなんてシーンは、不適切だったんです。
(蒼天は、前に出た孔融の人物像からみても、間違いが多いですね)
だとすれば、曹植が神女と結ばれなかったのは良かったんです。
結ばれていたら、曹植は命を落とさなければならなかったと思います。
そういう発想があるからこそ、古代中国文学で、人と神は「絶対に結ばれない」ものだったんだと思います。
私が洛神=甄皇后説を支持するのは、「人と神」、つまり結ばれない関係が、「生者と死者」と重なるからなんです。
甄皇后が死んですぐに作られたっていうのは、関係があると思います。
彼が神女と出会うタイミングは、この時でなければいけなかったんです。
死という到達点に向かう人生の旅の中で、自分の衰えを自覚し、困難と挫折を噛みしめている最中に、ふと人ならざる世界、神の世界へ足を踏み入れてしまわなければ、会えなかったんです。
だから、蒼天航路で、少年曹植が洛神賦を披露して孔融をやり込めるなんてシーンは、不適切だったんです。
(蒼天は、前に出た孔融の人物像からみても、間違いが多いですね)
だとすれば、曹植が神女と結ばれなかったのは良かったんです。
結ばれていたら、曹植は命を落とさなければならなかったと思います。
そういう発想があるからこそ、古代中国文学で、人と神は「絶対に結ばれない」ものだったんだと思います。
私が洛神=甄皇后説を支持するのは、「人と神」、つまり結ばれない関係が、「生者と死者」と重なるからなんです。
甄皇后が死んですぐに作られたっていうのは、関係があると思います。
66: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/22(木) 16:51:45.05
>>61-63
この作品を「死という到達点に向かう人生の旅」というように解釈するのは素晴らしい発想だと思います。
ひょっとしたら曹植が洛神賦を着想した時、彼の中で自殺願望的な何かが渦巻いている精神状態だったのではないでしょうか。
しかし、「やはりまだ自分は死ぬべきではない」という思いが強くなって、女神は曹植に別れを告げて去って行くという筋書きになったのではないかと思うのです。
そう解釈すると、女神は「あなたはまだ生きている。自ら死を選んではならない」と曹植を諭してくれた命の恩人だったのかなと思います。
この作品を「死という到達点に向かう人生の旅」というように解釈するのは素晴らしい発想だと思います。
ひょっとしたら曹植が洛神賦を着想した時、彼の中で自殺願望的な何かが渦巻いている精神状態だったのではないでしょうか。
しかし、「やはりまだ自分は死ぬべきではない」という思いが強くなって、女神は曹植に別れを告げて去って行くという筋書きになったのではないかと思うのです。
そう解釈すると、女神は「あなたはまだ生きている。自ら死を選んではならない」と曹植を諭してくれた命の恩人だったのかなと思います。
74: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/25(日) 23:00:10.03
傍論ですが、『酉陽雑爼』にある『妬婦津』の記事に洛神賦が登場するのでご紹介。
==
臨清に妬婦津(とふしん)がある。伝説によると、晋の大始年間(265~275)のとき劉伯玉の妻、段氏は字を明光といい、嫉妬心が強かった。
伯玉は曹植の『洛神の賦』を愛誦して、その妻に語った。
「こういう女を妻にできたなら、心残りはないね」
ところが明光は
「あなたはよくも水神が美しいからといってわたしを馬鹿になさいましたわね。わたしは死にます。きっと水神になってみせるから。」 と言って、その夜、河に身投げをして死んだ。
それから七日目の夜に、彼女は伯玉の夢にあらわれた。
「あなたは神をご所望でしたね、わたしは今、神になりました」
伯玉ははっと眼が醒めた。それからは一生涯、河川を渡ろうとはしなかった。
以来、その河は妬婦津と呼ばれるようになった。
ここを渡る婦人たちは、皆、衣裳をつくろわず、化粧を剥がして渡った。
美服美粧して渡ると、神が嫉妬してたちまち風波を起こすからである。(後略)
いかにもなつくり話っぽさがありますが、洛神賦が引き合いに出されるあたりに曹植の詩聖としての評価を感じざるをえません
でも曹植の洛神への修辞麗句はやっぱり、過剰だと思います。
それこそ、段明光がヒステリーを起こして身投げしてしまうくらいに
(ついでにかつてつくった妬婦津ネタ)
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1298380310/225-238
他にもこれと似たような言い伝えに「妬女泉」というのがあって、これも、婦人が美服美粧をして渡ろうとすると、嫉妬した神が大雨を降らせて、必ず稲妻を光らせるらしいです(泉の場所は董卓の塁の近く)
==
臨清に妬婦津(とふしん)がある。伝説によると、晋の大始年間(265~275)のとき劉伯玉の妻、段氏は字を明光といい、嫉妬心が強かった。
伯玉は曹植の『洛神の賦』を愛誦して、その妻に語った。
「こういう女を妻にできたなら、心残りはないね」
ところが明光は
「あなたはよくも水神が美しいからといってわたしを馬鹿になさいましたわね。わたしは死にます。きっと水神になってみせるから。」 と言って、その夜、河に身投げをして死んだ。
それから七日目の夜に、彼女は伯玉の夢にあらわれた。
「あなたは神をご所望でしたね、わたしは今、神になりました」
伯玉ははっと眼が醒めた。それからは一生涯、河川を渡ろうとはしなかった。
以来、その河は妬婦津と呼ばれるようになった。
ここを渡る婦人たちは、皆、衣裳をつくろわず、化粧を剥がして渡った。
美服美粧して渡ると、神が嫉妬してたちまち風波を起こすからである。(後略)
いかにもなつくり話っぽさがありますが、洛神賦が引き合いに出されるあたりに曹植の詩聖としての評価を感じざるをえません
でも曹植の洛神への修辞麗句はやっぱり、過剰だと思います。
それこそ、段明光がヒステリーを起こして身投げしてしまうくらいに
(ついでにかつてつくった妬婦津ネタ)
他にもこれと似たような言い伝えに「妬女泉」というのがあって、これも、婦人が美服美粧をして渡ろうとすると、嫉妬した神が大雨を降らせて、必ず稲妻を光らせるらしいです(泉の場所は董卓の塁の近く)
75: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/26(月) 10:15:27.33
>>74
『酉陽雑爼』の話、初めて知りました。ありがとう。
でもこの話に甄氏のことは出てこないんですね。
段氏は河に身投げして死んだっていうから、本来の宓妃を意識して行動しているようにみえます。
つまり、晋の大始年間には、洛神=甄皇后説はあまり認知されていなかった?
↓
洛神=甄皇后説は、残念ながらあとから作られた話の可能性が高いのではないかと思いました。
『酉陽雑爼』の話、初めて知りました。ありがとう。
でもこの話に甄氏のことは出てこないんですね。
段氏は河に身投げして死んだっていうから、本来の宓妃を意識して行動しているようにみえます。
つまり、晋の大始年間には、洛神=甄皇后説はあまり認知されていなかった?
↓
洛神=甄皇后説は、残念ながらあとから作られた話の可能性が高いのではないかと思いました。
81: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/26(月) 22:39:12.78
>>75
『妬婦津』では、洛水で溺死した宓妃と河に身投げした段氏が対になっているんですよね。
わかります。でも、甄氏についての言及がなにもないのは、つくり話のなかで、特に登場させる必要性がなかっただけなんじゃないのかな~という気が
>つまり、晋の大始年間には、洛神=甄皇后説はあまり認知されていなかった?
どうなんでしょう(謎)。李善という人が、文選の注でそういう説を唱えているらしいのですが(658年頃)。
でも誰がなんのために、李善注の引く『感甄記』なる物語で曹植と甄夫人を両思いにしたんだろう…。
そもそも、曹植が甄夫人に横恋慕をしていたと最初に言い出したのは誰? 『感甄記』ていつ成立したんだろう?という疑問も。
皇室ゴシップ記事が大好きな正史裴松之注でさえ、曹植と甄夫人のチョメチョメに関しては、一言も拾い上げていない…(見落としがなければ)。
神霊記事も大好きな裴松之(372-451)なら、甄夫人の霊が枕を介して曹植の夢に現れたというホラー話を真っ先に取り上げてくれるような…。誰も聞いていないのに、『明帝、袁煕の息子説』を否定してくれるような裴松之が曹植と甄夫人の関係に触れていないのは信ぴょう性が全くないと判断したから?それとも裴松之の時代には『洛神=甄皇后説』が生まれていなかったからなのか?(謎)
でも、曹植の漢詩を全部、正史の注にのっけてくれるようなハッスルする人でもないから、裴松之至上主義に走るのもどうかとは思うんだよね
東晋以降、異民族に中国の北半分を取られてしまったのを契機に高まった蜀漢正統論も気になる。
曹植、
甄夫人は、「後漢を滅ぼした大逆賊」の曹丕に迫害されて悲劇の死を迎えたから、徐々に「判官贔屓」が芽生えていった?
でも、曹植は既に文人としての声望は集めていたはずだから、関係ないのかな
あと歴史ロマン的に気になるのは、曹植の「感婚賦」と「洛神賦」、モデルは同じだったりするのかな~、ということ。
『妬婦津』では、洛水で溺死した宓妃と河に身投げした段氏が対になっているんですよね。
わかります。でも、甄氏についての言及がなにもないのは、つくり話のなかで、特に登場させる必要性がなかっただけなんじゃないのかな~という気が
>つまり、晋の大始年間には、洛神=甄皇后説はあまり認知されていなかった?
どうなんでしょう(謎)。李善という人が、文選の注でそういう説を唱えているらしいのですが(658年頃)。
でも誰がなんのために、李善注の引く『感甄記』なる物語で曹植と甄夫人を両思いにしたんだろう…。
そもそも、曹植が甄夫人に横恋慕をしていたと最初に言い出したのは誰? 『感甄記』ていつ成立したんだろう?という疑問も。
皇室ゴシップ記事が大好きな正史裴松之注でさえ、曹植と甄夫人のチョメチョメに関しては、一言も拾い上げていない…(見落としがなければ)。
神霊記事も大好きな裴松之(372-451)なら、甄夫人の霊が枕を介して曹植の夢に現れたというホラー話を真っ先に取り上げてくれるような…。誰も聞いていないのに、『明帝、袁煕の息子説』を否定してくれるような裴松之が曹植と甄夫人の関係に触れていないのは信ぴょう性が全くないと判断したから?それとも裴松之の時代には『洛神=甄皇后説』が生まれていなかったからなのか?(謎)
でも、曹植の漢詩を全部、正史の注にのっけてくれるようなハッスルする人でもないから、裴松之至上主義に走るのもどうかとは思うんだよね
東晋以降、異民族に中国の北半分を取られてしまったのを契機に高まった蜀漢正統論も気になる。
曹植、
甄夫人は、「後漢を滅ぼした大逆賊」の曹丕に迫害されて悲劇の死を迎えたから、徐々に「判官贔屓」が芽生えていった?
でも、曹植は既に文人としての声望は集めていたはずだから、関係ないのかな
あと歴史ロマン的に気になるのは、曹植の「感婚賦」と「洛神賦」、モデルは同じだったりするのかな~、ということ。
感婚賦 曹子建
陽氣動兮淑清、百卉鬱兮含英。
春風起兮蕭絛、蟄虫出兮悲鳴。
顧有懐兮妖嬈、用掻首兮屏営。
登清臺以蕩志、伏高軒而遊情。
悲良媒之不顧、懼歡媾之不成。
慨仰首而太息、風飄飄以動纓。
おくゆかしく春の陽気が訪れると、数多の草木が芽生えては蕾をつける。
春風が騒がしくなって、虫たちも産声を上げ出す。
私は麗しいあの人を想っては心を騒がせ、頭を掻いては行ったり来たり。
静かな楼台に登り、想いを揺蕩わせ、高閣の欄干にもたれて気持ちを巡らせる。
良い仲人がいないことを顧みては悲しみ、この恋が叶わないことを憂えている。
嘆き、空を仰いでは溜息をついていると、風がひらひらと冠の紐を揺らしていく。
曹植「感婚賦」春と切ない恋愛詩
86: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/27(火) 14:41:02.33
>>81
>でも誰がなんのために、李善注の引く『感甄記』なる物語で曹植と甄夫人を両思いにしたんだろう…。
これは永遠の謎ですね~
曹植と甄夫人、最初に「二人をくっつけよう!」と思いついた人は大発見だと思います。
でも、これは別の人でも置き換え可能ですよね。
例えば、曹彰と甄夫人をくっつけたり、明帝は曹操の子だ!なんて妄想する方もいらっしゃいますし。
みんな甄夫人の貞操を何だと思っているのかwww
>あと歴史ロマン的に気になるのは、曹植の「感婚賦」と「洛神賦」、モデルは同じだったりするのかな~、ということ。
「感婚賦」も思わせぶりな作品です。
これも見方によっては、甄夫人のことを想っているように見えてしまう
個人的には、「感婚賦」の「これから妻を娶る」という状況は、自分が成人してこれから社会に出ていく状況と重ね合わせていて、その不安な気持ちを象徴的に表現しているのかなあと思います。
曹植は比喩表現を好む人なので、あまりストレートに自分の状況を描かないのではないかと思います。
でも、もしモデルを想定するなら、「感婚賦」の場合、曹植と曹丕がともに欲しがった邯鄲淳なんて如何でしょう?
曹操に「感婚賦」を示して、「僕はこんなに邯鄲淳先生のことを思っているので、ぜひ僕に下さい」と説得してたら面白いw
90: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/29(木) 02:29:40.65
>>86
感婚賦が「邯鄲淳が欲しい気持ち」という考え方は好きだな
それを読んだ曹操が「そうかそうか!」と笑いながら頷いている姿を想像してしまうw
感婚賦が「邯鄲淳が欲しい気持ち」という考え方は好きだな
それを読んだ曹操が「そうかそうか!」と笑いながら頷いている姿を想像してしまうw
引用元: ・三国時代の文学スレッド

