1: 世界@名無史さん 2020/03/12(木) 00:17:33.00 0
神聖ローマ帝国は大空位時代以降諸侯が事実上独立し、その後帝位を得たハプスブルク朝の領土への野心も主に帝国の外へと向けられ統一に向かうことはなかった

一方フランスにもアンジュ―帝国やブルゴーニュ公、トゥールーズ伯など王国に属していながら統一を脅かした勢力があり、王領がほんのわずかでしかなかったにもかかわらずそれらは全て駆逐され、更にその後ユグノー戦争をも乗り越えて再統一を果たした

どうして同じフランク王国から分裂したのにこれほどまでに違う歴史を辿ったのか?








2: 世界@名無史さん 2020/03/12(木) 01:25:07.94 0
王家が単一だったからじゃないか
カペー系の系統がどんどん相続していくから王領が巨大化した

39: 世界@名無史さん 2020/03/18(水) 16:36:01.59 0
>>2
同じ頃に始まった神聖ローマ帝国のリウドルフィンガー家が5代100年余りで途絶えるのに対しカペー家が初代ユーグカペー以降250年も続いたのが大きい

81: 世界@名無史さん 2020/04/23(木) 18:40:12.48 0
>>39
皇帝はオットー2世、ハインリヒ3世、ハインリヒ6世、コンラート4世、と大物を壮年で嗣いだ皇帝が悉く若死にして後継者が幼かったり断絶して集権化をぶち壊しにしてきたのがなあ。
ヵぺー朝はそうした後戻りはルイ9世の最初の一回だけやったし。

3: 世界@名無史さん 2020/03/12(木) 01:57:26.61 0
ドイツは細かいのぬきにすると4回王朝が入れ替わってて全く相続が発生していない、ゼロから再出発になる
フランスは全て男系でつながってるから前王朝の王領を全て相続できた
ザクセン朝からハプスブルク朝まで同一男系で相続が可能だったと仮定すると、ザクセン朝からニーダーザクセン、ザーリアー朝からフランケン、シュタウフェン家からシュバーベンの所領をひきつぎ、それにハプスブルクのオーストリアが加わればフランスみたいに統一的な方向にいけただろうね

4: 世界@名無史さん 2020/03/12(木) 02:09:07.69 0
王統が異なっても同じ帝国と認められる神聖ローマ帝国と万世一系(!?)のフランス王国
それぞれの継承システムが採用されるにあたって何か民俗的背景が?

5: 世界@名無史さん 2020/03/12(木) 03:19:47.20 0
だから断絶の有無が大きいとマルクブロックは書いてるよ
フランスも断絶したら神聖ローマと似た感じになった可能性もある

7: 世界@名無史さん 2020/03/12(木) 07:42:42.35 0
やっぱり国家が発展するには個人と同様、幸運も必要だわ

10: 世界@名無史さん 2020/03/12(木) 15:52:11.68 0
そもそも、神聖ローマ帝国は「ドイツ」じゃなかったからなあ

ボヘミア王カレル、シチリア王フェデリーコ、スペイン王カルロス

歴代のベスト皇帝ランキングでTOP5入りしそうな3人の大皇帝の本拠地が、ドイツ・オーストリアの外

12: 世界@名無史さん 2020/03/12(木) 16:02:40.14 0
フランク王国の初代クローヴィスが、パリに都を定めて1500年
フランス王国の初代ユーグ・カペーが、パリに都を定めて1000年

大昔からずっとパリが都だから、時が経つにつれて求心力が高まる

それに比べてドイツには、首都と呼べるようなとこがなかった

14: 世界@名無史さん 2020/03/12(木) 18:31:28.98 0
カペー家とカペー家の傍系が圧倒的に強く
それ以外の有力貴族家系が弱い

16: 世界@名無史さん 2020/03/14(土) 17:46:31.02 0
>>14
トゥールーズ伯、アンジュー伯、シャンパーニュ伯、ブルターニュ公、極め付けはアキテーヌ公とノルマンディ公(からのイングランド王を兼ねたアンジュー・プランタジネット帝国)

その後にもブールゴーニュ公やフランドル伯など王家に対抗しうる大諸侯はフランスにも多く存在したよ
(王家に寄生する形の大貴族しかいない)イングランドとは状況は違う

17: 世界@名無史さん 2020/03/14(土) 23:21:02.10 0
もしかしてアンジュ―帝国(とブルゴーニュ公)という共通の敵ができてしまったから他の貴族が王権との団結を強めて統一へ拍車がかかった?

18: 世界@名無史さん 2020/03/15(日) 00:06:11.84 0
イングランドと争ったおかげ

20: 世界@名無史さん 2020/03/15(日) 02:02:53.28 0
イギリスはフランスと、フランスはイギリスとの争いを通じて国民国家を形成

ドイツとイタリアは、オーストリア・ハプスブルク帝国との争いを通じて国民国家を形成

431: 世界@名無史さん 2020/06/23(火) 19:10:56.59 0
神聖ローマ帝国はただ単に統一できなかっただけでなく、イタリア・ルネサンスのような文化も生み出せなかったよな

シャルル8世はナポリ遠征の後、数十トンもの美術工芸品をフランスに運ばせた
またナポリにあったギリシア語、ヘブライ語、ラテン語、イタリア語、フランス語で書かれたアラゴン王の蔵書を1140冊も運ばせた

432: 世界@名無史さん 2020/06/23(火) 19:34:44.28 0
>>431
16世紀のフランドルでは、北方ルネサンスが開花した。
人文主義者のエラスムスが有名。音楽史に関してはイタリア以上の存在感がある。
まあ、フランドルの支配者が、ブルゴーニュ公国から神聖ローマ帝国に交代しただけで、それ以前からフランドル文化は素晴らしいものがあったんだが。

433: 世界@名無史さん 2020/06/23(火) 19:36:04.21 0
後進国とされるドイツだが、グーテンベルクが印刷術を発明し、そのおかげでルターのドイツ語訳聖書が普及したってことを忘れてはいけない

434: 世界@名無史さん 2020/06/23(火) 20:00:21.02 0
アウクスブルクのフッガー家だが、二代目、三代目になると、没落貴族の所領を買って伯などの称号をえるものもあった
ニュルンベルクの商人門閥のあいだでも、商工業面の活動よりも、市外の土地への投資を好む風潮が広がった

リスクの少ない生活の享受、年金生活への愛好が現れたのである

447: 世界@名無史さん 2020/06/23(火) 22:47:04.85 0
オーストリア帝国は東アジアでいうと大理みたいに、まったく多数派の民族がいない国

449: 世界@名無史さん 2020/06/23(火) 22:52:00.75 0
しかし弱い国同士がまとまって他国からの侵略を防ぐのは理にかなってる

488: 世界@名無史さん 2020/06/25(木) 18:57:29.28 0
ドイツやフランスにあった各小国と日本の藩は同じようなもの?

490: 世界@名無史さん 2020/06/25(木) 19:22:41.88 0
>>488
類似性はあるが
日本の方が中央集権性がはるかに強く、ウェストファリア後のドイツの諸領邦の独立性は高い
ドイツではたとえ小領邦であっても皇帝による国替えとか論外であったし、外交権の制限もできなかった
婚姻のコントロールも、諸役務の強制的な割り当ても不可能

489: 世界@名無史さん 2020/06/25(木) 19:10:57.83 0
戦国時代の日本を訪れた欧州人は天皇と幕府と大名の関係に教皇と帝国と諸侯の関係との類似性を見出した

491: 世界@名無史さん 2020/06/25(木) 20:35:33.44 0
徳川幕府の諸藩に対する拘束力は強かったからね
室町幕府と大名・土豪の関係のほうが近いかもね

492: 世界@名無史さん 2020/06/25(木) 21:09:31.68 0
日本は江戸幕府が強かったからこそ、明治政府は藩を全て廃止できたんだな
大名も首都に住むのが普通だったからこそ、領地から切り離されても文句は出なかった

494: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 09:25:42.61 0
日本では江戸幕府の力が圧倒的に強かったが、神聖ローマ帝国の場合、プロイセンとオーストリアという二大勢力の力が拮抗していた

496: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 09:54:57.86 0
神聖ローマ帝国の場合、日本と違って、ボヘミア・イタリア・ブルグントなど、ドイツ人以外の異民族が住む地域も含まれている

京都は日本国内にあるが、皇帝が戴冠するローマはドイツではなくイタリアにある

497: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 10:36:50.10 0
>>496
全てにおいて「時期による」としか言えん
マクシミリアン1世以降はローマでの戴冠すら不要になるしな

そもそも、あの帝国なんて呼ぶのかすらよくわからん代物だし

498: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 10:41:24.04 0
ブランデンブルク=プロイセンの力がオーストリアに対抗できるほど強くなったのなんてフリードリヒ2世以降だし
(オーストリアを除く諸侯の中で実力が抜けてきたのは三十年戦争のフリードリヒ大選帝侯からだけど)
イタリア失ったのはそれよりはるか以前だし

あの帝国時期によって政体も軍事も実質も建前も領域も変化しまくってて一概には語れん

501: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 12:49:32.51 0
>>498
>オーストリアを除く諸侯の中で実力が抜けてきたのは三十年戦争のフリードリヒ大選帝侯からだけど

17世紀から実力が抜けていたのなら、江戸幕府と同時期ではないか

>イタリア失ったのはそれよりはるか以前だし

17世紀は、ミラノ・南イタリア・シチリアなど、イタリアの主要部の多くがスペイン・ハプスブルク帝国の傘下。
18世紀に、それはオーストリア・ハプスブルク帝国に移った。

502: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 13:17:26.29 0
>>501
ハプスブルク君主国の世襲領であることと、帝国の範囲内であることは違うからな?
ハプスブルクは、ハンガリー、北イタリアを中心に帝国領域外の広大な世襲領を持っていた、というだけの話だったり

499: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 11:07:33.49 0
日本の場合、古代の一時期に律令制による統一国家があったけど、神聖ローマ帝国の場合、そういうものもないよな

500: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 11:50:58.63 0
日本の場合、統一国家になってた奈良時代や平安時代よりも、中世に日本人としての統一された文化や意識が共有されてる気がする
といっても一度統一されることが大事なんだろうな

506: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 16:14:08.37 0
七年戦争で、プロイセンが負けていたら、ヨーロッパの歴史は変わっていたのかな
後のドイツ統一もなかったかもしれない

507: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 17:13:21.39 0
オーストリアとか弱っちいからそのタラレバはなかったんじゃないかな

508: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 18:06:38.23 0
>>507
7年戦争は、順当ならプロイセンが完膚なきまでにボッコボコに敗北していたはずの戦争なわけだが(ロシアの某ピョートルがやらかさなければ)

7年戦争でシレジェン回復はならなかったけど、オーストリアはプロイセン相手に一定優位に戦いを進め、女帝マリア・テレジアの国際的地位を確立させた

510: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 18:37:37.00 0
プロイセンはベルリン陥落寸前まで行ったけど、でも単独になったらトドメさせなかったやろ?金もすぐなくなったし
勝ちきれないショボさがあるんだよ
ロシアがやらかさなければってタラレバならありだけど

511: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 18:57:51.43 0
>>510
七年戦争に関して言えば、ブランデンブルクの奇跡にほぼ集約される、プロイセンはロシアのピョートルの気紛れによってギリギリ勝ちを拾ったに過ぎない
単独ならとか、英国の全面的な支援がなければ戦えなかったのはプロイセンも同じだからね(まさに莫大な支援金とハノーヴァーにおける軍事的支援を得ている)
英国に「支援金止めるぞ」って言われたら言う通りにしないといけないくらいにはプロイセンも財政的余裕は皆無だったし

普墺戦争の頃と違って、プロイセンのオーストリアを比較してオーストリアが弱っちいとかいうことはない

512: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 19:04:33.87 0
>>510
フリードリヒ大王は、何度も銃弾がかすめて死にかかってるからな

30年戦争のときのグスタフアドルフみたいに、突然、死体で発見されたりしても不思議はなかった

514: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 19:16:02.76 0
>>512
七年戦争は、結局のところドイツ周辺のみで捉えるなら「プロイセンの実質的独立戦争」であって、プロイセンとその周辺が主に戦場となって荒廃したのよね
目的達成したから、プロイセンの勝利でまったくもって異論はないけど、まさに薄氷だったわけだな

オーストリアは、ナポレオン戦争でもナポレオンに一矢報いたりそこそこ軍事でも実力示したけど、その後のだらしなさはモザイク国家の限界だったのだろうか

513: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 19:13:58.82 0
この時代のプロイセンはまだ新興国で、ヨーロッパにおける国際的地位はそれほど高くなかった

七年戦争で勝利したことにより、プロイセンは北ヨーロッパで指導権を握り、もはやあなどれない勢力としてヨーロッパの列強の一員となり、それによって神聖ローマ帝国が「二元主義」に入ったことを示した

さらにポーランド、オスマン帝国に関心を示すロシアが、オーストリアの外交の行方に深くかかわる存在となった

515: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 19:38:13.32 0
大選帝侯の時代のプロイセンは、オーストリアはもとよりバイエルンやザクセンにもおよばない平凡なドイツの一領邦にすぎなかったということは、あまり知られていないよな…

517: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 20:33:56.17 0
>>515
まあ、三十年戦争の頃だとバイエルンとザクセンこそハプスブルクを除く帝国諸侯の盟主だからねえ
ザクセン公もポーランド王になってたりするし

バイエルンはともかく、その後のザクセンの凋落ぶりは悲しい
普墺戦争で領地半分プロイセンに取られる始末だし

518: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 20:35:02.53 0
>>515
あと、その頃はプロイセンではなくブランデンブルク選帝侯領だね

516: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 19:43:33.86 0
ヨーゼフ2世は、バイエルン継承戦争でバイエルンの獲得を目指し、それが失敗に終わるとバイエルンとオーストリア領ネーデルラントの交換を策した
これが成功していたら多民族国家オーストリアの「ドイツ」的部分が増強されただろう

520: 世界@名無史さん 2020/06/27(土) 22:27:32.98 0
>>516
プロイセンが北ドイツ、オーストリアが南ドイツとなり、南北ドイツは統一されず別々の国になっただろう

引用元: ・なぜ神聖ローマ帝国は分裂しフランスは統一したのか