1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/12(月) 01:32:11 ID:hf6Dnuae
とかいうことを話すスレです








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/12(月) 01:40:45 ID:i5qATDn9
1564年に書かれたガスパル・ビネラという人の報告書には、
「天皇は少しの兵ももっておらず、そのためいつも困窮していたが、国民達には尊敬されていた」
とある。

翌年の、宣教師ルイス・フロイスの報告書にも
「都には宗教上の位を持つ人がいて、日本人は天皇を日本の頭としてほとんど神であるかのごとく尊敬している」
と書かれている。

貧窮を極めた天皇であるが、それでもなお国民の大多数の人達に敬慕されている・・・・。
こうした外国人の見方は当時の状況をかなり正確に表したものだと考えられている。

ちなみに、フロイスは足利将軍にも触れている。
「威厳のある地位を持っているが、実力は乏しい。戦国大名はほとんどその力を認めておらず、尊敬もしていない」

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/12(月) 02:04:24 ID:JRczWY5L
戦国時代は即位式のお金すらなかったり内裏修理費すらなかったりと大分困ってたそうだ
時折、大名からの献金があったり(官位と引き換えのケースが多い)してなんとかもっていた
信長が台頭すると御料所回復や継続的な支援が得られるようになり落ち着いた

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/12(月) 02:09:55 ID:f3lopGy5
奥野高広氏の研究の中で室町後期の皇室御収入という項があり、1487~1569までの82年間の御領毎の収入表を掲げ、1521~1569までの平均収入額は620貫文、他に禁裏御修理費として125貫文、合計で750貫文ほどらしい

他に雑収入や献金などの臨時収入もあったと考えられるので、事実はこの額以上らしい。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/14(水) 02:42:15 ID:WlJ3chJz
>>9
信長が石山本願寺から徴収した税が五千貫じゃなかったか?

皇室の台所事情、寒すぎ。

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/14(水) 20:31:40 ID:b2fcKuuB
>>21
あくまで御料所や禁裏修理費の徴収での収入なんで、実際はもっとあるようだよ
何より献金額が大きいようだからね
でも後奈良天皇なんかも即位式が行えず、献金によってようやく出来たから、経済事情が相当逼迫してたのは確かかと

ちなみに室町前期だとこの御料所収入は7500貫文あったらしく、戦国期に10分の1に落ちてるらしい

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/15(木) 11:20:47 ID:Z2BZ2gTe
各地(地方)の豪族達が位を貰う為に相当の貢物をしていたのはあた

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/19(月) 16:42:59 ID:9PTVnzhY
後柏原天皇 明応九年(1500)践祚→永正十八年(1521)将軍義稙や本願寺の費用調達で即位

後奈良天皇 大永六年(1526)践祚→天文五年(1536)諸大名の献金で即位
(諸大名・・・北条、大内、今川、土岐等の名前が出ている)

正親町天皇 弘治三年(1557)践祚→永禄三年(1560)毛利らの献金で即位

と徐々に期間は短くなってはいますが、随分時間がかかったものです

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/25(日) 22:47:38 ID:82lvwzAH
古式な朝廷の財政収入は詳しい事はあまりわからない。
神宮からの貢送やわずかばかりの勤皇家達からの善意でくらしていたんじゃないのかな。
実力をもった大名からの支援はあまりなさそう。織田家は結構していたらしいが。

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/26(月) 14:07:55 ID:J4Khsh1H
武家が叙位・任官されるときに馳走(礼銭)を出すしきたりだった
信長も最初のうちは「こういうときは馳走を出すものですよ」とたしなめられたりした

37: 33 2006/06/27(火) 14:15:19 ID:J9+7njt5
>>32の補足だけど、礼銭を出すという約束で叙位されながら、叙位された後は催促無視で踏み倒した詐欺まがいの事例もあって、担当の公卿が日記に愚痴を書き残したりもしてる。
無知な俺でも知ってるからにはたぶん有名な言継卿記にあった話だと思うが記憶が定かでない。

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/27(火) 03:30:08 ID:asCv9dRp
後奈良天皇の十三回忌の法会でも金がなかったらしい。
結局山科言継が岐阜まで直接出向いて信長・家康から二百貫の献金を受けたとか。

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/25(日) 22:01:06 ID:YukMO7q7
素朴な疑問なんだけど、禁裏は誰によって警備されていたの?

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/26(月) 14:20:23 ID:J4Khsh1H
>>30
将軍家が京で健在のときは大番がいた
(大番催促って高校で習うよね?)
公家が警護を勤める禁裏小番というのもあって、これは摂関家以外の公家ならみんな勤めた

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/26(月) 17:05:08 ID:N5ClZGxM
大番って鎌倉幕府の職制で、南北朝までじゃないか?
室町では侍所が担当で御門役奉行が置かれたと思うが

禁裏小番は活躍したみたい

37: 33 2006/06/27(火) 14:15:19 ID:J9+7njt5
>>35
その通りだね。
禁裏小番に話をつなげることばかりが頭にあって思いっきり筆が滑ってしまった。ごめん。

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/29(木) 02:04:55 ID:cvVAlLFv
>>1
その頃の天皇の現実政治と関わりが深い大きい行為としては、官位授与と改元が挙げられる。

朝儀の費用や官位の礼銭は、命の綱ともいうべき収入となっていた。
まさに彼らは、官位授与と改元をなりわいとする、政治的職能集団だったのである。

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/29(木) 16:15:31 ID:t3w9/Dkz
後奈良天皇なんぞはせっせと手紙書いて金もらってたみたいらしいな。

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/29(木) 16:32:01 ID:c8YDLsMo
官位濫授の例としては、本来幕府の侍所頭人しか与えられなかった左京大夫を一時期に大内義興、伊達稙宗、武田信虎、北条氏綱に与えたことがあげられる

稙宗は旅費を含めてだが、二百五十五貫文使ったそうだ


57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/12(水) 23:40:26 ID:TOfKt/Mw
天皇の妻はどこから迎えられていたんですか?

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/13(木) 10:36:06 ID:A35/IVz+
この時期の天皇に「正式な妻」はいない。
適当なお公家さんの娘が女官仕えしているのに手を着けるという・・・

正式な妻が復活するのは正親町天皇(女御・正親町町子)からだったっけ?

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/13(木) 16:23:37 ID:AHjEoA4W
後陽成天皇の女御、近衛前子じゃね
ところで正親町町子って?

ちなみに中宮はずっといないんだね
後醍醐帝、西園寺禧子、珣子内親王
光厳帝、懽子内親王、以来

後水尾帝、徳川和子まで、女院はいるけど

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/13(木) 16:59:45 ID:AHjEoA4W
ところで皇室の窮乏の話のつづきだけど、

後土御門崩御の時は、葬儀の費用がなく、四十九日間黒戸の御所に置かれたそうだ

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/15(土) 16:24:58 ID:9j1D7g9b
信秀のおっさんみたいな田舎大名はちまちま貢いでたみたいだけどな

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/16(日) 00:33:41 ID:0n761hH+
四千貫ってちまちまなんだ
それとも、四千貫を何度も貢いでいたとか?

63: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/16(日) 00:36:06 ID:3q5UPyra
今で言うと一貫が十万円ぐらいだっけ?

146: 人間七七四年 2007/04/07(土) 01:35:19 ID:ArSmcmx3
>>63
江戸時代だと屋台の蕎麦1杯が16文
現代の貨幣価値だとまぁ16文=300円くらいだろうか
これだと4千貫で7500万円
通常は1文=25円(屋台蕎麦=ファストフードが400円)とされるがそれだと1億
売春婦は一番安いのが24文(1文25円で600円、18.75円で450円)
どっちにしろ激安
人間の値段が安かったんだな

100貫で188万~250万円、20貫だと38万~50万円
信秀以外の大名はご祝儀程度だな
やる気ない

20万貫の大名(小田原征伐後の佐竹程度)で年収37億円
太閤検地の常陸と尾張の石高は大差ないから
勝幡織田家の国家予算は傘下の小領主分込みで年20億くらいか
そっから7500万~1億円の拠出(下心あり)を高いとみるか、40万~250万円しか出さない他の守護クラスの大名がセコイとみるか

147: 人間七七四年 2007/04/07(土) 15:15:08 ID:TJ6DZNad
>>146
米価換算・物価換算どっちで算出してる?
どちらを採用するかでかなり差が出る。

69: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/25(火) 15:46:54 ID:250M6HAG
天文四~五年(1535~36)後奈良天皇即位の礼のための献金

大内義隆 2140貫+100貫
朝倉義景 100貫
長尾為景 100貫
土岐頼芸 10貫

70: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/25(火) 15:50:09 ID:250M6HAG
永禄元~三年(1558~1560)正親町天皇即位の礼のための献金

毛利元就 2000貫
朝倉義景 100貫
三好長慶 100貫
北畠具教 20貫

73: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/29(土) 23:01:59 ID:8ZEE5HEy
>>70
北畠が寄進少ないのは伊勢国司として、まだ北朝の天皇に抵抗でもあったんだろうか。

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/31(月) 13:45:34 ID:dLAkCeci
教具以来、親幕府に転じた、北畠氏
戦国期は北朝も南朝も気にしていないのでは

ちなみに永正七年(1510)北畠材親が大納言に任じられたが、このときの献金は、天皇に二十貫、人事を周旋した三条西実隆に五貫
経済力の問題と思う

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/02(水) 13:50:54 ID:CYl+4rJu
今谷明氏によると、官位に対する献金の相場は、三十貫

それにみたない事を理由に、蹴られた事例もある
畠山義総や土岐頼芸

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/02(水) 21:08:17 ID:fEmFvtnV
最低では二十貫の例もあるよ

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/04(金) 13:51:31 ID:EPr7+mWz
戦乱や老朽、大雨などで酷く痛んだ内裏の、修繕費向け献金

天文十年~十八年

織田信秀 四千貫
今川義元 五百貫
麻生興益 三百貫
本願寺   百貫
阿蘇惟豊 百貫

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/04(金) 14:16:26 ID:taafYsel
信秀のは異常としかいいようがない。
さすがは神主の血筋。

79: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/04(金) 14:21:38 ID:EPr7+mWz
三河守欲しさもあるんだろうけどね

それにしても破格だね

80: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/04(金) 14:28:11 ID:czP6dbyj
ていうか四千貫てちょっとした城が建つよな。

信長の朝廷軽視(に見える行動)て親父が献金しまくった事への反動なんじゃないかって気がしてきた。
くだらないことに会社の金使いこんでんじゃねぇよ、みたいな(w

82: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/04(金) 14:35:18 ID:taafYsel
信長の朝廷軽視って、天正改元と暦の変更と右大臣返上だっけ。
でもこれって信長の理想の追求が朝廷の思惑を超えただけで、別に軽視とかいうのとは少しだけ違う。

519: 人間七七四年 2011/06/13(月) 13:14:40.23 ID:Io28IFU+
戦国時代は、成長期だったので、朝廷にも結構、寄進があり、結構、裕福だったのかな?

520: 人間七七四年 2011/06/13(月) 22:22:24.61 ID:7uB1MQpy
官位を得るには応分の見返りが必要だからな。

522: 人間七七四年 2011/06/14(火) 02:33:34.69 ID:eYxVIvNf
>>520
その礼金を賄賂として嫌った結果、ど貧乏に陥ったからな
一条大内の時は

524: 515 2011/06/14(火) 18:48:21.37 ID:If02J++i
ここで日本皇室大鑑より、御奈良帝の御事跡を要約して引かせて頂く。

父帝後柏原帝が崩御の折りに、幕府からの献金が足りず、大葬を先にし、践祚を後回しにされそうになる。
前例が無いとして、幕府と交渉、何とか両儀式を行なうことが出来た。(1526年)
しかしお披露目である即位式挙行にはその後10年を要した(1536年)。
大内氏二十万疋、朝倉氏一万疋の献上が大きかった。
即位式の年から兵火が洛中に及び、3年後には諸国に洪水・凶作・餓死・疫病蔓延の惨状を呈した(1539年)。
帝は般若心経を宸写され、諸国一宮に奉納された。
「天下万民多く死亡す。朕、民の父母として、不徳であり、心痛である。
この般若心経が疾病の妙薬となることを願う。」(要約)
と、奥書に宸禁を滲ませている。
帝は御在位中朝儀の再興と売官の抑制二つを心掛けられた。
在位32年、宝算62にて、崩御(1557)。

525: 人間七七四年 2011/06/15(水) 01:10:44.40 ID:kIKCNDrG
売官行為そのものは前近代価値で言えば決して非難されるものでもないんだよな
官職につくための合理的な規定が予め定められている訳でもないし。

526: 人間七七四年 2011/06/15(水) 07:37:56.53 ID:3IEcJc/Q
つーか、現在の企業でも中元・歳暮とかはするわけで。
そこには社内で有利になりたいという意思があるんだよね。
それと売官がどう違うかという。

530: 人間七七四年 2011/06/28(火) 18:10:19.58 ID:ahxUykvo
我慢に我慢を重ねてやっとできた即位式、なのに直前になって将軍の野郎は・・・

533: 人間七七四年 2011/06/29(水) 20:16:54.88 ID:is3YykFU
>>530
当時いかに天皇の権威が失墜していたかのいい例なんじゃ?
ま、その後幕末に錦の御旗と崇められるまでは割と空気だったな

536: 人間七七四年 2011/06/30(木) 21:18:50.40 ID:H6VChINn
>>533
>当時いかに天皇の権威が失墜していたかのいい例なんじゃ?
 
武家も宗教も朝廷の後ろ盾なしには、正当性を主張できなかった事実は中世通じて変わりがない。
御料所収入が落ち込んだのは治罰を行うべき幕府や管領の衰退が直接原因でしょ。

仮に権威失墜が起こったのであれば、神祇不拝を教義化する仏教があっても良さそうだがそれもない。
むしろ反本地垂迹説を受け容れる仏教があった宗教面での流れは、天皇権威の上昇を示した。

当時、朝廷権力は失墜したんだろうが、権威はたいして変わってない。

538: 人間七七四年 2011/07/02(土) 17:57:22.32 ID:osA566qT
当時の源平藤に対するこだわりって半端ないじゃない。
皇統との繋がりが領地支配の正当性を担保する側面もあったということだ。

539: 人間七七四年 2011/07/03(日) 14:00:25.51 ID:ZigRrlq1
戦国には自称後南朝て現れないんだな

541: 人間七七四年 2011/07/04(月) 03:14:41.54 ID:BVXKsdkY
血筋的にはそもそも持明院統が優位なわけだし、足利が強引に擁立し、合一した点を除けば北朝自体に正当性に欠ける部分が無い。
御維新や終戦の混乱期などに南朝が持ち上げられるのは本来ナンセンスであると考える。

542: 人間七七四年 2011/07/05(火) 00:05:30.65 ID:uQdMiMQQ
ご維新つーか、明治にだいぶ入ってからじゃなかった?<南北正統論争。
そもそも、あれは南朝を正統とした水戸学の流れを組む議論なんだから、幕府終盤からずっと引きずってきた論点をやっと整理したに過ぎないと思う。
で、南朝正統は単に当時の学会で多数を占めてたからそっちになっただけ。
そもそも「学会」自体が水戸学の流れに引っ張られてたわけだが。

543: 人間七七四年 2011/07/05(火) 21:38:22.52 ID:HEZApCpi
違うよ
南朝正統説の流れを決めたのは、水戸学・朱子学、ついでに太平記を賞賛する政治家とマスコミ。
帝国議会の質疑で「教科書がけしからん」と騒いだ奴がいたのがきっかけ。

544: 人間七七四年 2011/07/06(水) 22:53:48.12 ID:toiIHxG1
南朝正当とか言って、明治天皇も賛成だったのか?

545: 人間七七四年 2011/07/07(木) 06:58:02.72 ID:eKiKiy4r
>>544
それはわからない。あくまで下々の者が議論して、南朝正統という結論に達した。
明治大帝はその結論を受け入れた。
賛成だったのか、しょうがなく従ったのか、記録にない。
つーか、明治大帝~今上天皇まで、個々の問題についてどう考えられていたか、記録に残っている方が圧倒的に少ないだろう。
今の皇室典範の議論だって皇室の方々がどう考えられているか、まったく表に出てこないじゃないか。

結局、万世一系という建前を貫くためには皇統分裂をいう事実を否定したかった明治の思想家のゴリ押しに過ぎないわけで、どうでもいいんだけどね。

555: 人間七七四年 2011/10/06(木) 19:53:54.61 ID:xrUyExs0
天皇制が一番危うかったのは承久の乱だったのかな?
南北朝のように別に天皇を立てるとかそういう事出来なかったのにあっさり幕府勝っちゃったし
逆に言うと何でそういう状況で朝廷への処分があの程度で終わったのだろうかね

619: 人間七七四年 2013/09/25(水) 15:18:14.58 ID:G3FYtr2z
あの時代に天皇権威なんてあるのか?
ほとんどの武将は「天皇?何それ?おいしいの?」程度の認識だろ。

620: 月孔雀 2013/09/25(水) 15:41:35.15 ID:kyopUZE/
朝廷に金払って、官位を貰うのが戦国武将

621: 人間七七四年 2013/10/10(木) 11:21:20.53 ID:N6XnP5lW
>>620
それは大名化した武将だろ。
一般的な武将にとって天皇や朝廷なんて本当に実在してるのかも疑わしい世界。

622: 人間七七四年 2013/10/10(木) 11:34:47.03 ID:Z1Ug+wFm
視野の違いだな。
この時代も身分や家格や名分が重要であった。
朝廷を滅ぼすことを誰もしないのも、上記の構造を守っていく方が有利だからだ。
権力だけでは日本は治められない。
権威も非常に重要だったのだ。
特に武力と支配力をつけたものほど、広大な領域を支配すればするほど壁に辺り、権威を持って賊を討つ形を取りたがる。

694: 人間七七四年 2023/08/01(火) 16:02:17.86 ID:2WfUYw5o
本願寺からはまとまった金額の寄付があったそうだ

697: 人間七七四年 2023/08/08(火) 10:19:40.56 ID:fIjegSSL
本来は室町殿が官職の推挙を行ったけど、室町幕府の衰退によって全国の勢力が直奏を行うようになったから、そのために天皇家にこぞって献金したので戦国時代の方が生活は良かったと思う

引用元: ・天皇って戦国時代どうやって暮らしてたの?