1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/20(木) 21:47:20 ID:52Sv0tnY
三管四職








171: 人間七七四年 2009/10/05(月) 13:49:40 ID:gfxW0C69
赤松の由来はどこだ? 赤松庄とかあるのん??

172: 人間七七四年 2009/10/05(月) 21:19:23 ID:m6X1MS3V
>>171
播磨国にあった赤松村が元。
赤松村は佐用郡と赤穂郡の境目に位置し、明治の廃藩置県で基本的に赤穂郡に属したが、一部は佐用郡に繰り入れられた。

173: 人間七七四年 2009/10/20(火) 16:15:24 ID:zhhpW0Lq
もともと播磨の土豪なのね。

175: 人間七七四年 2009/11/06(金) 15:35:44 ID:oSzLicPD
>>173
南北朝期に急拡大したわけか。

179: 人間七七四年 2010/01/13(水) 12:20:25 ID:WsT7SYmg
嘉吉の乱を起こしておいて、よく御家再興が果たせたな。
神璽奪回って、播磨守護にも匹敵するほど大事なものなのかね?
嘉吉の乱(かきつのらん)、または嘉吉の変(かきつのへん)は、室町時代の嘉吉元年(1441年)に播磨・備前・美作の守護・赤松満祐が、室町幕府の第6代将軍・足利義教を自邸で殺害し、領国の播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱である。

180: 人間七七四年 2010/01/13(水) 12:41:48 ID:64mCZX0X
山名の牽制に必要だった

182: 人間七七四年 2010/02/17(水) 18:27:36 ID:N3fjPcaf
>>179
嘉吉の乱の時に、細川持之は実は知ってたんじゃないかって話もあるしね。
後々、お家再興に子の勝元が後押ししてるし、ありえない話ではないだろうね。
背景にある山名宗全の存在が大きいんだけどね。

183: 人間七七四年 2010/02/17(水) 21:17:36 ID:Dgcm5R5L
ガセネタだったけど、巻き添えになった
大内持世あたりはそう信じ込んでいたらしいね

大内と細川の仇敵関係の構図は山名衰退後もずっとつづくから根が深い

49: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/11(木) 19:54:13 ID:uY8aq0X7
晴政-義祐-則房-則英

赤松家代々の諱って何だろ?
最後は「則」の字になってるけど。

78: 人間七七四年 2007/10/06(土) 01:02:29 ID:mxrcYcRU
>>49
赤松家周辺の武将で「範」の字を付けてる奴は、「則」を憚ったのかな?

79: 人間七七四年 2007/10/06(土) 01:29:11 ID:WpHhF5cT
>>78
赤松宗家でも「範」を用いる人はいるので、当人の好みで則と範を使ったのかもね

50: 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/01/11(木) 21:17:02 ID:75GaMVin
則でいいだろうよ。系図眺めてても一番多いし。

204: 人間七七四年 2010/12/14(火) 20:30:48 ID:Ilz6bDji
晴政は義晴から一字もらってるけど、義祐は義輝?義昭?のどちらだろ?

206: 人間七七四年 2010/12/17(金) 02:39:50 ID:Q8uFts7R
義の字は義則以来の伝統でしょ。晴政の親も義村だしな。
その義則は元々は足利義詮からだと思うが。

209: 人間七七四年 2010/12/28(火) 19:53:23 ID:SOASEfOn
>>206
代々将軍から拝領してるんじゃないの?

194: 人間七七四年 2010/10/04(月) 05:34:06 ID:dj8gS6iw
赤松氏研究はまだまだこれからの分野だから、まずは各地方の資料をまとめる所からだろうなぁ。
大きく分けて、大名時代の播磨・備前・美作、旗本時代の上総、有馬氏の筑後。

196: 人間七七四年 2010/11/09(火) 20:10:26 ID:nQ+eGteV
久留米有馬って仮冒だろ

197: 人間七七四年 2010/11/10(水) 05:29:24 ID:Xi7FDpRW
赤松氏の一族が摂津の有馬に領して有馬氏になり、関ヶ原などの功績で久留米21万石を拝領した。
元々九州にいた有馬氏とは全く別だが、仮冒ではなく、こちらはこちらで由緒ある有馬氏で、赤松一族だよ。

221: 人間七七四年 2011/01/25(火) 02:36:03 ID:Xvu8pF9F
男爵赤松則良について。
御家人吉沢雄之進の子で、祖父は赤松良則。
赤松氏の末裔で赤松政秀がかつて領有していた龍野で干鰯問屋をやっていて、名門の末裔と大商人だった事とあり、名字帯刀を許されたとある。
則良は良則の娘の子で、造船関係に関わるきっかけとして大身旗本で幕末の軍艦奉行赤松範静がいた。
この赤松範静の範の文字をとって、則良は息子に範一と名づけたとするのが有力。
範は七条赤松家でよく使う文字で、基本勲功ではあるが、旗本赤松家の名跡を継ぐような形で、男爵を拝命したと考えるのが自然だね。
則良は静岡藩に移ったけど、実は赤松範静も静岡藩に移った形跡がある。

224: 人間七七四年 2011/01/29(土) 20:51:45 ID:4Whz4l+G
>>221
庶民が名字貰っただけで血統的には播磨赤松とは無関係?自称子孫?

225: 人間七七四年 2011/01/30(日) 17:52:04 ID:nZjrBObF
>>224
旗本赤松家は大身旗本で有馬とかなり濃い親戚で、江戸初期から名家の末裔がよくなるとされる御伽衆だったり、寛政系譜にも載ってるから、播磨赤松家の末裔とするのは良い。というか現在唯一確証を持つに値する赤松家の血筋だね。

一方で赤松則良はたしかに怪しいと思ったほうがいいだろうな。
母方の祖父の血統が江戸時代から龍野藩で赤松姓を許されたとあって、当時から末裔として藩レベルで認知されていたのは確かだろうから、いわゆる明治の新姓(完全自称)とは違う。
この一族と旗本赤松家の関係についてはまだ研究中。
何かしらの関係を持ったのは範静と則良の立場を見れば明らかなんだが。

227: 人間七七四年 2011/02/06(日) 12:58:39 ID:s9Sz5wx1
>>221
へえー

名門扱いは受けていたんだね

233: 人間七七四年 2011/03/20(日) 21:27:07.60 ID:53kQIJvR
自称赤松って武将あんまいないな

236: 人間七七四年 2011/03/26(土) 21:12:26.33 ID:rLnFtl8D
古くに滅亡した家系のほうが自称元には適してる。
赤松は江戸にも続いてたし、それは難しい。
宮本武蔵が赤松の末裔なんて話はあるけどもろ戦国時代の話だしなぁ。

237: 人間七七四年 2011/04/03(日) 15:11:56.06 ID:07P3ibSm
宮本武蔵はどうなんかねぇ

238: 人間七七四年 2011/04/03(日) 16:40:58.51 ID:ntZma4QI
武蔵の生家とされる新免氏は赤松氏の一族と言われてるけど(円心の次男貞範の系統)、貞範から数えて4代の家貞の代で途絶え、娘の子の貞重を養子にとって家督を継がせ、その家が新免家だから新免を称したそうな。
武蔵の親父の無二斎はその新免氏の家老格だった平田氏の出で、新免の婿養子になって新免を名乗ったようだな。
武蔵はその無二斎の実子でなく、養子とも言われてるから、繋がりがあるとしても縁遠いね。

239: 人間七七四年 2011/04/03(日) 16:47:14.18 ID:ntZma4QI
養子説の場合は生家は田原氏になるね。
この田原氏も赤松の一族。家貞ってのも2人いるし、ややこしいわw

218: 人間七七四年 2011/01/13(木) 06:44:13 ID:DruCgmEJ
摂津有馬は赤松則祐の五男義祐の末裔という、赤松氏の庶流。
有馬則頼の活躍で久留米藩として栄えたが5代で絶え、大身旗本赤松範恭の従弟の則維が養子に入り、以後この家系が幕末まで続く。伯爵。

旗本石野・赤松は赤松範資の末裔という、赤松氏の庶流。
赤松政則の養子となる事で惣領家入りした赤松義村の弟の末裔で、有馬則頼の娘婿の石野氏満の家系が生き残り、大身旗本として交代寄合となり、外国奉行、軍艦奉行など要職を歴任し、幕末まで続く。男爵。

有馬を語るのに石野・赤松は欠かせず、石野・赤松を語るのにも有馬は欠かせない。

219: 人間七七四年 2011/01/13(木) 20:54:33 ID:PdG0yWoB
有馬則維は旗本石野・赤松の氏任の弟で、わずか300石の則員の子だが、元々は有馬家の分家旗本有馬規故の養子になっていたから、最初は有馬本家を継ぐ予定はなかったのかな。
30~50倍の領主になれるとわかっていたら、本家のほうを入れちゃうだろうし。
幕府も絡んでいたようだし、色々と事情があったんだろうけど、気になるな。

また、則維は栄達を果たしたが実家にはどんなメリットがあったのか。
宝永年間に有馬の家督を継ぎ、同じ宝永年間に本家の範恭が赤松の家名を正式に再興しているから、そのへんに絡んでるのかもしれないな。
日光奉行という要職で2000石の足高もあるし、この後も幕府の要職に度々就いているしね。
ただ、やはり21万石に比べると、パっとしない気がする。

240: 人間七七四年 2011/04/04(月) 00:33:54.62 ID:FRmHCab8
摂津有馬って家格的にはどうなの?
三魔持家の末裔だが分家。でも母親は細川澄元の娘

241: 人間七七四年 2011/04/04(月) 05:42:10.72 ID:yXVo6q/w
三魔の持家から3代後の則秀は赤松とも称されて、その子が惣領の家督候補として推されたから
このへんまでは家格は高かったんだろうね。
嫡流はそこから3代後に断絶して、重則や則頼が継承したわけでもないから、摂津有馬氏も正確に
言えば断絶してるんだよね。
則頼はその摂津有馬の分家で、あまり本家との結びつきがあった形跡はないけど、
父の重則が細川澄元の娘を娶ってるから、家格が悪いというほどなかったのかもね。

242: 人間七七四年 2011/04/04(月) 23:49:29.28 ID:moL452Kz
まあ有馬本家と則頼は従兄弟だったからそこまで遠いわけではない。
それに細川はあれだったから、それに便乗して嫡流争いしていたんじゃない

243: 人間七七四年 2011/04/06(水) 03:23:20.30 ID:8gz6zqT8
しかし、赤松家関係者として筑後久留米23万石の大名にまで栄転された有馬はすごいと思います
それがしは、有馬さんについて活きます

244: 人間七七四年 2011/04/06(水) 04:19:10.54 ID:NcIM9vnk
有馬家は則頼が世渡り上手だったのと、強運が何度も重なったというのがあるね。
ただ、その久留米藩の嫡流が途絶えた後に旗本赤松(石野)が跡継ぎになったって所に面白さを感じる。
有馬のほうにまったく男子がいなかったわけでもないのに、則頼まで遡らないと繋がらない
血統(娘婿の系統)で繋げていったわけだからね。
有馬の分家も赤松(石野)が跡継ぎになってるし、単なる偶然とも思えないね。

254: 人間七七四年 2011/05/06(金) 11:24:13.01 ID:iuzNqyM+
赤松則房系は断絶?

255: 人間七七四年 2011/05/06(金) 17:33:11.32 ID:qCgPNX++
断絶。娘の家系はわからん。
今のところ残ったと言えるのは七条系(旗本)くらい。
まぁ則房も元々七条系だけどな。

257: 人間七七四年 2011/05/17(火) 11:44:23.13 ID:JUFzskow
関ヶ原で赤松則英、斎村政広、赤松祐高の3人の大名がいずれも西軍についたけど、これは利口じゃないね。
政広は寝返ったのに謀殺されたから不運だったが。
妻(宇喜多直家の娘)も離縁しとくべきだった。

261: 人間七七四年 2011/05/18(水) 23:12:34.39 ID:/Gy7S62n
>>257
領地的に厳しいんじゃないかなぁ。東軍参加を表明したところで毛利・宇喜多が大坂行くついでに踏み潰されるよ。

262: 人間七七四年 2011/05/19(木) 00:47:25.03 ID:XvjtDOxX
斎村政広は但馬だから地理的にはどっちでもいいけど、妻が宇喜田家だから、仕方なくって感じだろうね。

264: 人間七七四年 2011/05/28(土) 20:58:33.26 ID:oinDCsKN
斎村政広ってうちの地元じゃ今でも「あかまっつぁん」て呼ばれて墓碑も建ってたりするけど、後から来た割りには、山名氏より慕われたのかな

265: 人間七七四年 2011/05/29(日) 01:15:58.07 ID:PY3T2rJ3
竹田城最後の城主だからでは?
竹田城址って今は天空城として名所だしね。

266: 人間七七四年 2011/06/02(木) 01:25:13.33 ID:Q08CqNUr
短い間だけど統治もそれなりに評判が良かった。

三公七民とかいうアホみたいな低税率でちゃんとやってた。

267: 人間七七四年 2011/06/02(木) 10:15:00.37 ID:wkKvA2Xm
その評判が400年後も生きてるとはとても思えないけど、兵庫県だと赤松氏は古い領主として郷愁を感じる人は少なくないみたいね。
それにしても儒学にも通じていたし(藤原惺窩はその死を惜しんだ)、人材的にももったいなかったな。

272: 人間七七四年 2011/06/25(土) 01:24:31.39 ID:Jr+MoUfo
最近播磨の赤松、小寺、別所、浦上、黒田あたりのごちゃごちゃした争いを勉強してるがなかなか楽しい

300: 人間七七四年 2011/09/11(日) 02:25:27.68 ID:lOT3ONqp
播磨を見ていると、当時の国人領主はみな独立勢力だったんだなということがよくわかる

引用元: ・播磨赤松氏について語るスレ