1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/31(日) 14:02:34 ID:Dki/eEXM0
董卓(生年不詳 - 初平3年(192年)4月23日)は東漢末期の武将。字は仲穎。董紹の子で、兄に董擢、弟に董旻がいる。子の名は不明。隴西郡臨洮県の出身。若い頃より武芸に優れ、性は豪胆にして快活。軍人となり、異民族の戦いなどで功を立て、勢力も拡大。霊帝没後、洛陽に入って献帝を擁立し、朝廷で権勢をほしいままにする。長安に移った後も専横を続けたが、養子の呂布に殺された。








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/31(日) 19:44:37 ID:6ZnMCvuYO
異民族の血を引いていたとか聞いたけど本当のところはどうなんだろう?

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/31(日) 19:48:47 ID:AGK+BCTy0
隴西の出身なら異民族の血は多少なり引くだろう。

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/01(月) 15:47:35 ID:BsG5OiwH0
ちょっと実際以上に悪く言われているところがあるね、この人は。
多少はまじめに政治をやろうとしていたふしもあったようだし。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/02(火) 00:05:07 ID:i8y5QgF+0
相国って、今までに誰が成ったんですか?

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/02(火) 15:20:10 ID:O8SaJtfJ0
>>10
相国についたのは、蕭何と曹参という建国の大功臣だけだったので、それ以降、漢代を通じてみんな遠慮していた。永久欠番のような存在になっていた。
それを董卓はやっちゃったわけ。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/02(火) 01:40:30 ID:sQgCPkgF0
悪事っていうけど遷都は曹操が献帝を許に移してるし皇帝の廃立なんかその後勝手に皇帝を僭称した奴等に比べればマシだし
陵墓暴きも専門の職を作った魏には劣るし
貨幣の偽造も経済の混乱をとめようとする政治だし
三国志の英雄なら誰でもやってることばっかなんだよな
トウタクに限ったことじゃないけど敗北者は実像異常に悪くかかれるからな

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/02(火) 11:34:15 ID:v6mzOWGL0
改革が急過ぎたよな。

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/02(火) 12:16:38 ID:iuuVYtjl0
ブレーンにしようとしてた清流派の連中にそっぽ向かれて結局裏切られたって感じだね。この人。

まあ、清流派の連中にしても、辺境上がりの野蛮な軍人に頭下げたくなかったんだろうけど。

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/02(火) 03:45:29 ID:8usyoPeH0
陽城の件は擁護できん

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/04(木) 18:41:45 ID:ZpCwVxlz0
まあこういっちゃなんだが
所詮、戦上手なお山の大将でしかなかったような。

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/04(木) 23:41:57 ID:4eCPVGmN0
>>21
でも黄巾賊討伐には失敗しているよね。

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 13:33:29 ID:r2t43b9l0
機知に富み、士卒の気持ちがわかる親分肌の人間であったらしい。

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 13:59:55 ID:5v0z+TDa0
士卒の気持ちがわかったからこそ涼州兵を野放しにして於いたんでしょ?

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 14:11:06 ID:17GBGVst0
よく悪の董卓に対して、殺された執金吾の丁原が善人化されるけど、董卓の涼州兵が西方の異民族を引き入れていたなら、丁原も北方の異民族を引き入れていたわけで、普通に略奪もやっているね。
呂布からしてあれだし。

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/06(土) 23:55:05 ID:tbK0B4hv0
>>27
もし丁原が、董卓を殺す側だったら、丁原が暴政を敷いた三国志の悪役になったかもね。
羌が匈奴に代わるだけで。


32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 23:43:32 ID:oC9Op4Pf0
演義とかじゃ、悪の巨魁董卓に立ち向かう正義の執行者みたいな感じで描かれているのにね、丁原。
>>29のような場合だったら、董卓が悲劇のヒーロー、善人になっていたかもね。

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/07(日) 13:45:35 ID:gJ/WKUBy0
>>27
事実、丁原は何進暗殺のドサクサで孟津を焼き払って略奪してたらしいよ
あれ?てことは一連の混乱の原因作ったのは丁原?

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/08(月) 10:37:40 ID:cyd7BHX0O
結局、軍閥の主導権争いだったわけだ

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/03(土) 17:32:47 ID:HDfYMP950
董卓は真実の姿を随分ねじ曲げられたキャラだろう
乱世でここまでのし上がってくるのはただの馬鹿ではない
それなりのカリスマもあっただろうし実際良い政治をしようとした跡もある
朝廷の守旧派から田舎者として蔑まされ思い通りの政治ができなかったんだろうな

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/14(水) 23:02:39 ID:AfLa1Gt70
>>50
清流気取りの名士たちから馬鹿にされて、ぶち切れたんじゃないかと……

53: 七資産1970 2007/03/15(木) 23:16:55 ID:ye4HDfh70
清流派が非協力的だから圧政で締め付けたのだろうか

董卓死後も
董承だったか董昭だったか・・一族の者は宮廷に使えていたらしいが

54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/15(木) 23:47:53 ID:7gjEYvmj0
一族?

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/09(月) 10:57:40 ID:pOag7Fkq0
一般的に有名な董承とは別に、董卓の親族にも同姓同名の別人がいたはず。

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/11(水) 21:01:14 ID:e44wusui0
一般的に有名な董承は、董卓配下だぞ。
でも、董卓暗殺時は李カクらと牛輔の指揮下にいた。

董承が皇族の姻戚になったのは、献帝が曹操に奉戴されてから。

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/12(木) 02:00:39 ID:K9UmPke0O
後漢書董卓伝を見る限り、娘を貴人とし曹操を排除しようとして失敗した董承は、董卓時代に牛輔の部曲にいた董承と同一人物。
別人はまずあり得ない。
その董承が董太后の親戚の可能性は極めて低いが、董卓と同族の可能性は高い。
董卓が董太后の同族を称していたから、董承も便乗していたのではないだろうか。

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/13(金) 17:24:33 ID:QaAPvk670
>後漢書董卓伝を見る限り、娘を貴人とし曹操を排除しようとして失敗した董承は、董卓時代に牛輔の部曲にいた董承と同一人物。
別人はまずあり得ない。
 
それはそれで何処をどうしたらそんなことが 出来るのか?
という疑問が

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/16(月) 01:17:29 ID:Bn2UAgopO
>>61
初めは李カクの下にいた
諸将の反目と衝突の混乱の中を巧みに遊泳し、関中脱出を指導したことで朝廷内でトップクラスの地位に就いた
そこで、地位や影響力を確固たるものにしようと娘を後宮に入れたり、董太后の一族を称するようにしたのだろう

63: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/16(月) 08:05:41 ID:8ZHDe8sA0
最初トップクラスの地位にいたのは楊奉・韓暹・張楊だがな。
董承はそこで曹操を呼び寄せて、その三人を蹴落とした。
そこから董承は衛将軍とか車騎将軍とか昇進を始める。

でも考えてみれば曹操は正真正銘の逆賊で、朝廷としては勤皇の袁術派と結んでおきたかったんだから、朝廷に対する裏切り行為なんだよな。
(楊奉・韓暹が政治に干渉してくるのを嫌ったとあるが、車騎の楊奉と大将軍の韓暹は政治に干渉して然るべき地位だし)
そして、曹操が専横すると今度は曹操を殺そうとして返り討ち。

袁譚レベルの節操の無さと浅はかさだと思うんだが。

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/16(月) 08:48:16 ID:Bn2UAgopO
>>63
三国志董昭伝だと楊奉が曹操受け入れに積極的だったように見えるけどこのあたりどうなんだろうね

しかし勤皇と言っても、傀儡としていた点では董卓、李カク、張・楊・韓、袁術、曹操みな変わらないと思うんだけどね
権威を利用する以上は今の皇帝を認めるしかない、という程度の「勤皇」でしかないんじゃないのかね

それと、より強い宿主を探して離反やクーデターを繰り返すってのも王允だって曹操だってやったことで、董承がことさら節操が無いとは言えないんじゃないかな

91: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/22(日) 18:10:55 ID:b9tVNCuR0
董卓のやったことで一番なぞなのが、なんでわざわざ「操りやすい無能な」少帝を廃して「聡明な」献帝を擁したのか

92: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/22(日) 18:20:57 ID:wNeBwebI0
>>91
傀儡なんだから能力はそもそも問題じゃない。「聡明」なんてのは擁立するときの名目に過ぎないから。
少帝は宦官と何太后が擁立した状態だから、反宦官を標榜し宦官を滅ぼした清流派の官僚たちの支持を得るにはそうでない皇帝を擁立する必要があった。
それが献帝だっただけだよ。

97: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/06(月) 21:07:01 ID:sGWyg49s0
へその油を燃やされてたらなきついて処刑された忠義者いたよな
誰だっけ

99: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/16(木) 10:57:10 ID:8dSHHz0P0
蔡ヨウじゃね?

100: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/16(木) 11:05:47 ID:htOwWKlA0
いや、蔡ヨウは王允の側にいて嘆息してたはず
死体にすがりついたのは別の人だったよ

114: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/26(水) 13:42:59 ID:pUCHbQCC0
>>112
ちょっと漢籍電子文献の三国志董卓の項を読んでみたが、

主簿田景前趨卓尸,布又殺之

ここの主簿の田景がそうじゃね?

101: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/16(日) 17:58:44 ID:A6OC4ylI0
董卓の母ちゃんは90歳だったから、董卓自身の年齢は殺されたときには60歳ぐらいだったのだろうか?
30歳過ぎの袁紹を小僧呼ばわりしてるからやっぱりそれぐらいかな。

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/16(日) 23:46:59 ID:tNCtVGPI0
50歳は超えていたはず。

104: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/17(月) 21:25:25 ID:vHTTPsXzO
董卓は桓帝期最後の年(167)に羽林郎になってる。
羽林郎は若者しかなれなかったと思うけど…。
この若者、というのを仮に20歳前後と規定すると霊帝崩御の年(189)には42歳前後ということになる。
しかしそうなると董卓の母は高齢出産になるし、15に満たない(ということは少なくとも10以上か?不明)孫がいたというが、この歳でそんな歳の孫がいるわけがないだろう。
ということは「若者」の規定を改めるべきなのか。

107: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/21(金) 20:49:25 ID:aXxA91cY0
>>104
董卓は出身がちょっと特殊だし、20代後半ぐらいであった可能性も十分にあるのでは?

108: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/21(金) 21:47:38 ID:t46Jy5kHO
>>107
羽林郎は「隴西、天水、安定、北地、上、西河の六郡の良家(由緒ある家門ってことね)の若者」がなった。
董卓はこの条件を満たしており、かつ武芸に秀でていたため羽林郎に任命された。
私は浅学なので、董卓の出身がどうして「20代後半で任命された可能性」を示唆するものになるのかわからない。
俺としても「可能性」を否定するわけではないが、なぜその理由なのか疑問に残る。

116: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/07(水) 07:34:23 ID:vAflAFCD0
吉川英治の三国志は54歳で死んだとしているが、母親が90歳ということを考えると当時としては不自然だな。
プラス5~10歳ぐらいするいいかも。

124: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/19(月) 01:27:07 ID:roGv5Wc80
>>116
父親の董君雅が潁川輪氏の尉の時に潁で生まれた次男だから董卓の字が仲潁なわけじゃん?
普通、人の官位を言う時、細かく経歴を言う場合でもないと最終官位で呼ぶわけだけど、董君雅の場合、何見ても尉までしか見られないんだよね
栄達してやっと出来た子という可能性もなきにしもあらず
その場合、父親も母親も結構年齢がいってても不自然じゃない

139: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/07/18(金) 18:44:20 ID:GaqQGKEi0
子飼いの軍人達を顕職につけず、広く人材を登用したのは評価できる
でも引き上げてやったそいつらに裏切られてまくってバグったんだろ

141: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/07/27(日) 12:42:46 ID:P2KMJns90
だが実権のある役職には就けてないんだよな

142: 董卓 2008/10/15(水) 18:29:43 ID:dxkFLaUA0
董卓が滅茶苦茶になったのは、当時の漢王朝の「儒教思想」があったからだと思うが?なぜなら儒教思想では、「家柄」「外見」「忠孝」の3つが重んじられていたからだ。
さしずめ董卓などは漢朝の官僚らから見れば、「どこの馬の骨とも分からない奴」「見た目が醜いから、中身も醜いだろう」等、言われて舐めた目で見られていたからであろう。
その事に対して、董卓は激怒し、滅茶苦茶な行いをするようになったのだと思われる。

143: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/10/15(水) 19:52:23 ID:uyGMRRfh0
>どこの馬の骨とも分からない奴

父の董君雅は潁川輪氏の尉で立派な役人
どこの馬の骨とも判らないってわけじゃあないよ
しかも董卓を中央政界に引き込んだのは袁隗
他ならぬ清流派の中心人物の一人

145: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/10/21(火) 02:49:02 ID:WnxgBfSlO
それなりに信用してたであろう袁紹に逃げられてからおかしくなったような気がする

146: 董卓 2008/10/21(火) 14:53:17 ID:nlVwlHmN0
その通りだと思う。
初めは真面目に国を立て直そうとしていたが、袁紹や曹操など信頼して人達にいずれも裏切られたため、国を立て直すのが馬鹿馬鹿しくなり己の権益・欲望に走ったものだと思われる。

148: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/10/22(水) 16:53:39 ID:UAW1mSDp0
国を立て直そうとしたというより、恩義ある袁隗を立てたんじゃないかな。
そうやって、袁家に力いっぱい配慮していたのに、袁紹に逃げられて逆ギレしたんだと思う。

149: 董卓 2008/10/22(水) 21:41:46 ID:1g+ALtVL0
では官吏の登用等は袁隗の恩に報いるためですか?

150: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/10/22(水) 22:38:29 ID:GqEW1Cn70
恩に報いるかどうかは董卓ならぬ自分らには判らんことだから別の見方も出来る
上手い具合に洛陽の実権を把握した後、今度は自分が清流派の大将になったつもりかもしれん

203: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/02/20(金) 22:33:41 ID:LlR1kIho0
遷都って河東にまで及んでいたという白波賊の影響はないんだろうか
史料じゃ十万余なんて勢いで荒らしまわってたみたいで、牛輔を差し向けても駆逐できなかった様だけど

204: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/02/20(金) 22:45:39 ID:h5mfo5uE0
と言って、関中は関中で韓遂・馬騰を始めとした軍閥が蜂起しているから、その見方はあんまり意味が無いんじゃない
白波賊の患よりも、現実の脅威としてそのとき河内には袁紹と王匡が進出しているわけだから

219: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/19(火) 13:39:46.33 ID:xZQKDSs/0
董卓の遷都の目的は、長安のほうが周りを要害に囲まれていて、また涼州に近かったから?

222: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/09(月) 16:54:31.10 ID:dSYsfwZb0
実際本拠に近かったから、というのはあるだろうね
洛陽の董卓は実際はそれほど多数の兵を抱えていなかったとされる
そんな状況で袁紹が皇帝がいる都市への攻撃を躊躇しない態度を見せたから、これは蛮行であり、他の諸侯もそこまでする事は考えていなかった

224: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/14(土) 14:01:53.68 ID:LyhAIPfj0
孫堅軍に洛陽を脅かされたのに相当びびったのと、その前に皇甫嵩を軍と切り離して呼び寄せたから関中が空いたっていうのがあるんじゃね

229: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/17(日) 20:37:05.46 ID:n1Gu2+Xa0
長安は涼州に近い。 涼州兵は若者を補充し易くなる。
逆に丁原から奪った并州兵は根拠地が遠くなって、弱体化する。
自分に忠実な涼州兵の割合を増やしたほうが董卓に有利。

233: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/09/15(土) 20:34:27.80 ID:kVRNcl+X0
董卓

董旻 董璜 李儒

呂布 李粛

李確 李暹 李別 宋果 楊奉 左霊

郭汜 伍習 崔勇

張済 張繍 張先 胡車児 賈詡

樊稠 王方 李蒙

徐栄

華雄 趙岑 胡軫

牛輔 胡赤児

盧植 皇甫嵩 朱儁

王允 黄琬 伍瓊 蔡邕 華歆 許靖 鍾繇 司馬朗 荀爽

楊彪 楊密

董承 王子服 呉碩 呉子蘭

楊琦 王昌 尚弘



董卓自身の軍勢に加えて後漢の臣までいるという魅力的な勢力
それが董卓軍

235: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/09/22(土) 07:10:58.53 ID:WLnjBrOP0
>>233
楊定と段煨と裴茂も追加で

236: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/09/05(木) 17:35:43.19 ID:DVjeayaj0
再評価の時代来ず

引用元: ・【西涼】 董卓 【猛将】