151: 人間七七四年 2012/02/21(火) 11:24:59.52 ID:nJwUqSfV
小田とか真壁とか、どうしてあの辺りは平城が好きなんだか?
158: 人間七七四年 2012/02/23(木) 19:59:01.11 ID:WFICJAEl
>>151
あのへんは中世は半湿地帯みたいなところだから、防御には堀を巡らせるのが一番なので、下手に高台に城築くより平城のほうが防御力がある。
あのへんは中世は半湿地帯みたいなところだから、防御には堀を巡らせるのが一番なので、下手に高台に城築くより平城のほうが防御力がある。
159: 人間七七四年 2012/02/23(木) 20:09:11.82 ID:CA5DAOrH
>>158
泥田の中にある小城は意外と攻めにくいというね。
泥田の中にある小城は意外と攻めにくいというね。
152: 人間七七四年 2012/02/21(火) 12:16:51.67 ID:+kAK9iWF
篭城目的の要塞ではなく、治世のための行政府としての機能を重視したからじゃないの?
それに山は曲輪を開くのが困難な筑波山系しかないし、
それに山は曲輪を開くのが困難な筑波山系しかないし、
153: 人間七七四年 2012/02/22(水) 12:59:22.21 ID:1qoOOWlA
常陸の城郭は古い時代の物が多いからな
防衛拠点と言うより居住・行政地である屋形(屋敷)として造られたものが多い
時代が下り南北朝などの騒乱が続くに連れて屋敷の周りに土塁や堀を増築していき城郭として体を為していったが、元々居住性を優先させた土地だから要害性は低い
それに他の土地にも言える事だが、本拠地より外で防衛するのが基本だから、居城から離れたら重要地点や国境線の要害の地に協力な城を建てて、本拠地は居住性を捨ててまで移転する事はなかったようだ
特に常陸下野陸奥辺りは本気の潰し合いが滅多になかったしね
防衛拠点と言うより居住・行政地である屋形(屋敷)として造られたものが多い
時代が下り南北朝などの騒乱が続くに連れて屋敷の周りに土塁や堀を増築していき城郭として体を為していったが、元々居住性を優先させた土地だから要害性は低い
それに他の土地にも言える事だが、本拠地より外で防衛するのが基本だから、居城から離れたら重要地点や国境線の要害の地に協力な城を建てて、本拠地は居住性を捨ててまで移転する事はなかったようだ
特に常陸下野陸奥辺りは本気の潰し合いが滅多になかったしね
155: 人間七七四年 2012/02/23(木) 17:31:06.36 ID:CA5DAOrH
多賀城の創造復元図を見たことがあるが、役所の建物と倉庫を木の柵で囲っただけという感じだったな。
周囲に水掘をめぐらしているわけでもなく
あれは防御力低かったと思う。
周囲に水掘をめぐらしているわけでもなく
あれは防御力低かったと思う。
154: 人間七七四年 2012/02/22(水) 13:07:41.95 ID:IzzI10hd
取られても奪還すればいいみたいな考え方あるんかね?
小田とかの話を読むと思うんだが。
小田とかの話を読むと思うんだが。
157: 人間七七四年 2012/02/23(木) 17:50:00.64 ID:Qgeh2TFf
小田城って北朝方に包囲されても持ちこたえられるくらいの防御力はあったわけだから、それと一緒にするのはどうかと。
160: 人間七七四年 2012/02/24(金) 12:35:35.69 ID:hx5vKRXl
でも小田城は微妙だよな
他の沼地や湿地に築かれた城の場合、主郭は高台になっている所が多いけど、小田城は高低差が殆どないし、逆に周りに高地がある
どう考えても北條の多気か平沢を本拠にした方が良かったと思うけど
他の沼地や湿地に築かれた城の場合、主郭は高台になっている所が多いけど、小田城は高低差が殆どないし、逆に周りに高地がある
どう考えても北條の多気か平沢を本拠にした方が良かったと思うけど
162: 人間七七四年 2012/02/24(金) 23:35:52.04 ID:fxlZ+zqt
小田の名族意識が先祖代々の地を動くのを許さなかったのかもね。
163: 人間七七四年 2012/02/27(月) 03:44:39.83 ID:JilYzxxA
よく考えると戦国時代に本拠地移した大名はレアだな
常陸だと・・・思い浮かばん
割りと新しいのは江戸氏の水戸城進出か
あと、水戸を追い出された大掾の府中移転
常陸だと・・・思い浮かばん
割りと新しいのは江戸氏の水戸城進出か
あと、水戸を追い出された大掾の府中移転
165: 人間七七四年 2012/02/27(月) 06:32:06.50 ID:if+gjA3B
小田氏治が小田城を梶原政景に与えた例くらいしか思い浮かばない。
166: 人間七七四年 2012/02/27(月) 12:29:37.63 ID:ZCsWI/LS
与えたってw
しかしまあ、天庵様も憐れと言うか間抜けと言うか
梶原政景に柿岡城を与えたのに、逆に小田城まで取られてしまうとは
正に軒を貸して母屋を取られると言う奴だな
しかしまあ、天庵様も憐れと言うか間抜けと言うか
梶原政景に柿岡城を与えたのに、逆に小田城まで取られてしまうとは
正に軒を貸して母屋を取られると言う奴だな
167: 人間七七四年 2012/02/28(火) 13:41:11.18 ID:QcB96pWC
あのね、うち下館なのね。
でさ、筑西市の婦人会に出かけたおふくろがさ、「明野の人は下館の人を目の敵にする」なんて愚痴ってるの。
なんで、「明野は小田領だったから水谷領の人間を嫌うんじゃね」とかテキトーに言ったら、後日「あんたの言ってたこと当たってたわよ」なんていうわけ。
いまも戦国時代の住民感情が残ってるんだ。
すげーって思ったよマジで。
でさ、筑西市の婦人会に出かけたおふくろがさ、「明野の人は下館の人を目の敵にする」なんて愚痴ってるの。
なんで、「明野は小田領だったから水谷領の人間を嫌うんじゃね」とかテキトーに言ったら、後日「あんたの言ってたこと当たってたわよ」なんていうわけ。
いまも戦国時代の住民感情が残ってるんだ。
すげーって思ったよマジで。
171: 人間七七四年 2012/02/29(水) 09:48:16.68 ID:YoAsJsRs
目の敵なんて大袈裟だろw
うちの辺りは天狗諸生で激しく戦ってたけど、今となっては微塵も関係ない
そもそも北部の人は佐竹とか名前も知らない人が大半だし
小田とか知ってる人は城下周辺ぐらいだろ
うちの辺りは天狗諸生で激しく戦ってたけど、今となっては微塵も関係ない
そもそも北部の人は佐竹とか名前も知らない人が大半だし
小田とか知ってる人は城下周辺ぐらいだろ
177: 人間七七四年 2012/03/03(土) 21:17:44.39 ID:hhgwi742
鹿行地域は佐竹に対して今も悪感情があるってのは本当かね?
178: 人間七七四年 2012/03/03(土) 21:44:01.76 ID:U+Hrgor7
そういう人がごく少数いるってのは本当だろうが、そもそも佐竹なんて知らない人ばかりだと思うw
179: 人間七七四年 2012/03/03(土) 22:09:14.15 ID:hhgwi742
知ってる人がいるとしても郷土の昔話とかを読んで知ってるとかそんな程度だと思うんだが。
先祖代々佐竹への憎悪を吹き込まれてきた人なんていないよねw
先祖代々佐竹への憎悪を吹き込まれてきた人なんていないよねw
206: 人間七七四年 2012/05/10(木) 16:15:13.50 ID:4AUaOF3F
軍記物読んで知ったけど、車丹波って胡散臭いけど、戦では大活躍してるのね
車 斯忠(くるま つなただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。佐竹氏の家臣。常陸国車城主。車丹波の名で知られる。
慶長5年(1600年)の徳川家康の会津征伐を前にして佐竹氏を離れて、上杉景勝の下で陸奥国福島城・梁川城に在番しているが、これは名目上中立の立場をとる佐竹氏が上杉氏に助力するために、反徳川の急先鋒であった斯忠を送り込んだものとも言われている。
同年の関ヶ原の戦いの後に佐竹氏に復帰するが、戦後仕置きにおいて常陸水戸54万石から出羽国秋田18万石への移封に反発。
徹底抗戦を唱え、妹婿の大窪久光や馬場政直(佐竹基親の子)らと水戸城奪還を企てるものの失敗して、捕らえられ、慶長7年7月(1602年8月)に磔刑に処せられた。
慶長5年(1600年)の徳川家康の会津征伐を前にして佐竹氏を離れて、上杉景勝の下で陸奥国福島城・梁川城に在番しているが、これは名目上中立の立場をとる佐竹氏が上杉氏に助力するために、反徳川の急先鋒であった斯忠を送り込んだものとも言われている。
同年の関ヶ原の戦いの後に佐竹氏に復帰するが、戦後仕置きにおいて常陸水戸54万石から出羽国秋田18万石への移封に反発。
徹底抗戦を唱え、妹婿の大窪久光や馬場政直(佐竹基親の子)らと水戸城奪還を企てるものの失敗して、捕らえられ、慶長7年7月(1602年8月)に磔刑に処せられた。
207: 人間七七四年 2012/05/10(木) 21:28:04.75 ID:Y3fpaxpz
軍記物だからね
208: 人間七七四年 2012/05/11(金) 15:10:54.61 ID:GcFl8uGn
車一揆で有名になることがなかったら到底あんなに活躍した武将として描かれることもなかった程度の人じゃないかと思うが。
209: 人間七七四年 2012/05/12(土) 02:06:33.96 ID:YkepNdFL
だが、インパクトは強い
変な行動してるし
佐竹→浪人?→佐竹→岩城→佐竹→蒲生→岩城→上杉→佐竹?
変な行動してるし
佐竹→浪人?→佐竹→岩城→佐竹→蒲生→岩城→上杉→佐竹?
210: 人間七七四年 2012/05/12(土) 11:27:37.17 ID:BP072O82
いくら戦国でも不審すぎるなw
困ったら佐竹に戻ってるのかスパイなのか。
困ったら佐竹に戻ってるのかスパイなのか。
216: 人間七七四年 2012/06/06(水) 21:36:05.46 ID:QPmvRWkV
大掾貞国ってなんで幹の通字が入ってないんですかね?
大掾氏(だいじょうし)は、中世常陸国に勢力を持った一族で、軍事貴族。坂東平氏(桓武平氏)国香流。常陸平氏の嫡流であり、多くの庶家を輩出した。通字は「幹」(もと)。
217: 人間七七四年 2012/06/07(木) 00:50:30.99 ID:BGXVvgBY
庶家出身
218: 人間七七四年 2012/06/07(木) 11:51:40.65 ID:8FIdDnS8
大掾慶幹の嫡子ってのは庶家出身なのかあ
219: 人間七七四年 2012/06/08(金) 02:08:10.33 ID:st0r280p
状況から見ると慶幹の嫡子とは考え難いけど、実際のところはどうなのやら
どうにも貞国はよく分からん
どうにも貞国はよく分からん
221: 人間七七四年 2012/06/09(土) 01:08:56.71 ID:VXXmPVzK
慶幹の没後、義昌が嗣子になったが、三村にいた貞国が義昌を府中から追い出して、代わりに府中に入った
どうしてそんなことになったのか
「慶幹の嫡子」を押しのけて義昌を嗣子にするような明確な乗っ取りが行なわれたの?
どうしてそんなことになったのか
「慶幹の嫡子」を押しのけて義昌を嗣子にするような明確な乗っ取りが行なわれたの?
222: 人間七七四年 2012/06/09(土) 01:46:27.22 ID:rNrQBBjq
いや、恐らく慶幹が亡くなった時点で貞国が家督を継いでいる
佐竹義昭の府中入りについては諸説あるけど、義昭が貞国の妹を継室として娶り、佐竹家の家督を義重に譲って自らは府中へ入り名代として大掾家を取り仕切っていた事は間違いなさそうだ
佐竹家譜では、貞国が病により政務が取れなくなって妹婿である義昭に名代を頼んだのではないかとしている
佐竹義昭の府中入りについては諸説あるけど、義昭が貞国の妹を継室として娶り、佐竹家の家督を義重に譲って自らは府中へ入り名代として大掾家を取り仕切っていた事は間違いなさそうだ
佐竹家譜では、貞国が病により政務が取れなくなって妹婿である義昭に名代を頼んだのではないかとしている
223: 人間七七四年 2012/06/09(土) 02:04:43.25 ID:rNrQBBjq
義昭と慶幹の娘との間に生まれた子供を大掾氏の当主としようとしていたのではないか、と言う説もある
義昭は府中に入り、世継ぎが生まれるまで名代として大掾家を取り仕切っていたが、病を得て嫡子の誕生が難しくなった為に、弟の三郎を昌幹(後、義昌)と名乗らせて大掾氏の嫡子にしたが、義昭の死後、貞国らの反発にあって太田へ戻ったと言う説
この説だと、貞国は庶家か庶子の人間でないと辻褄が合わないが
義昭は府中に入り、世継ぎが生まれるまで名代として大掾家を取り仕切っていたが、病を得て嫡子の誕生が難しくなった為に、弟の三郎を昌幹(後、義昌)と名乗らせて大掾氏の嫡子にしたが、義昭の死後、貞国らの反発にあって太田へ戻ったと言う説
この説だと、貞国は庶家か庶子の人間でないと辻褄が合わないが
237: 人間七七四年 2012/07/01(日) 11:10:59.42 ID:n8fBmdUm
238: 人間七七四年 2012/07/04(水) 17:14:12.55 ID:t+S7vE++
あれは猫ではなくて虎だな。越後の虎も天庵様にかかればこのとおり、という意味が込められている。
239: 人間七七四年 2012/07/18(水) 14:38:33.54 ID:+TNCNHn1
鬼義重に対抗して猫氏治とかあだ名があればまた史実も変わっただろうな
240: 人間七七四年 2012/07/18(水) 22:52:02.31 ID:oTvtESP9
肖像に描くからには何らかのシンボルというか意味があるんだろうけど。
まさか戦国武将がネコ好きだからという理由でこういう絵を残すとは思えんw
まさか戦国武将がネコ好きだからという理由でこういう絵を残すとは思えんw
241: 人間七七四年 2012/07/19(木) 02:17:40.68 ID:+0oFzYzT
巻物と何か手に持ってるし、猫も意味はあるのだろうけど、現代の感覚では単に猫好きなオッサンにしか見えないなw
242: 人間七七四年 2012/07/19(木) 14:58:37.66 ID:q/i7Pa72
左手は数珠かな?学問を好み信仰を厚くし猫が好き?
眠る猫ってことで禅語の「牡丹花下睡猫児」とかと関係あるかねえ?
眠る猫ってことで禅語の「牡丹花下睡猫児」とかと関係あるかねえ?
243: 人間七七四年 2012/07/22(日) 15:20:50.73 ID:wldFquG9
どんなにキリってしても傍らで猫が安眠できちゃうくらい殺気とか覇気がない人だった…
てことでは。
てことでは。
245: 人間七七四年 2012/07/22(日) 16:56:53.35 ID:pq1wKT2f
思ってたイメージと違うな
もっとショボいオッサンかと思ったら案外イケメンで渋いおじ様であった
見た目からすると無能そうには見えないね
でも、横でトラ猫が寝てる辺りが愛敬あって、やはり天庵様だなと思う
もっとショボいオッサンかと思ったら案外イケメンで渋いおじ様であった
見た目からすると無能そうには見えないね
でも、横でトラ猫が寝てる辺りが愛敬あって、やはり天庵様だなと思う
246: 人間七七四年 2012/07/23(月) 13:49:40.37 ID:X4XhOZwu
そのうち悪ノリ系の戦国ゲームとかに猫耳天庵が登場しそうで怖いです。
247: 人間七七四年 2012/07/24(火) 03:48:07.17 ID:bx36N1ih
そういや萌えキャラ化にはもってこいだなw
喧嘩っ早いがすぐに負けるヘタレキャラで「はわわ」とか言って逃げる
喧嘩っ早いがすぐに負けるヘタレキャラで「はわわ」とか言って逃げる
248: 人間七七四年 2012/07/24(火) 10:28:26.31 ID:GfaPs2Sj
>>237の渋いオッサンに猫耳がついたキャラか。
249: 人間七七四年 2012/07/24(火) 14:35:09.73 ID:Oawhv4Ed
甲斐の虎 武田信玄 デデーン
越後の龍 上杉謙信 デデーン
常陸の猫 小田天庵 ミャー
越後の龍 上杉謙信 デデーン
常陸の猫 小田天庵 ミャー
252: 人間七七四年 2012/07/27(金) 18:29:32.58 ID:9s4d7E7Z
犬派の太田三楽に分が悪いのは当然と言えよう。
253: 人間七七四年 2012/07/28(土) 03:26:27.94 ID:PLoDJ+CP
そういや三楽斎は犬好きだったな
天庵様と不仲なのは当然だな
天庵様と不仲なのは当然だな
257: 人間七七四年 2012/09/17(月) 15:37:33.24 ID:6+6LsD1e
> 見た目からすると無能そうには見えないね
軍事的才能はともかく、他の才能はあったと思う。
軍事的才能はともかく、他の才能はあったと思う。
258: 人間七七四年 2012/09/17(月) 18:56:31.60 ID:/71iBqIL
芸道に通じていた氏真みたいな感じなのか?
何かその方面で名前が残ってるの?
何かその方面で名前が残ってるの?
259: 人間七七四年 2012/09/18(火) 02:53:49.02 ID:a2mSXENG
このように何度追われても地元では人望があり、地元民の協力を得つつ、
土浦城の菅谷勝貞・政貞(子)・範政(孫)の菅谷一門やその他家臣団に支えられながらその後も
何度か小田城を奪い返すも、永禄12年(1569年)には佐竹義重と手這坂の戦いで敗れて居城の
小田城を再び失い、藤沢城に逃れた。
以後、小田城が氏治の居城となることは無かった。
↑
ウィキペディアにこうある。劉備や劉邦みたいな感じで、軍事的才能はともかく内政の才能はあったのではないか?
問題は劉邦と違って良い軍師がいなかったことかも。
まあ日本の片田舎だからそういう人材が見つからないのは仕方ないのだろうが。
土浦城の菅谷勝貞・政貞(子)・範政(孫)の菅谷一門やその他家臣団に支えられながらその後も
何度か小田城を奪い返すも、永禄12年(1569年)には佐竹義重と手這坂の戦いで敗れて居城の
小田城を再び失い、藤沢城に逃れた。
以後、小田城が氏治の居城となることは無かった。
↑
ウィキペディアにこうある。劉備や劉邦みたいな感じで、軍事的才能はともかく内政の才能はあったのではないか?
問題は劉邦と違って良い軍師がいなかったことかも。
まあ日本の片田舎だからそういう人材が見つからないのは仕方ないのだろうが。
260: 人間七七四年 2012/09/18(火) 08:02:30.05 ID:UjM3VurG
具体的な内政の功績が残っていないとなんとも。
古くからの名門はたとえ本人に魅力が乏しくとも家臣団や領民が支えようとするし。
それに氏治は「強み過ぎの大将」と形容されるような血気にはやって家臣の話を聞かないタイプなんだから、軍師がいようとその軍師の話を聞かないだけだろ。ただでさえ十分家臣団には恵まれていたんだから。
古くからの名門はたとえ本人に魅力が乏しくとも家臣団や領民が支えようとするし。
それに氏治は「強み過ぎの大将」と形容されるような血気にはやって家臣の話を聞かないタイプなんだから、軍師がいようとその軍師の話を聞かないだけだろ。ただでさえ十分家臣団には恵まれていたんだから。
270: 人間七七四年 2012/09/30(日) 15:47:58.85 ID:vTMMevbN
乱世の奸雄にはなれなかったけど治世の明君になる素質はあったんだね♪
271: 人間七七四年 2012/10/01(月) 11:43:56.62 ID:frabjOHZ
どうだろう
統治状況が分からんから何とも言えない
どちらかと言うと、謙信に奴隷として売り飛ばされたり佐竹や太田に焼き討ちされたりで酷い目に遭ったから、その反発で天庵様に支持が集まったのではなかろうか
統治状況が分からんから何とも言えない
どちらかと言うと、謙信に奴隷として売り飛ばされたり佐竹や太田に焼き討ちされたりで酷い目に遭ったから、その反発で天庵様に支持が集まったのではなかろうか
引用元: ・【佐竹・江戸】 常陸の戦国大名2 【小田・大掾】









急に山が迫っていて、急すぎて山に城を作れないな
筑波山系のちっぽけな山系で、作れても間違いなく水に困る