1: 人間七七四年 2011/11/07(月) 00:46:22.87 ID:sr5O6xEy
夏の陣ですっかり弱っている豊臣方にさらに追い打ちをかけるように銃撃した徳川方はマジありえん







2: 2011/11/07(月) 02:09:08.33 ID:UMSTyjYP
秀頼を残しておくと担ぐやつが現れるから潰しちゃったんだろ
でも古今東西色んな政権が存在したけど、滅びないで終わった政権はないんだぞ
どんな強大な政権や王朝でも最後は必ず滅亡する運命にある
秀頼を潰しても結局徳川幕府は滅亡したしな
だったら秀頼残しても良かったかも知れないな

3: 人間七七四年 2011/11/07(月) 21:02:04.03 ID:vmsiz5+R
小牧長久手で徳川倒せていれば…
まぁ、あの時点で家康が死んだとして、その後の豊臣政権が間違いなく絶対安泰ってわけではないんだろうけど
もし関ヶ原で西軍が勝っていたら、当面は平和でもその内三成が専横始めたりってのもありえるだろうし

4: 人間七七四年 2011/11/08(火) 00:37:10.31 ID:kid6KDIo
大坂冬の陣が起きる前だったら生きる道もあったんだがな。
素直に大坂城出てれば…。

9: 人間七七四年 2011/11/09(水) 05:11:10.18 ID:XfUYoDoX
自ら出陣しない臆病者を生かしても仕方ないだろ

12: 人間七七四年 2011/11/12(土) 05:50:36.81 ID:fXX6lNT4
よく考えれば大坂城はもちろん、すべての所領を失ってただの出家坊主か
公家、おじゃる丸になるのだから、生かしておいてもそれほどの脅威だったかどうか・・・

13: 人間七七四年 2011/11/12(土) 06:43:37.71 ID:4UCCFTWl
>>12
平治の乱後の頼朝と同じよ。
本人に何の財産も無くても政権転覆を謀る連中が担ぎ上げるために周りに集まってくる。

15: 人間七七四年 2011/11/12(土) 09:41:06.02 ID:ePMJ9l1t
>>13
同じじゃない。
当時の頼朝はまだ子供。
まして、源氏対平氏の総力戦でも無いから、当時の武家源氏の正統を根絶やしなんか出来ない。

対して秀頼は大阪方の大将。
挙げ句、頼りになるはずの母方には実家が無いし、次に頼る嫁の実家があれだし。
親戚なんて、ましていないも同然。


まあ、秀頼の子供くらいは公家として生かしてもバチは当たらんだろうと思うがな。
結局、そうしなかったから家康は当たって死んだんだろうこど

14: 人間七七四年 2011/11/12(土) 09:00:26.93 ID:lrs1VJdR
木下姓に戻り今川氏真と並び文化人として生きられれば…。

16: 人間七七四年 2011/11/12(土) 10:41:39.03 ID:aEsPnV/z
自分が切腹して、城兵の命は助ける様に求めたら評価は変わっていただろうけど、自分から始めた戦で、城兵は皆死に、城も落ち、その上で、なお生き延びて助命を求められたら何を虫の良いことをとは思う

18: 人間七七四年 2011/11/12(土) 11:00:20.32 ID:ePMJ9l1t
>>16
生き延びて次の戦いの準備をするのが武門の慣いじゃね?
そして命乞いする人間を何とかして殺すのも武門の道だろ。

秀頼の助命を望む人間がいないから殺せた。

19: 人間七七四年 2011/11/12(土) 11:40:03.55 ID:aEsPnV/z
>>18
その割には冬の陣・夏の陣とも衝動的な開戦なんだが

24: 人間七七四年 2011/11/12(土) 16:53:25.75 ID:GLvPyu+/
それまで助命のチャンスは何回も何回もあったんだからそれ蹴った時点で死しか着地点はない

34: 2011/11/12(土) 23:47:48.62 ID:YLDaZjx7
助命のチャンス??
難癖付けて結局取り潰しに持っていくだけだと思うけど
福島も潰されたし、信用出来ないね

35: 人間七七四年 2011/11/13(日) 06:01:40.07 ID:ZhPmfznW
信用できないねって言って生き延びることを放棄したんだから救いようがない。
臥薪嘗胆よりも玉砕を美化するこの日本人の風潮もどうかと思うわ。
300年後に何万もの人が同じように玉砕するわけだからな。

36: 人間七七四年 2011/11/13(日) 10:23:44.51 ID:PDcj3Kvo
豊臣の場合は玉砕とはまた違う。
家康に辱しめを受けるくらいなら死んだ方がマシだというプライド。

41: 人間七七四年 2011/11/14(月) 22:46:38.72 ID:ojf79Oml
吾妻鏡愛読の家康が生かすとは思えん

43: 人間七七四年 2011/11/14(月) 22:57:16.39 ID:sGbqqdR/
大阪冬の陣で講和せず、徹底抗戦してたらどうなるかな
じり貧なんだろうが、家康の死期も近づいてただろうし

45: 人間七七四年 2011/11/15(火) 13:32:32.91 ID:w6pqtdj+
家康のことだから戦で張り切って後5年は寿命延びただろ。

49: 人間七七四年 2011/12/06(火) 22:30:54.04 ID:k/+Nzusr
大坂で死んだから「悲劇のプリンス」として今も語られるわけで、下手に生き残っちゃったら今頃は喜連川とか後北条ていどの扱いだろうな

54: 人間七七四年 2012/01/08(日) 11:23:59.30 ID:Hu6GjudG
大坂冬の陣で徳川方が真田丸を攻撃した時に南方の3つの門から全軍出馬して総攻撃すれば良かったと思う。

北と東と西は守備兵だけ3000で十分、残りの兵を南側から徳川家康、秀忠の本陣に向けて一直線に攻撃すれば華やかな戦いになったであろう。
決戦は兵の数ではなく、実戦経験豊富だが明日の無い浪人衆と満ち足りた生活をしてる徳川方の兵とでは一発勝負にかける心構えが違う。
一方は手柄を立てなければ再び乞食同然の野垂れ死にの生活が、一方は逃げても命があれば領土もあり生活の保障のある高級武家衆。

南方の伊達、藤堂、前田は旧主である秀頼の本陣には弓矢を引き抜き難く、元気なのは松平と徳川一門だけ、しかも、世代交代した実戦経験の無い2世ぞろい。
局地戦で付け入る隙は十分ある。

60: 人間七七四年 2012/01/09(月) 09:42:02.60 ID:3J6ym+X+
当時の豊臣家は、わずか60万石。徳川方が勝ったところで報償は無しに等しい。
(事実、戦後の報償が茶碗一つなのを不満に思い、自棄になり乱行した徳川家大名もいる)

外様大名が命がけで攻めて兵を減らし家臣団が死んでも莫大な遠征費や戦費は自己負担。
本気で戦うのは一部の徳川家臣だけで後は名目上の参加に等しいのが現実。
伊達政宗は家康のご機嫌取りのため後継ぎを連れて来ていたが、大事な後継者に万が一の事が有っては大変と遥か後方に着陣させた。

豊臣の3倍以上の兵力を持ちながら、家康、秀忠の本陣を極僅かな兵で掻き回された夏の陣。
大坂冬の陣の時であれば、時期を見払って総攻撃すれば大坂方に勝機は有ったが、総大将が城から一歩も出なかったのが敗因。これが歴史。


65: 人間七七四年 2012/01/11(水) 19:41:29.06 ID:6UQQ7RYJ
秀頼が前線に出れば、自然と大野治長や七手組も前に出るな

66: 人間七七四年 2012/01/11(水) 22:19:32.57 ID:FDGWLHqD
七手組が小身過ぎて役に立たない。
親衛隊なら秀吉時代にもう少し強化・厚遇しとくべきだった。

68: 人間七七四年 2012/01/13(金) 16:13:53.00 ID:L9ArD8Uk
神輿は飾りで良いじゃない。
みんなで担ぎ上げないと祭りも盛り上がらないよ。

70: 人間七七四年 2012/06/11(月) 11:49:46.64 ID:fvxs281x
>>68
その神輿が将来名目上の総大将として担ぎあげられえたら天下の一大事だから家康は秀頼を助命しなかったんだろうなぁ

72: 人間七七四年 2012/06/13(水) 16:11:46.91 ID:vQpNanRp
生涯江戸城に軟禁でも良かったのにな

73: 人間七七四年 2012/06/15(金) 14:05:17.16 ID:na0SlmmJ
徳川に臣従したとしても生かしておくとは思えないんだろ

最後まで抵抗し続けたんだから生かしておくわけなかろう

74: 人間七七四年 2012/07/04(水) 11:36:58.76 ID:FZjflDH3
薩摩に落ち延びなら害もあるまい

75: 人間七七四年 2012/07/11(水) 22:31:07.31 ID:Yhgw52qU
太閤は手加減してくれたけど、老い先短くて必死状態の家康が手加減してくれるわけもなし島津ごと滅ぼされるべ

76: 人間七七四年 2012/08/05(日) 21:02:39.21 ID:dLGcyI01
薩摩まで逃げ延びると追撃中に家康の寿命が尽きそうだな

77: 人間七七四年 2013/03/05(火) 13:17:31.69 ID:ltkdByxr
家康が死んでも秀忠が攻めるんじゃね?
秀忠は関ヶ原や大坂の役は失敗続きだけど一地方大名の島津相手なら何とかなるかも
というか秀忠が死んでも島原の乱鎮圧に成功した家光がなんとかしそう

82: 人間七七四年 2013/06/17(月) 23:13:41.07 ID:aRsGITlp
家康から妥協案提示してたじゃん。
大阪城から出て和泉か河内に移る。
大阪城にいる浪人を解放する。
そしたら大名として残してやるって温情示してるのに拒否。秀頼が拒否したか重臣が拒否したかわからないが大阪城の主は秀頼。
よって殺されて当然

84: 人間七七四年 2013/06/22(土) 10:20:49.53 ID:YdPSq6QS
堀うめたり・鐘で難癖つけたりしてるやつが約束なんか守るわけねえし
転封したってどうせ後々難癖つけてつぶされるだけ
どうせ後世、大坂で篭城しとけば恩顧が寝返って勝てたのに・・・
っていわれるのがオチ

91: 人間七七四年 2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:2GdH9KPg
親父は関白。
さっさと公家になっておけば、良かったのでは
義経みたいなKYでも無い限り、関白を輩出する家(公卿?)を攻め滅ぼしたり出来ない。

96: 人間七七四年 2013/09/22(日) 17:31:49.33 ID:GBUh2edH
家康は自分も老いて寿命が短い…
秀頼親子に淀殿の妹の常高院と祖父の織田有楽斉に德川家に家臣として仕えるよう説得させても駄目だったので、豊臣家を攻め滅ぼすしかなかった

大坂の夏の陣の時常高院がなかなか京極陣営に帰ってこないから京極家の家臣が常高院を説得して大坂城から出させたのが真相
常高院は関ヶ原の時も合わせると4度の落城を経験している…
波乱の人生だわ

99: 人間七七四年 2013/10/02(水) 10:56:15.22 ID:qGlPZWCw
>>96
さっさと降伏したら命が助かったとでも?
将来の遺恨になるからやっぱり秀頼を殺したんじゃない?
加藤清正や福島正則など関ヶ原で家康に臣従し味方した豊臣恩顧の大名に家康がした仕打ちをみれば分かると思うけど?

100: 人間七七四年 2013/10/03(木) 23:24:47.47 ID:I9460L+7
それにしても、幕府を開いてから冬の陣開戦まで、良く10年も待てたよな、家康は。

よっぽど自分の健康に自信があったのかね。

101: 人間七七四年 2013/10/04(金) 18:35:46.68 ID:CbCzte5W
>>100
1610~大阪の陣開戦前あたりに死んだ豊臣恩顧大名が全て生きてたりしたら、さすがにすんなりいかないだろ
息子の結城秀康ですら全幅の信頼とは言い難い

104: 人間七七四年 2014/01/11(土) 17:23:06.29 ID:W6kVvjZJ
>>101
どっちかといえば、秀頼の元兄達が心配の種だったんじゃね?
福井県と岡山県にいたんだから、この二人が裏切ったら収拾はつかないだろうな

110: 人間七七四年 2014/04/10(木) 23:01:50.79 ID:6IMzVWmT
>>100
徳川も二条城会見のあと殊勝にしていれば滅ぼす気なかったんじゃないかな~とか思ってる。
清正は本当になんであのタイミングで死ぬんだよ、もうちょっと頑張れよw

130: 人間七七四年 2017/09/21(木) 09:24:35.27 ID:fnUY4j43
国松は殺すことなかったと思う
国松には身寄りがないも同然だし、国松が大きくなる頃には豊臣残党も死んでる

133: 人間七七四年 2018/09/17(月) 01:36:14.49 ID:Z0P2KKDr
>>130
気持ちはわかるが、禍根を絶たないと後々いつ誰が国松を担いで反乱をこすかわからないからね。
行かしておけば、国松も子孫を残すし。
男根取って出家させても、生きていれば人間関係が出来るので、影響を受けた人物が反乱の火種になりかねない。
たとえ小さな反乱でも、鎮圧するために味方に損害が出るし。

老い先短い家康には焦りがあったろうし・・・
孫の家光がかわいくてしょうがなかったみたいだし。

134: 人間七七四年 2018/10/12(金) 17:51:13.97 ID:epptClSO
幼い姫すら出家させる位なのに男の子を生かすとは思えないな
そんな甘いヤツではあるまい

136: 人間七七四年 2018/11/14(水) 01:24:52.87 ID:SO2k6oUw
息子の国松は豊後の日出藩に匿われたという伝説がある

137: 人間七七四年 2018/11/15(木) 01:01:28.63 ID:I0VZwDIZ
吉宗の治世に薩摩藩の猿渡という家老が老中松平左近将監に会い、薩摩に住む17歳になる男子の所持した大事な物といい、黒塗りの古い小箱を渡した事があった 直後に将監は吉宗にこの件を報告、吉宗が箱あけると中には、家康の書いた秀吉にあてた起請文が入っていた
「秀頼が15歳になったら、天下の政務は秀頼に属す」との内容であったとされる
その後薩摩藩主がその男子同道で吉宗に伺候した 秀頼の子孫となると男子は処刑される恐れもあったが、吉宗はもはや過ぎたことだとして、その男子はお咎めなしとし、赤坂山王の神主(500石)に指名し、支度金を与えら樹下民部と名乗らせたという話があるにある

142: 人間七七四年 2023/03/11(土) 08:37:10.57 ID:n5cnGqLy
>>137
秀吉がこういうのを書かせなかったはずはないと思う反面、実在したのなら公家の日記とかに記載されてたよなとも思う。

150: 人間七七四年 2023/03/19(日) 13:29:39.61 ID:JP01wtMK
家康も秀頼や国松を殺さない選択肢はあったのに、両方とも殺しちゃったしな。

まあ、助命嘆願をしてくれるバックがいない…っていうか、最も近い親類が徳川家という。
秀頼は家康の義理の甥、秀忠の婿かつ甥という立場。家康没後なら、秀忠は江の手前、殺さなかったかもな。
家光の代なら、紫衣事件の後の融和策とか考えると、従兄弟の秀頼は高家旗本くらいになれたかもしれん。

151: 人間七七四年 2023/03/19(日) 14:52:23.41 ID:TiP4xJt5
趙匡胤は柴氏の子々孫々まで保護するよう言い遺したがそれも大人しくしてることが前提で、子孫の誰かが主人面して皇帝位を要求したり挙兵でもしようものならさすがに誅殺しただろ
すでに出来上がった体制や秩序への反逆という犯罪行為でしかないからだ
秀頼がやらかしたのはそういうことで助命するなんて選択肢は和睦条件を蹴ったときになくなっている
あれも挙兵という犯罪を犯したあとでは相当大甘な譲歩だったと思う

152: 人間七七四年 2023/03/19(日) 22:16:00.32 ID:jMevbAUl
>>151
家康が和睦条件出してたよね
秀頼が大阪領を明け渡せば命を助けてやるって
秀頼も澱も激怒して蹴ったじゃん
あれでもう豊臣家終わったな

205: 人間七七四年 2026/07/28(火) 14:56:05.40 ID:vbi1cD2t
豊臣秀頼が生き延びるためには、大坂城を明け渡して大和法隆寺、又は、伊勢朝熊山で蟄居するか、または、京都に上って公家として生きることを選択する他なかった。

引用元: ・豊臣秀頼を生かしてやって欲しかった人の数