1: 世界@名無史さん 2014/02/16(日) 15:34:08.70 0
多神教、一騎打ちを好むアラブ騎兵、移動型や定住型の部族の混在
隊商、貿易ルートとしての重要性、乾燥地帯での農業 などなど
ムスリムからは暗黒とも言われるムハンマドの勢力確立以前の時代を語りましょう
隊商、貿易ルートとしての重要性、乾燥地帯での農業 などなど
ムスリムからは暗黒とも言われるムハンマドの勢力確立以前の時代を語りましょう
2: 世界@名無史さん 2014/02/16(日) 15:36:12.43 0
メッカの町は古くより存在し、2世紀に書かれたクラウディオス・プトレマイオス(トレミー)の「地理学」にはマコラバの名ですでに記載がある。
このころからメッカは聖域とされており、5世紀中盤にはクライシュ族がこの地を制圧した。
このころからメッカは聖域とされており、5世紀中盤にはクライシュ族がこの地を制圧した。
3: 世界@名無史さん 2014/02/16(日) 15:36:42.81 0
クライシュ族は6世紀にはキャラバンによる遠隔地交易に乗り出し、隊商路の安全を保つためにアラビア半島各地の勢力を制圧したり糾合して、メッカはその盟主となっていった。
併合された勢力の神は滅ぼされず、メッカのカーバ神殿へと遷され、その神を信じる同盟勢力の人々が巡礼のためメッカへと赴くようになった。
ムハンマドが生まれた570年頃にはおよそ一万人の定住者人口を持ち、まだ中東の都市のなかでは小規模であったが、商業都市として、また広域信仰圏の中心として急速に発展しつつあった
併合された勢力の神は滅ぼされず、メッカのカーバ神殿へと遷され、その神を信じる同盟勢力の人々が巡礼のためメッカへと赴くようになった。
ムハンマドが生まれた570年頃にはおよそ一万人の定住者人口を持ち、まだ中東の都市のなかでは小規模であったが、商業都市として、また広域信仰圏の中心として急速に発展しつつあった
4: 世界@名無史さん 2014/02/16(日) 15:37:57.23 0
ペルシャ地域の混乱が何度も長く続いたせいで、交易路としての重要性がはねあがったとか
5: 世界@名無史さん 2014/02/16(日) 15:39:39.89 0
メディナは聖遷以前は名をヤスリブと言い、アラブ人の二部族とユダヤ教徒の数部族が住む町であった。
ムハンマド以降はどうなったのかしらね
ムハンマド以降はどうなったのかしらね
7: 世界@名無史さん 2014/02/16(日) 15:46:48.67 0
6: 世界@名無史さん 2014/02/16(日) 15:44:50.88 0
イスラム創成期のハンダクの戦いで、塹壕を街の周りにムスリムが掘ったら、メッカの勢力がアラビア北西部の遊牧民から勇猛な騎兵と、ムハンマドに追放されたユダヤ人たちを雇って押し寄せた軍団が↓こんなことになっちまったらしいが、ローマやエジプト、イスラエル、ペルシャの知識は伝わってなかったのか?
>従来のアラブの戦いは、野戦での騎士による一騎打ちが伝統とされ攻城戦という概念はなかった。
>メッカ連合軍は初めて目にする塹壕に為すすべもなく、騎兵による塹壕突破を図ったが成功しなかった。
>騎士アムルのみが塹壕の幅が狭くなっている箇所を発見し、数名の従者と共に塹壕内に飛び込んだが、アリーとの一騎打ちの果てに敗れて討ち取られた。
>これ以降メッカ連合軍の士気は振るわず、夜襲をかけてもイスラム側の見張りに発見されて成功ししなかったので、やがて遠巻きに町を囲むのみになる。
>従来のアラブの戦いは、野戦での騎士による一騎打ちが伝統とされ攻城戦という概念はなかった。
>メッカ連合軍は初めて目にする塹壕に為すすべもなく、騎兵による塹壕突破を図ったが成功しなかった。
>騎士アムルのみが塹壕の幅が狭くなっている箇所を発見し、数名の従者と共に塹壕内に飛び込んだが、アリーとの一騎打ちの果てに敗れて討ち取られた。
>これ以降メッカ連合軍の士気は振るわず、夜襲をかけてもイスラム側の見張りに発見されて成功ししなかったので、やがて遠巻きに町を囲むのみになる。
8: 世界@名無史さん 2014/02/16(日) 16:00:56.42 0
大集団が存在せず戦闘が数百人規模が普通
26: 世界@名無史さん 2014/02/18(火) 20:46:39.03 0
シャーイル(詩人)やカーヒン(祭司)はマジュヌーン(ジン憑き)
ムハンマドはナビー(預言者)でラスールッラー(アッラーの使徒)
ムハンマドはナビー(預言者)でラスールッラー(アッラーの使徒)
27: 世界@名無史さん 2014/02/18(火) 21:04:39.22 0
でも「アル=イッラーフ」からイスラームの神を呼ぶために「アッラーフ」という単語が出来たのがイスラーム以降だから、必然的に「アッラーの使徒 」とかいう概念ができたのもイスラーム以降なんでしょ?
28: 世界@名無史さん 2014/02/18(火) 22:13:00.69 0
アッラーはアル(定冠詞)+イラーハ(神・男性単数)の組み合わせで、英訳すれば単にThe God
べつに固有名詞ではないし大文字小文字の差もないから、そのままイスラーム以前から特定の男性神を指す時には使うことができたろう
結果的にはムハンマド以降アラビア語においてその意味が劇的に変わったというだけのことだろう
べつに固有名詞ではないし大文字小文字の差もないから、そのままイスラーム以前から特定の男性神を指す時には使うことができたろう
結果的にはムハンマド以降アラビア語においてその意味が劇的に変わったというだけのことだろう
29: 世界@名無史さん 2014/02/18(火) 22:30:04.27 0
文献学的にはアッラー(الله)って形はいつ出てきたんだろ?
ジン(جن)は天国(جنة)と同語根の様だけどそこから察するにイスラーム以前には神(إله)扱いされてたりしてないんだろか?
ジン(جن)は天国(جنة)と同語根の様だけどそこから察するにイスラーム以前には神(إله)扱いされてたりしてないんだろか?
30: 世界@名無史さん 2014/02/18(火) 23:42:01.94 0
確かアッラートって女神も祀られてたんじゃなかったっけ。アッラーと対になってたのかな
31: 世界@名無史さん 2014/02/19(水) 03:45:34.91 0
日本語でググって出る限りの情報では
アッラート、マナート、アル=ウッザーでアッラーの3人の娘
それからフバル
それ以外は?
アッラート、マナート、アル=ウッザーでアッラーの3人の娘
それからフバル
それ以外は?
33: 世界@名無史さん 2014/02/19(水) 23:28:37.99 0
アッラーには娘がいたのか
42: 世界@名無史さん 2014/02/22(土) 07:00:04.34 0
>>33
その言い方は不正確
アッラーはあくまで「神」という普通名詞だから
ムハンマド啓示以前と以後で同じ呼称でもつながりはない
その言い方は不正確
アッラーはあくまで「神」という普通名詞だから
ムハンマド啓示以前と以後で同じ呼称でもつながりはない
36: 世界@名無史さん 2014/02/21(金) 12:06:44.46 O
イスラムの人ってメソポタミア文明やエジプト文明のことどう思ってんのかな。
偉大なムハンマド以前の野蛮な文明に価値などないって思ってるんだろうか。
偉大なムハンマド以前の野蛮な文明に価値などないって思ってるんだろうか。
37: 世界@名無史さん 2014/02/21(金) 14:42:03.70 0
イスラーム登場時にはオリエントの先行文明はすでにキリスト教とゾロアスター教に塗り替えられたあとだった
コーランには先行する文明や預言者たちに敬意を払っていることがわかる
ハディースでは広く知識を求める事を奨励している
異教徒であろうと何かの宗教を信仰していれば取引の相手として認めるのがムスリム
ただ同時に機会があればイスラーム入信を薦めてくる
コーランには先行する文明や預言者たちに敬意を払っていることがわかる
ハディースでは広く知識を求める事を奨励している
異教徒であろうと何かの宗教を信仰していれば取引の相手として認めるのがムスリム
ただ同時に機会があればイスラーム入信を薦めてくる
39: 世界@名無史さん 2014/02/21(金) 17:54:37.10 0
改宗した連中は、以前はカーバの黒い石とかを崇めてたわけのわからん信仰をもつわけのわからん連中なんだろう?
それともゾロアスターが主な改宗前の主要宗教だったの?
それともゾロアスターが主な改宗前の主要宗教だったの?
45: 世界@名無史さん 2014/02/25(火) 21:21:24.69 0
>>39
当時のアラブ人の大多数はいわゆる多神教徒
加えて当時のアラビア半島には少数派ではあるがユダヤ教徒も居住していた。
ゾロアスター教はほとんどササン朝の領域に限定されていて、当時のオリエントで勢力を広げていたのはローマ帝国において正統(カトリック)的でないとされたキリスト教の派閥よ。
当時のアラブ人の大多数はいわゆる多神教徒
加えて当時のアラビア半島には少数派ではあるがユダヤ教徒も居住していた。
ゾロアスター教はほとんどササン朝の領域に限定されていて、当時のオリエントで勢力を広げていたのはローマ帝国において正統(カトリック)的でないとされたキリスト教の派閥よ。
49: 世界@名無史さん 2014/02/27(木) 12:39:57.01 0
ヒトコブラクダの家畜化はアラビア半島が起源
53: 世界@名無史さん 2014/02/28(金) 19:10:42.98 0
>>49
昔から大型だったかららくだ騎兵の歴史ってかなり古いんだよなカルカルの戦いとか。
重いもの載せれるし、運搬能力は馬以上、乾いた地での持久力は圧倒的
でも馬のほうが戦場では良く見られる
やっぱ気性が荒いことが原因か?
昔から大型だったかららくだ騎兵の歴史ってかなり古いんだよなカルカルの戦いとか。
重いもの載せれるし、運搬能力は馬以上、乾いた地での持久力は圧倒的
でも馬のほうが戦場では良く見られる
やっぱ気性が荒いことが原因か?
54: 世界@名無史さん 2014/03/01(土) 13:36:57.90 P
>>53
ラクダは、その体型から、車を牽かせにくいからなあ。
実質、騎兵の用途でしか使えない。
このパターンは、象と似てる。象も、体型の問題から車を牽かせにくい(出来ないことはないけど)
だから、象も、事実上古代の騎兵としてしか使えなかった。
結局、ラクダは馬に劣後し、象は牛に劣後した。馬と牛は、どちらも車を牽くことができる。
まあ、日本のように、どういうわけか馬で車を上手に牽けず、事実上、「荷駄馬としてしか使えなかった」文化圏もあるけどね。
実は、ラクダは日本に向いてたのかもな。梅雨時に脚が化膿壊死して死んでしまうかw
ラクダは、その体型から、車を牽かせにくいからなあ。
実質、騎兵の用途でしか使えない。
このパターンは、象と似てる。象も、体型の問題から車を牽かせにくい(出来ないことはないけど)
だから、象も、事実上古代の騎兵としてしか使えなかった。
結局、ラクダは馬に劣後し、象は牛に劣後した。馬と牛は、どちらも車を牽くことができる。
まあ、日本のように、どういうわけか馬で車を上手に牽けず、事実上、「荷駄馬としてしか使えなかった」文化圏もあるけどね。
実は、ラクダは日本に向いてたのかもな。梅雨時に脚が化膿壊死して死んでしまうかw
55: 世界@名無史さん 2014/03/01(土) 15:03:51.47 0
ラクダも、ひとこぶラクダとふたこぶラクダでは用途が異なる
ひとこぶ →騎兵用 ふたこぶ →荷役用
ひとこぶ →騎兵用 ふたこぶ →荷役用
56: 世界@名無史さん 2014/03/01(土) 16:58:01.13 0
フタコブラクダは中央アジア以東のもので、ヒトコブラクダの10分の1しかいない
57: 世界@名無史さん 2014/03/02(日) 02:20:44.18 0
ふたこぶをひとこぶエリアに連れてきたら、熱中症でばったばった斃死するんだろうか
ダナキル低地とか特にやばそう
ダナキル低地とか特にやばそう
43: 世界@名無史さん 2014/02/24(月) 19:13:29.93 0
アラビア商人って海の貿易どれくらいやってたんや?資料がみつからん
46: 世界@名無史さん 2014/02/26(水) 01:12:10.16 0
>>43
この時代のアラブ商人の海上貿易に関する史料なら具体的な書籍名は挙げられんが地理書の類になるんじゃないかな。
無論同時代のアラブが書き残した資料など現存(ないしは存在)していないから後代のアラブ人、若しくは同時代のビザンツ人、ペルシア人の残した史料になると思うけど。
考古学的方法を用いることも可能かも。
この時代のアラブ商人の海上貿易に関する史料なら具体的な書籍名は挙げられんが地理書の類になるんじゃないかな。
無論同時代のアラブが書き残した資料など現存(ないしは存在)していないから後代のアラブ人、若しくは同時代のビザンツ人、ペルシア人の残した史料になると思うけど。
考古学的方法を用いることも可能かも。
58: 世界@名無史さん 2014/03/02(日) 05:29:06.41 0
シバ王国やアクスム王国が古代の象牙・金・香辛料・絹貿易でインド、中央アジア、アフリカ北部、西アジア、地中海の中継地点として貿易ルート上に栄えたな

紅海を支配できるクラスの安定した王国の衰退が隊商などの陸路の発展と関係あるのかな?

紅海を支配できるクラスの安定した王国の衰退が隊商などの陸路の発展と関係あるのかな?
59: 世界@名無史さん 2014/03/02(日) 05:36:53.16 0
『The Cambridge History of Africa(ケンブリッジ大学 アフリカの歴史)』(1975)によれば
アラビアとインドの香や香辛料における貿易はますます重要なものとなり、ギリシア人は始めて直接インドと貿易を始めた。
(中略)
紀元前115年頃にアラビア南西部にあったサバ人の王国が崩壊し、ヒムヤリテ王国が台頭した。
この期間に、おそらくアラブ勢力の弱体化で、エジプトとインドとの直接接触が可能になった。
エジプトに輸入されるシナモンやその他コショウなどの東洋の香辛料はかなり増加した。
しかしながら、インド洋航路での貿易も小規模ながら短期間続いており、毎年、20隻未満のエジプト商船が危険を冒して紅海の外に出ていた。
アラビアとインドの香や香辛料における貿易はますます重要なものとなり、ギリシア人は始めて直接インドと貿易を始めた。
(中略)
紀元前115年頃にアラビア南西部にあったサバ人の王国が崩壊し、ヒムヤリテ王国が台頭した。
この期間に、おそらくアラブ勢力の弱体化で、エジプトとインドとの直接接触が可能になった。
エジプトに輸入されるシナモンやその他コショウなどの東洋の香辛料はかなり増加した。
しかしながら、インド洋航路での貿易も小規模ながら短期間続いており、毎年、20隻未満のエジプト商船が危険を冒して紅海の外に出ていた。
60: 世界@名無史さん 2014/03/02(日) 05:41:50.72 0
インダスとメソポタミアという2大古代文明間の海上交易と発展し、インダス渓谷で作られた綿織物がメソポタミアに輸出されていた。
紀元前23世紀ころのメソポタミア遺跡から発見されたインダス文字の印章も当時の交易を物語っている。
また、紀元前30世紀ころのエジプト古代王朝も紅海貿易を展開していたが、孔雀を輸入したとの記録があり、インドとの交易を示唆している。
紀元前7世紀には鉄製釘を使って竜骨材と側板を張り合わせたダウ船がこの海域の代表的な航海船となる。
インド洋貿易の話から一部抜粋
http://www.in.emb-japan.go.jp/Ambassador_Lectures/Ambassador_Lectures3.html
紀元前23世紀ころのメソポタミア遺跡から発見されたインダス文字の印章も当時の交易を物語っている。
また、紀元前30世紀ころのエジプト古代王朝も紅海貿易を展開していたが、孔雀を輸入したとの記録があり、インドとの交易を示唆している。
紀元前7世紀には鉄製釘を使って竜骨材と側板を張り合わせたダウ船がこの海域の代表的な航海船となる。
インド洋貿易の話から一部抜粋
http://www.in.emb-japan.go.jp/Ambassador_Lectures/Ambassador_Lectures3.html
61: 世界@名無史さん 2014/03/02(日) 05:43:10.78 0
1世紀にギリシャ系エジプト商人が記述した「エリュトラ海案内記」
アラビア海貿易の模様を生き生きと描写しており、ソマリア海岸のスパイス、奴隷、亀甲、象牙、及びエジプトの衣料、食糧、インドの鉄製品、綿織物、ごま油など各地の名産が活発に交易されている模様を紹介している。
エリュトゥラー海案内記に基づいたインド洋(Erythraean Sea)における1世紀のローマ・インド間貿易のルートと主要都市

アラビア海貿易の模様を生き生きと描写しており、ソマリア海岸のスパイス、奴隷、亀甲、象牙、及びエジプトの衣料、食糧、インドの鉄製品、綿織物、ごま油など各地の名産が活発に交易されている模様を紹介している。
エリュトゥラー海案内記に基づいたインド洋(Erythraean Sea)における1世紀のローマ・インド間貿易のルートと主要都市

62: 世界@名無史さん 2014/03/02(日) 05:44:35.40 0
イエメンのヒムヤリテ王国(Himyarite Kingdom)やフランキンセンス王国(the Frankincense Kingdom)についての情報あったら誰か教えてくだされ
63: 世界@名無史さん 2014/03/02(日) 13:57:03.11 0
隊商交易の時代(乳香の道)
http://saudinomad.karuizawa.ne.jp/Najran-2.html#3.
ヒムヤル王国とジャヒリイヤの時代
http://saudinomad.karuizawa.ne.jp/Najran-2.html#4.
アビシニア傀儡政権とペルシャのイエメン獲得
http://saudinomad.karuizawa.ne.jp/Najran-2.html#5.
http://saudinomad.karuizawa.ne.jp/Najran-2.html#3.
ヒムヤル王国とジャヒリイヤの時代
http://saudinomad.karuizawa.ne.jp/Najran-2.html#4.
アビシニア傀儡政権とペルシャのイエメン獲得
http://saudinomad.karuizawa.ne.jp/Najran-2.html#5.
65: 世界@名無史さん 2014/03/02(日) 19:45:55.46 0
>>63
お、いいねそのサイト。
アクスム王国のイエメン侵攻の経緯に暗かったんだが、非常によく分かった
いわれてるほど、ユスティニアヌス1世の教唆って感じでもなさそうだね
お、いいねそのサイト。
アクスム王国のイエメン侵攻の経緯に暗かったんだが、非常によく分かった
いわれてるほど、ユスティニアヌス1世の教唆って感じでもなさそうだね
66: 世界@名無史さん 2014/03/02(日) 20:59:48.12 0
アラビアと言ったらイスラムのイメージが強くて気づかなかったが、イスラム以前が無明時代っても別に国家が存在しない未開地帯って訳じゃなかったんだな
むしろ古代オリエントの隣接地だけあって早くから文化が開けてる
むしろ古代オリエントの隣接地だけあって早くから文化が開けてる
76: 世界@名無史さん 2014/04/21(月) 15:50:10.56 0
>>66
基本的には、ササン朝ペルシャの属国みたいな物でしょう。
ある意味、ローマ帝国との緩衝地帯というか、取ったり取られたりの繰り返し。
ただゾロアスター教をアラブ人には、強要しなかった。
ペルシャ人は、(今でも)、アラブ人を馬鹿にしているしイスラム化しても、宗派は異なるしね。
それとイスラム化以前のアラブ人社会は、以外と女性の力が強かった、と言われている。
ローマ帝国から、独立した女王ゼノビアは、完全にアラブ人だし。出自は、ベドウィンらしい。
ゼノビアは、一時期エジプトからパレスチナ、シリア、アナトリアを押えた。
基本的には、ササン朝ペルシャの属国みたいな物でしょう。
ある意味、ローマ帝国との緩衝地帯というか、取ったり取られたりの繰り返し。
ただゾロアスター教をアラブ人には、強要しなかった。
ペルシャ人は、(今でも)、アラブ人を馬鹿にしているしイスラム化しても、宗派は異なるしね。
それとイスラム化以前のアラブ人社会は、以外と女性の力が強かった、と言われている。
ローマ帝国から、独立した女王ゼノビアは、完全にアラブ人だし。出自は、ベドウィンらしい。
ゼノビアは、一時期エジプトからパレスチナ、シリア、アナトリアを押えた。
77: 世界@名無史さん 2014/04/21(月) 19:47:47.10 0
ゼノビアってシバの女王のモデルだっけ
79: 世界@名無史さん 2014/04/21(月) 19:58:58.69 0
シバの女王は紀元前10世紀(伝説)
ゼノビアは紀元後3世紀(実在)
ゼノビアは紀元後3世紀(実在)
82: 世界@名無史さん 2014/04/22(火) 11:25:28.46 0
>>77>>79
ゼノビアは、シバの女王とエジプトのクレオパトラを、モデルにしていたのは事実。
シバの女王は、時代が1000年以上前と言っても一応同じアラブ人の女王だし、クレオパトラを持ち出したのは、エジプトやアナトリアを押える上でも必要だった。
今は、アナトリアは、トルコ人の支配地だけど、当時は、ギリシャ人が多く住む場所だった。
クレオパトラは、エジプトの女王だけど、プトレマイオス朝のルーツは、ギリシャだから。
ゼノビアは、シバの女王とエジプトのクレオパトラを、モデルにしていたのは事実。
シバの女王は、時代が1000年以上前と言っても一応同じアラブ人の女王だし、クレオパトラを持ち出したのは、エジプトやアナトリアを押える上でも必要だった。
今は、アナトリアは、トルコ人の支配地だけど、当時は、ギリシャ人が多く住む場所だった。
クレオパトラは、エジプトの女王だけど、プトレマイオス朝のルーツは、ギリシャだから。
83: 世界@名無史さん 2014/04/22(火) 13:48:51.87 0
>>82
>一応同じアラブ人の女王だし
ん?アラブ人?
セム人ならまだわかるが
>一応同じアラブ人の女王だし
ん?アラブ人?
セム人ならまだわかるが
84: 世界@名無史さん 2014/04/22(火) 16:53:02.49 0
アラブ人もセム人だが。
当時は、アラム人かな? アラム人が、アラブ人になったと言う説もある。
それとイスラム化する以前のアラブ人には、北アラブ人と南アラブ人の区別があった。
ゼノビアは、明らかに北アラブ人っぽい。
シバの女王は、南アラブと言うか南セム系だろうね。
エチオピアとの交渉の話しも出てくるからね。
当時は、アラム人かな? アラム人が、アラブ人になったと言う説もある。
それとイスラム化する以前のアラブ人には、北アラブ人と南アラブ人の区別があった。
ゼノビアは、明らかに北アラブ人っぽい。
シバの女王は、南アラブと言うか南セム系だろうね。
エチオピアとの交渉の話しも出てくるからね。
11: 世界@名無史さん 2014/02/16(日) 18:09:52.47 0
女性の待遇はイスラム以前よりも酷かったし、イスラム法みたいに明確に制度化されてないから捨てられることもあったとか
331: 世界@名無史さん 2017/11/01(水) 22:53:44.39 0
>>11
イスラーム・フェミニズムだっけ?ではそうなってるみたいだね
しかしイスラーム以前のアラブ遊牧民の世界では女性の地位はわりと高く、アムラーキー族のパルミラやタヌーフ族のマーウィイヤのように女性が族長になることもしばしばあった
もっとすごいのになるとケーダル族に至っては王は完全女系継承で女性以外は王位につけない
イスラーム・フェミニズムだっけ?ではそうなってるみたいだね
しかしイスラーム以前のアラブ遊牧民の世界では女性の地位はわりと高く、アムラーキー族のパルミラやタヌーフ族のマーウィイヤのように女性が族長になることもしばしばあった
もっとすごいのになるとケーダル族に至っては王は完全女系継承で女性以外は王位につけない
272: 世界@名無史さん 2016/01/16(土) 10:10:56.85 0
女4人と結婚できるは女が大量に余っていたからとされるけど。
もともと女が大量に余っていたのか?
イスラム勢力拡大で男をぶっ殺したので女が余ったということか?
前者ならなぜ女が大量に余るんだろう?
もともと女が大量に余っていたのか?
イスラム勢力拡大で男をぶっ殺したので女が余ったということか?
前者ならなぜ女が大量に余るんだろう?
276: 世界@名無史さん 2016/02/06(土) 21:55:58.24 0
二次大戦でも女余りの状況になってたし、普通に戦乱でバタバタ男が死んだんだろうな
279: 世界@名無史さん 2016/03/13(日) 17:47:27.53 0
女児間引きで男余りの国でも一夫多妻制だったりするからそれは関係ないと思う
つうか非戦闘員の虐殺も当たり前の前近代の戦いで男女比狂うことってあまりないと思う
つうか非戦闘員の虐殺も当たり前の前近代の戦いで男女比狂うことってあまりないと思う
282: 世界@名無史さん 2016/03/26(土) 04:01:21.48 0
>>279
アラビア人は女は殺しませんよ
つうか非戦闘員の虐殺も当たり前の前近代の戦いってすごい偏見だな
アラビア人は女は殺しませんよ
つうか非戦闘員の虐殺も当たり前の前近代の戦いってすごい偏見だな
283: 世界@名無史さん 2016/03/26(土) 04:04:02.36 0
昔の中東人は目に映るもの全てを見境なく殺しまくっていたと思っているんだろうな
332: 世界@名無史さん 2017/11/01(水) 23:17:38.28 0
>>283
いやあながち間違いとは言えない
というのも古代のオリエントの王の功績を誇った碑文や旧約聖書ではどう見ても虐殺にしか思えないことを平然と書いてるのがあるから
メシャ王碑文
そしてケモシュは私に言われた。「行け、イスラエルからネボを奪え」。そして私は夜に出て行き、戦った-それは夜明けから正午に至るまでであった-、
私はこれ(ネボ)を手にいれた。そして私は全住民を抹殺した。七千人の男達、居留民の(男達)、女達、居留民の(女達)、奴隷の少女達を。私はそれを敢行した。
アッシュールバニパル碑文
彼らの中の多くの捕虜をわたしは火で焼き,多くの者を生け捕りにした。わたしはある者たちの手や指を切り取り,ほかの者たちの鼻や耳や指(?)を切り落とし,多くの者の目をえぐり出した。
わたしは生きた者どもで一本の柱を,頭でもう一本の柱を作り,彼らの頭を都の周りの柱(木の幹)に縛り付けた。彼らの若者たちや乙女らをわたしは火の中で焼いた。
ヨシュア記
イスラエルびとは、荒野に追撃してきたアイの住民をことごとく野で殺し、つるぎをもってひとりも残さず撃ち倒してのち、皆アイに帰り、つるぎをもってその町を撃ち滅ぼした。
その日アイの人々はことごとく倒れた。その数は男女あわせて一万二千人であった。
いやあながち間違いとは言えない
というのも古代のオリエントの王の功績を誇った碑文や旧約聖書ではどう見ても虐殺にしか思えないことを平然と書いてるのがあるから
メシャ王碑文
そしてケモシュは私に言われた。「行け、イスラエルからネボを奪え」。そして私は夜に出て行き、戦った-それは夜明けから正午に至るまでであった-、
私はこれ(ネボ)を手にいれた。そして私は全住民を抹殺した。七千人の男達、居留民の(男達)、女達、居留民の(女達)、奴隷の少女達を。私はそれを敢行した。
アッシュールバニパル碑文
彼らの中の多くの捕虜をわたしは火で焼き,多くの者を生け捕りにした。わたしはある者たちの手や指を切り取り,ほかの者たちの鼻や耳や指(?)を切り落とし,多くの者の目をえぐり出した。
わたしは生きた者どもで一本の柱を,頭でもう一本の柱を作り,彼らの頭を都の周りの柱(木の幹)に縛り付けた。彼らの若者たちや乙女らをわたしは火の中で焼いた。
ヨシュア記
イスラエルびとは、荒野に追撃してきたアイの住民をことごとく野で殺し、つるぎをもってひとりも残さず撃ち倒してのち、皆アイに帰り、つるぎをもってその町を撃ち滅ぼした。
その日アイの人々はことごとく倒れた。その数は男女あわせて一万二千人であった。
298: 世界@名無史さん 2016/03/26(土) 09:38:28.11 0
Kindle版 『預言者の生涯』 イブン・イスハーク著、岡島稔(翻訳), 座喜純(翻訳)
第一巻 http://www.amazon.co.jp/dp/B00UFPLB2G
第二巻 http://www.amazon.co.jp/dp/B00UNIRS90
第三巻 http://www.amazon.co.jp/dp/B00UTRF0TA
第四巻 http://www.amazon.co.jp/dp/B00UZ992ZA
このスレの住人なら既知かとは思うが、第一巻にわりと長めでイスラム化以前についての記述がある。
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第四巻 http://www.amazon.co.jp/dp/B00UZ992ZA
このスレの住人なら既知かとは思うが、第一巻にわりと長めでイスラム化以前についての記述がある。
299: 世界@名無史さん 2016/05/19(木) 00:00:51.05 0
イスラームの断食(ラマダーン)は、日中の猛暑を避けて夜間に活動した原始アラブの名残だろ?
300: 世界@名無史さん 2016/05/19(木) 10:10:25.10 0
ということはアラブの多くの地域で気温が心地よい冬には本来は断食はしなかった?
302: 世界@名無史さん 2016/05/19(木) 10:57:36.36 0
>>300
人は毎日、断食をしている。睡眠によって。その断食をやめるのが朝食でありbreakfast。
酷暑の季節、昼間は木陰で休み夜に活動する。キャラバン(隊商)はまさにそれ。
月がイスラーム教のシンボルになったのは、夜の活動に月の光が重要だったからだ。
人は毎日、断食をしている。睡眠によって。その断食をやめるのが朝食でありbreakfast。
酷暑の季節、昼間は木陰で休み夜に活動する。キャラバン(隊商)はまさにそれ。
月がイスラーム教のシンボルになったのは、夜の活動に月の光が重要だったからだ。
301: 世界@名無史さん 2016/05/19(木) 10:15:43.13 0
ラマダーンはイスラム暦だと変化するので冬もあれば夏もある。
302: 世界@名無史さん 2016/05/19(木) 10:57:36.36 0
>>301
イスラムが決めたヒジュラ暦におけるラマダーンの話をしても意味がない。
無明時代、アラブ社会の暦は閏月による調整が行われる農牧が重視される社会だった。
商人出身のムハンマドは、太陽暦で動く農牧業者の利便を無視して、商取引や租税の計算を簡単にしたいがために、太陽の動きに合わせて営まれる自然界と、著しく断絶した役立たずなヒジュラ暦を導入してしまった。
イスラムが決めたヒジュラ暦におけるラマダーンの話をしても意味がない。
無明時代、アラブ社会の暦は閏月による調整が行われる農牧が重視される社会だった。
商人出身のムハンマドは、太陽暦で動く農牧業者の利便を無視して、商取引や租税の計算を簡単にしたいがために、太陽の動きに合わせて営まれる自然界と、著しく断絶した役立たずなヒジュラ暦を導入してしまった。
303: 世界@名無史さん 2016/05/19(木) 13:16:32.69 0
太陽暦って普及していなかったのか?
304: 世界@名無史さん 2016/05/19(木) 17:05:23.11 0
農耕民じゃなければ太陽暦は必要ないからな
305: 世界@名無史さん 2016/05/19(木) 18:52:32.93 0
太陽暦を運用するには閏で暦調節しなければならない。
文盲でありながら意識高い系な預言者ムハンマドは、暦調節を暦調節師の利権と考え、これを廃止した。
文盲でありながら意識高い系な預言者ムハンマドは、暦調節を暦調節師の利権と考え、これを廃止した。
306: 世界@名無史さん 2016/05/23(月) 19:26:51.69 0
農耕や徴税にはシリアやコプトやイランの太陽暦を用いてるよ
ヒジュラ暦は宗教暦になったってだけ
ヒジュラ暦は宗教暦になったってだけ
312: 世界@名無史さん 2016/10/30(日) 21:01:02.78 0
映画「ベン・ハー」のせいでずっと遊牧民やってるイメージしかなかったorz
322: 世界@名無史さん 2017/04/29(土) 19:55:13.24 0
なんでムハンマドはユダヤ人でもクリスチャンでもないのに旧約聖書ベースにしたの?
仏教にしろキリスト教にしろ儒教にしろ 元々あった宗教の発展形、別解釈みたいなものだけど
イスラムはメッカにあったアラブの多神偶像の宗教じゃなくてユダヤ教の発展形だよね?
それこそユダヤ教ムハンマド派的な
当時のアラブ商人は、一神教ユダヤ・キリスト教にどれくらい傾倒していたのか
仏教にしろキリスト教にしろ儒教にしろ 元々あった宗教の発展形、別解釈みたいなものだけど
イスラムはメッカにあったアラブの多神偶像の宗教じゃなくてユダヤ教の発展形だよね?
それこそユダヤ教ムハンマド派的な
当時のアラブ商人は、一神教ユダヤ・キリスト教にどれくらい傾倒していたのか
323: 世界@名無史さん 2017/04/29(土) 21:30:48.97 0
>>322
ムハンマド以外に似たようなのが何人もいたよ、ムスリムからは偽預言者といわれる
当時のアラビア半島では旧約聖書から展開される一神教がなんら珍しくなかったということ
ヒムヤル朝、ガッサーン朝、ラフム朝などを調べてみればそのへんの情勢がわかる
ムハンマド以外に似たようなのが何人もいたよ、ムスリムからは偽預言者といわれる
当時のアラビア半島では旧約聖書から展開される一神教がなんら珍しくなかったということ
ヒムヤル朝、ガッサーン朝、ラフム朝などを調べてみればそのへんの情勢がわかる
325: 世界@名無史さん 2017/05/01(月) 09:16:30.66 0
>>323
なるほど ありがとう
ユダヤ教はユダヤ人だけが信仰する閉鎖的で偏屈な宗教ってイメージより、当時の中東じゃもっとゆるくてポピュラーなものだったのか
ユダヤ神話や一神教もイスラム以前にすでに、信者以外にもかなり浸透してたのかな
考えてみれば、東洋ですらキリスト教系新興宗教がポコポコ生まれたんだから、当時の中東でそういう動きがあってもおかしくはないか
ムハンマドは洪秀全みたいなものかもしれない
なるほど ありがとう
ユダヤ教はユダヤ人だけが信仰する閉鎖的で偏屈な宗教ってイメージより、当時の中東じゃもっとゆるくてポピュラーなものだったのか
ユダヤ神話や一神教もイスラム以前にすでに、信者以外にもかなり浸透してたのかな
考えてみれば、東洋ですらキリスト教系新興宗教がポコポコ生まれたんだから、当時の中東でそういう動きがあってもおかしくはないか
ムハンマドは洪秀全みたいなものかもしれない
引用元: ・イスラム化以前のアラビアのスレ









更にユスティニアヌスはエチオピア人を動かしてイエメンに上陸させ貯水池を破壊するなどしたため、
一部住民が生活基盤を失い野盗化したという。