1: 人間七七四年 2007/07/13(金) 00:09:43 ID:hHJEd2W2
妻や姉のおかげでどん底から大名へと這上がった京極高次を語ろう。
姉松の丸、妻お初、弟高知、父高吉、母マリア、息子忠高の話題もOK
姉松の丸、妻お初、弟高知、父高吉、母マリア、息子忠高の話題もOK
京極 高次(きょうごく たかつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。若狭国小浜藩の初代藩主。
京極氏は北近江の守護で本来は浅井氏の主筋に当たるが、臣下の浅井氏の下克上を受け、その力は大きく衰えていた。高次はその庇護のもと、浅井の居城内で生まれた。のちに妹(姉説も)・竜子(松の丸殿)が豊臣秀吉の側室となり、淀殿の妹の初(常高院)を正室とした。そのため彼女たちの七光りで出世したとされ、蛍大名と囁かれた。しかし決して無能な人物ではなく、大津城の戦いでは、居城の大津城に篭もって1万人を超える西軍の軍勢を食い止め、関ヶ原の戦いの主戦場へと向かわせなかった。戦後、その功により若狭一国を与えられて国持大名となり、弟・高知と並んで京極家を再興し、近世大名家としての礎を固めた。
京極氏は北近江の守護で本来は浅井氏の主筋に当たるが、臣下の浅井氏の下克上を受け、その力は大きく衰えていた。高次はその庇護のもと、浅井の居城内で生まれた。のちに妹(姉説も)・竜子(松の丸殿)が豊臣秀吉の側室となり、淀殿の妹の初(常高院)を正室とした。そのため彼女たちの七光りで出世したとされ、蛍大名と囁かれた。しかし決して無能な人物ではなく、大津城の戦いでは、居城の大津城に篭もって1万人を超える西軍の軍勢を食い止め、関ヶ原の戦いの主戦場へと向かわせなかった。戦後、その功により若狭一国を与えられて国持大名となり、弟・高知と並んで京極家を再興し、近世大名家としての礎を固めた。
5: 人間七七四年 2007/07/13(金) 02:32:14 ID:LLIV2uXH
何で蛍っつうの?
6: 人間七七四年 2007/07/13(金) 11:17:16 ID:ya7JNQhS
妻と姉の尻の光で出世したから。
11: 人間七七四年 2007/07/13(金) 18:58:58 ID:bGRXpTlh
嫁さん+美人の姉とで十四光りか。
蛍大名の名のとおり周囲の妬みがすごかっただろうな。
蛍大名の名のとおり周囲の妬みがすごかっただろうな。
12: 人間七七四年 2007/07/13(金) 22:45:45 ID:ya7JNQhS
関が原での小早川の裏切りはよく語られても、この人の裏切りはあんま語られないね。
勝敗を大きく左右した武将の一人だと思うんだけど。
もし西軍に与したままで、西軍が勝ってたら、秀吉、淀殿の義弟、秀頼の叔父、松の丸の弟って事で(小浜なんて問題になんないくらい)大出世してたんだろうか。
勝敗を大きく左右した武将の一人だと思うんだけど。
もし西軍に与したままで、西軍が勝ってたら、秀吉、淀殿の義弟、秀頼の叔父、松の丸の弟って事で(小浜なんて問題になんないくらい)大出世してたんだろうか。
大津城の戦いは、慶長5年9月7日(1600年10月13日)から同年9月15日(同10月21日)まで、近江国大津城を巡って行われた戦い。関ヶ原の戦いの前哨戦と位置付けられる。
豊臣秀吉の死後、徳川家康と、石田三成らの対立は、慶長5年の会津征伐を契機として表面化する。三成は家康が会津攻めに赴いたことを好機として、大谷吉継や毛利輝元らの諸大名を糾合して挙兵した。そして、家康が畿内を留守にしている隙をついて伏見城を落とし(伏見城の戦い)、次いで北陸や伊勢方面の平定に乗り出していた。北陸方面の平定には、越前敦賀の大名である吉継が担当することとなった。そして、この北陸方面軍の一員として、近江大津城の城主・京極高次が加わっていた。ところが吉継が北陸から美濃へと転進する最中に、高次は突如東軍に寝返り、手勢3000名を率いて大津城に籠城し、防備を固め始めた。
もっとも、家康は上杉討伐に向かう前に大津城で高次と会談して支持を取り付けており、高次は最初から東軍の一員であったが、東軍加担の事実が発覚するのを避けるため西軍の動きに一見応じる姿勢を見せ、三成ら西軍諸将がその事実に気づかなかっただけだとする説もある。
豊臣秀吉の死後、徳川家康と、石田三成らの対立は、慶長5年の会津征伐を契機として表面化する。三成は家康が会津攻めに赴いたことを好機として、大谷吉継や毛利輝元らの諸大名を糾合して挙兵した。そして、家康が畿内を留守にしている隙をついて伏見城を落とし(伏見城の戦い)、次いで北陸や伊勢方面の平定に乗り出していた。北陸方面の平定には、越前敦賀の大名である吉継が担当することとなった。そして、この北陸方面軍の一員として、近江大津城の城主・京極高次が加わっていた。ところが吉継が北陸から美濃へと転進する最中に、高次は突如東軍に寝返り、手勢3000名を率いて大津城に籠城し、防備を固め始めた。
もっとも、家康は上杉討伐に向かう前に大津城で高次と会談して支持を取り付けており、高次は最初から東軍の一員であったが、東軍加担の事実が発覚するのを避けるため西軍の動きに一見応じる姿勢を見せ、三成ら西軍諸将がその事実に気づかなかっただけだとする説もある。
27: 人間七七四年 2007/09/27(木) 03:10:31 ID:ppzTSM4W
>>12
しかし、何でまた突然裏切りしたんだろ?
しかし、何でまた突然裏切りしたんだろ?
29: 人間七七四年 2007/10/02(火) 22:02:46 ID:5+dlyEdX
>>27
家康から大津城の修復費として銀を貰ってたんじゃなかったけっか?
家康から大津城の修復費として銀を貰ってたんじゃなかったけっか?
113: 人間七七四年 2009/01/29(木) 00:04:01 ID:vFQdvneh
大津で15000釘付けにできたのは大きいよな。
開城したとは言え東北で上杉を足止めした最上、九州で一暴れしら如水に匹敵する軍功だと思うよ。
家康も似たような評価した訳だし。(尤も近江30万石を辞退するんだがww)
開城したとは言え東北で上杉を足止めした最上、九州で一暴れしら如水に匹敵する軍功だと思うよ。
家康も似たような評価した訳だし。(尤も近江30万石を辞退するんだがww)
122: 人間七七四年 2009/02/20(金) 15:05:12 ID:/VAr+jRc
若狭を貰っただけのような気がする
108: 人間七七四年 2009/01/26(月) 20:58:40 ID:59hs+iX5
大河主人公最有力候補だと思ふ
114: 人間七七四年 2009/01/29(木) 08:12:34 ID:g29orYge
ボンボンだが、泥水啜りながら必死に生き残った人って感じで寧ろカッコイイと思うが、流行らないタイプ・主人公にはなれないタイプだとは思う
しかし祖先は婆娑羅でやりたい放題だったのになぁ
しかし祖先は婆娑羅でやりたい放題だったのになぁ
115: 人間七七四年 2009/01/29(木) 09:39:36 ID:rXqCrl09
長期籠城した挙げ句に勅使がやってきた細川幽斎のような開城の仕方があるだけにこの人のダメさが際立つのが可哀想。
まー攻手が勇猛な立花宗茂なら仕方がないけどな。
まー攻手が勇猛な立花宗茂なら仕方がないけどな。
124: 千石船 2009/03/16(月) 22:16:42 ID:EBs8Z2RW
敦賀・小浜の湊を含めた若狭・越前敦賀郡の領有を許された京極氏は旧領の近江湖北を貰うよりも良かったと思う。
湊で金が入る割には石高が低いから軍役も少ないし。
湊で金が入る割には石高が低いから軍役も少ないし。
125: 人間七七四年 2009/03/21(土) 17:37:39 ID:CBLQK1vv
でも兄弟で、丹後若狭という近畿周辺の国を続けて賜るというのは徳川家康から凄い信用されていたんだろうな。
数ヶ国知行というのは池田氏並か、それ以上だろう。
さらに京極高次の子孫は出雲・隠岐・石見に加増転封だろ。
出雲なんか室町期の京極氏の本国じゃん、凄いよ全く。
数ヶ国知行というのは池田氏並か、それ以上だろう。
さらに京極高次の子孫は出雲・隠岐・石見に加増転封だろ。
出雲なんか室町期の京極氏の本国じゃん、凄いよ全く。
126: 人間七七四年 2009/03/22(日) 18:42:20 ID:vbzrDbYH
そうなんだ?
京極家の本国って近江じゃなくて出雲なんだ
勉強になりました
京極家の本国って近江じゃなくて出雲なんだ
勉強になりました
127: 人間七七四年 2009/03/22(日) 19:53:17 ID:56rox7L1
いや京極一族(佐々木に遡っても)全体を通して近江が本国。
室町時代は出雲という話。
室町時代は出雲という話。
135: 人間七七四年 2009/04/04(土) 22:32:49 ID:NSFB41rh
高次に若狭一国というより京極家に丹後・若狭二国というのが家康の恩賞だったんじゃないかなあ?
高知の功を京極家本家の高次の功として評価したんじゃない?
そしたら井伊家なみの評価と信頼だと思うよ畿内最近の丹後・若狭領有は。
現に京極家の後には井伊家同等の酒井家が若狭の領主になっているもの
高知の功を京極家本家の高次の功として評価したんじゃない?
そしたら井伊家なみの評価と信頼だと思うよ畿内最近の丹後・若狭領有は。
現に京極家の後には井伊家同等の酒井家が若狭の領主になっているもの
京極 高知(きょうごく たかとも)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。丹後国宮津藩(宮津城)初代藩主。高知流京極家の祖。秀吉死後は徳川家康に接近し、慶長5年(1600年)には岐阜城攻めに参戦し、関ヶ原の戦いでは平塚為広ら大谷吉継隊に対して藤堂高虎と共に戦うなどの戦功を挙げた。
136: 人間七七四年 2009/04/11(土) 23:36:52 ID:lBvN6WaU
>>135
オレもその意見に賛成だ。京極高知の功が10万石から12万石への加増では過小評価しすぎだ。
福島並に丹後・若狭くらい貰ってもいいと思う。
徳川家康に対し兄京極高次を立てたんじゃないかなあ?。
反対に一国以上を貰うと改易されるかもと考えたのかもしれないが。
京極高知は京極高次の与力だし高次の功として評価しても別にいいけどねえ。
オレもその意見に賛成だ。京極高知の功が10万石から12万石への加増では過小評価しすぎだ。
福島並に丹後・若狭くらい貰ってもいいと思う。
徳川家康に対し兄京極高次を立てたんじゃないかなあ?。
反対に一国以上を貰うと改易されるかもと考えたのかもしれないが。
京極高知は京極高次の与力だし高次の功として評価しても別にいいけどねえ。
143: 人間七七四年 2009/04/14(火) 19:42:41 ID:tOxT5x7f
むしろ大封もらっても福島らのように潰された可能性もある。
劣勢の中ふんばり、まんまと生存。
十万石といえばつぶれたに等しい家から見れば相当なもんだし。
だれでも英雄になれるわけじゃない、上等だよ。
劣勢の中ふんばり、まんまと生存。
十万石といえばつぶれたに等しい家から見れば相当なもんだし。
だれでも英雄になれるわけじゃない、上等だよ。
146: 140 2009/04/15(水) 11:27:23 ID:FvW4wQWk
でも確かに京極高知ってなんであんなに加増少ないの?
福島の隣で戦ったのにね?
国持ち大名に格上げなのか知らないけど2万石の加増だけってどうなんだ?
福島の隣で戦ったのにね?
国持ち大名に格上げなのか知らないけど2万石の加増だけってどうなんだ?
149: 人間七七四年 2009/04/16(木) 01:15:06 ID:/0OTrZ1s
まあ嫁さんがアレだからあんま加増すると不味くねってことじゃね?
いや嫁さんは悪くないんだけどさ
いや嫁さんは悪くないんだけどさ
150: 人間七七四年 2009/04/18(土) 05:05:58 ID:hadtVPya
やっぱ国持大名って印象としてかなり違うんじゃないですかね。
特に京極家は家柄的にそういうの重視しそうですし。
丹後って、狭いですしお世辞にも豊かな土地ではないんですが、京都や近江に近くてなんか歴史も古くて一国扱いになりますから、「実より名」って感じなんじゃないですかね。
後代の我々なんかは禄高で考えますけど、当時は何かにつけて「格差」を意識させられるわけですし。
ちなみに私は高知流の分家峯山藩の足軽の家の出なんで、
特に京極家は家柄的にそういうの重視しそうですし。
丹後って、狭いですしお世辞にも豊かな土地ではないんですが、京都や近江に近くてなんか歴史も古くて一国扱いになりますから、「実より名」って感じなんじゃないですかね。
後代の我々なんかは禄高で考えますけど、当時は何かにつけて「格差」を意識させられるわけですし。
ちなみに私は高知流の分家峯山藩の足軽の家の出なんで、
153: 151 2009/04/20(月) 10:55:06 ID:RQxXfIrI
そうそう京極高知が必死で戦った大谷吉継の越前敦賀領も結局京極高次の嫡男の京極忠高に与えられて・・・
強運厚遇の家ですよね高次家は。
強運厚遇の家ですよね高次家は。
154: 人間七七四年 2009/05/05(火) 13:23:25 ID:GjOO7UGx
石田三成の近江佐和山は井伊直政に与えられたんだよね?
やっぱり戦に勝ったほうが負けた方の領土を貰うんだ・・・
敦賀城も佐和山城も壊されたの?
やっぱり戦に勝ったほうが負けた方の領土を貰うんだ・・・
敦賀城も佐和山城も壊されたの?
156: 人間七七四年 2009/05/29(金) 23:23:58 ID:ZNP5GH7T
徳川家康の京極兄弟に対する信頼は抜群であったと思う。
若狭の木下家は高台院を守衛していたのに改易。
丹後の細川家は加増という名目の地方への左遷。
徳川家康は木下家や細川家を全く信用していない。
山城・近江周辺の国を与えられるということは本庄や酒井などの重臣並の信用があったということ。
若狭の木下家は高台院を守衛していたのに改易。
丹後の細川家は加増という名目の地方への左遷。
徳川家康は木下家や細川家を全く信用していない。
山城・近江周辺の国を与えられるということは本庄や酒井などの重臣並の信用があったということ。
160: 人間七七四年 2009/05/30(土) 15:20:36 ID:ZDTQbCJz
本庄って誰だよw一瞬本気で考え込んじまったじゃねーかw
譜代並みの重用ってのはいくらなんでも言い過ぎ。
細川に対してあれだけの加増をしつつ近畿に残すのは無理だ。
他の第一級の功将たちとのバランスもあるから40万石くらいやらなきゃならんしな。
考えればわかるだろ、浅野、池田を加増して近畿の抑えに井伊を近江に入れて尾張に一門入れたら土地がもうない。
あと近畿北陸間の抑えに秀康か。当時は対大坂シフトだから、京に近く日本海に面してるとはいえ丹後の重要性は低下してる。
ついでにいえば家康は本当に信頼してる将は江戸周辺の守備と各街道の要衝に配置してる。
京極はいざと言う時は池田か井伊か越前松平(いくらなんでもこの三人との重要度の違いは大きすぎるでしょ)の与力扱いが精々では。
それにあの時は大坂が仮想敵国で藤堂だって目付けを兼ねて四国に残ってるし。
江戸城内での序列も決して高くはなかったし。(藤堂とかある時代以降の脇坂とかなら外様でも有力譜代並みと言えるけど)
あと高台院を守護していた木下家定は領土安堵だぞ。改易されたのは敵前逃亡の勝俊だろ。
高次贔屓が過ぎて物の見方まで歪んじゃうってのはちょっと重症じゃない?
譜代並みの重用ってのはいくらなんでも言い過ぎ。
細川に対してあれだけの加増をしつつ近畿に残すのは無理だ。
他の第一級の功将たちとのバランスもあるから40万石くらいやらなきゃならんしな。
考えればわかるだろ、浅野、池田を加増して近畿の抑えに井伊を近江に入れて尾張に一門入れたら土地がもうない。
あと近畿北陸間の抑えに秀康か。当時は対大坂シフトだから、京に近く日本海に面してるとはいえ丹後の重要性は低下してる。
ついでにいえば家康は本当に信頼してる将は江戸周辺の守備と各街道の要衝に配置してる。
京極はいざと言う時は池田か井伊か越前松平(いくらなんでもこの三人との重要度の違いは大きすぎるでしょ)の与力扱いが精々では。
それにあの時は大坂が仮想敵国で藤堂だって目付けを兼ねて四国に残ってるし。
江戸城内での序列も決して高くはなかったし。(藤堂とかある時代以降の脇坂とかなら外様でも有力譜代並みと言えるけど)
あと高台院を守護していた木下家定は領土安堵だぞ。改易されたのは敵前逃亡の勝俊だろ。
高次贔屓が過ぎて物の見方まで歪んじゃうってのはちょっと重症じゃない?
161: 人間七七四年 2009/06/04(木) 22:43:08 ID:c63tpFa6
>>160
細川を心底信用出来たなら丹後丹波但馬あたりを与えるだろうよ池田並に。
最終的に加藤の跡に細川を入れたということは、福島の跡に浅野を入れたのと同じ扱い。
細川を心底信用出来たなら丹後丹波但馬あたりを与えるだろうよ池田並に。
最終的に加藤の跡に細川を入れたということは、福島の跡に浅野を入れたのと同じ扱い。
165: 人間七七四年 2009/06/19(金) 23:43:45 ID:rHC3ChhJ
>>161
徳川家にとって初期京極家(丹後・若狭両家)は親戚あつかいだったように思う。
若狭・敦賀は石高が低い割りに湊からの税収が多く、軍役が軽いオイシイクニだと思う。
徳川家にとって初期京極家(丹後・若狭両家)は親戚あつかいだったように思う。
若狭・敦賀は石高が低い割りに湊からの税収が多く、軍役が軽いオイシイクニだと思う。
130: 人間七七四年 2009/03/29(日) 01:51:14 ID:vFMwXI7+
このスレはちと過大評価しすぎじゃね。
いくら立花その他の軍勢を足止めしたっていっても落城してるわけだし、結果的には立花勢が関ヶ原に間に合わなかったとはいえ、それを計算したわけでもなくただの運でしょ。
関ヶ原一戦で決着がつくとは誰も思ってなかった当時、落城しちゃったら功とはいえないのでは。
結果オーライだったのと弟の高知が関ヶ原で頑張ったのを込みでのボーナス的な加増だと思う。
名門のボンボンながら頑張ったとは思うし、蛍呼ばわりは可哀想だし言いすぎだと思うけど。
でも高次を西軍に誘っときながら、しらっと関ヶ原で裏切って東軍に参戦してた朽木を見つけた時は複雑な心境だったのでは。
いくら立花その他の軍勢を足止めしたっていっても落城してるわけだし、結果的には立花勢が関ヶ原に間に合わなかったとはいえ、それを計算したわけでもなくただの運でしょ。
関ヶ原一戦で決着がつくとは誰も思ってなかった当時、落城しちゃったら功とはいえないのでは。
結果オーライだったのと弟の高知が関ヶ原で頑張ったのを込みでのボーナス的な加増だと思う。
名門のボンボンながら頑張ったとは思うし、蛍呼ばわりは可哀想だし言いすぎだと思うけど。
でも高次を西軍に誘っときながら、しらっと関ヶ原で裏切って東軍に参戦してた朽木を見つけた時は複雑な心境だったのでは。
174: 人間七七四年 2009/09/10(木) 21:04:12 ID:g7+OLvf7
京極高次は山崎合戦後、旧・若狭武田領に隠れていたという説と柴田勝家に匿われていたという説を見たのですが、どちらが正しいのでしょうか?
1584年に秀吉に仕えているのはどちらも同じなのですが
1584年に秀吉に仕えているのはどちらも同じなのですが
175: 人間七七四年 2009/09/25(金) 14:57:34 ID:IwN22gRZ
武田元明を頼ったんじゃないかな。
176: 人間七七四年 2009/09/26(土) 13:00:05 ID:XqF4DYWL
>>175
山崎合戦のあと自害に追い込まれてる人間にどうやって頼る?
山崎合戦のあと自害に追い込まれてる人間にどうやって頼る?
178: 174 2009/09/27(日) 09:38:51 ID:dAy8uZ4/
>>176
元明は首謀者の1人として殺されてますが、旧若狭武田家臣(武藤氏)など、意外と光秀に与していながら秀吉から命までは奪われなかった人物は多いので、旧武田領に隠れていても不思議ではないんですよね。
明智一族を討った後も、全ての明智勢がすぐに全滅降伏したわけでもないですし。
元明は首謀者の1人として殺されてますが、旧若狭武田家臣(武藤氏)など、意外と光秀に与していながら秀吉から命までは奪われなかった人物は多いので、旧武田領に隠れていても不思議ではないんですよね。
明智一族を討った後も、全ての明智勢がすぐに全滅降伏したわけでもないですし。
179: 人間七七四年 2009/09/27(日) 23:38:48 ID:VLUTWQQu
武田元明の子孫は京極家の家老を代々勤めているね。
182: 人間七七四年 2009/10/24(土) 15:27:26 ID:QJRFfRVw
元明の子って何ていう人?
184: 人間七七四年 2009/11/07(土) 07:14:24 ID:oYuFCxGS
>>182
元明の子というと、木下長嘯子とその弟(足守藩主)がその後身だという話を時々見かけるな。それ以外にも子がいたのか。
元明の子というと、木下長嘯子とその弟(足守藩主)がその後身だという話を時々見かけるな。それ以外にも子がいたのか。
185: 人間七七四年 2009/11/08(日) 10:27:40 ID:NddcAadE
>>184
木下兄弟が武田元明の子だというのは確証もない俗説。
京極家(若狭・出雲・丸亀に転封)の家老を務めた佐々家のみが系譜に明記された由緒正しい武田家の末裔だよ。
若狭守護の武田家と北近江の京極家は近しい間柄だから、没落した一方が出世した一方の家老を務めるのはあたりまえの話。家老(親族)が主家の名字を名乗るのも普通の話。
江戸時代初期、若狭国主京極家の下、佐々家は西若狭の要衝である高浜城を任されていたというのも地元では有名な話。若狭武田家は、織田政権下、丹波の細川昭元どうように、旧守護国の旗頭として利用されつつ、西若狭の大飯郡で3000石の直割地も許されていたから西若狭は武田家にとって郷土だったんだよね。
本能寺の変で武田元明は京極高次と同じく近江で反明智の城を攻めちゃったから切腹させられちゃったけど。木下弟(足守藩主)の旧領を関ヶ原後、ふたたび武田家の末裔が実質的に支配する訳だから縁が深いんだろうね大飯郡と武田家は。
木下兄弟が武田元明の子だというのは確証もない俗説。
京極家(若狭・出雲・丸亀に転封)の家老を務めた佐々家のみが系譜に明記された由緒正しい武田家の末裔だよ。
若狭守護の武田家と北近江の京極家は近しい間柄だから、没落した一方が出世した一方の家老を務めるのはあたりまえの話。家老(親族)が主家の名字を名乗るのも普通の話。
江戸時代初期、若狭国主京極家の下、佐々家は西若狭の要衝である高浜城を任されていたというのも地元では有名な話。若狭武田家は、織田政権下、丹波の細川昭元どうように、旧守護国の旗頭として利用されつつ、西若狭の大飯郡で3000石の直割地も許されていたから西若狭は武田家にとって郷土だったんだよね。
本能寺の変で武田元明は京極高次と同じく近江で反明智の城を攻めちゃったから切腹させられちゃったけど。木下弟(足守藩主)の旧領を関ヶ原後、ふたたび武田家の末裔が実質的に支配する訳だから縁が深いんだろうね大飯郡と武田家は。
192: 人間七七四年 2010/03/13(土) 22:23:33 ID:HCEvrb6U
47で死んだんだな>高次
関ヶ原で頑張りすぎて疲れたんだろうか
関ヶ原で頑張りすぎて疲れたんだろうか
219: 人間七七四年 2011/05/19(木) 21:21:29.37 ID:XqKK2elt
秀吉は本能寺の時点で打首にしとけば良かったのに
武田とたいして歳変わらんだろ
武田とたいして歳変わらんだろ
220: 人間七七四年 2011/05/20(金) 17:18:26.59 ID:cKaKN/Bg
秀吉にとって京極家は、自分の箔付けの為にもよい名門家
京極龍子を側室にし、更に茶々を側室にして、その妹を京極家に嫁がせれば更によい箔付けって魂胆さ
京極龍子を側室にし、更に茶々を側室にして、その妹を京極家に嫁がせれば更によい箔付けって魂胆さ
223: 人間七七四年 2011/06/12(日) 22:54:22.29 ID:RdbBNFfk
>>220
秀吉の根拠地(初めての大名の領地)が北近江だから家臣の少ない羽柴家としては浅井家や京極家の浪人を多く羽柴家に雇用したはず。家臣からの忠誠心を得るためにも浅井や京極の血を羽柴家に入れたいのは領主として当然といえる。
実際に旧浅井家家臣が一番忠誠心が強かった。
秀吉の根拠地(初めての大名の領地)が北近江だから家臣の少ない羽柴家としては浅井家や京極家の浪人を多く羽柴家に雇用したはず。家臣からの忠誠心を得るためにも浅井や京極の血を羽柴家に入れたいのは領主として当然といえる。
実際に旧浅井家家臣が一番忠誠心が強かった。
230: 人間七七四年 2011/07/24(日) 00:19:02.07 ID:H14Po+Da
>>220
そのとおり
っていうか・・・秀吉は織田信長から浅井長政に替わる右腕(野望達成征服の)として北近江の大名にされたはず(たしか左腕は徳川家康といってたような・・・)。
だから、とうぜん秀吉は浅井家、もしくはその主家の京極家を一生涯意識していたと思う。だから恋愛なんて関係ないんだよ。
秀吉は北近江の大名だから浅井や京極の娘を大切にしていた。北近江地侍を掌握するために、信望を得るために。
そのとおり
っていうか・・・秀吉は織田信長から浅井長政に替わる右腕(野望達成征服の)として北近江の大名にされたはず(たしか左腕は徳川家康といってたような・・・)。
だから、とうぜん秀吉は浅井家、もしくはその主家の京極家を一生涯意識していたと思う。だから恋愛なんて関係ないんだよ。
秀吉は北近江の大名だから浅井や京極の娘を大切にしていた。北近江地侍を掌握するために、信望を得るために。
221: 人間七七四年 2011/05/21(土) 16:12:43.99 ID:RRlslKPT
お姉ちゃんあげるから殺さないでと命乞いしたからだよ
丹羽に捕まらなかっただけの可能性が高いけど
丹羽に捕まらなかっただけの可能性が高いけど
224: 人間七七四年 2011/06/16(木) 23:21:36.86 ID:dpzFboOD
京極家再興した後、旧浅井家臣の人たちも多く入ったのかな
だとすると再興後は、京極・浅井連合軍みたいになったのかな
だとすると再興後は、京極・浅井連合軍みたいになったのかな
225: 人間七七四年 2011/06/17(金) 14:10:36.20 ID:1RafdOlE
佐々木京極家を滅ぼしたのが浅井だからなあ
六角ならまだ分かるけど
六角ならまだ分かるけど
228: 人間七七四年 2011/07/18(月) 23:39:14.12 ID:GkKVqOXH
>>225
>京極家を滅ぼしたのが浅井だからなあ
ええーっ!そうだったの!いつの何という戦い(または事件)でどういうふうに滅ぼしたの?
>京極家を滅ぼしたのが浅井だからなあ
ええーっ!そうだったの!いつの何という戦い(または事件)でどういうふうに滅ぼしたの?
229: 人間七七四年 2011/07/18(月) 23:52:24.37 ID:fsCVF6t5
滅ぼしたのは語弊がある
もともと京極家は内紛がおおい家で、京極騒乱とも言われていて、高次の父高吉が兄高広と家督争いをして、浅井家も高広支援 高吉負けて追放
その後、高広も浅井と戦い浅井家勝利 京極家は支配権を失う って感じ?
もともと京極家は内紛がおおい家で、京極騒乱とも言われていて、高次の父高吉が兄高広と家督争いをして、浅井家も高広支援 高吉負けて追放
その後、高広も浅井と戦い浅井家勝利 京極家は支配権を失う って感じ?
232: 人間七七四年 2011/07/26(火) 00:22:12.58 ID:o3NPGuPP
高次は秀吉にヘコヘコして京極家再興したと色々書かれるが、内心秀吉を利用して再興したったわ!
くらいの腹黒さのある人にも見える
くらいの腹黒さのある人にも見える
233: 人間七七四年 2011/08/15(月) 21:33:07.04 ID:LNrrdclm
京極さんは、名門だし現代までお家続いているのになぜ逸話とか史料とか少ないんだろう
兄弟揃って好きなのに
兄弟揃って好きなのに
引用元: ・蛍大名・京極高次を語ろう




要するに鳥居家と同じ扱いだから高次の功は鳥居元忠に匹敵すると見なされていたことになる