2: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/12/08(土) 12:06:59.93 0
川が重要ですね

3: 世界@名無史さん 2018/12/08(土) 20:27:58.22 0
古代の官道は立派過ぎて維持できず消滅。

37: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/12/10(月) 22:49:03.04 0
>>3
これはあるあるとみせかけてローマの道路が残りすぎているのでそんなでもない気がします

まぁ、あれ民道なのかもしれませんが

5: 世界@名無史さん 2018/12/08(土) 21:46:55.05 0
コンテナの登場で物流の世界が変わった。
最初は箱自体が重くてかさばるので嫌われてたが、クレーンなどの機械化が進むと一変。
港の風景からヤクザな荷役業者も船乗りたちを待つ女たちも消える。停泊時間が短く過ぎて。
輸送費の劇的低下と共にグローバル経済の時代に突入する。
生産地が地球の裏側であっても気にせずモノを消費できてしまう。
生産者の競争相手は世界全体にいるのだ。

6: 世界@名無史さん 2018/12/08(土) 22:06:08.53 0
山口組の収入源の一つは神戸港の荷役業務。
世界中の多くの港でも荷役業務を担っていたのは、荒くれ野郎共たちであり、ヤクザな親分さんが差配していた。
コンテナ輸送になると野郎どもは必要なくなる。

8: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/12/09(日) 01:23:25.03 0
コンテナ輸送は画期的だけど、中身の方を標準化する試みはたしか満鉄さんがやってましたねぇ

9: 世界@名無史さん 2018/12/09(日) 03:08:32.27 0
物流の影響で曲がったキュウリや野菜は廃棄処分になった。

市場が曲がった野菜を市場や消費者が要求したのではない。
物流のための箱詰めの規格化が排除した。

昔は多少曲がっていたがどんどんまっすぐになっていった。
不作や天候不順の場合のみ若干曲がった野菜が登場する程度だ。

御盆のお供えのナスやキュウリは曲がっているイラストが多いがこんなのは幻だ。

このため農家は均一に光を当てる工夫が余儀なく手間が増えた。
日本の物流は世界トップクラスだ、しかし、罪はある。

10: 世界@名無史さん 2018/12/09(日) 14:43:23.98 0
少しでも多く積むためなのにね
ただ割高でも曲がったキュウリを運ぶ要望があれば別だけど、消費者は少し高めの曲がったキュウリは買わない
本物の豆腐だってみんな買わないんだから

11: 世界@名無史さん 2018/12/09(日) 16:30:50.97 0
ロジスティクスは軍事用語。
日本人は兵站を軽視するのが伝統。

417: 世界@名無史さん 2019/09/12(木) 09:45:41.49 0
>>11
日本は自軍の兵站も軽視するが、敵の兵站も軽視する。
第一次ソロモン海戦で日本海軍が大勝利を収め、ガダルカナル島沖に多くの米艦が沈没したり大破し、米軍は真っ青。
だが米軍側は日本側の動きに首をかしげた。
日本艦隊や爆撃機は肝心の米軍輸送船団を無視して放置したままじゃんか。
何やってるんだ、あいつら。
結局、米軍はガダルカナル島への物資の揚陸に成功。
戦略的に米軍の大勝利。

420: 世界@名無史さん 2019/10/05(土) 15:05:42.38 0
>>417
軽視したくてしたんじゃないだろうね。
弾薬も燃料も足りないんで輸送船攻撃とかに使いたくないのだろう。
本当に短期決戦しか考えてなかったんだよね、

12: 世界@名無史さん 2018/12/09(日) 17:33:52.04 0
昔も陸大とかで兵站は落ちこぼれにやらせたとかだもんね
本当は軍で一番大切なのに

690: 世界@名無史さん 2023/09/01(金) 23:12:01.39 0
見よ敵は資源・物資が枯渇しているぞ
皇国の勝利は間違い無い!

692: 世界@名無史さん 2023/09/02(土) 14:59:11.86 0
>>690
皇軍とて決して兵站を軽視していたわけではない。
ただ戦域の急拡大についていけなかった。
石油の産地を制しても石油を運べない。

20: 世界@名無史さん 2018/12/10(月) 10:58:02.70 0
♪ 輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち~

17: 世界@名無史さん 2018/12/09(日) 21:09:57.16 0
コンテナは当初、箱が重くて荷重の1/4を占めてたり、箱の分まで関税が掛けられたりで歓迎されてなかった。
米国の業者が諦めずに研究を進めて、仕様を固めて運用するようになってから一気に世界に広まった。
結局、米国規格が世界標準になった。

26: 世界@名無史さん 2018/12/10(月) 19:05:48.31 0
>>17
コンテナのサイズがフィートインチ単位なのはそのせいか
なんかムカつくが…

49: 世界@名無史さん 2018/12/12(水) 21:33:53.62 0
>>26
石油の容積の単位でよく聞くバレル。
バレルは樽のことで、カルフォルニア油田でニシン樽に入れて運んだのが始まり。
米国から標準規格が生まれやすい。

18: 世界@名無史さん 2018/12/09(日) 21:22:55.97 0
中国から米国向けに発送するコンテナを帰路に空箱で運ぶ費用を節約するために箱を米国で処分していたなんて話もあった。
中国での箱の生産費が空箱輸送費よりずっと安かったから。

19: 世界@名無史さん 2018/12/09(日) 21:45:01.67 0
物流を制する者が世界を制する。
スペイン、オランダ、イングランド…。

290: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2019/03/30(土) 11:11:30.74 0
>>19

航海条例(イングランド)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AA%E6%B5%B7%E6%9D%A1%E4%BE%8B

Actsと複数形で呼ばれるのは、航海条例が制定されたのが複数回(1381年から1696年にかけて9回)だからであるが、歴史的に最も頻繁に言及される1651年の航海条例を中心に扱う。

1651年の航海条例は、オリバー・クロムウェルが実権を握っていたイングランド共和国の議会により可決され、共和国政府が発布した条例で、オランダ商人による中継貿易の排除を目的とした。英蘭戦争のきっかけとなり、イギリス商業革命の要因ともなった。

イングランド及び植民地に外国船を入れない
イングランド人(植民地の住民を含む)乗組員が、最低半数を占めること[8]
イングランドの船であること[1]

である。また、イングランドは、居住地でなく国籍を重視したため、イングランド植民地の住民は、植民地間の貿易をおこなうことができた。
また、イングランド領アジアやアフリカの物品は、ブリテン諸島やアメリカの植民地のみにしか送れなかった。
逆に、西インド諸島やアメリカの植民地からは、外国船で諸外国に送ることができ、ヨーロッパ諸国の輸出品は、イングランド船で運送するか、産出国の船で運ぶかのどちらかだった[8]。


航海条令 (スウェーデン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AA%E6%B5%B7%E6%9D%A1%E4%BB%A4_(%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3)

636年にスウェーデン政府が発布した条令である。
スウェーデンによる生産と輸出の増加を図るためと、バルト海貿易におけるオランダ商人による貿易を規制する事を目的とした。
条令はイングランド商人にも適用されたが、実際は、輸送面でスウェーデンはオランダの優位を崩す事が出来なかった事が原因だった。

航海条令では、ストックホルムとオーボ(トゥルク)以北の都市は、外国と直接取引きをする事を禁じられた。
さらにイェヴレやカルマルが条令に加えられた。これによって取引は以後、ストックホルムが独占していく事となった。

291: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2019/03/30(土) 11:50:24.30 0
>>19
18世紀が手薄ですな、、、


1503年(スペイン)商務院

1600年(イギリス)イギリス東インド会社

1602年(オランダ)オランダ東インド会社

1636年(スウェーデン)航海条例

1651年(イングランド)「クロムウェル航海法」

1806年(フランス)大陸封鎖令→ベルリン勅令

295: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2019/04/05(金) 07:49:42.16 0
>>291
ヴェンド同盟

ワールシュタットの戦いが起きた1241年、リューベックとハンブルクと間に商業同盟が結ばれた。
これは、その都市の資源はその都市の商人が扱い、外来の商人は排他するというもの。
1256年、リューベックとロストックが対立する。
しかし、ヴィスマールが両者の仲を取持ち、3都市は友好関係(ヴェンド同盟)を築くことに成功した。

432: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2019/11/28(木) 21:50:52.27 0
ふむぅ、これはめっちゃ歴史を感じますね
値切りチキンレースみたいなのも行われたんでしょうか


エーレスンド海峡通行税
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%83%89%E6%B5%B7%E5%B3%A1%E9%80%9A%E8%A1%8C%E7%A8%8E


エーレスンド海峡通行税 (英: Sound Dues または Sound Toll、 丁: Oresundstolden) は、デンマークがエーレスンド海峡を通航する他国船舶に課していた通行税で、16世紀から17世紀にはデンマークの歳入の実に三分の二を占めていた。

1429年にエーリク7世が導入したもので、1857年のコペンハーゲン条約まで有効であった。
なお、1660年から1712年まではスウェーデン船は免除特権が与えられていたが、1720年7月3日のフレデリクスボー条約で免除特権の返上が約された。

エーレスンド海峡を通航するすべての他国船舶は、デンマーク着か発かにかかわらず、ヘルシンゲルに停泊してデンマーク王室に通行料を支払うことが義務付けられた。
停泊を拒否した船舶は、ヘルシンゲルおよびヘルシンボリから砲撃して撃沈されることになっていた。

1567年に税額が積載する貨物の価格の1-2%に改められ、デンマークの税収は3倍になった。
船長が貨物の価格を過少申告して課税逃れすることを防ぐため、デンマークは目録に記載された価格で貨物を購入する権利を留保する、という実効性の高い対策が採られていた。

他の航路を利用して税逃れをすることを防ぐため、大ベルト海峡と小ベルト海峡でも通行税が徴収されていた。
他国船舶に対してエーレスンド海峡以外の通航が禁じられることもあり、違反した船舶は接収されたり沈められたりした。

25: 世界@名無史さん 2018/12/10(月) 16:28:01.36 0
川が流通の要っていっても、水路みたいな平らな川ならいいけどさ、川って奥に行けばいずれだんだん高くなっていくじゃん?
そりゃ水が流れるんだから当たり前だよな

そしたら奥から海に行くのは楽だけど、一度海の方に行ってしまったら、戻ってくるの大変じゃん
船とか一回一回使い捨てかよ
それとも根性で逆流を登ってくるのかよ、鯉みたいにさ
どこが楽なんだよ、超大変じゃん
木材みたいに物だけ流して下流で拾ってくれるやり方なら楽だろうけど

27: 世界@名無史さん 2018/12/10(月) 20:33:30.50 0
>>25
下流行きの船便はコスト1、上流行きはコスト5とかある。
上流行きは牛や馬などで船を引張っていく。
ロシアなど東欧では人力。イリヤ・レーピンの絵が有名。

当然、川のとなりに引張っていく牛や馬のための道が並行する。
運河時代になっても動力革命前なので同じ構造だ。

逆に運河の並列道路がないなら、動力革命後の運河かもしれない。

673: 世界@名無史さん 2023/06/05(月) 09:52:26.74 0
>>27
架線はしばしば氾濫して流路が変わったり、近代以降の護岸で川幅を変えたりしたので、かならずしも、閉口する道路の有無が動力革命とは関係しない。

34: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/12/10(月) 22:30:33.24 0
>>25
そういう場合は家畜の残りから作った浮き袋と木材を組み合わせたイカダで川を下るやり方がありますね

目的地に着いたら空気を抜いて畳んで持って帰るんだけど、自分で持つのはメンドウだから家畜に乗っけたいところ

渡河なんかにも使えます

673: 世界@名無史さん 2023/06/05(月) 09:52:26.74 0
>>25
淀川は、大阪から伏見まで、帆走と人力を併用。
瀬戸内海は干満の差が大きいので、上潮のときに、上手くすれば枚方まで行ける。
そこから先は、岸沿いに牽引牽引。
概ね、下り1日、上り2日だけれど、天候条件によっては3日4日。

28: 世界@名無史さん 2018/12/10(月) 20:37:43.65 0
滝・激流・難所があるとそこで船に積み替えが発生するので小さな町に発展する。
当然、そこを境に経済発展の速度が格段に落ちる。

日常生活物資は距離に応じて変化して瀑布線で一気に非線形で変化し、それ以降はまた距離に応じて変化する。

しかし、工業・工場はそこが限界点で、鉄道革命を待つしかない。


米国南部の瀑布線が有名。

33: 世界@名無史さん 2018/12/10(月) 21:53:48.50 0
>>28
面白い話をありがとうございます
人力畜力を基準にインフラの構造が決まり、街が発展とか近代以前の消えたインフラの話は魅力的ですね
現在の街の形も、電気や石油の力を基準に構造が決定されているんでしょうね

660: 世界@名無史さん 2023/05/08(月) 17:22:47.91 0
中国の歴代の王朝は漕運システムを持つ。
地方で徴収した穀物を首都に運んだり、軍糧を北方の前線に輸送するために、成人男子を徴用する。
唐代玄宗の初めに正丁800万人のうち400万人を物資輸送のために徴用していた。
それでも長安の慢性的な食糧不足を解消できなかった。
食糧不足ため唐代前期の皇帝や武則天らは洛陽に行っていた。
玄宗は宰相裴耀卿らに漕運改革を実行させる。
労役で運搬人を確保するのではなく、労役の代わりに庸などの納税で財源を確保し、運搬人を雇用するようになった。
こうした一連の漕運改革で長安への穀物供給が安定し、結果、唐はさらに長持ちするようになった。

一方、元王朝は安定的な漕運を実現できず、江南の穀物を大都に運ぶ量が安定しなかった。
これがモンゴルの中国支配が短命で終わった原因である。
逆に明や清は安定的な漕運制度のおかげで長持ちできたとも言える。

663: ウムウル 2023/06/01(木) 20:52:48.22 0
>>660
ふむぅ
おいらの認識と逆ですね

これは何処が捻れたのだろうか、、、

665: 世界@名無史さん 2023/06/04(日) 08:21:03.23 0
>>663
元朝は大運河を次々と開削して内陸水運を整備した。
でもうまくいかなかったようだ。
実際は完成していなかったとか、水量不足とか諸説ある。
代わりに海運が発達し、徐々に輸送量が増加し、350万石に達した。
但し天候に左右されやすく、輸送量が安定しなかったという認識がある。

666: ウムウル 2023/06/04(日) 17:45:58.25 0
>>665
海運は漕運とは別制度なのかな?

運河の問題としたらオペレーションの問題とは異なってるんだろうか、、、

667: 世界@名無史さん 2023/06/04(日) 21:01:36.15 0
>>666
海運も政府直轄事業なので漕運の一種。
1290年に海賊出身の朱清たちに始めさせ、1329年(天暦2年)に350万石の輸送量の最大を記録した。
海運だけど大都は内陸なので運河も通る。
大都の市街中央に海船が乗り付ける内陸港があった。

668: ウムウル 2023/06/04(日) 21:08:39.38 0
おぉ、大都の内陸湖は海船が直接乗り付けしてたのか

海港まで運河繋いで繋いでた気がしますから外航船が辿り着けたならかなり頑張ったんですね

669: 世界@名無史さん 2023/06/04(日) 21:33:51.73 0
>>668
正確には海の大きな船は通州の張家湾で小船に乗り換え、50mほどの高低差を閘門式の運河で登って、北京の積水潭に入る。

670: 世界@名無史さん 2023/06/04(日) 21:41:44.87 0
杭州から大都に至る全長約1700kmの大運河を作ったけれど、場所によっては数十mの高低差があったりしてて、越えるには水量が足りなかった。

671: 世界@名無史さん 2023/06/05(月) 01:51:10.87 0
明朝は大運河の再整備を進め、大運河の水位を安定させるための治水工事に成功する。
工事の成功と海禁令もあって海運は廃れる。

702: 世界@名無史さん 2023/09/27(水) 10:41:29.18 0
>>671
元朝では水量が足らず使い物にならなかった大運河。
明の永楽帝が宋礼という人物の立案に従って工事を実施。
工事に16万人を動員した。
1411年に工事が完了し、大運河に充分な水量を供給できるようになった。
1421年の北京への遷都は大運河が使えるようになったからこそ実現できた。

675: ウムウル 2023/06/05(月) 23:07:16.48 0
そういえば、積水潭の水量を調節するようにどっかの湖を開発したんでしたっけか

大都でも相当でかいエリア占めてるんですよね、たしか

695: 世界@名無史さん 2023/09/08(金) 22:01:00.02 0
呉越同舟の呉は内陸水運で栄える。
越は海運で栄えた。
呉越両国の争いは交易の主導権をどちらが握るかの争いでもある。

682: ウムウル 2023/06/20(火) 22:17:14.02 0
返して~

>>1

中国がロシアの港を奪還? ウラジオストク港の使用権を165年ぶりに回復 衰退が加速するロシアの極東権益を侵食中
https://toyokeizai.net/articles/-/680533

683: 世界@名無史さん 2023/06/23(金) 17:31:49.77 0
>>682
ロシアにとって貴重な不凍港でシベリア鉄道の起点。
返還できないな。

ソ連時代は軍港として外国人や一般国民も入れない閉鎖都市だった。
富山ーウラジオストクの貨客船航路は復活する見込みなくなったのか。

かつては横浜ーナホトカ航路があって、ナホトカからシベリア鉄道でハバロフスク、そこから国内航空でモスクワに行くのが一番安価な手段だった。

684: 世界@名無史さん 2023/06/24(土) 07:34:22.27 0
東アジアとヨーロッパを結ぶ最短航路は北極海航路。
でも氷(物理と政治)が阻む。
砕氷LNG船の運航もどうなるやら。

708: ウムウル 2023/11/04(土) 20:10:28.46 0
疋田船川が日本海と琵琶湖を繋げていたとのこと

60人で引っ張ってたらしいw
敦賀湾は古代より日本海沿岸、さらには大陸と繋がっており、各国の物資が敦賀へもたらされました。疋田地域は、それらの物資を琵琶湖経由で京都まで運ぶための要所でした。江戸時代に入ると北前船で運ばれる大量の物資をより効率よく京都へ運ぶため、敦賀・琵琶湖間に運河開削を目指す機運が高まりました。

計画が実現したのは文化13年、現在の舟川の原型ができあがり、敦賀の町から疋田までは舟で、疋田からは牛車で深坂峠を越えて琵琶湖へ荷物が運搬されるようになりました。


敦賀市立博物館 つるが歴史遺産 疋田舟川


709: 世界@名無史さん 2023/11/04(土) 20:39:30.58 0
ボルガの舟歌の日本版

711: ウムウル 2023/11/05(日) 19:06:23.13 0
琵琶湖の水量があれば閘門やりほうだいの気はするが
なんか理由でもあったのだろうか?

712: ウムウル 2023/11/05(日) 19:12:50.15 0
>>708
どうやら肝心なところを誤解していたらしい

敦賀の町から疋田までは舟で、疋田からは牛車で深坂峠を越えて琵琶湖へ荷物が運搬されるようになりました。

http://www.fuku2.co.jp/hikita.html

710: 世界@名無史さん 2023/11/05(日) 13:25:50.70 0
大坂から丸亀行の金毘羅船の船賃は飯布団付きで3泊4日で4百文。
なぜこんなに時間がかかるのだ?明石海峡の海流に乗れば早く行けそうなんだが。

引用元: ・物流の歴史