文化財

漢委奴国王印 いわゆる金印

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1: 日本@名無史さん 2012/06/03(日) 17:01:47.80
天明年間、筑前国那珂郡志賀島志賀島に於いて甚兵衛なる百姓が田圃仕事中に偶然発見したとされる。

・「漢委奴國王」を何と読むのか?
 →かんのわのなのこくおう
 →かんのいとのこくおう
文化庁編「新増補改訂版 国宝事典」(便利堂、1976年)
「その訓みについてはなお定説をみない」

・後漢書の印綬と同一か?
後漢書「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」より
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う」

・そもそも真物か?
出土地も確定できない問題がある

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京都御苑内の公家町について語ろう!

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小牧長久手時代 織田信雄の家康宛の書状初公開・鶴岡

1: 水星虫 ★ 2023/04/13(木) 06:20:53.65 ID:QW4h0jtf9
戦国時代 織田信雄の家康宛の書状初公開 鶴岡市の博物館

https://www3.nhk.or.jp/lnews/yamagata/20230412/6020017227.html
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いのでご注意を

戦国時代に徳川家康とともに「小牧・長久手の戦い」で豊臣秀吉と戦った織田信長の次男、信雄が家康宛に送った書状が、山形県鶴岡市の博物館で初めて公開されました。
専門家によりますと、家康と秀吉の仲介役を信雄が担っていたことが読み取れる貴重な資料だということです。

(略)

専門家によりますと、書状には「家康の家臣、石川数正を秀吉に参上させ、今後について相談することはとてもめでたい。秀吉も考えを承知し、慎重にことを進めるだろう」などと書かれていて、家康と秀吉に緊張関係が続く中で信雄が仲介役を担っていたことが読み取れるということです。
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東大寺の四天王像とかいう全員バリバリにキャラ立っててクソ格好良い像たち

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1: 名無しさん@おーぷん 23/04/23(日) 16:41:43 ID:6sng
好きすぎる

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【J】好きな画家を言ってくスレ

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 2022-11-05の記事【沖縄で1903年までかけられていた「人頭税」とかいう制度】は、対立煽り、分断を煽り、政治的な記事、と誤解される方が多いため、非公開にしました。




1: 名無しさん@おーぷん 22/05/23(月) 21:02:59 ID:UVie
ワイはシスレー

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