大和

【軍事】戦艦「大和」はオール電化に自動調理器 「厨房の戦闘力」も超弩級だった

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1: 首都圏の虎 ★ 2020/02/06(木) 08:52:39.44 ID:ZDrWDGuR9
乗員の士気を維持するために美味い食事は必須

日本が建造した世界最大の戦艦「大和」は、火力や防御力だけでなく、炊事能力も旧日本海軍で最も優れていたといっても過言ではありませんでした。

なぜなら、戦艦「大和」の乗員数は約2300人から2500人で、前型の戦艦「長門」が約1400人であったのと比べると1000人以上も多くなっており、それだけの人数の腹を満たすためには相応の調理設備が必要とされたからです。

旧日本海軍では、会計や庶務などを受け持つ「主計科」が炊事関係も担当しており、「大和」の場合、旧日本海軍の軍艦のなかで最も多い約100名が乗り込んでいました。

当時、軍艦の調理室は「烹炊所(ほうすいじょ)」と呼ばれ、「大和」は船体後方右舷に兵員用の、反対側の左舷に士官用のものがありました。ただし、士官用の食事は雇い入れた民間のコックが担ったため、主計科の人員(主計兵)が調理まで担当したのは兵員用烹炊所の方


「大和」の炊飯量は1回で家庭用炊飯器720台分

兵員用烹炊所では、主食の米は2基ある洗米機で洗われた後、6基の蒸気炊飯窯で炊いていました。この炊飯窯は6斗炊きです。「斗」というのは「升」の上の単位で、1斗は10升(約18リットル)です。1升は10合ですから、6斗炊き蒸気窯は600合、すなわち家庭用の5合炊き炊飯器に換算すると、120台分に相当します。それが6基あったので、なんと3600合を一度に炊くことが可能でした。

 炊飯窯以外にも、「合成調理器」と呼ばれる、いわゆるフードプロセッサーといえるものが備えられており、これで野菜の皮むきやみじん切り、肉をミンチにすることができました。さらに「焼く、煮る、炊く、揚げる」を1台で賄う電気万能烹炊器が5基、6斗炊きの蒸気菜窯が2基、電気オーブンまで設置されていたため、炊飯と汁物および複数のおかずを同時並行で大量に作ることが可能でした。

 ほかにも、1時間に400リットルもの茶を入れることができる茶湯製造機が2基、粥を作るための2斗炊き蒸気粥窯、食事の保温用に電気保温器と蒸気保温棚が1基ずつ設けられていました。

これら調理機器は、洋上で火災などを起こさないよう、火元を極力減らすという意味合いから、電動や蒸気式です。また多数の将兵が集団生活をするところなので、食中毒を予防するために大型の食器消毒器も3基用意されていました。

(以下略)

全文は
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200206-00010000-norimono-bus_all

https://lpt.c.yimg.jp/amd/20200206-00010000-norimono-000-view.jpg
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https://lpt.c.yimg.jp/amd/20200206-00010000-norimono-002-view.jpg




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【歴史】戦艦「大和」の3連装砲塔は、砲塔ひとつで駆逐艦1隻よりも重い。ケタ外れの巨大砲塔を動かす意外な力とは

1: 記憶たどり。 ★ 2019/12/01(日) 08:31:43.74 ID:sUERjKXv9
 

砲塔ひとつで駆逐艦1隻よりも重い

日本が生み出した世界最大の戦艦「大和」は、搭載するものの多くがビッグサイズです。
そのなかでも最も大きく目立つのは、45口径46cm3連装砲塔でしょう。大和型戦艦はこの3連装砲塔を3基搭載しています。

この45口径46cm3連装砲塔は砲塔1基あたり約2500tあります。太平洋戦争期における旧日本海軍の駆逐艦がおおむね排水量2000トンですから、数字のみを一概には比較できませんが、ケタ外れの重さであることがわかります。
こんな大重量の砲塔をどうやって動かしていたのでしょうか。

そもそも、なぜ「大和」の主砲塔がこんなに巨大なのかというと、46cm砲を3本まとめて搭載し、その下の艦体に埋め込まれている部分に弾薬庫や給弾システムを備えているほか、敵戦艦との打ち合いで敵の砲弾をはじくだけのぶ厚い装甲をまとっているからです。

この装甲は、砲塔上面が最も厚いように思われますが、いちばん厚いのは砲塔下部、艦体との接続部分で、ここは560mmもの厚さがあります。さすが世界最大の戦艦というべき装甲厚ですが、それゆえに約2500tという途方もない重さなのです。

この重く大きな砲塔を動かすために、「大和」は駆動方式に水圧を用いていました。とはいえ「大和」に限らず、太平洋戦争で用いられた日本戦艦は全て水圧式でした。出力と信頼性の面で当時、最も優れていたのが水圧だったからです。

戦艦の砲塔に水圧駆動が適しているワケ

(以下略)


全文は
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191201-00010000-norimono-bus_all

進水後の1941(昭和16)年9月20日、呉で艤装中の「大和」。艦後方から撮影しているため、写真の砲塔は後部の3番砲塔(画像:アメリカ海軍)。
https://lpt.c.yimg.jp/im_siggF6Lf5D43CzxgZRewqBN8lw---x900-y719-q90-exp3h-pril/amd/20191201-00010000-norimono-000-view.jpg

1942(昭和17)年8月に撮影された大和型戦艦の2番艦「武蔵」。砲身1本あたり166tあった(画像:アメリカ海軍)。
https://lpt.c.yimg.jp/im_siggQrTAyENP0ZMFlrvGk7HV3w---x900-y603-q90-exp3h-pril/amd/20191201-00010000-norimono-001-view.jpg

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【歴史】戦艦「大和」に設計図にない連装機銃…資材不足で?




1: 泥ン ★ 2017/12/07(木) 19:19:44.19 ID:CAP_USER9
潜水調査の画像解析で確認された25ミリ連装機銃。これまで搭載された記録はなかった=大和ミュージアム提供
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戦艦「大和」の図
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1941年10月、全速力で試験運転する戦艦大和=大和ミュージアム提供
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太平洋戦争末期、米軍の攻撃で鹿児島県沖に沈んだ戦艦「大和」に、従来知られていなかった砲身2本の25ミリ連装機銃が搭載されていたことが、広島県呉市の潜水調査でわかった。

当時は対空戦に備え、砲身3本の25ミリ3連装機銃増設が進められたが、戦争末期の混乱で計画通りに設置できなかった可能性があるという。

潜水調査は昨年5月に実施。水深約350メートルの海底に沈む大和をとらえた約50時間分の映像と約7000枚の写真を調べたところ、連装機銃1基が確認された。設置場所や全体の搭載数は不明という。

呉市の「大和ミュージアム」によると、大和の装備に関する資料は終戦前後、軍の命令で多くが焼却されたため、現存するのは1944年に旧海軍が作製した設計図が最も新しい。米軍が45年4月の攻撃時に撮影した写真などと合わせた解析の結果、12・7センチの連装高角砲12基、13ミリ連装機銃2基などの存在に加え、44年以降に増設された3連装の25ミリ機銃は、艦中央部を中心に計約50基あったと考えられていた。

大和の建造時は戦艦同士の戦闘を想定して巨砲が装備されたが、やがて海戦の主力が航空機となり、44年以降の改修で、機銃や高角砲などの対空装備が増設されていた。今回見つかった連装機銃は、機銃の前に写っていた波よけのための覆いが3連装用の大きさだったため、増設時に何らかの事情で急きょ機材を差し替えたとみられるという。

同館の戸高一成館長は「戦争末期は空襲で国内の流通が破壊されており、資材の供給がうまくいかなかった可能性がある。大和の装備についてはまだ謎が多く、今後も調査を続けたい」と話している。

同館では、今回撮影した写真パネルなどを展示した企画展「海底の戦艦大和」を開催している。来年3月25日までで、問い合わせは同館。(松田祐哉、山本慶史)

読売新聞 2017年12月07日 09時13分
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20171207-OYT1T50020.html

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【広島】戦艦大和 菊の紋章直径1メートル、他船より小さく 測量で判明 呉市・大和ミュージアム


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1: のっぺらー ★ \(^o^)/ 2017/04/25(火) 12:20:38.64 ID:CAP_USER
太平洋戦争末期に鹿児島県沖で沈んだ日本海軍の戦艦「大和」の艦首に付けられた菊の紋章が、約1メートルだったことが、広島県呉市が昨年行った潜水調査で分かった。
紋章に関する資料は残されておらず、正確な大きさが分かったのは初めて。

同市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の戸高一成館長は「重装備かつコンパクトな大和の設計理念が紋章の大きさに表れている」と分析している。これらの潜水調査での成果は、26日から同館1階大和ホールで開かれる企画展で紹介される。
【山田尚弘】

呉市は昨年5月、鹿児島県枕崎市沖の水深約350メートル付近で無人潜水探査機で調査し、約7000枚の写真と約50時間分の映像を撮影。菊の紋章について同館は、1999年にテレビ局の潜水調査での映像から紋章の直径を約1.5メートルと結論づけていたが、メジャーを当てるなどの測量を行った結果、直径約1メートルと判明した。当時の大型艦は軍の規格で直径1.2メートルとされていたが、戦艦大和はそれよりも小さかった。

戸高館長は、呉海軍工廠(こうしょう)造船部で大和の設計を担当した故・牧野茂さんを取材した際、「大和は巨艦と言われるが、あれだけの装備を小さくまとめた点を評価してほしい」と言われたという。
大和は、世界最大の46センチ主砲が9門あるなど高い戦闘能力を備える一方、全長263メートルと他国の主力戦艦より短かった。


全文は
http://mainichi.jp/articles/20170425/k00/00e/040/189000c

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【広島】戦艦大和の主砲塔、すべての所在を確認…呉市・大和ミュージアム[04/21]

1: のっぺらー ★ \(^o^)/t 2017/04/21(金) 12:40:06.87 ID:CAP_USER
太平洋戦争末期、米軍の攻撃で鹿児島沖に沈んだ戦艦「大和」の潜水調査を実施した広島県呉市の大和ミュージアムは、第2主砲塔の一部や、サーチライト「探照灯」、レーダー「電波探信儀」のアンテナなどを発見したと発表した。

これで計3か所のすべての主砲塔の所在が確認された。26日からの企画展で解説展示する。

第2主砲塔の一部は、船体から離れた状態で、砲室、旋回盤、上部給弾室が一体で見つかった。
砲身は海底の土に埋まっているとみられる。
砲室右側のカバーが外れ、目標物までの距離を測定する光学機器「測距儀」が露出していた。

探照灯は、船体中央部の煙突の左右の側面に複数設置されており、数千メートル先まで光が届く。
直径1・5メートルで、当時では最大。
今回の調査では船体から外れた状態で見つかった。

電波探信儀は、艦橋の上部に2基のアンテナが設置され、今回一部が見つかった。
電波で対象物までの距離や方向を測定する。
格子状のアンテナの上に、三角すいの陶器製の絶縁体が並んでいる。

同ミュージアムの戸高一成館長は
「主砲塔がすべて確認できたほか、今回、多くのパーツが良い状態で見つかった。 これらを整備して、調査の意味をみていただける企画展になると思う」と話した。

写真:第2主砲塔の砲室に残っていた測距儀
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写真:初めて確認された大和の探照灯
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以下ソース:YOMIURI ONLINE 2017年04月21日 08時29分
http://www.yomiuri.co.jp/national/20170420-OYT1T50136.html

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