硫黄島

【太平洋戦争】73年前の激戦地 硫黄島で日米合同の追悼式

51l3+wjgsSL



1: みつを ★ 2018/03/25(日) 02:48:47.09 ID:CAP_USER9
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180324/k10011377651000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_018

3月24日 18時44分
73年前、日本軍とアメリカ軍の間で激しい戦闘が行われた小笠原諸島の硫黄島で、日米合同の追悼式が行われました。

硫黄島では、太平洋戦争末期の昭和20年2月から3月にかけて日本軍とアメリカ軍の間で激しい戦闘が行われ、日本側でおよそ2万1900人、アメリカ側でおよそ6800人が犠牲になりました。

追悼式は、日米双方の戦没者の遺族や政府関係者ら、およそ230人が参列して行われ、日本側の遺族で作る硫黄島協会の寺本鐵朗会長が「硫黄島の戦いは世界の戦史上、たぐいのないしれつを極め、悲惨な戦いだった。日米両国の戦没者に哀悼の誠をささげるとともに、ご遺族の皆様の終生消えることのない悲しみをお慰みいたします」と追悼のことばを述べました。

また、式には3年ぶりに閣僚として小野寺防衛大臣と加藤厚生労働大臣が参列し、小野寺大臣は「かつて激戦を交えた敵味方が、最も強い同盟関係を築き、追悼式を合同で開催できていることに深い感動を覚える。日米両国の平和と繁栄が戦没者の尊い犠牲のうえにあることを決して忘れてはならず、後世に伝えていかなければならない」と述べました。

そして、日米双方の参列者が花を手向け、全員で黙とうして犠牲者を慰霊しました。

続きを読む

【国際】「硫黄島」写真やはり取り違え…本人は50年沈黙貫く - アメリカ

51PD4ER9BJL



1: ◆HeartexiTw 胸のときめきφ ★\(^o^)/ 2016/06/24(金) 05:54:26.01 ID:CAP_USER9
米海兵隊は23日、第2次大戦末期の1945年2月に硫黄島の
摺鉢山山頂に米兵が国旗を立てる姿を捉えた写真「硫黄島の星条旗」中の
人物の1人について、これまでに特定されていた兵士ではなく、
別の海兵隊員だったと発表した。

*+*+ jiji.com +*+*
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062400048&g=soc 

続きを読む

【国際】山頂に国旗を掲げる姿 「硫黄島の星条旗」の米兵は別人? 米海兵隊が調査開始

51PD4ER9BJL



1: リサとギャスパール ★ 投稿日:2016/05/03(火) 23:32:12.08 ID:CAP
第2次世界大戦末期の硫黄島で、米兵6人が激戦地・摺鉢(すりばち)山の山頂に国旗を掲げる姿をとらえた有名な写真をめぐり、うち1人がこれまで特定されていた人物と別人の可能性があるとして、米海兵隊が調査を始めた。
クリント・イーストウッド監督の映画「父親たちの星条旗」にも描かれた人物だけに、別人なら波紋を呼びそうだ。

「硫黄島の星条旗」として知られる写真は1945年2月に当時、AP通信のカメラマンだったローゼンタール氏が撮影。
日本軍が守りを固める硫黄島に強行上陸した米兵6人が、摺鉢山に星条旗を掲げる瞬間をとらえ、米軍の日本攻略を印象づける写真として話題になり、ピュリツァー賞を受賞した。米国の「海兵隊戦争記念碑」のモデルにもなった。

6人のうち3人は硫黄島で戦死したとされ、生還した残り3人が国威発揚のため米国内を遊説した。
その1人で、衛生兵だったジョン・ブラッドリー氏に関して2014年にアマチュアの歴史家が、別の写真の同氏の服装から別人の可能性が高いと指摘。AP通信は2日、海兵隊が本格的に調査を始めたと報じた。

ブラッドリー氏は94年に死去したが、息子のジェームス氏が硫黄島での戦闘や父親らが生還した後の遊説の様子などを描いた「父親たちの星条旗」を出版し、後に映画化された。

 AP通信の取材に、同氏は「信じられない」と動揺を隠せない様子だという。

「硫黄島の星条旗」は、実は摺鉢山に掲揚された2番目の星条旗で、激戦のさなかに掲げられた最初の国旗は小さく、すぐに交換されたとされている。


 AS20160503001872_comm

ローゼンタール氏が1945年2月に撮影した硫黄島に星条旗を掲げる米兵たちの写真=AP

http://www.asahi.com/articles/ASJ534F36J53UHBI00W.html
ワシントン=佐藤武嗣2016年5月3日23時12分

続きを読む

【社会】硫黄島で日米合同の慰霊式典 戦後70年、閣僚が初参列 [H27/3/21]

51yB969RsyL




1: ◆sRJYpneS5Y 2015/03/21(土)19:01:43 ID:???
太平洋戦争末期の激戦地、硫黄島(東京都小笠原村)で21日、日米合同の慰霊式典が開かれた。
初参列した塩崎恭久厚生労働相は「先の大戦の記憶を次世代に継承する」と誓った。
ほかに中谷元防衛相ら両国政府高官、遺族ら約550人が参列し、日米計約2万9000人の戦没者を追悼した。

続き 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20150322k0000m010028000c.html

続きを読む

【社会】激戦の島 帰れぬ遺骨 硫黄島 1万1000人分残る [H27/2/15]


41GvtKhcEoL




1: ◆sRJYpneS5Y 2015/02/15(日)10:17:20 ID:???
硫黄島の戦い 1945年2月19日、米海兵隊の上陸作戦により始まった地上戦。
栗林忠道中将を総指揮官とする旧日本軍が激しく抵抗し、史上まれに見る激戦となった。
組織的な抵抗が終わったとされる3月26日までの1カ月以上の戦闘で、日本側は
守備兵力の約2万2000人が戦死、米側も6800人の死者を含む2万6000人が死傷した。

東京都心から1250キロ南の硫黄島。太平洋戦争末期の1945年2月に始まった日米の激戦で、
日本兵約2万3000人のうち95%が命を落とした。自国の領土なのに遺骨収容は遅々として進まず、
戦後70年となった今も約1万1000人分が見つかっていない。凄惨(せいさん)な歴史を持つ島に、
今も帰れぬ人たちが眠っている。
元陸軍上等兵・山口周一さん(95)=千葉県南房総市=は四五年二月十九日、島東部の地下壕(ごう)で
仲間と身を潜めていた。米軍が上陸してきた時に、戦う体力はなかった。八カ月前から毎日、壕を掘っていたのに、
一人分のご飯を班員八人で分けてしのぐほど食料が不足していたからだった。
「水もねえ、食べるものもねえ、弾もねえ。体持ちこたえるのにやっとだった」。
やせこけて死んだ兵士の体は、大量にたかったうじで膨らんで見えた。
劣勢に立たされると、上官は敵への突撃を命じた。地面は壕から出て撃たれた兵士たちの血でそまった。
「生きて帰れると思う人は一人もいねえやで」
越後良明さん(77)=神奈川県横須賀市=の父一(はじめ)さんは、そんな戦場で命を失った。
墓は三浦半島の丘の上に、硫黄島の方を向いて立っている。骨つぼには戦死を知らせる紙と島で拾った石だけ。
遺骨は入っていない。
「遺骨はまだ島にあるはずだ」。越後さんは定年退職後、遺骨収集団に加わり、昨秋まで十七回ほど硫黄島へ赴いた。
入り口をふさがれた壕内で亡くなった人の遺骨を見つけた時は胸が締め付けられた。

続き 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015021502000105.html

続きを読む
 当ブログについて
当ブログについて にほんブログ村 ニュースブログ 2chまとめニュースへ
にほんブログ村
このエントリーをはてなブックマークに追加

当ブログは勝つーる.dat様の編集ツールでまとめております





     Twitter
こっそりTwitter始めました。
   最新コメント
記事検索
  スポンサードリンク
    無料アプリ
NEWSch

大手ニュースサイトから、 2chまとめブログまで、 情報収集に最適 antenna 無料アプリ
10個のカスタムチャンネルがすごく便利。
テレビのチャンネルを変えるかのようにニュースの各ジャンルを変更する快適機能 リーダー

逆アクセスランキング
  • ライブドアブログ