1: Ikhtiandr ★ 2024/07/02(火) 22:43:16.16 ID:egsVGHZw9
奈良市の平城京跡から出土した、奈良時代の聖武天皇が皇位継承時に行った大嘗祭(だいじょうさい)を示す「大嘗」の記載を含む木簡群のうち、関連する物品に付けたとみられる荷札の大半が備中国(岡山県西部)のものだったことが分かり、奈良文化財研究所が2日発表した。木簡には他の国の地名はあまり記載されておらず、備中国が当時、都とどう関わったのか解明が課題となりそうだ。
木簡群は2~3月、平城宮正門だった朱雀(すざく)門の南東約200メートルの地点から出土した大型土坑から見つかった。この地は平城京当時の「左京三条一坊二坪」に当たる。
洗浄作業を進めた結果、2600点以上の木簡を確認し、うち荷札・付け札は約180点。記されている物品は、烏賊(いか)や鰒(あわび)、堅魚(かつお)、栗などで、平安時代にまとめられた法典「延喜式(えんぎしき)」にある大嘗祭の供神雑物(ぐうしんぞうもつ)(神へのお供え)の規定と多くが一致する。木簡はこの規定内容が奈良時代前半にあった可能性を示している。
※続きは元ソースでご覧ください
産経新聞 2024/7/2 21:24
https://www.sankei.com/article/20240702-KJRFYADQZJPY3MJOA3MFMF7QNA/
木簡群は2~3月、平城宮正門だった朱雀(すざく)門の南東約200メートルの地点から出土した大型土坑から見つかった。この地は平城京当時の「左京三条一坊二坪」に当たる。
洗浄作業を進めた結果、2600点以上の木簡を確認し、うち荷札・付け札は約180点。記されている物品は、烏賊(いか)や鰒(あわび)、堅魚(かつお)、栗などで、平安時代にまとめられた法典「延喜式(えんぎしき)」にある大嘗祭の供神雑物(ぐうしんぞうもつ)(神へのお供え)の規定と多くが一致する。木簡はこの規定内容が奈良時代前半にあった可能性を示している。
※続きは元ソースでご覧ください
産経新聞 2024/7/2 21:24
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