2008年01月01日

あけましておめでとうございます。

ご無沙汰してます…!

今日からまた再開したいと思います。

年々、正月の新鮮味が感じられなくなってる気がします。
でも今年は間違いなく新しいスタートになりそう!
一生背負うことになる思いを忘れることなく、
他の人に迷惑をかけることなく、出来るだけ頑張ってみたい!


それでは、また…!
皆様にとってもいい一年になりますように!

(04:31)

2007年03月28日

今年は普通の人よりは必死になるかもなぁ。

平和学
国際関係理論
医事法入門
学校教育と憲法
社総研D5
現代政治制度論(フランス)刑事訴訟法
民法概論

こんな感じでとるつもりです。

(12:40)

2006年09月12日

うまく言葉に出来ない。
自分の経験や感情を一般化して話せない。


そんな人の手助けをしたいのかもしれない。


すいません、ローの志望理由書のメモです。汗

(15:02)

2006年09月11日

かなり久々に更新します。

今年の夏休みは浪人生活を彷彿させるもの。


頑張るしかないので頑張ります!!


「走り出してしまった僕らに
今さらもうわざとらしいゴールなんかなくてもいい」

(07:15)

2006年08月07日

まだまだ先は見えない。


こんな夏休みは何年か振りだなぁ。


学んで覚える「勢い」を大切にしよう。


もはや悠長なことを言ってられる時期ではないのだから…!

(12:11)

2006年08月05日

悪い癖。

誰かに自分の正常さを担保して欲しいと思うこと。

そしてその「正常さ」に安住してしまうこと。


「これはあなたの問題だ。成功するかはあなた次第だ。」


まさにその通り。
レールから外れることを選択するということは、甘えの許されない自己責任の世界に踏み込みことだ。


今与えられている困難は、誰かから「認められる」という免罪符を求め忌避できるもののではなく、自分の意志でのみ解決されるものであるように思う。

(14:13)

2006年08月03日

ロースクール法律科目試験まであと約一年。

今まで自分自身に対し「WHY」を問い続けてきた。
つまり、「なぜ僕は弁護士になりたいのか。」だ。

しかし、この問いは疲れる。答えなんてないからだ。この問いのお陰でかなりの神経を擦り減らしたような気がする。


今や「WHY」を問うべき時ではない。


いつかのblogで書いたけど、やる理由は断続的であっても、やることは継続的でなければならないのだ。

(21:18)
なぜかこんなに日にちが経ってたとは…。

もう誰もみてないとは思いますが、自己満で続けたいと思います。


最近イライラする日が多い。
大概どうでもいいことなのに。
なぜこんなことにイライラするんだろう。


カルシウム不足かな。
寝不足かな。

また一人旅したい気分。

(00:13)

2006年07月26日

大学生っていいなぁってつくづく思う。

昨日はバイト終了後、シンポの分科会ミーティングに参加。
ご指摘の通り始めは全く頭が働いてなく、使いもんにならなかったと思います。
反省。やはり、頭の回転が遅いのはどうしようもないけど、これからも鍛えないと。


その後、国際関係会のメンバー8人でオール。
試験終わったばっかだし、いい気分転換になりました。


そして今日も後輩と飲み。

お前勉強しろよっ!!

(23:02)

2006年07月23日

e9fe83d6.jpg―《世界》の内部で推理すること― 
 
 江戸川乱歩『陰獣』についての授業のまとめに入る前に、探偵(推理)小説の基本的前提について確認しておいたい。すなわち、近代的思考を基底とした〇件(結果)に対応する真犯人(原因)の確定、探偵及び、語り手(視点人物)の客観性、外部性である。,論こΔ砲ける唯一の<真実>の存在を前提として、殺人事件→推理→真犯人(→真の動機)で小説が展開される形式である。△蓮⊃簍(の行為)とその記述(行為)が、<真実>に対して中立的(無関係)であるということである。しかし、『陰獣』においては、この´△料按鵑揺らぐこととなる。
 
 作品冒頭部において、「私」の小説の中での位置を確認するとともに、小説の中での「事件」の特異性について述べられている。つまり、「健全」な探偵小説家であり、「道徳的な人間」である、「私」が、「正体のつかめぬ変に不気味な事柄」や「私の描いた妄想」とともに語られる、と形容される特異な事件に遭遇し、ここにこの小説の構成の困難さが示唆されている。
 
 作品結末部では、《世界》内部で推理することによる陥穽が表現されている。それは、まず、「私」の「推理」の確実性の動揺として表出している。すなわち、《(作品)世界》内部における「私」の推理とは、あくまでも「空想」の域を出られないものであるという意である。なぜなら、この小説において《(作品)世界》において「私」(自己)は、他者との関係性において成立するとともに、《(作品)世界》の「事件」を構成しているので、自己にとって他者は原理的に不透明であり、また自己は《(作品)世界》の外部に超越できないからである。このような陥穽が存在しながらも行われる「私」の推理つまり、《世界》内自己による<真実>の探求は「不幸な妄想癖」、「推理癖」と表現されていることから、近代人の「病理」として捉えられているのが分かる。
 
 最後に、小説において<語られるもの>に内包される問題にはどのようなものがあるかについて述べたい。まず、作者がある作中人物の視点に基づいて物語を展開させる形式の小説を書いたときには、以下のような特徴がある。『陰獣』においては、語り手(視点人物)の主観的限界が刻印されており、また、(作品)世界内の視点を確保する志向があると言える。次に、テクストに生じる亀裂の問題である。『陰獣』の中で描かれている静子は、自己は他者を鏡とする点で「私」の自意識も加味されて描写されるので、読者は意味の宙吊り状態に直面することになる。
 
 以上概観してきたように、『陰獣』は、事件に対する原因としての真犯人の特定が困難となった点、及び探偵である「私」が、《(作品)世界》に外在しているがゆえに<真実>に対して非中立的立場である点から、本稿冒頭で紹介した推理小説の基本的前提が動揺することとなった作品であると言える。


(19:03)
d2740d69.bmp―可視的境界によって確定される自己と他者の関係― 
 『箱男』における「自意識」について述べる前に、「自意識」とは何かについて授業やミードの議論を援用して確認しておきたい。ミードによれば自己とは「I」と「me」から構成されており、自意識とは「I」が「me」を見ることであるとする。だが、「I」が「me」を見る時、少なからず他者が介在する。なぜなら、「me」は他者ではないものとして捉えられるため、自己の想像の中の他者を意識し、他者は「me」に先行して存在するものとして考えざるをえないからである。従って、「I」が「me」を認識する際、好むと好まざるに拘わらず他我問題について直面することになる。『箱男』においては、以上のような自意識のあり方が、自己と他者の境界はいかにして規定されるのかという観点から描き出されているように思う。
 
 まず、箱男と見習看護婦の関係から概観したい。箱男を特権的な存在とならしめているものは、無論「見る」だけという存在形態をとるからである。上述したように、他者に「見られる」からこそ他我問題に苦悩することになるので、「見る」だけの箱男は特権的な存在であると言えよう。しかし、箱男は見習看護婦に出会うことによって、「箱の表面がひどく傷つきやすく、もろくなってしまった」と比喩されているように特権性が揺らぐことになる。すなわち、箱男は見習看護婦の脚や笑顔に魅了されるあまりミードの議論を参考にすれば、「me」の存在つまり「見られる」存在として自己を捉えるようになったのではないだろうか。これは、箱の機能として以前は、「箱の窓を額縁にして覗いたとたん」、「風景の細部が、均質になり、同格の意味をおび」ていたのだが、見習看護婦との出会い以来、彼女を意識するあまり、箱の自己と意味をもたない雑多な外の世界の境界線としての役割が低下したことからもうかがえる。従って、他者を意識すればする程、箱によって規定された自己と他者は異質な存在ではなくなっているということができる。
 
 次に、箱男と贋箱男の関係について述べることとする。前述した箱男と見習看護婦の関係が「魅了」によって始まったとすれば、贋箱男との関係は箱男による「疑念」から開始されたと言える。箱男は、見習看護婦がダンボールを買おうとした動機を贋箱男の意思に求める。そこから疑念が浮上し、《書いている僕と書かれている僕との不機嫌な関係をめぐって》の章における双方の会話から、箱男による自意識の確認の経緯が垣間見られる。まず、「箱男」と「ぼく」が同一人物だという認識を贋箱男が抱いていたという「箱男」の認識が相対化されることによって、他者の存在を前提とした自意識の存在を確認したことが挙げられる。次に箱男は自己と他者の同質性の問題に直面する。つまり、贋箱男が箱男であるがゆえに「本物」の箱男である「ぼく」が過度に他者を意識してしまった点である。それは、「最初から、仲間意識で接すべきだった」という「ぼく」の反省の記述からもうかがえる。このように、贋箱男との関係で言えば、「仲間」であるがゆえに自己と他者を過剰に意識したということが出来る。
 
 以上では、箱という可視的境界の強弱に影響された自己と他者間の関係について概観した。次に、『道化の華』での授業内容を参考にしながら、箱男によって書かれた箱男の物語としての『箱男』をみていきたい。単なる主客二元論ではなく、作家−作品関係を自意識の運動として捉えるならば自意識の袋小路に入り込むことになる。これは、先述したこととも関連して自己と他者がぐるぐる回り、自意識のアナーキー状態となって読者に提示されることになる。これは《書いている僕と書かれている僕との不機嫌な関係をめぐって》の章に色濃く浮き彫りになっている。
 
 私は、『箱男』を以上のように自己、他者、自意識をめぐる作品として解釈出来るように思う。
                           


(18:59)

2006年07月22日

いつでも不安はある。

しかし、近頃の不安は質が違う。

やっぱ法曹になりたいのだと思う。

ただ、自信が持てる自信がない不安があるのかもしれない。


こんな不安は浪人時代当たり前のようにあったのに。。

弱くなったものです

(13:48)

2006年07月18日

大人になりきれてないとか成長できないとかいう、キレイな言葉が嫌いだ。

一見ネガティブなことを言ってるようで頼もしいその言葉が有する世界観は、知らず知らずのうちに現在のや将来の自分を拘束しているものであるように思えてならない。

やはり人は、過去を振り返り今の自分を肯定したいがゆえに、ある種言葉に縛られたとしても、キレイな言葉で自分を表現したがるのか。

キレイな言葉で自分や周りを捉らえようとはしたくない。

なぜならキレイな言葉はキレイであるがゆえに、アプリオリに意味付けられており、その意味では既に死んだ言葉であると思うから。

もし、人がonly oneな存在ならキレイな言葉なんて使えないはず。



……。
やはりどこか病んでるんだろうか。



(22:25)

2006年07月16日

こんな日があっても別にいいじゃない。

2限にテスト。うわさの国会論。
1回しか出てない授業だったので、昨日は徹夜。

そして時間潰しのためスタバへ。
バナナフラペチーノ。
スタバに行くとまだ緊張する。

そして新宿へ。
新宿から吉祥寺に行こうとしたんだけど、
ホームへお客様が転落、落雷による倒木により
我々の自由行動を阻止された。
新宿から吉祥寺まで1時間ちょい。。(笑えない)

どうしても吉祥寺に行きたかったわけは、
お好み焼きもんじゃ焼きの食べ放題に行くため。
2時半くらいから6時まで居座った。
ってか、かなり食べた。

その後、吉祥寺から田無へ。
田無で居酒屋へ。
1時間ほど滞在。
そして次はミスドへ。
100円だったので一人3つ程食べた。
そして、なぜか寿司の気分になったらしく、
近くのかっぱ寿司へ。
しかし、幸いにして閉店だった。

そして、今どん兵衛を食してます。


うーん、太る序章。(笑えない)

(02:10)

2006年07月11日

突然浮かび上がる感情。


今日は、いつものЦ存紊稜肋貶發が、いつものЦ存紊醗磴辰憧兇犬拭
20分程早く授業が終わったので幾分か賑やかだっただけだ。
変化のきっかけはいつも些細なことだ。


ある程度事実としての関係があれば良好な関係が築けていると感じるものだ。
だが些細なきっかけでその関係が幻想に近いものだと感じるようになる。


たまに暗闇でジャンプしてみたくなる。
確かめたくなるのだ、本当に地に足がついてるのか。
本当に確かめたい。

単に時間的にも空間的にも未確定の自分に怯えているだけだ。

(21:25)
丸亀市立城坤小学校
↓↓↓
http://www.jokon-e.ed.jp/index.htm


丸亀市立西中学校
↓↓↓
http://www.niji.or.jp/school/manisi/index.html


尽誠学園高等学校
↓↓↓
http://www1.quolia.com/jinsei/


久々に母校を検索してみるとなんとHPがあった。
それだけです。

(01:10)

2006年07月10日

かなり馬鹿げた話だが、自信喪失気味だ。

自信を周りの評価と相関するものとして考えるから自信がついたり、自信が失くなったりする。

最近これを再考するのに自信が失くなっている。

(17:44)

2006年07月06日

四限後いろんな葛藤を経て服を買いに新宿へ。
馬場から新宿までの車外にはいろいろな看板があった。
「○○美容専門学校」「○○不動産」「○○商事」「○○レストラン」「○○塾」

今日は将来関わらないであろう看板が非常に目についた。
何かをすることは何かを無視して生きていかざるをえないのか。



うーん、こんなのどうでもいいことだ。

厭世的な自分に酔ってるだけだ。

(17:18)

2006年07月05日

その実態は未だ意味に到達していないのだ。

だから一言で表現するのは難儀だ。

だが、人生が要約できてたまるか。

(00:09)

2006年07月03日

先日最後の国際関係会があった。

.妊ス(1810〜1940)
「日本のFTA戦略について」
「日本の対中央アジア外交」
「イスラエル、パレスチナ問題」

今回も一年生にコーディネートをしてもらった。前回もそうだったけどみんな極めてレベルが高い。汗 それぞれ難解なテーマであったにも関わらずちゃんと調べてきたみたいで舌を巻きました。これからも頑張って欲しいと思います☆


∈4勉強会を振り返って(1940〜2030)
他の勉強会は一、二年生が中心となって企画を考えてたらしいけど、正直国際関係会の一、二年生には全くといっていいほど期待してませんでした。なんですが、かなり盛大に三年生の卒業式を行ってくれて、期待していない反動もあってかなりうれしかったです。m(__)mしかも三年生全員分書くなんて大変だったろうに色紙までいただいてしまって…(泣)若干目頭が熱くなったような気がしました。あと、U田前幹事からも花束と共に労いの言葉を頂きありがたかったです。あ、あと後輩たちから栄養不足にならないように「野菜盛り合わせ」を頂きました。(笑)

0み会(2130〜∞)
まさに朝まで飲み明かしました。引退するにあたっていい思い出が出来ました♪みなさんありがとうございました。


取りあえず、各学年の方にコメント。

一年生:半期しか共に学ぶことが出来なくてとても残念です。でもかなりきつい勉強会だったと思うのですが、かなり大勢の人が最後まで残ってくれたことに関して感動しています。幹事が馬鹿なので暴言をかなり吐いたにも関わらず、上級生についてくれてきたことに感謝します。これからは自分たちが自分たちの勉強会を作っていくんだという当事者意識と主体性を持って今以上に国際関係会を発展させていって下さい!


二年生:二年生が中心となって卒業式を企画してくれたと聞きました。本当にありがとうございました。二年生とは一年半の付き合いになりましたが、僕も二年生からいろいろなことを学ばせてもらいました。とんでもなく頼りない幹事だったと思うし、前幹事よりとんでもなく頭がよろしくない幹事だったのに最後まで支えてくれてありがとう☆国際関係会は、これかも発展の余地があるし、また発展させていかなければならないと思います。誤解をおそれずに言えば自分たちが政友会の勉強会を支えてるんだいう自負を持って新幹事のK松くんを中心に頑張って欲しいと思います。後期からいいスタートが切れるように祈っています☆


三年生:まずは最後の最後までダメダメな幹事を支えてくれてありがとうございました。今思えばこの代で国際関係会の幹事をやらせてもらい幸せでした☆自分で言うのは憚られますが、一年生の時から比べれば格段に大人になった気がします。皆様のお蔭です♪

「我々が立っている場所は、我々が立っていた場所ではないのだ。」国際関係会は引退して寂寥感たっぷりですが次のステップに向けて頑張りましょー!!



取りあえず一区切りを迎えた気がします。次の区切りは何年後かな。

(00:11)