2019年08月09日

ウィーン・モダン展 その3

さてクリムト。

彼のことは先月の「クリムト展 ウィーンと日本 1900」でたくさん書いたので、今回はあっさりと。まあ私の好みのクリムト作品がなかったせいもある。

なおヌードを中心に素描が50点近く展示されていた。いつも思うのだけれど素描を熱心に眺めている人って、よほど絵心があるのかなあ。ごく普通レベルの美術好きの私には、素描を見ても大して楽しくなくチラ見するだけなんだけれど。


次の2つは1883年〜84年の制作だから、まだクリムトが駆け出しの頃。
これらは『アレゴリーとエンブレム』という図案集(書籍)のために描かれたもの。

「寓話 『アレゴリーとエンブレム』のための原画 No.75a」 1883年
1883-4-3-1-4


「牧歌 『アレゴリーとエンブレム』のための原画 No.75)」 1884年
1884-4-3-1-6



1888年はクリムトが27歳前後。
後のクリムトからは想像できないオーソドックスな画風である。

「旧ブルク劇場の観客席」 1888年
1888-3-1-14

開演前の雰囲気がよく表現されていて、一目見ただけでクリムトの力量が伝わってくる。こういう作品でハンス・マカルトの後継者ともくされたのだろうか。

ところで、これは取り壊される劇場の記録としてウィーン市議会から依頼されたもの。だから主役は劇場なのだけれど、クリムトは観客を肖像画レベルに緻密に描き込んでいる。ほとんどが実在したウィーンの名士の面々で、その数100人以上。中には後にクリムトのパトロンになった人もいたらしいから、営業チャンスとばかりとして精を出したのかも(^^ゞ

一部を拡大して。
1888-3-1-14-b




こちらも図案集のための原画。
先の図案集の画風と較べてみると、あれから10年経ってクリムトがオリジナリティを確立したことがわかる。だんだんと世紀末の雰囲気が濃くなってイイ感じ。

「愛 『アレゴリー:新連作』のための原画No.46」 1895年
1895-4-3-1-7


「彫刻 『アレゴリー:新連作』のための原画No.58」 1896年
1896-4-3-1-8


「悲劇 『アレゴリー:新連作』のための原画No.66」 1897年
1897-4-3-1-10






「パラス・アテナ」 1898年
1898-4-3-2-10

クリムトは、1897年に保守派のウィーン造形芸術家協会と袂を分かってウィーン分離派を結成。翌1898年に分離派会館が開設。これは分離派会館で開かれた最初の展覧会に出展された作品。彼が1番尖っていた時期かな。

パラス・アテナはギリシャ神話の女神で、知恵、芸術、工芸などを司る。戦争とは関係ないのに、なぜかゼウスの頭頂部から武装して鎧をまとって出現したとされている。

この絵では槍?をもって戦闘意欲が満々。保守的な画壇との対決姿勢を示しているのだろう。でも黄金を多用したからギリシャ神話じゃなくインカ帝国の女神に見える(^^ゞ

ちなみに一般的なパラス・アテナの描き方はこんな感じ



「エミーリエ・フレーゲの肖像」 1902年
1902-4-4-1

クリムトの代表作のひとつとされ、この展覧会の目玉作品でもある。
でもなぜか私にはあまり響かず。クリムトに期待しているきらびやかさがないからかなあ。

なお、この作品のみ写真撮影が認められていた。
SNSによる拡散〜集客効果は無視できず、美術館は試行錯誤中なのだろう。
IMG_1661


ーーー続く





wassho at 08:53│Comments(0) 美術展 

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