2012年10月29日

十月も終わる

前回から二ヶ月も開いてしまった。この二ヶ月色々あったような気がする。

まず先月、祖母が亡くなった。数年前からトイレと食事以外ほぼベッドの上で寝ている状態だったが、いつのまにかトイレに自力で行けなくなり、1年半ぐらい前からは家にいるよりもデイサービスやショートステイのお世話になることの方が多くなっていた。さらにちょうど1年前、ショートステイ先で具合が悪くなり病院に入院し、数ヶ月の後そのまま病院系列の介護施設に入ることなり、そのまま家に戻ってくることはなかった。
ものぐさから結局一度もお見舞いに行かず、再会したとき祖母は目を瞑った冷たい身体になっていた。このことは伯父にやや責められた。ただ言い訳がましいが、幼少時代の俺をよくお守りしてくれ、一緒に畑や買い物に行った元気だった頃の祖母の思い出が鮮明なだけに、ここ一年で完全に耄碌しきったその姿を見なくて済んだという点では、後悔していない。孫が会いに行かなかったことを祖母がどう思っていたか、今となっては知る術もない。
俺の両親が出かけた度に『ルパン三世カリオストロの城』や『となりのトトロ』をビデオで一緒に観た事や、初めて食べたカップ焼きそば(ケンちゃん焼きそば)の作り方を間違えて水っぽい麺を食べさせられた事、『るろうに剣心』を「ござる」と呼び毎週観ていたこと等々が、懐かしくもほんの少し前ののように思えるほど記憶に刻み込まれている。
葬式ではもう十年以上も会っていなかった従兄にあったり自分の知らない親類と様々な話をしたが、同じ苗字を持つ親戚があんな一同に会することは、もう二度とないだろう。


話は変わる。読書の秋と言うことで、最近は有名な文学作品に興味を持っている。最初は家にあった松本清張(これは俺の生まれるだいぶ前に亡くなった祖父―つまり祖母の夫―の残したものだ)や赤川次郎を読んだ。今は志賀直哉をよく読んでいるのだが、その他に中島敦を買おうと思っ(結局まだ買っていない)たり、数ヶ月前にはふと思いたってリヒターを読んだりと、どういうわけか自然と中高時代の国語の教科書に取上げられていた作家の作品に接しようとしている自分がいる。もっとも、国語の教科で学ぶように作品に内含される著者の心情や思惑を察すると言った能力が俺には備わっておらず、ただ感情的情念的に面白いかどうかでしか読めていない。
先日、安倍公房の『砂の女』を買ったが、これも中学の国語か社会の資料集で見た作品のあらすじと映画版の写真に当時惹かれていたことを思い出したためだ。
その辺は秋だから少々センチメンタルになっているせいなのかもしれない。なんにせよ時間がある今のうちに良い物を読めるだけ読んでおきたいものだ。

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