2020年08月18日
子供や次の世代には考え方を身につける視点で学んで欲しいと思うし、物事に共通する物の見方、捉え方というのが、学校で学ぶ5教科以上に重要だと思っている。物事の見方、考え方、捉え方なんかはなかなか教えてもらえない。
作品を説明しようとした時に、その作品を一つ一つ細かく説明するというよりも、そこに至る自分の考え方、基礎となる思考、ベース、プリンシプル、自分の主義、原理原則を示したほうが、受け手にとっては新しい考え方を取り入れるチャンスにもなるし、きっかけになり、受け手の成長につながるのではと考える。作品の細部や納まりなどは、図面や写真があれば再現可能だか、そこに至る考え方がなければ、その納まりを作ろうとは思わないのではと考える。
家を作る時に、そこに住む子供達の原風景の一部を作っているのだと思って設計をしている。
自分にとって生まれ育った場所や家や環境っていうのはその後の人生にも大きく影響すると思うし、自分のアイデンティティーを形成するのにも大きな役割をになっていると考える。
自分の育った家を振り返ると、借家でのボロ家でお世辞にも恵まれた住環境とは言えなかったし、それがきっかけで家づくりを志したといってもいいだろう。一方で親の家を設計したときには自分が育った借家の住まいの要素が多分に含まれた家を設計した。
育った家というのが自分の原風景の一部だったと親の家を設計することを通し思ったことでもあり、それを通して自分の設計する住まいというのがそこに暮らす子供にとっては原風景になりうると意識するようにもなったきっかけだった。
2020年08月13日
共感できるものが見つかると、そこに自分も重ねてみたくなる。
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自分にとって物事の考え方っていうのは、数学や国語や物理や建築や子育て、そういう枠組み越えて繋がっている、共有できると考えている。
それを初めて感じたのが予備校での授業を通してだった。
例えば現代文を読むときに、そこには逆説的な接続詞、たとえば、『しかしながら』『一方で』と言った言葉の直後に大切なキーワードや主張が描かれている傾向がある。
数学を解く時に、常に意識するべきことは、『分解と集合』、『具体と抽象』『逆転の発想』といった考えで、たとえば数列の数式を導く時に、もし解けない時は『具体的』に数字をあててみて、増え方を実際に確かめて予測してみたり。逆に具体的な数字の増え方をもっと単純な数式で表すために数式という形で『抽象化』してみたり。単純だけど時間がかかるような足し算には必ず出題者の裏があって、それを1の位、10の位、100の位という形で『分解』して足し合わせていくことで単純に計算できたり。
物理を学んだ際は、その中で物理の法則を順に学んでいくのだが、それは一種の歴史を学んでいるのと同じであるのだと、授業の中には必ず誰がどんな法則を発見したストーリーを交えて教えてくださったのだか、単純な公式を覚える以上に、この公式が出てきたことで、ある人物が次の公式を導き出し、それが連綿と繋がっていて。高校の物理は実際は歴史を学んでいるのだと気付いた時の面白さは、歴史を学ぶ楽しさや、物事を考えたり提案したりする際にその土地の歴史を学ぶことや、その人の歴史を聞くことにヒントが隠されているといった考え方に結びついたり。
そんな授業を通して気づかされたのが、現代文で学んでいた逆説的な考え方は実際には英語や数学にも通じる考え方だなと思ったり、物理は実際は歴史なんだと思えるようになったり。
物事の考え方は共通することがてきると感じた瞬間だった。
そういった意味で予備校生活というのが自分の中でのターニングポイントだった。
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今やYouTubeを通し、気軽に講演見たりできる時代で、自分のターニングポイントとは何だったろうかと考えた時に、徒然と書き溜めておいて思考を言語化しようかなと思った次第です。
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自分にとって物事の考え方っていうのは、数学や国語や物理や建築や子育て、そういう枠組み越えて繋がっている、共有できると考えている。
それを初めて感じたのが予備校での授業を通してだった。
例えば現代文を読むときに、そこには逆説的な接続詞、たとえば、『しかしながら』『一方で』と言った言葉の直後に大切なキーワードや主張が描かれている傾向がある。
数学を解く時に、常に意識するべきことは、『分解と集合』、『具体と抽象』『逆転の発想』といった考えで、たとえば数列の数式を導く時に、もし解けない時は『具体的』に数字をあててみて、増え方を実際に確かめて予測してみたり。逆に具体的な数字の増え方をもっと単純な数式で表すために数式という形で『抽象化』してみたり。単純だけど時間がかかるような足し算には必ず出題者の裏があって、それを1の位、10の位、100の位という形で『分解』して足し合わせていくことで単純に計算できたり。
物理を学んだ際は、その中で物理の法則を順に学んでいくのだが、それは一種の歴史を学んでいるのと同じであるのだと、授業の中には必ず誰がどんな法則を発見したストーリーを交えて教えてくださったのだか、単純な公式を覚える以上に、この公式が出てきたことで、ある人物が次の公式を導き出し、それが連綿と繋がっていて。高校の物理は実際は歴史を学んでいるのだと気付いた時の面白さは、歴史を学ぶ楽しさや、物事を考えたり提案したりする際にその土地の歴史を学ぶことや、その人の歴史を聞くことにヒントが隠されているといった考え方に結びついたり。
そんな授業を通して気づかされたのが、現代文で学んでいた逆説的な考え方は実際には英語や数学にも通じる考え方だなと思ったり、物理は実際は歴史なんだと思えるようになったり。
物事の考え方は共通することがてきると感じた瞬間だった。
そういった意味で予備校生活というのが自分の中でのターニングポイントだった。
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今やYouTubeを通し、気軽に講演見たりできる時代で、自分のターニングポイントとは何だったろうかと考えた時に、徒然と書き溜めておいて思考を言語化しようかなと思った次第です。
ドラマや小説は擬似体験ができることに面白みがあると思う。自分の一度しかない人生が、そのドラマを通して、違う人生を擬似体験できる。それがドラマや小説の良さだと思う。
家を作る仕事はお施主さんと、設計者の自分がいて。
お施主さんの話をききながら、そこにお施主さんの歴史や履歴、人生を感じて、家づくりに携わっていくのであるが、そのヒアリングや打ち合わせという行為が一種のお施主さんのドラマを見ているかのように感じていて、自分はお施主さんを通しお施主さんの人生を擬似体験できているのではないかと思っている。
お施主さんがどんなキッチンがいいのか、どんなLDKがいいのか、そんな話を聞きながらなんでいいのか、なんで嫌なのか、それはその人の生活スタイルや習慣に関わっていて、それを少しでも改善したり、また今まで良かった暮らしは残しながら住まいができあがっていく。
家作りを通し、擬似体験できることで自分の経験や人生の幅が広がることに繋がっている仕事だなと感じています。
家を作る仕事はお施主さんと、設計者の自分がいて。
お施主さんの話をききながら、そこにお施主さんの歴史や履歴、人生を感じて、家づくりに携わっていくのであるが、そのヒアリングや打ち合わせという行為が一種のお施主さんのドラマを見ているかのように感じていて、自分はお施主さんを通しお施主さんの人生を擬似体験できているのではないかと思っている。
お施主さんがどんなキッチンがいいのか、どんなLDKがいいのか、そんな話を聞きながらなんでいいのか、なんで嫌なのか、それはその人の生活スタイルや習慣に関わっていて、それを少しでも改善したり、また今まで良かった暮らしは残しながら住まいができあがっていく。
家作りを通し、擬似体験できることで自分の経験や人生の幅が広がることに繋がっている仕事だなと感じています。
2011年04月19日
気づけば四月も中盤を過ぎて、
宮城も桜が見頃の季節です。
宮城の大河原ってとこには、河川敷に数キロ続く桜並木が植えてあって一目千本桜って呼ばれるとこがある。
実際初めて見にいったけど、見に行ってほんと良かった、こりゃ毎年来ないとなって。一年に一回だと人生であと60回くらいしか見れないよね、少ないなー。
こういったとここそ海外の人に見てもらえたら本当に感動してもらえるなって。
感動しなかったらもう一回来たいとか思わないしさ。やっぱまた来たいって思えるようなとこを見せてあげたいよね。
季節によって姿が全然違う日本の自然の風景ってほんと良い。初めて通った夏の日光街道の杉並木くらい、そんくらい今回の桜も感動した。
こんな機会だからこそ気づくっていうか
桜をまじまじ見るってこと全然なかったけど、
よーく見てみると一つの桜の芽から2〜4の花が出てて、一つの芽に一つの花が詰まってるわけじゃないんだよね。だからぼんぼりみたいに見えてボリューム感を感じさせてる。
普段って花見って言いつつ結局飲み会だからな。そりゃ花より団子って言葉が生まれるわけだ。
桜並木のすぐ脇を東北本線が通っていて、そこの船岡駅周辺で変な看板を見つけた。「停車?」ってどういうことだ!?
駅寄ってく?みたいなノリか、看板にしては適当過ぎるだろ。
JRの人いたら聞いてみたいもんだな。
宮城も桜が見頃の季節です。
宮城の大河原ってとこには、河川敷に数キロ続く桜並木が植えてあって一目千本桜って呼ばれるとこがある。
実際初めて見にいったけど、見に行ってほんと良かった、こりゃ毎年来ないとなって。一年に一回だと人生であと60回くらいしか見れないよね、少ないなー。
こういったとここそ海外の人に見てもらえたら本当に感動してもらえるなって。
感動しなかったらもう一回来たいとか思わないしさ。やっぱまた来たいって思えるようなとこを見せてあげたいよね。
季節によって姿が全然違う日本の自然の風景ってほんと良い。初めて通った夏の日光街道の杉並木くらい、そんくらい今回の桜も感動した。
こんな機会だからこそ気づくっていうか
桜をまじまじ見るってこと全然なかったけど、
よーく見てみると一つの桜の芽から2〜4の花が出てて、一つの芽に一つの花が詰まってるわけじゃないんだよね。だからぼんぼりみたいに見えてボリューム感を感じさせてる。
普段って花見って言いつつ結局飲み会だからな。そりゃ花より団子って言葉が生まれるわけだ。
桜並木のすぐ脇を東北本線が通っていて、そこの船岡駅周辺で変な看板を見つけた。「停車?」ってどういうことだ!?
駅寄ってく?みたいなノリか、看板にしては適当過ぎるだろ。
JRの人いたら聞いてみたいもんだな。
2011年03月24日
仙台に帰ってきてからここ三日間はガソリンスタンドに給油するため朝4時に並びに行く生活で、その待ってる時間利用して宅建の勉強がかなりできた。早起きは三文の得だわ、体内時計のリズムもかなり改善されました。これでガスも石巻の親戚に分けることができます。
昨日はボランティアで白鳥地区に行って床上浸水した家の後片付けを手伝ってきた。
んで今日はそのボランティアで一通り掃除に必要なものがわかったから、石巻に持っていく掃除用具を買い出して、明日は祖父母の仮埋葬で石巻にいく予定です。
ボランティアでは掃除の段取りというか、それ以外にもいろいろ発見するものが多かった。
一つは言葉。俺は初めての参加だったから一番下っ端のつもりで、なるべくしゃしゃり出ないようにしてたけど、浸水で汚れてしまった荷物をゴミって言ったら、ほんと、ダメだと思う、人傷付けてんなって、見てて思った。教えてあげようと思ったけどタイミングを逸してしまって言えずじまいで、少し後悔してる。
掃除の仕方はやってみないと、何から手を付けていいか、どうゆう風に掃除して行けばいいかとか、多分わかんないと思うから、やってかなり勉強なった。んでめちゃめちゃ体力使う、水吸った畳とかめちゃ重いし、水吸い取ったスポンジやら雑巾絞るのに握力はなくなるし。
けど、やっぱ大人数でやれる分、目に見える形で片付いていくから、ほんと手伝った家の人にはかなり感謝してもらった。
俺は石巻の家を片付けるために学ばせてもらっているから、自分のためにやっているって思うけど、他のボランティアの人ってたぶんそうじゃないから、そういう人達の心って凄いなって思う。
だけど、やっぱボランティアするためにはボランティアされている人と同じ目線に立たないと、たぶんつらい気持ちも悲しい気持ちもわかんないと思う。
だから、むやみやたらにボランティアしに行って、人傷付けるとかたぶんそんな裏側がたくさんあるんだろなって感じた。
前向きに振る舞う人もいれば、まだ立ち直れてない人もいるし、やっぱ明るく振る舞った人のなかにもうっすら影が見え隠れしていた。
この被害で家なくしてる人もいるし、人なくしている人もいるし、だけど、やっぱ被災して、なにかしら失った人はみんな、不安で辛くて、それでも生きなきゃいけんし、人によっては地獄に感じられるだろうし。
だから、自分の幸せを今実感できる人は、ほんとに感謝の気持ちを忘れないでいて欲しい。
そんな感じで、感じたことをつらつらと書いてしまいました。
昨日はボランティアで白鳥地区に行って床上浸水した家の後片付けを手伝ってきた。
んで今日はそのボランティアで一通り掃除に必要なものがわかったから、石巻に持っていく掃除用具を買い出して、明日は祖父母の仮埋葬で石巻にいく予定です。
ボランティアでは掃除の段取りというか、それ以外にもいろいろ発見するものが多かった。
一つは言葉。俺は初めての参加だったから一番下っ端のつもりで、なるべくしゃしゃり出ないようにしてたけど、浸水で汚れてしまった荷物をゴミって言ったら、ほんと、ダメだと思う、人傷付けてんなって、見てて思った。教えてあげようと思ったけどタイミングを逸してしまって言えずじまいで、少し後悔してる。
掃除の仕方はやってみないと、何から手を付けていいか、どうゆう風に掃除して行けばいいかとか、多分わかんないと思うから、やってかなり勉強なった。んでめちゃめちゃ体力使う、水吸った畳とかめちゃ重いし、水吸い取ったスポンジやら雑巾絞るのに握力はなくなるし。
けど、やっぱ大人数でやれる分、目に見える形で片付いていくから、ほんと手伝った家の人にはかなり感謝してもらった。
俺は石巻の家を片付けるために学ばせてもらっているから、自分のためにやっているって思うけど、他のボランティアの人ってたぶんそうじゃないから、そういう人達の心って凄いなって思う。
だけど、やっぱボランティアするためにはボランティアされている人と同じ目線に立たないと、たぶんつらい気持ちも悲しい気持ちもわかんないと思う。
だから、むやみやたらにボランティアしに行って、人傷付けるとかたぶんそんな裏側がたくさんあるんだろなって感じた。
前向きに振る舞う人もいれば、まだ立ち直れてない人もいるし、やっぱ明るく振る舞った人のなかにもうっすら影が見え隠れしていた。
この被害で家なくしてる人もいるし、人なくしている人もいるし、だけど、やっぱ被災して、なにかしら失った人はみんな、不安で辛くて、それでも生きなきゃいけんし、人によっては地獄に感じられるだろうし。
だから、自分の幸せを今実感できる人は、ほんとに感謝の気持ちを忘れないでいて欲しい。
そんな感じで、感じたことをつらつらと書いてしまいました。
2010年12月01日
これがしたいというこだわりがある
物は大切にとって置くほうだ
収納は充実させたい
ものは比較的飾るほうである
部屋はすっきりして、生活感のある物はあまり見せたくない
床に座る生活がしたい
椅子やソファーでの生活を考えている
開放的なリビングがいい
子供部屋は必要である
部屋を家具や仕切りで間仕切れるようにしてライフスタイルに合わせて部屋を変化させて利用したい
物は大切にとって置くほうだ
収納は充実させたい
ものは比較的飾るほうである
部屋はすっきりして、生活感のある物はあまり見せたくない
床に座る生活がしたい
椅子やソファーでの生活を考えている
開放的なリビングがいい
子供部屋は必要である
部屋を家具や仕切りで間仕切れるようにしてライフスタイルに合わせて部屋を変化させて利用したい
2010年11月27日
グループワークをする上で
必要なもの。
大きく6つ
a4の板と用紙のセット
赤青鉛筆
赤の蛍光ペン
青の蛍光ペン
0.5シャーペン
消しゴム
キチンと整理する。
必要条件は赤で+α条件は青鉛筆で囲む。
必要条件は赤
+α条件は緑の蛍光ペンでマーク!
必要条件は文章に書いてあること。
+α条件はメモでa4の紙にメモる。
ポイント①
必要条件が何故必要なのか理由付け。
赤鉛筆で理由をマーキング
確定したら赤の蛍光ペン
ポイント②
+α要因に優先順位をつける。
ポイント③
+α要因を条件によってグループ分けする。
ポイント④
それらの理由付け
赤の色鉛筆
赤の蛍光ペン
ポイント⑤
レイアウト
プレゼンでは。
タイトル。
目的:誰のための何を作ります。
条件:条件は◯億円で◯が条件です。
ニーズ:お客様の要望としましては何個あります。◯◯と◯◯と◯◯です。
提案:それに対して僕らの提案は大きく3段階あります。
必要条件の書き出し。
+α要因
優先順位の書き出し。
質問するときは
クライアントの文脈を読み解く。
クライアントがこういったこと求めてるのになぜこれが入ってないのか?
必要なもの。
大きく6つ
a4の板と用紙のセット
赤青鉛筆
赤の蛍光ペン
青の蛍光ペン
0.5シャーペン
消しゴム
キチンと整理する。
必要条件は赤で+α条件は青鉛筆で囲む。
必要条件は赤
+α条件は緑の蛍光ペンでマーク!
必要条件は文章に書いてあること。
+α条件はメモでa4の紙にメモる。
ポイント①
必要条件が何故必要なのか理由付け。
赤鉛筆で理由をマーキング
確定したら赤の蛍光ペン
ポイント②
+α要因に優先順位をつける。
ポイント③
+α要因を条件によってグループ分けする。
ポイント④
それらの理由付け
赤の色鉛筆
赤の蛍光ペン
ポイント⑤
レイアウト
プレゼンでは。
タイトル。
目的:誰のための何を作ります。
条件:条件は◯億円で◯が条件です。
ニーズ:お客様の要望としましては何個あります。◯◯と◯◯と◯◯です。
提案:それに対して僕らの提案は大きく3段階あります。
必要条件の書き出し。
+α要因
優先順位の書き出し。
質問するときは
クライアントの文脈を読み解く。
クライアントがこういったこと求めてるのになぜこれが入ってないのか?
2010年11月26日
なんかねー。ほんと。あれだ。
そう。あれだ。
でてこんわ!
もう書こう!
にげてちゃあかんて!
そうやねん。
そう。あれだ。
でてこんわ!
もう書こう!
にげてちゃあかんて!
そうやねん。