NHKの朝ドラ、皆さんは見ていますか?
4月から放映されている『ひよっこ』、我が家では楽しく見ています。

ドラマが始まる少し前ですが、社長が同業者の会合に出た時にある会社の人から「今度の連続ドラマに関することで茨城の放送局から問い合わせがあった」という話を聞きました。
何でも、「ドラマヒロインのモデルになった人が『H製本さん』で働いていたらしいのだが、そこは既に会社をやめてしまっているので、現在どうしているのか一番近所のうちに消息を訊ねてきた」、との事。

たしかこのドラマはオリジナルの脚本だと聞いた記憶があるので、モデルとした人物が誰か一人いたというよりは、様々な人のエピソードを参考にして執筆しているのかもしれません。
(ドラマの中では電機会社の工場に勤めていますね!)


1964年、前回の東京オリンピックの頃、『ひよっこ』のヒロインと同じように私共の会社にも地方から出てきて住込みで働いていた若者が結構いました。


当時の会社は秋葉原から徒歩10分位の場所にあり、1階が工場、2階が男女の従業員の各部屋1つづつ、それに家族の住居部分という構成になっていました。
今考えると、人数の割りには広くもない部屋で従業員の皆さんは仲良くやっていたものですね。
昔の住宅なので住込み部屋の入り口も引き戸、鍵など付いていたのかいないのか・・・。性善説に基づいているというのか、のんきだったというのか、昭和前半はそんな時代だったようです。

以下、私のおぼろげな記憶と80歳半ばの母の話をたどって当時の若き工員たちの生活を綴ります。


工員さんの出身地

集団就職などで茨城、群馬などの北関東や、祖父の出身地の宮城県はもとより、南国の「ボンタンアメ」や北国の「笹飴」などの帰省土産を貰った記憶から考えると従業員の皆さんは結構遠くから東京に出てきていたようです。
もう少し時代が後になると、返還前の沖縄からの人も何人かいました。(彼らが故郷の家族と電話をしている時、ウチナーグチがまるで異国の言葉でした。苗字も「平安山さん」「伊集さん」など珍しかったです)

朝、昼、晩御飯

住み込みの人達の食事は3食まかないです。
とうてい母だけではこなしきれないので、食事、掃除、子守担当のお手伝いさんの住み込みも常時2人いました。
中学を卒業してすぐ働きに来て、それまでろくに食事の支度などした事が無いお手伝いさんも直にキャベツの千切りがスパスパとこなせるようになったものです。
特に祖母はびっくりするほどのきれい好きでしたので、掃除はバッチリ仕込まれていました。

居住環境

先程も書いたように、家族の居住部分と住込み部屋が同じ階にありましたので、まだ幼かった私は結構自由に従業員の部屋を訪ねていました。
男の人の部屋に行ってギターを弾いてもらったり、女の人の部屋に遊びに入って「芸能人ではだれそれがスキ 」という女子のトークを側で聞いていたり気安くしていたのですから、当時は本当に公私混同、プライバシーもへったくれも無いものです。
余りにも頻繁だったり、時間によっては親にたしなめられましたが、雇い主の子供という事情を抜かしても皆さんに可愛がって貰っていました。

父と母も「喧嘩したことが無い」と昔よく言っていたのは仲が良いというより、あまりにも筒抜けで出来なかったというのが事実なようです。

楽しみは映画

当時は今よりずっと手作業に負う行程が多かったのと、上向きの景気のお陰で殆ど毎日のように残業だったそうです。
たまに定時でおしまいの日があると、急いで着替えて映画館に直行。
イタリア映画『ニューシネマパラダイス』のように当時は近所に街中の小さな映画館があったのです。
最終回で観た映画、工員さんだった人達は覚えているでしょうか?


こんなエピソードもありました

長い事若い人達を預っているとちょっとした事件も無きにしも非ず。

ある時寝たばこで部屋の畳を焦がしてぼやを出しかけた男の人が居たそうです。
彼は前職が畳屋さんだったので、どこからか畳表を調達してきて自分で修繕したそうです。



若い工員さんが「住込み」というかたちで働いていたのはこの後数年です。
こうして綴ってみると、現在からは考えられない事も多いですね。 


会社は創業からこれまでお勤めしてくれた方たちの支えによって成り立っています。

何百人かの社員だった皆さまに(そして現在の社員の方にも)感謝申し上げます。



記事担当 A