私には“命の恩人”がいる。
 糖尿病の主治医である女医のH先生だ。
 ゆうに80歳を超えていらっしゃるH先生は、華奢な身体で、街中を歩いていればひ弱なおばあちゃんにしか見えない。ところが白衣を着たH先生は、エネルギッシュでパワフルだ。眼鏡は一切使わずに、カルテに小さな小さな字で書きこむのをみてはいつもびっくりする。私には老眼鏡をかけても見えないほどの細かな字だ。“眼年齢”は10代のまま、まるで歳をとられていない。
 常に真摯に患者と向き合う姿に、『これぞ医師の鏡だ』と頭が下がる思いでいる。
 
 昨日(9月2日)、定期診断でH先生を受診した。数週間前にがんの再発、転移をチェックするための造影剤投与のCT検査をした結果、「合格」だったことを報告すると、H先生はにこやかに「そう、よかった」と言って下さった。心からの笑顔だった。私は「ありがとうございます」と頭を下げた。
       ◇   ◇
 2年前の夏、私はH先生の指示で頚部エコー検査を行った。糖尿病関連で半年に一度位の割で行っている検査で、いつも通り終わると思っていたら、何か影が見つかったらしく頚部のCTをとることになった。その結果を画像解析するX線技師の声が、X線室の外で待つ私の耳にもれとどいた。
 「あれ、いっぱいある。何だ?こんなのはじめてだ」。とたんに私の身体は硬直し、寒気がおそった。

 しばらくしてH先生に呼ばれた。「がんのようです。精密検査しないとわかりませんが、たぶん」。私はガーンと打ちのめされ、頭が真っ白になった。
 「自分ががん。なんの症状もないのに嘘だろう」。「がん?俺は死ぬのか」。はじめて死を身近に感じた。死に直面して、言い知れぬ不安に呆然とした。現実ではなく夢と思いたい。ただただうつろな状態で、あとのことはあまり覚えていない。H先生が病院を探して紹介状を書いてくださるという。後日連絡をくださるというので、お任せするしかない。
 この間も、「がん?何で、まさか。きっと間違いだろう」と自問自答を繰り返す。なにがどうなっているのか、落ち込んだ気分は深みにはまるばかりだ。この状況をどうやって妻に伝えたのか、覚えていない。
 私はそこから長い長いトンネルに入った。
       ◇   ◇
 昨日(9月2日)、H先生は2年前を振り返って、こう言った。
 「あのとき私は、とにかくトップの先生を探したの。頭頸科のがんで日本でトップの先生をね。毎日ネットなどで探したり、院長先生に相談したりして。私にも初めてのケースだった。それで探すのに1週間かかったのよ」

 H先生が懸命なって探してくださったのが、日本有数のがん専門病院の外科医だった。H先生からの紹介状に、医長でもあるその外科医は、初対面で「内科からの紹介状は珍しい」と言った。頭頸科なので、普通は耳鼻咽喉科の紹介状らしい。内科のH先生が、いかに一生懸命になって専門外の領域である「頭頸科のトップ」を探しくださったか、ということだ。
 その外科医の執刀で私の咽頭がんの手術は16時間余に及んだ。ベテラン外科医といえども想定を超えた難手術だったに違いない。5か月近くになった入院生活のなかで知ったのだが、このがん専門病院には海外からも患者が名医を頼ってくる。私の執刀医もその名医の一人で、入院中、私と同じ病棟で多くの外国の方を見かけた。同じ病室には、南米から来たという患者さんがいた。それほど名だたる病院であり、名医なのだ。
 がんが見つかってから2年が経ち、CT検査で再発、転移がみられない現状に、その主治医は「(経過は)良好です」と言った。
 まだ寛解とはいえないが、私は命を救われたのである。私を執刀した外科医は、まぎれもなくH先生がいう『日本のトップの先生』だった。そう、H先生が私の“命の恩人”である。
   ◇   ◇
 私が糖尿病でいくつかの病院を渡り歩いて10数年前、「いい先生がいるよ」とH先生を紹介してくれたTさんが数週間前に亡くなられた。Tさんは30年来、H先生にお世話になっていた。
 Tさんの奥さまから、こんな話を聞いた。
 「H先生が数万円のご香典とお花を送ってくださった」というのだ。また、奥さまがご主人を亡くして落ち込んではいないかと、たびたび「大丈夫?しっかりするのよ」と電話もくださったという。
 私はこれを聞いて感動した。
 H先生にとってみれば確かにTさんは長年の患者さんだったが、そうであっても果たして主治医が患者と家族の身になってここまでやるだろうか。医師の誰もができることではない、と私は思う。
 H先生の診察時間は患者さん一人に15~20分かかるのは当たりまえ。親身になって診察するからだ。30分以上だってある。だから予約しててもかなり長い時間待たされる。でも、いっぱい「おつり」があるから文句は言えないのである。
 「お待たせして、すみません」と必ずおっしゃるH先生。でも待たせたことをさほど意に介していないようにみえる。患者に寄り添い、誇りをもって診察しているからだろう。愛すべき先生である。