最近のお天気はちょっと変ですが、みなさまお元気ですか?
Watsは所長の風邪がイマイチ良くならず、
業務は平常通りですが打合せや電話にやや難ありの状態が続いております。
期間限定と思われた「巨匠と仕事をしている気分」がもう少し楽しめそう。
さて、今日はゴールデンウイークに実家に帰って感じたことの巻。
ウチの実家はローカル線の線路の近く。
お隣の家が建つまでは目の前を電車が走っていました。
今思うと振動や音が結構するのであまり良い物件とは言えませんが、
生まれた時からその環境なので当然気にもならず、
むしろ当たり前で、ワタシにとっては住環境の一部でした。
駅も無人の小さな駅でしたが
飲食店をしていた祖母と一緒に毎週のように乗っていました。
小学三年の時に何でも一人で出来るように…と
初めてひとりで電車に乗り祖母の店にも行きました。

高校や大学も毎日この小さな駅から電車に乗りました。
本当に「当たり前」の景色でした。
駅の名前はみんなビックリします。
駅名の書かれた定期券は爆笑必須のアイテムでした。
就職の都合などで豊田で一人暮らしを始めてからも
実家に帰ればその「電車の走る景色」は当たり前にありました。
でも電車に乗ることはなくなっていました。
どこに行くにも車。
変わったのはワタシでした。


電車はいつしか廃線が決定し、
電車がメインの移動手段だった母や祖母は
少し寂しそうに「困ったな」と言っていました。
電車は走っていませんでしたが、線路は残っていて、
あまり変化を感じてはいませんでした。
でも景色は変わり始めていました。
気付いていないだけでした。


線路はなくなり、枕木も撤去されました。
木の上をゆっくり走る心地良い音も一緒に失ったことに気付きました。
「音」を失くすことを初めて意識した瞬間でした。
風景というものが五感全てで構成されていることに驚き、
穴のあいた感覚をとてもさみしく思いました。

いつしか橋もなくなっていました。

今では線路だった「思い出」がかすかに見えるだけ。
それでも不思議と線路跡地を見ると
「カタンコトン」という電車の音を鮮明に思い出します。
本当にその記憶は「鮮明」で、でも聞こえない音で・・・。
きっと、ずっと変わらない風景なんだろうなと思いました。
目には見えないのに自分の中で「変わってしまったコト」と
目に見えて変わってしまったのに自分の中で「変わらないモノ」。
一つの風景の中にこの二つが存在していて
それも含めて今の自分が構成されている。
「原風景」とはこうしてできていくのでしょうか・・・?

近所の用水も桜並木の大好きな場所でしたが、
今では道路拡張工事の為立派だった桜は切られてしまいました。
家から見える長良川の花火も桜の成長で
最近はやや隠れ気味でした。
それを正直少し疎ましく思う日もありましたが、
失って気付く「大好きな風景」の一つでした。

それでも芽を出す桜の木に自然の力強さを感じます。
突然ですが私は桜が好きです。
5年生の国語の教科書に「桜の草木染め」のお話がありました。
私が桜を好きな理由はその話が大きく影響します。
草木染めの作家の言葉に
「冬の桜が一番きれいで一番好きです。
たしかに冬の桜は花も葉もなく見た目に美しくはない。
でも冬の桜の幹で染めるのが一番きれいに色付く。
それは木の内側に春になると咲く花の美しさを持っていて、
それが色として現れるんだよ。
だから私は冬の桜が一番好きなんです」
うる覚えなので実際とは違うと思いますが、そんな内容で
私は今も変わらず冬の桜にその「美しさ」を思うのです。
モノをつくるヒトとして
つくることで変わる「コト・モノ」を「当たり前」と思っていました。
もちろん物理的には「当たり前」のこと。
ただ気付いたことは「変わりゆくもの」の中に「変わらぬもの」も
同時に存在していて、それが意外と「大事」であるということ。
たまに見つめ直すのもいいかもしれません。
故郷に帰るとはそういうことかもしれません。
みなさまの「変わりゆくもの」「変わらぬもの」は何でしょう…?
隣で所長が
「右ひじ左ひじを見る~♪」を不器用に歌いながら
『現代の笑とその受け止め方、またはその感覚』と題されそうな
公演を熱く語っております。
あぁ、その無邪気さがうらやましい・・・。
きっとこの方は私の中で
「変わらぬもの」に分類されるヒトなのでしょう。
そしてこの方は
「基本的に変わらないヒト」なのでしょう。
「ピーターパン」と呼ぶべきか・・・また悩みが増えてしました。
さて、いつもの「所長オチ」がついたところで今日はおしまい。
次回は現場の報告ができるといいなと思います。では!
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ではなくてブログ更新いたします。













