原節子さんは、この9月に昇天なさった。引退後は、インタビューや講演のお願いがあっても、「済んでしまったことですから」とけっして表に出ようとはなさらなかった。その毅然とした姿は一貫していた。
日本映画界の伝説的女優 原節子さん死去
(NHK 11月25日 22時44分)
 映画「東京物語」や「晩春」など、小津安二郎監督作品に欠かせない女優として活躍したものの、昭和30年代に突然引退して日本映画界の伝説的な存在と言われた元女優の原節子さんが、9月5日に神奈川県内の病院で肺炎のため亡くなっていたことが分かりました。95歳でした。
 原節子さんは大正9年に横浜で生まれ、15歳のときに映画「ためらふ勿れ若人よ」で女優としてデビューしました。昭和12年には、日本とドイツの合作映画「新しき土」でヒロインに抜擢(ばってき)され、日本人離れした顔だちと清潔感あふれる演技で人気スターとなりました。
 戦後は、高校の英語教師の役で出演した「青い山脈」で新しい時代に生きる女性の姿を演じる一方で、「麦秋」「東京物語」など小津安二郎監督の作品に数多く出演し、婚期を迎えた年頃の娘の役で見せた印象的な演技で、日本映画界を代表する大女優としての評価を不動のものとしました。
 しかし、昭和37年、101本目の映画「忠臣蔵」に出演したのを最後に突然引退し、映画関係者やマスコミとも一切連絡を絶って公の場に姿を見せなくなり、日本映画界の伝説的な存在となっていました。
 原さんはことし8月の後半から体調を崩し、入院していたということですが、9月5日、肺炎のため亡くなっていたことが分かりました。95歳でした。
原さんのおい「立派な大往生」
 原節子さんが亡くなったことについて、原さんが暮らしていた神奈川県鎌倉市の自宅で、原さんのおいがインターフォン越しに取材に応じ、「病気だからしょうがないと思います。95歳なので立派な大往生だと思っています」と話しました。
 また、原さんは入院するまで離れで1人で暮らしていたということで、「普通の一般的なお年寄りの生活を送っていました。簡単な料理ぐらいは自分で作っていました」と、引退後の原さんの暮らしぶりについて話していました。
原さんの死去 惜しむ声
 原節子さんが亡くなったことについて、原さんの代表作の「東京物語」で共演した女優の香川京子さんは、「原さんは私にとって憧れの人で、『東京物語』で共演できたときは、とてもうれしかったことを覚えています。原さんとは芸能界を引退される少し前にお会いしたのが最後で、何十年もお会いしていませんでしたが、寂しいかぎりです」と話しています。
 原さんが出演した「東京物語」をリメイクした映画を製作した映画監督の山田洋次さんは、「原節子さんが亡くなったなどという知らせを聞きたくありません。原節子さんは美しいままに永遠に生きている人です。半分は神様と思って手を合わせます」というコメントを出しました。
 原節子さんについての著書がある映画評論家で、日本映画大学学長の佐藤忠男さんは、「原さんは堅実で品がよいという日本女性の理想像を見事に演じたことで、日本映画の黄金時代に20年以上にわたってトップクラスの人気を保つことができた。演技がうまい女優は何人もいるが、原さんほど品のよさが光っていた女優はほかにおらず、それが大スターとしての風格にもなっていた」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151125/k10010319561000.html




諏訪根自子さん(1920.1.23〜2012.3)とともにミステリアスであった日本女性が本当に姿を消してしまった。

さあ、今日も笑顔で参りましょう。

雪化粧した札幌にて

感謝

参照:
鎌倉の名優(2008年11月27日)
お茶漬けの味(2005年7月3日)
諏訪根自子さん、さようなら(2012年9月25日)