みました。


天然コケッコー
松ヶ根乱射事件

の山下敦弘が監督。
天然コケッコーがカンヌ出展が決まった時、
自身がまだ女性経験がなかったため、

『史上初!童貞でカンヌに乗り込んだ監督!』
と揶揄されたあの山下監督です(逆にかっこいい)

大阪芸大卒の二歳年下だし、
ほぼ同世代がその昔の学生運動を
どう見てるのか感じてるのかとても興味ありました。

正直、ぼくらの世代には
学生運動に対するあこがれがあります。
ベトナム戦争や日米安保や世界革命を
あんなに声高に多くの学生が叫んでいたなんて
1990年代に大学時代を経験した
ぼくには想像もつかないこと。

大学時代ぼくが在籍していた演劇部は
まだアングラ演劇を公演していて
稽古終わりで先輩と飲んでは
『表現とは』
『非日常とは』
『なぜ芝居をやっているのか』
『自分とは何なのか』
『今の学生にはなぜ
 日常に対するアンチの姿勢がないのか』
を、あーでもないこーでもないと話していました。

雰囲気的には演劇を通じて
ぼく(自己?)やその周囲(大衆?)に対する分析(総括?)
をなんとなくやっていた印象があります。

とにかく『楽しい』以外の
『自分が舞台に立つ理由』をひたすら求められました。

この映画のシーンにも通じるところがあり
わかってはいましたが、ちょっと痛々しくも甘酸っぱかったです。

どうしてもぼくは学生運動自体を
完全に間違ってたとは言えないと思うのです。
それは今も同じ。
だからぼくはNPOをやっています。




東都新聞社(ホントは朝日新聞らしい)に
1970年東大卒で就職した沢田(妻夫木)。

学生運動も終わりつつある時期に、「遅れてきた男」(松山)と、
卒業後に学生運動が勃興した早すぎた男」(妻夫木)が出会います。


しかし妻夫木演じる沢田と松ケン演じる梅山の間には
甘酸っぱい青春というにはあまりにも辛辣で
革命というにはあまりにも雑で稚拙な事実が横たわります。

そして何より人が死んでいる。

人の命を最優先に考えた上での思想・行動にもかかわらず
他人の命をあやめてしまった、それに加担した最大の矛盾。
ゆえに思い返して振り返れない。

何気ない日常の、ふとした瞬間のきらめき。
思想ではない感性で通じあった、男同士の友情。
そして今、隣にいる人を大事にすること。

それらを痛感したとき・・・



ぼくは真夜中のカウボーイを思いだして
ラスト号泣してしまいました。

いやあついつい学生運動の人たちと
プライドばかり高かった
自分の稚拙な大学演劇時代を重ねて

グッときちゃうんですよねえ。

間違ってはいなかったはず。
でもなぜ映画のようになった?
思い出話にもできない感じになった??

若者は潔癖だ。盲進する。それが特権。
しかしそこまで白黒はっきりさせないといけなかったのか???



そしてもちろん表紙はこの人。
今日売りの週刊東都・・・いや、週刊朝日です(本物)
asahi