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『黒い雨にうたれて』中沢啓治 著/発行DINO BOX 発売東京漫画社

 「黒い雨にうたれて」は、「はだしのゲン」の著作で有名な原爆・戦争の悲惨さを終生訴え続けた漫画家・中沢啓治氏の初期の作品だ。
 このところ、松江市の教育委員会が市内の小学校に対して「はだしのゲン」の閲覧を制限するよう口頭で通達するという事があった。
 これがニュースとして伝えられると、全国から松江の教育委員会の処置に反発する声が上がった。私も反発する者の1人だ。
 その意味も込めて、ずっと本棚の奥で埃をかぶっている「はだしのゲン」を再読することにした。ツイッター上でもそう宣下した。
 しかし、読むたびに辛い涙を流さねばならないために読み難い本でもある。
 そこで、助走をつけるために中沢氏の短編作品集の「黒い雨にうたれて」を先に読むことにした。そこに描かれている原爆の描写がはだしのゲンに比べればややマイルドだからだ。とは言え、実はこの本も一度もページを開くことはなくずっと本棚で埃をかぶったままになっていた、中沢氏の記憶を継がなくてはと思い購入したのだが、やはり読むのは気が重かったからだ。私のいくじなしめ。
 この本は、8つの短編からなるのだが、今日はこの中から表題の「黒い雨にうたれて」を紹介したいと思う。
 実はこの作品を初めて読んだ時、私は小学生だった。
 小学校の図書室に数巻からなる中沢啓治作品集があり、その中の一遍として収められていた。

 主人公は、外国人専門の殺し屋と作品中では紹介されているが、アメリカ人専門の殺し屋だ。原爆を落としたアメリカを強く恨みに思っている故にアメリカ人専門の殺し屋となった男だ。
 男は広島の被爆者で、原爆で家族を失い、自らも終生消えることのないケロイドの火傷跡を体に残している。
 男は、日本を食い物にするアメリカ人を許さない。恨みを込め拳銃の引き金を引く。
 ある時男は、目の不自由な少女が車に引かれそうになったところを救う。
 少女は原爆の遺伝で目が不自由なために角膜移植が必要なのだと少女の父親は言う。
 少女の父親は、諦めきった人間だった。いっそ少女が死んでしまえばいいと思い危険な道路でいつも遊ばせていたのだ。少女の母親は原爆症で死んでいた。
 父親の諦めは、「原爆症で働けないわしらに国が何をしてくれた… すずめの涙ほどの生活保護と申しわけ程度の医療がうけられる原爆手帳だけだぜ それも病院に入院できるのは長いこと順番を待たなくてはならんのだベッドの数が足りなくてな そんな国にまかせられるか」「原爆を受けたものは地獄だぜ この貧困と死をまっているのだからな」というセリフに集約されている。
 その後男は、またアメリカ人を暗殺する。標的を殺す前に、原爆が落ちた直後の惨劇の描写を語って聞かせた。ここでの描写は、後にはだしのゲンの中で描かれるものをダイジェストしたものと言って良い。先に描かれた作品の方をダイジェストと呼ぶのはおかしいかもしれないが。
 男は引き金を引くが反撃に遭い、標的を殺したものの男もまた致命傷を負った。
 息絶え絶えの男が向かった先は少女の家だ。自分の目を少女に与えて欲しいと言い残して男は息を引き取った。
 少女の角膜移植手術は成功した。
 
 この作品を含め8篇が収められているのだが、うち7編のタイトルに「黒い…」が使われている。原爆が爆発した後に降った黒い雨のことであると共に被爆者の黒く染められた地獄のような体験を現しているのだろう。どの作品にも辛さ悲しみの続く被爆体験がつづられている。
 初めて読んだ小学生のときには十分理解できていなかったが、今読むと、ある意味でははだしのゲンよりも残酷な被爆者の人生が綴られている。
 少年ゲンは最後に希望を持って出立するが、この短編集に描かれているのははだしのゲンで描かれた時代のその後を生きる人々だ。はだしのゲンが作者の自伝的作品であるのに対してフィクションではあるのだが、原爆症のため差別のために一般社会からはじき出され、迫り来る死の恐怖に晒される希望を失った人々の痛切な苦しみはフィクションとは言えまい。
 「黒い雨にうたれて」は、私の原点の見出しで始まるあとがきは、『私と「ゲン」は、ピカドンをけっして忘れません。』で結ばれている。
 氏は亡くなられたが、作品が残る限り私たちもピカドンを忘れない。忘れず記憶を継いで行かなくてはならないのだと思う。