2014年11月03日

最近、東京へ行くにも飛行機を使うことが多い。

これまでも富士山が見えることは知っていたけど、それ以外にも、こんなものやあんなものが見られるのかと意外だったので、写真を撮ってみた。

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(09:03)

2014年03月03日

STAP細胞に関する論文について、さまざまな疑惑が出ているが、私の専門分野ではないので、論文の内容について判断することはできない。

しかし、自分で論文を書き(非常に少ない数だが・・・)、共著者として論文をチェックしたり修正したり、また査読者として第三者の論文を読んだ経験から、剽窃疑惑に関しては、「なんでそういうことをしたんだろう」と思った。

この件で疑問なのは、なぜ引用文献をきちんと挙げなかったのかという点。

書籍や人文学系の論文と異なり、科学論文で論文の一部をそのまま引用して掲載することはまずありえない。引用をするのは、先行研究の結果や、その結果を基にした先行研究の研究者の主張・解釈であることが多い。また、その分野で認められている実験手法や解析手法を自分の研究でも使用したのであれば、手法の具体的内容は書かずに、その手法が提案された、あるいは実際にその手法が用いられた最初の論文を引用することもある。今回の場合、剽窃ではないかと指摘されている部分は、実験の方法を記載する部分であり、これは後者に当たる。

問題とされている論文では、10行以上に亘って元ネタであろう論文とほぼ同一内容が書かれていたとのこと。方法の部分は、たとえばfMRIを用いた研究のfMRI dataの撮像パラメタの記述など同じ分野であれば似たような手法を用いるので、記述もある程度似かよったものになるのは分かるけれども、今回のように10行以上に亘ってほぼ同一の内容となることはありえない。

また、まったく同一の手法を用いた場合には(これ自体は悪いことではない)、この部分は論文の根幹を成す部分(新奇性が必要である部分)ではないので、普通に考えれば、先にも書いたように、その手法を初めて用いた研究を引用文献として挙げて、手法の概要だけを述べ、測定装置などで違いがあればそれを記すことになるだろう。こうした方が、論文を書く上でずっと楽だし、査読でも問題になりにくい。なので、どうしても10行以上にも亘って論文の盗用をするのか理解しかねる。そもそも、基本的な論文作成手順や作法というものが分かっていないとしか思えない。

その点からすると、この論文は筆頭著者の小保方さんが書いたと考えるのが妥当だろう。ほかの共著者の先生方であれば、査読者をした経験も豊富にあるだろうから、この部分でわざわざ今回のような疑惑を招く真似をするはずがない。それでも、博士の学位を取得しているものが、このようなことをするとは信じがたいのだが・・・。

反対に、私が共著者の立場だったとして、このような剽窃との疑惑を招くような部分を気づくことができたか考えると、それは無理だろうと思う。よほど、元ネタになったであろう論文のことを詳しく知っていて、2つの論文を並べて比較しない限り、方法の記述に間違いがなければ問題ありとはしないだろう。その点では、共著者の先生方にも同情できないわけではない。

理研および共著者の先生方は、STAP細胞の存在自体は間違いないと考えているようだが、これだけ問題が指摘された論文をこのままにしておくことは研究倫理上問題があると言わざるを得ない。また、もし本当にSTAP細胞が存在していたとしても、このままでは、この論文が第一報とみなされるかどうか疑問だ。STAP細胞の存在が確かだと考えるならば、この研究の価値を守るためにも、できるだけ早く今回の論文は撤回して、さらに厳しい目で見られても、その内容が間違いないと説得できるだけの力あるデータを多く盛り込んで、新たな論文を出すしか道はないと思う。


(00:00)

2013年11月01日

日本シリーズで熱戦が続いている。

地元での優勝がかかる仙台での第6戦に先発が予想される田中将大投手の写真がMSNのスポーツニュースで掲載されていた。

ただ、見てみると、どうもおかしい。

Sankei_TanakaMasahiro

あれっ、マー君って、左投げだったっけ?

もしかしたら、練習で左でも投げてみるということをしているのかもしれないけれど、きっと間違えて左右反転させてしまったんだろうなあ・・・。(*´艸`*)


(12:30)

2013年10月20日

最近、いくつか、「えっ、そうだったの?」ということがあったので、書いてみる。

他の人にとっては、当然のことだろうか? それとも、私と同じように「そうだったの?」と思ってもらえるだろうか。


1. つらつら
よく考えを思いめぐらすときに、「つらつら」と表現するが、これを私は思いつくままに、気楽な感じで考えることだと思っていた。しかし、どうやらその反対で、集中して考えるときに「つらつら」と表現するみたい。

岩波国語辞典では、「よくよく」、「つくづく」との語義が掲載されている。これでは、今後は、気楽に「つらつら」とは考えられませんなあ・・・。


2. テンガロンハット
カウボーイがかぶる大きな帽子をテンガロンハットというが、テンガロンというのは人の名前とか地名とかなんかだと思っていた。

しかし、英語で書くと "10 gallon hat" となり、意味としては「中に液体が10ガロン入るぐらい大きな帽子」ということらしい。


3. スクイズ&クロスプレー
こちらは野球の話題。

スクイズとかクロスプレーとか、何気なく使っているが、元になる英語はあまり気にしないでいた。というよりも、「ゴロ」と同じで、本来の英語とはかけ離れた呼び方になった言葉だと思っていた。

まあ、たしかに、そういう言葉だといえなくもないのだが、スクイズは "squeeze"、クロスプレーは "close play" なんだそうだ。


4. 神経線維の拡散異方性の原因
こちらは、もう少し専門的なこと。

MRIの使い方の1つに、diffusion tensor imaging (DTI) というものがある。組織内の水分子がどの方向に動きやすく、どの方向には動きにくいかを計測し、脳組織の状態を評価したり、神経線維の走向を描出することができる。

では、脳組織内の水分子が方向によって動きやすさに差が出るのは、どうしてだろうか?

脳内の多くの神経線維は、ミエリンあるいは髄鞘と呼ばれる脂肪の被覆で覆われているので、これが水分子の動きやすさを制限しているんだと、これまでずっと思っていた。しかし、どうやら、この理解は間違っているようだ。

つい先日、DTIの原理を解説した記事を読んだのだが、その中で髄鞘のある神経再線維でも、髄鞘のない神経線維でも、ほとんど拡散異方性は変わらないと書かれていた。

そして、神経線維で水分子の運動方向を規定しているのは、微小管であると書かれていた。いや、本当に、この記事を読むまで、微小管が神経線維の拡散異方性を決めているとは聞いたことがなかったので、目から鱗だった。

ちなみに、「目から鱗が落ちる」というのは、日本の古くからのことわざではなく、新約聖書に由来するものなんだとか。これも、「えっ、そうだったの?」って感じだが。


(22:50)

2013年07月18日

お仕事のメールアドレスに、次のようなメールが「株式会社呼び寄せエクスプレス」というところから届いた。原文のまま引用してみる。

07.17 科研費2013年度の新規採択、おめでとうございます。

2013年度も、猛暑到来にて真夏となりました。

去る5月20日に、2013年度「科学研究費助成事業・科研費」採択結果が発表され、文部科学省ホームページにて先生のご芳名と研究課題を知ることができました。
誠におめでとうございます。
このたびの新規採択は、先生の研究成果の発展と考え、心よりお喜びを申し上げます。

研究の国際交流や研究成果の発表など、海外の研究者を日本に招聘する予約・手配業務において、我が社は必ずお役にたてると確信しております。
ぜひ、お気軽に「参考見積書」などお問合せください。


よく調べているなあと感心するけれども、どうしてこういう飛び込み営業で注文が取れると思うのか。

しかも、カテゴリの中で「海外研究者を日本に招聘する」なんてことを一番しなさそうなものなのに、そのような内容のダイレクトメールを送ってくるなんて。なんか、商売の基本を思いっきり無視しているよね。

一番助成金の額の少ないものでこれだから、高額の研究助成金が採択されたら、大変なことになるだろうな。私的な要件には使用できないのに、不動産屋から電話がかかってきたりとか。iPSの山中先生のところとか、どんな感じなんだろう。

そういう、わけのわからない案内とかは煩わしいけれど、研究費は欲しいので、どんどんこれからも応募していかなくては。まずは9月末の一件からかな。


(22:28)

2013年07月14日

先日、とある駅ビルに入っている治療院の看板が目に留まった。

整体・マッサージをおこなう治療院みたいだが、その看板には、「自立神経失調症」という言葉が。

残念ながら、ヒトには "自立" 神経なる神経系はないんだよなあ。あるのは "自律” 神経。英語で言うと "autonomic nerve"。

だから、少なくとも看板は「自律神経失調症」とするべき。

ただ、実際には自律神経失調症は独立した疾患とは考えられていない。また、精神的な要因が強く関わっている場合も少なくない。

なので、安易にこういうところで施術を受けるというのは、根本的な原因を見過ごすことになるんじゃないかなと思ったりもする。

少なくとも "自律"神経 を "自立" と書いてしまうような治療院にはいかない方がよいだろう。

130708_AutonomicNervousSystem1524~01




(12:38)

2013年05月16日

最近、論文を書いていて、among と between のニュアンスの違いについて気になることがあったので、ちょうどそれが問題になる場面で英文校閲者にどちらが自分が考えていることを正確に表現できるか聞いてみた。

論文では、条件Aに対して条件B、条件C、条件Dを比較する、つまりA−B、A−C、A−Dの3つ比較をおこなうことを表現したかった。

一般的な英文法の解説では、betweenは2つの物事の関係を、amongは3つの物事の関係を示すときに使うとなっている。したっがって、単純に条件の数であれば、上の手続きは among を使って表現されるはずだ。

ただ、論文を読んでいると、こういう場合、among を使うよりも、between が使われることの方が多いような気がしていた。なので、自分が書いたものでは between を使って以下のように書いた。

We compared several measures between the condition A and the condition B, C, and D.

英文校閲から返ってきた原稿を見ると、この部分は見事に among に変えられていた。ただ、これでは、実際にはおこなっていないB−C、B−D、C−Dの比較もおこなっているように思われるかもしれないので、校正者に実際の手順を細かく説明して、between と among のどちらが適切なのか確認してみた。

すると、校正者の答えは between を使うのが正しいとのことだった。やっぱりね!

で、こういうことを解説しているwebサイトなどないかなと探してみたら、いくつかのサイトで3つ以上の物事の間の関係でも between を使うことがあるということが書かれていた。

これらサイトの記述を要約すると、たとえ3つ以上の物事の間の関係でも、それが個別に認識されるものならば、それは betwee で表し、そうではなく集合的に捉えられるものならば among を使うということだった。

つまり、今回のように実験条件(医学論文であれば薬や病気など)や国や都市などであれば between を使い、木、建物などひとつひとつには明確な区別がないものは among を使うということになる。

これで、今後同じような比較をおこなって、それを論文に書いたり、人に説明する際に、between とすべきなのか、それとも among を使うべきなのか、悩まなくて済む。ああ、すっきりした。


(10:00)

2013年05月13日

最近、郵便ポストについて気になっていることがある。

郵便ポストは、投函口が1つしかないタイプのものもあるが、定形郵便と定型外郵便(および速達)用の2つの投函口があるものも多い。

で、最近、この投函口が2つあるタイプで困るのが、どちらが定形郵便用で、どちらが定型外郵便用の投函口なのか分からないこと。ほとんどのポストで、この表示が消えてしまっている。

130512_0916~01

上の写真は、定形外郵便の方の投函口の表示を撮ったものだけれど、点字表記の突起しか分からない。

反対の方の投函口には、もう消えかかっていたけれど、「てがみ」と小さく書かれていたので、どっちが定形郵便かは判断できたけれど、これじゃあたまにしか手紙を投函しない人には不便極まりないだろう。

たしかに、各地にある郵便ポストの表示板を一度に取り換えるのには、かなりの手間とコストがかかるだろう。

ただ、応急手当的に、もう少し分かりやすくするぐらいなら、郵便の回収員がシールを張るなどのことで対応できるんじゃないだろうか。

それにもかかわらず、こういう不作為が見られるならば、それは独占企業ゆえの甘えと言って差し支えないだろうし、今後も民営化の話がことあるごとに出てくることになるに違いない。



(10:00)

2013年05月10日

今度、とある関係で履歴書を提出しなければならないことになった。

履歴書と言えば、就職活動の学生が手書きで何枚も書かなきゃいけないという話を聞いて、大変だなあと思っていたのだが、自分でも書かなくちゃいけなくなるとは。

また、この履歴書は、コンビニや文具店で売っているような奴じゃなくて、提出先の機関で決められた様式に書かなくてはいけないのが、珍しいところ。

なので、いろいろと普通の履歴書とは違うところがあるのだが、一番の違いは、大学院で学位を取得していることは当然で、それを記入するところがあり、なおかつ修士課程と博士課程での修得単位数を記載しなければならないこと。

まだ研究科名や専攻名なら覚えているし、それを記載している書類も持っているけれども、修得単位数が分かる書類なんてないし、ましてやそんなもの今更覚えているわけがないじゃないか!

たしかに博士課程とかだと、学位は取得していなくても、単位取得満期退学というのもあるので、修得単位数など記載する欄が必要なのかもしれない。

でも、そのようなことまで申請させる必要がある仕事なんて、なにがあるんだろうか? 私にも、どうにも不必要な手間をかけさせているようにしか思えないんだけどねえ・・・。

どうせ、外国からの招聘の研究員とか教員とかには、こんなこと書かせないんだろうし、いっそのことここら辺で、こんな無駄なことやめたらいいのに。

こういうところから、国際化をはじめるのも、悪くないんじゃないですかね。


(09:00)

2013年05月04日

私は、一応、世の中的には研究者の端くれということで、府省共通研究開発管理システム(通称e-Rad)というものにユーザー登録されていたりする。

研究者的には、このe-Radというのは非常に重要で、公的な競争的研究資金の申請にあたっては、ほぼこのシステムを使わざるを得ない。科研費は、基本的には別システムだが、このe-Radがゲートウェイになっている。

で、このe-Radは、今年の1月に新システムに移行したのだが、その際に問題が生じて、それが未解決のままになっている。

この新システムでは、所属機関だけでなく、所属機関のどの部署に所属していたのかも登録・表示できるようになったのだが、そのデータベース管理がめちゃくちゃで、実際には所属していない部署に所属していたことになってしまう場合があるみたい。

私の場合がそうで、前の所属では、まったく携わったことのない光デバイスの研究開発グループに所属していて、挙句の果てにはPI(研究室のトップ)だったことになっている。そんなバカな!!

さらにありえないのは、現在その組織に所属していない人は、そのデータがまったくの誤りであっても修正できない点。どういうデータベース管理になっているのだか。設計者に、どうしてそういう使用になっているのか問いただしたい。

たしかに、このような電子申請システムが構築されたおかげで、申請もまた審査も効率的におこなえるようになった。また、研究者のさまざまな情報発信の役にも立っているのだろう。しかし、このような杜撰なシステム開発は、その足をひっぱってしまうのではないだろうか。

どうにかしてよ、日本学術振興会!!


(22:40)

2013年03月18日

先日、仕事で使う新しいノートPC (VAIO SVT1113AJ) を買った。

届いたPCはけっこうかっこよくて、いい買い物だったなとよろこんでいたのだが、この先に思わぬ落とし穴が待っていた。

まずは Windows Update をしようと、職場のネットにつないで、Windows Update をはじめたのだが、うんともすんとも言わない。

ちょっとほったらかしていたら、どうにか少し処理が進んだような表示になるのだが、なかなか先に進まない。結局、最初の Windows Update(40件ぐらいの更新があった)が終わるまでに二日以上かかった。

さらに、この PC は Office 2013 はプリインストールされていないので、あとからインストールしなくてはならなかったのだが、これもうまくいかない。

インストーラーのダウンロードまでは出来るのだが、イントーラーの起動が途中で止まってしまう。しかも、二度目には、「問題が発生しました」とだけ表示されて、どうにもならない。

これはもうほったらかしておくしかないのかなと思っていたのだが、ネットでトラブルの事例を調べていたら、Internet Explorer と Windows Update では別々に proxy の設定をしなければならないということが分かった。

たしかに、管理者権限で起動したコマンドプロンプトから以下のように winhttp の proxy の設定状態を調べると、proxyサーバの設定がなされておらず、ネットに直接アクセスするようになっていた。
C:\ > netsh winhttp
netsh winhttp > show proxy

なので、次のように proxyサーバの設定をしてやると、Windows Update も Office 2013 のインストールも、それ以外のネットにアクセスしてインストールするソフトも、すべてうまくいった。いや、はや。
netsh winhttp > set proxy proxy-server="proxy.hoge.co.jp:80"

WWW のアクセスには proxy の設定が必要な場合があることは分かっていたけれど、このようにソフトウェア(例えば Windows Update)がネットにアクセスする場合には、別に proxy を設定する必要があるとは知らなかったから、これだけ悩み、時間をロスすることになってしまった。

もうちょっと、Microsoft にしろ Sony にしろ、こういうことは分かりやすいところに書いておいてくれないかなあ・・・。それとも、ご家庭では proxy を通すことはあまりないから、こういうトラブルは想定外なんだろうか?



(23:38)

2013年02月28日

PubMedは、アメリカ国立医学図書館の国立生物工学情報センター ( National Center for Biotechnology Information, NCBI) が運営する医学・生物学分野の学術文献検索サービス。

先行研究を探す場合、まずはPubMedで検索するのが普通なので、生命科学分野の研究者で使ったことがない人は絶対にいないだろう。

ちょっと前から、そういう機能が実装されていたことは知っていたのだが、今回改めて便利だなと思ったので紹介しておこうと思う。

よくプレゼンで、特定の研究分野や研究対象が注目されていることを示すために、発表された論文数の推移を示してみせたりすることがある。

この場合、PubMedで年ごとに特定のキーワードにヒットする論文の数を調べてグラフにするわけだが、なんと論文数が多い場合には、それを自動的にPubMedのwebサイトがやってくれる。

PubMedで、任意のキーワードで検索をして、ヒットした論文数が1000件を超えると、ページの右上に年ごとの発表論文数の変化を棒グラフで出してくれる。

Pubmed_ResulstByYear

しかも、便利なのは図の下にある "Download CSV" という部分をクリックすると、グラフのデータをCSV形式のファイルとしてダウンロードできること。なので、自分で好きなよう形式のグラフに加工して発表スライドに使うことができる。

たぶん、発表スライドに論文数の推移を載せる際にPubMedの検索結果を利用する人が多いから、こういうサービスが提供されるようになったんだろう。

ただ、惜しむらくはヒットする論文が1000件以上ないと、この機能が使えないこと。出来れば、ヒットした総論分数ではなくて、出版年である期間よりも短い場合(たとえばヒットした論文の古いものと最新のものとの間が5年未満とか)にグラフを表示しないという仕様だと、もっと便利だと思うのだが。

たぶん、関係者が日本語のこのブログを読んでいるとはとうてい思えないので、英語でリクエストしてみるかな


(22:23)

2013年02月24日

最近は少し流れが変わりつつあるようだけれど、衣料品も日用雑貨も食料品も、とにかく安くないと売れないという傾向がある。

その中で、少しでも安いものを提供するために、少し規格に満たないものを「訳あり」と称して売られるようなった。

野菜や果物なんかは、たしかに少しばかり規格に満たないものが捨てられてしまうよりは、このように市場に流通する方が、無駄をなくすという点ではよいように思う。

かくいう私も、スーパーで売られている「訳ありふじりんご」をよく購入しているのだが、先日、これはちょっと訳あり過ぎるだろうというものがあった。

そのりんごが、こちら。
ProblematicApple

りんごに蜜が入っているのはうれしいものだが、このりんごは、蜜にあたる部分が茶色く変色してしまっており、ちょっと食べるには躊躇われるような状態になってしまっていた。

いくら「訳あり」でも、食べられないものを売るのはどうかと思う。

外見的にどうかと思うものはこちらも対処のしようがあるが、こういうように中身がおかしいのはどうしようもない。スーパーの売り場責任者にしてもそうなのかもしれないけれど、出来るだけこういうことはないようにしてもらいたい。


(21:26)

2013年02月15日

用があって京都大学の構内図を見ていたら、あれっと思うようなミスがあった。

以下が、その京都大学の構内図。

KyotoU_Map


「西部」が「西武」になっているのだが、誰も気づいていないのかな?

(13:21)

2013年01月27日

昨日、とあるヨガ教室のチラシが家のポストに投函されていた。

ただのヨガ教室なら、体を動かすことはいいことですよね、って考えるだけなのだが、今回のは様子が違う。なんと、チラシの前面には「脳活性化ヨガ」なんて書いてある。

また、裏面を見ると、もうかなり脳のことを意識していて「ブレインヨガの基本プログラム」なんて堂々と書いてある。

しかし、どう考えてもおかしいというか、脳科学に依拠していないのは宣伝文句から明らか。

「最新の脳科学から生まれたブレインヨガであなたの脳と体を変えましょう」なんて書いてあるけれど、その隣にはでかでかと「脳波が変わると、人生が変わる。」なんて書いてある。これのどこが科学なんだよ!

しかも、「国連で認証された最新脳科学を応用したブレインヨガ」なんて書いてあるけれど、国連はなんかの学術機関だったんですかね。なんらからの科学的知見を国連が認証するなんて初耳なんだけど。

さらに非科学的なのは、次のくだり。このチラシには「人間の脳は脳全体の5%程度しか使用していないといわれています。残りの未開発の95%を呼び覚ますブレインヨガは脳が持っている最高の価値を実現するために開発された科学的で体系的なプログラムです。」なんて書いてある。

けど、この「脳は5%しか使われていない」っていうことが書かれている時点で非科学的というか、似非科学なんですよ。この「脳は5%しか使われていない」という言説は、神経神話 (Neuromyth) として、かなり有名なんだけど(たとえば、こちら)、それをご存じないのに、なぜこのブレインヨガは科学的なんですかね。

たしかに、体を動かすことで、活動性が上がったり、集中力が増したりすることはあるだろう。それは否定しない。しかし、この「脳は5%しか使われていない」とか、明らかに非科学的なことを言っておきながら、このブレインヨガが科学的な知見に基づいてデザインされているという宣伝をしているのは、明らかにおかしい。

いくら新しい宣伝として脳のことを言いたいとしても、このような明らかに似非科学だと専門家から指摘されていることを無視しているのは、どうかと思う。こうやって俗説は廃れずに生き延びていくのだろうが、こうやって脳科学が実際とは違う形で一般の人たちに受容されていくというのは、あまりいいことだとはやっぱり思えない。



(20:54)

2013年01月15日

日曜日、兵庫県立芸術文化センターで、シプリアン・カツァリスのピアノリサイタルを聴いてきた。

このリサイタルは、本当なら去年の4月におこなわれるはずだったのだが、カツァリスが腱鞘炎に罹ったため演奏ができずに、今日に振り替えられることになったもの。

腱鞘炎だけなら、演奏家にはつきものの病気だなあと思うぐらいだが、今日の演奏前のあいさつによると、腱鞘炎だけじゃなくて、どうやら脳梗塞にもなっていたらしい。英語でのあいさつだったので、ちゃんと聞き取れたかは疑問なのだが、どうやらコンサート中に脳梗塞になったらしい。

しかし、演奏も、歩く姿も、脳梗塞の影響などみじんも感じさせることはなかった。どの部位に脳梗塞が起きて、どれくらいの程度ものだったかはわからないのだが、これだけの演奏ができるというのは奇跡的というしかないだろう。

ひとまず、今回のプログラムは、こんな感じ。あと、ハイドンの前には即興演奏も披露している。

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
クラヴィア・ソナタ ハ長調 Hob.XVI, 35

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
幻想曲 ハ短調 K.396
幻想曲 ニ短調 K.397

フランツ・シューベルト = フランツ・リスト
水車職人と小川
アヴェ・マリア
セレナーデ

フレデリック・ショパン
夜想曲 op.9-1
ポロネーズ第3番「軍隊」 op.40-1

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」
(カツァリスの編曲によるソロ・バージョン)

《アンコール》
ショパン マズルカ op.24-2
マルチェッロ オーボエ協奏曲 第2楽章アダージョ (J. S. バッハ/カツァリス編曲)
カツァリス オーザッハルーラー(緑色の目をした美しい女性)

ピアノ
シプリアン・カツァリス


さて、内容だが、アヴェ・マリアの抒情性や「軍隊」での迫力など、前半のプログラムも素晴らしいものだったのだが、やはり圧巻だったのは後半の「皇帝」ソロ・バージョン。

実際に演奏されるものよりもかなり早いテンポで、疾走感のある出だし。ただ、しっかりと抑制が効いていて、軽々しい感じはなく、また音もキラキラしたという感じではなく、けっこう渋みのあるものだったので、皇帝の重厚感は十分に出ていた。

迫力のある第一楽章とは対照的に、第二楽章ではとても落ち着いた演奏を聴かせてくれた。また、第三楽章では、これこそ技巧的にすごい演奏で、あれが脳梗塞から復帰した人の演奏とはまるで思えないものだった。

もちろん、オーケストラの迫力をすべて味わうことはできないが、ピアノ一台による皇帝というのも、非常に面白いものだった。また、ピアノの表現力をとても感じさせるものだったと思う。

ただ、やっぱりこうなると実際の協奏曲も聴いてみたいと思うのが人情なので、ぜひぜひまた近いうちに来日して、今度はPACオーケストラと共演してもらいたいものと思う。もちろん、日本のPAC以外のオーケストラでも、海外の一流オーケストラでもよいのだが、ぜひぜひ聴いてみたい。なので、それまで体調管理はきっちりしてもらいたい。次に脳梗塞になったら、今回のように復帰できるかはわからないからね。


(12:00)

2013年01月13日

先日、研究に関することで、そこまで考え方が違うのかと思うことがあったので、書いておこう。

今回、問題になったのは、「著者」というものについての考え方。

研究において、特に論文発表において、誰が著者になるかは大きな問題である。なぜなら、論文の共著者であれば、主要なものではないにしても、一応自分の業績としてカウントされるわけだし、それは個人にとどまらず研究室の業績にもなるから。

なので、少しでも関わりがあれば関係者は誰でも著者にしてもらいたいわけだが、研究に関してちょっとアドバイスしたぐらいの人を構わず著者にしていたら、小規模な研究でも軽く十数人の共著者がいることになってしまうし、そうすると今度は当該の研究に関する著者の責任があいまいになってしまう。そこで、現在、主要なジャーナルでは、著者になる基準をかなり厳しく設定している。

基本的に、著者と認められるためには、「その研究に関してどれだけ貢献があったか」が重視される。なので、PNAS(新聞では米国科学アカデミー紀要などと書かれることがある)では、著者が研究の何に貢献したか(研究計画立案、データ収集、論文執筆など)を報告することが求められるし、また別のジャーナルでは貢献度を報告させるものもある。

前に自分が関係した研究では、アメリカの大御所研究者がオーガナイザーをしていたのだが、その人は「誰を著者とするか」ということに対して非常に厳格で、私から見たら「それは厳しすぎるのでは?」と感じられるぐらいだったが、海外(日本でも?)のトップ研究者の間では、そのように論文の著者というのはかなり厳しい基準をクリアしなければならないし、また反対に著者になったからにはそれ相応の責任が課せられる。

しかし、どうやらそのような基準も、日本の一部だけであって、そう考えていない分野の方々も多いようだ。

少し前に私も共著者として発表したある研究について、ある方から、「共著者にしてもらわない」と、お叱りを受けてしまった。

一応、謝辞には明記して、それなりに敬意は示したつもりでいたのだが、それでは不十分だったようだ・・・。

これまで書いてきたとおり、私は著者に関してはある程度厳しい基準で考えることに慣れていたので、今回のこのような要求には、かなり驚いた。まだ、実験結果について報告を受けて、結果の解釈について議論したのならまだしも、それもなしに共著者にしてほしいと言われるとは。

たしかに、共著者になっていれば研究室の業績として所属機関などに報告できるから、そのように望むのは分かるが、研究内容も知らないのに共著者になるなんて、そういうことでよいのだろうか?

前に、iPS細胞を使った研究で、実際にはおこなっていないのに結果が新聞に掲載されたり、学会発表されたり、その結果を基に研究助成金を受けたりということがあったが、あれもこのような共著者に対する甘い考え方が引き起こしたものと言えるのではないだろうか。虚偽の報告だと分かっていて共著者になっていたなら言語道断だが、共著者の先生方が少しでも研究に関して結果を基に議論したり、研究方法につい精査していれば、あのような虚偽の発表は防げたはずだ。

これまでは、国内での業績だけでも十分活動が認められていたが、今後は海外との共同研究を実施していくことが多くなってくるだろうし、そのような機会がなければ研究室として存続していくことは難しくなっていくことが考えられる。そのときに、このような著者に関する甘い認識は、問題を引き起こす可能性がある。

ただし、このように海外との交流を通して、反対に、日本の著者に対する甘い考え方は是正されるていくのかもしれない。競馬の降着・失格の基準が、今年から見直されたように。

はたして、10年後、日本での論文の著者に対する考え方は、どのようなものになっているだろうか。


(12:00)

2012年12月17日

先日、通信社の記事で「取り崩す」と表現すべきところを「切り崩す」と表現していることを指摘したエントリを書いた。

そうしたら、今日は日刊スポーツで、こんな記事を見つけた。
田中美絵子氏タレントは「ない」/衆院選
<前略>
今後への質問も相次いだ。「小泉チルドレンにはタレントになった者もいるが」と聞かれ「(タレント活動は)ない。ここ(江東区)に骨をうずめます」と次の国政を目指す意向を示した。TBS系「サンデージャポン」スタッフから出演依頼されても「出演はない」と否定。議員としての収入はないが「これまでも倹約生活を送ってきたから大丈夫かと」と話し、貯金を切り崩し、生活する考えを示した。【三須一紀】
 [2012年12月17日10時34分 紙面から]

いつから「切り崩す」っていうのは、こういう意味で使われるようになったのかなあ? どう考えても、この文脈なら「取り崩す」だと思うんだが。

なので、Googleで「貯金を取り崩す」と「貯金を切り崩す」で検索してみると、「貯金を取り崩す」が約324,000件、一方「貯金を切り崩す」は約246,000件だった。とりあえず、まだ誤用派が多いわけではないらしい。

しかし、なんと天下の朝日新聞で「貯金を切り崩す」と書いている記事が見つかった。2009年の総選挙の記事の中に、それはあった。
〈09総選挙 痛みの社会で:中〉先行き見えない経済 上がらぬ景気と花火
<前略>
機械メーカーに勤める高松市内の40代の男性は、数カ月前に給料が分割で支払われるようになった。業績悪化が原因だ。昨年以降、金額も数万円減り、ボーナスも出そうにない。30代の妻はパート勤めで家計を支える。「いまは夫の手取りは約20万円あるが、今後もちゃんと支払われるのか毎月不安です」。2人の子どものために蓄えてきた貯金を切り崩すなどしてやり繰りしている。
<後略>
2009年8月13日

また、「貯金を切り崩す」という表現を使った記事は、朝日新聞だけではなく、毎日新聞、読売新聞、産経新聞でも掲載されていた。

専門者の校閲を受ける新聞社の記事でさえ、このように「貯金を切り崩す」との表現が堂々と使われているのだから、もう一般の人たちが使用するのは無理もないことだろう。

こういう傾向が続けば、今は辞書に「貯金を切り崩す」という使用例は掲載されていないけれども、そのうち「『貯金を切り崩す』は取り崩すの誤用」という記載されるようになり、さらには「元は切り崩すの誤用から」というよう記載されるようになるかもしれない。

これが、「言葉は生きている」ということの真の証なのかもしれないが、誤用が定着していくというのは、なにか落ち着かない感じはする。これが、年を取るってことなのかなあ・・・。


(20:12)

2012年12月15日

選挙前ということで、恒例のボートマッチをやってみた。

今回やってみたボートマッチは、定番の毎日ボートマッチ えらぼーとと、こちらは初めての日本版ボートマッチ(読売新聞のサイトにリンクが張られていた)日本政治.com の投票マッチング

で、結果はというと、なんと『えらぼーと』と『投票マッチング』では一位が共に社民党。そして、日本版ボートマッチでは、さらにビックリ一位は共産党だった。『えらぼーと』と『投票マッチング』でも共産党はマッチ率3位と2位だったから、どれだけ私がリベラルというか左翼的な考え方なのか分かりますね。

ただ、個人的には社民党も共産党も全体的な政策を見ると、あまり投票しようとは思えない。たしかに、護憲の立場なので、この2党とはその点で考え方が一致しているのだが、他の政策ではTPPに対する姿勢も違うし(私はTPPには賛成)、原発にも私は反対していない(原発事故後の急激な反原発運動にはついていけない)。だから、なぜそこまで一致率が高くなるのか不思議でしょうがない。

一方、これとは反対に、実感としてピッタリくるのは、自民党とのマッチ率がどのボートマッチの結果でも低いこと。安倍総裁の憲法や教育、あるいは経済に関する発言で賛成できるものは一つもないのだから、こちらは当然と言えば当然の結果だろう。

ということで、自分の投票行動と、アンケートなどによる調査で分かる思想傾向とはかけ離れていることが分かったわけだが、この結果をどう見るべきだろうか。

ボートマッチの設問、回答のさせ方、また一致率を求めるアルゴリズムに問題があるのだろうか? あるいは、個人的に、投票行動を決める、なにか別の要因があるんだろうか。

おそらくどちらの要因もあるのだろうが、このように自分の実感とは違う形で、自分の考え方や政治あるいは社会に対する姿勢が見られるというのは、面白い試みであるとは思う。こういうのをずっと蓄積していくと、個人の考え方が、年齢や社会的立場の変化によって変わっていくことを検討することもできるだろう。私には、そちらの方が興味深くも思えるが、さて10年後にはどういう考え方になっているだろうか。


(12:00)

2012年12月13日

ロイターが、次のような記事を配信していた。
94歳の新人が衆院選出馬、葬式代切り崩し当選目指す

<前略>
出馬の動機は、既成政党の足並みが揃わない分裂状態に我慢ならなかったことだった。「たまたまテレビを見ていたら、1人でも立候補できることが分かった」と語る川島さん。供託金の300万円は、自分の葬式代を切り崩して捻出したという。立候補締め切りの3時間前に滑り込みで届け出たが、その際、窓口の女性から「本気ですか」と尋ねられたそうだ。
<後略>

ロイター 2012年12月13日14時27分
記事の内容は置いておくとして、葬式代を「切り崩す」って表現は、おかしくないか?

切り崩すって言葉を使うのは、だいたいは何か相手の勢力を弱めたり大きなものを小さくしたりすることに対しで、たとえば「敵陣を切り崩す」とかいうように使うと思うのだが・・・。校閲部は、この部分、なにか意見しなかったんだろうか?

また、こういう場合には、「取り崩す」という言葉があって、よく「貯金を取り崩して」というように使われる。

ただ、今回の場合は、一気に供託金に使ってしまっているので、少しずつ使って失うということではないので、「取り崩す」というのも、微妙に違うような気がする。

では、どのような表現をするのが一番適当だろうか。

個人的には「葬式代を充てて」という表現がよいだろうと思う。あるいは単純に、「葬式代から」としてもよいかもしれない。

こういうところ、たぶん日本の新聞社なら、絶対校閲部がチェックしていると思うのだが、外国の通信社では、そこら辺のチェックが甘いのかな?


(23:14)