「飛鳥を愛する会 淡路・讃岐、吉備の史跡と万葉秀歌の舞台をめぐる旅」

3日目
万葉:神島(2ヶ所)⇒箭田(やた)大塚古墳

【万葉:神島① 神島神社】
岡山県笠岡市神島外浦

バスを降りて神島(こうのしま)神社へ向かいます。
005

車道をはずれ、海の方へ行きます。
012

神島神社
009

 「神島神社 由緒」
   当神社は、延喜式神名帳に備中小田郡神島神社とあり、式内社である。
   御祭神は神日本磐余彦命(神武天皇)と興世姫命を奉斎する。
   創建は奈良時代(726)神亀3年と伝えられ、室町時代(1547)天文16年に
  本殿の御造営が行なわれていることが棟札によって知られる。大正15年
  8月15日に第6回目の改修工事を行なった。
   命は、皇祖皇考神聖にして日向より東征の砌、吉備高島に8年間駐屯された。
   その後、海上より熊野に至り大和平定後、橿原の地に第1代践祚の大偉業を成された。
   妃興世姫命は、部下を率いて当地に駐留され天業を扶翼してこの地に崩御された。
   近郷住民は、命たちの高き尊き御神徳を畏みて一大崇敬産土神と斎き祀った。
                                      〈HPより〉

万葉歌碑
007

       遣新羅使人
 
月よみの 光りを清美 神嶋の 礒廻の浦ゆ 船出すわれは

                           鹿児島寿蔵

                万葉集巻15-3599 遣新羅使人


  月の光が清らかなので、神島の磯の浦から船出する私は

  
揮毫した鹿児島寿蔵氏は、福岡県生まれで、歌人・人形作家です。
  アララギ派の歌人で紙塑人形の創始者で人間国宝でもあります。
  福岡県福岡市西区宮浦唐泊の「東林寺」の遣新羅使の万葉歌碑も
  揮毫されています。東林寺の記事は⇒コチラ
  また、福岡県立美術館には鹿児島寿蔵氏作「有間皇子」の紙像が収蔵されています。

     「有間皇子」 鹿児島寿蔵

    001
                福岡県立美術館蔵

万葉歌碑裏 

008

神社から見た高島
010

「島の天神」バス停からすぐです。
013


【万葉:神島② 日光寺】

岡山県笠岡市神島外浦

バスをおり、急な階段を登ります。
014

鳥居横の灯篭
015

途中の石槌神社
016

階段を5分ほど登ります。
017

登りきると美しい景色です。
020

万葉歌碑
019
 
備後の国の神島の浜にて調使首(つきのおみのおびと)、屍(しかばね)()()を見て作る歌一首併せて()短歌
 
   玉鉾の 道に 出で立ち 
   あしひきの 野ゆき山ゆき
   にはたづみ() 川ゆきわたり
   いさなとり 海道に出でて
   吹く風も おほには吹かず 
   立つ波も のどには立たぬ
   かしこき()や 神のわたりの 
   しき波の寄する浜辺に
   高山を へだてに おきて 
   うらふち()を 枕に まきて
   うらもなく 伏したる君は 
   おもちちが 愛子(まなご)にもあらむ
   若草の 妻も あららむ
   家問へど 家道もいはず
   名を問へど 名だにも告らず 
   誰が言を いたはしとかも
   とゐ波の かしこき海を
   直(ただ)わたりけむ
 
                万葉j集巻13-3339 調使首
  
       短歌
   浦波の来寄する浜につれもなく
   伏したる()君が家道知らずも

                万葉集巻13-3343 調使首


   道に出て立ち、野を行き山を行き、川を行き渡り、海路に出て、吹く風もおだやかに吹くことはない。
   立つ波もおだやかではない。海神が渡る、次々に寄せる波が、寄せる浜辺に、高い山を壁にし、
   入江の岸を枕にして、何も気にかけずに伏せっている君は、母父のいとしい子なのだろう。
   妻もいるだろう。
   家を尋ねても、家路を言わない。名を尋ねても、名前を言わない。誰との約束を大切にと、
   このうねり波が立つ、恐ろしい海を真っ直ぐに渡ってきたのだろうか。(13-3339)

   波が打ち寄せる海岸に何の思いもなく伏せている君の家路はわからない。(13-3343)


   作者「調使首」は未詳です。
  
万葉歌碑裏
018
 歌碑の裏面には坂本信幸先生の解説文があります。
  旅の途上、飢えや病などにより死んだ人の屍を見て詠んだ歌を、行路死人歌と呼ぶ。
  歌に詠むことにより異郷に果てた人の魂を鎮めることは、自己の旅の安全を祈ること
 であった。
  この歌は、瀬戸内の海路の途中、神島(かみしま)の浜で客死した人の魂を鎮めるため、
 調使首(つきおおみのおびと)が作った歌である。
  神島は、笠岡市神島(こうのしま)とする説と、福山市芦田川西岸の神島(かしま)説とが
 あるが、江戸中期の学者契沖の『万葉代匠記』以来、神島外浦に式内神社神島神社を残す
 この地とされている。
  いずれにせよ、歌はその死を悼んで哀切であり、万葉人のやさしさにあふれる。
                               奈良女子大学教授・坂本信幸


歌碑と瀬戸内海
024

日光寺
022
万葉歌碑のすぐ近くです。

帰りも来た道を下ります。
025

バスに戻ってランチです。
028

ちらし寿司です。
029


【箭田(やた)大塚古墳】
岡山県倉敷市真備町箭田

駐車場から道を渡ります。
030

田んぼの中を進みます。
031

やじるしのところを入ります。
BlogPaint

説明板
052

墳丘
053

造出部
054

墳丘図面
007
                                   〈資料より〉

  墳丘
   直径約46mの円墳の西側に幅約10~15m、長さ5~6mの張り出し部を持った
   造出付円墳。
   墳丘は3段築成で、墳丘の高さは7m。

古墳入口

034
今回は特別に開けていただいきました。

050
051

古墳内部
048
奥壁なども撮影しましたが、この1枚だけがなんとか見れます。

奥壁と石棺
009
                                   〈資料より〉

石室図面
008
                                     〈資料より〉
  
  横穴式石室
   石室の全長は19.1m。
   玄室は両袖式で、奥壁は1枚の岩で、いわゆる「鏡石」といわれる石。
   組み合わせ式石棺が奥壁と西側壁を利用しながら相接する状況で作られている。
   奥壁に沿う形の石棺は1基で、西側に沿う石棺は2基。

副葬品
010
副葬品は馬具や金環・ガラス玉などで、6世紀中葉から後半と見られる。




3日間お疲れ様でした。