太陽と水と笑顔

サステナブルな社会のための企業活動や情報開示の在り方について、「長期的」かつ「グローカル」な視野で考えていきたいです。日々の雑感も。

なぜ資生堂は「文化」を重視するのか

前回、社史が企業活動の社会的文脈を裏付けるキーになることと、特にパーパスや理念といった価値創造のゴールを伝えるために極めて重要なものとなり得ることをお伝えいたしました。今回は、昨年1月に社会価値創造本部を設置し、創業150年を前にグローバルに価値創造し続ける資生堂にスポットを当て、その社史や歴史からDNAを紐解いてみたいと思います。というのも、資生堂が「営利目的を超越するパーパスを持っている」、「社史が果たしている役割が大きい」、そして「文化重視の経営を貫いている」特筆すべき企業だと思われるからです。

資生堂は、女性役員比率が45%と突出し、国連と連携した女性のエンパワーメント活動、気候変動の影響を開示するためのTCFDにも賛同を表明、容器の脱プラスチックへの取り組みも進めるなど、100年先を見据えて先進的な経営をしています。また、WEB開示のCSR情報を見る限りでは、課題であった美容職の働きやすさも改善しつつあるようです。このように社会価値と経済価値を調和させようと取り組む経営姿勢の源はどこにあるのでしょうか。

1.資生堂のDNAに見る「人」重視の経営

ミッションに「世界で最も信頼されるビューティーカンパニーへ」を掲げる資生堂は、それを実現する6つのDNAを提示しています。ダイバーシティや、サイエンス&アート、品質、おもてなしなど、資生堂を割支える重要なテーマが並びますが、最初に記されているのは ”PEOPLE FIRST” です。これはお客様のみならずすべてのステークホルダーへの感謝と尊重を意味しています。

このステークホルダー重視の企業姿勢は、その歴史に深く根差していることが『資生堂百年史』を読むとわかります。百年史の冒頭には「資生堂の五大主義」として「一 品質本位主義」「二 共存共栄主義」「三 消費者主義」「四 堅実主義」「五 徳義尊重主義」が掲げられています。発刊時6代目の社長だった岡内英夫氏は、この経営理念こそが企業を支えてきたと伝え、事実に基づき、広く公共に供するために100年史を発刊したとあります。

百年史を読むと、中でも「一貫して品質主義で廉価主義をとらなかった」という言葉が心に残ります。DNAの品質重視につながりも見出せますが、中でも「共存共栄主義」こそがその根底を成していることが分かります。資生堂はまだ個人経営から脱したばかりの戦前、大資本が資本の論理にものを言わせ、乱売戦で中小の競合をつぶして独占的地位を築いた後、値上げで独占的利益を得る手法を目の当たりにします。資生堂はこの顧客をないがしろにした資本の論理に対抗すべく、「資生堂連鎖店制度」いわゆるチェーンストアシステムを作り出しました。資生堂は大資本の理論で顧客、メーカー、卸売など誰も幸せにならない状況に対抗するべく、「共存共栄主義」を信念として戦ったのでした。問屋も巻き込み、適正利潤を設定したのみならず、従業員にその理念を徹底し、その後小売店、消費者への教育などへ広げていきました。このように、現在の資生堂の企業理念には、その歴史を通して裏付けられるストーリーがあるのです。

2.「文化」を尊ぶ資生堂

資生堂の企業活動、あるいはその信念を特徴づけるものに、「文化を育てる」姿勢が挙げられます。資生堂の中期戦略サステナビリティの重点項目のひとつに「アート&ヘリテージ」が掲げられていますが、資生堂は文化芸術支援に極めて積極的であり、日本最古のギャラリーである資生堂ギャラリーや、静岡にある資生堂アートハウス、資生堂企業史料館など、多くの施設を運営し、一般開放しています。さらには、経営哲学や経験知を広く社会に共有するためのアーカイブの構築まで行っており、「文化を育てる」取り組みが際立っています。

その起源は、初代社長である福原信三氏が、社長になる前に文化の都ともいえるパリでカフェー文化に触れ、芸術家たちと語り合い、文化・芸術の重要性を感得したことに始まると考えられます。資生堂の文化・アートへの感性が時代を超えて受け継がれていることを象徴するように、そのロゴは1928年に確立されて以来、ベースはほとんど変わっていません。

しかし、文化は経済的合理性と対極にあるといっても過言ではありません。CSRでもSDGsでも「文化」についての言及は限られています。それくらい一見人の役に立たないものととらえられてしまいがちです。それでも資生堂が文化を重視するのはなぜでしょうか。

「社史」の価値を再定義する

「社史」と聞くと何を思い浮かべるでしょうか。会社の本棚の隅に眠っている重たい辞書のようなもの、図書館に行くとたまに見かける埃にまみれた近づきがたい資料、あるいは「シャシって何?」という印象が正直なところかもしれません。

しかし、企業の歴史を記録し、伝えるために多大な労力をかけて作られる社史は、これからの時代にこそ重要になっていく可能性を秘めています。今後何回かに分けて、社史についての現状と課題、そしてサステナブルな社会にとって必要となる社史とは何かについて考察してみたいと思います。

社史とは何か。誰が何のために発行するのか。

社史とは、その名の通り企業の歴史を記録し、伝える書物で、基本的にはその企業自身が発行します。日本では1913年に日本銀行が『沿革史』を発行して以来、100年以上続く「文化」です(※1)。「文化」としたのは、ひとつには社史というものは事業の一部を超えた、ひとつの企業の信念・社会的責任、もっと言えば企業の意地で発行されるものであり、経済的な効果を少なくとも短期的観点からは超越した後世に遺るものであるからです。


社史を発行するという行為は日本独特のものであり、統合報告やCSRという外来種の企業レポートと異なり、日本が世界に誇れる大切なものだと思います。

日本は、世界の中でも突出して長寿企業が多く、100年以上の歴史を紡ぐ会社が3万社以上あります(※2)。さらには世界の創業200年以上の企業の43%を日本が占めています(※3)。その多くは中小・零細企業であり、いたずらに規模を追わず、地道に経営を営んできた企業です。社史を発行するのは歴史のある企業の中でも中規模から大規模な企業が多いです。社史を発行するだけの企業体力があることが前提にあるでしょうが、総じて大規模になればなるほど、社会に与えた影響が大きいということもあるでしょう。

発行する目的としては、30年や50年などの周年を契機に「会社の足跡に学び、今後の経営に役立てる」「会社のアイデンティティを確認する」「社員に周年などの節目を意識してもらう」「社員とその家族に会社への理解を深めてもらう」「業界の内外に、感謝の気持ちを伝える」「企業のイメージづくり」「業界、社会への貢献策」などがあります(※4)。これらのうち、最も重要と思われるのは、最初の2点であり、すなわち、「生き残りをかけて企業のDNAを重要なステークホルダー、特に従業員に引き継いでいく」のが社史の最大の役割のひとつであると考えられます。

企業理念を継承する重要性

『サピエンス全史』では集団は150人を超えると、その集団を維持するのが困難になるため、架空の物語を創出することで、多数の人間を同じ目的に向かって糾合できると述べられています。そうした集団を長きにわたって結束させる「妄想」が、企業理念やパーパスなど企業活動を行う目的であり、それは専ら社会的な価値と深く結びつくものであります。企業理念に「わが社の売上・利益の最大化が、わが社の第一の目的である」といったようなものを掲げても誰も心を動かされないでしょう。

社史を編纂する過程では、企業理念や社是といった企業の存在意義を規定する概念や、企業のDNAとも言える経営判断や企業文化、すなわちその企業の価値創造にまつわるストーリーを知ることができます(全ての社史でということはありませんが)。そして、社史にそれを刻むことで、後世の従業員などのステークホルダーに伝えていくのです。従業員にとっては、多くの時間と労働力を割く自分の企業の歴史や、何を大切にしてきたのか、どんな変節があったのかを知ることは、自らの使う時間に意味を付加することでもあり、より社会に開かれた意義を見出すことにもつながることでしょう。

それを裏付けるように、『創業三〇〇年の長寿企業はなぜ栄え続けるのか』では、長年生き残っている企業、創業300年以上で年商50億円以上のいわゆる「日本型サスティナブル企業」が分析されており、その経営を支える要素として「価値観をつなぐ」ことにあり、それに沿ったコア能力を発揮し、身の丈経営に徹することが重要と述べられています。この「価値観をつなぐ」ために最も適したものが「社史」、もっと言えば、「社史を制作する」という営みだと考えます。自らの企業の重要視するものは何か、それはなぜか、生々しく、深く、長期的視野による思索・議論・決定が社史編纂の過程で織りなされ、それは企業の存続理由とステークホルダーとの関係性に関わる極めて重要な活動です(制作する企業自身の制作スタンスにもよりますが)。

ぜひとも貴方と深く関わる企業の社史をご一読ください。それはその企業が情熱をもって歩んできた道のりと、それを編纂した人々の汗と涙の結晶です。社史は企業が発行するどの媒体よりも多様で、書き直しが重ねられ、想いが込められたものであり、長く遺っていく、実に興味深いものです。

一方で社史を発行する企業は、歴史に残る事業として、改めて自社の価値観を整理し、議論を重ね、屋台骨となる方針を共有したうえで、社史編纂に注力し、その社史に恥じない経営を心掛けることで、長期的な観点で、あるいは広い視野で、より社会に寄り添った意思決定をし、従業員やステークホルダーとそれを分かち合ってゆけるのではないでしょうか。

※1 『成果を生み出す社史の作り方』 浅田厚史著 SMBC経営懇話会

※2 『全国「老舗企業」調査』 東京商工リサーチhttp://www.tsr-net.co.jp/news/analysis/20161202_01.html

※3 『創業300年の長寿企業はなぜ栄え続けるのか』グロービス経営大学院著 東洋経済新報社

※4 『企業を活性化できる社史の作り方』出版文化社

サステナビリティ経営の質を見極める 3

・統合報告のもたらした問題

統合報告の発行増大に伴い、投資家向けのアニュアルレポートと、広いステークホルダー向けのCSRレポートを1冊にまとめるという形態が増えました。統合報告に求められているのは、価値創造するプロセスを簡潔に表現することです。

価値創造の過程で環境資本や社会関係資本といったCSRレポートで開示されていた資本との結びつきも明らかにすることになるため、その結びつきを示すことが求められます。

その結びつきを示すことがない、単純にアニュアルレポートの情報とCSRレポートの情報を合わせた「合冊型」が初期には多く見られましたが、最近は随分減り、価値創造プロセスを中心に必要な資本の情報を簡潔にまとめたものが増えてきたような印象があります。

しかし、CSRレポートを廃止してしまう、あるいは情報開示量を減らすケースがあり、これは大きな問題です。

・CSRは死なない

統合報告を読者対象の観点から見てみましょう。

一つのレポートにあらゆるステークホルダー向けの情報をつめこむ場合。情報を簡素化してしまうだけだと、企業の概要は把握できても、詳細が分かりません。

経営の大きな流れや概要が分かっても、具体的にそれが細部まで落とし込まれて数値が紐づいているのか、その検証をしたいのに、大きな絵を見せられて何となく理解できるだけの情報しかない、先ほどの資本の結びつきでいうと、環境資本や社会関係資本との結びつきは簡潔に表現されていても、その肝心の資本の詳細が書かれていない…それでは何のための統合かわからないのではないでしょうか。

しかも、社会的責任に関する分野は事業活動や収益と密接に結びつかない部分は削られてしまう運命にあります。それで本当に広いステークホルダーの関心に根差した報告になるでしょうか。

最近はESGやサステナビリティという言葉が使われることも多く「CSR」や「CSR報告」は古いという意見も散見されますが、企業が社会に与えるマイナスの影響に責任を持ち、報告するという基本は、ESGでもサステナビリティでも前提であり、名前はどうあれその感性は、ますます重要になってきているということを忘れてはならないと思います。

・投資家向けの統合報告で重視されるESG 

主な読者として想定されることが多い、投資家向けにしても、求められている非財務情報の開示は、今や欧米の専門的なESG情報リサーチ企業が調査を行い、その判断を考慮して投資家が投資を行う流れが加速しています。

統合報告を作成しても、サステナビリティに関する情報・ESGに関する基礎情報などが貧相になっては良い評価は受けないでしょうし、そもそも企業としての信念・品格を疑ってしまいます。従って、簡潔な統合報告と合わせて、その前提となる詳細な非財務情報(CSRレポート)がなければ、そもそも本当に「統合」しているのか疑わしいと思います。

勿論、企業によって情報開示の対象は異なるため、目的にもよりますが、筆者の個人的な理想を言えば、基本的には全体の絵を描く統合報告を作りつつも、財務情報を有価証券報告書で報告するように、充実した非財務情報はPDFやWEBで開示すべきかと思います。

重要なのは、ステークホルダーへの開示責任を果たし、信頼醸成を図る情報開示構造(と、その前提となる企業理念・戦略・活動)がどうあるべきかを一体的に考えることではないでしょうか。それを考慮すると、やはり統合報告のわかりやすい場所に、その企業の情報開示構造を示した説明があることが望ましいと思います。

・「ストーリー」への疑い

企業活動は必ずしも戦略的に行われるものではなく、状況への必死の対応の積み重なりや、偶発的な機会の訪れなどで、意思決定がされていることも多くあると思います。同じように、企業の社会貢献活動についてもそれらが戦略的でない、事業と関係がないと言って切り捨てることには違和感があります。

善行は善行であり、それ自体は当然評価されるべきだと思います。ストーリーの重要性が一層高まっていますが、だいたい物事は筋書き通りにも進みません。事実としてストーリーに当てはまらない活動や重要な出来事は多々あります。

きれいにストーリーをまとめることより、ストーリー通りにいかない場合にどうするか、いわゆるレジリエンスを感じる報告が信頼できるのではないでしょうか。その意味では、リスク情報とその対応は極めて重要な情報になるかと思います。

報告する際には、なぜそれをしているのか、どういう効果や課題があるのか、といった観点を伝えることでそれ自体の持続性が促進されるとは思いますが、あまり目的・効果でがんじがらめにしてしまうのも違和感を覚えます。

戦略や事業とは異なるコンテキスト、意味の分からない信念、しかしそれでもあると良いし、その企業らしいもの、そういった「らしさ」や「ムダ」、そして「個性」が、企業にはあっても良い(というか必ずそれはある)のではないでしょうか。そういった矛盾を包摂して多元的な構造を表現していく気骨も欲しいところです。
 
従って、この項で述べたいことは少しこれまでお伝えしてきたことと矛盾しますが、無駄や矛盾が一切感じられず、全てが無駄なく結びつけられたストーリーになっている統合報告は、逆に信頼できない気がします。

・統合報告に最も必要な事

統合報告にとって最も重要だと思われるのは、その企業がどんな価値を生み出していきたいのかという信念・ビジョンがあるか、企業経営者に哲学があるか、企業理念という名の哲学が浸透しているかが、読み取ることができるか、ということではないかと思います。

なぜなら、それはその企業が何のために存在し、どんな価値を生み出そうとしているかを規定し、時代や地域を超えて生き抜くための拠り所であるからです。

数年前に全世界でヒットした人類の歴史を壮大なスケールで描いた本『サピエンス全史』では、サピエンスが脳の面積では劣勢にあったネアンデルタール人に勝利できたのは虚構を生み出す力があったからだと言われています。虚構というのは、宗教・主義・文化・システムといった広い意味での人々に共感や行動様式を与える物語のようなものです。

それによって非常に多くの人々が団結し、同じ目的に向かって規律正しく行動を起こすことが可能になったということです。企業にとっては、企業理念こそがこれに当たるでしょう。

企業理念の重要性は、『ビジョナリーカンパニー』でも述べられており、長年続いている企業の社長が、その持続性の要因や伝えていきたい事としてよく口にするのが「企業理念」です。

そもそも何のために企業は存在し、社会は存在するのか。どうあるのが良いと思うのか。どうしていきたいのか。統合報告であれ、サステナビリティ報告であれ、新しい時代を切り開く企業報告に最も求められるものは、耳障りのいいキャッチコピーでも、創られたストーリーでも、斬新なビジュアルや他社や慣例に合わせた予算ではなく、まずは企業自身がその存在意義を問い直し、社会や歴史、そして未来に向き合っていくための誠実さと覚悟、そして地道な日々の努力ではないでしょうか。

それは、統合報告以前に、企業の持続可能性、アイデンティティ、存在理由として、必要なものだと思います。「統合報告」ではなく、「これからの企業経営」と言い換えて読むこともできると思います。

最後に。これまで勝手に思ったことを書き連ね、読む側からすると企業のサステナビリティへの姿勢を見抜く材料を幾分かはご提供できたかと思いますが、一方で企業サイドからすると、レポーティングのハードルを大きく上げてしまったように思います。私自身、大した人間でもないので、大きな責任を背負ってかじ取りをされている経営者の方々や、限られた予算や人員で、悪戦苦闘しながら取り組まれている企業のご担当者の方々には頭が下がる思いでいっぱいです。

ただ、一方でやはり統合思考で解決していくべき問題が多々あることも事実でしょう(「統合報告」を発行するかどうかは別として)。従って、率直に思ったことをお伝えすることも大切な事かと思い、あえて自由に述べさせていただきました。

少しでも統合報告やサステナビリティ報告によって社会・企業・地球が調和し、持続可能性な社会、企業が実現していくことを心より願っております。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

サステナビリティ経営の質を見極める2

ESG(環境・社会・ガバナンス)やSDGsなど、サステナビリティが注目され、企業の取り組みも進んでいる昨今ですが、本当にその企業が社会・環境にしっかり配慮しているのかを見極めるのは至難の業です。CMがキャッチーだから、いいプロジェクトをしているから、報告書のデザインがいいから、といったことでなんとなく良い印象を持つ、ということも多いでしょう。今回は、10年ほど企業の情報開示を支援させていただいた経験から、サステナビリティ(CSR・社会環境)報告を使って企業の社会性を読み解くポイントについていくつか挙げさせていただければと思います。(なお、こちらに述べさせていただく意見は、飽くまで私個人の見解となります。また、最近はWEBも含めて開示する方向にあるため、「報告書」ではなく「報告」とさせていただきます)

・SDGs
最近は貧困・飢餓・ジェンダー・資源・格差など世界的な17の課題解決に取り組むSDGs(サステナビリティ開発目標)への取り組みが増えています。これらを大々的に取り上げて取り組む姿勢は評価されるべきだと考えます。しかし問題は実質的にそれらを経営目標に落とし込んで、モニタリングしているかどうかだと思います。ひとつの活動だけ、商品だけ、プロジェクトだけでPRするのではなく、経営として、現場レベルとしてそれを意識した取り組みをしていけるかが課題だと思います。こちらも、GRIなどと同様、その為に報告をするのではなく、社会と企業の持続可能性創出や課題解決のため、自社の理念やビジョン、状況を鑑みながら、それらを「重要なステークホルダーのニーズを把握し、それに対応するためのフレームワーク」として活用できているか、だと思います。

・人権
憲法の重要理念に基本的人権が定められているにも関わらず、企業活動における人権への対応は欧米に比べて遅れているとよく聞きます。しかし、グローバル企業の活動の課題においても、人権に関する問題は最重要課題の一つであり、むしろサステナビリティの本流だと思われます。資源・食品・衣料を始めとするサプライチェーンの上流の問題は、原材料や商品を採掘・生産する現場での過酷な労働環境、児童労働、地域コミュニティの破壊などが重大な問題として共有されています。今やあらゆる分野でグローバルにサプライチェーンが構築されており、私たちの生活も、そうした人々の犠牲に成り立っているシステムを変えていかなくてはならないということです。そのような観点で、人権問題がサプライチェーン上で発生していないかどうか、管理されているかどうかを把握・対応して、報告することが重要になってきています。

・財務数値との結合性
あらゆる活動の持続性を維持するには、財務的な裏付けが必要です。お金が価値を計測するための最も効率的で有効なツールでなのは事実であり、サステナブルな社会・企業を構築していくためにも、自社の活動がどのように財務状況に影響しているのかを把握することは重要です。活動だけを漠然と続けてその影響を検証しないのでは、より効果的な活動機会を逸することにもなるでしょう。もっとも、これまでにも述べてきたように、全てを効果的に財務数値に換算することは不可能ですし、財務数値のみに頼るのは本末転倒を招きます。ただ、効率的に進めるためにはやはり常に財務数値も検証しながら判断材料の一つにすることは必要であり、そういう感性がある企業の報告は信頼に値するのではないでしょうか。まずは、重要な課題に関する目標や活動が、何かしら指標化されているか、次にその指標は金額換算できるかどうか、最終的にはそれらすべての指標がその企業の経営理念や価値基準に基づいた企業通貨的な価値評価軸に置き替えられるか、逆に財務数値に置き換えられるか、という流れになるのではないかと思います(後者2つはまだ私の頭の妄想段階ですが)。ただ、この時の財務数値はいわゆる業績や配当原資としての財務数値ではなく、社会にとっての「企業の真の価値を換算する代理指標としての財務数値」という捉え方が良いでしょう。

・第三者意見と保証
現状、日本におけるサステナビリティ報告は任意報告であり、法廷開示書類のように監査報告は必要ありません。しかし、信頼性の高い報告を担保するには、やはり第三者の検証が重要です。日本では、特にCSRレポートでは第三者意見、統合報告やアニュアルレポートでは社外取締役の意見などが掲載されることが多いです。しかし、中にはPDCAのC(チェック)の役割を果たしていない、実質的な課題の指摘が少ないものも見受けられます。今後は統合報告全体を統合思考で検証するものや、ステークホルダーとの実質的な対話を代表するようなものも、期待されます。
また、第三者保証として、監査法人などの保証を受けている報告もあります。これは主には社会面や環境面における報告数値の正確性の第三者の検証であり、報告の信頼性を上げるためには非常に有効なものだと考えられます。コストが高いこともありまだ少数派ですが、報告の重要性が高まるにつれて、増えていくことが期待されます。第三者保証報告がある報告は、その意味で報告に真摯に取り組む姿勢があると見ることはできるでしょう。

桑名市の財政はなぜ悪いのか

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桑名に住んで8年になりますが、その間駅前の開発は進まず、東側の桑栄メイトと相まって半ばゴーストタウン化(逆に味があって好きですが)、妻が世話になった青少年ホームなど多くの事業は廃止、水道代は跳ね上がり、「お金がない」「お金がない」という言葉が選挙や広報などで飛び交っております。どうしてそんなにお金がないのか、ずっと気になっていながらも、日々にかまけて放置しておりました。そこへ、偶然知人が桑名市の財政についての勉強会を朝活で開き、ご丁寧にもその資料を伝授してくださったのです。この機を逃さず、ざっと考えてみました。


やはり桑名の財政は悪かった

その資料には経常収支比率(必ず支出が必要なお金の割合)、実質公債費率(借金)、将来負担比率などが類似自治体に比べて突出して高いことが示されています。しかし、ここのところ全体的に市の努力は上記のような市民の忍耐と相まって実り、徐々に財政状態は改善されつつあります。ただし、類似自治体に比べてまだまだ悪いということです。

では、なぜこうまで桑名の財政が悪化しているのか。上記資料にはその理由は書いてありませんでしたが、桑名市の「財政健全化パンフレット」に次の3点の記載があります。

1.ハコモノ(公共施設)の建設
2.少子高齢化の進展など、社会福祉費の増加
3.他市町村に比べて充実したサービス


正直、これらを見ただけでは、ほかの市町村より本当に充実しているのかはわかりません。ハコモノといっても公民館、公園、福祉施設、図書館など必要性の高いものが多いですし、少子高齢化はどこも一緒です。充実したサービスに挙げられている「市民農園」は長島のものが閉鎖され、多度だけとなり、私が畑をやりたいと探し回ってもできない状況です。(農業の担い手や、地産地消を推進するのとは逆行していないでしょうか。)


なぜ、桑名の財政は悪いのか

ということで、いろいろ腑に落ちません。そこで、再度いただいた「桑名市の財政について」にヒントを求めました。。国の統計資料及び大垣市や西尾市など、同規模の他自治体などと比較して、公債費(借金)が高いというのがやはり大きい財政逼迫要因のようです。ただ、その財政逼迫について関係があると思われる以下2つの理由については、わかりませんでした。

・なぜ経常収支比率が高いのか(特に2006年以降跳ね上がっている)
・なぜ地方債が激増しているのか(特に2017年に合併特例事業費などが跳ね上がっている)


ほかに比べて消防費が高く、教育費・総務費が少ないことは読み取れました。消防費については、「財政健全化パンフレット」の市民へのお願いに「救急車の適正利用」とあります。ひょっとして桑名は救急車を呼ぶ人が多い?のでしょうか。なぜかよくわかりません。1回4万円の費用とありますが、この内訳も知りたいところです。せっかく新病院になったのに、救急車で運ばれるのは渋滞する橋を通って愛知県の弥富町の病院というのも何とかしてほしいところです。119をすると最初に四日市の指令センターに行くはずですし、桑名の税金がなぜ4万円もかかるのか、よくわかりません。

ちなみに資料にある「サスティナブル(持続可能)なまちへ」という言葉ですが、ここでは桑名の財政の持続可能性のことを指しているようですが、本来一自治体の枠組みを超えて、社会・環境の持続可能性と調和して「みんなが」「あらゆる意味で」、将来世代のニーズを侵害しないように活動していくことです。後述の総合計画には気候変動への対応や川や海を守る取り組みについてなどへの言及もあります。自然、人、文化を含めて捉えた「サステナビリティー」として、ぜひ桑名市の合言葉として、ビジョンに組み込んでいってほしいものです。

ということで、結局なぜ桑名市の財政が悪化しているのか、その本当のところはわかりませんでした。力不足ですみません。私のような愚か者にも分かるように、市にはぜひとも、どうして「他と比べて」財政状態が悪いのか、わかりやすく開示していただければ…


桑名市のビジョンが共有できているか

さて、財政に関する資料を見ているとだんだん暗い気持ちになってきました。お金がないことを出発点にして考えると、どうしてもコスト削減がメインになり、未来へのワクワク感が感じられないからです。企業報告でも、財務の話は極めて重要とはいえ、そればかり読んでいても重苦しくなるばかりです。やはり、経営理念やビジョン、戦略が心奮わせるのです。ビジョンや全体像を知るには、市の総合計画を見る必要があります。

そこで2015年に策定された桑名市総合計画をホームページの奥から探し出しました! そこには、「本物力こそ、桑名力」とあり、桑名の地域資源の底力を活性化させ、前向きに街づくりに取り組んでいこうというビジョンが、いきいきと、わかりやすく描かれています。現状や課題、これからなすべきことが行政と住民別に整理されていてわかりやすいです。これ、桑名市の住民のどれくらいの人が知っているのでしょうか。SDGs知ってる人より少なくないですか? ぜひとも桑名の英知が集められたこの総合計画こそ、ホームページのトップに掲げて、目的を共有し、議論を進めるべきではないでしょうか。その文脈があったうえで財政の話が来るほうがよほど納得感があります。知らないのは私だけだった、という恐怖感も若干ありますが。


「本物力」とは何か

さて、桑名の合言葉である「本物力こそ桑名力」。この合言葉を知った当初は、「本物ってなんだ」とあいまいな表現にぐったりしたものですが、広報のトップで毎回特集されている鋳物技術、ハマグリ以外にもたくさくさんある逸品食材の数々、そこかしこで受け継がれている伝統文化の数々などを知ると、少しずつその気になっても来ます。それに、実は桑名は名古屋は言うに及ばず関西にも関東にも、非常に行きやすい地理的な優位性があります。木曽三川の河口としての特異性もあります。

これら地域の優位性を掘り起こすとともに、何より地域の人々のやる気をつなぎ合わせる取り組みを進めてほしいと思います。要するに、ベッドタウン化しない、ということです。それは、名古屋駅前の大開発に呼応するかのように増え始めた駅前マンションに入居する新しい桑名人を受け入れ、桑名での生活にコミットしやすい仕組みを創っていくことと、従来から桑名に住む人が、自らまちづくりをしていく雰囲気の醸成です。(もちろん、それもある程度進めてはいますが…)

前述の総合計画も住民と共同で創ったものであり、「財政が健全化してから、投資する」のではなく、「投資しながら健全化していく」という形で取り組むことで、サステナブルなまちづくりになっていくのではないでしょうか。

とまあ、大して桑名にもその財政にも詳しくない門外漢が勝手なことを申し上げましたが、市民の一人一人が考え、伝え、行動できるのが大切かと思いますので、いろいろ意見交換・ご指導いただければ幸いです。

私も桑名が好きです。桑名が、桑名に住む人のみならず、将来にわたって関係する人々に好きになってもらえることを願っています。それこそ、「本物力」ではないでしょうか。


参考資料

・令和頑年度ふれあいトーク 桑名市の財政について 総務部 財政課

・総務省 地方財政白書

・岐阜県大垣市 WEBサイト

・愛知県西尾市 WEBサイト

・桑名市 総合計画
http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/25,54019,206,501,html

・桑名市 財政健全化パンフレット
http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/25,36812,c,html/36812/20150312-163436.pdf

・桑名市 市民満足度調査
http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/25,65285,c,html/65285/H30manzokudochousa_kekkagaiyou_s.pdf

・『まちづくり読本』ぎょうせい 2006

サステナビリティ経営の質を見極める

ESG(環境・社会・ガバナンス)やSDGsなど、サステナビリティが注目され、企業の取り組みも進んでいる昨今ですが、本当にその企業が社会・環境にしっかり配慮しているのかを見極めるのは至難の業です。CMがキャッチーだから、いいプロジェクトをしているから、報告書のデザインがいいから、といったことでなんとなく良い印象を持つ、ということも多いでしょう。今回は、10年ほど企業の情報開示を支援させていただいた経験から、サステナビリティ(CSR・社会環境)報告を使って企業の社会性を読み解くポイントについていくつか挙げさせていただければと思います。(なお、こちらに述べさせていただく意見は、飽くまで私個人の見解となります。また、最近はWEBも含めて開示する方向にあるため、「報告書」ではなく「報告」とさせていただきます)

■編集方針
発行企業が報告にきちっと向き合っているかどうかを見極めるひとつのヒントが編集方針です。
とりあえず出している企業は特に編集方針を重視していません。社会・環境に真摯に向き合っている企業が必ずしも編集方針を書いているとは限りませんが、少なくとも編集方針を「しっかり」書いている企業は、情報開示に真摯に向き合っている企業と言えるでしょう。

編集方針から何かメッセージを読み取れるのか、あるいは誠実に開示しているか、について注意する意味はあると思います。(この観点は若干マニアックですが、私は最初にここを見ます)

■マテリアリティ(重要性)
企業が自社と結びつくサステナビリティ上の重要な課題がマテリアリティです。

統合報告でもサステナビリティ報告でも、マテリアリティを定義していることは基本です。なぜなら、何が重要な課題かを把握していないのに報告する場合、網羅的に報告するか、的を外した報告をするかのどちらかになるからです。

しかし、重要なのは、マテリアリティの内容以上に、それを定義するプロセスです。重要な課題が本当にその企業のステークホルダーにとっての声や気持ち(影響)を汲み取っているのか、バリューチェーン(調達先からサービスの提供後まで)を広くとらえているのか。

例えばスーパーなら「食品廃棄」の問題を重要視すべきですが、生物多様性、労働者や仕入れ先の人権、地域社会への貢献などについても影響力が大きいと考えられます。重要性決定のプロセスと、定期的な見直しが適正にされているかも見る必要があるでしょう。


■バウンダリ(開示範囲)
報告の質を見極めるのに重要なのは、その企業がどの範囲を責任範囲ととらえているかです。

グローバルに展開しているにも関わらず、国内だけ、しかも本社だけの開示をしているのでは、開示・問題意識が不十分と言われても仕方ありません。今や、大手アパレルメーカーなどはすべての取引先まで開示しているくらいです。

開示されている情報がどの範囲かは上記の「編集方針」や、グラフ・表ごとの注記に書かれていることが基本ですが、仮にそれすら書かれていない報告があるとすれば、信頼性に疑問が生じます。傾向としては、環境関連の情報は比較的海外の情報も開示される傾向がありますが、社会関連の情報は開示が遅れているようです。

■CSRマネジメント
情報がただ開示されていることは重要な一歩ではありますが、それだけでは十分ではありません。

CSRマネジメントとして、そうした開示が改善プロセスの上で機能しているかが重要です。企業の目指す姿が何なのかを頂点に、ステークホルダーは誰か、重要な課題(マテリアリティ)は何かがしっかりと定められ、その実現に向けて目標を立て行動し、実績と課題を明記しているかどうか、企業のサステナビリティ報告(活動)はこの部分に尽きるのではないかと考えています。

現在行われている企業活動や体制・PDCAとの整合性を取りながら、一番効率的な形で進める経営センス・リスクへの感受性が求められます。それは経済活動・お客様が重要視され過ぎていたそれまでのルールと異なるため、対応していくのは当初は至難の業かもしれませんが、長期的な目で見れば、恐らく生き残っていく条件となるでしょう。

■GRIガイドライン
編集方針に、サステナビリティ報告の世界標準であるGRIガイドラインに言及しているからと言って、信用度がアップするとは限りません。

GRIには「準拠」と「参照」の2つがあって、実質的に意味を成すのは前者「準拠」のみです。「参照」というのは、「参考にしていますよ」程度の意味でしかなく、正面からガイドラインに取り組んでいるかどうかは、「準拠」しているかどうかになります。

GRIガイドラインと報告内容の対照表を掲載している企業もある程度誠実さを感じますが、吟味するとかなり抽象的なつながりでも掲載しているケースも多いため、注意が必要です。もっとも、GRIのための開示ではなく、サステナビリティのためのGRIであることを忘れてはいけません。

最近は統合報告にCSR情報が統合されてしまう傾向もありますが、WEB開示を含めて上記の点が欠落していれば、統合報告が投資家コミュニティーに評価されていても、その他のステークホルダーの観点から問題があるケースも考えられます。

このような部分を意識してチェックしてみると、ネームバリューや企業イメージ、デザイン、ページ数の多さなどから得られる印象とはまた違った判断がなされるのではないでしょうか。

というよりも、上のようなことがおざなりになっている報告をしている企業は、私であればいくらイメージがよくても、信頼性に大きな疑問を感じます。真摯に、誠実に課題と向き合っている企業を見抜く目をもてる社会になればいいなと、願っています。

統合報告が目指すべき、真の統合(後編)



何回かにわたって、近年の統合報告の趨勢について、広まるサステナビリティ(社会や環境の持続性)と財務価値の調和への期待と共に、「価値」の観点が投資家および財務中心になりすぎているのではないかという懸念についてお伝えしてきました。最後に、財務価値はあくまで価値の一側面であり、最終ゴールではない点を再確認して、このシリーズを終えたいと思います。(中畑 陽一)

■何のために成長しなくてはならないのか


私が時折読み返すレポートがあります。2010年に大和総研の河口真理子氏が寄稿した「成長神話からの脱却を考える」です。ESGに関わる全ての方に読んでいただきたいレポートです。資本主義においては成長こそが絶対的なルールのように扱われますが、そもそも何のために成長しなくてはいけないのでしょうか。

このレポートは市場経済における価値観のパラダイムシフトを明快に伝えています。一定以上GDPが伸びてもその国の幸福感には寄与しないという現実は、必要以上に消費と成長を急き立て、一方で従業員やその家族、取引先やその家族の時間や健康を、そして自然資源を浪費し、場合によっては企業自身の未来まで危機にさらさなくては立ち行かないこのシステムがバランスを欠いていることを伝えています。

前回述べたように、私は高い成長性や高い利益率で投資家に還元することを重視する企業が評価される価値観もあれば、低い成長性や少ない利益でも従業員や取引先、寄付や環境保全として社会に還元する価値観もあるべきだと考えています。実際に、長寿企業の多くは誰もが知る大企業ではなく、少人数で地道に本業に取り組んできた企業ということがうかがい知れる調査もあります。

何がその企業の価値であるか、何が企業のステークホルダーの価値かによって異なりますが、少なくとも、最終的なゴールが財務的な成果のみではないことだけは、共有しておかなくてはいけないと思います。「ESGが長期的に利益になるから正しい」というロジックのみで考えるべきではないということです。

■何のために儲けなくてはならないのか

そうは言っても、実際には利益が出ないと、赤字になったら税金も払えない、倒産したら取引先や銀行にも大迷惑だ、と考えるかもしれません。もちろん、企業が立ち行くために最低限の利益は必要です。要はバランスが重要だということです。

1997年にイギリスのジョン・エルキントン氏が提唱したトリプルボトムラインという考え方は、経済・社会・環境価値を文字通り「トリプル」で高めていく企業の在り方を示しており、ESGやCSRの推進役となっている国連PRI(責任投資原則)や、サステナビリティ報告の世界基準とも言えるGRI(Global Reporting Initiative)の基本的な考え方となっています。

ESGがどのように財務成果(資本効率を含む)になるかよりも、財務成果を出すために、社会や環境の価値を棄損していないか、さらには、創出された財務成果がどう社会や環境の価値に結び付くのかこそが、最終的には重要ではないでしょうか。

何が価値かは人によって大きく異なります。それぞれ大切にするものが異なり、議論を繰り返す必要があり、答えはなかなか出ないかもしれません。しかし、「いつかは財務的な成果につながるから従業員や環境を大切にしよう」から、「(長期的にも)財務的な成果はまずまずだが、従業員満足度が上がり、環境保全もでき、総合的に価値創造できるからやってみよう」という考え方をこそ促進すべきではないでしょうか。

「統合報告」が、資本主義が課題を克服して真に社会の持続可能性のために寄与していくツールになっていくことを心より願っています。また、それを見守り、参加していくことも、私たち一人ひとりの役割であると思います。

統合報告が目指すべき、真の統合(前編)


何回かにわたって、近年の統合報告の趨勢について、広まるサステナビリティ(社会や環境の持続性)と財務価値の調和への期待と共に、「価値」の観点が投資家および財務中心になりすぎているのではないかという懸念についてお伝えしてきました。最後に、財務価値はあくまで価値の一側面であり、最終ゴールではない点を再確認して、このシリーズを終えたいと思います。

持続可能性は統合報告の本質

そもそも統合報告書※の成り立ちを考えると、環境や人権問題への対応といった持続可能(サステナブル)な社会のための企業報告という目的意識がありました。その証拠に、統合報告を推進する最大組織IIRC(国際統合報告評議会)を立ち上げたのは、ほかでもないサステナビリティを企業報告に反映させるあり方を開発・推進する国際NGO組織であるA4SやGRIらでした。社会・地球の持続可能性のために経済活動・資本主義を見直さなくてはならないという危機感が主軸にあり、その延長線上に投資家や株主のためにサステナビリティを企業報告に組み込む必要性が当初より共有されていました。
※財務情報と非財務情報を統合し、短中長期的な価値創造を簡潔に報告する新しい企業報告の形態

また、2013年に発表された統合報告”Background Paper”の”VALUE CREATION”に価値創造についての見解が明記されています。そこには「財務価値は関係するが、それは価値創造を評価するのに十分ではない」とあり、多様な「価値」の在り方について、過去の学説などを元に解説されています。また「国際統合報告フレームワーク」にも「組織に対して創造される価値(主に財務的価値)」と「他者に対して創造される価値」の2つが明記され、それらが相互に結び付いていることが示されています。仮に財務資本提供者のみへの価値創造を統合報告書発行の目的とするにしても、それ以前に組織はそれにとどまらない様々な価値を創造しているという前提を共有しておく必要があります。すなわち、その他のステークホルダーの価値創造は、財務価値の創造にまったく劣らないということです。それどころか、むしろ財務価値はより本質的な、一人一人の人間や社会にとっての多様な価値を基盤にしています。従って、非財務情報(価値)を財務情報(価値)に統合するのではなく、様々な価値を包摂して考えることが真の統合だと思います。

財務価値は社会価値に包摂されている

経済活動は社会をうまく成り立たせるためのもので、そのために人や環境、地域などの資源を使いながら価値を創造しています。それにも拘わらず、持続可能な社会は資本主義経済活動そのものによって危機に瀕しています。環境問題、貧富の格差、人権侵害など、どれもグローバル経済活動のゆがみが引き起こしたものばかりです。それだけ、資本主義経済や財務価値は世界の存続にとって大きな影響力があるということです。

従って世界のサステナビリティのためには、影響力が絶大である資本主義経済そのものを変革していく、あるいは産業・経済界を巻き込んでいかなくてはなりません。一方で資本主義経済側としても、ITの進化やNGO活動の広がり、社会・環境課題の世界での共有や法制化の進展、学術研究の進化などによって、事業活動自体が環境や人権などの持続可能性に配慮しなくては、評判の悪化や法令違反、従業員の生産性低下など、利潤や企業価値の棄損につながるという認識が共有されてきたために、抜き差しならない事態になってきているという訳です。ある企業や投資家、ある指針がESGを語るとき、後者(市場原理にとってのESG)の目線だけでなく、前者(世界の持続性や一人一人の幸福にとっての市場原理)の観点がしっかりと踏まえられているでしょうか。その部分が抜け落ちていたら、恐らくそれは本当の意味での「統合」や「価値創造」にはならないと思います。

財務価値を重視するのは言うまでもなく重要です。財務と非財務を統合しようという動きも望ましいことです。ただ、そもそも何のために財務価値や非財務価値、その統合を重視するのかを考える必要があるのではないでしょうか。


お金にならなければ、ほうっておけばいいのか

例えば、投資家のESG視点からすると、短期的な問題や財務価値に結び付きやすい社会や環境活動や開示が評価されやすいことになりますが、そもそも財務価値化が難しく、長期的、複合的に責任があいまいになりやすい課題領域こそが最も深刻なのであり、その部分への感性を失ってしまっては、また同じことの繰り返しになりかねません。例えば、声が小さく、踏みにじられている人々の人権侵害は、NGOが強くキャンペーンをしているから関係企業の評判悪化につながり、企業価値を棄損します。それでは、NGOがキャンペーンをしなければ、ほうっておけばいいのでしょうか。それとも「バレるとヤバい、あるいはいつかバレたり規制されるかもしれないから取り組むべき」なのでしょうか。「バレるとやばい」「利益に結び付かない」から取り組むのではなく、そもそも人権を侵害することがフェアでない、同じ人間としておかしい、経済が人の幸福より優先されるのはおかしいと思うから取り組むという観点も必要ではないでしょうか。気候変動についても、確かに炭素税や排出権取引が実施されお金としての影響がわかりやすくなれば、より重要度も高まるという論理はわかります。しかし、それでは実際に影響を与えているにもかかわらず、それが定量化、キャッシュ化しにくい、法制化が検討されていない問題は「重要ではない」ということで後回しにすれば良いのでしょうか。

無論、企業経営が成り立つためには赤字ではいけません。しかし、利潤と株主価値を最大化することだけが、企業の評価でもありませんし、むしろ持続可能な社会のためにはその価値基準こそ変えていく必要がないでしょうか(サステナビリティの考え方は、もともとそういうもののはずです)。サステナビリティを自社の戦略に落とし込む際に、この部分をしっかりと考え、感じ、共有しておかなければ、結局またどこかで、まわりまわって資本市場の欲望の下敷きになり泣くしかない人々や、自然の破壊が存在し続け、それはいつか自分自身に、あるいは自分の子孫たちに跳ね返ることになるのではないかと心配になります。

統合報告やESG投資の隆盛は、非常にポジティブで希望に満ちたムーブメントです。しかし、統合報告を必要としているのは、投資家だけではありません。表面的にSDGs(持続可能な開発目標)に触れることやGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)のESGインデックスに採用されることが目的でもありません。統合報告の盛り上がりがブームで終わるのか、特定の国やプレイヤーだけではなく、地球の未来や社会にとって必要なインフラに変わっていくのか、私たちは今、その岐路に立っている気がします。

「企業は誰のものか」という命題の終わり

■コーポレート・ガバナンスにおける二元論

コーポレート・ガバナンスとは、「企業は誰のものか」という命題をベースに、企業の所有者が企業経営を監視していくためのシステム(体制)のことですが、大きくドイツなどに見られる「企業はステークホルダーのもの」というステークホルダー型と、米国などで典型的な「企業は株主のものである」という株主型の2つの流れがあり、日本では従来より実質的には従業員を中心としたステークホルダー型であると言われてきました。

しかし、特に日本における外国人株主の増加に伴い、昨今のコーポレート・ガバナンス改革の旗のもと、これまで劣位に置かれてきた株主の権利を強化する方向に舵が切られています。

日本において統合報告が投資家寄りになっている理由のひとつに、このコーポレート・ガバナンスの概念が「株主のためのガバナンス」に近づいている側面も大きいのではないかと考えられます。

コーポレートガバナンス・コードには5つある原則の2つめに「ステークホルダーとの協働」と明記されていますが、ステークホルダーエンゲージメントやES側面の意思決定をコーポレート・ガバナンス(指名・報酬・監査等)に組み入れている企業は希です。

ESG要因を、企業価値・財務パフォーマンスに結びつける方法の模索がなされている『企業価値分析における ESG 要因』 日本証券アナリスト協会(2010年)は、アナリストの目線でのレポートですが、マルチステークホルダーの観点も忘れずに以下のような記述も見られます。

「そもそも企業は誰のためのものか?最近では企業の所有者である株主の利益だけでなく、従業員や仕入れ業者、地域など企業にかかるすべてのステークホルダーの利益を最大化すべきという考え方があり、このマルチステークホルダーから見た有効なコーポレート・ガバナンスの模索は続いている。そういった議論の中では、経営陣や一部投資家の短期的な利益志向が、他のステークホルダーにとって望ましい長期的な企業の利益やサステナビリティを損なっているという指摘もある」

「もはや各国単位で最大算出を考えるのではなく、世界経済を一つの経済単位とみて、効率的な生産により地球の定員を増やすことが必要である。この人類の目標を理解しない企業は、適者生存の法則から言って最終的にはアウトパフォームしないであろう」

マルチステークホルダーの観点や地球規模の視野を組み込まないコーポレート・ガバナンスシステムでは、長期的な時流の変化に対応できないことを示唆した興味深いものです。

実際、企業報告への非財務情報の統合が進んでいるイギリスでは、アニュアルレポートにおいて株主よりもステークホルダーに注意を向けている企業が93%という調査報告もあります。(Deloitte”UK Annual Report Insight”) イギリスのコーポレート・ガバナンスを巡っては、ICGNのWaring氏がこのように述べています。「取締役会はガバナンスの意義をよく理解する必要があると思っています。取締役会の責務は、株主だけでなく、社会全体に価値をもたらすよう組織を導くことです。英国では、株主価値の向上については、多くの実績があります。ところが、その他のステークホルダーにとっての価値を追求する視点が不足していました。財務的な価値の創出を超えたところで、さらにそれが環境、あるいは顧客などに対してどのような意義を持つのか、そこまで思考を広げる必要があるのです。実務のうえでは、意思決定プロセスのなかで様々なステークホルダーを考慮することで、実現していくものと考えています。」

おそらく、日本でも多くの企業が、株主よりも広いステークホルダーに配慮した経営をしたいと回答をするはずです。一方で国が主導で進めているガバナンスや情報開示改革では、国際的にみて資本利益が劣後している危機感から、資本コストや資本利益率などが重視され、ステークホルダーへの責任や分配について十分に注意が払われているとは感じられません。

ベンチャーキャピタリストとして名高い原丈二氏は10年前に出版した『21世紀の国富論』で既に、アメリカ型のROE重視経営では、長期的な資本が担保されず、うわべだけのIRで株価を上げる風潮になると警鐘が鳴らされています。

アメリカ型のコーポレート・ガバナンスは株主重視でROE偏重となったがゆえに、資本が増える製造業などの海外生産を推進することで、産業の空洞化が起こったと指摘、「カネをいくら膨らませたかによって価値を比較するスタイルの資本主義は(中略)破綻に向かって突っ走っている」と述べ、企業は表面的な企業価値に踊らされず社会的な役割を果たすべきであり、投資家の視野にも長期性と社会性を強く求めています。

■経済活動の前提としての社会・環境に責任を持つ

すでに、投資パフォーマンスに影響する環境要因自体が、社会性や環境性といった資本市場の課題に対する反省と改善といった動きに大きく依拠される時代となっています。

さらには、企業活動に社会的責任が問われているように、投資活動にも社会的責任が前提となるのであって、ESG投資や企業活動が単に1株当たり利益の向上が見込めるかどうかだけの近視眼的な判断基準で断じられることには、懐疑的であるべきでしょう。

従って、「企業は株主のものである」を前提として、株主重視のコーポレート・ガバナンスに軸を置く場合にも、上記のような長期的かつ社会包摂的な観点をふまえた投資方針の整備と実施が前提になるべきです。

投資方針の開示やESG投資の進展など含め、そのような取り組みは進んでいるとは言え、十分にそれが浸透しないまま株主主導のガバナンスにした場合、ヘッジファンドや短期的な利益や配当を重視した投資家などの声に押され、企業の長期的な価値を毀損し、社会課題の悪化を招くこともあるでしょう。

「受託者責任」という概念があり、資産運用会社が株主の利益を損なわない運用をするための旗印となっています。

最近はESGを考慮する運用が受託者責任に抵触しないことが認められつつありますが、単に個々の株主のお金を守るとか殖やすというのではなく、資本を育む経済・金融も社会・環境の健全性を損なっては持続しないことを「熟慮」して、「責任」をもって運用するのが「真の受託者責任」ではないでしょうか。そうでなくては、いずれ資本自体の母体である社会や環境が破たんし、株主自体にその影響が跳ね返ってくるでしょう。

「日本サステナブル投資白書2015」の機関投資家の動向面で三井住友信託銀行の経営企画部 理事・CSR担当部長の金井司氏は、持続可能な開発のフレームワークとIIRCのフレームワークが類似していることを示し、ESGのうちG(ガバナンス)が重視される風潮だが、長期的な観点からは環境が一番先にあったうえで、最終的に財務につながる観点こそがESGの本筋であると、今後の投資家の理解の醸成に期待を寄せて結んでいます。
また、アーク東短オルタナティブ蠡緝修涼橋俊介氏によると非上場企業に投資するプライベートエクイティ投資の源流である1950年代の米マーシャルプランによる欧州の戦後復興のための投資を始めたピーター・ブルックは、米国の資金で世界を良くしたいという責任投資の発想に感銘を受けてこれを始めたと述べられています。

このように、企業のものか、社会のものかに関わらず、投資活動も企業活動も社会・環境ときっても切り離せないものであることへの理解が、浸透しつつあります。コモンズ投信の渋沢健会長がよくおっしゃるように、資本主義はそもそも一人一人の小さい資本(滴)の集合体です。

これは一人一人の株主が株主以前に社会を形成する一人一人であるということだと思います。本当に会社は誰のものなのか、いえ、会社が誰のものであれ、責任を持たなければならないことが何であるのか、その前提をもう一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。

企業が誰のものであれ、一方的に成長ストーリーを描こうとも、「それでも、地球(社会)は有限である」のだから。

非財務情報の先を見つめる投資家

日本でも企業の戦略や業績などの「財務報告」と、ESGやCSRなどの「非財務報告」が一体となって企業の価値を表現する「統合報告」の発行が年々増えています。ですが、昨今の国内の統合報告の趨勢を見てみると、少し投資家向けに重心が置かれ過ぎ、ESG情報は財務的成果に結びつかなくては意味がない、と断じられている傾向にやや疑問を感じている今日この頃です。
私自身、まだ答えのない旅の途中ですが、ここにひとつ別の見方を提示してみたいと思います。今回は、投資家・アナリストの観点からこの問いに迫りたいと思います。

多様な投資家の視点や手法と、対応を迫られるアナリスト

機関投資家のESGへの期待としては、「それが本業とどう結びつき、どのようにキャッシュ・フロー創出能力に結びつくのか、そのための重要な情報をわかりやすくコンパクトに開示してほしい」というものが命題となっています。これは極めてもっともな意見であり、投資家への基本的な開示方針はこれを主軸に考えるべきかと思われます。しかしながら、一方でこの考え方自体が従来の財務資本中心型の考え方であり、価値=財務資本という枠組みの延長であるようにも感じます。本当にそれだけでいいのか、考えてみたいと思います。

まずは世界の現状のESG投資手法の趨勢を概観してみましょう。 ESG投資の手法は、スクリーニングからインテグレーション、株主行動まで様々なアプローチあります。現状、欧米を中心に社会的に有害なテーマに、関連する銘柄を除外するネガティブスクリーニングが最大のアプローチであり、投資手法にESGを組み込むインテグレーションにおいても、直接的なキャッシュ・フローへの影響を計算しているケースはかなり少ないものと思われます。
参考)Global Sustainable Investing Review 2016

そうした中、経済産業省が進めている「持続的成長に向けた長期投資(ESG・無形資産投資)研究会」で三菱UFJモルガン・スタンレー証券の松島氏は「非財務情報の何に注目するかがアナリストの眼力」「企業価値はIIRCの6つの資本などから実現し、企業のDNAを理解することが必要」と述べて、非財務情報を読み解き企業の実力を把握できるアナリストへの啓発の必要性を説いています。 http://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/sansei/jizokuteki_ESG/pdf/001_10_00.pdf

直接的、短期的に成果につながりにくい非財務情報を読み解いていくのは、さぞかし困難なことかと思いますが、企業を様々な角度から分析できる報告があれば、多様な角度からの企業分析に役立つことでしょう。 キャッシュ・フローに結びつけやすいのは、主力事業や短期的な取り組みであり、長期的な価値創造を行う人材育成や研究開発、そして企業理念や地域社会活動などと結びつけるのは、極めて難易度が高いものです。だからこそ直接的にキャッシュ・フローを追いかけた開示を追い求めることは、逆に企業本来の多面的な価値創造能力を見つけることを、弱めてしまう恐れもあると感じます。

日経ベリタスが発表している、アナリストランキング総合1位のみずほ証券の渡辺英克氏は、アナリストとして大切にするのは、「バランスと仮説の検証」で、経営者がステークホルダーの支持を得られるかどうか、そういったバランスをもっているかを重視していると述べています。

このように、アナリストサイドも、企業価値の多様性、価値の多様性の時代に適応すべく、果敢に財務と非財務との落としどころを探っています。アナリストは当然ながら、企業がどのように将来的なキャッシュ・フローを創造していくのかの視点を持ちつつ、非財務情報も含めた分析力を高めています。そこにおいてさえ、「財務的価値」を超えた社会や投資家のニーズに敏感になっていることが感じられます。


ユニバーサルオーナーの視野は目先のキャッシュ・フローを超越する


それでは、機関投資家の観点ではどうでしょうか。 日本の年金を束ねる世界最大の年金基金であるGPIFのようなユニバーサルオーナーは、たとえば喫煙などの社会的な課題自体の解決により、社会や市場自体が健全になることでこそ、長期的なリターンが得られるというスタンスがあります。そして、長期的な社会の健全性が最終的な財務リターンにつながるという視点に立脚しています。これは、どの社会課題解決が一企業のどれだけのキャッシュ創出に寄与するか、といった視点を超越した、まさに、「ユニバーサル」な観点です。(『ESG読本』日経BP社)

世界最大規模の機関投資家であるブラックロックのラリー・フィンクCEOは、毎年世界の大企業向けに書簡を送っています。一昨年には、配当を安易に増やすことを戒め、昨年からESGについての開示を求めるなどしていますが、これも長期投資家ならではの、ユニバーサル的な視点が介在していると言えるのではないでしょうか。

オックスフォード大学のAmir Amel-Zadeh氏とハーバード・ビジネス・スクールのGeorge Serafeim氏が3月に発表した機関投資家を調査した論文では、ESG投資がメインストリームになるなか、クライアントやステークホルダーの要求や、倫理的な責任によってESG投資を行う割合が、最大のESG投資市場の欧州では、それぞれ4割(全体でも約3割)程度もあることが判明しており、単に投資パフォーマンスにつながるという要因だけを価値観の主軸に置くのは危険でしょう。

このように非財務情報を見る投資家層が多岐にわたるなか、多様な分析ニーズに応えるためには、統合報告の役割を、長期的であれ何であれ、財務的成果のみに収れんさせてしまう考え方に、疑問の余地があると感じないでしょうか。

それはすなわち、環境・社会基盤(社会)と経済基盤(お金)の切っても切り離せない結びつきが明らかになる中で、資本主義システム自体がもはや財務的成果中心(お金のみ)の考え方では持続不可能になっていることに、多くの人が気づき始めているからではないでしょうか。

企業報告はどこへ行くのか〜財務資本に結びつかない価値編

日本でも企業の戦略や業績などの「財務報告」と、ESGやCSRなどの「非財務報告」が一体となって企業の価値を表現する「統合報告」の発行が年々増えています。この動きを黎明期から現場で見守ってきた私からすると、やっと事業活動も社会や環境に配慮して資本主義も修正されていくのかと期待に胸を膨らませたものです。ですが、昨今の国内の統合報告の趨勢を見ている中で、なんだか微妙に違和感を覚える部分もあります。私自身、まだ答えのない旅の途中ですが、ひとつの見方として参考になれば幸いです。

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財務資本に結びつかない情報は不要か

最近特に感じているのは、統合報告が投資家向けの、資本市場のための開示という側面が強くなっている(なり過ぎている)ことです。IIRCのフレームワークに「財務資本提供者」を主軸に据えた報告が第一義とされていることや、日本の投資家向け企業情報開示に関する各種アワードにおける統合報告(非財務情報開示)評価が進んでいること、これにESG投資の拡大が相まって「投資家向けの開示」の側面が強くなっているからかもしれません。

市場がESG要因を包摂しつつあるという点では喜ばしいことですが、気になるのは、非財務情報であれ、何であれ、キャッシュ・フロー(現金)につながる情報こそマテリアル(重要)であり、それ以外は無用の長物(よくわからない得体のしれない情報→意味がない情報)だから短くまとめよ、という意見が散見されることです。CSRの世界でも、CSR戦略や、CSVといった概念が広がる中で、事業に寄与しない、あるいは関連性の低い社会貢献活動は良くない、マテリアル(重要)でないという考え方があります。

確かに投資家からすれば、株価上昇や配当につながる活動こそが重要であり、非財務情報と財務情報のつながりが知りたい、それ以外は不要な情報という考えも理解できます。しかし、それでは測定できない活動、お金につながらない活動は企業が取り組むべきではないのでしょうか。そして、報告する意味がないものでしょうか。

あらゆる活動や価値を現金化することは可能か

重要な視点の一つは、「長期的であれ短期的であれ、非財務情報を数値化したり、それをキャッシュ・フローに明確に結びつけることは、不可能なことも多い」ということです。

フランスのケリング社などが自然資本プロトコルを見据え環境財務報告に果敢に挑戦しているように、ESG情報をキャッシュに換算していく試みが進んでおり、今後ICTやAI技術の発展によって飛躍的に可能になっていくことも考えられます。また、NGOを中心にインパクト評価も進んでおり、創出した社会的な価値を把握する試みも広がりを見せていくでしょう。こうした動きが重要であることは前提ですし、可能な部分は財務資本であれ、自然資本であれ、社会関係資本であれ相互の関係性を具体的にすべきであると考えます。
ケリング社 環境損益計算書 http://www.kering.com/en/sustainability/epl
社会的インパクトイニシアチブ http://www.impactmeasurement.jp/

それでも、すべての非財務情報が数値化でき、しかもそれが財務資本に換算できるというのは難しいのではないでしょうか。しかも統合報告が目指す長期の影響となるとさらに困難です。女性の役員が多いと10年後に営業利益がどれくらい高いとか、障がい者雇用比率がどれだけ高いと、どれくらいのキャッシュ・フローにつながるのかとか、そんなことを示さないと開示できないのでは、何も開示できませんし、開示までのコストや時間も計り知れません。統合報告の重要な役割は、「数値にし得ない定性情報からインスピレーションを与える機会を提供する」ことにもあるのではないでしょうか。まずは企業の方針やステークホルダーの関心などを勘案して、企業がそれに対してどう考え取り組んでいるのかを、できるだけわかりやすく伝えるということが重要です。なぜなら、儲かるからその活動をしているわけではなく、企業が目指す価値創造だからその活動をしている、という観点が統合思考なはずだからです。

今回は統合報告(企業報告)における問題提起と、報告の目的と手段の再確認を提起させていただきました。次回は少し投資家やアナリストの視点にも焦点を当ててみたいと思います。

アニュアルレポート不要論からIRの本質を考える 3

当たり前になりつつある「いい企業」への投資

企業情報をアニュアルレポートで多角的に表現していく機運の高まりは、社会的責任投資として成長してきたESG(環境、社会、ガバナンス)関連情報の投資への取り込みが、年金基金やアクティブ運用投資家といった主流の機関投資家に広がるいわゆる「ESGのメインストリーム化」によって促進されています。

国連が主導してESG投資を進めるPRI(責任投資原則)の署名機関数は45兆ドルの資産を代表する1300機関以上(http://www.unpri.org/about-pri/about-pri/)にのぼっています。PRIはファンドマネージャーがESG投資をするための手引(http://goo.gl/f8JyOY)を発行するなどして投資家サイドの啓発を行い、その中でも「アニュアルレビューなどによる情報収集」を促しています。

日本においても、JSIFの年金基金に関する調査(http://www.jsif.jp.net/#!pension-esg/cqjm)によると、8割の年金基金が「今後ESG情報は企業にとって重要」と答え、65%が既にそれらは企業の株価に影響を与えているとあり、出遅れていた日本における長期資金もESGを重視する方向にあります。

さらにはそういった投資家に情報を提供する情報ベンダーや情報提供機関も充実してきています。Bloomberg(https://www.env.go.jp/council/02policy/y0211-04/ref05.pdf)、Thomson Reuter(http://goo.gl/jFC8Qi)、MSCI(http://www.msci.com/products/esg/about_msci_esg_research.html)など大手情報ベンダーによるESG情報データ提供や、CDP(https://www.cdp.net/en-US/Pages/HomePage.aspx)による温室効果ガス、水資源、森林資源についての環境負荷情報収集と提供、FTSE 4 GOODやDJSIなどのサステナビリティインデックスの定着など、世界の投資市場はESG情報を取り込むのが当たり前になっていくものと思われます。


もはや読み手は投資家だけではない

ステークホルダー経営はもはやCSR分野の話ではなく、企業経営自体にも深く関係します。三谷宏治氏の『ビジネスモデル全史』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)における戦略的フレームワークの特徴においても、これからのビジネスモデルはステークホルダー全体を巻き込んで考えていかなくてはならないことが示されています。

企業と社会の価値創造を両立させることを説いたマイケル・ポーターのCSV(共有価値の創造)も耳にすることが多くなってきましたが、社会的価値創造とビジネスの対象がお客様からステークホルダーに広がるように、ARの対象も投資家からステークホルダーに拡張され、そのコミュニケーションから価値創造が生まれていく。ARはその最重要ツールに位置づけられるべきではないでしょうか。

そうしたツールであれば、例えば従業員が自社のビジョンや戦略、リスクと機会、財務の状況を総合的に把握する材料となり、顧客や社会に対して貴社の価値創造を伝えるブランディングツールとなり、公共機関やNGOとのオープンな対話のためのツールとして機能するものと成り得ると考えられます。(勿論、具体的なターゲットと用途はそれぞれ異なり、編集していく必要があります)

このようにARは市場の変革、社会の要請、ビジネスモデルの変容といった環境の激変のなかで、ステークホルダーと共にある企業として、ますます重要な情報開示・コミュニケーションツールへの進化していくものと考えられます。機関投資家向けの情報開示が必要とされる企業は、今こそARの在り方を見直す機会ではないでしょうか。

(※2015年3月の記事を元に作成)

地方創生映画“クハナ!”が照らす「価値」の意味

「価値」とは何か。人間は判断を理性的に行う生き物で、特に企業活動では「価値」はお金に換算できなくてはいけないと言う性があります。しかし、私が住む三重県桑名市のある映画づくりプロジェクトを通して、本当の価値とは何かというひとつのヒントを得られた気がします。その奇跡ともいえる挑戦をご紹介したいと思います。

前代未聞の映画づくり

それは桑名市を舞台に制作された、廃校寸前の小学校でジャズバンドを始めた生徒や、それを見守る大人たちの、笑いあり、涙ありのハートウォーミングな映画です。ストーリーの面白さや映画の完成度が高いことはYahoo!映画の新作評価ランキングで、総数は少ないながら1位をキープし続けたことからも折り紙つきですが、この映画の一番の特長は、その映画を作った桑名の町と監督、そしてその映画づくりが起こした奇跡の数々です。



そもそも、映画ができたきっかけは、夫の転勤で東京から桑名に移り住んできた一人の女性が、この町の魅力を伝えようと始めたブログでした。東京で知り合った『アンフェア』の脚本、『ドラゴン桜』の原作など数々のヒット作を手掛けた秦建日子氏が、そのブログを読んで「桑名で映画づくりも面白そうだな」と反応したところ、桑名の町を盛り上げたいと考えて集まっていた地元の有志の心に火をつけ、それに監督が応える形で現実化したのです。従って当初の資金はゼロ。成功の見込みがないどころか、大きなリスクを背負った出発でした。そんな状況でもこの挑戦に掻き立てたのは、「自分の作品が、視聴率とか出版部数とか興行成績というような数字だけでなく、一つの町に、社会に、様々な角度から貢献できるかもしれないという可能性」に、どうしようもない「やりがい」を感じたからとのことです。(引用『予想を超える化学反応。自分の街がもっともっと好きになる地方創生ムービー2.0というもの。』映画づくりの経緯はこちらに詳しく、かつ生き生きと描かれていますhttp://otonamie.jp/?p=22205

このように、この映画が実現した背景には、秦監督や、同じく立ち上げ時から音楽担当の立石氏などの新しい可能性への挑戦意欲と、桑名を愛する地元の有志(のちに「クハナ!)映画部に発展)による地元愛の相乗効果があったのです。その「クハナ!」映画部の代表、林恵美子さんに、この映画創りとそこから生み出した価値について伺いました。

奇跡の数々の原動力は、子どもたちのピュアさ


上記のように昨年電光石火のごとく立ち上がった映画プロジェクトですが、当然ながら「想い」だけでうまくいくほど甘くはなく、その困難たるや想像を絶するものでした。資金難や妨害者の出現、チーム内での衝突など、時間だけが刻々と過ぎる時期が続き、「本当に映画なんて作れるのか」と不安が募り、何度諦めかけたかわからないとのこと。

そんな時、乗り越える原動力となったのは、この地域を中心に選ばれた映画の主役である子役たちが、毎日楽器の練習を必死にしている姿でした。子どもたちが映画の完成を夢見てひたすら頑張って練習しているのに、大人の都合で諦めてしまうことは、絶対にできない。奇しくも、映画の内容と連動するかのように、子どもたちのピュアな気持ちが、大人たちの心を動かしていくのでした。

そして今年1/31のキッズ演奏お披露目会時に桑名市民会館大ホール1,000人動員を成し遂げると、風向きも変わり徐々に協力者が増えるようになり、3/31のクライマックスシーン撮影時には、年度末の平日という日程にもかかわらずエキストラ1,000人を動員、そして9/3のイオンシネマ桑名での初日公開挨拶満席(同映画館初)の快挙を成し遂げたのです。

映画はツール 始まりに過ぎない

この映画は、「地方創生ムービー2.0」と銘打たれていますが、低予算でも地域が力を合わせることで、誰が見ても楽しめる高品質な映画を創れる次世代型の映画の在り方を提示しています。しかし、林恵美子さんによると、「映画は始まりに過ぎない」とのことです。映画をつくって終わりではなく、そこでできた絆や活力を次につなげていきたいとの想いで、10年は映画をテーマにしたイベントを続けていき、桑名に芽生えた関係性を育てていきたいとのこと。

すでに『映画「クハナ!」メモリアル〜くわな子ども音楽祭 くわな えむ じゃんぶる』というイベントを10月に行うことが決定しており、地元の竹を用いたドームで子供たちが楽器を作り、ぶっつけ本番で演奏をして楽しんだり、地元の食を楽しむなど、「クハナ!」らしいイベントになりそうだとのこと。それ以外にも自主的に楽器演奏をするゲリラ的な動きも起こり、いずれは主体的に町の人々がテーマを持ち寄ってイベントをしていくなどのアイデアも出ているとのこと。

こうした次につながる、あるいは町に広がる連鎖反応と、地域や住民自身の再発見こそが、地方創生ムービー2.0と言われる所以であり、地域活性化なのではないかと思います。まさに映画が人々の最高の「コミュニケーションツール」に進化しているところです。


成功とは何か 価値とは何か  

さて、話を最初に戻して、それではこの映画が示す「価値」、あるいは「成功」とは何でしょうか。興行収入か評価ランキングか、アンケート結果か…しかし林恵美子さんの次のような言葉から、私は自分が価値の呪縛に囚われていることに気づきました。

「価値とか手段とかよく言われるけれども、最初から何もないところからスタートして大変だったからこそ、よかったんじゃないかと思います。自分たちで苦労したからこそ奇跡が起きたんだと思います」

この言葉から私は、目的のないところ、わくわくするところ、自発的なところから「活性化」が生まれ、それ自体もまた何物にも代えがたい価値であるということに気づきました。最初から数値や目的化でがんじがらめにすると逆に活力が死んでしまいます。

例えば最初から地域にお金があって、一流プロデューサーや制作会社がついてヒット映画を創ったとしても、それだけが成功と言えるでしょうか。自分たちで主体的に、苦労しながらも楽しんでゼロから創り上げたからこその価値があるということです。この取り組みが地域の他の団体からも注目されており、最初から予算ありき、開催が決まっていてやるよりも、本当に何かを自発的にやりたい人が考えて動いて参画していく方が良いのではないかと、地域イベントの在り方が見直されるきっかけになるかもしれません。

印象的なエピソードとして、この映画にはスポンサーの場所や商品などが随所に登場しますが、これはスポンサーとの契約や要求といったいわゆるプロダクト・プレイスメントではなく、監督が自ら映画に組み入れたものがほとんどとのこと。一番苦しい時に、志を買ってポンと大金を出してスポンサーになってくれた企業ほど見返りを求めず、ただじっと支えてくれた、そんなスポンサーへの「恩返し」なのです。この善意と善意のつながりもまた、この映画の隠れた見どころです。


ややもすると現在の資本主義経済は、短期にしろ長期にしろ、感動さえも、「いつかお金につながらなければ価値がない」という理論さえ成立してしまう世界です。そうしたなかで、資本主義経済さえも、この桑名の映画と同じく、人間のそれぞれの暮らしと、幸せのためにあるひとつのツールなのではないかということを、思い出させてくれました。どのような町にも、企業にも、そこに生きる・働く人々の、情熱やこだわり、感動、そして日々の生活があり、それ自体もまた貴重な価値であることを忘れないようにしたいものです。

クハナ! 9/3から東海地区先行上映中 10/6から全国ロードショー http://kuhana.jp/

統合報告に挑むために、どの本を読むべきか

財務報告のみならず、リーダーシップや知財、ESG(環境、社会、ガバナンス)などの非財務情報を含めて、価値創造ストーリーとして開示する新しい時代の企業報告である統合報告。海外主導で始まった統合報告ですが、日本でも右肩上がりで急速に広がりを見せ、昨年大手企業中心に200社以上が発行、今年新たに発行を考えている企業も多い事でしょう。そこで今回は企業のリーダー層始め、実務担当者が参考にできる本の数々をご紹介します。


■最初に読むべきガイドライン

多くの関連書籍が出ているが、扱う内容はさまざま。目的に合わせて指針となるものを選びたい
まず前提として、書籍ではありませんが、統合報告を進めるうえで把握すべきガイドラインをご紹介します。国際統合報告フレームワーク、GRIガイドライン(第4版)、OECD多国籍企業行動指針、ISO26000、そして日本ではコーポレートガバナンス・コード、といったものが挙げられるでしょう。

それらは概して非常につまらないもので、また難解でもあり、読んでいて眠たくなることもあるかもしれません。しかし極めて重要なものなので、覚えてしまう必要はありませんが(全部覚えている人はいないと思います)、必ず一読する必要はあるものと思います。そのうえで、統合報告の参考になる市販本をご紹介します。目的によってどの本を選択すべきかの参考になればと思います。


■統合報告の本質をつかむ

まず、必読と言ってもいいのは今年6月に出版された『統合報告の実際』(2015)でしょう。国際統合報告評議会カウンシルメンバーのロバート・Gエクレス氏らによる本書では、国際統合報告フレームワーク(以下FW)の策定の経緯やその狙いと課題、さらには優良事例の分析から統合報告の重要概念であるマテリアリティについての深堀、そして統合報告の将来の可能性まで包括的にまとめられています。

それらは詳細で、本質的かつ公正であり、多くのデータや研究と深い分析をベースに書かれており、情熱と信念を感じるものとなっています。統合報告について何か読もうと考える方はぜひともこの書をお読みください。まさにあなた自身が、この壮大なプロジェクトの一員なのだと感じて力を得ることでしょう。

両氏が以前発行した『ワンレポート』(2012)では、透明性の高い報告を行い、社会課題に取り組む企業の経営成績が良いことを数々のデータと共に示しながら、新しい時代の報告の在り方を炙り出し、ノボ・ノルディスクやUTC、リコーと言った統合報告の先駆的企業の事例を挙げつつまとめ上げており、こちらも統合報告の経緯を知るうえで大変参考になるかと思います。


■統合報告を実務の観点から理解する

上記2冊は統合報告の本質に最も近い著作であると思われますが、ではどのように統合報告を進めていけばいいのかについては、新日本有限責任監査法人 市村清氏監修の『投資家と企業との対話』(2014)が参考になるでしょう。特に第二部においてFWに照らし合わせつつ、ビジョンや長期計画の設定やガバナンスの重要性など、どのようにそれを考え、実行していけばいいのかの勘所について掲載されています。

同じく市村清氏監修の『統合報告 導入ハンドブック』(2013)は(FWができる前のものですが)、ドラフトをベースに統合報告の考え方をわかりやすく解説してあり、初めて統合報告に取り組む方には参考になるものと思われます。(最後の「アニュアルレポートとCSR報告書等を1冊にまとめてみましょう」については媒体を1つにするという意味では捉えない方がいいでしょう)

尚この2冊は、日本において統合報告に取り組むにあたって実際的な観点で、平易な文章でまとめられていますが、具体的な「作り方」は書かれていませんのでご注意を。(理由は最後をご覧ください)


■様々な観点から統合報告を捉える

日本における現状の情報開示形態からどのように非財務情報を統合的にすり合わせて作り上げていくのか、有価証券報告書などの法定開示を意識しながら、多くの有識者の観点を集めて記載している宝印刷総合ディスクロージャー研究所『統合報告書による情報開示の新潮流』(2014)も、日本の現状からその開示の問題を扱ったものとして興味深いものです。国内事例として、武田薬品、オムロン、フロイント産業のキーパーソンへのインタビューもあり、統合報告への挑戦の現場の声として興味深いものになっています。

個人的なお気に入りとしては京都大学経済学博士の越智教授による『持続可能性とイノベーションの統合報告』(2015)です。財務・非財務、ハードロー・ソフトローの統合の本質的な問題点と解決法、戦略やリーダーシップ不在の日本企業の課題などからどのようにイノベーションに結び付けて「統合」していけるのか、広範な知識による深い分析が織り成されています。

論文的な緻密さのため、読み解くのは大変ですが、非常に示唆に富んでいます。第三部で展開されている監査・保証業務についての分析も、統合報告の信頼性をどのように担保し得るのか、監査の在り方にもイノベーションが必要であることが浮き彫りにされています。

このほか他者事例やベストプラクティス紹介と言う意味では、同類の分析資料として無料で手に入る日本公認会計士協会の『国際統合報告の事例研究』が大いに参考になるでしょう。神戸大学の名誉教授である古賀氏が中心に統合報告の発行形態から海外のベストプラクティスをまとめた『統合報告革命』も最近発行されています。


■統合思考経営を理解するための海外書籍

直接統合報告に言及する本ではないものの、社会と事業のサステナビリティを両立させるための海外著者の良書として、2冊ご紹介します(単純に読んで面白いのはこの2冊でしょう)。

アンドリュー・サビッツ氏の『サステナビリティ』(2008)では、なぜ企業がステークホルダーの意見を踏まえて事業活動すべきなのか、その最たる実例を挙げつつ、企業と社会のニーズがマッチする「スイートスポット」を見つけ出す手法と、実務担当者がサステナビリティ報告をするための具体的なてほどきが描かれており、グローバルな視点から事業と社会価値創造の統合という意味でのサステナビリティを把握できます。

また、ロンドンビジネススクールのリンダ・グラットン女氏の『未来企業―レジリエンスの経営とリーダーシップ』(2014)では、グローバル企業の実例に即しつつ、激変する市場環境下で生き残るために、企業が成すべきことについて述べられています。

サイロ(縦割り)的な組織運営を打破し、社外のネットワークを駆使しつつ、社内の活力を取り戻し、一見お金にならない活動に長期的な視点で投資し、レジリエンス(元に戻る力)を醸成すべきとあり、それを成し遂げる新しいタイプのリーダーと経営への期待が述べられています。まさに統合報告の目的と合致する内容と言えるのではないでしょうか。(マイケル・ポーター氏の「共有価値の創造(CSV)」についても無論参考になると思いますが、話が広がり過ぎるのでここではあえて触れません。)

以上、現状まだ多いとは言えない統合報告関連の書籍についてまとめてみました。制作実務ノウハウについてはそれほど多くありませんが、これは統合報告が画一的な制作技術で制作する質のものではないこともあるかと思います。

それぞれの企業で、統合報告の目的や意義を理解し、自社の目指す未来と、社会に創出していくべき価値とは何で、そのためにどのように体制を整備し、実施し、表現していくのか、これを議論・共有しながら自社ならではの開示を試行錯誤していく必要があるのでしょう。その旅路(journey)のお伴に、これらの本が役立てば幸いです。

2030年までに人類が解決すべき「持続可能な開発目標」

2000年に国連が主導して人類が2015年までに解決すべき目標を打ち出し、非政府組織、国、企業などが連携しながら取り組んできたミレニアム開発目標(MDGs)。おそらくほとんどの日本国民はご存じないかと思いますが、例えば世界の貧困や幼くして亡くなる子供をなくすとか、エイズやマラリアを根絶するとか、女性の地位を向上するとか、環境問題解決に取り組むなどなど、特に途上国を中心とした大きな課題を集約したものとして、最も大きいコンセンサスが得られたものでした。

私自身、この目標を知った時には、どこか地に足がついていないような、本当にそんな事が可能なのか大いに疑問を持っていましたが、例えば、最終報告書によると、2000年からの15年で極度の貧困から10億人以上の人々が脱却したり、開発途上地域における栄養不良の人々がほぼ半分になるなど、非常に目覚ましい成果を上げています。これらの成果はサステナビリティを考えるうえで極めて重大なものであると考えられます。
MDGs最終報告 
それらの成果に疑問を抱く声もありその計測方法や取り組みの内容に一層の改善は必要ですが、少なくとも世界の課題解決に向けた最大の拠り所として共有すべき目標であることは確かでしょう。(http://urx2.nu/ondT

さて、道半ばのMDGsの後を継ぎ、2016年から新たに「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)が定められ、先月25日に国連で採択されました。これは、途上国中心の課題から、人類全体の課題へと大きく対象を拡大し、経済・社会・環境(トリプルボトムライン)を踏まえてさらに意欲的に世界のサステナビリティを確保しようとする17の大目標を中心としたものです。

持続可能な開発目標

目標 1. あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる

目標 2. 飢餓を終わらせ、食糧安全保障および栄養改善を実現し、持続可能な農業を促進する

目標 3. あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する

目標 4 . すべての人々への包括的かつ公平な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する

目標 5. ジェンダー平等を達成し、すべての女性および女子のエンパワーメントを行う

目標 6. すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する

目標 7. すべての人々の、安価かつ信頼できる持続可能な現代的エネルギーへのアクセスを確保する

目標 8 . 包括的かつ持続可能な経済成長、およびすべての人々の完全かつ生産的な雇用とディーセント・ワーク(適切な雇用)を促進する

目標 9. レジリエントなインフラ構築、包括的かつ持続可能な産業化の促進、およびイノベーションの拡大を図る

目標 10. 各国内および各国間の不平等を是正する

目標 11. 包括的で安全かつレジリエントで持続可能な都市および人間居住を実現する

目標 12. 持続可能な生産消費形態を確保する

目標 13. 気候変動およびその影響を軽減するための緊急対策を講じる*
*国連気候変動枠組条約(UNFCCC)が、気候変動への世界的対応について交渉を行う一義的な国際的、政府間対話の場であると認識している。

目標 14. 持続可能な開発のために海洋資源を保全し、持続的に利用する

目標 15. 陸域生態系の保護・回復・持続可能な利用の推進、森林の持続可能な管理、砂漠化への対処、ならびに土地の劣化の阻止・防止および生物多様性の損失の阻止を促進する

目標 16. 持続可能な開発のための平和で包括的な社会の促進、すべての人々への司法へのアクセス提供、およびあらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のある包括的な制度の構築を図る

目標 17. 持続可能な開発のための実施手段の強化し、グローバル・パートナーシップを活性化する


我々の世界を変革する: 持続可能な開発のための 2030 アジェンダ(仮訳)

策定プロセスや今後の政策展開については以下が参考になります。
http://sus-cso.com/sutainability/wp-content/uploads/2015/09/MOE-mizushima.pdf

日本においてこの問題に取り組む主な団体としてサステナビリティCSOフォーラムがあり、様々な情報提供を行っていますのでご参照ください。


ミレニアム開発目標についても多くの企業がCSRやサステナビリティ課題としてこれらを大いに参考にして活動に組み込んでおり、今後、世界の課題を把握して取り組まねばならないグローバル企業を中心としたステークホルダー経営を標榜する企業にとって大いに参考になる目標となります。

+MDGsへの企業の取り組みの参考(HP、ネスレ、三菱商事など)
 http://www.21ppi.org/pdf/thesis/060309.pdf
+オリンパスのMDGsへの取り組み
 http://www.olympus.co.jp/jp/event/picturethis2010/
+Philipsは既にSDGsへのコミットメントを大きく掲げています
 http://www.philips.com/philips/shared/assets/global/sustainability/downloads/Philips-SDG-Infographic.pdf
+Novo Nordiskも早くもこの合意を歓迎し、健康面の目標に取り組むことを表明
 http://www.novonordisk.com/about-novo-nordisk/default/positions/post-2015-development-agenda.html

また国連グローバルコンパクトにおいてもミレニアム開発目標を推進しており、持続可能な開発目標に受け継がれていくことは間違いありません。

ここにおいても、特にその企業にとって関係の深い課題に積極的にコミットしていくマテリアリティ経営が中心となると思いますが、グローバルなステークホルダーの関心や社会課題を踏まえて長期的な価値創造を達成していきたいビジョナリーな企業(やそれを促進する制度や投資、市民社会)が課題解決の主役になっていくことは想像に難くありません。

サッカーで民族紛争を乗り越えるボスニアと日本の架け橋

最悪の民族紛争の地で、日本人がサッカーを通して民族融和に挑戦したプロジェクトがあることをご存知でしょうか。今回はそのプロジェクトの紹介と、戦後70年を迎えた日本のこれからを考え、サッカーの力を考えるのにふさわしい機会についてお知らせしたいと思います。

サラエボ・フットボール・プロジェクト

その男森田太郎氏は、静岡県立大学国際関係学部の同期生であり、当時からバイタリティに溢れた学生でした。ちょうど大学時代の1999年、タジキスタンで凶弾に倒れた国際政治学者秋野豊氏の基金を生かした第一回秋野豊賞に、森田氏のボスニアにおける民族融和サッカープロジェクト案が選定され、「サラエボ・フットボール・プロジェクト」が立ち上がりました。

それは、1992年から1995年まで続いた民族紛争の傷が、人々の心に深く残るそのボスニアの地で、サッカーを通して子供たちの心から民族の壁を取り除こうとする壮大なプロジェクトでした。小さい頃、バスケットボールの国際試合をテレビで見ていて、ユーゴスラビア代表が民族の違いで分裂した様を目の当たりにした際の率直な疑問から、彼のユーゴスラビア(その後ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア・モンテネグロなどに分裂)への関心は始まりました。その後ボスニアでの民族融和のためのNGO活動に参加すべく現地へ渡った森田氏は、戦争を経験しない子どもたちからさえ、他の民族を憎む声を聞き、「このままではいけない」と強く思ったことが今回のプロジェクトのきっかけとなったそうです。

森田氏の学生時代の著書である『サッカーが越えた民族の壁』によると、FCクリロと言うそのサッカーチームが、いかに子供たちの心の壁、そしてその親の心の壁を、その人たち自身が乗り越えて「チーム」になっていったかが、克明に描かれています。当時その本を読んだ私は、かつて殺しあったクロアチア人、セルビア人、ボスニアック人(アイウエオ順)の3民族がひとつのチームでボールを蹴る夢のような事が、日本人がきっかけをつくって実現したことに、日本のこれからの役割を見た思いがしたものです。ちなみに元日本代表監督のオシム氏はこの挑戦に共鳴し、その後群馬で新しく立ち上がったサッカークラブの命名を依頼され、「FCクリロ(翼)」と同じ名前を薦め、日本でも同じ「クリロ」が今でも活動を続けています。

日本初の貴重なツアーが今年8月に

一方、「サラエボ・フットボール・プロジェクト」を進める団体ZONE BiHは、ボスニアと日本の架け橋となるべくその後もボスニアと日本双方で活動を続けており、この度遂にHISとコラボレーションしたスタディツアーが決定しました。これは、森田氏が育ててきたボスニアでの民族融和活動の粋を、現地スタッフやサッカー、そして美しい世界遺産や現地文化が詰まった食事などと共に実体験し、学べる、間違いなく他にはない唯一のツアーです。日本で戦後70年、ボスニアで戦後20年を迎え、日本の安全保障も変節を迎えている今、周辺諸国とどのようにつきあっていくべきか、日本が世界の平和にどういった役割を果たすべきかを、まさに戦争を経験した人々の「実体験」から学びつつ、サッカーや文化と言った観光まで楽しんでしまえるツアーです。今回は8月17日のみの催行であり、森田氏自らが案内する限定ツアーです。定員が少ないため、お申し込みはお早めにどうぞ。

詳細はこちら http://eco.his-j.com/volunteer/tour/TF-BHI-SSJ-SOCCER

森田氏の目指す未来

現在東京都内で教員をしながらこの活動を続けている森田氏によると、彼が目指すのはボスニアの戦後復興と日本との懸け橋になること。平和のためにはやはり経済的な安定が重要であり、そのためには現地に雇用を増やさなくてはなりません。ボスニアには多様な民族があるからこそ織りなす多彩な食文化や観光資源があります。森田氏は、今後はそうした価値を生かして企業教育や、商品開発のコーディネートなどにも関わっていきたいとのこと。また、戦後70年で戦争を知る人が少なくなってきた日本において、周辺諸国との緊張が高まる中、ほんの20年前まで民族の違いによって戦争をしていたボスニアの経験と悲しみ、そして希望から得られるものは非常に大きいと森田氏は語っています。

オシム氏やハリルホジッチ氏と、2名もボスニア・ヘルツェゴビナから日本代表監督になり、これは奇跡的なことです。森田氏のような情熱と信念を持った若者が地道に活動を進める事で、ボスニアと日本との関係性も深まっていくことでしょう。

東欧と言えば西欧諸国へ製品を供給するための工場として日本企業の進出も進んでいますが、グローバル経営を進めていくなかで、バルカン地域における地域コミュニケーション、コラボレーション、社会貢献企画を考えたい企業は、現地文化への理解が深く、ネットワークが広い森田氏に相談してみてはいかがでしょうか。

戦後70年、戦争の記憶が薄れていくなか(記憶すらない人が増えるなか)、情報だけが爆発的に増える一方、自由になる時間は少なくなり、自ら考えて意見を持つこと自体難しくなってきている時代です。歴史に翻弄され、絶望と希望を実体験として味わってきた「ボスニア・ヘルツェゴビナ」と、自らが生まれ育った日本を愛する森田太郎氏は、二つの国をつなげることで、そうした今の「風潮」に一石を投じているのだと思います。日本人に課せられた平和への責任は、一人ひとりの今にあるのだと。

アニュアルレポート不要論からIRの本質を考える 2

もう「アニュアルレポート不要論からIRの本質を考える 1」を書いてから、2年半がたってしまいました。全部で3部作の長編大作に仕上げるつもりでしたが、原稿を書いた後でパソコンがパンクしデータが吹っ飛んで挫折してしまい、今日まで日本中のアニュアルレポート不要だと思うけどどうしようと答えを求めて検索していただいた方の期待を無下にしてしまったことをお詫び申し上げます。あれから2年半、世の趨勢は大きく変わり、アニュアルレポートは不要どころか、その役割がますます増大しているため、そもそもこのタイトルもどうかと思いますが、ケジメとして第二編をお送りいたします。


投資家の意思決定に資するAR

バリュー投資家として世界で最も有名と言ってもいいウォーレン・バフェット氏やコモンズ投信の伊井哲朗社長などアニュアルレポートを読む投資家層は、特に長期投資に多いようです。

前回も述べましたが、アニュアルレポート評価法を確立したローラ・J・リッテンハウス氏の著書を訳した『信頼できる経営者を見分ける法』では、主にバークシャー・ハサウェイとエンロンが比較されアニュアルレポートの質の差を大いに論じて、その必要性が説かれています。

また、投資家の企業情報への関心を調査した米のレポートでは、約半分の投資家は投資先のアニュアルレポートをフォローしている事が述べられています。

割安銘柄に投資するにしても、成長銘柄に投資するにしても、企業が自主的に自社のビジョン、成長性や競争優位、リスク認識や財務分析を投資家向けにまとめているアニュアルレポートをまったく読まずに投資決定するということは、有り得ないのではないかと考えられます。

確かに読まない投資家層も存在しますが、自社を理解してくれる投資家による長期投資を呼び込みたいのであれば、それにふさわしいアニュアルレポートを作成する必要があるのではないでしょうか。そのためには、すでに開示されている情報を翻訳して表紙と色・写真をつけただけではあまり作る意味がないでしょう。

では、どのようなものをつくっていけばいいのでしょうか。


ARに課せられた新しい役割

これについては、企業価値あるいは企業情報開示の新しい在り方についての議論が活発になってきており、ヒントになります。まず、日本においては日本再興戦略によって日本版スチュワードシップ・コードコーポレート・ガバナンスコードが策定され、昨年8月伊藤レポート(伊藤邦雄 一橋大学大学院教授)においても企業と投資家のコミュニケーションの在り方を中長期投資へ変革していくべきとの主張が具体化されています。 

そのためには、企業はステークホルダーとのコミュニケーションを重視し、ビジョンや長期目標を明確にし、その達成のためのガバナンスを確立し、投資家から預かった資本のコストを理解し、継続的に利益を創出、還元していく姿勢が求められています。

投資家とのコミュニケーションとともに、そうした市場と社会のニーズにも応えていく経営と開示が求められていると考えることができるでしょう。そうしたこれからの健全な企業と市場のコミュニケーションに資するエンゲージメント(目的をもった対話)を深めるための中心となるツールがARであると考えられます。


ARは統合報告へ進化するか

その伊藤レポートでも期待されている企業報告の新しい形である「統合報告」については、2013年末に長期的な企業価値創造プロセスを簡潔に表現した「統合報告書」の国際的なフレームワークが発表され、そのさらなる進化を促しています。

これは短期・財務情報中心の報告、分断された報告から、長期の包括的な企業の価値創造を報告するスタイルへのシフトであり、今まさに報告システムの変容のただなかにあります。

ここで述べられている「価値」や「資本」の概念は、従来の財務的なものだけではなく、従業員や知的財産、ブランド、地域との関係、環境資源などのいわゆる「非財務情報」にまで拡張されています。

ここで注視すべき観点は、アニュアルレポートの活用は企業サイドだけの問題ではなく、投資家サイドもどのように非財務情報を長期投資に活かせるか悩んでいるという事です。これは、投資家の「今」のニーズだけに応えてアニュアルレポートを作成していると、逆にダイナミクスに欠ける短期志向に陥る可能性があるということです。投資家とのコミュニケーションを前提としながらも、広くステークホルダーの声に耳を傾けながら、その企業ならではの価値創造を伝えていくことが求められてきています。


次回は、遂に感動の最終回です。長期投資が進む過程でいやがおうにも関係してくる社会課題、ESGなどとの関係性について述べて結びたいと思います。次回はパソコンが爆発しても他に公表した原稿ですので挫折することはありません。しかし、もったいぶって少し間をあけさせていただくことをお許しください。

もう一つの民主主義を、「企業レポート」で育てる3つのアイデア

突然ですが、あなたは何のために選挙に行きますか? 政治が変わると生活が変わるからでしょうか。民主主義の要だからでしょうか。そうだとするなら、生活に絶大な影響を及ぼす「もう一つのシステム」にも主体的に関わる選択肢もあるかもしれません。そうです、「企業」です。特に大企業の売上高は今や国のGDPランキングの上位に来るほどの経済的インパクトを持っています。グローバル資本主義下における市民は、国だけでなく企業活動にも目を光らせ、参画すべき時代と言えませんか? ここでは「企業レポート」の役割を民主的に、と言ってもあまり力まず無理のない範囲で加速させるための案をまとめてみました。

■ 企業レポートとステークホルダー

ここで言う企業レポートとは、主に上場企業が年次で発行している、アニュアルレポートやCSR(サステナビリティ)レポートといった発行物のことで、企業のWEBサイトで閲覧が可能です。

アニュアルレポートには主に投資家向けに経営戦略や財務情報等が掲載されています。CSRレポートには、企業が社会的責任を果たすための環境・社会・ガバナンスなどのESG情報等が掲載されています。誰しも聞いたことがあるほどの大企業であれば、およそ発行していると思います。

これらのレポートは日本再興戦略における投資家と企業のコミュニケーション促進への動きや、昨今の世界的なサステナビリティへの関心の高まりにより注目度が高まっているものの、さらなる影響力の強化が必要と考えられます。(実際に冊子を取り寄せたい方は「エコほっとライン」を検索してみてください。)

あなたの生活に深くかかわっている企業、例えばあなたが働いていたり家族や友人が働いている企業、よく購入している商品を売っていたり、作っている企業、工場が近くにある企業などがあると思います。

その場合、企業からすればあなたが「ステークホルダー(企業の影響を受けている人)」と言う事になります。企業は今、ステークホルダーの意見を包摂しながら経営をしていくことが求められており、このアイデアが効果を発揮しやすい環境が整ってきていると思われます。それでは具体的な企業との関わり方を3つお伝えします。

1 企業レポートを読んで意見する

関わりの深い企業のレポートを取り寄せるか、WEBで開くかしたら、注意深く、かつワクワクしながら読み進めましょう。しかめっ面をしないと読めないものも多いですが、最近は表現力に富んだわかりやすいレポートも増えてきました。

モスバーガーのコミュニケーションレポートは店舗でお客が読むことを想定していますし、富士ゼロックスのサステナビリティレポートは重要課題をストーリー調にまとめてあり読み応えがあります。政党の選挙公約よりは楽しく読めるのではないでしょうか。さて、根気強く読み終えたら感じたことや考えたこと、企業と社会がより良くなるためのアイデアや懸念事項を企業に伝えましょう。

アンケート用紙が挟まれているなど、連絡先が記されているはずですが、わからない場合は、企業の代表メールでもいいでしょう。この記事を読まれている殊勝な方は、何かしらサステナビリティやビジネスに造詣の深い方と思われますので、それぞれの知見をフィードバックされるだけでも見事なプロボノではないでしょうか!? 

なお、発行していない場合は、発行するよう意見する必要があります。特に非上場企業は法的な定めのある情報開示が限られるため、大企業であっても開示に消極的な企業が多いですが、非上場とは言え株主・投資家以外のステークホルダーへの影響は上場企業と変わらないはずであり、CSRレポートの発行が期待されます。

2 企業評価を伝える

企業についてある程度自分なりに知り、意見を持つことができたなら、それを家族や友人に話してみましょう。ブログやフェイスブックにアウトプットするのもいいかもしれません。「○○自動車は従業員の健康や喫煙率にも気を配っていてすごい」「いや、やり過ぎじゃないか」「○○建設は、環境経営に力を入れているけれど、木材の調達先についてあまり書いてないね」みたいな議論が出てくるかもしれません。

だいたいは「いいね!」で終わりかもしれませんが、ともあれ発信することが大切です。ネットを利用してオープンに意見交換できるプラットフォームが整備されれば、そうした流れは加速するかもしれません。その場合は実名でお互いを尊重した議論が必要になると思われますが。

3 株主として意見する

例えば、自分の応援したい企業が見つかったら、商品を買うのもいいですが、長期保有を前提として株主になってみてはいかがでしょうか。株を買うと企業のことをさらに応援したくなると共に、複眼的な企業評価が可能になることでしょう。

そうした立場から意見することで、自らの見識も深まるとともに、企業サイドもより耳を傾けてくれるでしょう。株式を保有するという事は、企業のオーナーになるということでもありますから、取締役の選任などの議決権も得ることができ、より深く企業に関わることができます。

その際に参考になるのは、アニュアルレポートや、まだ数は少ないですが急速に増えている「統合レポート」です。その企業の戦略、ビジネスモデル、財務情報に加えてリスク情報、ガバナンス、環境・社会経営なども含めたいわゆる非財務情報も加わり総合的に把握できて非常に便利です。まだ発展途上ではあるものの、今後はより財務と非財務の関わりも見えやすくなっていくことでしょう。

なお、株式投資は元本割れをするリスクもありますので、売買は自己責任でお願いします。

■ 重要なのは逆の立場を考えること

最後に、コーポレートコミュニケーションを促進するための前提条件について。意見する際には、一方的で感情的なものでは聞き入れられないので、企業及びその他のステークホルダーの立場を考えつつ、課題解決への提案・アイデアとして行う必要があります。企業としても開示するのはコストも手間もかかり、何より勇気がいることです。

建設的な意見や課題の指摘を行う人が増えることで、多様なステークホルダーのアイデアが企業活動や開示情報の改善を触発する良い循環が生まれるのではないでしょうか。

ということで、2000年代に入って加速度的に発展を遂げてきた企業レポートの役割拡大を民主的に促すという少し目線を変えた提案をしてみました。「民主的に」と言うのは、民主主義は政治のみが対象とは限らないし、必ずしも多数決である必要もないのではないか、ということを含意しています。

企業活動について、意見したい人が主体的に意見し、企業と社会の関係性についての目利き力をも養う機会が「企業レポート」を通して可能となることを願っています。私もさっそくCSRレポートを取り寄せて熟読し、自分なりに良い点、悪い点をフィードバックしてみました。皆さんもこれを機に、企業レポートを通したもうひとつの民主主義を育てていきませんか? 

※この記事はオルタナコラムニスト CSR monthlyの記事と同じものを掲載しています。

『ビジョナリーカンパニー』と『トヨタウェイ』の甘い関係

1.誤解を覆す『ビジョナリーカンパニー』

長期的に成功を収めている優れた企業に私たちが抱いている誤解とはなんでしょうか?

長期的企業分析の名著『ビジョナリーカンパニー』によると、企業の成功要因は、完璧なビジネスモデルをもっていることでも、カリスマ的な指導者がいることでも、利益や成功のためにひた走っている企業でもありません。

優れた指導者とは、「時を告げるのではなく、時計を作った」指導者です。それは、自分がいなくなった後も永続的にその企業が何のために存在するか、その理念(ビジョン)を伝え、文化を植え付けた指導者のことです。

理念を実行し続ける文化さえ作り上げることができれば、時代と共に経営者やビジネス、そして事業領域さえ変わっても、その企業は成長し続ける、そんな分析が『ビジョナリーカンパニー』では成されています。

驚くべきことに『ビジョナリーカンパニー』の1926年から1990年までの主なそのライバルと比較された株式の累積総合利回りは、その5倍以上に膨れ上がっています。

しかし、この本に賛同すればするほど、賛同できないことがひとつあります。
それは、『ビジョナリーカンパニー』に「トヨタ自動車」が入っていないことです。

『ビジョナリーカンパニー』にはフォードが選ばれ、その対比としてGMが示されていますが、読めば読むほど(と言うほど読み込んではいませんが)、トヨタの企業経営がまさにビジョナリーではないかと思えて仕方ありません。そのトヨタの経営姿勢について非常に良く分析された『トヨタウェイ』の内容をご紹介しながら、トヨタがビジョナリーである理由を訴えていきたいと思います。いつか「ビジョナリーカンパニーインデックス」ができた際に採用されるように。


2.凄みを感じるトヨタの経営

現在、東海地方に身を置く私としては、常日頃トヨタの経営には注目しており、トヨタがいかに凄い企業かは、『トヨタウェイ』を読むまでもなく、そこかしこで話題となっています。

特に、数年前円高や東日本大震災でメーカーがこぞって海外に生産拠点を移す中、国内生産300万台死守の旗印のもと、あえて東北地方を製造拠点にすべく本気の投資を行ったことは、自己都合で工場を閉鎖したことがない(2017年オーストラリア撤退の苦渋の決断をしたようですが)と言う大山田会長の昨年のCSRレポート2013の言葉も相まって、「サプライヤーを背負っている」、そして「日本を背負っている」、と言う信念を見せつけられた思いでした。(政策面でいろいろ配慮してもらっているということもあるかもしれませんが) 

10月3日の日経新聞トップの「革新力」では、トヨタが数十年単位で技術開発を行っていることが、述べられています。次世代の夢の電池とされる「全個体電池」に至っては、創業者の豊田佐吉氏の発案だとか…。彼らは今、交通事故と言う、自動車社会の大きな副作用を乗り越えるべく真剣に研究を進めています。(勉強時間を奪う、肥満を増やす、金銭的にも身体的にも子供を危険にさらすなどの副作用を伴うネットゲームの制作・運営会社及びスマートフォン販売・メーカー企業にもぜひ見習ってほしいものです。)

『トヨタウェイ』によると、トヨタが絶好調だった1980年代に、「絶好調すぎて危ない」というもの凄い理由から危機感を持ち、「21世紀のための車を開発せよ」の指令の元、プリウスへの超先行投資が行われました。これは企業の存続のために、長期的な観点から取り組んだものであります。


3.TPS導入はビジョナリーな所業、そして・・・

さて、トヨタウェイの原動力でJust In Time、自働化などに代表されるTPS(トヨタ生産方式)の他企業への導入は意外と難しいようです。劇的に効率化しコスト削減されることにより「儲かる」とわかっているのに難しいのは、TPSを海外の工場に根付かせるのに10年も必要だったとのこと。また、トヨタが成功した後、海外の企業がそれを真似しようと思ってもなかなかできなかったことからも想像がつきます。

TPSを導入するのに難しいのは技術でもツールでもコストでもなく企業文化を変える必要があると言う事でした。これは長期的な観点のもとトップがコミットメントを行い、役員や中間管理職が理解し、積極的にカイゼンを行っていく仕組みを活かしていかなくてはならないという事からも言えます。従って、他の組織にこれを根づかせるには、その組織の文化を掘り起こし、それを活かしたうえで導入していく必要があると書かれています。企業理念を浸透させ、文化を創造し、長期的な価値を築いていく・・・これこそまさにビジョナリーカンパニーの条件だと思います(勿論あらゆる概念は、論理的な妄想であると言う前提を忘れているわけではありません)

しかし、この時私は気づいてしまいました。このTPSの企業への導入の本質が、何かに似ていることに・・・そうです、サステナビリティや統合思考の組織への導入についてもまさに同じことが言えるのではないでしょうか? 

成果が示されていても、それを理解し、積極的に推進し、組織文化を変えていく継続的な仕組みと力がなくては、本当にそれを導入することはできないという意味で、サステナビリティを経営に取り込むことも、TPSを経営に取り込むことも同じ問題を抱えています。

トヨタウェイは企業理念と密接に結び付いた革新的でビジョナリーな「時計」であり、サステナビリティ戦略とも重なる部分が多く、トヨタウェイ自体最も優れたサステナビリティ経営とも言えるでしょう。サステナビリティをいかに現場の活動に浸透させるのか、トヨタウェイが大きな参考になるに違いありません。

ということで、今回は「ビジョナリーカンパニー」に始まって、「トヨタウェイ」に関連付けしつつ、「サステナビリティ経営」の参考とするという強引かつスペクタクルな展開にしてみました。

『日本人とアイデンティティ』〜河合隼雄の生き様

マニアックな趣向を持っている私にとって中古品売り場は宝の山であります。ブックオフで105円で手に入れたユング心理学の第一人者である故河合隼雄氏の『日本人とアイデンティティ』では、現代の日本人に根づく心理と問題の諸相が巧みに喝破されています。それは心理学者としての知識や技術ではなく、深い問題を抱えた一人の人間に向き合う全人格的な覚悟を表現したものでした。

想えば、難題と辛抱強く向き合うことに、私たちはそう慣れていないように思います。特に、効率的な社会システムをベースに分業や役割が明確に決まっている現代社会において(中にはそれすら決まっていない組織も多々ありますが)、その枠を超えた全人格的な難題への挑戦をする機会も経験もどんどん不足していきます。企業の海外進出でも、ベンチャービジネスではそうした経験が何より重要になるのだと思いますが、その問題が最も大きく表出するのは、何よりも「子育て」という非常に身近で、それでいて社会の根幹に関わる人の営みにおいてではないでしょうか。

つい最近も子どもによる陰惨で理解不能な事件がありましたが、そのような特殊な事件を持ち出すまでもなく、あらゆる子どもが持つ、いえ、あらゆる人間がもつ危うさについて、私たちは再認識すべきではないかと考えさせれられます。それは、子どもと大人の間にある誰にも見えない不確かな境界線のことかもしれません。

子どもが大人になるまでに経なければならない現実の過酷さと残酷さを覆い隠す過保護な優しさ、あるいは子どもが自由に抱いていい夢を現実の名のもとに押しつぶす身勝手な教育、そうしたものが子どもの社会への順応を阻んでいるのではないかと、本書では書かれています。

そして、最も大切なのは、何より一人ひとりの、ひとつひとつの想いや課題に、真摯に向き合う、ただそれだけであると、そしてそれが何より難しいと、河合氏は述べています。

本書の中では現在取り入れられつつある、傾聴の重要性、児童と老人の共通の場や居場所づくり、創造性を育む教育など、ホリスティックな課題解決法への洞察が多く読み取れます。そして、それらは、単純化やシステム化によって覆い隠されている人間の危機を緩和するためのヒントではないかと思えます。人は物事を一般化して考えたがる癖があり、日本人には特にそれが顕著なように思えますが、実際はあらゆる分類も、普遍性もなく、ただ個々の事象が在り、個々の人が居るに過ぎないのかもしれません。それを受け入れたとき、あらゆる物事や人に、一対一で向き合うことができ、人間らしさを取り戻せるのかもしれません。(できた人間でないもので、「かもね」の連発ですみません)

正直、前半の日本人と西洋人の比較文化論的な部分は興味深く共感する部分も多いものの、自分の中ではかなり一般化された視点だったので、『日本人とアイデンティティー』という題名ながら、その中で河合氏がどうクライアントと向き合って来たのか、何を解決していきたいのか、といった生き様の部分に惹かれました。

最後に、本書の一番印象に残った言葉を紹介して言葉を結びます。
「誰かが本当にそばにいることを実感した時、その人は犯罪を犯す必要がなくなる」

105円というコーラより安い値段で、心を動かされる。ブックオフはすごい価値交換システムをつくってくれたものです。

『日本人とアイデンティティ』〜河合隼雄
http://urx.nu/aPB4
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