DSC02163t日時:平成23年12月14日 9時半から12

今日は宇佐美地区の石丁場遺跡を見学する予定であったが、昨夜から朝にかけて降った雨のため、予定を変更して宇佐美地区の史蹟巡りに変更になった。

集合は9時半、宇佐美の留田海浜公園駐車場

講座名:伊豆石丁場を探る

DSC02164講師: 杉山 安生 学芸員 伊東市教育委員会生涯学習謀 主査

宇佐美地区自然歴史案内人会

配布資料

・伊東ガイドブックNo.5 宇佐美(江戸城石丁場遺跡と歴史文化遺産)

・ゆったり湯めまちウオーク(宇佐美コース)


宇佐美留田浜辺公園 留田の浜 海岸からの眺望

DSC02166t宇佐美地区の山地は、江戸城築城の際、石垣に使われた石の多くが採取された地域であり、隣接する烏川、伊東宮川流域では大名の刻印が彫られた刻印石が発見されている。伊東仲川流域においては、中流域から下流域で縄文・古墳・近現代時代の集落跡があり、土器、石製品、住居跡等の遺物、遺構が見つかっている。

行蓮寺 (伊東市宇佐美)

DSC02180t当日は寺の戸が閉まったままで、そのため内部を観ることは出来なかった。行蓮寺に関する資料をネットで探したが、地図以外はほとんどないに等しい。案内人さんの説明によると、天井絵が素晴らしい。獅子と象の彫刻が素晴らしいものがある由。建立は150年前とか?・・、もう少し詳しい情報があってもいいと思うが、いずれ調べてんみたい。
元禄地震津波供養塔

江戸時代の元禄十六年(一七〇三年)十一月に伊豆地方を襲った元禄地震(マグニチュード79)で亡くなった人々を慰霊する供養塔が行蓮寺(宇佐美)にある。この供養塔の碑文には、元禄地震のような発生直後に襲った津波と、同地震の約七十年前の寛永小田原地震で発生後、数時間たってから津波がDSC02177押し寄せたという二つの記録が残されている。元禄地震では海の潮は全く引かない状態で突然津波が襲い、約三百八十人が亡くなったとされる。相模灘を望む伊東市内には、かつての大地震で受けた津波被害を伝える跡は少なくない。この碑のほか、仏現寺(玖須美)、恵鏡院(川奈)の市内三カ所にある。静かな海を見渡す供養塔は現在の市民に津波災害の教訓を語りかけている。

◆大崎丸揚繰網戦災殉職者各精霊供養塔

DSC02178昭和207月、伊東市宇佐美沖で操業中の宇佐美の「大崎丸」は、突如アメリカ航空母艦艦載機の銃撃を受けて15人の尊い命が奪われ巻いた。全くの無防備の漁船であり、戦闘機に対して抵抗するすべもありませんから、何のための銃撃であったのか自ずと分かろうというものです。この碑も行蓮寺の境内、元禄津波供養塔の近くにある。
◆大正12年関東大震災津波浸水地点
DSC02182この標識は行蓮寺へ登る石段の左側にある。この地点は海抜8mだそうである。「大正12年 関東大震災 つなみ浸水地点」と記載してある。小さな石でできた標識(写真左のような一辺40cm位の変形の5角形)であるが、これは観る人に大変説得力がある。「津波発生時には、少なくともこれ以上に上がらないと危険である・・」と、静かに訴えているような気がした。

◆宇佐美祐茂塁趾碑

DSC02185t宇佐美城山は宇佐美氏の居城跡である。宇佐美氏は今から800年ほど前、宇佐美祐茂公が宇佐美の地を治めることから始まった。宇佐美祐茂は頼朝25功臣の一人、鎌倉幕府でも要職を務めた。宇佐美の宇佐美氏はその後300年ほど栄えますが、北条早雲の伊豆攻め(1491年)の時、激戦の末宇佐美城は落城し、宇佐美氏は滅亡したとされる。詳細はガイドブック「宇佐美」を参照

DSC02194t◆比波預(ひはよ)天神社(写真左)                                  

宇佐美最古の神社(朝廷の記録:延喜式神名帳、西暦927年、にその名が残る古い寺)で、ご祭神はカリハヤスタケヒハヨノ命。天神社が合わせて祭られているので、地元では「お天神さん」と呼ばれて親しまれてDSC02196_edited-1いる。

ホルトの木は、南関東沿岸部以南の本州から台湾・中国南部・インドシナ半島にわたって広く分布する高木で、常緑であるが、いつも緑葉のなかに紅葉した古い葉を混じえているので人目をひきつける。そのためか、神聖な木とみなされ、神社の境内に大木が多い。この比波預天神社の木は、県下でも有数の巨木であり根の部分が露出している(根上り)のが珍しい。根まわり:10m 目通り(地上1.3mで測定):8m 樹高約:18m。ホルトの木は「常緑樹であるが、ところどころに赤い葉があり、これが特徴である・・」とガイドさんの説明があった。
DSC02211t◆宇佐美江戸城石丁場遺跡
宇佐美の街中にある刻印石を巡る「江戸城築城まち中ウォーキング」の案内板もあって、ここに紹介する刻印石もその中の幾つかである。

DSC02212t「宇佐美江戸城石丁場遺跡」は、今から400年前に徳川幕府が江戸城の大改築を行うにあたり、石垣に使う大量の石を切り出した遺跡で、日本の貴重な歴史文化遺産です。この時の江戸城大改築には、幕府の命令によって、諸国の大名が動員されますが、宇佐美の石丁場にも何人かの大名家が入りました。それぞれの大名家は、切り出した石に自分の献上したものとわかる印を刻みまDSC02216tした。宇佐美江戸城石丁場遺跡の中には、刻印の入った「江戸城築城石」が無数に残っています。ナコウ山(標高353m)にある宇佐美江戸城石丁場遺跡には「羽柴越中守石場」という文字が刻まれた大きな石があります。羽柴越中守とは細川忠興公のことです。付近一帯が細川家の石場であることを示す貴重な史料となっています。この大石自体が極めて貴重な日本の歴史文化遺産です。
◆北緯3500分上の街 宇佐美

DSC02223t地球上東西を一周する緯度線には人類の生存度が顕著に表わされている。気候的に四季があり人類の知能の発達が得やすい上、温暖で住み易いとされ古代から文明が一番に発達した温帯地方の中心が緯度35度線である。この線上を西へ行くと中国では秦の始皇帝の遺跡西安がありタリバンに破壊されたアフガニスタンのバーミアンの巨大DSC02224t石仏遺跡群が在る。さらに地中海ではギリシャ文明発祥地キプロス島、クレタ島の真上を横切りジブラルタル海峡を抜けて大西洋上に出る。北米では有名なハツタレス岬付近に上陸、北米を横断、オクラホマシティ付近から全米で活発な街ロスアンゼルスをぬけて太平洋上に出る。特に日本国内では房総半島の館山から伊豆の宇佐美を通り大瀬崎から清水は羽衣伝説の三保から中京地区では車作り世界一のトヨタの衛星工場群の中心を抜け日本文化古都京都の中心を貫いている。
阿久悠歌碑

たくさんの名曲を作った阿久悠さんは生前、宇佐美で生活をしていた。阿久悠さんは、この宇佐美を愛し、亡くなるまで31年間暮らしていた。そのため宇佐美区が区民協賛のもと記念碑として平成21年の8月に建立した。

「蜜柑と魚と」  阿久悠

DSC02222t山の上から蜜柑が転がる 緑の中を 心の色の果実が走る ふとひと休み 見わたせばひろがる 紺碧の海 あそこまで走りましょう 走りましょう 魚に会いに ああ 伊豆の伊東は 光と風に恵まれて 季節が描く天国に 人が蜜柑のように生きる 人が魚のように生きる

本作品は伊東市制50周年(平成9年)を祝い作詞され伊東市に寄贈されたものです。

DSC02225t宇佐美駅舎

伊東線(熱海―伊東)は昭和1312月に開通。宇佐美駅はその時に開通した。宇佐美駅舎は当時のままの姿で残っている。太平洋戦争の敗戦が迫った頃、アメリカ空母艦載機の機銃掃射を受けたことがある。その時の弾痕が今でも残っている。

終わりに
今日は宇佐美地区の石丁場遺跡を見学する予定であったが、昨夜かDSC02184ら朝にかけて降った雨のため、予定を変更して宇佐美地区の史蹟巡りに変更になった。大変期待していただけに山に登って石丁場遺跡を観れなかったのは残念であった。正直言って、私は宇佐美を歩いて周るのは初めて、そのためどの訪問先も大変新鮮に感じられた。結構、楽しませていただいた。お世話いただいた宇佐美地区の案内人会の皆さん、やはり「良く勉強しているなあ・・」と感心させらた次第。ご苦労様でした。また最後までお付き合いいただいた講師の杉山先生並びに観光課の職員の方々に感謝いたします。