July 17, 2008


どうでもいい話:日本でiPhoneが成功する可能性は低いかもね

 iPhoneが発売されたことによって、色々とケータイビジネスに関する考察が盛んだ。個人的に興味深いなと思ったのは次の2つの記事:

iPhone 3Gはインターネットマシンとして見ても微妙? ガラパゴス・ケータイはやっぱりすごかった(キャズムを超えろ!)

Next Wave:携帯Web分野でも世界から無視される日本(ITmedia エンタープライズ)

 これらの記事を読むと、日本のケータイほど日本人にとって使いやすい携帯電話サービスは他にないようだし、そういう日本人ユーザーに特化されたサービス(ハードも含めて)は、どうやら日本以外では受け入れられそうにない状況が理解できる。

 こういう、「日本」と「それ以外」みたいな状況が起きる一番の原因は、当然のように言葉の問題だろう。日本語で思考して操作するためにシステムやインタフェースを最適化していけば、当然、日本語とはロジックを異にする言語文化においては、理解しずらく使いにくいものになる。また、その逆のパターンも同じであり、英語文化のシステムが日本人にとって受け入れにくいのは当然の話。

 奇しくも、「iPhone 3Gはインターネットマシンとして見ても微妙? ガラパゴス・ケータイはやっぱりすごかった」に付けられたはてなブックマークには、「『日本人なら98が最高!』議論に似ている」という非常に示唆的なコメントがあった。

 NEC-98シリーズが淘汰された理由は、そのスペック差に負うというよりも、おそらくは単に経済性が大きかったのじゃないだろうか。世界規模で販売されるPCと、日本国内でしか販売されない98シリーズを比較すれば、物量的に大きな差が生じるし、どう考えても価格で勝負することは難しかったはずだ。もし、そこに経済的なハンデが一切無ければ、日本では、日本語環境の優れた98が生き残った可能性もあるような気がする。

 今の国内携帯電話ビジネスをとりまく環境を見れば、日本製ケータイの方が、海外製モバイル製品よりも、スペック、経済性のいずれにおいても日本人ユーザーにとって優れているのは明白だ。しかし、今後、海外のモバイル製品が圧倒的な物量で価格競争を推し進めれば、いつの日か日本のケータイも98と同じ運命を辿るのかもしれない。

 ただ、日本という社会で日本語を使い続ける限り、非日本語的なものが絶対にメジャーなものになれない分野は存在している。その典型例が出版物と音楽コンテンツだろう。どんなに海外文学や洋楽を楽しむユーザー層がいるとはいえ、その市場規模は国産コンテンツ需要に比べてかなり小さい。やはり、日本人は日本語のロジックで考え日本語で表現されたコンテンツを好むのであり、それは携帯電話というプラットフォームでも同じことが考えられる。

 つまり、日本語のロジックで考えられたインタフェースを介して、日本語でコミュニケーションを行い、日本語で表現されたコンテンツを利用するのだから、いつの時代になっても、海外のモバイルではなく、日本のケータイが求められる可能性は大きいのだ。

 まぁ、そういう日本人的な文化のあり方に依拠するケータイのあり方と、日本の産業や経済が日本以外の市場で稼がなければ生き残っていけないという現実は、まったく関係ないお話だったりするので、今後日本の大手企業は、どんどん非日本人を雇用して日本以外で売れるものを作れば良いと思う。また、携帯電話産業に関しては、もうユーザーシェアを拡大する余地もあまり無いのだろうから、いっそのこと全てを統合・国有化して、無駄な自国民同士による争いは止めるというのも一つの手なのかもしれない。もし、そうなったとき、iPhoneみたいなものが日本市場で成功する可能性は限りなく低いよね(笑)。


 PS. なんだか小飼弾氏が似たような視点の話を「この手があったか! - 書評 - 日本という方法」というエントリーで展開されているような気がする(と勝手にこちらが解釈してるだけだけど…)ので、TBしてみる。


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